ヒトラー暗殺未遂で処刑された将校は人間の尊厳の英雄、ベルリンで祈念式典
フォン・シュタウフェンベルク大佐らは、今でこそ人間の尊厳のために命をかけて闘った英雄とされているが、敗戦直後は圧倒的多数のドイツ人が大佐らを(ナチス)国家反逆者、裏切り者、と信じていた。
戦後西ドイツのアデナウアー(Konrad Adenauer)初代首相は、“ドイツ社会はナチズムに汚染されており、“泥水の上の薄墨のような僅かな水を少しずつ飲むようなものだった”(筆者意訳)などと語っている。
その位、圧倒的多数のドイツ人がナチズムに洗脳されていたと言える。
戦後ドイツの知識人や指導者たちはそんな環境を一変する努力を続けた。
事件から10年の54年、テオドール・ホイス(Theodor Huess)初代西ドイツ大統領は、フォン・シュタウフェンベルク大佐らナチスに服従を拒否した人たちの歴史的意義を公式に表す最初の式典を実施、大佐らの業績を讃える何百枚もの印刷物を国民に配布し、翌55年、冷戦の悪化に伴いアメリカなど西側諸国の働きかけを受け、連邦議会の承認を受けNATO指揮下で行動する連邦軍が結成された。
連邦軍は、上官の命令に服従する以上に兵士自身の良心に従った兵士たちの“良き伝統”を維持するよう一貫して教えている。
64年の20周年式典では当時のユング(Franz Josef Jung)国防相が、“軍の命令以上に大切なのは、人一人の侵害が許されない尊厳を守ることこそ連邦軍兵士の任務“と挨拶している。
90年にはヘルツォーク(Roman Herzog)憲法裁判所長官(後94~99年大統領)も国民に“臆病”の罪を説き、独裁や全体主義に対する一般の普通の人びとが何もせず、無関心を装うことの無責任を戒めている。
また事件に関係した生存者たちは、“ドイツ人の名で非人道的な犯罪が行われるのが恥ずかしく耐えられなかった“と抵抗に立ちあがった経緯などと語る活動も続けた。
DWによると、ドイツのアレンスバッハ(Allensbach)世論調査研究所の1951年の世論調査では、ナチスに抵抗した人たちを好意的に評価した割合は僅か3分の1だった。
また56年の調査では、過半数の人たちが学校にフォン・シュタウフェンベルク大佐の名前を冠するのに反対している。
この社会的背景を克服する知識人や政治指導者たちの努力が実ったのは、やはり再統一の後であった。(旧東独も体制の反逆者は評価しなかった)
2002年の式典にはナチスドイツの侵略・占領の過酷な歴史を持つポーランドのクワスニフスキ(Aleksander Kwasniewski)大統領も出席し、真の愛郷心と勇気を持ち平和に貢献する、と連邦軍を讃えている。
“戦後世界で最も成功した民主主義国”(90年当時の英ハード(Douglas Hurd)外相ら)と評価されるドイツだが、そこに至るまでには、こうした知識人や政治指導者たちの長く粘り強い努力があった。
(大貫康雄)
PHOTO:Bundesarchiv, Bild 146-1972-025-10 / CC-BY-SA [CC-BY-SA-3.0-de (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/de/deed.en)], via Wikimedia Commons