「一緒に生きる仲間」と考えることから
始めるしかない
話を、今回の最高裁判決に戻そう。外国人に対して「健康で文化的な最低限度の生活」の保障を行うことを止めたら、日本はどうなってしまうだろうか?
「外国人を労働者として使いながら、最低生活保障を行わないとすれば、19世紀の労働者と同じ状況を作るだけです。グローバル化が進んでいますから、国内だけでなく世界中で同じことが行われるわけです。日本資本が外国で、外国人労働者を日本人より低い賃金で雇用してきていますけれども、簡単に企業が『ボロ儲け』はできませんよね。労働問題も起これば、賃上げ要求もされます。それと同じことです」(笹沼氏)
では、現在日本に居住している外国人の人々については?
「外国人の人々、かつて『日本帝国臣民』であった旧植民地の人々は、今、ともに日本に居住して生活しているわけです。旅行者ではないので、すぐにどこかに行く可能性はありません。一緒に暮らさざるを得ない存在です。
2008年、『派遣切り』に遭ったブラジル人の中には、帰国支援制度を使ってすぐに帰国した人もいましたが、さまざまな事情から、日本に引き続き居ざるを得ない人々もいました。その人たちが『一緒に居住している共同体の仲間なんだ』ということから考え始めるしかないと思います」(笹沼氏)
そもそも、憲法の及ぶ範囲そのものに、数多くの解釈の可能性がある。
「日本国憲法25条が『すべて国民は』という文言を使っているから生存権保障から外国人を排除していると解釈する文言説は既に否定されており、権利の性質によって外国人にも保障されるという「性質説」が通説とされています。地方参政権であれば外国人にも保障されるという考え方もあるわけですから、生存権が外国人に保障されるという考え方には説得力があると思います。したがって、憲法25条の理念に基づく生活保護法が外国人にも保護受給権を保障しているという解釈も成り立つはずです」(笹沼氏)
結局は、「外国人」や「生活保護」という面だけに注目していたら、建設的に次のステップに結びつく理解はできない、ということだろう。「社会保障」とは? そもそも「社会」とは? 「共同体」とは? 「公共」とは? という根本的な問題から考え続ける必要がありそうだ。
次回は、見直しが検討されている住宅扶助に関して、引き続きレポートする予定である。
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