昔は活気あふれる商店街が次々とシャッター街になっていく。それは郊外に大型スーパーが出店したから。地元住民を無視し、大資本だけが儲けるのはいかがなものか――。
まだこんな信じがたい、時代錯誤な商店街同情論を振りかざしている人がいるのか。商店街=善、大型スーパー=悪という滑稽な構図で、物を語るのはいい加減やめたらどうか。
「「復興」便乗で収奪される東北~金野正晴さん学習会」という記事を読んだ。http://www.labornetjp.org/news/2014/0719kinno
被災地に今年3月イオンがオープンしたせいで、商店街100店舗のうち営業はわずか9店舗のシャッター街になった。災害に乗じて大資本が復興需要を食い物にしているといった論調だ。
はあ。まだこんなこと言っている人がいるのか。もういい加減、商店街というビジネスモデルが崩壊していることを、きちんと理解したらどうか。例えるなら、スマホが登場したせいで、ポケベルが売れなくなってどうしてくれるんだ!大資本の収奪だ!とわめいているようなものである。完全、住民無視。
東日本大震災がなかったとしても、もはや衰退していくのは必至の東北の過疎地帯。そこに大震災も加わり、はっきりいって、町や村が消滅してしまうぐらいの危機的状況になってもおかしくない。
そんな過疎地域にわざわざリスクを負って、大型店が出店してくれるだけでもありがたいと思えないのか。本当に見捨てられた土地なら大型店など出店しないだろう。
そもそも商店街という殿様商売が、いかに地元住民に利便性がないかは明らかだ。
・営業時間が短い・駐車場がない・品ぞろえが悪い・価格が高い
こんな状況で誰がわざわざ商店街で物を買うのか。もはや商店街というビジネスモデルは終わっているのだ。
いやでも東京や大阪に行けば、まだまだ元気な商店街もある。それは大型店にはない個性ある商品だとかサービスがあるからではないか。魅力がある店なら潰れることはない。
値段は高いは営業時間は短いは品ぞろえは悪い商店街を、なぜわざわざ守らなければならないのか。今までそんなことをしてきたから衰退してきたのではないか。はっきりいって、昔の商店街10~20店舗あるより、コンビニ1軒あった方が客にとってははるかに便利だ。
大型店のせいで商店街が廃れた。大資本の収奪だなんてバカみたいな話はもういい加減やめにしないか。商店街同情論は既得権益を守るために、国民の利便性を犠牲にし、社会を衰退させてきた、今の政治家とまるっきり同じ発想だ。既得権益を守って欲しい国民がいるからしょうもない政治家が選ばれ、どんどんこの国は衰退していく。
商店街同情論者は、CDが売れないのにCDを買ってと嘆くミュージシャンや、1000円理髪店を不衛生だとナンクセつける旧理髪店とか、いりもしないのに作ってしまったがために、なんとしてでも再稼働したい原発推進派とまったく同じ。
時代は変わる。昔はよかった。新しい物が悪いという思考停止から、いい加減、脱することが必要だと思う。
潰れるものは潰す。衰退するものを無理に助けない。それを同情論から助けるためにムダ金を使っているから、未来世代への借金というツケがたまっていくのだろう。
生き残っていく上で必要なのは変化への対応。変化を拒む人間に将来はない。
記事
- 2014年07月23日 21:09
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