07月23日の「今日のダーリン」

・前にも、似たようなことを書いたかもしれないけど、
 みんなして「全体のことを考える」っていうのは、
 まったくもって無理なことだし、
 どうして、そんなことを、
 ひとりひとりが考えなきゃいけないんだろうと思うよ。
 
 つまりそれは、ワールドカップの出場チームが、
 じぶんたちが勝ち進んで優勝することでなく、
 「サッカー界の全体の地位向上やら、
  弱いチームがもっと強くなるような実力の底上げ」
 を考えているようなものじゃないのかな。
 たとえが大げさ過ぎるかな。
 だったら、ひとりの受験生が、
 じぶんが受かるための勉強よりも、
 「あらゆる受験生が苦しまない受験システム」について、
 考えて過ごしているようなことと言ってもいいや。
 
 強くても、弱くても、努力家でも、サボり屋でも、
 じぶんが、どうやったら勝てるのか、
 じぶんが、どうやったら生き残れるのか、
 他の誰でもないじぶんの価値を、どうやってつくるのか。
 それを懸命にやるからこそ、
 「おっとっと」っていうくらいの危なっかしさで、
 なんとかやっていけるわけだよ。

 紙一重のセーフをなんとか繰りかえして、
 紙一重のアウトになっても砂ぼこりをはたいて、
 じぶんや、じぶんの守る者たちを生かしていく。
 そういうものなんだと思う。
 そんななかに、「敗けるが勝ち」だとか、
 「全力で逃げろ」だとか、「仲よくしよう」がある。
 
 誰も負けない、傷つかない、誰も泣かないなんてこと、
 先に考えてどうするんだと思うんだよね。
 サッカーで言えば「ボールを蹴り込めよ!」だし、
 受験でいえば、「受けるなら受かれよ!」だよね。
 そこで、エゴだの、自己中心だの言われる筋合いはない。
 それより、いつも知らぬまに、「全体のこと」ばかりを
 考えるくせがついてしまっていることが、コワイ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
為政者の代理で皆の者の幸福を考える前に、じぶんが立て。