kids21子育て研究所
自閉症発症論について新説
発達障害環境発症論
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川崎医科大学名誉教授(小児科学)/ Kids21 子育て研究所 所長  片岡 直樹


   自閉症とは、長い人生の旅のごく初期に発生する発達障害の特異なタイプであると考えられる。それは、未完成な、またそれだけに膨大な発達を遂げる幼い脳に起きた小さな出来事の結果である。最初は小さな異変であったものが、後に重大な欠陥を生じたものと考えられる。自閉症児がこの世に生をうけてまもなく、この異変による傷跡をそのあどけない表情の下に読み取ることはできない。否、むしろ際立って端正な容貌の持ち主であることが多い。自閉症児に初めて会う人に神秘的な印象を与える理由でもある。

 自閉症児は、私たち定型発達者(健常者)と異なる資質をもって、この世に生まれてきたのではない。本来同じ人間として生をうけた仲間のうちの幾人かが、思いがけず微小であるが、結果の重大な障碍をうけ、孤独な旅に出ることになったと考えられる。自閉症児が見せる融通のきかなさや、混乱したときにみせるパニックは、健常者にもその面影を認めることができる。それらの行動は、特定の条件に限っていえば、私たちの生存に欠かせないものでさえある。私たちは発達の分岐点において、かろうじて「正常」な方への道を選ぶことができただけである。

 ヒトという人間としての旅の始まりは、私たち1人1人が物心つくよりずっと以前のことである。それは、多くの危険をはらんだ旅立ちでもあった。私たちはこの未明の嵐のことを忘れ、その後の静かな光景だけを見ながら人生という旅を続けている。しかし、自閉症児は、この時の嵐の厳しさとその傷跡を克服することの困難さを、身をもって私たちに警告していると考えることができる。自閉症とは、その名前から一風変わった人間の症状としてだけ受けとられがちであるが、そうではなく、1人の人間のすべての構造が根こそぎ揺れ動かされた結果を示す症状である。だから、そこから生まれる問題は、治療や教育の問題であるばかりではなく、脳と「こころ」の全般的な問題であり、言語や認識や行動や感情の問題であり、哲学の問題でさえある。そんな広い世界についての問題提起をかれらはおこなっている。ともかく今、自閉症という障碍は多くの人に知られるものとなり、私たちとかれらの間のより良い関係のあり方が討論されるようになった。分岐した道は長い旅の後で、再び近づいてきたのである。今こそ、お互いの道筋を振り返り、私たち人間の、これからの旅の目安にしたいものだと思う。


   ヒトの赤ん坊は、生後1年間に及ぶ無力な状態で生きている。他のほとんどの動物(哺乳類)は、生れてその日のうちに立ち上がり、歩き始める。人間だけ1年間も歩けないでいる。ポルトマンは「ヒトは1年間の生理的早産」といっている。生れて間もない人間の赤ちゃんは、脳の成熟状態においても、感覚器官や運動器官の完成度においても、このような試運転をおこなえる状態ではない。にもかかわらず、現実から十分なフィードバックを経ることなく、将来の膨大な情報処理に備えて、大脳の各部分は増大し続ける。このため、外界との接触による点検を受けない非実践的な脳が生まれてくる可能性がひそんでいるかもしれない。

 定型発達していく赤ちゃんの場合、わずかな手足の動きや泣き声などによって周囲の人間に働きかけ、外部の世界と自分の位置を確かめ始める。それは彼らの脳がこの時期から人間への働きかけを除々に始めるよう仕組まれているからに違いない。彼らの社会的な行動の出発点である。ヒトや高等哺乳類の社会的行動は大脳辺縁系に強く関係している。

