2014年07月24日

言葉の先には、人がいる〜humanityについて、「中立」について、ガザに対する途方もない暴力が進行中の傍らで

先日、地震があった。激しくはないが、長く揺れていた。私の見ているTwitterの画面に、「揺れてる」、「長い」といったツイートが、日本語と英語で立て続けにいくつか表示された。私もいつものごとく、日本語と英語で(あるいは英語だけだったかもしれないが)「東京で地震を感じている。たいしたことはないが長い」といったことをキーボードで打って、Tweetボタンを押した。同時に地震速報のアカウントから発生時刻、震源地やマグニチュード、最大震度といった情報が流れてきたので、RTのボタンを押した。震度が大きいときは震源地に近いほうのツイッター上の友人がオンラインなら声を掛けることもあるが、この日は最大震度で3。震源地は茨城県北部。津波の心配もない。

いつもならそれまでだ。だがこの日は、英語で「大丈夫ですか」というリプライが来た。これまでやり取りをしたことのないアカウントだ。「マリー」さんという女性名。プロフィールを見ると、モロッコの人だ。私をフォローしてくれている。

ありゃー、心配させちゃったかな、東京では普通の地震なのに、と「大丈夫ですよ」と返信した。即座に返事が来た。「あの大地震と津波以降、日本で地震と聞くと心配でならないのです」と。

私自身は「あの大地震と津波」で被害は蒙っていない。近い間柄の人にも直接の被害はなかった。それでも、モロッコのマリーさんにとって私は「あの大地震と津波のあった日本の人」であり、私がツイッターに書き留める日常的な規模の地震(歩いていたら気づかなかったに違いない程度の揺れの)で彼女は「あの大地震と津波」を真っ先に思い、心配している。

「心配している」というのは日本語の表現で(これをbe worriedと「訳」して意味が通らなくなることがよくあるのだ)、「careしている、気に掛けている」ということだ。彼女はindifferentではない。

マリーさんには「あなたの思いやりに、泣きそうです」と返信した。即座に「泣かないで」と返事が来た。「ありがとう (^^)」と返事をして、モニター越しの、140字内の、デジタルの会話は終わった。

マリーさんはこれまで一度もやり取りをしたことのない私の発言によって心配になり、言葉を発した。

言葉の先には、必ず、人がいる。これがhumanityである。(Humanityの現れる場面の主要なもののひとつである。)

アラビア語圏で、かつての欧州列強による支配が残した言語がフランス語であるモロッコの彼女(名前の綴りはフランス流だ)は、きっと英語は第二言語か第三言語だ。大学生だろうか。英語を使う仕事をしている人だろうか。英語の先生かもしれない。家族が英語圏の人なのかもしれない。(かつてお世話になった語学の先生で公用語が2言語ある国の人で、その一方が使われている地域の、もう一方を第一言語とするマイノリティのコミュニティで生まれ育ち、ご両親のどちらかはその2言語のどちらでもない言語圏出身の人であるため、最初から3言語の環境だったという方がいる。そういうことは、世界的には特に珍しいことではない。)

彼女の住んでいるモロッコについて、私はどれほどのことを知っているだろう。まず、シャマフを忘れちゃいけない。それからカサブランカにフェズ。紀行番組を見て、いつか行きたいなあと漠然と思っている場所のひとつだ。そしてタジン鍋にアルガンオイル……でもこれでは「ゲイシャ、フジヤマ、シンカンセン」レベルにも及ばない。ニュースはどうだ。2000年代に爆弾攻撃があったのは大きく伝えられた。いわゆる「アラブの春」のときは王政に対する民主化要求運動がかなり盛り上がった(そしてそれなりの成果は手にしていたはずだ)。でもそれ以上はどうか。

検索窓に、moroccoと打ち込んでみる。

morocco.png


The relief includes 155 tons of medicines, powdered milk for kids, rice, hygiene products, tents, blankets, mattresses and generators.

The aid will be airlifted by the FAR from the Kenitra military base to the Ismailia airport in Egypt, then transported by land to the Gaza Strip.

