銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける


 

第一話 黒姫



帝国暦 487年 3月19日    巡航艦バッカニーア  カルステン・キア



『本日、ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵がアスターテ星域会戦の勝利により元帥に昇進、同時に宇宙艦隊副司令長官に親補されました』
正面スクリーンに映る男性アナウンサーが無表情にローエングラム伯の元帥昇進を報道している。色気が無いよな、フェザーンだったら若い美人のお姉さんがニコニコしながら報道してくれるのに……。

「凄いっすね。二十歳で元帥ですか」
「まあ皇帝の寵姫の弟だからな、姉の七光りだよ、キア」
「でも戦争では勝ちましたよ、ウルマン」
「まぐれと言う事も有るさ」

俺達が喋っている間、親っさんは黙ってココアを飲みながらスクリーンを見ていた。何時も思うんだけど親っさんってクールだよな。慌てるとか興奮するとか全然無いんだから。スクリーンに映っているローエングラム伯も凄いけど親っさんも凄いや。

この金髪さんは二十歳か……。親っさん、今は二十一だけど、四月で二十二歳だったよな。偉くなる人ってのは若い時から何処か違うんだな、親っさんを見ていると本当にそう思う。俺も何とかあやかりたいもんだ。頭領は無理だけど船団長くらいにはなりたい。あとどれくらいかかるんだろう……。

「親っさん、親っさんはローエングラム伯をどう思いますか?」
俺が声をかけると親っさんは黙って俺を見た。あー、表情が無いな。どうやらまたあれが始まるみたいだ、好い加減親っさんにも慣れて貰わないと困るんだけど……。

「……カルステン・キア、その親っさんと言うのは止めなさい」
「はあ」
やっぱり始まったよ。俺が周囲を見渡すと皆も困惑している。多分俺と同じ事を考えているはずだ。

「私の事は司令と呼ぶように、いつもそう言っているはずですよ」
「そうですけど……、俺達、海賊ですよ。それに親っさんは海賊黒姫一家の頭領です。昔から頭領は親っさんと呼ぶのが俺達のならわしですけど……」
これ、何回目だろう、俺が抗議すると親っさんは切なそうに溜息を吐いた。勘弁してくださいよ、親っさん。溜息を吐きたいのは俺の方です。

俺、悪くないよね。でもさ、親っさんは華奢だし顔立ちが優しげなんだよな。そんな親っさんに切なそうに溜息を吐かれると……。なんか俺、すげぇー悪人みたいで泣きたくなるよ。俺だけじゃない、皆同じ事を言っている。勘弁してくださいよ、親っさん。俺達、親っさんに比べたらずっと善人ですよ。

親っさんは今売り出し中の宇宙海賊“黒姫の頭領(かしら)”なんです。この業界じゃバリバリの顔役なんですよ。何処の頭領(かしら)だって親っさんには一目置きます。先日の総会じゃ帝国中の海賊が集まりましたけど皆親っさんには随分と気を遣っていましたよ。泣く子も黙るとは言いませんが親っさんをコケにする様な馬鹿は居ません。昔それで痛い目を見た阿呆が居ましたからね。

昔、親っさんを姫さんみたいな女顔と言った馬鹿な海賊がいた。百隻程度の武装艦を保有していたんだけどウチの縄張りにちょっかいは出すわ近隣星域で略奪は繰り返すわで海賊仲間からも鼻つまみ者だった。けど親っさんが戦闘に持ち込んで奴ら全員をブラックホールに叩きこんでしまった。

皆顔面蒼白になっていたけど親っさんだけは平然としたものだった。“これで宇宙も少しは綺麗になるでしょう。生ゴミは早く処分しないと腐りますからね……”それが全て片付いた後の親っさんの言葉だった。おまけにクスクス笑ってた。あの時はもうちょっとで小便ちびる所だったよ。

それ以来どういうわけか他の海賊達が親っさんの事を“黒姫の頭領(かしら)”と呼ぶようになったんだ。二つ名で呼ばれる海賊なんてなかなか居ない。親っさんは間違いなく立派な海賊だ。皆がそれを認めてる。それなのに“親っさんと呼ぶな”なんて……。

見かねたのかもしれない、アンシュッツ副頭領が助け船を出してくれた。
「キアの言う通りです。そりゃ親っさんは元は軍人だ。司令とか艦長とか呼ばれたいのかもしれませんが俺達は海賊なんです。船を動かすのは船長、船団を動かすのは船団長、一家の頭領(かしら)は親っさん。これには慣れて貰わないと……。他の組織からも笑われますよ」

また親っさんが溜息を吐いた。
「……分かりました、慣れるようにします。……私はクラインゲルトに着くまで部屋で休みます。アンシュッツ副頭領、あとを頼みますよ」
「承知しました。到着一時間前には御戻りください」
親っさんは頷くと席を立って部屋に向かう。俺達は姿勢を正して親っさんを見送った。

「慣れるようにしますって言ってたけど……」
「多分また止めろって言うよな……」
「あれさえなければ良い親っさんなのに……」
俺がぼやくとアンシュッツ副長に思いっきり横っ面をぶん殴られた。俺だけじゃない、ウルマン、ルーデルも一緒に殴られた。

「馬鹿野郎! あれさえなければとは何てぇ言い草だ! 親っさんを悪く言うんじゃねえ!」
「……」
「分かっているのか、お前ら。俺達が今こうして居られるのも親っさんのおかげだって事を……。キア、どうなんだ」
「それは、分かっています……」

アンシュッツ副頭領が怖い目で俺達を睨んでいる。分かってますよ、副頭領。
「いいか、親っさんがこの一家に加わった時、一家は武装艦百隻、輸送船五十隻程度の小せえ勢力だったんだ。いつ潰れてもおかしく無かったし他の連中に潰されてもおかしくは無かった。だがな、今はどうだ。武装艦は五百隻、輸送船は三百隻を超えるまでの勢力になった。この帝国でも黒姫一家の上を行く組織は足の指を使うまでもねえ、両手だけで数えられるんだ。親っさんがでかくしたんだ、分かってるのか、お前ら!」

「分かってますよ、副頭領。昔に比べれば給料だって上がったし、待遇だって良くなりました。親っさんには感謝してます」
「だったら親っさんの居ねえところで陰口を叩くんじゃねえ。意見が有るなら直接言え、親っさんはそんな事で怒ったりはしねえからな。なかなかそんな人は居ねえんだ、よっく肝に銘じとけ」
「はい」

アンシュッツ副頭領は頷くと“仕事に戻れ”と言った。失敗だったよな、ちょっと口が滑った。副頭領の前で“あれさえなければ”は余計だった。皆が俺の方を責めるような眼で見ている。巻き添えを食ったと思っているんだろう。悪かったって目で謝ったけど後で責められるな……。

「定時連絡の時間が過ぎているな、キア。ユーハイム、ニーマイヤーの船団から連絡は有ったか」
「ユーハイム船団長からは異常なしの連絡が入っていますがニーマイヤー船団長からはまだ有りません」
俺の答えにアンシュッツ副頭領は眉を吊り上げた。

「あの野郎、どういうつもりだ。船団長の癖に定時連絡一つまともに寄越さねえとは……。親っさんがブチ切れたらどうなるのか、分からねえとでも言うつもりか? 笑いながらブラックホールに叩っ込まれるぞ! キア、あの馬鹿野郎を呼び出せ、黒姫の頭領(かしら)が笑い出す前に俺が野郎の尻を蹴飛ばしてやる!」

あー、やばいよ、これ。尻を蹴飛ばすってアンシュッツ副頭領が切れた時の台詞だ。ニーマイヤー船団長、あの人しっかりしてるようでどっか抜けてるんだよな。副頭領にボロクソに言われるぞ。でも副頭領の言う通り、親っさんが切れるよりはましだけど……。それから三十分、アンシュッツ副頭領の怒鳴り声とひたすら謝るニーマイヤー船団長の声が巡航艦バッカニーアの艦橋に響いた。



帝国暦 487年 3月19日    クラインゲルト子爵領   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「久しぶりだな、黒姫の頭領(かしら)」
「その黒姫の頭領(かしら)と言うのは止めて貰えませんか、クラインゲルト子爵」
俺の溜息交じりの抗議に子爵が楽しそうに笑い声を上げた。不本意だよな、黒姫って。年とったら黒婆か?

「失礼、久しぶりだな、ヘル・ヴァレンシュタイン」
「本当にそうですね、クラインゲルト子爵」
「どうかね、景気は」
「まあまあです」
「それは何よりだ、我々もまあまあだよ」

クラインゲルト子爵が愉快そうに笑う、俺も声を上げて笑った。変だよな、海賊が辺境の貴族の屋敷に招かれお茶を飲みながら楽しそうに笑っている。俺だって自分の事じゃなければ信じられなかっただろう。いや、今だって何でこうなったのかよく分からずにいる。幾つかの偶然が無ければ何処かで野たれ死んでいたはずだ……。

帝国歴四百八十二年、中尉に進級したばかりの事だった。兵站統括部から自宅に帰る途中、暴漢に襲われて殺されかかった。襲ってきたのは財務尚書カストロプ公の部下だった。俺の両親を殺したのもカストロプ公だと言っていたな。多分、何処かの貴族の相続問題にでも絡んだのだろう。深夜まで残業したため帰り道は人通りが無かった。本来ならそこで死んでいたはずだ……。

俺が助かったのはたまたまそこを通りかかった老人のお蔭だった。何で俺まで殺そうとするのかは分からんがカストロプ公が絡んでいるとなればオーディンに居るのは危ない。助けられた俺は老人の持ち船に乗ってオーディンを離れた。その老人が先代の頭領(かしら)だった。頭領(かしら)は親切に俺の退役届けとかを全部処理してくれた。

間抜けな話だが俺は命の恩人が海賊だとは欠片も思わなかった。退役届けをスムーズに処理してくれたから昔は軍人で今は何処かの企業のお偉いさんかと思っていた。周囲に居る連中も全然海賊らしくなかったからな。老人が海賊、しかも頭領(かしら)だと知った時には心底吃驚したよ。何回も聞き直したほどだ、先代はその度に笑い声を上げたっけ。後でそのネタで何度も先代にからかわれた。

俺が先代を海賊だとは思わなかったのは俺が海賊と言うものを理解していなかったからだ。海賊と言うと船団や惑星を襲撃し略奪する犯罪者、ならず者だと思っていたんだが必ずしもそうではない。いや、そういう連中もいるのだが企業や貴族の依頼を受け船団の護衛や惑星の警護、物資の輸送に当たる海賊も居る。

つまり暴力団も居れば警備会社、運送会社も居るわけだ、全部兼業している連中もいる。それらすべてをひっくるめて私設の武装集団を帝国政府は海賊と言っているわけだ。まあ当然ではある、帝国はそんな武装集団の存在を認めていないからな。海賊としか言いようがない。先代は警備専門だった。

「君達の組織も随分と大きくなったな」
「言われてみれば、そうですね」
お互いしみじみとした口調になった。何か急に年を取ったような気分だ。この爺さん、時々俺を優しそうな目で見るんだよな。俺を息子のように思っているのかもしれない。

「君が頭領(かしら)になってから四年か、大したものだ」
「……あっという間でした、気がつけば四年が経っていましたよ」
子爵が頷いている。この爺さんには随分と世話になった。いや、クラインゲルト子爵領も随分と繁栄している。お互い様かな……。子爵と話した後はフィーアに会いカールと遊んでから屋敷を辞去した。最近はカールと遊ぶのが癒しになっている。皆、俺を怖がるんだ……。

俺が組織に入った時、その当時のバウアー一家(先代の名前がリヒャルト・バウアーだった)はごく小さい組織だったがそれでも七千人程の部下が居た。その七千人を食わせるので先代は結構苦労していたらしい。大手ならともかく弱小の警備会社だ、周囲からは信用が今一つ無かった。根拠地さえ無かったんだから酷い。家庭を持つこともままならないし船の修理だって覚束なかった。

当然だが部下達の間からは不満が出る。組織の№2が警備会社を辞めて暴力団になろうと言いだしたのも無理は無い。リスクは有るが今より利益は出るし何処かの組織の下に付けば根拠地も貰えるかもしれない、そんな話だった。俺は成り行き上先代を助けて何とか利益を上げようとした。その対策が辺境星域だった。辺境にはまともに輸送船を持てない貴族が居る。そこに目を付けた。

彼らのために輸送船を動かし警備も行う。一つの貴族だけでは貴族にとっても組織にとっても非効率、不経済だ。幾つかの貴族を共同させ契約を結ぶ……。クラインゲルト子爵家、バルトバッフェル男爵家、ミュンツァー男爵家、リューデリッツ伯爵家が話に乗った……。

試行錯誤は有ったが上手く行った。クラインゲルト子爵達の信用も得た。それを見て他の辺境の貴族達もバウアー一家に仕事を依頼してきた。少しずつではあったが組織は安定し始めた。だが№2にはそれが面白くなかったらしい、密かにクーデター計画を練り始めたんだ。結局奴は暴力団がやりたかっただけなのだろう。太く短くって奴だな、実際短くなったけど。

俺と先代はカウンタークーデターを狙い奴を暴発させた。クーデターは失敗し奴は自殺した。皮肉な事は先代がその一か月後にインフルエンザと肺炎の併発で死んだことだ。一ヶ月待てば奴が後を継いだかもしれなかった……。先代は死ぬ間際、“跡目はヴァレンシュタインに”と俺を後継者に指名した。

冗談だと思ったし誰も納得しないと思ったが何の反対もなく承認された。慌てて断ろうと思った時には先代は死んでいた……。海賊稼業に身を染めて一年と経たずに俺は頭領(かしら)になっていた。嘘みたいな本当の話だ、この業界じゃ伝説になっているらしい。

一家を継いでからは皆を食わせるために無茶苦茶やったな。輸送、警備はもちろん領地の開発にも協力した。俺は弁護士資格を持っていたからそっちでも相談に乗ったりした。そのおかげで今では四家の領地にそれぞれ一家の根拠地が有る。部下の中には領民と結婚して船から降りた人間もいるし逆に宇宙に憧れて船に乗り込む奴も居る。交流は極めて活発だ。

しかし黒姫一家(この名前、なんとかならないかと思うのだが業界じゃヴァレンシュタイン一家と言っても通用しないんだ……)が大きくなったのは貴族の生死、没落に付け込んだぼったくり商法のおかげだ。原作でも出ていたバランタイン・カウフのやり方を俺も踏襲した。

反逆を起こす貴族の領地の特産物を事前に買い占め、反逆で暴騰した所で売る。或いは貴族の当主が死ねば当然だが混乱が生じる。特に後継ぎが無ければそれは長期化する、それに乗じて利益を得る。コルプト子爵、グリンメルスハウゼン子爵、ハルテンベルク伯爵、ヘルクスハイマー伯爵、ベーネミュンデ侯爵夫人、クロプシュトック侯爵。他にも逮捕されたシュテーガー男爵……。

まるでハイエナだな。中でもコルプト子爵家はとんでもない事になった。あそこはブラウンシュバイク、リッテンハイムの双方と縁続きだったからな。両家が跡目争いに絡んで収拾が着かなくなったんだ。まあ俺もそこにちょっと絡んだが後継候補者の間で目を背けたくなる様な凄惨な殺し合いが起きた……。結局コルプト子爵家は断絶、その領地は帝国政府に返還された。

但し、コルプト子爵領に有った鉱山の所有権は俺が持っている。後継候補者の一人ハンス・フォン・コルプト(コルプト子爵の従兄弟だった)がどうしようもない賭博狂いで借金まみれだったんだがその借金の相手というのが俺の同業者、ワーグナー一家の№4、ヘルムート・リーフェンシュタールだった。

リーフェンシュタールもこのままじゃ降格された上に借金も背負わされると困っていた。そこで俺はハンスに金目の物を持ってくれば話をつけてやると言っんだが、そうしたら野郎、無人衛星にある鉱山の権利書を持ってきた。吃驚したよ、正気かと思ったが奴は借金を整理しないと跡を継げないと必死だったようだ。跡を継いだら再度交渉しようと考えていたらしい。言わば質にでも入れた感覚だったんだろう。

そんなわけで権利書の書き換えを行いハンスがコルプト子爵家の代表として鉱山の権利を俺に譲度した形にした。その後でリーフェンシュタールの所に行き借金を清算した。但し、元金だけだ。利息分はリーフェンシュタールに被らせた。ペナルティ無しで済む話じゃないからな。奴もそれは納得した、感謝していたよ。

利息分はハンスに渡した。後継者争いは熾烈だったから多少の軍資金は要るだろうと思ったんだ。奴も喜んでいたんだが一週間後に死んだ。他にも借金が有ったらしくそれが原因で殺されたらしい。リーフェンシュタールに金を返して俺には何故返さない、そういう事だったようだ。

後日、コルプト子爵の親族から俺が鉱山の権利書を盗んだと警察に訴えが有った。警察が事情聴取に来たが権利書はハンスがコルプト子爵家の代表として譲度している、手続きに問題は無い。親族はハンスが勝手に持ち出したので無効だと言い募った。全くその通りなんだが突っぱねた、ハンスに手続きさせて今になって知らないふりをしていると言ってね。死人に口無しだ、あくどくなったよ……。

そうしているうちに余りの後継争いの酷さに政府は嫌気がさしてコルプト子爵家は断絶という事になった。つまり親族は請求権を失ったわけだ。当然だが俺に対する訴えも無くなった。鉱山は俺のものとなり安定した利益を出している。鉱山の警備はワーグナー一家に頼んだ。

ウチは辺境がホームだからな、自分の所から警備を出すよりその方が安く上がるし鉱山を襲えばウチとワーグナー一家の両方を敵に回す事になる、安全面でも効果が大きい。ワーグナー一家の頭領(かしら)、アドルフ・ワーグナーからは随分と感謝された。組織の損失は軽減されたし新しい仕事も入っている。

“黒姫の頭領(かしら)はなかなかの御仁だ” ワーグナーの俺に対する評価だ。ワーグナーの見解によると俺はハンスを上手く騙して鉱山の権利を自分の物にし、不要になったハンスを他の人間を唆して始末した冷酷非情な大悪党らしい。凄い事に俺は政府に働きかけてコルプト子爵家を断絶に追い込んだ張本人なのだそうだ。

酷い誤解だよな、でも業界の連中は皆がそれを信じている。俺の部下だって信じている節が有る。副頭領のアンシュッツは俺に真顔で“親っさん、俺達の知らない所で手を打たれたんですか”なんて聞いてくる始末だ。馬鹿らしくて無言でいたら“そうですか、聞いちゃいけない事なんですね”なんて言いやがる。訳が分からん。

帝国政府内務省の発表によると黒姫一家は広域指定海賊集団に指定されている。広域指定海賊集団の定義なんだが以下の通りだ。

以下の三項目のいずれかに該当し複数の星域にわたって活動をしている海賊組織を広域指定海賊集団と呼ぶ。
・海賊がその海賊の威力を利用して生計の維持、財産の形成または事業の遂行のための資金かせぎを行いやすくしている団体であること
・海賊の幹部または所属構成員のうちに、略奪、殺人等海賊特有の犯罪の前科を有するものが一定の割合以上居ること
・その海賊組織を代表する者またはその運営を支配する地位にある者の統制の下に階層的に構成されている団体であること。

なんか何処かで見た事が有る様な文言だよな、人間の考える事なんて変わらないってことだろう。しかしウチが該当するのは最後の項目だけだ、ついでに言えばどんな企業だって階層的に構成されている。それでもウチは広域指定海賊集団なんだそうだ。まあちょっと遣り方がえげつないところが有ったから仕方ないのかもしれない……。

フェザーンの格付け会社によるとウチの一家は帝国でも九番目に大きい海賊組織らしい。所有艦艇は武装艦五百隻、輸送船三百隻。武装艦は巡航艦、駆逐艦、軽空母が戦力の中核だ。黒姫一家に対する評価は知的武闘派、出来るだけ犯罪は避け合法的に利益追求を目指す、となっている。特質は貴族の生死、没落に極めて敏感でそれを利用した経済活動に非常に熱心な事。フェザーンの商人達の間では“黒姫が動く時は貴族が死ぬ、黒姫は死の使い”と言われているそうだ。否定はしない、その通りだ……。

そろそろカストロプの反乱だな……。母さんと父さんの仇はキルヒアイスに討ってもらおう。俺は組織のためにえげつなく稼がないと……。なんたって黒姫一家は構成員が三万人以上いるんだ、家族を入れれば倍近いだろう、貪欲に行かないと……。

カストロプとマリーンドルフの特産物を買い占めよう。あそこはオーディンに近いから品不足の影響は大きい筈だ。先ずは俺が動いているとは分からないように買い占めないと……。



 

 

第二話 焦土戦術

帝国暦 487年 5月15日    巡航艦バッカニーア  カルステン・キア



『よう、久しいな、黒姫の』
親っさんに通信が入った、誰かと思ったらワーグナーの頭領だ。盛り上がった肩に大きな厳つい顔が乗っている。右頬には一際目立つ大きな刀傷が有る。昔、敵対する組織の殺し屋に切り付けられたって噂の傷だ。

ワーグナーの頭領はいかにも海賊らしい風貌の頭領だ。もう五十代後半のはずだけど生気に満ち溢れている。奥さんの他に愛人が三人いるって聞いたけどいかにもって感じだ。確か今年の二月に七人目のお子さんが出来たんだっけ……、女の子だったよな。

「お久しぶりです、ワーグナーの頭領。いつもうちの組織に御協力していただき感謝しています」
親っさんがにこやかに挨拶するとワーグナーの頭領は苦笑しながら手を振った。スクリーンに大きなごつい手がひらひらと映る。

『勘弁してくれよ、黒姫の。礼を言うのはこっちの方だ。あんたに礼を言われちゃ俺の立場がねえよ』
「そんな事は有りません」
『いやいや、本当のこったぜ、これは。今回も随分と迷惑をかけた……』
「とんでもない、迷惑をかけたのはこちらの方ですよ」

凄えや、親っさん。ワーグナーの頭領が下手に出ている、しかも顔がマジだぜ。ワーグナー一家と言えばウチより格上の組織だ。この帝国でも上から数えて五指に入るだろう。縄張りもブラウンシュバイクを中心にリッテンハイム、アルテナ周辺と帝国中枢を押さえている。ウチみたいな辺境じゃない。その頭領が親っさんに気を遣っている! でも迷惑って?

『おい、リーフェンシュタール、こっちへ来い。黒姫の頭領に挨拶をしねえか』
ワーグナーの頭領の言葉に三十代半ばの口髭を綺麗に整えた男性がスクリーンに映った。この人がリーフェンシュタールか。確かワーグナー一家の№4で組織の金庫番だったよな。凄いよな、ワーグナー一家の№4って。おまけに組織の金庫番。能力も有るけど信頼されてもいるんだ。

『ヴァレンシュタインの頭領、お久しぶりです』
「久しぶりですね、リーフェンシュタールさん。元気そうで何よりです」
海賊社会では厳しい掟が幾つか有る。その一、頭領以外の人間は間違っても他所の頭領を面と向かって二つ名で呼んではいけない。これは大変失礼な事だとされている。

ワーグナーの頭領は親っさんを黒姫と呼べるがリーフェンシュタールには許されないんだ。もちろん親っさんが居ない場所では別だ。でも親っさんとリーフェンシュタールは知り合いだったのか、知らなかった。ワーグナー一家には仕事を依頼しているからそれで親しくなったのかな。でも普通どんな組織でも自分の所の金庫番が他所の頭領と親しくするのは嫌がる筈なんだけど……。ワーグナーの頭領、あまり気にしていないな……。

『私が今こうしているのもヴァレンシュタインの頭領のおかげです。あの時、頭領が助けてくれなければ私はワーグナーの親父にとんでもねぇ恥をかかせているところでした。感謝しております』
「あれはリーフェンシュタールさんの所為じゃ有りませんよ。仕方なかったんです……」

掟、その二。他所の組織の人間の前では自分の頭領は名前を付けて親父と呼ばなければならない。俺の立場ならヴァレンシュタインの親父だ。しかしなんか凄い話だな、ウチの親っさんがリーフェンシュタールを救った? それがワーグナーの頭領の面子を守ったって事? そりゃワーグナーの頭領も下手に出るわ。ウルマンとルーデルを見たけど二人とも目が点だ。俺と同じ気持ちなんだと思う、吃驚仰天だ。

『リーフェンシュタールの言う通りだぜ、黒姫の。あんたには世話になりっぱなしだ。今回もカストロプの件じゃ、しこたま儲けさせてもらった。声をかけてくれた事、感謝しているぜ』
「それこそ感謝するのはこちらの方です。買占めを手伝ってもらったんですからね。ワーグナー一家の協力無しでは上手く行きませんでした」
『あんたにそう言って貰えると嬉しいぜ』

親っさんの言葉にワーグナーの頭領が嬉しそうに頷いた。確かに今回のカストロプの反乱ではがっつり儲けた。あんな荒稼ぎは黒姫一家も初めてだったよ。ウチがフェザーン商人なら今年のシンドバット賞は間違いなかっただろう。フェザーン商人達からも海賊が儲け過ぎと非難が起きたほどだ。伝説の商人、バランタイン・カウフも親っさんの前じゃ子供だってさ。海賊には惜しいんだそうだ。

財務尚書カストロプ公が事故死した直後から黒姫一家とワーグナー一家はカストロプ星系、マリーンドルフ星系の特産物を買占め始めた。他にもクラインゲルト子爵家、バルトバッフェル男爵家、ミュンツァー男爵家、リューデリッツ伯爵家に協力してもらって特産物を買い占めた。

殆どが重金属、軽金属、希少金属の金属類だったけど変わった所では天然ガス、冷凍マグロを買い占めたよ。マリーンドルフ産のマグロって美味しいって有名だ、皇帝陛下への献上品にもなってる。一般庶民にはなかなか手に入らない代物だ。俺も喰った事は無い、辺境だと近場の安いボーデン産のマグロが精々だ。

カストロプの特産物の殆どは俺達で買い占めたはずだ、ごくわずかな分だけをフェザーン商人が買い占めた。よく分からなかったのはマリーンドルフだ、何でそっちまで買い占めるのかさっぱり分からなかった。親っさんに訊いても答えてくれないしな。多分マリーンドルフ伯が病気かなんかで余命が短いんだろうと思った。

カストロプの特産物の値が上がってそろそろ売り時かなと思っていたら、カストロプ公爵家の跡継ぎが何か下手を打ったらしくて反逆を起こしちまった。吃驚したよ、財務尚書の跡取りが反逆? おまけにカストロプはオーディンに近いし大騒ぎになった。カストロプの特産物はあっという間に暴騰したよ。すげぇー大儲けだと思って大興奮したけど親っさんは売らなかった。

討伐軍が組織されるとフェザーン商人達はカストロプの反乱は終結すると見たんだな、特産物を売りまくったけど親っさんは売らなかった。市場も反乱が終結すると見た、特産物の値はあっという間に下落した。俺達は真っ青になったしワーグナーの頭領からも“どうするんだ”って問い合わせが来たけど親っさんは逆に売られた特産物を買いまくった。俺なんか親っさん、気でも狂ったんじゃないかと思ったほどだ。

でも討伐軍がカストロプの反乱軍に敗れると特産物の値はさらに上がった。おまけにカストロプの反乱軍はマリーンドルフまで勢力を拡大しようとしたからマリーンドルフの特産物まで値が高騰した。吃驚したよ、親っさんが何でマリーンドルフの特産物まで買い占めたのか、ようやく分かった。“親っさん、すげぇー”って皆で騒いだ。

特産物の値は天井知らずで高騰した。皆が親っさんに何時売るんだって問い合わせてきた。協力してくれた人達だけじゃないよ、フェザーン商人や内務省の役人まで問い合わせてきた。だけど親っさんはニコニコ笑って“もう少し”と言うだけだった。役人は“あんまり阿漕な真似をするんじゃない”とか言ってたな。

親っさんが特産物を売ったのはキルヒアイス少将が討伐軍の指揮官に任命された直後だった。また吃驚しちゃったよ。キルヒアイス少将って階級も低いし年も若い、それに兵力が少なかった。これじゃまた鎮圧は失敗するぞって思ったからね。俺だけじゃない、皆そう思ったんだ、反乱はまだまだ長引くって。それなのに親っさんは皆売り払っちまった。俺なんか親っさん、今度こそ気が狂ったと思ったくらいだ。

でも親っさんは正しかった。なんとキルヒアイス少将は反乱を鎮圧しちまったんだ。しかも十日で鎮圧した、これまた吃驚だった。“親っさん、すげぇー”ってまた皆で騒いだよ、本当に痺れたぜ。俺達は大儲け、親っさんは皆から感謝された。神憑り的な予測だって皆が称賛していたぜ。俺は親っさんに何でわかったんですかって聞いたけど、親っさんは笑うだけで教えてくれなかった。親っさんっていつもそうなんだよな、笑うだけで教えてくれない……。

『ところで黒姫の、これからどうするんだい。イゼルローンが落ちたとなればこれからは辺境が戦場になる。商売がやり辛いんじゃないのかい』
「そうですね、あまり面白い事態じゃ有りません」
そう、黒姫一家は困っている。イゼルローン要塞が反乱軍の手に落ちた……。これからは反乱軍がイゼルローン回廊から攻め込んでくる。辺境が戦場になるんだ、縄張りが安定しないのは非常に拙い。