 自閉症児は、専門家たちによると、欲望や感情の発生源に機能的障害をもっているという。自閉症は、先天性の脳機能障害であるといわれる。泣いたり、笑ったり、親の気を引いたり、目を合わせたり、呼んだらふり向いたり、まねをするなどの如く心が通い合うことが、一切ない。身振りがない、指差ししない、ごっこ遊びをしない、周囲に無関心、泣いて訴えることがないなどのために、手がかからないおとなしい赤ちゃんだったと振り返る親が多い。さらに不思議なことに、正常発達の途中でそれらを失ってしまう折れ線タイプの言葉遅れ(小児崩壊性障害)の子どもたちが自閉症の2~3割を占めると専門書に記載してある。この愛着障害も生まれながらの障害に入っている。

 某精神科医の本によると、“重度の発達障害(自閉症)と軽度の発達障害(ADHD、LD)に分けられる”という。重度の場合、神経経路の一部分に大きなダメージが存在する。生後早期のリハビリが大切であり、しかも両親が子どもと向き合う時間が必要で、専門家まかせにしてはいけない。軽度発達障害の場合、問題は発達の凸凹である。発達のいかんにかかわらず、なるべく早く治療をスタートさせたいという。

私は自閉症環境発症論を展開しており、すべて後天的に発症すると考えている。



  ヒトの赤ん坊は生後1年間無力の状態である。動物は就巣性と離巣性に分けられる。就巣性は人間と鳥のみである。人間に近いサルは離巣性の代表であり、生まれてすぐ歩いたり1人立ちできる。すなわち、ほとんどの動物は生まれたらすぐ完成品になる。ひとり立ち可能な、生まれながらのすり込み現象が存在するのである。

ヒトは生まれたとき白紙状態で、1年間を費やしてやっとひとり立ちする。ここに定型人間(健常人)と自閉症児が育っていくヒントがある。ボウルビーの愛着理論によると、定型発達児の愛着発達は次の段階を経て育つ。

第一段階(誕生から2カ月頃):人の弁別をともなわない定位と発信(非選択的愛着)

第二段階(3カ月~6カ月頃):1人又は数人の弁別された人に対する定位と発信(選択的愛着)

第三段階(6カ月~2才頃) :分離不安(抱っこをせがむ)

第四段階(3才以上)         :自立(自分で考え行動する。人に迷惑をかけない。人の役に立つ。)

 

自閉症児の愛着発達過程→専門家が考えている自閉症の生まれながらの脳障害説。

 第一段階:混沌(自他が明確でない。世界イメージが混沌としている)

 第二段階:道具(便利な道具としてのみ愛着対象者〈母親〉を認識している)

 第三段階:快楽(道具に加え、楽しい存在として認識)

 第四段階:依存(自分の無能さと、愛着対象の有能さを認識)

 第五段階:自立(愛着対象者を探索基地として、自分の気持ちをコントロールし、自立していく)

すなわち、自閉症児は誕生してから愛着が育つ時期、混沌としていて人間への選択的愛着が成立しないということが、世界的に通っている説である。生後1~2カ月頃、親が「どこか変だ」と気づく。眼を合わせようとしない。笑ったり泣いたりしない。抱っこを嫌がる。おとなしい。あやしても笑わない。

 

しかし、私が出会う自閉症児はみんな、定型発達児がたどる愛着発達の第一から第四段階までの途中で、頓挫してしまうために、愛着形成が失敗に終わる。この頓挫がなぜおこるのかが問題である。赤ん坊が“音”と“光”環境にはまるのである。すなわち、愛着は当初育っているけれども、途中BGM、テレビ、ビデオ、CD、電子おもちゃ、フラッシュカードなどの環境の下で、愛着が消失するのである。ここに自閉症環境発症論が生まれる。


これは自閉症よりもっと軽い。第一・第二段階はかろうじて成立するが、第三段階、分離不安で頓挫するのである。多くは、乳幼児後半になると母親を主たる愛着の対象とする。しかし、分離不安はなく、歩き始めるとよく動きまわる。叱られても少し経つと何事もなかったかのように、母親ににこにこして話しかける。買い物で迷子になっても不安を示すことはなく、再会後も母親に泣いてしがみつくことはない。