“肘の権威”がマー君に進言「PRPより手術で完全復帰を」
日刊ゲンダイ 7月20日(日)10時26分配信
ヤンキース・田中将大(25)の肘の回復具合に注目が集まっている。10日(日本時間11日)に「右肘内側側副靱帯の部分断裂」で故障者リスト(DL)入り。今後は「プレートレット・リッチ・プラズマ(PRP)」療法といわれる再生治療を受けて患部の回復を目指す。復帰までに最短で6週間といわれるが、患部の状態次第ではトミー・ジョン手術(腱の移植手術)を受ける可能性もあるという。
これまで100人以上のプロ野球選手の手術を担当し、日本のスポーツ医学界では「肘の権威」と位置づけられる慶友整形外科病院(群馬県館林市)の伊藤恵康院長(医学博士)にPRP療法、トミー・ジョン手術について聞いた。
――肘の靱帯を部分断裂した田中が6週間で復帰するのは可能ですか?
「私たちの病院での治療結果では、肘内側側副靱帯の部分損傷の場合は、手術しなくても、3〜6カ月間、十分なリハビリを行えば復帰する選手は約80%です。でも、少年野球の頃に起こりやすい靱帯部の骨折片が癒合しないで残っていると復帰出来る可能性が低くなります」
――田中はPRP療法で完治するのですか?
「PRP療法とは自分の血液中に含まれる血小板を集めて濃度を高め、損傷部に注入することにより損傷部の修復を促すものです。もともとは美容整形で用いられていたものですが、スポーツ医学の分野では、米国でアキレス腱周囲炎や膝の靱帯再建術に効果があるとされています。しかし、これらに対する基礎的研究や精度の高い臨床的研究は十分ではありません。現在日本でも研究中です。日本では健康保険が適用されず、現時点ではあくまでも美容外科の範囲と捉えられています」
――田中も効果は期待できないということですか?
「血小板には多くの組織成長因子が含まれており、靱帯の場合は靱帯をつくる線維芽細胞を刺激することで、修復作用を促進するといわれますが、すぐに効果は表れません。靱帯が断裂するほどの負荷が加わる部位だけに、鎮痛効果はあるかも知れませんが、6週間程度で修復できるのか疑問です」
――治療やリハビリを受けても損傷した部分が改善しないのですか?
「リハビリでは、損傷した肘の靱帯に大きな負担をかけないような投球法、靱帯を保護する筋肉の強化のほか、下肢、股関節、体幹、肩関節など、全身の機能改善を行います。靱帯が修復されることは期待できません。25歳以上の投手では靱帯が損傷したまま投げ続けていると、靱帯を保護する尺側手根屈筋なども切れてしまうこともあります。こうなると再建手術も大変になります。しかし、日本のプロ野球選手でも、MRI検査の結果、靱帯損傷が明らかなのに活躍している人もいます。PRP療法で損傷部が修復されれば、非常に喜ばしいことですが、現在では再建手術で、移植靱帯と骨との結合を促進してくれるのではないかと期待して研究が進められています」
――何が直接的な原因となって部分断裂したと考えられますか?
「肘の靱帯が正常な投手が投球中に靱帯をいきなり切ることはまずありません。小学生時代からの繰り返される負荷により生じた小さなほころびが積み重なって切れてしまうのです。マー君のような優秀な投手は高校時代からの登板過多が原因と考えられます」
――スプリットの多投は関係ないですか?
「野球の素人である私が考えても肘に負担はかかると思いますが、実際には議論が多く、解明されていません。米国のスポーツ医学誌『アメリカン・ジャーナル・スポーツ・メディシン』に掲載された論文によれば、高速ビデオとコンピューターを使って運動解析をした結果、肘に多くの負担をかけるのは変化球よりも直球という結論もありますが、靱帯損傷の選手は、直球は投げられるが変化球は痛くて投げられないという選手が多いことも事実です。必ずしもフォークやスプリットが肘の故障を招くとは言い切れないのです」
――ダルビッシュ(レンジャーズ)はメジャーで肘を壊す投手が多いのは中4日の弊害ではないかと指摘しましたが。
「日本人投手は移籍当初は中4日の登板間隔に苦労していますが、外国人投手と比べて体力に差があるとは考えられません。慣れてしまえば、こなせると思いますが、トップアスリートでも疲労回復に時間はかかるものです。医学的には1週間くらいの登板間隔が必要かなと思いますね」
――田中は25歳と若く、契約も来年から6年残しているだけに、早めに手術を受けた方がいいのではないですか?
「手術すれば、復帰に1年以上を要しますから、回避できるならそれに越したことはありません。ただ、肘を痛めた投手は肩や腰、股関節に障害のあるケースが少なくありません。手術すれば、肘のリハビリと同時に他の箇所も治療できるので完璧な状態で復帰できる可能性はあります」
――トミー・ジョン手術を受けた投手は球速がアップするといわれていますが。
「球威が増すのは、新しい腱を移植したからというよりも、痛めていた肩、腰、股関節など他の箇所も機能がリハビリにより改善したことの方が大きいのだと思います。作り直した靱帯がもともと持っていた正常のものよりも強いはずがありません。田中投手のようなトップアスリートは、子供の頃から休みなく練習してきたと思うので、他の問題がある部位も治療して、一からやり直すチャンスだと思います。田中投手にとっては休養するいい機会かもしれないと、良い方に解釈し、また活躍して欲しいものです」
――成功率が高いため手術への心配はありませんが、術後のケアはどうすべきですか?
「私たちの病院では、これまで100人以上のプロ野球選手を手術してきましたが、肘の靱帯損傷は25人ほどで、その90%以上が復帰しています。手術のリスクはありませんが、まずは移植靱帯が骨としっかりと癒合することが根本なので、私たちは術後4週間、患部を固定します。次に筋力を付けながら、可動域を広げて4カ月経過した段階で初めてネットスローを行います。5カ月後からキャッチボールを始め、徐々に距離を延ばしていく。7カ月目でようやくマウンドから軽い立ち投げを始め、患部の状態にもよりますが、全力で投球練習するのはプロの投手なら10カ月後ぐらいです」
――リハビリの途中で恐怖心が芽生えることはありますか?
「恐怖心を抱く投手は少なく、投球練習を勧めても『いや、まだいいです』とちゅうちょする人もいますが、復帰を急ぐ選手が多いです。全力投球できるまでに回復しても、無理は禁物です。徐々に球数を増やしていき、週に2日はノースローの日を設けます。ジョーブ先生の手術を受けた桑田真澄選手(元巨人)の場合は実戦復帰までに570日を要したと聞いていますが、今なら1年〜1年半で済む。リハビリのプログラムは進化しており、物理的には十分な期間と言えるでしょう」
◇いとう・よしやす 1943年(昭和18年)1月18日生まれ。71歳。慶応大学卒業後、同大整形外科講師、医局長を経て、89年に慶友整形外科病院に赴任。日本整形外科学会専門医、日本肘関節学会会長などを歴任し、広島のチームドクターも務めた。
日刊ゲンダイ
最終更新:7月22日(火)10時26分
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