With this humanitarian aid, Morocco will contribute to easing the sufferings of the Palestinians who are facing a despicable assault by the Israeli army.

It will also confirm anew Morocco’s full solidarity with the Palestinian people in this difficult juncture caused by the Israeli attack against unarmed civilians and the blockade imposed on the Gaza Strip.
http://www.moroccoworldnews.com/2014/07/135186/morocco-dispatches-humanitarian-aid-to-gaza-population/


モロッコはhumanitarianな支援(人道的支援)を行う。国家が国家としてそれを行うとき(しかも国軍を動員して)、それは「政治的」な行為であるが、「人道的支援」とはそれ以前に、humanとしての支援、humanityの現れだ。医師が、基本的な薬や消耗品がないために助かる命を助けられずにいるという状況は、人として、放置しておくことはできないのである。そしてガザ地区は実際にそうだ。そればかりか、病院が軍事攻撃にさらされている。攻撃する側は「標的である」と宣言してまったく悪びれるふうもない(「われわれに病院を標的にさせるハマスが悪い」のだそうだ)。

ガザの医師の報告と、病院・医療への攻撃の記録
http://matome.naver.jp/odai/2140599730264674801






このような「極限状況」にあって、人が自他のhumanityを保つこと、保護することは簡単なことではないが、それでもそれは保護されねばならない。研究者として歴史上の「極限状況」の記録に数多く接してこられた小菅信子さんは、humanityを保護することについての日本における関心の低さをめぐる会話の流れの中で、次のようにおっしゃっている。つまり、「戦争でなくても、災害でも出来する極限状況」という現実を認識すること(「戦争がなくなれば」考えなくてすむ問題、というわけではない)。



これは、現代の国際社会では「普遍的価値観」である(国連人権宣言などを参照)。「価値観」であるから「現実」とは異なるかもしれない。けれども「価値観」として「普遍的」である。その場に参加する誰もが共有しているはずのことだ。

それに対する軽視や蔑視をすれば、少なくとも顰蹙を買うか、最悪の場合は追放されるのが筋だ。そのために国連総会や安保理のcondemn系の声明(日本語の報道では「非難声明」と四字熟語で呼ばれるが、そういう種類の声明があるわけではない)があり、そのほかの制度がある。

今回のイスラエルによるガザ地区に対する軍事作戦(作戦名Protective Edge)が開始されて数日も経たないうちに、英国のウィリアム・ヘイグ外務大臣は「ガザ地区における人道状況と人命の喪失に、多大なる懸念を覚える」と発言した。

ここでヘイグが、in Gazaと、前置詞のinを使うことはできていても、humanitarian *crisis* という表現を使えなかった/使わなかったことは「英外相のできることの限界」を示している。

さて、英外相がこのような「きれいごと」を言えば、それに対する批判(「英国はイスラエルによる占領・包囲・封鎖に加担しているではないか」)が寄せられるのがパターンだ。ヘイグの上記ツイートには、そのようなリプライがたくさんついている(はずだが、なぜか昨日は閲覧できたものが今日は閲覧できない)。例えばバーレーンの(叩き潰された)民主化要求運動を伝え続けてきたジャーナリストのマーゼン・メフディさんは、「懸念、ですか。非難や怒りではなく」と言う。「彼らの生命は価値が一段低いのだという扱いをしてごらんなさい。あとから同じ扱いが彼らの側からなされますよ」と。



イスラエルがジャーナリストを締め出した2008年12月から09年1月のキャストレッド作戦のときには、BBCが記者の報告の代わりに毎日ウェブサイトで「支援活動日誌」を紹介したNGO職員、ハテムさんの所属先である「イスラミック・リリーフ」の職員、シャヘダ・デワンさんは、「平和構築に真剣に取り組まねばならない。(このような攻撃にさらされ、国際社会から無視されていると感じ)幻滅した人々が、ISISのようなテロリストに目を向けることを阻止せねばならない」との考えを表明している。