『なんならこっちへ来たらどうだ、あんたなら歓迎するぜ。あんたにとっても悪い話じゃないだろう』
「……」
え、それってどういうこと……。親っさんに配下になれって事?
『カストロプは例の反乱で無法地帯になっちまった。あの辺りを仕切っていた連中は反乱に巻き込まれて没落しちまったからな。あんたが仕切ってくれれば助かる、オーディンの周辺が騒がしいのは何かと拙いんだ。政府もうるせぇからな』

なるほど、そういう事か。ちょっと安心したけど、本当にそれだけ?
「有難うございます。ですがワーグナーの頭領、ウチは辺境の人達には随分と世話になってるんです。今になって見捨てるなんて事は出来ません。なんとかやっていきますよ」
親っさんの言葉にワーグナーの頭領が大きく二度、三度と頷いた。

『そうかい……、まあ仕方ねぇな、確かに世の中にゃ義理ってもんが有るからな。……何か俺で出来る事が有ったら言ってくれ。あんたには借りがある、何時でも力になるぜ』
「有難うございます、その時は宜しくお願いします」
親っさんが丁寧に頭を下げると、ワーグナーの頭領が“オイオイ、それは勘弁してくれよ”と言って笑い声を上げた。

通信が切れるとアンシュッツ副頭領が親っさんに声をかけた。
「どうします、これから先面倒な事になるかもしれません。幸いカストロプの件では儲けましたし武装艦を増やした方が良い様な気もしますが」
そうだよね、俺もそう思う。っていうか皆そう思ってる。でも親っさんはそう考えてはいない様だ。ちょっと小首を傾げている。不同意な時の親っさんの癖だ。

「百隻や二百隻増やしてもどうにもなりませんよ。それよりもカストロプの件では皆良くやってくれました。給料一ヶ月分の臨時報酬を出してください。本当はもっと報いたいが先が見えない、資金はある程度残しておかないと……」
「分かりました。手続きを取ります」

やったね! 給料一ヶ月分の臨時報酬だ。周囲も皆顔を綻ばせている。彼方此方で歓声が上がった。親っさんってこういうところは気が利いてるんだよな。これでリューデリッツ伯爵領のアンネに誕生日プレゼントを贈れる、確か六月の末だったよな、十分間に合う。親っさん、感謝です。臨時報酬は一ヶ月で十分ですよ。

「それとクラインゲルト子爵、バルトバッフェル男爵、ミュンツァー男爵、リューデリッツ伯爵に今後の事について相談したいと伝えてください。場所は、そうですね、バルトバッフェル男爵領でお願いしたいと」
残念、リューデリッツ伯爵領なら直接渡せたかもしれないのに……。しょうが無いよな、通販で頼むか、後で何が良いか見てみないと……。

親っさんは指示を出し終わると少し考える事があると言って部屋に戻った。親っさんが居ない、チャンスだぜ、さっきの事聞かなくちゃ。
「副頭領」
「何だ、キア」
「ワーグナーの頭領がカストロプへ来ないかって言ってましたけど、あれってワーグナー一家の傘下に入れって事ですか」

俺の質問にアンシュッツ副頭目はじろっと視線を向けてきた。うっ、怖いですよ、副頭目。でも気になるんだ、皆も頷いている。
「ワーグナー一家はウチと組んで大儲けしただろう。あそこはオーディンに近いしブラウンシュバイク公も傍に居る。ワーグナー一家は何かと目を付けられ易いんだ」
えーと、それって何を意味するんだろう。よく分かんないな、皆も困惑してる。

副頭目が舌打ちした。うっ、だから怖いですって。
「辺境の組織と組んで荒稼ぎとはどういうこった、何故俺に声をかけなかった、そういう声が上がってるんだよ。言いがかりに近いんだがウチがカストロプに移ればそう言う声も小さくなる。ワーグナーの頭領はウチとこれからも協力していきたいと言ってるんだ。まあ配下にしたい、そういう思いもあるかもしれないがな」

ますます分からない、ワーグナーの頭領に文句言える奴なんて居るの? 俺の疑問をウルマンが声に出した。
「ワーグナーの頭領に文句言う奴なんているんですか? いや、居るんだから奴なんて言っちゃいけないのかな、言えるお方? そんな人海賊に居るんですか?」

「海賊じゃねえ。ブラウンシュバイク公爵家に出入りの商人、貴族、軍人だ。利権目当てで集まっている連中が居るんだ。そういう奴らにとっちゃ今回の一件は面白くねぇんだよ」
副頭領の方が面白くなさそうだな。舌打ちはするし口がへの字に曲がっている。まあ確かに貴族って厄介なんだよ、力が有れば有るほど変な奴が寄ってくる。

「それでワーグナーの頭領はどうしたんです? 連中、簡単には引き下がりませんよね」
ウルマンの言うとおりだ、そういう奴らは簡単には引き下がらない。何らかの見返りを要求するはずだ。

「……ウチの親っさんが抑えた」
ボソッとした副頭領の言葉に彼方此方で声が上がった。皆信じられないと言った表情で副頭目を見ている。俺だって信じられない。
「親っさんの知り合いがブラウンシュバイク公の側近でな、親っさんがその人に頼んで連中を抑えさせたんだ」

「凄え!」
俺が声を上げると彼方此方で“凄え!”と声が上がった。
「静かにしろ! 騒ぐんじゃねえ!」
副頭領が怖い目で俺達を睨んでいる。“騒ぐんじゃねえ! ガキ共が” 副頭領が今度は低い声で俺達を叱責した。何で? 親っさんがブラウンシュバイク公の側近と知り合いだなんて凄い事だと思うんだけど。

「その人はな、士官学校で親っさんの同期生だったそうだ。だが今は相手はブラウンシュバイク公の側近、親っさんは辺境星域の海賊……。親っさんにしてみれば頼み辛かっただろう。でもな、ワーグナーの頭領の面倒を知らぬ振りで放置すれば後々黒姫一家にも悪い影響が出かねない。それで親っさんは下げたくもねえ頭を下げて頼んだんだ。……ワーグナーの頭領もそれを知っている、だからああしてウチの組織を気遣って下さるんだ」
「……」

副頭目が俺達をギロッと睨んだ。
「分かったか? 分かったら騒ぐんじゃねえぞ。外でピーチクパーチク喋るんじゃねぇ。何も知らない振りで仕事しろ、それが親っさんのためだ。親っさんを傷つけるようなマネはするんじゃねえぞ」
皆黙って頷いた……。



帝国暦 487年 9月 5日    クラインゲルト子爵領   ウルリッヒ・ケスラー



「もうすぐ反乱軍がここに来ます。軍の命令で食料を徴発することになりました。クラインゲルト子爵、軍に御協力頂きたい」
嫌な役目だ、感情を交えず軍の命令だけを伝えた。多分怒声、いや罵声が響くだろう、詰られるに違いない。

「なるほど、やはりそうですか」
「?」
「残念ですが軍に御協力は出来ませんな」
やはり反対された、しかし妙な感じだ、子爵は穏やかな表情を浮かべている。

「しかし」
「ケスラー中将、そう言われましたな」
「ええ」
「残念ですがこのクラインゲルト子爵領の住民達は十日分の食糧しか持っておらんのです」

「十日分?」
「そう、十日分です。反乱軍が来るころには食料は皆無ですな。徴発する食料など何処にもありません」
どういう事だ。十日分しか食料が無い、にも関わらず子爵は笑みを浮かべている。何かがおかしい。

「クラインゲルトだけではありません。辺境星域の住民は皆十日分の食糧しか持っておりません」
「馬鹿な……、一体何を言っているのです」
クラインゲルト子爵が耐えきれないように笑い出した。

「失礼、会わせたい人物がいます」
「会わせたい人物?」
「ええ、こちらへ」
子爵が先に歩き出す。後をついていくと小奇麗な部屋に通された。先客がいた、小柄な黒髪の若い男性だ。この男が会わせたい人物だろう。そしてこの奇妙な事態を引き起こした人物のはずだ……。

「クラインゲルト子爵、会わせたい人物と言うのはその人ですか」
「ええそうです」
私とクラインゲルト子爵の会話を聞いても彼は何の反応も示さなかった。多分、私の事は知っているのだろう。面憎いほどの落ち着きぶりだ。

「紹介していただけますか、彼を」
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、悪名高き海賊組織、黒姫一家の頭領です」
「……黒姫のヴァレンシュタイン……」
驚きのあまり呟くと彼が笑みを浮かべた……。

 

 

第三話 アムリッツア星域の会戦

帝国暦 487年 9月 28日    ローエングラム艦隊旗艦  ブリュンヒルト  ジークフリート・キルヒアイス



「大丈夫でしょうか、ラインハルト様」
「海賊の事か?」
「はい」
ラインハルト様が私の問いかけにちょっと考えるそぶりを見せた。

「ま、大丈夫だろう。奴からの連絡は約束通り私に来ている。それによれば反乱軍は確かに補給の維持に悪戦苦闘しているようだ。扶養家族が多すぎるのだな」
そう言うとラインハルト様は人の悪い笑顔を見せた。アンネローゼ様には絶対見せない笑顔だ。

「問題は輸送船団の位置ですが」
「そうだな、上手くやって欲しいものだ。ま、こちらでも反乱軍の様子は探っている。心配はないだろう」
楽観的なラインハルト様だが私は安心できずにいる。果たして上手く行くのか、あの海賊は信用できるのか……。

ラインハルト様は辺境星域に焦土作戦を行う事で反乱軍の補給を破綻させようとした。それを受けてケスラー中将が辺境星域で食料を徴発しようとしたが辺境星域には十日分の食料以外は見当たらなかった。既に辺境の住民たちによって食料は何処かへ隠されていた……。

辺境星域の住民に食料を隠すように指示を出したのはあの辺りを縄張りとして活動する海賊組織、黒姫一家だった。彼らは反乱軍が大挙攻勢をかけてくること、それに対応するためにラインハルト様が焦土作戦を実施するであろうことを予測していたのだ。

その頭領であるエーリッヒ・ヴァレンシュタイン、黒姫と異名のある彼がケスラー提督を通してラインハルト様に提案してきた。反乱軍撃退のために協力すると……。協力の内容は反乱軍の補給状況の報告、それと補給破綻の引金となる輸送船団の情報、出航日時、位置、航路ライン……。

“何故協力するのか”
そう問いかけたラインハルト様にヴァレンシュタインは答えた。
“辺境を守りたいだけです。食料を全て奪われては住民は飢えてしまう。あと十日程で反乱軍が来る、住民の持っている食料を奪わないで欲しい”

“どうやって反乱軍の信用を得る?”
“クラインゲルト、バルトバッフェル、ミュンツァー、リューデリッツに食料を持って行きます。そして同じ事を言いますよ、辺境を守りたいだけだと……”
沈黙するラインハルト様に更にヴァレンシュタインは言い募った。

“辺境全体で見れば僅かです、作戦の齟齬にはならないでしょう。そして反乱軍としては半信半疑かもしれませんが無下には出来ない。今後の事を考えれば海賊組織が味方に付いたのは大きい。利用しようと考えるはずです”
“なるほど。……そちらの要求する報酬は”

“戦いが終わり閣下が勝利を得た後、我々の働きを評価してください。それによって報酬を決めましょう”
意外な申し出だった。報酬を事前に決めない、自分達の上げた功によって決めろとは……。ラインハルト様が笑い出した。

“報酬が無いと言う可能性も有るな”
“功が無ければそうなります。報酬が欲しければ誰もが認める功を上げれば良い、そうでは有りませんか”
ラインハルト様の笑いが更に大きくなった。そしてヴァレンシュタインの提案は受け入れられた……。

焦土作戦を実施すれば辺境住民に大きな苦しみを与えるだろう。それを思えばヴァレンシュタインの提案は極めて望ましい。しかし彼を信じて良いのだろうか……、どうにも不安が募る。今のところ順調ではあるが輸送船団の情報が誤っていたら……、いや罠だったら……。

輸送船団を叩くのは私の役目だ。私の艦隊は待ち受けていた反乱軍に叩かれ、反攻を開始した味方は補給を済ませた反乱軍によって叩き潰されるだろう。何処まであの海賊を信じて良いのか……。

「元帥閣下」
抑揚のない声が聞こえた。参謀長、オーベルシュタイン大佐がラインハルト様に近づいて来た。どうにも好きになれない……。容姿の問題ではない、彼の思考が好きになれないのだ。今回の焦土作戦も彼が考えたものだ。もしごく普通に引き摺り込んで叩く作戦だったらヴァレンシュタインが絡んだだろうか……。

「ヴァレンシュタインより通信が入りました。反乱軍はイゼルローン要塞より大規模な輸送船団を前線に送るようです。どうやら反攻する時が来たようですな」
そう言うとオーベルシュタイン大佐は手に持っていた紙を差し出した。ラインハルト様が受け取りそれを読む。白い頬が紅潮した。

「海賊め、約束を守ったようだな。……キルヒアイス、お前に与えた兵力の全てを上げてこれを叩け。細部の運用はお前の裁量に任せる」
「かしこまりました」
ラインハルト様が私にメモを渡した。確かに、輸送船団の情報が書いてある。

「キルヒアイス、情報、組織、物資、いずれも好きなだけ使って良いぞ」
「はっ」
一礼してラインハルト様から離れる。出撃だ、私を待っているのは輸送船団か、それとも敵か……。油断は出来ない……。



帝国暦 487年 10月 8日    キルヒアイス艦隊旗艦  バルバロッサ  ジークフリート・キルヒアイス



まだ見つからないのか、そう思った時だった。
「閣下、もうすぐ索敵部隊が輸送船団を発見するはずです」
「……そうですね」
ベルゲングリューン大佐の声に同意した。

もしかすると大佐も焦っているのかもしれない。それで落ち着こうと声に出したのかも……。確かにもうすぐだ、あの情報が嘘でなければもうすぐ索敵部隊が輸送船団を発見するだろう。

艦隊はここまで特に反乱軍に出会う事もなく進出した。今の所、あの海賊が裏切った形跡はない。裏切っていたなら反乱軍と出会っていてもおかしくないのだ。後は輸送船団を発見し撃破すれば勝利は確定したも同然……。落ち着こう、焦る必要は無い。焦らずに待てば良い……。

「司令官閣下、索敵部隊から連絡が入りました。輸送船団を発見とのことです」
オペレータの声に艦橋の彼方此方から歓声が上がった。ベルゲングリューン大佐も嬉しそうにしている。嘘ではなかった、あの海賊は約束を守ったのだ。そう思うと急に可笑しくなった。一体自分は何をそんなに心配していたのか。

「直ちに攻撃……」
「お待ちください、索敵部隊から攻撃の必要なしと……」
攻撃命令を出そうとした私にオペレータが戸惑った様な声を出した。攻撃の必要なし? どういう事だ? ベルゲングリューン、ビューローの二人も困惑している。“何が有った”、“どういうことだ”と話し合っている。

「別な通信が入っています」
「別な通信?」
私が聞き返すとオペレータが頷いた。
「スクリーンに映します、宜しいですか」
「頼む」

スクリーンに男性が映った。ヴァレンシュタイン? 何故彼が? 困惑していると彼が話しかけてきた。
『久しぶりですね、キルヒアイス提督』
「そうですね、久しぶりです」
『輸送船団ですが、攻撃の必要は有りません。我々が拿捕しました』

拿捕……。なるほど彼らの方が輸送船団には近い、情報さえ聞き出せば輸送船団に近づくのは難しくないだろう。まして反乱軍は彼らを味方だと思っているのだから。ベルゲングリューン大佐が私をチラッと見た。

「御苦労だった。では我々に輸送船団を引き渡してもらおう」
大佐の言葉にヴァレンシュタインは笑みを浮かべた。
『残念ですがそれは出来ません』
「何、それはどういうことだ。約束を破ると言うのか、海賊」

ベルゲングリューン大佐が厳しい声を出した。しかしヴァレンシュタインはクスクス笑い出した。
『約束は守りましたよ、ベルゲングリューン大佐。ちゃんと輸送船団の情報をそちらに教えたはずです。だから貴方達がここに居る、違いますか?』

思わずベルゲングリューン、ビューローの二人と顔を見合わせた。二人とも唖然としている。確かに約束は情報の通報だった、輸送船団の引き渡しではない……。

『輸送船団の情報はきちんと連絡しました。その後は早い者勝ちです。そして残念ですがそちらが来るのが少し遅かった。我々の方が先に着いて輸送船団を拿捕した。そう言う事です』
「し、しかし拿捕した物資の隠匿は許されんぞ」

ビューロー大佐が声を絞り出すように言うと今度は声を出してヴァレンシュタインが笑った。笑うな! お前が笑うと嫌な予感がする。
『軍の規則ではそうでしょうね。しかし先程ベルゲングリューン大佐も言いましたが私達は海賊なのです』
「!」

『軍規など関係ありません。まして我々は協力者であって部下ではない。命令される筋合いも有りません』
「……」
ベルゲングリューン大佐が、ビューロー大佐が苦虫を潰したような表情をしている。多分私も同様だろう。

『それとも私達から拿捕船を強奪しますか? 軍が海賊の功績を奪い取る……。世も末ですね、軍が海賊行為とは』
「……」
ヴァレンシュタインが可笑しそうに笑っている。嫌な奴だ、オーベルシュタイン参謀長よりも嫌な奴だ。その笑い声を聞きたくなかった。

「分かりました。輸送船団はそちらのものです。協力を感謝します」
『御理解頂き有難うございます。御武運を祈りますよ、キルヒアイス提督』
にこやかにヴァレンシュタインが私の武運を祈った。寒気がする……、お前のような悪党になど祈られたくない、早くお前から離れよう……。



帝国暦 487年 10月14日   ローエングラム艦隊旗艦  ブリュンヒルト   ラインハルト・フォン・ローエングラム



各艦隊が反乱軍の残敵を掃討し帰ってきた。ブリュンヒルトの艦橋には艦隊司令官達が集まりつつある。キルヒアイス、ロイエンタール、ミッターマイヤー、ケンプ、メックリンガー、一人一人手を握りその昇進を約束した。もう少しで皆が揃うだろう。

反乱軍は壊滅的と言って良い程の大敗を喫して敗退した。補給を断たれた後、我が軍の各個撃破により敗退した反乱軍はようやく兵力分散の愚に気付いたのだろう。アムリッツア星域に集結、再反攻の機を窺った。

帝国軍はキルヒアイスを別働隊として反乱軍の後背に回し俺が正面から攻め立てた。他愛もなかった、反乱軍は十分に補給を受けられなかったのだろう。まともに戦ったのは最初だけで後は崩れるように敗退した。キルヒアイスが戦場に到着する前に勝敗は決したのだ。

ヤン・ウェンリーが多少奮戦したがそれだけだ。こちらは殆ど損害もなく反乱軍を撃破した。あれなら最初からイゼルローン要塞に撤退していれば良いものを、反乱軍の総司令官は一体何を考えていたのか……。全く度し難い程に愚かな連中だ。

大勝利だな、当分反乱軍は軍事行動を起こせないだろう。これ程の勝利を得たのだ、宇宙艦隊司令長官は間違いないだろう。残念だな、キルヒアイスがアムリッツアに間に合えば副司令長官に出来るのだが……。あそこまで反乱軍が弱いのなら全軍で正面から攻めるべきだった、失敗だった……。

唯一気に入らないのはあの海賊の事だけだ。小賢しくも輸送船団を強奪するとは……。まあ良い、約束は約束だ。輸送船団は海賊にくれてやる。報酬としてはそれで十分だろう。最後の一人、ビッテンフェルトの手を握る。戦い振りを褒め昇進を約束すると嬉しそうな表情をした。やはり勝利は良い。

オペレータがヴァレンシュタインの来訪を告げたのはその直後だった。皆あの海賊が何をしたかは知っている。不機嫌そうな表情になった。面白い、此処に通してやろう。自分がどれほど俺達を怒らせたか、よーく教えてやろう。当然だが報酬など無しだ、海賊めが、思い知らせてやる。



帝国暦 487年 10月14日   ローエングラム艦隊旗艦  ブリュンヒルト   カルステン・キア



何か居心地良くないな、この艦。俺達が普段乗っている巡航艦と違ってデカいしそれに皆嫌な目付で俺と親っさんを見ている。もしかするとこのまま帰れないとかあるのかな。海賊って評判悪いもんな、黒姫一家は悪さはしてないけど犯罪組織って思っている人もいるし……。心配なんだけど親っさんは全然感じていないみたいだ、大丈夫かな? 大丈夫、だよな……。

「元帥閣下、この度の大勝利、おめでとうございます」
「……」
なんだよ、こいつ。親っさんがおめでとうって言ってるのに碌に返事もしないなんて。海賊社会じゃ挨拶のできない奴は相手にされないぜ。顔が良いだけのロクデナシだな。

「反乱軍は手強かったのでしょうか?」
「他愛もないものであった。何のためにアムリッツアに集結したのか」
益々嫌いになった。傲慢そうに笑いやがって。おまけに親っさんを見下したような目をしてる。

「それは何よりです。我らも協力した甲斐が有ったと言うもの」
「卿が何を協力したのだ、輸送船を強奪しただけではないか」
馬鹿にしたような声が聞こえた、オレンジ色の髪の毛をした奴だ。そして周囲から笑い声が上がった。ローエングラム元帥も笑っている。嫌な奴らだ。

親っさんは少しも表情を変えなかった。周囲の笑い声が収まるといつもの口調で話し始めた。
「ええ、輸送船を強奪しただけです。二度ね」
皆不思議そうな表情をしている。ローエングラム元帥が“二度?”と呟いた。

親っさんがクスクス笑い始めた。あ、俺知らね。どうなっても知らないからね、責任持てない。親っさんを怒らせたよ、あんた達。間違いなく地獄を見る。
「アムリッツアの反乱軍が他愛も無かったのは何故だと思います」
皆ギョッとしてる。ローエングラム元帥が“まさか”なんて言ってる。おまえら気付くの遅いんだよ。

「そう、我々がイゼルローン要塞からアムリッツアに向かって出された輸送船百隻、護衛艦四十隻を拿捕したからですよ」
「馬鹿な」
馬鹿じゃないんだよ、金髪。顔が強張ってるぜ。

「簡単でしたよ、先に拿捕した船団には護衛艦が有りましたからね。それを使って味方の振りをして近付いたんです。他愛もなく拿捕できました」
あーあ、あっちこっちで呻き声が聞こえる。そして親っさんだけが笑ってる。あのね、まだ終わりじゃないからね。まだ続きがあるよ、覚悟しな。耳栓した方が良いと思うよ、ホント。

「難しかったのはその後です。アムリッツアからは補給はまだかと何度も催促が来ましたからね。もう少し待てと言って宥めたんです、皆さんに武勲を立てさせるためにね。それが無ければ連中、逃げていましたよ……。他愛ない敵だったでしょう、私は結構親切な男なんです。そうでしょう、カルステン・キア」
「あ、その、そうです、親っさんは親切な親っさんです」

頼みますよ、親っさん。何で俺に話しを振るんです。それにフルネームで呼ぶなんて。俺は切れてるぞって言ってるようなもんじゃありませんか……。あー、また呻いてるよ。って言うより呻き声が前より大きくなってる。いやそれより金髪、身体が小刻みに震えてるぜ。寒いのかな、寒いんだよな、俺だって寒いもん。副頭領、どうして来てくれなかったんです。俺だけじゃ寒いですよ。

「元帥閣下、黒姫一家の功績、評価していただけませんか。そうでなければ報酬の話が出来ません。今回の戦いにおいて、我々の功は第何位です?」
あ、皆固まった、黙って金髪を見てる。大丈夫かよ、金髪。身体が震えてるし顔面が真っ赤だぜ。素直に親っさんに謝れよ。その方が絶対良いって。

「……武勲、第、一位……」
絞り出す様な声だな。そんなに俺達の功を認めるのが嫌かよ。可愛くねぇな。でもね、親っさんはそんなの関係ないんだよな。ニコニコしながら答えた。怖いよな。後で皆に教えなきゃ。

「有難うございます。では報酬ですが黒姫一家構成員三万人に対して一人頭四万帝国マルクでどうでしょう。合計十二億帝国マルクです。」
彼方此方で呻き声が聞こえたよ。何処からか“十二億!”って悲鳴も聞こえた。何だよ、文句あるのかよ、俺達黒姫一家のモットーはな、“法に触れない範囲で阿漕に稼ぐ”だ。お前らにとっちゃ十二億帝国マルクなんて屁でもねえだろ。大勝ちしたのに文句いうんじゃねぇよ。誰のおかげで勝ったんだ。

「……分かった、十二億だ」
金髪が承諾すると皆が沈黙した。痛いくらい静かだぜ。親っさんが契約書を出して金髪に差し出した。金髪は奪い取る様に契約書を取ると忌々しそうにサインした。そしてフンと言う感じで親っさんに契約書を返す。有難うございます、暴利をむさぼる、暴利をむさぼる……。

「ところで元帥閣下、一つお買い頂きたいものがあるのですが」
親っさんが金髪に話しかけると野郎、露骨に胡散臭そうな顔をした。お前な、親っさんに失礼だろう。話ぐらいちゃんと聞けよ。親っさんを見ろ、おまえらが嫌な顔をしても親っさんは普段通り対応するぜ。人間の格はな、そういうところに出るんだ。

「今回輸送船を拿捕した事で反乱軍の兵士を捕えました……」
「……それを買え、と言うのか」
「はい、今なら勝ち戦の御祝儀価格で一人五万帝国マルクで如何です」
また声が聞こえるよ。“馬鹿な”とか“何を考えている”とか。お前らホント、何にも分かっちゃいねえな。普通どんなに安くたって身代金は十万帝国マルクは下らねえぜ。御祝儀価格ってのは嘘じゃないんだ。

「馬鹿な、相手は人間だぞ、それを買えだと」
金髪が吐き捨てた。顔が歪んでいる。おめえも分かってないな、金髪。親っさんは好意で言ってるんだ。素直に受けろよ。
「申し訳ありません、我々は海賊なんです。帆船時代から海賊に捕まった捕虜は身代金を払うのが習いです」
「……」

「それに売るのは反乱軍の兵士ですよ。帝国人じゃ有りませんから人身売買の法にも触れません」
「……」
そうだぜ、俺達は海賊なんだ。普段はやらないが今回は法に触れない、金になるなら喜んでやるぜ。“法に触れない範囲で阿漕に稼ぐ”だ。あ、親っさんが溜息を吐いてる。交渉失敗か……。残念だよな、相手が馬鹿なんだからしょうがないか……。

「分かりました、残念ですね」
「……どうする気だ、捕虜を殺すのか」
金髪よ、お前帝国元帥だからってふざけんじゃねぇよ。断っていて殺すのかだと? 親っさんだから怒らねえけどな、他の頭領なら殴られてるぞ。お前にゃ関係ないだろう。

「まさか、そんな金にならないことはしません。フェザーンに持って行って反乱軍に売ります。フェザーン商人に十パーセントの仲介料で仲介してもらいますよ。最低でも一人十万帝国マルク、仲介料でフェザーンに一万帝国マルク、ウチが九万帝国マルクですね」
親っさんがまたクスクス笑った。ほら、怒っただろう。もう何でそうやってすぐ怒らせるかな。

「フェザーンだと……」
そんな唖然とするなよ。お前、戦争は出来てもそれ以外は駄目だな。ウチに来いよ、親っさんの下で一年もいればかなり違うぜ。
「ええ、反乱軍と直接交渉するのは拙いですからね。ウチはあくまでフェザーンに売買を頼む形になります」

何だかな、また皆騒いでる。殺さないって言ってるだろ。俺達はな、お前らみたいに敵なら殺すなんて考えねえんだ。敵から儲ける、駄目なら殺すだ。
「レムシャイド伯にはちゃんと話しますよ。元帥閣下に断られたので殺すよりはと思いフェザーンに連れてきたと。レムシャイド伯がどう受け取るか……」

あれ、金髪顔色が悪いぞ。
「一つ間違えるとフェザーン商人が帝国と反乱軍を手玉にとって値を吊り上げるかもしれませんね。まあウチは損さえしなければどうでも構いませんが。楽しみですね」
親っさんが堪えきれないと言った感じで笑い出した。

「買う! 私が彼らを買う。一人五万帝国マルク、御祝儀価格だったな、ヴァレンシュタイン」
おい、大丈夫か。眼が吊り上ってるぞ、金髪。
「はい、五万帝国マルクです」
「私が買う!」

金髪の言葉に親っさんがにこやかに笑みを浮かべた。
「では契約書を」
親っさんが契約書を差し出すと金髪がサインをした。やったね、捕虜は大体六千人、三億帝国マルクの稼ぎだ。

「では私達はこれで失礼します。キア、帰りますよ」
「はい」
「何か御用が有りましたら、お声をかけてください。お会いできるのを楽しみにしております」
「……」

そう言うと親っさんは優雅に一礼して金髪の前を下がった。かっこいいよな、親っさん。それにしてもあいつら、金髪もだけど他の連中も挨拶なしかよ、失礼な。まああいつらと一緒に仕事をする事なんて先ず無いだろうしな、気にするだけ無駄か。それより今日の顛末を皆に教えてやらないと……。何て言ったって今日一日で十五億帝国マルクも稼いだんだから……。



 

 

