日本精神神経学会は5月28日に精神疾患の新しい診断名のガイドラインの発表を行った[*1]。
これは、昨年5月に出版されたアメリカ精神医学会の精神疾患[*2]の診断基準DSM(精神障害の診断と統計マニュアル)の第5版「DSM-5」の邦訳が出版されることを見据えてのことだったと考えられる。DSM-5の邦訳はおよそ1か月後の6月30日に出版されている。本文でも新しい診断名が使用されている。
「パニック障害」は「パニック症」に、「注意欠如・多動性障害」は「注意欠如・多動症」に言い換えが可能なようにガイドラインは提案をしている。一部報道では「障害」表記が「症」に変更されたと書かれているが、これは不正確である。
第1に、今回の発表は学会のガイドラインという形の提案であって、行政や法律による拘束力はないということだ。従って、報道されているように拘束力の強いものではない。
第2に、パニック障害や社交不安障害のように既に普及しているものに関しては、症表記とともに、障害表記も併記される形が取られている。従って、診断名変更をガイドラインは提案しているものの、ほとんどの精神疾患では障害と症表記の「併記」がされている。多くの診断名で障害表記は抹消されたわけではなく、今後も使われていくと思われる。
[*1] https://www.jspn.or.jp/activity/opinion/dsm-5/index.html
[*2] 本稿ではDSMの日本語タイトルの翻訳に倣いMental Disorderを精神疾患と翻訳する。本来は精神障害と訳出するべきだが、邦訳のタイトルは障害という言葉が与える語感を考慮し、精神疾患と意訳されている。
新しい診断名
症表記の変更・追加がされたのは、主に不安感を症状とする領域と日本でいう発達障害[*3]の領域である。
[*3] 発達障害は日本独自の概念であり、英語には対応する概念がない。発達障害は文脈によって2通りの使い方がある。第1は、アスペルガー症候群や自閉症を含む概念である広汎性発達障害を発達障害と省略する使い方である。第2は、「発達障害者支援法」における発達障害で「『発達障害』とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害」と定義づけられている。いずれにしても、発達障害はDSM-IVでは「通常、幼児期、小児期、または青年期に初めて診断される障害」という大カテゴリーに入っている。DSM-5では「神経発達障害群」という大カテゴリー名に変更され、日本の発達障害に近いネーミングとなった。しかし、神経発達障害にはコミュニケーション障害、チック障害群、運動障害群なども入るため、指し示す範囲が日本で一般的に使われる発達障害概念よりも広い。神経発達障害群は症表記をすると神経発達症群となる。
「障害」という言葉の印象が悪く、特に患者・クライアント側から変更の要望があったと聞く。日本精神神経学会のガイドラインの中にも「(1)患者中心の医療が行われる中で,病名・用語はよりわかりやすいもの、患者の理解と納得が得られやすいものであること、(2)差別意識や不快感を生まない名称であること」など基本方針が列挙され、「障害」という2文字が与えるインパクトは確かに大きいと指摘されている。
「障害」の「障」という字は訓読みで「差し障る」という使われ方がされる。また「害」は「害する」と使う。「差し障り」「害する」という漢字で構成された熟語は確かにひどい印象を与える。
精神疾患の診断名や病名といったものは、価値判断が入らないものが本来は望ましい。科学にとって価値判断を控えることはそもそもの義務だからだ。
障害表記は、科学が率先して精神疾患のマイナスイメージを広めることにつながっていたとも捉えられても致し方ない。そういった点で、症表記によってある程度中立性が担保することができるならば、今回の変更の提案はよい影響があるのだと思う。
そもそも有名な精神疾患には「症」がついたものが多い。例えば、統合失調症、自閉症、拒食症、過食症[*4]などだ。精神疾患を症表記することは日本語として馴染みやすい土壌があると考えられる。
[*4] 拒食症と過食症は診断名ではなく通名である。
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