極めて現実的で、建設的なコメントだと思う。こういったことは、英国は「北アイルランド紛争」でいやというほど学んでいるはずだったのだが……。

いずれにせよ、これまで何度も繰り返されてきた類似の事例では、英外相がこのように発言したら、続いてフランス外相から同じ内容の発言が出され、国連事務総長も発言するというのが一種のパターンだった。その過程で、イスラエルによる武力行使について「過剰な disproportionate」という形容詞が必ず出てくる。そうして、米国の国務省から「双方自重を」というコメントが出る。それがパターンだった。

今回はそうではない。「歴史的、政治的な理由に影響されたり、左右されたりしてはいけない」ようなhumanityの保護が必要であるという状況を認識していることを公に示した英外務大臣は、その発言の2日後に外相ポストから去った。

英国のヘイグ外相が辞任(実質的には解任か)
http://matome.naver.jp/odai/2140538250755717501


選挙まであと10ヶ月という中途半端な時期に、イラン(核協議、英国大使館再開)、ウクライナなど重要な課題がいくつも重なって、それに現在完了進行形で対応してきた外相という極めて重要なポストに手を加えた理由は、直接的には保守党の党内事情と考えられるが(「選挙で勝てる内閣」とキャメロンが考えたのがこの人事だったのだ)、英国を見ていると、どうも何かおかしな雰囲気がしてならない。天災であれ事故であれ大勢の人々のhumanityが少なからず危険にさらされる場合には必ずコメントを出す最大野党 (the Official Opposition) の労働党党首がガザについては沈黙しており(ウクライナの旅客機撃墜についてはコメントしている)、BBCの報道もおかしい。



アメリカでも、晴れた日に見晴らしの良いビーチで遊んでいた子供4人が海から砲撃され殺されたことを目撃し、報道した記者が現場を外されたし、人々がいる都市が爆撃されているのを丘の上から見物して喜んでいる人々を取材したら嫌がらせ・脅迫を受けたと乱暴な言葉でツイートした記者も現場を外された

もっとおかしいのは米国政府だ。ニューヨーク・タイムズのロジャー・コーエンさん。「ジョン・ケリー国務長官が、イスラエルはハマスによる『包囲下』にあると発言。最初に読んで、二度見して、三度読み直してみたが、何も変わらない。これは大変なことが起きている」



ジョン・ケリーという人は、確かブッシュ政権が2期目になるかどうかの大統領選挙で民主党の候補となったときは「従軍歴があり、なおかつ反戦のヒーロー」と称揚されていたはずだ。1960年代の、ベトナム戦争の反戦集会でジェーン・フォンダと一緒に写真におさまっていたりしていて。勲章を投げ捨てたとかいうのもずいぶん話題になっていたと思う。

さて、それから10年。この人の語る言葉は、どこのどんな人に届けられているのか。ジョン・ケリー国務長官のトンデモ発言は、今回の攻撃では、上でNYTのコーエンさんがツイートしている発言ばかりではない。(でも、あれほどに激烈な調子でブッシュ共和党の戦争を罵った民主党支持者たちは、ツッコミのひとつを入れるわけでもないようだ。)



こう呆れてツイートするケネス・ロスのヒューマン・ライツ・ウォッチにしたって今回はおかしい。(ロスさんとHRWの発言がこんなにかけ離れたことはなかったと思う。)





そして「中立」(というより「自称中立」)の彼らは言う。「なるほど、確かにガザで民間人が殺されているのは残念なことだ。しかしそのガザからのロケットでイスラエルの民間人が脅かされている」と。「これは自衛なのだ」と。

しかし、「イスラエルには自衛の権利があります。同様にパレスチナにもそれはあるのでは」と言われると、アメリカの国務省はこのような反応だ。



この態度に与することが、「中立」であるはずがない。しかし「自衛だ」にはなぜか多くの人々が納得している。「ハマスもハマスだ」と。

その場合、非難されるべきは「ハマス」であるはずだ(ていうか、ハマス以外の……正確にはアル=カッサム・ブリゲード以外の武装組織はいいんですかね)。なぜそのとがを、民間人が負わねばならない。