第四話 リップシュタット戦役


帝国暦 488年 1月 5日    クラインゲルト子爵領   カルステン・キア



今日は俺達親っさんのお供でクラインゲルト子爵邸に来ている。クラインゲルト子爵、バルトバッフェル男爵、ミュンツァー男爵、リューデリッツ伯爵と親っさんが集まって話をしてるんだ。俺達は乗ってきた二台の地上車の傍で待機、周囲の警戒だ。

今日の議題は多分帝国で内乱が起きるんじゃないかっていう話のはずだ。迷惑な話だよな、権力争いなんて他所でやって欲しいよ。ウチは今忙しいんだ。冗談じゃないぜ、本当に忙しいんだ。皆キリキリ舞いしている。

昨年の反乱軍の帝国領侵攻でウチの組織は大儲けした。金髪から十五億帝国マルクもせしめたし、他にも物資を輸送船共々丸ごと頂いた。ウチの組織はこいつを売り払ってその金を使って辺境の彼方此方に投資している。おかげで辺境はかなり景気が良くなっているんだ。フェザーンからも商船が結構来るようになったしな。良い事だぜ。

他にも辺境星域には戦闘で壊れた反乱軍の艦、帝国軍の艦とかが沢山有る。そいつらを引き上げて使える奴は頂き、使えない奴は解体して売っている。こいつが馬鹿にならないほど儲かるんだ。ほとんどぼろ儲けに近い。笑いがとまらねえってアンシュッツ副頭領が笑ってた。

景気が良くなれば俺達にも仕事が回ってくる。全く忙しいんだよ。組織の人間は人手が足りなくて皆悲鳴を上げている。募集はかけているんだが間に合わないんだ。なんたって大型輸送船二百隻は頂いたし護衛艦も六十六隻頂いた。七千人くらいは新たに人が必要だぜ。

雇ってもすぐ使えるわけじゃないしな。教育して実地で訓練してそれから配属だ。巡航艦バッカニーアにも十人程実習生を受け入れている。ここにも二人連れてきている。教育しながら人を使うって大変なんだ。仕事が倍になったような気分だぜ。景気が良いのと新人教育でウチは滅茶苦茶だよ。分捕った輸送船、護衛艦も半分は寝たままだ、もったいねぇ。

他にも反乱軍から古くなった駆逐艦とか巡航艦を三十隻程頂いている。反乱軍の連中も終盤はやばいと思ったんだろうな、古い艦じゃ逃げられないって。適当に壊して使えませんって言ってイゼルローン要塞に帰っちまった奴が居るんだ。本当は修理しなければならないんだろうけど戦場で壊れたって事にして放棄したんだな。で俺達はそれをちゃっかり頂いたと言うわけだ。そいつも寝たままだ。動かすには二千人近くは人が要る。頭痛がするぜ。

艦を貰った代わりに俺達はイゼルローン要塞に壊れた艦の乗員を運んでやった。まあ要塞には入れなかったけどね。でもこのおかげで俺達が前線とイゼルローン要塞の間で活動していても誰も不思議には思わなくなった。おかげで随分とやり易かったぜ……。

「あの、ウチの組織はどっちに付くんでしょう。ローエングラム侯ですか、それともブラウンシュバイク公?」
質問してきたのはアルフレット・ヴァイトリングだった。こいつとオットー・ヴェーネルトは新人だ。二人とも不安そうにしている、俺だって分からねえが相手になってやるか。

「気になるか、ヴァイトリング」
「ええ」
「お前はどっちに付いて欲しいと思ってるんだ」
「そりゃあ、ローエングラム侯です。俺の家は貴族に追っ払われて辺境に来ましたから……」

そうなんだよな、辺境に居る奴にはそういう奴が多いんだ。
「ヴァイトリング、正直俺には分からねえよ。多分、今それを話してるんだろうがな」
「……」
「ただな、他の海賊組織の中には貴族達と強く結びついている組織も有る。その中にはウチと関係の深い組織も有るんだ」

ワーグナー一家はどうするのかな、ちょっとそこが心配だよな。まあ他にも心配は有るけど……。
「それにな、ウチの組織はローエングラム侯と前回ちょっと有ったからな」
そうなんだよな、ウルマンの言う通りなんだ。あいつら性格悪いんだよ、親っさんの事、馬鹿にするし。誰のおかげで勝てたと思ってるんだよ。

あっ、親っさんが出てきた。カールを抱き上げてるな、って事は話は終わったって事か。傍にフィーアさんもいる。楽しそうに話してるな、俺達の前じゃ滅多に見せない表情だ。こうして見てると親っさんってごく普通のお兄さんだよな、特別な人には見えない。

「なあウルマン、親っさんってカールを可愛がってるよな」
「そうだな、カールも親っさんになついでるよ」
「あれかな、親っさんってフィーアさんの事好きなのかな」
俺の質問にウルマンはウーンと唸り声を上げた。ルーデルは首を傾げてる。フィーアさんって親っさんより五歳は年上だよな。親っさんって年上が好みなのかも。若い娘が悔しがるぜ。

親っさんがカールを抱き上げたまま近づいて来る、フィーアさんも一緒だ。
「今度会えるのは三月の半ばくらいかな、オーディンまで行くからね」
「えーっ」
「御土産を買ってくるよ」
「うん」

親っさんがカールを降ろした。
「それでは、私はこれで」
「お気をつけて」
「有難うございます、奥様」
親っさんとフィーアさんが挨拶している。良いなあ、なんか似合うぜ。

ヴァイトリングとヴェーネルトが親っさんに近づいた。
「親っさん、ご苦労様です」
あ、馬鹿、親っさんの顔が強張ってるだろう。フィーアさんも強張っている。後で俺達まで怒られるだろうが、この馬鹿!

慌ててヴァイトリングとヴェーネルトを押しのけた。
「済みません、ヴァレンシュタインさん。この二人、ちょっと勘違いしまして」
「……そうですか」
「ええ、それでは奥様。私達はこれで失礼します」

親っさんが地上車に乗るとウルマンが運転席、ルーデルが助手席に乗った。俺とヴァイトリングとヴェーネルトはもう一台に乗る。運転は俺だ。
「良いか、ヴァイトリング、ヴェーネルト。カールの前では親っさんって呼ぶんじゃねえ」

二人が訝しそうな顔をしている。ま、分からないでもないがな。
「フィーアさんがな、カールに悪い影響を与えかねないって心配してるんだ」
「……」
「海賊は評判が悪い。俺達は犯罪には手は出していねえよ。しかしそういう組織は少ねえんだ。だからな、カールの前では親っさんって呼ぶんじゃねえ」
「はい、分かりました」

親っさん、オーディンへ行くって言ってたな。だとすると金髪の所か。どうやらウチは金髪に味方するようだ。まあ戦争なら野郎が勝つだろうな、でもあいつら性格が悪いからな、礼儀知らずで恩知らずだし。親っさんが嫌な思いをしなければ良いんだけど……。



帝国暦 488年 2月 20日    オーディン  ローエングラム元帥府  カルステン・キア



オーディンは賑やかな騒ぎに包まれていた。昨日、イゼルローン要塞で捕虜交換式が有ったからな。もう戻って来ないと思った人が帰ってくる。それが家族なら嬉しいよな。夫や恋人が捕虜になっている人とか居るのかな。別の人と結婚したとか有るのかな、そう言うのは辛いよな、素直に喜べない……。

オーディンには巡航艦十隻でやってきた。親っさんはバッカニーアだけで良いって言ってたけどそうはいかない。黒姫の頭領が単艦で行動なんてしたら危なくてしかたねぇ。ウチはかなり裕福な組織と見られてるんだ、おまけに親っさんは超有名人だ。金目当ての誘拐を考える馬鹿な奴が居ないとも限らない。

昨年の帝国十大ニュースの内、三つまでが親っさんのニュースだった。第一位に銀河史上最大の身代金、黒姫一家三億帝国マルクを要求。第二位に武勲第一位、黒姫一家反乱軍撃破に活躍。皇帝崩御、イゼルローン要塞陥落を押さえて一位と二位を取った。第七位に黒姫一家、カストロプ動乱で巨利を得る。ちなみに昨年の流行語大賞は「私達は海賊なんです」だった。フェザーンじゃ親っさんをモデルにした映画を作ると言う話も有るらしい。もう親っさんは生きてる伝説だよ。

ローエングラム元帥府には親っさん、アンシュッツ副頭領、ウルマン、ルーデル、俺の五人で向かった。一応身なりは整えたぜ、何処から見ても良家の子弟だ。まあちょっと金はかかったけど用意するのは難しくなかった。最近ウチは臨時報酬や超勤手当が凄いからな。去年の俺の年収なんて十万帝国マルクを超えたぜ。源泉徴収票を見たときは眼が飛び出たよ。

元帥府の受付の女は最初は俺達に奇異な視線を向けてたけど親っさんが名乗ると露骨に避けるような態度を取りやがった。金髪の野郎どういう教育をしてるんだ? それでもケスラー大将が俺達の所にやってきて用件を聞きだそうとした。親っさんが辺境星域の貴族達の代表で来たと言うと慌てて金髪の所に飛んでった。

俺達が案内されて金髪の所に行くと奴は執務机で書類の決裁をしているところだった。傍には陰気そうな顔色の悪い三十男がいる。そのまま親っさんを目の前に立たせたまま話に入った。客を立たせたままってどういうことだ? 帝国元帥だか何だか知らねえが礼儀知らずにも程が有るぞ。おまけにすげぇー嫌そうな顔をしてる。

「それで用件は」
「辺境星域の貴族達の代理できました。いずれ起きる内乱で閣下に御味方するとのことです」
そう言うと親っさんは味方する貴族の一覧表、そして委任状を提出した。
「……なるほど」
何だよ、味方が増えて嬉しくないのかよ。碌に見もしないで失礼だろう。

「ただ彼らは固有の軍事力が殆どありません。ですので後方支援で協力したいとのことです。輸送については我々が行います」
「……そうか、有難い事だな。で見返りは」
本当に有難いと思っているのかね。頭来るな、こいつ。副頭領も頬がひくついてる。平然としてるのは親っさんだけだ。

「それらの貴族に対して家門と領地を安堵する、それを保証する公文書を頂きたいと思います」
「ほう、公文書を」
何だよ、変な目で親っさんを見て。

「元帥閣下が多くの貴族を潰して帝国の財政を健全化したいと考えているのは分かっています。しかし辺境星域の貴族達を潰しても余り財政の健全化には役に立たないと思いますよ。むしろ辺境星域は重荷になりますね。貴族達に開発を任せ住民の権利は法によって守る。その方が効率が良いでしょう」
なるほど、そうだよな。やっぱり親っさん、凄いや。

「卿にとってもその方が都合が良い、そうではないかな」
薄気味悪い声だな。抑揚がまるでないぜ。何だよこの死人みたいな奴。金髪よ、もうちょっと人を選べよ。お前の周りって碌な奴が居ないな。お前、人を見る目が絶対無いよ。

「否定はしません。何か問題でも? 誤解されがちですが我々は犯罪組織では有りませんよ」
痺れるよ、親っさん。顔も表情も落ち着いてる、役者が違うぜ。誰かに見習わせたいぐらいだ。爪の垢でも煎じてやろうか。

「良いだろう、公文書を用意しよう。それで、卿への報酬は」
「前回同様、戦いが終わり閣下が勝利を得た後、我々の働きを評価してください。それによって報酬を決めましょう。如何です?」
おいおい、そんなに親っさんを睨むなよ金髪。親っさんは敵じゃないぞ、お前勘違いしてねえか?

「……良いだろう。だが今度は前回のようには行かないと思え」
何凄んでんだよ、お前。大丈夫か? 敵と味方の区別つかなくなってるぞ。
「楽しみにしていますよ、次にお会いできることを。……それとワーグナー一家の頭領、アドルフ・ワーグナーが今回の内乱では中立を守るとのことです」
「……」

「あそこはブラウンシュバイク公の勢力下ですからね。公然とは味方できない、そんな事をすればあっという間に潰されます。御理解ください」
「……分かった、中立で十分だ。敵を打ち破るのは私の役目だ」
頑張れよ、期待しているぜ。

部屋を出て帰ろうとすると大勢の人間が居た。見たことあるやつばかりだな、あの白い艦で会ったやつらじゃねえか。何だよ、親っさんが出てきたらみんな目を逸らしやがったぜ。失礼な奴だな、何だってオーディンは礼儀知らずばかりいるんだ。辺境の方が人間はしっかりしているぞ。

親っさんが声を出したのはその時だった。
「ナイトハルト、ナイトハルトじゃないか」
「や、やあ、エーリッヒ」
親っさん、凄く嬉しそうだ。多分昔の友達なんだろうな。でも相手はちょっと困惑している。周りに遠慮しているみたいだ……。

「久しぶりだね、ナイトハルト。そうか、ローエングラム侯の元帥府に居るのか……。良かった、ここなら卿の能力を十二分に発揮できるよ」
「ああ、有難う」
親っさん、可哀想だな。昔の友達とか皆親っさんを避けるのかな。

「大丈夫だよ、ナイトハルト。私は悪名高い海賊だけれどここにいる人達は皆、私の知り合いだからね。戦友でもある。そうでしょう、ビッテンフェルト提督」
「……」
おいおい、そのオレンジ色の髪の毛のデカい奴。何で顔を背けるんだよ。親っさんが俺達をチラッと見た。悪戯っぽい笑みを浮かべている。寒いよ、マジで寒い……。

「まさか輸送船を強奪しただけとか言わないですよね。元帥閣下も武勲第一位と評価してくれましたし」
「……」
あーあ、親っさんがクスクス笑い出した。お前らが失礼な態度を取るからだぞ。親っさんが怒ったじゃないか。アンシュッツ副頭領もウルマンもルーデルも皆顔を引き攣らせている。いや、連中も顔を引き攣らせているな。

「ミッターマイヤー、行こうか」
「ああ、そうだな、ロイエンタール」
何だよ、それ。背の高いのと低いのが立ち去ろうとしている。それに合わせて他の連中も散り始めた。残ったのはナイトハルトと呼ばれた友人だけだ。

「卿は行かないのかい、ナイトハルト」
「馬鹿、相変わらずだな」
親っさんが軽やかに笑い声を上げた。ナイトハルトと呼ばれたのっぽも笑う。悪い奴じゃないみたいだ。

「元気そうで安心した。心配したぞ、いきなり居なくなるから」
「仕方なかった。ある貴族に命を狙われた、逃げるしかなかった。その逃亡先が今の組織だった……」
「……」

海賊社会じゃ有名な話だ。貴族に殺されかかった親っさんを先代が助けた。軍人から海賊への転身は少なくない、でも一年未満で組織の頭領になったのは親っさんだけだ。そして一家は帝国でも屈指の海賊組織になっている。

「相手は誰だ」
「……カストロプ公、もう死んだよ」
「……おい、まさか」
「私が関与してるって噂が流れているらしいね。でも私じゃない、マクシミリアンの反乱にも関係していない。……儲けさせてもらっただけだ」
「エーリッヒ……」

親っさん、儲けすぎたからな。あの戦争が終わった後だけど親っさんがヤリ手過ぎるって声が上がった。カストロプの一件も親っさんが何処かで関係してるんじゃないかって言われてる。親っさん、貴族の生死に妙に鋭いからな。失礼な噂だよ、親っさんはそんな事はしてねえぞ。

少しの間沈黙してたけど親っさんが笑みを浮かべて話しかけた。
「私は嫌われているらしいね」
「嫌われているし認められてもいる。ローエングラム侯はヤン・ウェンリーよりも卿の事を気にかけているよ」
「おやおや。私は味方なんだけどね」
「そう思っているのは卿だけだ」

また二人が笑った。良い感じだな、親っさんも楽しそうだ。
「十五億帝国マルクもふんだくるからだ」
「これでも安くしたんだけどね」
「元帥閣下はゲルラッハ財務尚書に頭を下げて頼んだそうだよ。随分嫌な思いをしたらしい」
「内乱が終わった時にはもっと大きなものを貰うさ。楽しみにしているんだね、また会おう」

そう言うと親っさんは歩き出した、俺達も後に従う。皆の顔を見た。皆、楽しそうな笑みを浮かべている。
「副頭領、楽しみですね」
「そうだな、楽しみだ」
副頭目とウルマンが小声で話している。そうだよな、俺も楽しみだ。親っさんが何を貰うのか……。また親っさんが伝説を作るぜ、宇宙を震撼させる黒姫の伝説をな。

 

 

第五話 可能性を探る

帝国暦 488年 2月 22日    オーディン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「初めまして、エーリッヒ・ヴァレンシュタインです」
「カール・ブラッケです」
「オイゲン・リヒターです」
うーん、いかんな。挨拶はしたがその後が続かん。ブラッケもリヒターもこちらの様子を窺うような感じだ。何で俺が会いたいと言ってきたのか分からない、そんなところだろう。

まあ仕方ないところも有るよな、俺達はオーディンにあるホテルのロビーで会っているのだが周囲をウチの人間が警戒している。あからさまに分かる様な警戒、つまり周囲に対して警告しているわけだ。もっともそれは囮だ。その他に目立たないように俺を警護している人間が居る。

要らないって言ったんだけどな。アンシュッツを始め皆が駄目だと言った。ローエングラム元帥府でも俺に対する扱いは決して良くなかった、その所為で皆かなり警戒している。実際に内務省の警察か或いは社会秩序維持局、そしてフェザーンの弁務官事務所の人間と思われる連中が俺をマークしているらしい。俺には良く分からんのだが皆が尾行されていると言っている。

ブラッケもリヒターも落ち着かないだろう。二人ともソファーに浅く座っているし何処か怯えた様な表情を時々する。眼の前のコーヒーに手をつける様子も無い……。俺も複雑な気分だ、ここまで怯えられるとは……。まあこうしていても始まらない、話を始めるか。

「お忙しいところをお時間を取って頂き有難うございます」
「……いえ」
ブラッケ、もうちょっと打ち解けてくれよ。リヒター、沈黙は止せ。
「もうすぐ内乱が起きますね」

俺の問いかけに二人が顔を見合わせた。今度はリヒターが答えた。
「そのようですな」
「どちらが勝つと思いますか?」
また顔を見合わせている。話が進まないな。我慢、我慢だ。

「さて、私達には何とも……」
ブラッケが語尾を濁す。駄目だな、言質を取られないように用心している。俺ってそんなに悪い奴、いや怖い奴かね。仕方ないな、話の持って行き方を変えるか……。

「ブラウンシュバイク公達が勝てば帝国は変わらないでしょうね。特に何の準備をすることもない」
「……」
「ですがブラウンシュバイク公達が敗れれば門閥貴族は力を失う。帝国は変わらざるを得ない、違いますか?」
「……」

またダンマリかよ。勝手に話し進めるぞ、この面倒くさい間抜け共が!
「門閥貴族が力を失えばそれに代わって台頭する者が出る。それは何だと思います?」
「……」
「軍人、でしょうね」

二人が一瞬関心を見せたが直ぐにそれを消した。軍人と言ったのが気に入らなかったらしい。阿呆、だからお前らは今まで改革が出来なかったのだ。改革には力が要る、力無しに改革など不可能。それをこの二人は理解していない。
「そしてその軍人の殆どは平民と下級貴族出身です。つまり門閥貴族が力を失えば平民と下級貴族出身者が力を振るう事になる」

ようやく反応を示した。俺の方をじっと見ている。
「軍と言うのは指揮官だけでは戦えないのですよ。兵達が居て初めて戦える。彼らの力によって内乱を勝った場合、当然ですが兵達は見返りを要求する。自分達の出身階級への待遇改善をね。或いは指揮官が勝利の見返りを表明する事で兵の士気を上げる事も有る」

「なるほど、そうでしょうな」
ブラッケがようやく声を出した。これで話になるな。
「問題は辺境です。辺境では多くの貴族達がローエングラム侯が勝利するだろうと考えています。そして侯に味方する事を決定した。この場合辺境では貴族の権利を守りつつ平民の権利を拡大するという難しい状況が発生します。……ここまで間違っていますか?」

「いや、間違ってはいないでしょうな」
「確かに」
ブラッケ、リヒターが俺の考えに同意した。よしよし、良い感じになってきた。大体この二人はこれまで報われていない。この手の話に飢えているはずなのだ。

「貴族の権利を縮小すると言う考えも有ります。しかし辺境は比較的貧しいため貴族による搾取が難しかった。中央のような大貴族による搾取は出来なかったのです。どちらかと言えば貴族、いや地方領主の指導の下、領内を開発してきたと言う現実が有る。これを無視しては辺境は混乱してしまう」

「確かにそれは有るかもしれません。元々ルドルフ大帝が貴族による土地所有を許したのは比較的未開発の土地を強力な指導力を持つ人間を配する事によって開発させようとした狙いがあったのではないかと私は見ています」
リヒターが答えた。ようやく会話になったぜ。

「どうすれば共存が可能か、より効果的に辺境の開発を続けて行けるか、お二人で考えていただけませんか。中央政府との関係、行政、司法、税の徴収も含めてです」
俺の言葉に二人が顔を見合わせた。表情に困惑が有る、怯えでは無い、困惑だ。

「何故それを我々に?」
「いずれ新たな政府が発足した時、無茶な政策を発表するかもしれません。それに対して理論武装しておこうと思うのです。我々の政策の方が政府の政策より優れている、こちらを受け入れて欲しいと……」

「なるほど、面白いですな。そうじゃないか、ブラッケ」
「ああ、確かに面白い」
「では、お引き受けいただけますか」
俺の問いかけに二人は顔を見合わせて確認した後、承諾した。報酬は一人十万帝国マルク、前払い。向こうは辞退しようとしたが、辺境の未来がかかった仕事だから報酬を払うのは当然だと説得した。

まあこの二人はもうすぐラインハルトに呼ばれて改革案を作成する事になる。その時、当然だが今日の話を思い出す筈だ。そうなれば辺境の現実に留意した政策案を作るだろう。何と言っても声をかけたのはこっちが先なのだ。この二人からすれば自分達を評価したのは俺の方が先だとなる。不遇な奴にとってはこのどちらが先に声をかけたかってのは結構大きいからな。それに顔繋ぎの意味もある。

二人が立去った後、アンシュッツを呼んで隣に座らせた。彼は恐縮しているがその方が周囲に聞えずに済む。
「なんでしょう、親っさん」
小声で問いかけてきた。分かってるじゃないか、そう、これは内密の話しだ。
「オーディンに事務所を開こうと思うのです」
「……拠点を作る、という事ですか、しかしそれは……」

アンシュッツが口籠った、眉を寄せている。彼が何を考えたかは分かる。オーディンは帝都だ、そこに事務所を開けば色々と憶測を呼びかねない、そう考えているのだろう。ちなみにオーディンは何処の組織の支配下にも無い。帝都という事で内務省が煩いのだ。どの組織もそれを嫌がり避けている。精々大きな組織が事務所を開くくらいだ。そこに事務所を開く……、アンシュッツも悩むよな。

「拙いと思いますか」
アンシュッツが首を横に振った。
「いや、ウチ程の組織ともなればオーディンに拠点が有ってもおかしくは有りません。むしろ今まで無かった事がおかしいくらいです。しかし……」
また口籠った。言い辛そうだな、促してやるか。
「しかし?」
アンシュッツがチラっと俺を見た。困った様な表情だが目が笑っている。

「昨年ウチは荒稼ぎし過ぎましたから……」
「そうですね、ちょっと遣り過ぎましたか……」
「まあ……」
二人で苦笑した。確かに今オーディンに事務所を開けば多くの組織が警戒するだろう。内務省、軍、フェザーン、貴族、海賊……。特に厄介なのは内務省と軍だろう。ラインハルトが、そしてオーベルシュタインが妙に意識しかねないという懸念は有る。

「親っさん、何を考えているんです」
「……」
「親っさんはつまらない見栄や面子で事務所を開く様な御人じゃありません。内乱だけを睨んでの事じゃないだろうとは思いますが……」

うーん、そんな覗き込むなよ。俺だってはっきりしたものは見えて無いんだ。いや見えてくるものは有るんだが形にはならない、酷く漠然としている。ただ放置すれば危険だろう。どうすればよいか……。

「親っさん、辺境じゃあ貴族、平民の区別なくかなりの人間がローエングラム侯に不信を抱いています。もう少しで飢餓地獄に落とされるところだったんですからね、無理もありませんや。かといってブラウンシュバイク公を筆頭とする門閥貴族も信じちゃいない。中立を守ろうとした彼らをローエングラム侯支持に纏めたのは親っさんです。彼らが信じたのはローエングラム侯じゃない、親っさんですよ」

そうなんだな、その信頼が重いんだ。それで困っている。アンシュッツには話しておこう。もしかするとそれで何かが見えてくるという事も有るだろう。
「……内乱が起きればまず百パーセントローエングラム侯が勝つでしょうね。どういう勝ち方になるかは分かりませんが彼が帝国の覇権を握る事は間違いない」
「……」

「彼を相手に中立などは有り得ない、中途半端は返って危険です。となれば積極的に味方するしかない」
「なるほど」
アンシュッツがフムフムと言った感じで頷いた。

「問題は彼が勝利を収めた後に起きると思っています。ローエングラム侯は政治を刷新するはずです。その中で辺境にどのように接してくるか……。辺境が貧しいままなら問題は無かった、仮に有っても小さかったと思います。政府も辺境にそれほど関心を示さなかったでしょうし辺境も政府に対し過度な関心など持たなかったはずです」

「そうでしょうな。我々が来るまで辺境は貧しかった。ずっと放置されてきたのだと思いますよ」
「そうですね。しかし徐々にそれが変わりつつある。辺境は豊かになりつつあるんです。政府はそんな辺境をどう思うか……」
「……」
俺が溜息を吐くとアンシュッツも溜息を吐いた。男二人、何やってんだか……。

門閥貴族が没落すればその財産を没収し国家財政を健全なものにする事は可能だろう。だがそれは一時的なものだ。恒常的なものにするのはしっかりとした財源が必要だ。門閥貴族の私有地、これは当然だろう。そして徐々に豊かさを示し始めた辺境……。財務官僚どもが食指を動かすのは目に見えている。

「辺境の住民は豊かになったのは自分達の努力と我々の協力によるものだと思っています。少なくとも政府になど何の恩義もないと思っている。いやむしろ無視されてきたという恨みを持っている。そして困った事は副頭領が言ったように辺境の住民は多少の濃淡はあれローエングラム侯に不信を抱いている……」

「……政府は辺境を搾ろうとし辺境はそれに反発する、ですか」
「政府がごく当然と思う税に対しても不当と思うかもしれない……」
男二人の声は益々小さくなった。大貴族から搾取を受けていた土地は良い。多少の新税を取られてもトータルで見れば税は軽減されるだろう。しかし搾取されなかった土地はどうだろうか、大袈裟だが統治者に対して不信感が有れば苛政と受け取られかねない……。

「なるほど、それでさっきの二人ですか」
「ええ」
「しかし、そうなると辺境と政府の間で軋轢が起きますな」
そう眉を寄せて難しい顔をするなよ、気が滅入るだろう。

「その可能性は有りますね。だからオーディンに事務所を置きたいんです。政府の考えを逸早く、彼らが声に出す前に知りたい……」
アンシュッツが俺をじっと見た。痛いほど強い視線だ。気圧される様な思いがした。

「場合によっちゃあ反乱、独立ですか」
「まさか……」
いかん、思ったより語尾が弱かった。アンシュッツの視線が痛い……。
「一度も考えなかったと?」
「……そんな事をしても辺境が荒れるだけです。意味がない」

政府にとっても辺境にとっても全く意味がない。しかしこの手の問題は理性よりも感情に流れがちだ。“何故俺に従わない”という思いと“お前の言う事など聞けるか”という思い……。俺達はその両者の感情の間で翻弄されかねない。頭の痛い問題だ。

「反乱軍、いや自由惑星同盟は利用できませんか」
囁く様な声だった。気持は分かる、半年前なら可能だったろう。しかし連中を何処まで信用できたか……。支持率アップのために出兵する様な連中だ、到底当てには出来ない。首を横に振った。

「無理ですよ、難破船に救助を頼むようなものです。一緒に沈没するのが落ちですね。それに辺境の住人は同盟を信じていません。この前の戦い、最後は一度配布された食料を奪われました……」
「有りましたね、あれには呆れました。隠してある食料が無事だったから良かったですが、あれまで奪われていたら暴動が起きていましたよ」
「そうですね……」

四面楚歌か……、辺境には味方がいない。俺の持つ兵力など正規艦隊に比べれば笑うしかないような戦力だ。とてもではないが独立も反乱も無理だろう。しかし辺境が不満を持っている、その事自体を危険視、或いは利用しようとする人間が出るはずだ。

先ずはオーベルシュタインだろうな、帝国の辺境が中央に対して不満を持つ、あの男の性格ではそれ自体が許せない事だろう。元帥府で会った時もかなりこちらを、いや辺境と俺の結び付きを警戒していた。やりそうなことは何らかの手段を用いて俺を除く、そしてその事に激高した辺境を叩く。或いは辺境を混乱させ分裂させることで俺を挑発する。そして激発すれば潰す……。ロイエンタールと同じ運命か……。

そしてヤン・ウェンリー……。この世界でもヤンはイゼルローン要塞に居る。帝国軍による同盟領大侵攻が有るのだとすればヤンが考えるのはフェザーンでの反帝国運動、そして辺境の不満を知れば辺境での反乱誘発を考えるだろう。辺境が混乱しフェザーンが混乱すれば同盟領に侵攻した帝国軍は危険な状況に陥る。帝国軍は侵攻を取りやめ引き返さざるを得ない。帰還したラインハルトが最初にやるのは辺境の討伐だろう……。

