2004年06月20日

菅原孝標女は、日本で最初のオタク少女である。

 と、適当なことを言ってみる。

 日本の代表的な古典文学作家をオタク呼ばわりとは、古典文学の専門家が聞いたら、怒るでしょうか? でも、あの人、確かに同じ匂いがするのです。だから、古典の苦手な僕でも、あの人とだけは、千年の刻を超えて共感しあえるような気がするのです。

 菅原孝標女は、貴族の娘だったのですが、父親の仕事の都合で、都を遠く離れた(現在の)関東地方へ来ていました。平安時代の関東地方は、クソ田舎です。今で言うと、民放が2つしか入らなくて、見たいアニメが2ヶ月遅れくらいで入るようなクソ田舎です。そんな環境にあって、彼女は、流行の『源氏物語』を見たい!と熱望します。地方在住のオタクの皆様は、強い共感を覚えるのではないでしょうか?
 そんな彼女が、おばなる人から『源氏物語』を譲ってもらうわけですが、そのとき彼女が大喜びしたことは、想像に難くありません。そして、彼女はそれから源氏の世界にはまっていく様子を『更級日記』に綴っています。

 はしるはしるわづかに見つつ、心も得ず、心もとなく思ふ源氏を、一の巻よりして、人もまじらず、几張のうちにうちふして、引きいでつつ見る心地、后の位も何にかはせむ。

 『更科日記』の中でも有名で、美しい一文です。声に出して読みたい日本語ってやつですね。
 でも、せっかくだから、現代風に訳してみましょうか。

 コミケの帰りの電車の中で同人誌をパラパラとめくりつつ帰った。ネット上で断片的にしか知らず、読みたくてじれったく思っていた同人誌を、人も寄せつけず、ベッドにこもって、じたばたしながら読みあさる心地のすばらしさ! 結婚なんて何よ! 私にはもっとすばらしいものがあるわ!

 とても、声に出しては読めない日本語になってしまいました。

 ところで、『源氏物語』≒同人誌、なんてとんでもない、と思うかもしれません。
 しかし、かの名著も、最初から高尚な文学作品だったわけではありません。当時の仏教思想によれば、ウソはいけないことです。そして、小説は虚構、いわばウソのカタマリです。したがって、小説は同時はよくないものだと考えられていたようです*1。つまり、当時としては、かなりサブカルチャーの側面が強かったのではないでしょうか。いや、当時ばかりでなく、ずいぶん後世まで、倫理的な面から非難されてきました。
 また、『源氏物語』は、内容も、かなりエロい。エロだけで語ってしまうのは一面的ではありますが、とりあえず、エロい。マザコン、ロリコン、そして、皇家の近親相姦……*2
 だから、やっぱり似てる気がして仕方ないのですよ。

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 *1 孝標女自身も、『更級日記』の中で、「夢に、いと清げなる僧の黄なる地の袈裟着たるが来て、『法華経五の巻をとく習へ』と言ふと見れど……」と書いています。『更級日記』は、孝標女の晩年の回顧録ですから、彼女の後悔が、このようなエピソードを入れさせているのでしょう。
 *2 この点から、戦前には当局の弾圧があったようです。


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