価値のない話

「夢と違うじゃねえかよお!」

「文章力をアップさせる方法」の話

 よく「文章うまくなりてー」という発言は目にする。そして「文章が上手になる○○の方法」的なエントリがホッテントリに並ぶ。それでも「文章力をつけたい」という欲求は減らない。つまり「効率よくできる!英語の勉強法○○選!」と変わらないわけですが。

 

創作って何が一番時間コスパいいの?

 

 つまり「ラクして大儲けしたい」とか「文化祭の後夜祭でバンドのボーカルやってみんなにモテたい」とメンタルは変わらないんだろうな。英語にしろ創作にしろ、なんだってある程度の基礎と努力があって上達があるし、どちらも必ず見返りがあるとは限らない。もちろんコスパを気にするのであれば、創作なんてしないほうがいい。

 

 大体ちょちょっと簡単そうにやってるように見えることは、実は陰にたくさんの基礎が積み重なっている。素人が一朝一夕で身に着けることが出来ないものを、奴らはたくさん仕込んでいる。キレイな舞台の裏にはたくさんの雑多な荷物がつみあがっているもんだ。「じゃー努力しかないのかよ」って思うわけだけど、実際そうなんだから仕方がない。「学問に王道なし」って言うじゃない。いくらエライ王様でも、学問をするのであれば楽な道はないっていうことね。でも努力の方向が間違っていればどうしようもない。先達はあらまほしきことなり。

 

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 それで文章を上達させる方法になるわけなんだけど、「5W1Hを気を付ける」「タイトルは簡潔に」とかよりもずーっと大事なことがあるんじゃないかと思うわけです。それは「上手な文章は何かを知っていること」「自分は何を書きたいかが明確になっていること」だと思うんですよ。

 

上手な文章は何かを知っていること

 最初から独創的な人はいません。いたとしても、よっぽどの天才です。そしてそんな天才でも、基礎のことを全く知らないということはないと思います。文章に関していえば、5W1Hよりも前に日本語の語彙や「てにをは」の使い方、読みやすい改行などです。正直てにをはすら怪しい文章は結構多いです。それで「文章うまくなりてー」など言うのですから困ったもんです。

 

 やっぱり文章を作るときに一番大事なのは元々の読解力だと思うんですよ。与えられたものを適切に読み取る能力がなければ、適切に他人に伝えられる能力なんてもっと大変だと思うんですよ。読解力のない人は、自分勝手に文章の一部だけ読んで理解したつもりになっています。つまり、その人にとって文章とは「一部」でしかないのです。そんな人が書く文章もきっと「一部」の寄せ集めなので全体で見たらガタガタしている。めっちゃキレイな浴室を作ったとしても、土台の基礎がガタガタだったら家は崩れちゃうんですよ。もちろん土台だけしっかりしていてもダメ。土台も台所も浴室も内装も含めて「家」なんです。

 

 やっぱり他人の文章をきちんと読み取って、全体を掴める人は自分の文章も全体を見通して書いていると思う。小説をいっぺんも読み通したことがない人が優れた小説を作れるか、というとやっぱり難しいと思う。もちろん例外は考えるべきだけど、本当の例外なら「あー文章うまくなりてー」なんて平凡なことを思うことはないはず。

 

 まずはいろんな人の文章を読んで、全体を把握する訓練が大事かもしれません。例えば小説を書くときに「プロット」というものを意識する必要があるのですが、それも「この部分ではこれを書いて、次の部分につなげるぞ」という全体を見通す能力なのです。起承転結でも序破急でもなんでもいいのですが、始まりと終わりをきちんと見通すということは結構大事です。これは文章作成だけではなく、イベントの運営でもプロジェクトの進行でもなんでも大事なことです。これを意識するだけでするする文章が書けるようになると思います。

 

自分は何を書きたいか明確になっていること

 このブログの方針なのですが、いろんなこと雑多に書いているように見えて実はひとつだけきちんとルールを設けています。それは「自分が読みたい記事を自分で書く」ということです。現実社会はもちろんネット上にも完璧な自分の理想郷なんて絶対存在しません。だったら自分でほしいものは自分で作ろうじゃないのというのがこのブログの趣旨であります。自分の「欲しい」は他人の「いらない」だと思っていますので、こうやって雑多に記事を載せておいて場末のリサイクル屋みたいに掘り出し物を誰か買ってくれればそれで十分だと思っています。だから「価値のない話」なんですよ。「こういう記事があったらいいな」という電波を日々受信して具現化しているだけです。

 

 だからただ漫然と「文章」がうまくなることはないと思うんですよ。絵がうまくなるのにエロ画を一生懸命頑張るとか、そういうのに似ていると思う。「エロを描きたいから絵がうまくなりたい」とか「エロを書きたいから文章を磨く」とかそういうことだし、別にエロじゃなくてもいいんだけど「手段が目的化していないか」を常に考えたほうがいいと思うんだよね。ブログも特定のコンテンツがあったほうが伸びるのは、コンテンツを目的に来る人のほうが多いから。コンテンツに沿った記事を書くからぶれない。そういうことだと思う。

 

 

 

 まとめると、「全体を見通す能力」「特定のコンテンツに注目する」ことが伝達能力の向上につながるんじゃないですかねぇ。あと「文章力」なんて言ってるけど結局「俺と思っていること一緒だからこいつ文章力すげぇ!」と言ってるほうがほとんどだから、他人の「文章うまいねー」はアテにしないほうがいい。一歩コミュニティの外に出ると通用しないから。伝達手段より伝達する中身を吟味しよう。