オーベルシュタインが辺境を危険視するのはそれが有るのかもしれない。同盟を征服しようとすれば国内の不安定要因は予め除いておく必要が有る。そしてオーベルシュタインにとっては辺境と俺は不安定要因という事だ。ヤンにとっても同様だろう……。

邪魔だな、オーベルシュタインとヤン・ウェンリー。辺境にとっては極めて危険で邪魔だ……。あの二人、自分の目的を果たすためには手段を択ばないところが有る。片方は積極的、もう片方は嫌々だが。
「親っさん、どうしました、大丈夫ですか?」
気が付けば肩を揺すられていた。アンシュッツが心配そうな顔で俺を見ている。どうやら思考の渦に飲みこまれていたらしい。

「いや、なんでもありません。前途多難だと思ったんです」
無理に笑顔を浮かべるとアンシュッツがホッとしたように息を吐いた。
「親っさんの考えは分かりました。オーディンに事務所を開きましょう。場所を探させます」
オーディンとイゼルローンか……、危険なのはもう一つ有るな。

「それとフェザーンにも事務所を開きたいですね」
「フェザーンですか……、なるほど、良い考えです。オーディンだけならあれですがフェザーンも一緒なら周囲にはウチの事業拡大と説明できます」
アンシュッツが満足そうに頷いている。事業拡大か……、表向きはそれを装いつつルビンスキーの動きを探らせるべきだろう。

四月になれば内乱が始まる。そろそろ辺境に帰らないといけないだろう。帰る前にカールとフィーアにお土産を買わないと……。ラインハルトは同盟にも内乱を起こさせるべく工作したはずだ。四月になれば帝国も同盟も相手の事を放り出して国内の平定に全力を尽くす事になるだろう……。

……そうか、内乱が始まればラインハルトもヤンも身動きが取れなくなるな。お互いに自分の事だけで手一杯になるはずだ。となれば……、可能かもしれない……。今の俺ならできるだろう、そして内乱だからこそ可能な手だ。危険ではある、タイミングも難しい、だが賭けてみる価値は有る、……やってみるか……。

「……副頭領」
「はい」
アンシュッツが俺を見た。どうする、止めるか、危険は大きい……。ハイリスク、ハイリターンだな……。大きく息を吐いた。

「……二百人程退役軍人を集めてください。比較的若く、実戦慣れしている退役軍人を」
「……退役軍人ですか」
「それとウチの人間で二千人程、しっかりした人間を用意してください」
「親っさん、それは……」
まだ可能性が見えただけだ。実行すると決めたわけじゃない。先ずは準備だ……。不審を露わにするアンシュッツを見ながら自分に言い聞かせた。可能性が見えただけだと……。




 

 

第六話 キフォイザー星域の会戦(前篇)

帝国暦 488年 5月 10日      キルヒアイス艦隊旗艦  バルバロッサ  ジークフリート・キルヒアイス



「黒姫一家のヴァレンシュタインより訪艦の希望が来ております。今後の事で相談したいと……」
ビューロー准将の言葉に思わず表情が動きそうになって慌てて堪えた。もっとも准将もそしてそれを聞いているベルゲングリューン准将も表情は決して好意的なものでは無い。

「出来ればルッツ、ワーレン両提督ともお会いしたいと……」
溜息が出た。そんな私を二人の准将が気の毒そうな表情で見ている。相談など必要無いと断ることもできるだろう。しかし相手は我々の補給を支援してくれる組織なのだ。良好な関係を築く事は今回の軍事活動において必要不可欠と言って良い。補給の出来ない軍隊がどうなるかは昨年のアムリッツアで反乱軍が示している。

「来艦を歓迎すると伝えてください。それとルッツ、ワーレン両提督に来艦要請を」
「はっ」
人間、最低限の社交辞令は必要だ。どんなに嫌な相手でもにこやかに応対しなければならない時が有る。ましてそれが役に立つ人間ならなおさらだ……、溜息が出た。

ルッツ、ワーレン両提督に黒姫が来る事を伝えると二人とも微妙な表情をした。提督達にとっても黒姫は何とも言い難い存在なのだ。前回の戦いではラインハルト様より武勲第一位と評価されている。彼の実力は認めるが軍人としてそれを受け入れるのはなかなか難しいだろう。

黒姫……、黒い姫。海賊達が彼に付けた名だ。黒は悪、強さを表し姫は女性を表す。強く悪い女性……、魔性、最悪の存在だろう。荒くれ者、乱暴者の多い海賊社会で黒姫は一目も二目も置かれる存在だ。そして狡猾なフェザーン商人でさえ彼を怖れている。昨年のカストロプ動乱ではフェザーン商人を蒼褪めさせるほどの荒稼ぎをした。

黒姫が来たのはルッツ、ワーレン両提督が来てから更に十分ほど経ってからだった。一人では無かった、部下を一人連れ更に軍人を二人連れている。見覚えがある、あの二人は……、また溜息が出そうになった。どうやらまたもしてやられたらしい。

「久しぶりですね、キルヒアイス提督。前回お会いしてから半年以上が経ちました、早いものです」
黒姫がにこやかな笑みを浮かべている。華奢で小柄な身体、にこやかな笑み、とても海賊には、黒姫と異名をとる男には見えない。だが騙されてはいけない、この笑みは相手を油断させるための擬態なのだ。この男の本質は血に飢えたサメだ。貪欲で獰猛で狡猾、一旦獲物に喰いつけばその鋭い歯で情け容赦なく喰いちぎる……。

「久しぶりです、黒姫の頭領」
どうせならずっと会いたくなかった……。
「今日は元帥閣下に御味方したいという二人を御連れしました。キルヒアイス提督は既に面識が御有りですよね、ヘルムート・レンネンカンプ提督とカール・ロベルト・シュタインメッツ提督です」

黒姫が横にずれて場所を譲ると二人が前に出た。敬礼をしてくるのでこちらも答礼する。
「ヘルムート・レンネンカンプ少将です。旗下の一翼にお加え下されば光栄です」
「カール・ロベルト・シュタインメッツ少将です。小官もレンネンカンプ少将と同じ思いで有ります」

「御二人を心から歓迎します。元帥閣下も御喜びでしょう」
「喜んでいただけた様でなによりです。御二人の艦隊は少し離れた場所に在ります。閣下に誤解をされてはいけないと思い此処へは私の艦で来ていただきました」
「そうですか、色々とご配慮いただき有難うございます」
黒姫がにこやかに微笑んでいる。レンネンカンプ、シュタインメッツ両提督も嬉しそうだ。

この二人が加わったのは間違いなく嬉しい、ラインハルト様も喜んでくれるだろう。だがそれに黒姫が絡んでいるとなれば話は別だ。おそらくは顔を顰めるに違いない。また点数を稼がれた……。

「大丈夫ですよ、レンネンカンプ提督、シュタインメッツ提督。キルヒアイス提督の顔色が優れないのは御二人の所為じゃありません。私の所為です、そうでしょう?」
ギョッとした。周囲を見渡すと皆が私を見ていた、そして黒姫が可笑しそうに私を見ている。

「何を、一体」
「私が御二人をローエングラム侯の御味方に勧誘した。つまり私が功を上げた、それが面白くないのです。ローエングラム侯は軍人としては大変素晴らしい方で私も尊敬しているのですが金銭に関してはちょっと……」
そういうと黒姫はクスクス笑った。ルッツ、ワーレン、ビューロー、ベルゲングリューン、皆がバツの悪そうな顔をしている。そして黒姫の部下は軽蔑するかのような視線で私を見ていた。

「私達は海賊ですので報酬は金銭で頂くのですが前回の戦いでは非常に嫌な顔をされました。御二人は大丈夫です、軍人ですからね。昇進、勲章、ポストで十分に報いてくれるでしょう。評価も正しくしてくれますよ、海賊でも功を上げれば第一位と認められたのですから」
レンネンカンプ、シュタインメッツが曖昧な表情で頷いている。いけない、しっかりしないと。ラインハルト様をケチだ等と、心が狭い等と周囲に思わせてはいけない。

「黒姫の頭領、なにか誤解が有るようです。私は頭領が御二人を味方に付けてくれた事を大変嬉しく思っています。この事は私から元帥閣下に必ず報告します、元帥閣下もきっと頭領の働きを喜んでくれるでしょう」
私の言葉に黒姫がにっこりと笑みを浮かべた。笑うな! お前が笑うと碌な事が無い。

「失礼な事を申し上げました、お許しください」
黒姫が頭を下げた。そうだ、お前は失礼なのだ。黒姫が頭を下げているのを見ると胸がすっとした。黒姫が頭を上げた、早すぎる……。
「キルヒアイス提督はローエングラム侯の幼馴染で腹心だと聞いています。キルヒアイス提督に喜んで頂けたのですからローエングラム侯にもきっと喜んで頂けると確信しました。これ以上の保証は無いと思います、そうではありませんか?」

黒姫の言葉に皆が渋々頷いた。ベルゲングリューン准将とビューロー准将が気遣う様な目で私を見ている。嫌な奴だ、上手く嵌められた。これで私はラインハルト様にこの男の功績を認めさせなければならなくなった……。出来なければ嘘吐きと呼ばれ、腹心などと言われても影響力など欠片も無いと蔑まれるだろう……。

必死に笑みを浮かべるが頬が引き攣っている様な気がする。この中で心から笑みを浮かべているのは黒姫とその部下だけだろう、またしてやられた……。これで何度めだろう。その後は実務の話になったが三十分ほどで終了した。黒姫とレンネンカンプ、シュタインメッツが立去った。二人の提督は艦隊を率いて合流する事になっている。疲れた……、溜息が出た。

「大丈夫ですか、総司令官閣下」
私の溜息を見てルッツ提督が気遣ってくれた。
「大丈夫です、ちょっと疲れました。彼の相手は疲れる……」
「いえ、そうではなくローエングラム侯への報告の件ですが……」
言い辛そうな表情と口調だった。また溜息が出た。

「あの二人が味方になってくれた事は大きいと思います。今回の内乱だけでなく内乱後の事を考えても……。黒姫が功を立てたのは間違い有りません、その事は評価しなくては……。ローエングラム侯にも御理解いただけると思います」
ラインハルト様は黒姫の功に不満を示すかもしれないな、いや間違いなく不満を示すだろう……。

しかし理解はしてくれるはずだ。そして理解してくれれば評価もしてくれる。レンネンカンプ、シュタインメッツ、あの二人は今後ラインハルト様のために大いに働いてくれるだろう。黒姫ではなくあの二人を評価する、そう考えて欲しいと説得しよう……。

「それにしても駆け引きが上手い、驚くほど強かだ。ああでなければ海賊の頭領など務まらんのだろうな」
「そうだろうな、あの若さで今では三万五千の部下を持つそうだ」
ルッツ、ワーレンの二人が話している。

「私の誤りです。つい彼を不快に思う気持ちが顔に出ていたのでしょう。それを上手く突かれました。そうでなければあんな言質は取られ無かったのですが……」
「……」
「黒姫も不愉快だったでしょうね。彼の部下は私を蔑んでいましたよ。功を立てたのに評価しないと。でも黒姫は一切そんな感情は見せなかった。冷徹に自分の功を私に認めさせました。仕事と割り切っていたのでしょう」
私の言葉に今度は彼ら二人が溜息を吐いた。

考えてみれば私もラインハルト様も決して周囲から評価されたわけでも功を認められたわけでもなかった。その辛さ、苦しさ、腹立たしさは良く分かっている。それなのに……、立場が上になって感情の制御が甘くなったのかもしれない。或いは何処かで彼を海賊と蔑んでいたか……。黒姫も内心では腹立たしかっただろう。だが海賊と蔑まれても三万五千の部下を守るために堪えている……。

「手強い相手だ」
「油断も隙も無い相手だが少なくとも敵では無い、それを喜ぶべきなのだろうな」
「そうですね、敵よりはましです。そう思いましょう」
顔を見合わせ三人で苦笑した。確かに、敵よりはましだ……。



帝国暦 488年 7月 3日    巡航艦バッカニーア  カルステン・キア



いやあ、すげえ騒ぎだぜ。帝国も反乱軍も国内で内乱騒ぎだ。相手の事なんざ放り出してどんちゃん騒ぎをしている。まあ家の中で喧嘩しているのに外に出て行ってまで喧嘩する馬鹿は居ないわな。帝国が二分して反乱軍が二分してフェザーンを入れれば宇宙は五分割されていることになる。こんな訳の分からん事態は前代未聞だ。

反乱軍じゃあ五月にヤン・ウェンリーがドーリアって場所でクーデターに参加した一個艦隊を叩き潰したらしい。ほとんど全滅寸前まで叩いたらしいな、怖い相手だぜ。アムリッツアじゃ補給がこなくて十分には戦えなかったが、補給が十分にされていたらどうなったか……。寒気がする。

先月にはハイネセンで軍と住民の間で衝突が起きたようだ。住民が約二万人殺されたって言っているし兵も千人以上が死んでいる。ヤンがドーリアで勝ったせいでクーデターを起こした連中は追い込まれているみたいだ。それが原因で衝突が起きたんだろう、滅茶苦茶だな。

帝国じゃあ金髪の軍隊が順調に勝っている。内乱が勃発したのは四月だがその月の内にアルテナ星域で勝ってレンテンベルク要塞で勝った。この二つはデカかったな、相手は賊軍って言うんだが(反乱軍だと自由惑星同盟と一緒で区別がつかないって事で名付けたらしい)、この賊軍の中でも頭株のシュターデンって野郎と蛮人オフレッサーが負けたからな。賊軍にとっては痛かっただろう。それ以後も金髪の軍隊は順調に勝っているようだ。

一方辺境じゃあ赤毛のキルヒアイス大将の艦隊が辺境星域にある賊軍の勢力地を平定している。こっちも順調って言って良いんだろうな。金髪みたいに大きい戦いは無いけどそれでも三十回ぐらいの戦いに完勝している。赤毛って結構強いんだな。親っさんにそれを言ったら笑われたぜ、カストロプはまぐれじゃないよって。

そうだよな、赤毛はカストロプの反乱をあっという間に鎮圧しているんだよな。親っさんに言われて思い出したよ、我ながら間抜けな話だ。赤毛の軍隊じゃレンネンカンプとシュタインメッツのオッサンが頑張っているらしい。あの二人、結構年長だからな。金髪の所は若いのが多い、この辺で気張らないとって必死なんだろう。

親っさんも喜んでいる。何と言っても親っさんが自ら引き入れた人間だ、あの二人が功を上げてくれれば親っさんの株も上がるってもんだ。頼むぜ、お二人さん。それにしても赤毛の野郎、最初は親っさんに対して露骨に嫌な顔をしやがったが最近じゃ少しはまともになったな。ちゃんと親っさんに礼を言うようになったぜ。金髪同様顔が良いだけのロクデナシかと思ったがそうでもない様だ。

皆が戦況に一喜一憂する中で親っさんは殆ど反応を表さない。レンネンカンプとシュタインメッツのオッサンが功を上げれば喜ぶがそれもほんの少し微笑んで終わりだ。“それは良かった”、そんなもんだな。それでも感情を出している方だ。

一体何を考えているのかは分からないが一人静かに考え込んでいる。時々副頭領と余人を交えずに話しているけど一体何を話しているのか……。副頭領に訊いても睨まれて終わりだからな、さっぱりわからん。何ていうか、何かを待っている感じだ。

「親っさん、キルヒアイス提督より連絡が入っていますが」
ヴァイトリングの言葉に親っさんが頷いた。正面スクリーンに赤毛が映った。穏やかな笑みを浮かべている。やっぱりこいつ最近変わったよな。前より感じが良い。皆そう言っている。

『黒姫の頭領、ローエングラム侯より新たな命令が届きました』
「……なんと言っておられるのです」
『敵の副盟主リッテンハイム侯がブラウンシュバイク公と確執の挙句、五万隻の艦隊を率いてこちらに向かっているそうです』
五万隻、その数字に周囲がざわめく。親っさんが“静かにしなさい”と言った。大声じゃない、でも皆が沈黙した。

『驚いていないようですね』
「あの二人は仲が悪い。勝っても負けてもいずれは分裂する。だからローエングラム侯もキルヒアイス提督もあの二人を恐れなかった。そうでは有りませんか」
親っさんの言葉に赤毛が苦笑した。

『やはり黒姫の頭領は怖い人だ、頭領が敵でなくてよかった』
今度は親っさんが苦笑した。
「それはこちらのセリフですよ。私には侯とキルヒアイス提督を敵に回す勇気など有りませんね」

赤毛の言うとおりだ。親っさんは時々ヒヤリとする様な怖さを見せるときが有る。ま、そこが良いんだけどな、頭領はそのくらいじゃねえと務まらねえ。……赤毛、お前は苦笑できるだけスゲエよ。俺なんかそんな余裕何処にも無いからな。お前もこの世界に来れば頭領が務まるかもしれねえよ。金髪は如何かな、あいつはちょっと難しいかもしれねえな、感情が出すぎる、まあ鍛え方次第か。親っさんを見習えば化けるかもな。

『表向きは辺境回復を唱えているそうですが事実上の分派行動ですね。ローエングラム侯からはこれを撃破せよとの命令が出ています』
「なるほど」
『戦う前に補給を済ませておきたいと思います』
「合流場所はアルメントフーベルで宜しいですか」
『そうしていただけますか、お願いします』

赤毛との通信が終わると親っさんは補給の準備をするように指示を出した。バッカニーアの中は皆興奮してる、何と言っても五万隻の敵だからな、しかもリッテンハイム侯が出てくる。これまでみたいな小さな戦いじゃない、大会戦は必至だろう。どんな戦いになるのか……。

「親っさん、戦場はどの辺になりますか」
ヴェーネルトがちょっと頬を紅潮させながら親っさんに声をかけると親っさんはチラッとヴェーネルトを見て苦笑した。しようが無い奴、そんな風に思っているのかもしれない。

「キフォイザー星域になるでしょう。リッテンハイム侯はガルミッシュ要塞を根拠地としてキフォイザー星域から辺境制圧を目指す筈です。キルヒアイス提督はリッテンハイム侯をキフォイザー星域で撃破しそのままガルミッシュ要塞を攻略する……」

うーん、なるほどな。だからアルメントフーベルで補給を済ませるのか。やっぱり軍人として教育を受けているせいだろうな。親っさんにはスラスラっと流れが見えちまう。赤毛も了承したって事は赤毛にも見えたって事か。俺なんざ、言われてみてなるほど、だもんな……。少しは見習わないと……。
「キフォイザー星域には私達も行きますよ」

親っさんの言葉に皆が驚いた。俺達は今回の内乱、これまで戦場には出ていない。あくまで補給の支援だけだった。それが戦場に出る、皆顔を見合わせた……。
「戦うんですか、親っさん」
ウルマンの質問に親っさんがクスクス笑いだした。親っさん、頼みますよ、笑うのは止めてください。寒くて仕方ねえや、またとんでもねえ事考えてるでしょう。

「キフォイザー星域の会戦はリッテンハイム侯にとって最後の戦いになるでしょう。というわけで私達はリッテンハイム侯の奮戦ぶりを観戦しに行くのです。観戦者は私達くらいしか居ないでしょうね。記憶に残る戦いぶりになると思いますよ、名勝負にはならないかもしれませんが……」
そう言うと親っさんはまたクスクスと笑い出した。さ、寒い……、皆引き攣ってますぜ、親っさん……。


 

 

第七話 キフォイザー星域の会戦(後編)

帝国暦 488年 7月 20日   キフォイザー星域  巡航艦バッカニーア  カルステン・キア



キフォイザー星域に大軍が集まっている。赤毛の艦隊が約五万隻、リッテンハイム侯の艦隊が約五万隻、両軍合わせて十万隻を超える艦隊がキフォイザー星域に集結して戦おうとしている。こんなの初めて見るぜ。巡航艦バッカニーアの艦橋は静かな興奮に包まれている。親っさんが居るから皆静かにしているがそうじゃなきゃ大騒ぎになるところだ。

黒姫一家の艦隊は約二百隻、両軍から少し離れた場所で待機している。当初アルメントフーベルで補給をした時、戦いを観戦したいと親っさんが言うと髭を生やした赤毛の部下が
“我々に戦わせて海賊は観戦か、良い身分だ”
と言いやがった。ふざけやがって。

もっとも親っさんの方が上だけどな。
“負けそうになったら助けてあげます。海賊に助けられたなどと言われないように頑張るんですね”
髭め、真っ赤になって何か言いだそうとしたけど赤毛に止められて悔しそうにしてたな。ザマーミロ、髭。お前なんかが親っさんに嫌味なんて百年早いんだよ。最低でも片足棺桶に突っ込んでからにしやがれ。その場で俺が残りの片足も圧し折って棺桶に叩き込んでやる。

まあ最後は赤毛が観戦を許可してくれたけどな。
“黒姫の頭領の手を煩わせないように頑張りましょう”
って笑いながら言ってた。やっぱり上に立つにはこのくらいの度量は欲しいぜ。赤毛の大将、なかなかやるじゃねえか。俺達の間でも人気急上昇中だぜ。

「親っさん、赤毛の大将の陣ですけど変な形ですね」
俺の問いかけに親っさんが溜息を吐いた。
「キルヒアイス提督と言いなさい。失礼ですよ」
「すいません、で、その赤毛のキルヒアイス提督ですけど……」
「……」

親っさん、なにもそんな呆れた様な顔をしなくても良いじゃないですか。本当にこんなヘンテコな陣、初めて見ましたよ。戦術コンピュータを見てもスクリーンを見ても変だとしか思えない、何だこれ? このまま敵に突っ込むのか? どういう戦いになるのか、さっぱり予想がつかない。

「カルステン・キア、赤毛は要りません。キルヒアイス提督です」
「あ、はい」
「……」
「でも親っさん、赤毛はやっこさんの二つ名ですよ。それ、取っちゃうんですか」
「……キア、カルステン・キア、キルヒアイス提督です」
「はい……」

そんなもんかね、俺には赤毛のキルヒアイスの方が格好良さげに思えるけど。挨拶なんかも
“よう、赤毛の、元気かよ”
こんな風に言われた方が粋だぜ。親っさんだって他の頭領達からは黒姫って呼ばれてるんだから分かりそうなもんだけど親っさんは妙な所で堅苦しいからな。副頭領の前ではぶん殴られるから言えないが困ったもんだぜ。

「キア、あれは斜線陣と言うのです。キルヒアイス提督の軍は先ず左翼が敵と交戦し、少し時間を置いて右翼が敵と交戦する」
なんだそれ、よく分かんねえな。時間を置くことに何の意味が有るんだ。皆の顔を見たけどやっぱり不思議そうな顔をしている。そうだよな、分かんねえよな、親っさんは分かるのかな。

「よく分かりませんがその時間を置くという事に何か意味が有るんですか? 多分皆疑問に思っていると思うんですが……」
ウルマンが首を傾げながら親っさんに話しかけた。ウルマンの言うとおりだ、皆頷いている。親っさんがチラッとウルマンを見た。

「もうすぐ戦いが始まります。良く見ておきなさい、戦いと言う物がどういうものか、分かるはずです。……映像、録っていますか?」
「はい、キルヒアイス提督の陣、リッテンハイム侯の陣、両方をそれぞれ撮っています」
俺が答えると親っさんは黙って頷いた。



帝国暦 488年 7月 20日   キフォイザー星域  巡航艦バッカニーア  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



両軍が動き始めた。原作通りだな。周囲は騒いでいるが俺にとってはなんか一度見た番組を再放送で見ている様な気分だ。変だよな、原作で読みアニメで見て現実に見るか……。とてもじゃないが興奮だの血が騒ぐなんて事にはならない。ただただ不思議な気分だ。

リッテンハイム侯の軍は酷いな。艦の配列が滅茶苦茶だ。要するに貴族単位で纏まっている、それだけなんだろう。しかもその貴族が艦の配列なんて何も考えていないに違いない。配列の滅茶苦茶な艦隊がぐちゃぐちゃに集まっている。それがリッテンハイム侯の軍隊のようだ。

ルッツの艦隊が攻撃を始めたな。まだ本格的な攻撃とは言えないがリッテンハイム侯の艦隊には損害が出始めた。逆にリッテンハイム侯の艦隊は未だ有効射程距離に入らない。焦るよな、これは。ようやく当たるかなと思ったらワーレンとキルヒアイスが攻撃をかけてくる。どっちを攻撃するか迷っている間にキルヒアイスに突っ込まれる……。

その先どうなるかは見えている。キルヒアイスに突入され恐怖にかられたリッテンハイム侯が敗走、その逃走路を後方から来た輸送部隊が塞ぐ形になった。そしてさらに恐慌にかられたリッテンハイム侯は輸送部隊を攻撃し自らの逃走路を確保した。輸送部隊は味方に攻撃されて壊滅、悲惨としか言いようがない結果だ。

本で読んでいる分には悲惨で有り同時に愚劣に過ぎると軽蔑できた。だがそれが現実になる……。結果が分かっているのに止められない。せめてビューローやベルゲングリューンぐらいの立場にあればな、可能性を指摘する事も出来るだろうし別な戦い方も出来るだろう。

だが今の俺は海賊だ、発言力なんて殆ど無い。大体戦闘に参加しないんだからな。役に立つような戦力じゃないし、参加しても戦死者が出るだけで何の意味もない。後方支援に専念するのが分相応だろう。輸送船を分捕る事も考えたがそれだとキルヒアイスの作戦そのものが崩れかねない。しかも海賊が私利のために作戦を台無しにしたと非難されるだろう……。

黙って見てるしかないな、そしてそこから最大の利益を得るように行動する。そうでもしなければやりきれない。でもな、それってオーベルシュタインと全く同じだ。義眼は積極的に、俺は嫌々、でも利用し利益を得ようとするのは同じ……。

あの男を嫌っていながら同じ事をする、皮肉だよな、いやあくどくなったのかな。奴が人間の屑なら俺も人間の屑だ。最近はそれを考えるとついつい笑ってしまうよ、そしてそんな俺を周囲は怖がっている。海賊らしくなったんだろう、良い事だよな、俺は海賊の頭領なのだから。

「親っさん、何が可笑しいんです。さっきからクスクス笑っていますけど」
キアが不思議そうな顔をしている。キアだけじゃない、皆だ。自分が屑で有る事に気付いたから、とは言えないな。しかし少しは格好付けたい気分ではある。さて、なんと答えるか……。

「……軍人と言うのは人を殺すのが仕事です。私は軍人を辞め海賊になった、人を殺さなくても良くなった……」
「良かったじゃありませんか」
キアが周囲を見回した。皆頷いている。

「そうですね、その代わりに人が殺し合うのを黙って見ている事になった。殺し合うのと殺し合いを黙って見ているの、どっちが楽だと思います? なかなか笑える想像でしょう」
俺が笑い声を上げると皆が引き攣った表情をした。笑えるよな。

「お、親っさん」
「始まりましたよ、キア」
皆がスクリーンを見た。ワーレンが、キルヒアイスが動き出す。速いな、キルヒアイスの巡航艦八百隻は弧を描いてリッテンハイム侯に近付くがそれでも速い。そしてワーレンが良いタイミングで攻撃をかけだした。リッテンハイム侯を迷わせるには十分だ。その一瞬の迷いが勝敗を、生死を別ける……。惨劇の始まりだ……。



帝国暦 488年 7月 20日   キフォイザー星域  巡航艦バッカニーア  カルステン・キア



「ス、スゲエ!」
「何だよ、あれ」
「信じられねえ!」
彼方此方で声が聞こえる、実際スゲエとしか言いようがねえ。なんかいきなり千隻ぐらいの艦隊が飛び出したと思ったらあっという間にリッテンハイム侯の艦隊の横っ腹を食い破っちまった。

「親っさん、あれ」
話しかけると親っさんはチラッと俺を見た。嘘だろ、信じらんねえよ、興奮なんて欠片もねえ。
「リッテンハイム侯は一瞬ですけどあの小部隊を相手にするか正面からくる部隊を相手にするか迷った。それがあの結果です。キルヒアイス提督はほんの少し時間を置く事で相手を混乱させたんです」

はあ、そう言う事かよ。なんか興奮してるのが馬鹿みたいに思えてきた。皆も同じ想いだったんだろうな、黙り込んじまったよ。
「それにしてもキルヒアイス提督もワーレン提督も見事としか言いようがない、流石ですね」

本当にそう思ってんのかな、なんか親っさんはクール過ぎて調子が狂うよ。あ、横っ腹食い破った小部隊が外に出た! おいおい、また中に入り込むぜ!
「そろそろ終わりますよ、正面のルッツ、ワーレン艦隊が全面攻勢に出る。内と外、両方から混乱するんです。リッテンハイム侯は堪えられない」

ホントだ、外の艦隊がスゲエ勢いで攻勢をかけてくる。リッテンハイム侯の軍は混乱しまくってるだけで何にもできてねえ。駄目だな、こりゃ……。人間だって下痢してる時に殴り合いなんて出来るわけがねえ。あっという間に叩きのめされちまう、こっちも同じだぜ。

「親っさん、逃げ出しましたぜ!」
ウルマンの声に親っさんは反応しなかった。黙ってスクリーンを見ている。言われなくても分かってる、そんな感じだ。恰好良いぜ、眉一つ動かさないってのは親っさんのために有るみたいだ。