国際法に違反し、集団懲罰を実践している側の主張に、その集団懲罰を問うことなく耳を傾けるということは、「中立」の立場にある人がすべきことではない。しかし実際には、それが「中立」であるかのように思われている。

そして、「中立」なんかではなく「イスラエル支持」を標榜する人々は、「ガザで子供たちが殺されている」という報告に、「あれが子供たちだって! 自爆テロリストじゃないか!」と反応する。

10年前のイラク戦争のときもこういう「米軍のすることは何でも正しい」論者はいたが、その発言を目にする範囲は限定的だったと思う。彼らは他人のブログのコメント欄で暴れまわる(←迷惑)ほかは、「巣」(彼らの側のブログやフォーラム)で思いのたけをぶちまけていた。だから「検問所で止まらなかったとして一般市民の家族の乗った車が銃撃され、幼い女の子が生き残った」という報道写真に「子供じゃない、自爆テロリストだ!」と言い放つような人がいたとしても、ふつうにネットでニュース見てたりする限りでは、遭遇しなかっただろう。実際に私は遭遇していない。(ただし2004年11月のファルージャ戦で、モスク内で米軍がイラク人負傷者を射殺する光景をビデオカメラで撮影した米国人ジャーナリストが、事実を記録したことで、「反米」と罵倒される光景は、「巣」の外でも広く見られた。)

しかし今は、マスコミの記事にもどこにもかしこにも「コメント欄」があり、Twitterのような場で個から個へ何でも言えてしまう環境では、「国連の発表の数値」をチェックしただけで、コメント欄なりリプライなりに誰かが投げ込んだ「子供じゃない!自爆テロリストだ!」だの「ハマスが子供を人間の盾にしている!」だのといったドグマティックな言説(ほとんど「コピペ」状態)を見るはめになる。

そこでは、言葉があまりにもまがまがしい何かになっている。

そんな中で、言葉の先には人がいて、それも悪いものじゃない、というhumanityを思い出させてくれたモロッコのマリーさんには、本当に感謝している。

実際、ガザの人たちともほんの少し、そんなやり取りをしていたのだった。






そしてアメリカの芸能人のセリーナ・ゴメス(ごめん、名前しか知らない)。


※ノーマン・フィンケルシュタインがブログで「セリーナ・ゴメスといわれても誰なのかわからないが、少なくとも、この人にはハートがある」と述べていたのが超おかしかった。今回、同様にSNSでガザ支援の発言をしたセレブにはバスケの選手(男)もいたが、すぐに発言を削除してしまった。ワールドカップでうろちょろしてたリアーナ(シャキーラの跡目か)もFree Palestineと書いてすぐに消した

ただしTwitterでこのように態度を表明したセリーナ・ゴメスには、「非難が殺到」しているそうだ。
http://www.moroccoworldnews.com/2014/07/135139/selena-gomez-under-fire-for-pray-for-gaza-post-2/

でも、どこかにindifferentではない人がいるということが、とても大きな力を持つ機会や場面がある。そのことは確実に事実だ。そして私たちはひとりひとり、「人として」、そのことを誰かに示すことができるはずなのである。そこに「政治性」や「プロパガンダ」を見ることは、それ自体が「政治」だ。



Stay human. 2011年にガザ地区で何者かに殺されたイタリア人の支援・連帯ワーカー、ヴィットーリオ・アリゴーニのメッセージである。だらだらと持続する極限状態の中にあって、「人間でありつづけよ」(もっと日本的な演出をしたコピーライティングをすれば「人であることを諦めるな」的な感じか)をモットーとしていた外国人だ。

2014年03月21日 「人」が「人」であることのために/「地名」にスティグマを与えないために
http://nofrills.seesaa.net/article/392205823.html
posted by nofrills at 20:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war
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個別のご挨拶は控えさせていただいておりますが、
おひとりおひとりに感謝申し上げます。


【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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EXPOSING WAR CRIMES IS NOT A CRIME!


詳細はてなダイアリでも少し。