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外交文書 昭和天皇の初の外国訪問の経緯
7月24日 21時19分

外交文書 昭和天皇の初の外国訪問の経緯
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昭和天皇が1971年にヨーロッパを歴訪するのにあたり、政府内でパスポートを発給するかどうか議論が行われるなど、天皇としての初めての外国訪問に向けた準備作業の様子が、24日に公開された外交文書で明らかになりました。また、ヨーロッパ歴訪よりも前に、アメリカで開かれた国連の行事への出席の可能性が検討されたことも明らかになりました。

昭和天皇は、天皇としては初めての外国訪問として、1971年9月から10月の18日間にわたり、ベルギーや当時の西ドイツ、イギリスなどヨーロッパ7か国を香淳皇后とともに歴訪しており、24日に公開された外交文書で、訪問を巡る経緯が明らかになりました。このうち、1971年5月の文書では、昭和天皇にパスポートを発給するかどうかについて検討した経緯が記されています。
この中では、日本を訪れた各国の元首らがパスポートを所持していたかどうかを確認したうえで、天皇が日本国の象徴であることや、天皇に対する伝統的な国民感情から見て、「外務大臣が発給するパスポートを携行して、出入国の手続きなどを経られるのは極めてふさわしくない」などと指摘し、パスポートは発給しないのが適当と結論づけています。
このほか、滞在中の食事について、オランダにある日本大使館が出してきた献立の案を、政府側が差し替えるよう要請した公電などもあり、綿密な準備作業が行われていたことをうかがわせています。
一方、1969年7月付けの文書では、ヨーロッパ歴訪よりも前に、1970年にアメリカで開かれた国連創立25周年の行事への昭和天皇の出席の可能性が検討されたことが明らかになりました。
この中では、各国の元首が集まる会議に出席することや、元首の立場で署名などを行うことが、憲法上できないといった意見が出されており、結局、出席は見送られました。
ただ、これを契機に、政府内で昭和天皇の外国訪問の本格的な検討が始まり、ヨーロッパから帰国後の1972年8月の文書では、相手国の元首が来日したことに対する『答礼』としての訪問を優先するなどとして、ベルギーや西ドイツなどの訪問が決まった経緯がつづられています。
日米外交史が専門の日本大学の信夫隆司教授は、パスポートの発給を巡る議論について、「天皇に一般の国民と同じような対応をしていただくのは、失礼ではないかという考えが当然あったのではないか」と話しています。

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