「あれ? 逃げる方に輸送船が有りますぜ」
「おい、あれ」
「どうすんだよ、あれ」
おいおい、艦隊の逃げる方向に輸送船団が有る。あのままじゃ逃げるのに邪魔だ、どうすんだ、間に合わねえぞ。

親っさんを見た、何の反応もねえ。
「親っさん、あのままじゃ輸送船が……、親っさん?」
親っさんが俺達を見た。冷たい眼だった。
「出来る事は有りません、黙って見ていなさい」
「……」

逃げる艦隊が輸送船を砲撃した。味方を撃ったのかよ……、輸送船なんて武装もなけりゃ装甲も貧弱だ。あっという間に爆発していく。そしてそれを蹴散らすようにリッテンハイム侯が逃げていく。敵を蹴散らしてじゃねえ、味方を蹴散らして逃げていく……。親っさんの言う通りだ、何にも出来ねえ……。巡航艦バッカニーアの中は静まり返っちまった。皆顔を見合せている……。

「キルヒアイス提督との間に通信を繋ぎなさい」
「あ、はい」
繋いでどうすんだ? 追撃にでも参加するのか? それとも御祝いでも言うのかな……。でも、今は言いたくねえな。皆も困ったような顔をしている、何だか分かんねえけど赤毛を呼び出した。

「攻撃を停止してください。輸送船の負傷者の救出を優先すべきだと思います」
あ、そうか、そうだな、まだ生きている連中がいるよな。そいつらを助けなきゃ、多分救援を待ってる……。
『何を言う、ここは追撃して戦果を拡大すべきだ』
答えたのは髭だった。もう一人の奴も頷いている。赤毛は無言だった。

「彼らは味方に攻撃されたのですよ。私達が助けなければ一体誰が助けるのです。一人でも多く救うために今すぐ救助を始めるべきです」
『……』
皆黙っている。敵を殺すのか敵を助けるのか……。

「リッテンハイム侯はガルミッシュ要塞に戻るはずです。我々は今の戦いを録画してありますからそれを通信で流しましょう。自分達の指揮官の正体を知れば兵達は何のために戦うのか疑問に思うはずです。場合によっては降伏という事も有り得ます。攻撃は急ぐ必要は有りません」

親っさんの言葉に赤毛が頷いた。
『救難信号も出ています、黒姫の頭領の進言を受け入れましょう。ガルミッシュ要塞の攻略は急ぐ必要は有りません。救助を優先します』
髭ももう一人も赤毛の決めた事には反対しなかった。

通信が終わると俺達の艦隊も救助に参加したんだが親っさんはずっと無言だった。遣る瀬無かったのかもしれないな。
“出来る事は有りません、黙って見ていなさい”
あの時の親っさんは冷たい目をしていた。あれ、ワザとだな。何も出来ないから敢えて冷たい眼で俺達を黙らせたんだろう。親っさん、俺達が騒ぐのが辛かったんだ……。

キフォイザー星域の会戦は赤毛の完勝に終わった。リッテンハイム侯の率いる五万隻、その内一万五千隻が完全に破壊された。ガルミッシュ要塞に逃げ込んだのは約五千隻、その他に五千隻程が行方不明になっている。残り二万五千隻は捕獲されるか降伏した。

リッテンハイム侯はガルミッシュ要塞で捕虜になった。親っさんの言う通りだ、味方を殺して逃げた事で皆リッテンハイム侯に愛想を尽かしたらしい。おまけに侯は酒に逃避して酔い潰れていたそうだ。そんな姿を見たら馬鹿馬鹿しくて戦う気になれなかったのだろう。兵達は侯を捕虜にして降伏した。キフォイザー星域の会戦の二日後だった。

親っさんは赤毛から随分と感謝された、無駄に戦わずに済んだってね。でも親っさんはあまり嬉しそうじゃなかった。酷い戦いだったからな、なんとも後味の悪い戦いだったし嫌って言うほど自分達の無力さを思い知らされた戦いでもあった、親っさんは素直に喜べないんだと思う。俺だって喜べない。

親っさんの言う通りだよ。殺し合うのと殺し合うのを黙って見ているの、どっちが楽か……。俺には分からなかった。皆に訊いても分からないって言っている。これからも分からないんだろう、大体答えなんて有るのかどうか……。親っさんに訊けばいいのかもしれないが、何となく聞けずにいる。聞くのが怖いのかもしれないけどな。

この戦いの唯一の慰めはリッテンハイム侯が惨敗した事で辺境星域の覇権はローエングラム元帥の物になったって事だ。ブラウンシュバイク公も劣勢らしいし挽回は不可能だろう。親っさんが言ってたからな、まず間違いはねえ。赤毛は辺境星域の平定が終わったら金髪の所に行くらしい。それほど先の事でもないだろうな。

多分俺達も同行するんだろうな。金髪には俺達の功績を評価してもらわなくちゃ。レンネンカンプ、シュタインメッツの勧誘だろ。補給による支援、そして今回の要塞攻略。まあ前回みたいな大金は貰えないかもしれないがそこそこは貰えるだろう。赤毛も俺達を評価してくれているからな。早く内乱なんて終わって欲しいよ。辛気臭くってやってられないからな……。


 

 

第八話 これが歴史です

帝国暦 488年 8月 2日   ガルミッシュ要塞  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「どういう事なんですか、親っさん」
「どういう事って、馬鹿げた話ですよ。逃がしてくれと言っています」
「逃がしてくれ?」
「ええ」
俺が頷くとアンシュッツが信じられないといったように首を横に振った。

「馬鹿げているでしょう?」
「ええ、馬鹿げていますね。一体何を考えているのか」
「今になって内乱を起こしたことを後悔していますよ」
「愚かですな」

キフォイザー星域の会戦後、俺達はキルヒアイスの了承を得てガルミッシュ要塞に居る。そんな俺に捕虜としてこの要塞に抑留されているリッテンハイム侯が会いたいと言ってきた。貴族連合の副盟主と会う、ちょっと危険かなとも思ったが、何か役に立つ情報を持っているかもしれない、そう思った。キルヒアイス、レンネンカンプ、二人の了承を得て会ったんだが……。

逃がしてくれ、それだけだもんな。金は後で払うなんて言ってるけど奴の財産なんて危なくて貰えないよ。大体だ、奴の逃亡なんて手伝ったらこっちまでお尋ね者だろう。黒姫一家は海賊かもしれないが犯罪者集団じゃないんだ。論外だな。もう少し面白い話が聞けるかと思ったんだが……。例えばリヒテンラーデ公の弱みとかゴールデンバウム王朝の隠し財宝の伝説とか……。

キフォイザー星域の会戦後、ガルミッシュ要塞は降伏した。キルヒアイスはガルミッシュ要塞にレンネンカンプを留守司令官として残し自身は辺境平定に向かっている。キフォイザー星域の会戦後は残敵掃討みたいなもんだ、掃討は順調に進んでいる。

順調過ぎて少々拙い事になっている。俺が流したキフォイザー星域の会戦の映像だがあれが思った以上に効力を発揮しているらしい。ガイエスブルク要塞を本拠とするブラウンシュバイク公の軍隊にも影響しているようだ。逃亡兵が続出していると聞いている。予想よりも早く内乱が終結する可能性が有る、というよりまず間違いなく早く終わるだろう……。

つまりだ、キルヒアイスが戻る前に内乱が終結する、リップシュタット戦勝記念式典にキルヒアイスが間に合わない可能性が有るということだ。いや式典そのものはキルヒアイスを待つとしても捕虜の引見は先に済ませるかもしれない。となるとラインハルトの傍には武器を所有している人間が誰もいないことになる。

アンスバッハのテロを防ぐことが出来ないって事だな、ラインハルト死すか……。良いかもしれない、考えてみればオーベルシュタインなんてラインハルトが居て初めて能力を発揮するタイプだろう。ラインハルトの寄生虫みたいなもんだ。宿主が死ねば寄生虫も死ぬ。辺境や俺を必要以上に敵視する奴は居なくなる……。

その後はどうなるかな。リヒテンラーデ侯の粛清までは行けるかもしれない。しかしその後はどうか……。キルヒアイスがラインハルトの後継者になれるか……。難しいな、奴には権力欲が無い。腑抜けになって終わりって可能性も有る。ロイエンタール、ミッターマイヤーが主導権を握る?

不安定だな……、権力を握りかけた人間が握りかけた権力を諦められるだろうか? 一つ間違うともう一度内乱になる可能性が有るな。同盟の軍事力が低下している今、内乱を起こすだけの余裕が帝国にはある。帝国の分裂か、そうなると辺境の未来は明るいとは言えないな……。

やっぱりラインハルトか。彼を助けオーベルシュタインを無力化する。それが俺にとっても辺境にとってもベターだ。材料は多い方が良いんだがその材料の一つ、ヴェスターラントの惨劇、こいつがどうなるか分からない。起きない可能性も有るだろう。

ここに居た方が対応しやすいと思って待っていたんだがブラウンシュバイク公も自分の事で手一杯でヴェスターラントに関わっているような余裕は無いかもしれない。いや、例え有ったとしてもキフォイザーだけで十分、ヴェスターラントを見殺しにする必要は無いとラインハルト、オーベルシュタインが判断する可能性も有る。

問題は何時シャイド男爵がヴェスターラントから叩き出されるかだ。何度か暴動が起きているのは分かっている。もう八月二日だ、時期的にもう少し後だと思うが今起きてもおかしくは無い……。キアを始め若い連中には貴族の私有地について状況を調べろと言って有る。じりじりしながら待っているんだが、何も起きない可能性も有る、或いはヴェスターラント以外で事が起きる可能性も有るだろう。さっぱり読めない。

「ところで例の件、どうしますか。何時でも行けると爺さんからは連絡が来ています」
「そうですか……」
ヴィルヘルム・カーン、爺さんと呼ばれる男……。先代の信頼する友人であり部下だった。先代の死後、身体が思うように動かなくなったと言って艦を降り後方を纏めている。

「上手く行くと思いますか?」
俺が問いかけるとアンシュッツはちょっと小首を傾げた。不安にさせるなよ……。
「さあ、私には分かりません。しかし、やるなら今しかないでしょう。爺さんも今しかないと言っています」

そうなんだ、やるなら今しかない。しかしなあ、迷うよ。
「難しい任務になる、と思います。そこまで危険を冒す必要が有るのか……。自分で計画していてなんですが、どうにも判断できない……」
「親っさんは運が良いですからね。上手く行くんじゃないかと思うんですが」
アンシュッツ、笑いながら言われても少しも自信がつかないぞ。この運ってのが当てにならないんだ。こいつを信じて失敗した奴は幾らでもいる。

「運の良い人間と言うのは何処までを運に任せるか、それを理解している人間だそうです」
「なるほど、深いですな」
全くだ、深すぎて俺にはさっぱり分からん。何処までを運に任せれば良いんだ? 俺に分かるのは丸投げは拙い、そのくらいだ。

「爺さんは親っさんらしいと言ってますぜ。小さくは張らない、デカく張ってデカく儲ける。親っさんらしい博打だと」
「私は博打はしませんよ」
「まあそうですけどね」

決断力が無いな、俺は。悩んでばかりで先に進めない。いきなりドアが開いて“親っさん、大変だ”と叫びながらキアが飛び込んできた。八って呼びたくなるな。
「馬鹿野郎! ノックぐらいしねえか!」
「すみません、副頭領。大変な事が」
「チッ、何が有った」

「ヴェスターラントで反乱が、シャイド男爵が殺されたって」
「殺された?」
「はい、シャイド男爵はブラウンシュバイク公の甥だそうです」
アンシュッツが俺を見ている。原作より明らかに早い、そして過激になっている。俺の所為だ、あの映像の所為だろう。ブラウンシュバイク公が、ラインハルトがどう出るかは分からない。しかし、俺は俺に出来る事をすべきだ。

「出ますよ、ヴェスターラントに行きます。準備を」
俺の言葉にキアが“分かりました”と叫んで部屋を出て行った。
「副頭領、ヴィルヘルム・カーンに伝えてください。八月二十日、作戦を開始せよと」
「分かりました」
アンシュッツが一礼して出て行く。やってみよう、辺境を守るためだ。自分の運を信じてみよう……。



帝国暦 488年 8月31日   ガイエスブルク要塞   カルステン・キア



なんかあっという間だったな。あっという間に貴族連合は潰れちまった。まるでアイスが溶けるみたいに無くなっちまったんだ。キフォイザー星域の会戦が有ったのが七月の二十日。その二日後にはリッテンハイム侯が捕虜になった。それから一ヶ月ちょっとで今度はブラウンシュバイク公が死んだ。あっけないもんだな。

やっぱりあれが効いたな。ブラウンシュバイク公の甥、シャイド男爵がヴェスターラントの住民に殺された時、ブラウンシュバイク公はヴェスターラントに核攻撃を加えようとしたんだ。それを親っさんが食い止めた、攻撃しようとしていた艦を捕獲すると乗組員にブラウンシュバイク公にヴェスターラントを核攻撃するように命じられた事を供述させた。そしてそれを映像に録り放送した。

いやあ、スゲエ騒ぎだったぜ。いろんな奴が親っさんに連絡を入れてきた。貴族連合軍の兵士もいれば討伐軍の兵士もいた。ヴェスターラントの住民からも有った。住民からは何度も何度も有難うと礼を言われたよ。素直に嬉しかったな、良い事をしたんだって実感できた。そして金髪……。

金髪の奴、ホッとした様な顔をしていたな。何時も親っさんに突っかかるのに素直に礼を言ってた。でもなあ、それじゃあ済まねえんだよ。俺達が捕獲したのはブラウンシュバイク公の派遣した艦だけじゃなかったんだ。他にも討伐軍の艦も捕獲したんだよ。

連中はな、ブラウンシュバイク公の派遣した艦がヴェスターラントに核攻撃を加えるのを録画してこいって言われてたんだ。止める必要は無い、録画して来いってな。命じたのはオーベルシュタイン総参謀長、あの死人みてえに顔色の悪い奴だ。親っさんがそれを言ったら金髪の奴、引き攣ってたな。

金髪の奴、知らなかったのかな。一度話をしたいって言ってたけど親っさんは内乱が終結したらガイエスブルク要塞に行くって答えた。連中の証言を録画してあるから妙な事は考えるなって言ってね。金髪はそんな事はしないって怒ってたけど親っさんがオーベルシュタインに釘を刺しとけって言ったら黙り込んじまった。

ブラウンシュバイク公は哀れだったな。兵士が皆逃げちまって戦う事さえままならなくなったらしい。貴族の中には将来に悲観して自殺する人間も居たみたいだ。最後の一戦を挑んだが艦の中で平民出身の兵士が貴族の士官を殺したりしてまともに戦いにならなかったって聞いている。大敗して要塞に戻ったけどどうにもなんなくて自殺したようだ。

親っさんはこれから金髪に会いに行く。金髪は今日捕虜を引見して待遇を決めるんだそうだ。まあ使える奴は部下にしようって事だろう。本当は戦勝記念式典でやりたかったらしいが赤毛がまだ来てないからな。何時までも捕虜を捕虜のままにはしておけないって事だ。元々は帝国人だし、事情が有って敵になった奴もいるだろう。

親っさんはそれに立ち会いたいと金髪に言って金髪が了承した。多分、例の話と黒姫一家の報酬も決めるんだろう。金髪にしても戦勝記念式典はそういう面倒なのを終わらせてからにしようって考えも有るのかもしれない。祝い事ぐらいは変に気を回さずに祝いたい、そんなところかもな。

要塞の中を式場に向かう。親っさんと副頭領、俺、ウルマン、ルーデル、ヴァイトリング、ヴェーネルトの七人だ。親っさんの前を俺とウルマン、後ろをルーデル、ヴァイトリング、ヴェーネルトが守る。副頭領は親っさんの隣だ。問題はねえんだろうけどな、念のためだ。何と言っても周囲の壁や柱には銃撃の跡が有る、ここでも殺し合いが有ったって事だ、嫌でも緊張するぜ。多分要塞の中で平民と貴族の殺し合いが有ったんだろう。酷い戦いだったってのが一目で分かるよ

式場に着くと入り口で衛兵が武器を持ち込むなと言いやがった。預かるから寄越せと。何考えてやがる、この馬鹿。俺達海賊に武器を渡せだと? 海賊の世界じゃなあ武器を渡せってのはお前らは信じていないって事なんだよ、客を迎える態度じゃねえ。つまりいつでもドンパチ始めるぞって事だ。

結局俺達は武器携帯のまま式場に入った。説得したんじゃねえよ。いや、あれも説得の一種なのかな。親っさんが野郎にブラスター突きつけて脅しあげたんだ。野郎、最後は蹲って泣いてたぜ。無理もねえな、俺だって親っさんが野郎を殺すんじゃないかってビビったくらいだ。親っさんって怖いよな、ニコニコしながら脅すんだから。あれが出来るのは親っさんだけだ

俺達が入ると皆妙な目をしてこっちを見た。唯一俺達に好意的な目で見たのはのっぽだけだぜ。奴さんは親っさんの親友らしいからな、嬉しいぜ。親っさんは何も言わずに式場の端の方に向かった。納得いかねえよな、連中は式場の中央で俺達は端かよ。でもまあ親っさんが決めた事だからな、しょうがねえか。

金髪が入って来ると左右に分かれた軍人達が皆敬礼した。こういうの見ると軍人って格好いいよな。俺達も何かすべきなのかなと思ったけど親っさんは何もしないしな、ただ黙って見てたぜ。金髪の野郎、俺達を見てちょっとムッとしてたな。相変わらずちいせえ男だぜ。親っさんを見ろよ、背はちいせえが人間はデカいぞ。

捕虜が連れてこられて金髪が処分を決めている。死罪と言われて泣きながら引き摺られて出て行く奴もいれば部下になる事を許され式場に留まる奴もいる。こうしてみると金髪もスゲエな。これでもう少し気前が良ければなあ、ケチなのが欠点だよ。それさえなければ親っさんとだって上手く行くのに。

何人かの処分を下した後、式場に入ってきたのは妙な野郎だった。黒髪の冴えない中年男がガラガラ音を立てて特殊ガラスケースと一緒に入って来たんだ。何だ? と思っていると親っさんがタンタンと腰のブラスターを叩いた。皆、顔を見合わせたよ。親っさんがブラスターを叩いたって事は注意しろって事だ。そんな滅多に有る事じゃねえ。慌てて気を引き締めなおしたぜ。

周囲から変な笑い声が聞こえる。この中年男を笑ってるんだろう、なんか嫌な感じだぜ。中年男が俺達の前を通り過ぎようとした時だった。親っさんがブラスターを抜いて一歩前に出た。
「そこまでです、アンスバッハ准将。止まりなさい」

男が足を止めて親っさんを見た。親っさんはブラスターを男に向けている。
「何のマネだ」
低い落ち着いた声だ。ブラスターを向けられても全然怯えてねえ。こいつ、かなりやばいぜ。

「全員ブラスターを構えなさい」
親っさんの指示に慌ててブラスターをブッコ抜いて男に向けた。それでも野郎は少しも動じない。無表情に黙ってこっちを見ている。
「どういうことだ、黒姫」

金髪が声を出した。野郎の部下も不審げな顔をして俺達を見ている。親っさん、大丈夫ですよね、ブラスター向けたのは間違いじゃないですよね。
「アンスバッハ准将は降伏などしません。彼がここに来たのは閣下を殺す為です」

式場の中は一気に騒然とした。金髪の部下も何か言いながら親っさんとアンスバッハを見ている。
「私はこの通り丸腰だ。卿は何を言っているのだ」
「武器はブラウンシュバイク公の遺体の中に隠した、そうでしょう」

ブラウンシュバイク公? じゃああれはブラウンシュバイク公の遺体かよ、それに武器を隠した? 本当か?
「……何か誤解が有るようだな。ならばここからは私だけで行こう。それなら閣下は安全だろう」

アンスバッハが親っさんに提案したが親っさんは首を横に振った。
「無駄ですよ、アンスバッハ准将。あなたの指輪ですがそれがレーザー銃であることも分かっているんです。近距離でなければ命中精度が下がる。確実を期すために近づこうとしているんでしょうが、無駄です」

ざわめく式場の中、アンスバッハの表情が変わった。さっきまでの無表情じゃねえ、親っさんを睨みつけている。憤怒ってのはこういう顔だろう。
「……何故分かった」
低く押し殺した声だ。だがその言葉に皆がどよめいた。本当だったんだ、親っさんの言う通りだったんだ。

「オーディンにあるウチの事務所がとんでもない事を知らせてきました。ブラウンシュバイク公の部下とリヒテンラーデ公が密かに連絡を取り合っていると」
え、そうなの。オーディンにウチの事務所が有るのは知っている。でもそんな報せが入ったなんて全然気付かなかった。俺だけじゃないぜ、ウルマンもルーデルも妙な顔をしている。初耳なんだろう。

「公の部下が出した条件は一つ、ブラウンシュバイク公爵家の存続。リヒテンラーデ公が存続の代価として求めたものはローエングラム侯の死。そうですね」
「馬鹿な、何を言っている」
あれ、何だ、アンスバッハの野郎、妙な顔をしているぞ。

「今回の内乱でブラウンシュバイク公爵家は力を失った。小娘一人生かしておいても問題は無い。いずれ陛下が扱い辛くなれば、代わりに彼女を女帝として担いでも良い。その時はリヒテンラーデ一族の男性を女帝夫君とする。権力は永久にリヒテンラーデ一族の物……」

親っさんが話し終わると沈黙が落ちた。誰も喋らずに押し黙っている。やがてアンスバッハが笑い出した。
「そうか、そういう事か、恐ろしい男だな、黒姫。私を利用してリヒテンラーデ公を粛清するか……。まさか海賊がそんな事を考えるとは……」
え、それって、つまり、でっち上げって事か? 親っさんを見た、無表情に笑い続けるアンスバッハを見ている。

「ブラウンシュバイク公、お許しください。この無能者は誓約を果たせませんでした。金髪の孺子が地獄へ落ちるにはあと何年かかかりそうです。力量不足ながら私がお供します」

何人かが”毒を飲んだ”、“止めろ”って言って動き出そうとしたけど親っさんが“動くな”と言ってブラスターをそっちに向けた。誰も動けない中、アンスバッハがガラスケースに倒れ込んだ。派手な音と共にケースも横倒しになって中からブラウンシュバイク公の遺体が飛び出してきた。ハンド・キャノンもな。親っさんが居なかったら金髪は間違いなく死んでいただろう。

誰かが“真相が”って呟いた。皆が親っさんを見ている。親っさんの所為で真相が分からないと思っているんだろう。実際何処までが本当で何処からが嘘なのか俺にもさっぱり分からねえ。

「必要ありません、真実も事実も必要ない。これが歴史です」
親っさんだった。親っさんはそのまま周囲を見渡した。皆視線を合わせられずに俯いている。親っさんが金髪に向かって歩き出した……。



 

 

第九話 オーベルシュタイン

帝国暦 488年 8月31日   ガイエスブルク要塞   カルステン・キア



“真実も事実も必要ない。これが歴史です”
痺れたぜ、本当に痺れた。金槌で脳天ぶっ叩かれたみたいな感じだ。親っさんの言うとおりだぜ、真実とか事実とかそんなものはどうでも良いさ、これが歴史だ。そして俺達は海賊黒姫一家なんだ。何処までも頭領である親っさんに付いていく、それで十分じゃねえか。真実とか事実とか詰んねえ事をグダグダ悩む必要はねえ。

親っさんが金髪に向かって歩いていく。アンスバッハ、ブラウンシュバイク公の遺体を避けゆっくりとだ。副頭領も後をついていく、俺達も後に続いた。右手にはブラスターを持ったままだけど良いのかな。拙い様な気もするけど親っさんもブラスターを抜いたままだ。親っさんがしまうか、俺達にしまえと言うまでは持ってて良いんだろう。

親っさんが金髪から五メートルくらいの所で止まった。副頭領が親っさんの後ろで、俺達はさらにその後ろで止まる。周りの視線が痛いぜ。何か文句あんのか、金髪を救ったのは俺達だぞ、お前らじゃねえ。
「助けてくれた事、礼を言う。卿が居なければもう少しで私は死んでいただろう、危ない所だった」

結構素直だな。やっぱり命の恩人ってのは大きいよな。金髪よ、もっと言えよ、もっと。お前が俺達を褒めればそれだけ俺達の点数が上がるんだ。つまり報酬も上がる、そうだろう? お前の一言で一人頭五千帝国マルク増ぐらいの価値は有るかな?

「まだ終わっていません」
え、終わっていないの。親っさんの声に驚いたぜ。やべえな、気入れなおさないと、銭勘定の話は後だ。周囲もざわついている、親っさんがブラスターを抜いたままなのもその所為か。ブラスターのグリップを強く握る。身が引き締まる感じがした。

「どういうことだ、終わっていないとは」
金髪が訝しげに問いかけた。
「他にもリヒテンラーデ公の息がかかったと思われる人間が居る、そう言っています」
ざわめきが大きくなった。皆顔を見合わせている。そうだよな、この中に敵が居るって言うんだ、皆疑心暗鬼だろうぜ。金髪も顔を顰めてる。俺だって吃驚だ。

「誰だ、それは。確証が有るのだろうな」
おいおい金髪、そんな怖い顔で親っさんを睨むなよ。助けてくれて有難うって言った直後にこれだからな。そりゃお前にとっちゃ不本意なのは分かるよ。でもな、お前誠意が足りないよ。これじゃあ、友達はいないだろうな。可哀想な奴。

「総参謀長、パウル・フォン・オーベルシュタイン中将です」
どよめいたぜ、総参謀長って金髪の軍師だろう、それがリヒテンラーデ公のスパイ? あの死人みたいな顔色の悪い奴? 薄気味悪い奴だけどあいつが? 野郎を見たけど無表情に突っ立っている。こいつ、自分が疑われているって分かってるのか?

