仕事や運動で疲れた体を癒やしてくれるマッサージチェア。本格的に普及するようになって今年で50年目を迎えた。世界で初めてフジ医療器(大阪市)が商品化し、当初は銭湯を中心に販売されていたが、開発後10年目の1964年にモーターのコンパクト化に成功。家庭などへの普及の足掛かりとなった。価格も手ごろになり設置場所の主体は家庭に変わった。この半世紀はマッサージチェア自体にとっても、身体の疲れを癒やしたいという利用者の思いにこたえようと進化し続ける50年だった。
■素材は野球ボールや自転車チェーン
マッサージチェアは「ゴミの山」から生まれた。54年、創業者の故・藤本信夫氏が大阪市阿倍野区に「フジ医療器製作所」を開く。藤本氏は「1日の疲れを癒やしてリラックスしてもらいたい」と考え、マッサージできるいすの製作に着手。木材や野球ボール、自転車のチェーンなどの材料を集めてきては試作品作りを繰り返し、第1号機が完成した。「椅子に座れば機械がマッサージしてくれる」と評判になり、量産が始まる。
販売先は当時日本全国に4万軒あり、人々の社交場だった銭湯。創業初期の社員は藤本氏一家3人と3人の営業マンの計6人のみ。リヤカーに商品を積み込み、銭湯の煙突を目印に街を歩き回ったという。使うたびにお金を入れるコイン式が当時の主力だった。
世の中にない商品だけに販売は苦戦した。そこで、まず銭湯に無料で置かせてもらい、お客さんが利用することで収益が上がる商品だということを認知してもらうことに注力した。当時、コイン式は3分10円が主流だった。当時の製品価格は1台7万円前後だったので、1日20人使うと1年ぐらいで資金を回収できた。中部地方のある温泉施設では3カ月で回収できたところもあったという。
■省電力の先駆けを実現した64年
疲れた体を癒してくれるマッサージチェアが次第に評判を呼び、銭湯に置いてあるマッサージチェアを見た人から「ウチで売らせてほしい」といった問い合わせが増えてきた。そこで、メーンだった銭湯や旅館への販売に加え、業者を通じた卸向け営業も加える。製造に重点を置いた本格的なメーカーとして進んでいく。
64年にマッサージチェアに使うモーターの消費電力をそれまでの200ワットから、80ワットまで小さくすることに成功した。モーター自体のサイズがコンパクトになるとともに電気代は200ワットのときよりも安くなった。家庭への普及に大きく貢献することになった。
65年、本社・工場を大阪市住吉区に移転し、株式会社フジ医療器が誕生した。銭湯のほか温泉施設へも普及が進み、マッサージチェアは卓球台やゲーム機と並び施設に欠かせない機器に成長する。
マッサージチェア、フジ医療器
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