自分のパートナーの女性に対する敬意を忘れずに持ち続けられる人なんて、テレビや雑誌やネットの中の限られたインテリだけなんだろうか。どこまでいっても相手が他人であることを忘れずにいてくれる男性なんて、本当にこの世に存在するんだろうか。
それはよくある光景だったのかもしれない。彼氏の家でまったりしていた時、キッチンに居た私に向かって、彼は甘えた声で言った。
その瞬間、忘れていた怒りと憎しみと殺意がよみがえった。私はかつて物心ついた頃から毒家族の奴隷として使役されていた。全ては命令形て、従わなければ暴力が待っていた。そんなわけで、男性の身の回りをさせられることには過剰に反応してしまう。お茶、と言った彼に対しては何とか平静を装うのが精一杯だった。その後べつの理由で彼とは別れた。
管見ながら、どうも一部の男性は女性と親しくなるにつれ、当然のように相手を使役し始める傾向があるらしい。団塊の世代あたりの熟年夫婦なんかでは珍しいことでもないようだ。夫は「メシ、風呂、寝る」との言葉のように意思を端的に表現し、それを妻が読み取って阿吽の呼吸で対応してやるのが、”分かり合っている二人”のいい話のように語られることもある。
私の知人・友人達も、仕事で接する人々も、見ていると男性は大抵みな親しい女性に命令する傾向がある。あたかも自分より全般的に能力が劣る女性をパートナーとし、その上に立つ形での関係を自らの安心としているかのように思えるほどだ。(もしかするとそのような男性は「あいつは俺がいなきゃダメなんだ」と保護本能をくすぐられた時、女性に対して”可愛い”と感じるのかもしれない。)
親しくなるにつれ横柄になるのは男女共通しているだろう。あの思考・行動パターンが男性に限るとは言わないが、しかし家事など身の回りの世話相手にをしてもらって当然のように思う女性は、割合としては男性ほどは多くはない気がする。なぜそうなるのか考えてみたところ、あの性質は以下のようなネタが絡み合って生み出されている気がしてきた。
1.男尊女卑
2.ジェンダー
3.家父長制(の名残り)
なぜ当然のように命令するのか?
いや、それは命令ではなくお願いなのか?
命令形で甘えているのか?
毒家族の中で育って甘えるということを知らない自分には、どうしても理解できそうにない。あのときの彼の言葉を時々思い出しては怒りが募っている。今度同じ場面に遭遇してしまった時、自分が手に武器や鈍器やバールのようなものを持っていないことを祈る。