「馬鹿な、一体何を言っている。冗談でも言っているつもりか」
金髪が呆れた様な顔をして親っさんを見ている。まあそうだろうな、自分の軍師がスパイだなんてちょっと信じられないよな。その気持ちは良く分かるぜ、金髪。でも親っさんは“そうです、面白い冗談なんです。続きを聞いてください”って言って言葉を続けた。親っさん、頼むから笑うのは止めてください。俺、寒いです。

「閣下が元帥になられた頃ですが国務尚書であったリヒテンラーデ公には大きな不安が二つありました。一つはブラウンシュバイク、リッテンハイムの外戚が大きな勢力を持ち帝国の後継者が決まらない事。もう一つはローエングラム侯、閣下です」
「……私?」
金髪が眉を顰め親っさんが頷いた。周囲からはコソコソと私語が聞こえる。総参謀長の事を話しているのかな、それとも他の事か。連中、チラッ、チラッって親っさんを見ている。

「二十歳の元帥、このままいけば何処まで行くのか? もしかすると簒奪を考えるのではないか……。そう危惧するリヒテンラーデ公を閣下はさらに不安にさせる事をしました……」
「何だ、それは」
あれ、なんか楽しそうだな。金髪ってこういうの好きなんだ。でもなあ、お前何時まで楽しめるか疑問だぞ。大体こういうのって最後は引き攣って終わりなんだ。

「下級貴族、平民出身の提督を抜擢し正規艦隊司令官にした事です。リヒテンラーデ公にとっては閣下が下級貴族、平民を統合し新たな勢力を作ろうとしているように見えた。そしてカストロプの動乱、キルヒアイス提督が僅か十日で鎮圧しています。リヒテンラーデ公の不安はさらに大きくなったでしょう。否定できますか、閣下」
「……いや、否定はしない」
金髪が呟いた。何か考えてるな、昔の事を思いかえしてるのか? 金髪の配下も皆考え込んでいる、話している奴は居ない。

「そんな時、オーベルシュタイン総参謀長がイゼルローン要塞から味方を見捨てて敵前逃亡してきた。リヒテンラーデ公は総参謀長に閣下の元に行くように命じた……」
「馬鹿な、そんな事は有り得ない……」
金髪は首を左右に振っている。

「初めて会った時、総参謀長は閣下に何を話しました?」
金髪が親っさんを見た。何だ、変な顔だな、迷っているのかな。そして少し間をおいてから話し始めた。
「……ゴールデンバウム王朝を憎んでいると」

また周囲がどよめいたぜ。おいおい、こんなところで言って良いのか? 俺達を信頼してるって事かな? まあ誰しも多かれ少なかれ帝国を憎んではいたさ、門閥貴族どもが好き勝手やってたからな。何とも思っていねえのは門閥貴族ぐらいのもんだったろう。

「やはりそうですか……。リヒテンラーデ公が最も知りたかった事でしょうね。閣下がそれをどう思っているか、どう反応するか……。そして閣下は総参謀長を受け入れた……」
「馬鹿な……」

金髪が呻き声を上げた。おい金髪、顔が強張ってるぞ、大丈夫か。それにしても半死人みたいな総参謀長は少しも動じてないな。何考えてるんだ、こいつ。本当に生きてるのか、本当は死んでるんじゃねえかって思うぜ。薄気味悪い奴だ。

「リヒテンラーデ公は閣下を排除する意思を固めたでしょうね。そしてその最初の機会が来ます。反乱軍による帝国領侵攻です」
「……」
「閣下、辺境に焦土戦術をと言ったのは誰です?」
「……オーベルシュタインだ」
親っさんが頷いた。

「閣下が辺境に焦土戦術を行っていれば辺境からは強い不満、いえ怨嗟の声が上がったでしょう。リヒテンラーデ公はそれを理由に閣下を排除しようとしたはずです」
「馬鹿な、閣下は反乱軍を破ったのだぞ、大勝利を得たのだ、それを排除などと」

オレンジ色の髪の毛の野郎が騒いでいる。こいつなんか親っさんに敵対的だよな。あ、親っさんが笑った。馬鹿野郎、親っさんを笑わせやがって、一度死んで来い。
「反乱軍に大きな打撃を与えれば有能ではあっても危険な指揮官など必要ない、そうでは有りませんか」
「……」

「反乱軍を打ち破るのが帝国を守る事なら国内の不満を宥めるのも帝国を守る事です。粛清か失脚か、どちらでも良かったでしょう。何より平民達にローエングラム侯は勝利のために辺境の住民を見殺しにした。侯は平民達を守る存在ではないと知らしめることが出来る。政治的には抹殺したのも同然ですよ、支持基盤を失うのですから」

彼方此方で呻き声が起きた。金髪も顔面を蒼白にしている。あの馬鹿なオレンジ色の髪の毛の野郎は何も言えずに身体を震わしていた。阿呆、そこでしばらく震えていろ。親っさんを怒らせた罰だ。黒姫の頭領を舐めるんじゃねえぞ。親っさんはな、お前らドンパチしか出来ねえ阿呆どもとは違うんだ。黙って聞いてろ。

「しかし、あの時は上手く行かなかった。私達の所為で辺境住民からはそれほど不満は上がらなかった。リヒテンラーデ公にとっては予想外だったでしょう。しかし、それが公にとって幸いした。皇帝陛下崩御、帝国は後継者の座を巡って争う事になった」
「……」

「リヒテンラーデ公はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に比べて武力を持たない。そこで閣下の武力と用兵家としての才能を必要とした。閣下を始末するのは内乱が終了した後、そう考えを変えたんです。そして閣下に共闘を持ちかけた」
「馬鹿な……」

呟く様な口調だ。いつもの金髪じゃねえな。明らかに弱っている、いや迷っているぜ。
「ヴェスターラントを見殺しにしろと言ったのは誰です」
親っさんの言葉に式場がどよめいた。

皆知らなかったようだな。となるとやっぱり金髪か総参謀長のどちらかだよな。しかし妙な野郎だよ、半死人の総参謀長は。表情なんて欠片も動かさねえ。周囲が皆奴の事を見てるのに何の反応も示さない……。

「……オーベルシュタインだ。私は迷っていた、まさかブラウンシュバイク公が攻撃時間を早めようとは……」
少し言い訳がましいが嘘じゃねえんだろう。実際どんな判断をしたかは分からねえけどな。見殺しにしたか、止めたか……。

「誰かがブラウンシュバイク公に通報したんでしょうね。閣下が軍をヴェスターラントに派遣するかもしれないと。或いは攻撃時刻を敢えて偽って閣下に報告したか……」
金髪が呻いている。いや呻いているのは金髪だけじゃない。皆呻いている、俺もだ。酷い話だ、上の人間を欺いて二百万人見殺しかよ。人間のする事じゃねえな。反吐が出るぜ。

「何故そうする必要が有ったか、もうお分かりでしょう。辺境の時と同じですよ。閣下を貶めるためです。失脚させる名目になる、ヴェスターラントの二百万人を見殺しにしたと……」
「……そうなのか、オーベルシュタイン」

押し殺した声だ、金髪が半死人の総参謀長を睨んでいる。野郎の腹の中は煮え繰り返っているだろう。だけど半死人は何の変化も示さなかった。
「私がリヒテンラーデ公のスパイだという証拠は有るのか、黒姫」
抑揚の無い声だ。前にも聞いたけどスゲエ嫌な気分になる。こんな時にこんな声を出すなんて一種の化け物だな。

「有りませんね。しかし貴方がリヒテンラーデ公のスパイではないという証拠は有りますか」
「……」
「お互いに証拠はない。そして状況証拠なら貴方は黒だ」

親っさんも半死人も互いに見詰め合ったまま視線を逸らさねえ。睨んでいるんじゃねえ、ただ相手を静かに見ている。そして周りの連中は皆沈黙している、金髪もだ……。声なんてかけられる雰囲気じゃねえ。睨みあってるなら“止めろ”って言えるさ。でもな、ただ静かに見ているんだ、静かなのにスゲエ空気が重い、胃が痛くなる。何時まで続くんだろう、少なくても三分は経ったはずだ、そう思った時だった。

「後はローエングラム侯にお任せします。総参謀長はスパイかもしれないし違うかもしれない。しかしどちらにしても彼は危険だ。閣下のお立場を悪くすることしかしていない」
ホッとしたよ、皆に分からねえように大きく息を吐いた。俺以外にも同じ事をした奴は居るだろうな。

皆が金髪を見ている。どういう判断をするかってところだな。上に立つ奴はいつもこうやって試されてる。楽じゃねえよな。
「オーベルシュタイン、何か言いたい事は有るか」
「有りません」
「……卿の身柄を拘束する。卿に疑いが有る以上それを放置する事は出来ぬ、詮議の場にて自らの無実を証明するが良かろう。なお、嫌疑が晴れるまでの間、外部との接触は禁じる」

ちょっと間が有ったな。金髪は怒っているんだろうが確信は持てないんだろう。野郎は平然としているからな。俺だって迷うところだ。ああいうのは遣り辛いよな。衛兵が二人来て総参謀長を連れていく。これまた全然抵抗しないんだよな、普通なら抵抗とか無実を訴えるとかすると思うんだが何も感じていないように歩いてる。妙な野郎だ。

オーベルシュタイン総参謀長が連れ去られ式場から居なくなると金髪が親っさんに声をかけた。
「卿は本当にオーベルシュタインがスパイだと思うか。彼に対しては腹立たしい思いは有る、しかし今一つ私は確信が持てないでいるのだが……」

「私も分かりません。ただオーベルシュタイン総参謀長に疑わしい点が有るのは事実です。良くお調べになるべきだと思います。そうでなければ軍内に不安が広がるでしょう」
金髪が“そうだな”と頷いている。

「彼が無実の場合はその用い方に気を付けて頂きたいと思います」
「と言うと」
「彼を遠ざけろとは言いません、有能な人物です、お傍に置くのも宜しいでしょう。ただ彼の危険性を理解したうえで用いて欲しいのです」
「……危険性か」
金髪が眉を寄せている。分かってるのかな、こいつ。

「彼の提案する作戦は味方を、弱者を切り捨て犠牲にする作戦であることが多いと思うのです」
「……焦土作戦とヴェスターラントか……」
金髪が呟くと親っさんが頷いた。

「それがいかに危険かはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の末路を見れば明らかでしょう。閣下は既に帝国軍最高司令官の地位にあります。帝国人二百五十億の人間が閣下の一挙手一投足に注目しているのです。特に閣下の基盤は軍に有り、将兵の殆どが平民だという事を忘れないでください。その事を忘れればあっという間に閣下の覇権は崩れると思います」

「卿の言う通りだな。私はもう少しでブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯と同じ運命を辿るところだったと言う訳か。彼らを愚かだなどと笑っていながら私自身の愚かさに気付かずにいた。恥じ入るばかりだ」
金髪が大きく頷いている。うん、こうして見ると金髪も中々だよな。自分の欠点を素直に認めて謝る、口で言うほど簡単な事じゃねえ。

それにしてもさっすが親っさんだぜ。帝国軍最高司令官に物を教えるなんてそうそう出来る事じゃねえ。周囲の連中も皆頷いている、感服したってところかな。普段海賊なんて蔑んでいるんだろうが、親っさんは帝文に合格してるんだぜ、お前らなんかよりずっと学が有るんだ。

話しも一段落した事だしそろそろ報酬の話に行きましょうよ、親っさん。俺もう待ちくたびれましたよ。最後の最後で大仕事をした事だし、金髪もたんまり弾んでくれるはず、楽しみだよな。

 

 

第十話 報酬と贈り物

帝国暦 488年 8月31日   ガイエスブルク要塞   カルステン・キア



親っさんがブラスターをホルスターケースに収めた。もう危険は無いって事かな。俺達もブラスターを収める。ずっと握ってた所為だろう、ちょっと掌が痺れるような感じがした。

「さて、元帥閣下、そろそろ報酬について御相談したいと思います。まず私達の働きについて御報告させていただきます」
ようやく来たぜ、この時間が、長かったよな。ウルマンもルーデルもほっとしたような表情をしている。

「一つ、キルヒアイス提督の辺境星域鎮圧において補給を支援した事。二つ、レンネンカンプ、シュタインメッツ提督を御味方につけた事。三つ、キフォイザー星域の会戦におけるリッテンハイム侯の醜態を録画し放映、貴族連合軍の士気を挫いた事……」
あれ、なんか皆顔が引き攣ってるんですけど……。金髪もちょっと変だぞ、さっきまでと表情が違う。勘弁しろよ、またケチるのかよ……。

「四つ、ヴェスターラントへの核攻撃を防ぎ、ブラウンシュバイク公の暴挙を暴くと共に貴族連合軍の士気を再度挫いた事、五つ、アンスバッハ准将によるローエングラム侯暗殺を未然に防いだ事、六つ、リヒテンラーデ侯の陰謀を暴き、粛清の大義名分を得た事。これにより帝国におけるローエングラム侯の覇権が確立しました。以上でございます」

式場がシーンとした。何か妙に静かなんですけど、何で? 俺達何か悪いことしたか? ただ頑張っただけだし、頑張るのは悪い事じゃないよなあ。褒められて良いと思うぜ。確かにちょっと働きすぎたかなとは思うよ。でも親っさんが防がなければ金髪は死んでたんだし、アンスバッハの死体は有効利用しなくちゃ勿体ないだろう。親っさんのやった事は間違ってねえと思うぜ。

「私達の働き、如何評価して頂けますでしょうか。御答えください」
親っさんがにこやかに金髪に話しかけたけど金髪は顔を強張らせている。お前なあ、頼むから自分の命値切るようなまねはするなよ、男を下げるぞ。情けねえったらありゃしねえ。海賊社会じゃそんな奴は相手にされない、いや女にだって相手にされねえよ。お前はやっぱり頭領の器じゃねえ。

「……武勲第一位と認める」
しかめっ面をした金髪が答えるのと周囲から溜息が聞こえるのが同時だった。おいおい、なんだよそれ。“良くやった”とか“御見事”とかねえのか? お前ら根性が汚いよ、スカした面しやがって。なにがハーッだ、このボケ。大体金髪、お前が溜息ついてどうすんだよ、失礼だろう。

親っさんを見てみろ、ニコニコして全然嫌な顔をしねえ、大したもんだろうが。こういう男はなあ、男にも女にももてるんだよ。俺達は皆親っさんが好きだし女だって親っさんに夢中だ。クラインゲルトのベルタ婆さんは自分があと二十若ければ親っさんを放っておかねえ、なんてぬかしやがった。六十過ぎの婆さんがだぜ。俺が二十じゃ足りねえ、倍の四十は要るだろうって言ったら箒で俺の頭を思いっきりぶっ叩きやがったぜ、年をばらすんじゃねえってな。エライババアが居たもんだ。

「有難うございます。では代価として三つ頂きたいものがございます」
「三つか」
「はい」
なんだかなあ、金髪は警戒心を露骨に出してるぜ。

お前なあ、そんなに警戒するんなら最初から断れば良いじゃねえかよ。黒姫の協力なんか必要ねえって。そうじゃなきゃ報酬はこれだけ、お前はその分だけ働け、そう言えば良い。お前みたいな客は一番嫌がられるタイプだぜ。仕事させといて後からブウブウ言う。俺達の世界じゃそう言うのはブヒちゃんって呼ぶんだ。ブウブウブヒちゃんってな。

「まず一つ目は辺境星域についてのお願いです。今後五年間、政府において辺境星域に関わる政策を執行する場合は事前に辺境星域住民の協議を必要とする。受け入れて頂けるでしょうか」
え、何それ、初っ端はお金じゃないの。ウルマンもルーデルも目が点だ。それに何だ、いきなり式場がざわめき始めたぜ。彼方此方で私語が聞こえる。

「事前に協議? どういうことだ、それは」
「その政策が辺境星域の住民にとって受け入れられるものかどうか判断させて欲しいと言っています」
おいおい、ますますざわめきがデカくなったぜ。まあ無理はねえよな、これまでそんな事は無かったんだから。俺だって吃驚だぜ、多分親っさんは辺境星域の実力者達と相談しているんだろうが、辺境だけじゃない帝国全土でも事前に協議させろなんて要求はこれまで無かったはずだ。

「誤解しないで欲しいのですが彼らは元帥閣下の覇権を認めないと言っているのではありません。ただ辺境はこれまで常に無視されてきました。彼らは意見を述べる場を与えて欲しいと言っているのです」
親っさんの言葉に式場が静まり返った。金髪も考え込んでいる。

「……彼らが反対意見を表明した場合、私はどうすればよいのだ? 政策を修正するのか」
「無視するか、政策を修正するか、閣下御自身の判断で決められれば良いと思います。彼らもそれ以上は望んでいません」

金髪が親っさんを見ている。考えてるな、思慮深さは感じるが疑い深さは感じない。結構いい感じだぜ、根は真面目なのかな。ケチじゃ無ければそれなりなのにな。こいつ、貧しい家に生まれたって事だからそれでケチなのかもしれない。まあ個人としてはそれでもいいけどよ、組織の頂点としてはちょっとなあ。浪費しろとは言わねえが金払いは良くして欲しいぜ。

「つまり私がどう判断するかで彼らは私の統治者としての資質を判断するという事か……。なかなか厳しい条件だな」
金髪が苦笑している。親っさんも笑みを浮かべた。
「閣下にとっても統治の判断材料が手に入るのです。悪い事ではないと思いますが」
金髪が声を上げて笑い今度は親っさんが苦笑した。

金髪が笑いを収めた、親っさんもだ。二人とも視線を逸らさない。やべえ、緊張する、息が苦しいぜ。
「五年か……、ずっとと言うのでは気が重いが……、良いだろう、受け入れよう」
「有難うございます」
彼方此方で息を吐く音が聞こえた。多分皆息苦しさを感じていたのだろう。

「では二つ目として我々黒姫一家に反乱軍との交易を行う権利を認めて頂きたいと思います」
「交易? 反乱軍とか」
「はい、フェザーンに中継貿易の利を独占させる事は無いと考えます」

親っさん、お金の話は? それは最後? 最後に吹っ掛けるって言う事ですか。揉めますぜ、そいつは。金髪は金に煩いから……。
「それは構わないがフェザーンがそれを許すと思うか、いや許したとしても反乱軍が卿らを受け入れるかな。アムリッツアでは随分と煮え湯を飲ませたはずだが」
笑うなよ金髪、お前が笑うと他の奴も笑うだろ。上手く行くわけねえだろ、笑わせるな、そんな風に聞こえるぜ。

「それはこちらの営業努力で何とかしようと思います。ですが先ずは帝国政府の許可を頂きたいのです」
営業努力かあ、親っさん、決して楽じゃありませんぜ。フェザーンの事務所の連中から時々話を聞きますが、フェザーンの連中は俺達をかなり嫌っているとか。フェザーンの自治領主府もフェザーン商人も俺達にはなかなか仕事を回さないそうじゃありませんか。そんなもの貰ったって役に立つとは思えませんけど……。大体反乱軍の領内に入ったら俺達縛り首ですぜ。

「良いだろう、認めよう」
「有難うございます」
親っさんが金髪に向かって一礼した。あーあ、認めちゃった。まあ認めるよな、金髪にとっちゃ痛くも痒くもねえ話だからな……。さあて、こっからが本番だぜ。金髪も表情を硬くしている。ケチだな、ウチは正当な代価しか貰わねえぞ。お前は自分の命、いくらで買うんだ?

「では最後に閣下より黒姫一家に対して感謝状を頂きたいと思います」
「感謝状?」
金髪が目をパチクリしている。いや俺もだしウルマン、ルーデルもだ。お金は? 親っさん、お金、俺達の給料……。金髪の部下も狐に化かされたような顔をしてる。ニコニコしてるのは親っさんだけだ。

「はい、感謝状です。昨年貰うのを忘れましたので二枚、黒姫一家の働きに感謝している。子々孫々に至るまで忘れることは無いだろうと記した閣下の直筆の感謝状を頂きたいのです。私達にとっても家宝と言って良い品になると思います」
親っさん、金髪の感謝状って何です? そんなもの貰ったって何の役にも立ちません。お金を貰いましょうよ、お金。一人頭四万帝国マルクはいけますぜ。

「子々孫々か……。なるほど、卿が何を考えているか分かる様な気がするな」
「ただの感謝状です。そのように難しく考えなくても良いと思いますが」
金髪よー。そんな変な目で親っさんを見るなよ。お前がケチだから親っさんは感謝状なんてもんを要求してるんだぜ。ここは一発、お前のほうから金を払うとか言ってみろよ……、無理だよな……。

「良いだろう。だが私は卿らのために特別な事はしないぞ」
「有難うございます。黒姫一家はこれからも閣下の忠実な協力者である事を御約束いたします」
どうしたんだろ、親っさん、お金貰わないなんて。まあウチは今景気が良いから無料奉仕ってことか。しかしなあ、金髪は癖になりますぜ。将来的には良く無い様な気がしますけど。

親っさんが契約書を差し出し金髪がサインしている。あーあ、これで今回の取引は完了かよ。後は感謝状を二枚貰うだけか……、金髪の野郎、丸儲けだな。俺達をただで使いやがって、笑いが止まんねえだろう、嬉しそうな顔してるもんな。金髪の部下も嬉しそうにしている、こっちは泣きたくなってきたぜ。親っさんって金髪には甘いよな。

「今回の戦勝を祝しまして我ら黒姫一家より元帥閣下に贈り物を用意致しました。御笑納頂ければと思います」
「ほう、贈り物か」
はあ? 親っさん、ただ働きの上に贈り物って、勘弁してくださいよ。何なんです、これ。大体金髪もその部下も変な顔してますよ、俺達からの贈り物なんて喜んでいませんって。

「イゼルローン要塞でございます」
「……」
え、何それ、イゼルローン要塞ってあのイゼルローン要塞? まさかね。……新しいフェザーンの玩具かな、何万分の一のサイズの模型とか。皆、固まってる、金髪も変な顔をしてるな。ウルマンもルーデルも変な顔をしてる。多分俺も変な顔をしてるだろう。イゼルローン要塞って何だ?

「イゼルローン要塞、と言ったか?」
「はい、イゼルローン要塞と言いました」
おいおい、なんかざわめいてるぜ。金髪の部下達が彼方此方で小声で喋っているし顔も引き攣ってる。金髪、お前も引き攣ってるぞ、大丈夫か? 平然としているのは親っさんだけだ。親っさん、本当にイゼルローン要塞を贈るんですか? あれって反乱軍の物ですよ。

「あれを、攻略したのか?」
声が掠れてるぞ、目が飛び出そうになってる。
「はい、攻略しました」
え? 攻略したの? 本当かよ? ウルマンもルーデルも興奮してる、っていうか興奮してないのは親っさんと副頭領だけだ。え、ホントなの。

「帝国も反乱軍も国内が内乱状態にあり相手に構っている余裕は有りませんでした。そしてイゼルローン要塞のヤン提督は国内の内乱鎮圧のため要塞を離れています。イゼルローン要塞は無防備な状態にあったのです」
「しかし、だからと言って簡単に落とせるものではあるまい。まして卿らにはまとまった兵力は無いだろう」

金髪の言葉に野郎の部下達が同意するかのように頷いている。
「そうですね、我々には大きな兵力は無い、つまり外から攻めたのでは要塞は落とせない」
「要塞内に入ったと言うのか、しかし」
金髪の言葉に親っさんが頷いた。

「簡単には入れません。ヤン提督は帝国軍人に偽装して兵を要塞内に潜入させました。当然ですが同じ手は通用しません、反乱軍の兵士に偽装しても身元証明によりあっという間に素性がばれるでしょう……」
「……」

誰も一言も喋らねえ。黙って親っさんの言う事を聞いている。格好いいぜ、親っさん。俺には親っさんの言ってる事は半分も分からねえが皆親っさんの言う事を聞いてるんだ、痺れるぜ。

「偽装が無理なら帝国人として潜入させるしかありません。そして今ならそれが可能です」
「可能?」
金髪が訝しそうに声を出した。金髪だけじゃない、皆困惑した様な表情をしている。

「大規模な内乱が発生しているからこそ可能な手段、……亡命希望者として要塞内に潜入させる」
「そうか!」
金髪が叫ぶと彼方此方で声が上がった。皆興奮している。親っさんはそんな連中を静かに見ている。クールだぜ、本当に痺れる。

「ヤン提督は司令部の管制機能を三か所に分けたようです。言ってみれば頭を三つ持っているようなものですがイゼルローン要塞の心臓は一つ……」
「それは」
「レンテンベルク要塞と同じです。核融合炉を押さえさせました。その後は三つの頭に降伏しなければ心臓を潰すと言えば良い……」

さっきまで有った興奮は無くなった。皆、親っさんを見ている。親っさんが笑みを浮かべた。
「あそこには兵達の家族、女子供が多く居るんです。誰も彼らを放射能の危険には晒したくなかったのでしょう。大人しく降伏してくれましたよ」

式場がシーンとした。誰も何も言わない、ただ笑みを浮かべている親っさんを見ている……、金髪もだ。ややあって親っさんが金髪に話しかけた。
「元帥閣下、イゼルローン要塞、御笑納頂けますか」
金髪が唾を飲みこむ音が聞こえた。
「ああ、有難く、頂戴しよう。黒姫一家の厚意に感謝する」

彼方此方で息を吐く音が聞こえたぜ。いや、俺だって息を吐いた。なんかスゲエ緊張した。
「ただ、引き渡しに於いて二つの条件が有ります」
「うむ、聞こうか」
「元帥閣下にお納めするのは要塞のみ。要塞が保有する艦船、捕虜、物資は黒姫一家の物とする」
え、それってもしかすると、美味しくないか。

「良いだろう、こちらは注文を付けられる立場ではない」
「もう一つは、黒姫一家に対してイゼルローン回廊の通行をお認め下さい。それによる反乱軍とのトラブルについて国家に泣きつく様な事はしません」
親っさんの言葉に金髪が微かに苦笑した。

「……なるほど、反乱軍との交易の権利を求めたのはこれが理由か。フェザーンがフェザーン回廊の使用を独占するなら卿はイゼルローン回廊を独占するか……。面白いな、反乱軍との間に交易が成立するかな、すればフェザーンの足元が揺らぐが……」
金髪が笑っている。楽しそうに笑っている。そして親っさんも笑い出した。

「いずれ反乱軍は無くなる、そうでは有りませんか」
「……」
「今回の内乱で反乱軍は一個艦隊を失いました。弱体化した軍事力はさらに弱まった。そしてイゼルローン要塞を失った事で彼らの領域への門は開いたのです。国内態勢が整えば何時でも攻め込めます」
金髪が親っさんを見ている。もう笑っていない、金髪も親っさんもだ。

「銀河の統一か……」
「不可能とは思いません。そろそろ百五十年続いた戦争を誰かが終わらせるべきでしょう」
親っさんの言葉に金髪が笑みを浮かべた。何かとんでもない話をしているな、銀河統一かよ、金髪がやるのか? ケチな所を治さねえと難しいと俺は思うぞ。

「そうだな、終わらせるべきだ。だがその前にこの帝国の覇権を握るとしようか。幸い卿がリヒテンラーデ公粛清の大義名分を与えてくれた」
そうだよな、これも親っさんなんだよ。ホント、親っさんって凄いぜ。軍に残ってたら元帥とかになって金髪の事を部下にしていたんじゃねえかな。気前の良い元帥だったろう、渋るとか絶対なかったと思うぜ。

「では私達は辺境へ戻らせていただきます」
「オーディンには来ないのか」
訝しげな金髪の声に親っさんが答えた。

「イゼルローン要塞には約三百万の捕虜が居ます。身代金を受け取って家族の元に返してあげないと」
「三百万……」
「一人二十万帝国マルクとして六千億帝国マルクは頂きたいと思っています」
「六千億……」
六千億! ス、スゲエ、ウルマンもルーデルも目を白黒させている。いや彼方此方で六千億って声が聞こえる。

金髪がいきなり笑い出した。
「黒姫一家があこぎと言われる訳が分かった。身代金で六千億帝国マルクか。相場の倍ではないか、暴利だな」
おいおい、相場って、帝国軍最高司令官が身代金の相場なんて覚えてどうすんだよ、嫌な奴だな。

「そちら様からは一帝国マルクも頂いてはおりません。その分も頂きませんと……」
また金髪が笑った。
「私の分も向こうへ押し付けたか。反乱軍も踏んだり蹴ったりだな」
お前がケチだからだろ。親っさんだってお前に金請求するの諦めたんだよ。お前、後で反乱軍に謝るんだぞ、ケチでごめんねって。それから後で潰しちゃうけどそれもごめんねって。





 

 

第十一話 ヴァンフリート割譲条約


帝国歴四百八十八年(宇宙歴七百九十七年) 九月 一日 
自由惑星同盟最高評議会議長ヨブ・トリューニヒト、内乱及びイゼルローン要塞陥落の責任を取り辞任。

帝国歴四百八十八年(宇宙歴七百九十七年) 九月 五日 
自由惑星同盟最高評議会議長にジョアン・レベロ就任。レベロ議長、海賊黒姫一家と捕虜解放について交渉を開始。

帝国歴四百八十八年(宇宙歴七百九十七年) 九月十五日 
帝国軍最高司令官ラインハルト・フォン・ローエングラム侯爵、帝国宰相リヒテンラーデ公爵を賊軍との内通、自己に対する暗殺未遂事件の主犯として逮捕。

帝国歴四百八十八年(宇宙歴七百九十七年) 九月十八日 
帝国宰相リヒテンラーデ公爵、自らの罪を認め自裁。リヒテンラーデ公一族の内二十歳以上の男子は死罪、その他は辺境への流刑が決定。

帝国歴四百八十八年(宇宙歴七百九十七年) 九月二十日 
ラインハルト・フォン・ローエングラム侯爵、帝国宰相に就任。また内乱鎮圧の功により公爵へと位階を進める。

帝国歴四百八十八年(宇宙歴七百九十七年) 九月二十五日 
帝国軍ジークフリード・キルヒアイス大将、イゼルローン要塞に到着。

帝国歴四百八十八年(宇宙歴七百九十七年) 九月三十日 
自由惑星同盟、黒姫一家との間に捕虜解放に伴う取り決め(別命ヴァンフリート割譲条約)を締結する。

帝国歴四百八十八年(宇宙歴七百九十七年) 十一月十五日 
イゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官ウルリッヒ・ケスラー大将、イゼルローン要塞に着任。ジークフリード・キルヒアイス上級大将からイゼルローン要塞防衛の任を引き継ぐ。


捕虜解放に伴う取り決め(別命ヴァンフリート割譲条約)について
自由惑星同盟はエーリッヒ・ヴァレンシュタインを長とする自警団、黒姫一家との間に以下の内容の取り決めを結んだ。

一. 黒姫一家はイゼルローン攻略で捕虜とした兵、民間人三百二十三万五千 六百二十七人を同盟に返還する。
二. 自由惑星同盟はそれに対し以下の対価を支払う事に同意する。
(一)自由惑星同盟は黒姫一家に対して同盟領での通商の自由、安全を保障する。
(二)自由惑星同盟は身代金の一部として黒姫一家に対して二億帝国マルクを支払う。
(三)自由惑星同盟は身代金の一部として黒姫一家に対してヴァンフリート星系を割譲しその主権が黒姫一家に有る事を認める。
三.  自由惑星同盟はいかなる意味においても黒姫一家がヴァンフリート星系にて行う開発行為を阻害しない。
四.  黒姫一家はヴァンフリート星系で得た鉱物資源の内半数を自由惑星同盟内で売却する。
五.  黒姫一家はヴァンフリート星系の主権及び権利を第三者に譲渡、売却しない。



帝国暦 489年 2月10日   イゼルローン要塞   エルネスト・メックリンガー



イゼルローン要塞に入港し艦を降りると懐かしい顔が見えた。
「ケスラー提督、わざわざ出迎えてくれたのか」
「久しぶりだな、メックリンガー提督」
「ああ、久しぶりだ。こうして直接会うのは四か月ぶりか……」

久闊を叙した後、彼の案内で彼の私室に向かった。当たり障りのない話をしながら歩く。不便な事だ、昔と違って周囲の目、耳を気にしなければならないとは。彼の部屋に入りソファーに座る、彼の出してくれた白ワインを口に含んだ。ふむ、少し酸味が有るが悪くない、爽やかな香りが口中に広がった。

「わざわざ回廊まで来て訓練とは、御苦労だな」
口調に笑いが有る。私が何故ここに来たのか、大よその予想は付けているのだろう。
「元帥閣下の御命令だ。辺境で訓練しつつ卿に色々と確認して来いとの事だ」
「やはり気になるか」
「そのようだな。まあ無理もない事だが」

私の言葉にケスラー提督が頷いている。
「ここに来る途中、アムリッツアで彼に会った。卿に宜しく伝えてくれと言われたな」
「それは……」
ケスラー提督が苦笑を浮かべた。

「私が何故辺境に来たか、おおよその見当は付いていただろうが穏やかな笑みを浮かべていた」
「なかなか心の内を読ませない……、手強いだろう」
「ああ、手強い」

お互い誰がとは言わない、言わなくても分かっている。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、黒姫の異名を持つ海賊だ。用兵家として謀略家として、そして商人として彼が手強い事は皆が知っている。しかし何より皆が驚くのはその自制心だ。どんな時でも自分の立場を危うくすることは無い。そして気が付けば常に優位な立場に居る。

ケスラー提督がイゼルローン要塞を任せられたのは黒姫が反乱軍と結んだ条約が原因だった。黒姫がイゼルローン回廊の使用権を持つ以上ただ戦うだけでなく黒姫との協調も不可欠となる、そして監視も。それを行える人間としてケスラー提督が選ばれた。反乱軍の軍事力が衰えた今、主なる任務はそちらだ。

「メックリンガー提督、彼の事を話す前に一つ聞きたい事が有るのだがな」
「何かな」
「オーベルシュタインが憲兵総監になったがあれはどういうことだ」
ケスラー提督の問いかけに思わず顔を顰めた。

「前任者のオッペンハイマーが何を考えたかローエングラム公に賄賂を贈った。それが理由で更迭、後任者がオーベルシュタインになったのだ」
「賄賂……、馬鹿な」
ケスラー提督が首を横に振っている。全く同感だ、こっちも首を振りたくなる。

「オーベルシュタインを憲兵総監にするには反対する人間も居た。しかし、他に人が居ないのも事実だ……。何度も公は卿が居ればと嘆いていたな、もっともイゼルローン要塞を任せられるのも卿だけだと言っていたが……」

「それにしてもオーベルシュタインが憲兵総監か、嫌な予感がする」
「変に暴走しなければよいのだがな」
「ヴェスターラントか」
「うむ」

リップシュタット戦役後、オーベルシュタインは幾つかの嫌疑で取り調べを受けた。リヒテンラーデ公との内通の嫌疑は晴れたが彼がヴェスターラントを見殺しにしようとした事、その事でローエングラム公を欺く様な行為をした事が明らかになった。参謀のするべき事に非ず、公の判断で総参謀長の任を解かれた……。

「まあ、上手くやって欲しいものだが……。ところでメックリンガー提督、昨年九月の末に反乱軍と黒姫がヴァンフリート割譲条約を結んだが政府はあれをどう見ているのかな。有効とみているのか? それとも黙認しているだけなのか……。私はあの条約締結直後にオーディンを出たのでその辺がよく分からんのだが……」
ケスラー提督が幾分首を傾げている。

昨年九月の末、反乱軍と黒姫一家の間で有る条約が結ばれた。ヴァンフリート割譲条約、イゼルローン要塞の捕虜三百二十万人を反乱軍に戻す代わりに反乱軍は身代金二億帝国マルクを支払いヴァンフリート星系を黒姫一家に譲るという内容の条約だった。

「認めざるを得ない、そういう状況だな。反乱軍との交易を認めたのはローエングラム公御自身だ。ヴァンフリート割譲条約は交易について触れている。割譲は通商の条件の一部と主張されれば否定は出来ない。実際ヴァンフリートから産出された鉱物資源が反乱軍との交易に使われている」
「なるほど」
喉が渇いた、ワインを一口飲む。

「私の方からも聞きたい、交易はかなり活発に行われていると聞いたが本当なのか?」
私の問いかけにケスラー提督が頷いた。
「本当だ、黒姫一家はヴァンフリートで採掘された鉱物資源の半分を反乱軍に売り、民生品を買い入れ辺境に持って行っている。民生品の品質は帝国よりもあちらの方が良いからな、大分売れているらしい。辺境の発展にもかなり役立っている」

「しかし、反乱軍にとって黒姫は敵だろう。簡単に交易が出来るものなのか? どうもその辺がよく分からないのだが」
私の問いかけにケスラー提督が笑った。

「メックリンガー提督も軍人だな、経済は分からん様だ。政治と言うのは理で動く、しかし経済と言うのは利で動く。誰も損はしたくない、そして黒姫と反乱軍はお互いの交易に利を見ている」
利か……。言っている事は分かるのだが今一つピンと来ない。
「どういう事かな」

「イゼルローン要塞陥落直後、最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトは辞任している。責任を取ってと言っているがあれは逃亡だと思う。当時の反乱軍は三個艦隊しかない実戦部隊の内一個艦隊を内乱で磨り潰した。さらにアルテミスの首飾りを失ったところにイゼルローン要塞をうしなったのだ。国防に自信が持てなかったのだろう」
「なるほど、酷い話だな。あの男は主戦派だったと聞いている。それが逃げるとは……、まるでリッテンハイム侯のようだな」
私の言葉にケスラー提督が声を上げて笑った。

「後を引き継いだジョアン・レベロには人質解放の問題と艦隊再建の問題が託された。人質解放に金を払えば艦隊再建は難しくなる、かと言って人質を見殺しには出来ない、頭が痛かったはずだ」
「うむ」

「黒姫は交渉の最中に交易を認めるなら身代金は下げると言ったようだ。レベロ議長はそこに注目した。相手が交易を求めるならそれを利用すべきだと。或いは黒姫がそういう風に仕向けたのかもしれない」
「それがヴァンフリート割譲か」

イゼルローン要塞攻略で得た捕虜は約三百二十万人。それに対し反乱軍が最終的に支払った身代金は二億帝国マルク。一人頭に換算してみれば六十帝国マルクに過ぎない。相場を十万帝国マルクと見ればコンマ一パーセントにも満たない金額で取引をした事になる。つまり黒姫はそれでも利が有ると見た……。

「正確には黒姫にヴァンフリートを開発させ交易相手にする、という事かな。ヴァンフリートは恒星が不安定で八個ある惑星全てが劣悪な自然環境になっている。そのため入植は行われていない。しかし鉱物資源はそれなりに有るようだ。開発がされなかったのは帝国領に近く危険だったからだろう」
「一度戦いが有ったな」

私の言葉にケスラー提督が頷いた。帝国歴四百八十五年にヴァンフリートで反乱軍との戦いが有った。今から四年前の事だ。自分は参加しなかったが酷い混戦だったという事だけは聞いている。

「ヴァンフリートは同盟の発展になんら寄与していない、レベロ議長はそう言ったそうだ。そのヴァンフリートを黒姫に割譲し開発させる。鉱物資源の半分を反乱軍に売らせる。反乱軍は宇宙艦隊を再建する急務が有った。鉱物資源は幾ら有っても十分と言うことは無い。反乱軍は新たな原料供給源を確保し黒姫は反乱軍にとって新たな原料供給者になったわけだ」
「なるほど、それが利か……」
私の呟きにケスラー提督が頷いた。

「ヴァンフリート割譲は理で考えれば屈辱でしかない。反乱軍内部の主戦派はかなりレベロ議長を責めたようだ。しかし利で考えれば屈辱でもなんでもない、旨味の有る取引でしかなかった。反乱軍にとっても黒姫にとっても帝国にとってもだ」
「帝国にとっても?」
よく分からんな、今までの話では反乱軍と黒姫、辺境に利が有るのは分かるが……。ケスラー提督が私を見て笑った。いかんな、呆れられたか。

「ヴァンフリートで採掘された鉱物資源の半分は辺境星域に届く。製錬され民生品、軍用品に利用される。軍用品はイゼルローン要塞と黒姫一家に納められ、民生品は辺境で使われている」
「なるほど……」
頷いている私を見てまたケスラー提督が笑った。

「オーディンから運ぶより早いのさ、近いからな。その分だけ値段も安い。兵站統括部も積極的に辺境を利用しようとしている。辺境は最前線であるイゼルローン要塞にとって重要な補給基地になりつつあるんだ」
「……」

ケスラー提督が私の顔を覗き込んだ。彼の顔には笑みが有る。
「分かるだろう。いずれ帝国軍はイゼルローン要塞から反乱軍領域へ攻め込む。一年後か二年後か……。その時、辺境星域は、黒姫一家は、後方支援の重要な担い手になるはずだ」
「なるほど……、しかし辺境にそんな産業基盤が有るとは思わなかったが」
辺境と言えば農業、水産業が主体ではなかったか……、しかも生産量は低かったはずだ。昔子供の頃学校でそう教わった記憶が有るが……。

「ここ近年、辺境はかなりの勢いで発展している。黒姫一家が大規模に投資しているからな」
「それは聞いているが……」
「連中が投資しているのは宇宙港の整備や発電所、それに道路、上下水道の整備、主としてインフラ整備だな。それをみて中央からも企業が進出している。イゼルローンに軍用品を収めているのもそれさ」
「辺境は辺境で無くなりつつあるか……」
ケスラー提督が頷いた。

「イゼルローン要塞がヤン・ウェンリーに落とされた時、企業の進出が止まったらしい。しかしイゼルローン要塞を奪回して以来、企業の進出がまた増えているそうだ」
「……まさかとは思うが、奴がイゼルローン要塞を落したのは……」
「そのまさかだと私は思っている。辺境の発展のためには辺境の安定が必要だった。イゼルローン要塞が帝国に有る事が必要だと黒姫は判断した……」

部屋に沈黙が落ちた。先程までケスラー提督は笑みを浮かべていたが今は無い。重苦しい沈黙を振り払うかのようにワインを一口飲んだ。
「信じられない男だな」

「黒姫にとっては身代金などどうでも良かったのだと思う。辺境が安定する事、それにより辺境が発展する事が大事だった。辺境が発展しなければ黒姫一家も大きくはなれないからな……。反乱軍との交易を望んだのもおそらくはそれが理由だ。彼にとっては身代金より交易の方が辺境の発展に役立つと見たのだ」
「……」
ケスラー提督がワインを口に運んだ。少し考えるようなそぶりをしている。

「将来的には辺境星域と反乱軍領域を結んで一つの経済圏を作ろうとしているんじゃないか、私はそんな推測をしている。向こうの人間も似た様な事を考えているかもしれない。自由惑星同盟はもう長くない。そして帝国辺境と言う新しい市場が見つかった。イゼルローン回廊を解放してくれるならそれも悪くないと……」

とんでもない男だ、私が考え込んでいるとケスラー提督がグラスにワインを注いでくれた。
「辺境はこんな感じだ。とんでもない男を相手にしているが敵ではなく味方に付ければ問題は無いと思う。今度はオーディンの話を聞きたいな」

話題を変えようと言うのだろう。残念だな、ケスラー提督。オーディンでも話題になっているのは辺境の事なのだ。
「今オーディンで問題になっているのはヴァンフリート星系は帝国領の一部なのか、それとも黒姫一家の独立した領地なのか、という事だ」
「それはまた厄介な」

ケスラー提督が苦笑した。確かに厄介な問題だ、ケスラー提督は苦笑したがオーディンではこの件で頭を痛めている人間が何人もいる。帝国も同盟も相手を認めていない。政府間の交流は無く捕虜交換も軍が主体になって行っている。

ヴァンフリート割譲条約には帝国と言う文字は何処にも出ていない。条約はあくまで反乱軍と黒姫一家の間で結ばれたものなのだ。そして条約はヴァンフリート星系の主権は黒姫一家に有ると宣言している。ヴァンフリート割譲条約を認めるのであればその主権についても認めざるを得ない。極端な話、黒姫がヴァンフリート王を名乗っても何の不都合もない事になる……。

黒姫一家の主権を無視し帝国領の一部と宣言し軍を派遣すればどうか? その時点でヴァンフリート割譲条約は効力を失う、つまり黒姫一家は反乱軍と交易が出来なくなる。当然だが黒姫は交易を認めたにもかかわらずそれを阻害するような行動を取るのは何故かと抗議するだろう。私がその事を説明するとケスラー提督が溜息を吐いた。

「軍の中には強硬論を吐く人間も居る。ヴァンフリート星系を帝国領として接収すべし。不満を言うようなら黒姫も反乱軍に内通したとして討つべし、とな」
「馬鹿な……、何を考えている……。彼を敵に回すと言うのか……」
ケスラー提督が呆れたような声を出した。

「若手に多いのだ、黒姫を認められない人間が。戦争で大儲けしていると嫌悪している」
「……卿はどう考えている」
ケスラー提督が私を見ている。じっと息を凝らして確かめるような視線だ。

「私は反対だ。そのような事はすべきではないと考えている。信義にもとるしなによりも危険だ。卿と話していて益々そう思った。味方にして利用すべきだ、その方が遥かに利益になる」
「……」
大きく息を吐いた。安心したのだろう。

「黒姫が反乱を起こすなら良い、そういう単純な人間ならな。だがおそらく彼は反乱など起こさない。あっけない程に黙って引き下がるはずだ。そして静かに時を待つ、帝国に報復する時を。その報復は手酷いものになるだろう……。私だけではない、皆そう考えている」
「皆?」

「艦隊司令官は皆だ。常に我々の上を行く男だ、帝国と反乱軍の隙を突いてイゼルローン要塞を攻略する男だ、感情で反乱などは起こさんだろう。反乱を起こすときは帝国を潰す覚悟で来るはずだ」
ケスラー提督がまた息を吐いた……。

「反乱の前に辺境で独立運動が起きかねない」
「ケスラー提督……」
「辺境が発展するには黒姫の力が不可欠だった。その事を辺境星域の住民はよく分かっている。ヴァンフリート割譲条約も辺境星域の発展を促進させるものだという事もだ。条約を否定し黒姫を否定すればどうなるか……」

沈痛と言って良い口調と表情だ。
「辺境は帝国が自分達を迫害していると受け取るだろう。彼らはリップシュタット戦役以来政治的に、経済的に連携を強めている。間違いなく辺境で独立運動が起きるだろう。独立運動の指導者は黒姫だろうな……」
酷い事になりそうだ、溜息が出た……。


 

 

第十二話 憂鬱な人達



帝国暦 489年 2月10日   アムリッツア  カルステン・キア



今日は黒姫一家の最高幹部会議が開かれている。アムリッツアのクラインゲルト子爵領の一角にある黒姫一家の事務所は朝から人の出入りが多い。少し手狭になったな、この事務所。俺を含めて若い連中は控室で待機中なんだがどうも落ち着かない。親っさんに改築しようって言ってみようか、ここだけじゃないな、他にもバルトバッフェル、ミュンツァー、リューデリッツも改築した方が良いんじゃねえかな。

デカくなったよな、ウチの組織。内乱が終わったらまたデカくなっていた。何て言ってもイゼルローン要塞を分捕ったのが大きかった。要塞の中に有った船とか物資はウチの組織の物になったんだが、輸送船が二百隻、武装艦が三百隻ぐらいあったからな。他にも工作船が十隻と病院船が十五隻有った。

それに内乱で貴族連合に与したが逃げ出してウチに捕まった武装艦が五百隻程ある。今じゃウチの組織は輸送船七百隻、武装艦千四百隻を越える大所帯になっている。二年前から比べたら倍だぜ、倍、いや三倍に近い。組員も八万人を超えてるんだ。帝国最大の海賊組織って言われるのも間近だろうな。

イゼルローン要塞に有った武装艦はどうもその前に有った戦闘で損傷を受けた艦だったらしい。これ以上の戦闘は無理って事で要塞に戻って修理を受けてたんだな。それが丸々組織の物になった。新造艦も有る、結構嬉しかったぜ。良いのかよ、と思ったね。物資も結構美味しかったよな。なんてったって五百万人分の物資が有ったんだ、デカいよ。

まあ全部貰ったのは武器だった。反乱軍が使っている銃とかの武器は帝国軍じゃあ使わないからな。残しておいても意味は無い。食料とかは半分だけ貰った、後から帝国軍が来て困る様な事はしちゃいけないってのが親っさんの考えだった。赤毛の大将はかなり恐縮していたらしいけど、まあ良いんじゃねえのかな。ウチだってそんなに阿漕な事ばかりしてるわけじゃないって分かっただろう。

変わった所じゃ医療品と衣料品を貰った。いやあ反乱軍の医療品と衣装品って良いんだな、ガーゼ、マスクなんか帝国のと全然違うぜ。帝国製は粗いんだよ、肌に優しくねえんだ。特に顕著なのが生理用品だな。反乱軍で使っている生理用品をリューデリッツのアンネに渡したんだけど凄く感謝されたぜ。全然違うって言うんだよ。試しに下着も渡したけどこっちも喜ばれた、肌触りも良いけどお洒落だってな。

俺も反乱軍が使っているワイシャツを使ってみたけどやっぱり帝国製とは肌触りが違うよな。ウチの組織は辺境で帝国製より少し割安で売ったんだけどあっという間に売り切れたぜ。面倒だったのは軍服だった、ジャケットはそのままじゃ売れない。反乱軍と間違われないようにちょっと色を変えて売ったんだけどこれもあっという間に完売した。おかげで俺の周りには似た様なジャケットを着ている連中が男女関係なく一杯居る。ちょっとした流行だぜ。

今回の内乱で一番吃驚したのはヴァンフリート星系を貰っちまったことだな。金が払えねえから領土でって良いのかよって思ったね。おまけに採掘した鉱物資源の半分は自分が買うとか明らかにこっちを利用してるよな。でもな、おかげで向こうと交易が出来る。

向こうから色々と持ってきてこっちで売るんだけど皆喜んで買ってくれる。工作機械とか土木機械とかな。俺の周りでも結構向こうの品が多くなってきた、電気ポットとかオーブントースターとか帝国製よりずっといいからな。最近じゃ辺境の外にも売っている。辺境での評判を聞いているんだろう。飛ぶように売れているよ。全てが上手く行っている。このまま行って欲しいもんだが……。

「キア、何をにやけてるんだ」
「そうそう、さっきから顔が緩みっぱなしだな」
「そんなことは無いさ」
テオドール・アルントとルドルフ・イェーリングか、煩い奴だな。上のお供で帰ってきたのか……。

「そうかな、俺にもにやけているように見えたがな。アンネの事でも考えていたか」
何処の馬鹿だ、この野郎。ゲッ、フランツ・マテウス、この野郎イゼルローン回廊から帰ってきてたのかよ。にやけているのはお前だろう。

アルントとイェーリングなら無視できるがマテウスは拙いな、一応俺の兄貴分だし根性も悪いからな。おまけにこの野郎、アンネにちょっかい出して邪険に扱われているらしいから扱いを間違えると後々ネチネチきそうだ。ここは素直に行くか。

「そうじゃ有りません。この事務所も手狭に感じるようになった。組織も大きくなったんだなあと思ったんです」
「確かにデカくなったよな。でもお前がデカくしたわけじゃないぜ」
「そりゃそうですよ」

何考えてるんだ、この馬鹿。そんなの当たり前だろうが。ついでに言えばお前がデカくしたわけでもねえだろう。そんな詰まらねえ嫌味しか言えねえからアンネに嫌われるんだ。彼女はお前より俺の方が好きだってよ。彼女、俺のプレゼントした下着を着けて俺とデートしてくれたぜ。

「マテウスさん、イゼルローン回廊の清掃はもう終わったんですか。なかなか大変だと聞いたんですが」
「いや、まだだ。デカいのだけで七回、細かいのも入れれば戦闘は何十回、いや百回を超えてるかもしれないからな。簡単にゴミは無くならねえ、片付けるのは結構大変だぜ」

だったら早くゴミ拾いに行けよ。そう思ったが“そうですか、たいへんですねえ”と言ってアルントとイェーリングに視線を向けた。奴ら素直に感心している、本心からだろうな。普段アルントはオーディン、イェーリングはフェザーンの事務所に居る。こっちの事情は詳しくは知らねえ。

辺境からヴァンフリートに行くまでにはイゼルローン回廊を通らなければならないんだがこれが結構大変だった。戦闘で破壊された艦の残骸が凄いんだ、嫌になるくらいある。輸送船は荷を運ぶから余り小回りは利かない、残骸とぶつかれば当然損傷する。となれば出来るだけ回廊の中央を通り衝突は避けたい。

だが回廊は軍との共同利用だからな、こっちの我儘ばかりは言えない。という事で出来るだけ残骸を取り去って回廊を広く利用しようとしているんだ。
「結構儲かるそうじゃありませんか、皆大したもんだって言っていますよ」
俺が言うとアルントとイェーリングが“え、そうなんですか”と声を上げた。マテウスの顔が綻ぶ、単純な奴だ……。

「ああ、儲かるぜ。艦の残骸だからな、希少金属を使っている。解体屋に持って行けば結構高く売れる。あの狭い回廊にゴロゴロお宝が落っこっている、そんな感じだな。笑いが止まらねえぜ」
そう言ってどのくらい儲かるかを話し出した。二十分近く話した後“お前らもしっかり稼げよ”と言って笑いながら去って行った。

「凄いな、そんな儲かるなんて知らなかった」
「ああ、マテウスさん頑張ってるんだ」
「……アルント、イェーリング、ちょっと外に出よう。ウルマン、俺達はちょっと外に居る、気分転換だ」
ウルマンは何も言わずに頷いた。アルントとイェーリングは不思議そうな顔をしたが大人しく付いてきた。空いている小部屋を見つけ中に入る。

「なんだよ、キア」
アルントが話しかけてきた。
「マテウスさんがイゼルローンで頑張ってるとか上の前で口にするんじゃねえぞ」
俺の言葉に二人が顔を見合わせた。“拙いのか”とイェーリングが小声で話しかけてくる。

「最初はな、嫌がったんだよ。軍が散らかした後始末をどうして自分達がやるのかってな。ブウブウ文句を言ったぜ。親っさんに怒られても不満面しやがった。態度が変わったのは最近になって儲かる事が分かってからさ」
「……でも、儲かれば嬉しいだろう」

「そういう問題じゃねえんだよ、イェーリング。あの仕事はなあ、儲けなんか関係ないんだ」
「……」
「俺達はな、イゼルローン回廊を使わせてもらっている立場なんだ。そんな俺達がだ、デカい顔して道のド真ん中通っていたら軍は面白くねえだろう、違うか」
俺の言葉に二人は渋々頷いた。まだ分かってねえな。

「しかし、ローエングラム公から使用権は得たのだろう?」
「だからなんだ、アルント。そんなもんは金髪がその気になりゃいつでも取り消せるんだぜ。回廊でちょっとした事故でも起こしてみろ、黒姫には使わせねえ、そう言いださない保証が有るか? そうならねえように俺達は努力しなくちゃならねえんだ」
「……」
「不満そうな面するんじゃねえよ。俺達は弱い立場なんだ。軍を相手に喧嘩出来るか?」
二人が力なく首を横に振った。

「黒姫一家はイゼルローン回廊を使うために一生懸命努力している。軍に迷惑をかけないようにしている。これなら使わせてやっても良いじゃないか、俺達は連中にそう思わせなきゃならねえ」
「……」

「あの回廊を使う事で俺達は凄い利益を得ているんだ。鉱物資源もそうだが反乱軍から民生品をたくさん買い付けている。そいつが辺境の人達の暮らしを豊かにして発展させているんだ。辺境が発展しなければ俺達だって頭打ちだぜ」
「……そうだな、皆豊かになってるもんな」
「うん」
ようやく分かってきたか。

「お前らは外に居るから分からねえのかもしれねえ。でもな、こいつは親っさんがいつも言ってることなんだ。海賊としてはデカくなったけど軍と比べればゴミみたいなもんだってな。おまけに必ずしも好まれてはいねえ。生き残るためには帝国のために役立っている、そう思わせなきゃならねえってな」
「……」

「自分だけが儲かればいい、そんな考えは許されねえんだ。それをあの馬鹿、全く分かってねえ。その内副頭領あたりにシメられるぜ。お前らもトバッチリ喰いたくなかったら上の前でしゃべるんじゃねえ。忠告したぞ、知らねえ仲じゃねえからな」

「ああ、有難う、キア」
「気を付けるよ、知らなかった」
アルントとイェーリングが礼を言ってきた。ぞろぞろ三人で戻るのもなんだ、二人を先に部屋に戻らせた。世話の焼ける奴だぜ。

マテウスの馬鹿は回廊の件だけじゃねえ、ヴァンフリート4=2の件でも行きたくねえとか騒いで上から目を付けられてる、何考えてんだかさっぱり分からねえ。……反乱軍の造った基地、今は帝国軍が破壊して廃棄されてるがウチはそれを改修して使おうとしている。ヴァンフリートにも根拠地は居るからな。予定通りに行けば後一ヶ月程で使用可能になるはずだ……。

部屋に戻るとウルマンが話しかけてきた。
「注意したのか」
「ああ、知らねえ仲でもないからな」
「お前がやらなきゃ俺がやってたぜ。浮かれてる時じゃねえんだ、ルーデルもそう言ってる」

溜息が出た。組織はデカくなった、辺境は発展している、良いことづくめだ。その所為で皆が浮かれちまってマテウスみたいな馬鹿が出てきた。その事で上の方は頭を痛めてる。おそらく今日の最高幹部会議でもその事が話題になっているはずだ。多分、組織の引き締めを行うと思うんだが、どんな事をするのか……。

「金髪はどう出るかな、キア」
「一応奴は親っさんに借りが有るからな、問題は奴の部下だろう。親っさんに顔を潰されたようなもんだ」
「まあ、そうだよな。二度も武勲第一位を取られちゃ立つ瀬がねえ。おまけにイゼルローンも有る。連中にしてみれば借り家住まいのような気分かもしれん」

今度はウルマンが溜息を吐いた。組織の人間には親っさんには出来ない事は無いと思っている奴が多い。その内海賊組織を統一して海賊王になるんじゃねえかとか言ってる奴もいる、まあ冗談だろうがな。でも近くに居る俺達から見るとそうじゃねえ。親っさんはかなり苦労をしている。

「キア、来月には総会が有るな」
「ああ、場所はオーディンだ。嫌な予感がするよ」
「俺もだ」
最高幹部会議が終わったぞ、と言う声が聞こえた。幹部達が姿を現す、皆表情が厳しい。前途多難、だよな、溜息が出るぜ……。



帝国暦 489年 2月20日   オーディン 宰相府 ラインハルト・フォン・ローエングラム



目の前にオイゲン・リヒター、カール・ブラッケが居る。俺の頼みで社会経済再建計画を作ってくれた改革派と言われる男達だ。
「如何でしょう、これまで私達の計画に大きな問題は有ったでしょうか」
「いや、特にない。細かい点で問題は出るが大本が間違っていなければ修正は容易い、十分に満足している」

ブラッケの問いに答えると二人が嬉しそうに笑みを浮かべた。問題は無い、成果は出ている。この二人に頼んだのは間違いではなかった。気に入らないのは俺より先にあの男がこの二人に声をかけた事だ。
「調べてみたのだが辺境から徴収される税はあまり多くは無いのだな」
俺が問いかけると二人が顔を見合わせた。

「元々貧しい事も有りますが中央に比べれば人口が少ないのです。止むを得ない事でしょう」
「それでもここ二、三年で辺境から徴収される税は大幅に増収になっています。直接税、間接税共にです。他の地域ではこんなことは有りません」
「なるほど、そうか……」

そこまでは見ていなかった。直接税、間接税による税収が増えた、つまり収入が増え物を買う人間が増えたという事か。不安なら消費を控え貯蓄をするはずだ。辺境の住人は先行きにあまり不安を感じていない……。二人にその事を確認するとその通りだとリヒターが答えた。

「それと法人税が増収になっています。企業進出が順調に進んでいる、そう言う事でしょう」
「なるほどな」
帝国全土で貴族達が好き勝手をし平民達が喘いでいる中で、辺境だけが健全な状態で繁栄していたという事か……。帝国であって帝国でない、そんな感じだな。

「辺境からは何か言ってきているのでしょうか?」
ブラッケがこちらの表情を窺うような表情で尋ねた。向こうの事が気になるか……。
「医療と教育の面を助けて欲しいと言っている。医者と教育者の数が足りないらしい。あの男でもママならない事は有るようだな」
「……そうですか、人はどうしても利便性の良い場所に住みたがります。辺境は不利ですな」
「うむ」
本当に不利なのか疑問に思う時が有るがな。

二人が帰るとフロイライン・マリーンドルフが話しかけてきた。
「閣下は黒姫の事を如何お考えなのですか」
「何故そんな事を聞くのかな」
もう少しで“何故そんな嫌な事を聞くのかな”と言いそうになった。
「先程揶揄される様な言い方をされましたので……。あの二人も困ったような表情をしていました」

「優れた用兵家だ」
「……」
「……行政官としても一流だろう」
どうしようもない根性悪でロクデナシの欲張りだがな。腹立たしい事に奴は俺の命の恩人で俺の周囲に馬鹿しかいないように見える位役に立つんだ……。

 

 

第十三話 商人達の憂鬱



帝国暦 489年 3月 1日   フェザーン  ボリス・コーネフ



宇宙港のビルのオフィスに行くとマリネスクがこちらを見た。表情が明るい、どうやら仕事が見つかったようだ。
「事務長、仕事が見つかったのか」
「見つかりました。人を運ぶんです」
「……また地球か……」
「また地球です」

溜息が出た。あいつらを地球に運ぶのは気が滅入るんだよな。なんだってあんな何にもないド田舎に行きたがるんだ? さっぱり分からん。おまけに貨物扱いだ、運ぶほうの気持ちも考えてくれ。人間を荷物扱いするのが楽しいと思っているのか? 毛布にくるまっている難民なんて見ても全然楽しくねえぞ。どっかに心が浮き立つような仕事がないものか……。

「溜息を吐かないでください。結構これは儲かるんです。行きも帰りも積荷が満載ですから」
「分かってるよ、事務長。不満は言わない、でもその積荷ってのは止めろよ。相手は人間なんだから」
俺の言葉にマリネスクが頷いた。

「確かにそうですな、気をつけましょう。でも船長も溜息は止めてください。借金も無くなったし情報部員でもなくなったんですよ、良い事づくめじゃないですか。まあ燃料の心配はしなければなりませんが文句を言ったら罰が当たりますよ」
「それを言うな」
思わず口調が苦くなった。口調だけじゃない、表情もだ。自分がしかめっ面をしているのが分かる。

フェザーン自治領主アドリアン・ルビンスキーが俺を情報部員にしようとしたのは昨年の事だった。狙いは一つ、自由惑星同盟軍大将ヤン・ウェンリーと俺とが幼馴染である事を利用したかったのだろう。見返りは借金の返済と燃料の無料提供だった。ムカつく話だったが受けざるを得なかった、首輪をつけられたのだ。だがルビンスキーの目論見は狂った。イゼルローン要塞が陥落したのだ。

ルビンスキーにとってヤンの重要度は一気に下がった。そして元々ヤル気を見せなかった俺に対し利用価値は更に少ないと見たのだろう。俺の情報部員としての価値は皆無に等しいものになった。俺の飼い主は有難い事に首輪を外してやるから好きな所に行けと言ってくれた。

飼い主が金を返せと言わなかったのは有難かった。まあ向こうにしてみれば俺の借金など端金だろう。なんだか知らないが気が付けば首輪も無ければ借金も無くなっていた。世の中時にはこういう不思議な事も有るらしい。三十年近く生きてきたがこんな事は初めてだ。

ヤンの奴、どうしているかな。第十三艦隊司令官としては留任したそうだが立場はかなり悪くなっただろう。何と言ってもアルテミスの首飾りをぶっ壊した上にイゼルローン要塞を奪われたのだからな、ハイネセンは丸裸も同然だ。周囲から責められることも有ったようだが良く軍を辞めなかったもんだ。それにしても、あのイゼルローン要塞がああも容易く落ちるとは……。ちょっと前までは想像もつかなかった……。

「何を考えているんです、船長」
マリネスクが俺をじっと見ている。いかんな、マリネスクは頼りになる事務長なんだが今一つ俺を信用していない。
「おいおい、そんな疑い深い目で俺を見るなよ。どっかに景気の良い話はないかと思ったんだ。金属ラジウムとかダイヤの原石とかな、今年のシンドバッド賞を取りたい、そう思ったって悪くはないだろう。トロフィーが欲しいじゃないか」
そう言って陽気にマリネスクの肩を叩くと呆れた様な顔をした。

「そんな景気の良い話を探してるんなら黒姫の所に行くんですね」
「辺境にか? 俺に海賊になれっていうのか、マリネスク」
マリネスクが肩を竦めた。
「別に辺境に行かなくても海賊にならなくても仕事は有りますよ、このフェザーンで」
「はあ?」

マリネスクが携帯用PCを操作し始めた。太い指を器用に動かす。そしてスクリーンを俺に見せ、指で示した。
「これです」
「……ハーマン輸送株式会社じゃないか」
「ええ」

ハーマン輸送と言えば……。
「経営状態良くないって聞いたがな、違ったか」
「それは去年の話です。……まあ船長はあの頃は不貞腐れて酒ばかり飲んでましたからね。気付かなかったんでしょう」
……そんな軽蔑する様な目で見なくても良いだろう。俺は船長なんだぞ、マリネスク。

ハーマン輸送株式会社は五十隻ほどの輸送船を保持する小規模の星間輸送会社だったはずだ。船を持たない船長と一年、或いは複数年の契約を結びハーマン輸送会社の所有する輸送船の運用を任せる。仕事自体はハーマン輸送株式会社が斡旋するか或いは船長自ら仕事を取ってくるか、その都度船長とハーマン輸送株式会社の間で調整する。フェザーンでは特に珍しくもないごくありふれた普通の星間輸送会社だ。

この手の輸送会社と契約するのは若い船長が多い。金もなければ経験もない、船を持てない船長だ。船を動かすクルーさえ輸送会社から紹介してもらう場合が有る。彼らは輸送会社の斡旋する仕事をこなす事で経験を積み仲間の信頼を得ていく。そうやって一人前の船長になるわけだ。ある程度の金が溜まったら船を買い自らの力で宇宙に出ていく。

輸送会社は船長に仕事を斡旋するのだから仕事を取って来るだけの力が要る。信用、交渉力、財力輸送会社、縁故……。ハーマン輸送会社は或る門閥貴族と密接に繋がっていた。その貴族の領地から産出される産物を一手に引き受け、同時にその領地に対して必要な物資を運んでいた。ハーマン輸送会社で扱う仕事の五割はそれだっただろう。ハーマン輸送会社は比較的安定した仕事を船長に提供できたわけだ。若い船長達にとっては安心できる輸送会社だったはずだ。

しかしフリードリヒ四世の死が全てを変えた。大規模な内乱が起きれば仕事は途絶える。ハーマン輸送会社は必至で安定したパートナーを見つけようとした。或いは戦時物資の調達を行おうとした。しかし上手くいかなかった。内乱が始まり貴族からの仕事が途絶えた。武器、食料等の調達の仕事は大手の輸送会社に取られた。そして最悪だったのは貴族連合の敗北により繋がっていた貴族が没落した事だ。経営が傾きかなり酷いと聞いたんだが……。もう一度スクリーンを見て積荷を確認した。リチウム、モリブデン……、レアメタルか……。結構旨味の多い仕事だな。それに比べて俺は……、溜息が出そうだ。

「ハーマンは持ち直したのか、マリネスク」
俺が問いかけるとマリネスクは首を横に振った、違うのか……。
「駄目でした、去年の暮れにはハーマンの株価は底値で投げ売り状態でしたよ。売りたくても買い手が付かない、あのまま行けばハーマンの倒産は確実でしたね」
あのまま行けば……、行かなかったという事だな。

「……つまり、なにか、黒姫が資金援助でもしたのか」
「そうじゃありません。ハーマン輸送会社の株の九十パーセント近くを黒姫が買ったんです。あの会社は今では黒姫の会社ですよ、社長はフェザーン人ですがね」
「よく分からんな、それで仕事が来るのか、いや来るんだろうな、これを見ると」
俺がスクリーンを指で差すとマリネスクが“ええ”と頷いた。

妙な話だ、黒姫一家はフェザーンでは全く受け入れられていない。昨年内乱が起きる前に黒姫一家が事務所を開いた。事業を拡大するためだと聞いたが彼らに仕事を依頼する人間も企業も現れなかった。明らかにフェザーンの嫌がらせだった。誰からも相手にされない黒姫一家に対してフェザーン人は冷笑を浮かべたはずだ。

黒姫一家がフェザーンで受け入れられなかったのは彼らが略奪等の海賊行為を働くからではない。俺の知る限り黒姫一家がその手の蛮行を行ったことは一度も無い。黒姫一家は海賊組織ではあっても犯罪者の集まりでは無いのだ。黒姫一家がフェザーンで受け入れられないのは余りにも彼らが荒稼ぎしすぎるからだった。

フェザーン商人でさえ鼻白む程の稼ぎっぷりが嫌われている。今年のシンドバッド賞を取った商人でも黒姫の前には霞まざるを得ない、バランタイン・カウフでさえ霞むだろう。そう言われるほど彼らは稼ぎまくっている。黒姫はその商才をフェザーン人に嫉まれ疎まれているのだ。無理もないだろう、辺境の小さな海賊組織を僅か数年で帝国屈指の海賊組織にしたのだ。生半可な稼ぎで出来る事ではない。

逆に黒姫の方はフェザーンを拒絶したことは無い。彼らの縄張りである帝国辺境にはフェザーン商船が進出している。しかし彼らが黒姫に補給や取引の面で嫌がらせや拒絶をされたことは無い。フェザーン商船にとって帝国辺境は裕福ではないが極めて安全で商売のし易い地域のはずだ。

フェアーとは言えない。本来なら黒姫一家は何らかの抗議、或いは実力での警告を示しても良かった。しかし彼らは何もしなかった。内乱で忙しかったという事も有るだろう、また黒姫一家は比較的業績が好調だとも聞いている。その所為かと思っていたのだがどうやらそうではなかったという事か……。彼らは水面下で動いていた……。

「どういうことだ、マリネスク。何故連中に仕事が来る」
うっ、少し僻みっぽかったかな。マリネスクが肩を竦めた。
「イゼルローン回廊の所為ですよ」
「イゼルローン回廊?」
「ええ」

マリネスクが説明を始めた。昨年、フェザーンの黒姫一家の事務所に仕事を依頼する企業、人間が現れなかったのはフェザーンが非公式に黒姫一家と取引をすれば同盟からの生産財を提供するのを止めると通告したかららしい。どういう立場の人間が通告したのかは知らないが黒姫と取引をする人間が出なかった事を見ればそれなりの立場に在る人間が行ったのだろう。

生産財の品質は帝国製よりも同盟製の方が品質は優れている。ほんの僅かな品質の差で利益に大きな差が出る事も有る。なにより現在使われている生産財が故障した時どうするのか、帝国製に切り替えるのか……。利益を優先せざるを得ない企業にとっては選択は無かっただろう。企業が控えれば人間もそれに倣う。そのため黒姫と取引をする企業も人間も現れなかった。

意図するところは明らかだ。黒姫一家は辺境の一海賊組織で良い、フェザーンにまで進出して大規模な活動など許さない、そう言う事だろう。しかしイゼルローン要塞陥落、回廊の通行権を得た黒姫一家が同盟との間にヴァンフリート割譲条約を結んだことで全てが一変した。

「同盟の生産財はフェザーンの独占物では無くなった、それが理由だったのか……」
「その通りです」
脅しは通用しなくなった。フェザーンが提供しなければ黒姫が提供する。黒姫の影響力は強まる一方だろう。

「他にも理由が有りますよ、船長」
「?」
「企業は辺境に進出したいんです。イゼルローン要塞が陥落した事で辺境の安全性は高まった。ここ数年、黒姫一家が投資してきたせいで辺境は企業が進出しやすくなっている。そして辺境に出るとなれば黒姫との協調関係は不可欠なんですよ。あそこにそっぽを向かれたらどうにもなりません……」

「だからハーマンを使うのか」
「表向きは輸送費が安いという事になっていますがね。あそこの社長は雇われマダムですから黒姫から給料を貰って社長業をしているだけです。オーナーの黒姫は殆ど利益を取っていないらしいんですよ。だからその分だけ輸送費が安いんです」

利益は度外視か……、辺境が儲かっている所為だな。とりあえずはフェザーンでの立場を確立しようと言う事だろう。羨ましい話だ、俺にもそれくらいの余裕が有ればな……。一度でいいから金の心配をせずに船を動かしてみたいもんだ。

俺が溜息を吐くとマリネスクが“船長”と声をかけてきた。
「ハーマンだけじゃありません。黒姫は他にもガルーダ、ファンロン、メンデルの三つの輸送会社を手に入れてます」
「ほう」

どれもハーマンと同じだな、貴族と強く結び付いてた。得意先の切り替えが上手くいかなかったんだろう、潰れかけた所を黒姫が安く買ったというわけだ。しかし四社合わせれば輸送船は二百隻を超えるかもしれんな。
「今では黒姫はフェザーンの輸送会社を使って同盟と帝国の間を行き来しているんです、大したもんですよ」

「なるほどな、イゼルローン回廊だけじゃなくフェザーン回廊もか……。そうなると上の方はなんか嫌がらせとかしそうなもんだがな」
俺の言葉にマリネスクがまた肩を竦めた。
「黒姫をコケにした結果がヴァンフリート割譲条約ですからね。嫌がらせも難しいと思いますよ」

……そうかもしれないな、並みの相手じゃないのは確かだ。イゼルローン要塞を分捕ってローエングラム公の戦勝祝いに進呈する、身代金の代わりにヴァンフリート星系を貰い受ける。宇宙を舞台にやりたい放題やっている、豪快そのもの、まさに宇宙海賊と言うべきだろう……。片手に杯、片手に美女、羨ましい限りだ。

「それと黒姫一家は海賊組織に強い影響力を持っていますからね」
「ワーグナー一家か」
俺の言葉にマリネスクが首を横に振った。
「それだけじゃありません。ベーレンス一家とシュワルツコフ一家もです」
「どういう事だ、それは」

ベーレンス一家はアイゼンフート星系、シュワルツコフ一家はエッカート星系を縄張りとしていたはずだ。どちらも中規模の組織でフェザーンに近い。しかし黒姫が彼らと親しいなんて話は聞いた事がない。黒姫が親しいのはワーグナー一家の筈だ。カストロプの動乱では協力して阿漕に稼ぎまくっていた……。

「連中も内乱で結構痛手を被ったんですよ、貴族と密接に関わっていましたからね。そこに手を差し伸べたのが黒姫なんです」
「と言うと」
「フェザーンから帝国領内への輸送船の護衛を彼らに頼んでいるんです。連中にとって黒姫は大切な客なんですよ」
「……」

「フェザーンが嫌がらせをして黒姫が輸送船を出さなければ連中は大きな損害を受けるんです。そうなったら連中が何をするか……」
マリネスクの声は溜息交じりだ。
「積荷を奪うっていうのか」

「そうは言いませんが、……自分の所で補給しろとか通行税を払えとかって言うのは有るかもしれません」
「なんてこった、喉元に刃物を突き付けられてるようなもんじゃないか」
「ええ」

溜息が出た。マリネスクも溜息を吐いている。とんでもない野郎だな、黒姫は。自分の手は汚さずにフェザーンを締め上げるのか。豪快なだけじゃない、何とも陰険で狡猾な野郎だ。
「……二人で溜息を吐いていても仕方ないな、地球に行くか」
「そうですね、それが良いと思います」
「マリネスク、……俺も海賊になった方が良いと思うか?」
「……」
そんな目で見るな、冗談だよ、冗談。だから溜息を吐くのは止めてくれ、な、マリネスク……。


 

 

第十四話 覇者と商人




宇宙歴 798年 3月10日   ハイネセン  ユリアン・ミンツ



宇宙港の到着出口にキャゼルヌ少将の姿が見えた。
「キャゼルヌ先輩」
「キャゼルヌ少将」
声を上げると気付いたのだろう、キャゼルヌ少将が手を上げて近づいてきた。スーツ姿だ。軍服よりも似合っている。

「ヤン、ユリアン、元気だったか、二人とも」
「元気ですよ、我々は。先輩こそ御元気でしたか」
「見ての通りだ、元気だよ」
嬉しそうに話しかけてくる。嘘じゃないみたいだ。ヤン提督もホッとした様な表情をしている。

「少将は何時エル・ファシルに戻るんです」
「その少将と言うのは止めてくれ。俺は退役したんだからな、キャゼルヌさんで良いさ。但し、おじさんは付けるなよ」
僕がヤン提督を見ると提督が苦笑しながら頷いた。

「分かりました。キャゼルヌさんって呼びます」
「明後日の船で戻る。今日も明日も夜は空いているぞ、ユリアン」
「三月兎亭に予約を入れて有りますよ。行きましょう、先輩。明日はアッテンボローも来ます」
「そいつは楽しみだな」

ヤン提督の言葉に従って無人タクシー乗り場に向かう。幸い待ち人はそれほど多くなかった。五分程待つとタクシーに乗る事が出来た。タクシーに乗るとキャゼルヌさんが話しかけてきた。

「済まんな、ヤン。俺の所為でお前さんには苦労をかける」
「そんな事は」
「いろいろ聞いている。嫌な思いをしているってな」
「そんな事は、……それより私の方こそキャゼルヌ先輩を守れませんでした、済みません……」
ヤン提督の言葉にキャゼルヌさんが首を横に振った。

「それは違う、俺は帝国領侵攻作戦で一度失敗しているんだ。そんな俺をお前さんがイゼルローン要塞に呼んでくれた。俺を信じて要塞を預けてくれたんだ。だが俺はその信頼に応えられなかった。イゼルローン要塞を守れなかったんだ。軍を辞めるのは当然だよ」
「……」
ヤン提督が黙り込んだのを見てキャゼルヌさんが笑いかけた。

「そんな顔をするな。俺はこの通り民間でバリバリやっている、心配はいらん。心配なのはお前さんの方だ」
「……何度か辞めようと思いました。でも、シトレ元帥に止められました。レベロ議長にも……、また辞め時を失いましたよ」
「……そうか」
ヤン提督もキャゼルヌさんも少しの間無言だった。

「シトレ元帥はレベロ議長の相談に乗っているそうです。私の事も議長に話したようです」
「そうか……。正直俺はお前さんが軍に残ってくれてほっとしている。そして済まないとも思っている。お前さんがこれから苦労するのは分かっているからな……」
「……」

苦労していると思う。昨年の内乱を鎮圧したのはヤン提督だった。本当ならヤン提督は反乱を鎮圧し民主共和政を守った救国の英雄と呼ばれても良かった。実際途中まではそう呼ばれていたけどイゼルローン要塞の陥落が全てを台無しにしてしまった……。

アルテミスの首飾りの破壊、第十一艦隊の殲滅。イゼルローン要塞を失った同盟にとってはどちらも致命的な損失だと受け取られた。そして反乱を起こしたのが副官グリーンヒル大尉の父、グリーンヒル大将であることまでがマイナスに取られた。

ヤン提督が第十三艦隊の司令官の職に留まれたのはドーソン大将がイゼルローン要塞を空にして内乱を鎮圧せよと命令した事、そしてビュコック提督の命令書のお蔭だった。ヤン提督はあくまで命令に従って行動した、イゼルローン要塞陥落に直接の責任は無い、そう判断された。

“ヤン・ウェンリーの軍事的才能は同盟を丸裸にした” 多くの人間がヤン提督をそう批判する。批判だけじゃない、若くして大将にまで昇進したヤン提督に対するやっかみも入っているだろう、ザマ―ミロ、そんな感情も有るのかもしれない。しかしヤン提督は酷く参っている。自分のやった事が全て裏目に出た、民主共和政を反乱から守ったけど帝国からは守れないのではないかと悩んで、いや絶望している……。

その絶望は提督だけの物じゃない、同盟市民全てが共有する物だ。最近のマスコミは“同盟崩壊”という言葉を良く使う。そして帝国の改革を話題にする。多分自分達に密接に関係する事になる、そう考えているからだろう。同盟市民の関心も高い。

沈黙が落ちた、今日ヤン提督は軍服を着ていない、私服姿だ。軍服を着れば自分がヤン・ウェンリーだと周囲に知られてしまう。そうなれば必ず自分を非難する人間が出る。キャゼルヌ先輩にはこれ以上は無い辛い仕打ちになるだろう……。家を出る前に僕に言った言葉だった。そしてこう続けた、私は軍人らしく見えないから助かるよ……。泣きたくなった。

三月兎亭に着いた。ホッとする思いでタクシーを降り三月兎亭に入った。有難い事に室内の照明は薄暗い、これならヤン提督の事は分からないだろう。老ウェイターが注文を取りに来た。皆で肉料理をメインのコースを頼む。飲み物は七百六十年産の赤ワインと一杯のジンジャーエール。

キャゼルヌさんが新しい職場の事を話してくれた。今はエル・ファシルに有る軍需物資を取り扱う企業に勤めている。退役後、キャゼルヌさんの就職は早い時期に決まった。士官候補生時代に書いた組織工学に関する論文が評価されたみたいだ。ヤン提督はキャゼルヌさんがハイネセンを離れたのは二人の娘のためではないかと言っていた。心無い人達がキャゼルヌさんの家族にまで非難を浴びせたらしい。情けない……。

食事が進む中、ヤン提督とキャゼルヌさんが話し始めた。
「先輩、エル・ファシルは如何ですか」
「活気が有るな、ハイネセンよりもずっと活気が有る。理由は分かるだろう」
キャゼルヌさんが意味ありげな笑みを浮かべた。

「黒姫一家ですか。交易のためにかなりエル・ファシルに来ていると聞きますが……」
「そうなんだ、エル・ファシルにとって連中は大事なお客様だ。鉱物資源を売ってくれるし生産財を大量に買って行く。連中、ヴァンフリート4=2の基地を修復して使うらしい。そのための資材も大量に買っていくよ。エル・ファシルはちょっとしたバブルだ」

「あの、皆怖くないんですか、海賊なんですよね。気に入らなければ暴力を振るうとか……」
僕が問いかけるとキャゼルヌさんが苦笑を浮かべた。
「俺も最初はそう思った。しかしどうも違うようだな」
「違う?」
ヤン提督も不思議そうな顔をしている。違うって何だろう。キャゼルヌさんがヤン提督のグラスにワインを注いだ。

「連中に海賊だろうって聞くと海賊だって答える。だけど犯罪者じゃないって答えるんだ」
「?」
「海賊と言っても色々居るらしいんだな。本当の海賊も居れば自警団みたいな奴もだ。帝国ではみんなまとめて海賊なのさ」
「自警団……」
ヤン提督が呟いた、そして一口ワインを飲む。

「黒姫一家は帝国辺境領域を縄張りとした自警団で商人でもあるらしい。俺も連中に直接会ったんだがごく普通なんだよ、特に変わったところは無い。俺がイゼルローン要塞に居た事を話すと済まなさそうな顔をされた。妙な気分だったな」
そう言うとキャゼルヌさんがまた苦笑を浮かべた。

「傭兵じゃないんですか」
「違うようだな、連中、戦闘には直接参加はしていないらしい」
変なの、黒姫一家って二年連続でローエングラム公に武勲第一位って褒められたんだけど戦闘には参加していない? ヤン提督もキャゼルヌさんも不得要領な顔をしている。

「大体武装艦は千五百隻程度しか所持していないらしいんだ。戦闘では大した活躍は出来ないんじゃないのかな。アムリッツアでは輸送船の拿捕だったし、内乱では補給の支援をしたと聞いている」
「なるほど……。しかしイゼルローン要塞は攻略しましたが」
ヤン提督の言葉にキャゼルヌさんが頷いた。

「驚いていたな」
「驚いてた?」
「ああ、俺が会った奴は知らなかったらしい。黒姫一家の中でも極秘作戦だったようだ。大体黒姫自身が作戦に参加していない」
「ですが作戦は黒姫が立てたと聞いています」
「そうなんだ」
少しの間沈黙が有った。二人とも視線を合わせたり逸らしたりしている。

「まぐれだと思うか?」
「……いや、それは有りませんね。あの作戦はあのタイミングでしか実行できません。駐留艦隊がイゼルローン要塞から遠く離れている、ローエングラム公も内戦で身動きが取れない。つまり誰も敵が攻めてくるとは考えていなかった。そして貴族連合が敗北して亡命者が出てもおかしくは無い状況……、一瞬の隙を突かれました。報せを受けた時、何が起きたのか分かりませんでしたよ」

キャゼルヌさんが頷いている。
「何を考えているのかな。要塞を取っても通航権と引き換えにローエングラム公に渡してしまう。六千億帝国マルクの身代金も同盟との交易の権利とヴァンフリート星系の割譲で放棄……。俺の考えでは連中は金よりも交易を望んだように見えるんだが……。どう思う、ヤン」
ヤン提督が頭を掻いた。ちょっと困っているのかな。

「シトレ元帥から聞いたのですが彼らは余り身代金には拘らなかったそうです。先輩の言う通り、交易の方を望んだのでしょう」
「そうか……」
「最初の交渉で同盟政府に金が無いのは分かっている、二億帝国マルクを現金でくれるのなら残りは金じゃなくても良いと言ったそうですよ」
「妙な話だな」

キャゼルヌさんの言う通りだ。六千億帝国マルクを請求しておいて現金は二億帝国マルクで良いなんて何を考えているのだろう。しかも最初の交渉でそんな事を言うなんて……。なんだかお金なんかいらない、他の物を寄こせって言ってるみたいだ。

「そのうえで同盟領内での交易権と交易の継続性を保障してくれと言ったとか……。ヴァンフリートを割譲して彼らに開発させるというのはそこから出たんですがどうも向こうに誘導された様な感じです。シトレ元帥も首を傾げていましたよ、妙な連中だ、本当に海賊なのかって。商人だと考えると納得がいきます」
「……」
「何となくウイグル人を想像しますよ」
「ウイグル人?」
僕とキャゼルヌさんが問いかけるとヤン提督が“ええ”と頷いた。

「人類が地球を唯一の住み家としていたころですが、チンギス・ハーンとその子孫がモンゴル帝国を築いた時代が有りました。最盛期には地上の約四分の一を支配下に置いたんですが彼らの勃興には強力な国家による交易活動の保護を期待するウイグル人の協力が有ったんです」
「……」

「彼らは交易活動で得た情報、財力をモンゴルに提供し官僚、軍人としても協力した。それに対してモンゴル帝国は関税を撤廃して商業を振興する事で応えたんです。その結果交易が隆盛し、モンゴルに征服されなかった国々までもが陸路、海路を通じて彼らの交易のネットワークに取り込まれました」

キャゼルヌさんがヤン提督の言葉に頷いている。
「確かにそんな感じだな、フェザーンはあくまで帝国と同盟を分離してその中間で利益を得ようとしているが黒姫は両方をくっ付ける事で利益を得ようとしているように見える。お前さんの言う通り、ウイグル人だ」

「彼らがローエングラム公に味方したのも貴族連合では帝国内は活性化しないと考えたからでしょう。実際にローエングラム公は政権を取ると同時に改革を始めている」
「彼らにとっては商売をし易い環境か……」
「ええ」

少しの間沈黙が有った。ヤン提督もキャゼルヌさんもワインを飲みながら何かを思っている。多分黒姫の事だろう。
「先輩、黒姫とフェザーンとの関係はどうなんでしょう」
「悪い」
一言だった。余りの断定振りに思わずヤン提督と顔を見合わせ笑ってしまった。キャゼルヌさんも一緒に笑っている。

「フェザーンにとっては中継貿易の独占を崩されたんだからな、面白くは無いさ。それに彼らは実際に被害も受けている」
「被害?」
僕が問いかけるとキャゼルヌさんが頷いた。

「フェザーンを介して帝国の物産を買う事が有るんだが以前に比べると安くなったんだ。連中、かなり儲けていたようだな。だが今では黒姫が安く提供してくれるからな、フェザーンも価格を下げざるを得ない。おそらく同盟から帝国に持っていく物も同様だろう」
「というと黒姫は商人としては良心的ですか」
ヤン提督が問いかけるとキャゼルヌさんが苦笑した。

「俺にはそう見えるんだがフェザーン人によると黒姫は阿漕で血も涙もない奴、という事になる」
「はあ、……商人としてフェザーン人にそう言われるのは褒め言葉なんですかねぇ」
ヤン提督が頭を掻いている。なんか可笑しくて笑ってしまった。キャゼルヌさんも笑っている。

「黒姫が組織の長になった時、彼の組織は誰も気にかけない様な小さな組織だった。だが僅か数年で帝国でも指折りの組織に拡大したんだ。尋常な手段では難しいだろうな」
「犯罪に関わったという事ですか」
キャゼルヌさんが小首を傾げている。“どうかな”と呟いた。

「噂は色々と有るんだが確証は無い様だ。誹謗、中傷の類と言う事も有るだろう。ただ、……貴族の相続争いや反乱が起きた時には必ず黒姫の影が有ると言われている。その騒乱を利用して巨大な利益を得てきたらしい。……黒姫が動く時は貴族が死ぬ、黒姫は死の使い……、フェザーン人はそう言って怖気を振るっているよ。怖い話だよな」
「……」

「帝国には黒姫一家以外にも海賊組織が有るんだが黒姫一家は他の海賊組織から一目も二目も置かれているらしい。その中には本当の海賊も居る。フェザーン商人だけじゃない、海賊達からも黒姫は恐れられているのさ……。俺もその恐ろしさは分かっている」
キャゼルヌさんが溜息を吐いた。

「そうですね、私も彼を恐ろしいと思います。彼とローエングラム公、一体どんな事を考えるのか……」
今度はヤン提督が溜息を吐いた。

何時の間にか食事は終わっていた。美味しかったはずだけど今一つ良く覚えていない、そんな食事だった……。



 

 

第十五話 海賊達の総会



帝国暦 489年 3月30日   オーディン  テオドール・アルント



オーディンの宇宙港の到着出口に大勢の利用客が現れた、しかし俺達の待ち人は現れない。
「遅いですね、所長」
「そうだな」

イライラする。巡航艦バッカニーアが宇宙港に着いたのは四十分も前の事だ。普通なら十分前には親っさん達は到着出口に現れている。一体何が有ったのか……。ここには自分を入れて十人で迎えに来ているが皆いい加減焦れてきている……。

「落ち着け、アルント」
「ですが」
「落ち着くんだ。アルントだけじゃない、皆も落ち着け。ここに居るのは俺達だけじゃない、皆が俺達を見ている事を忘れるな。おたおたすると足元を見られる」

低い声でリスナー所長に押さえつけられた。ハインリッヒ・リスナー、オーディンに有る黒姫一家の事務所の所長だ。親っさんの代理人として百人以上の人間をオーディンで動かしている。この仕事に着くまではリューデッツでインフラ整備を担当していた一人だ。まだ三十代半ばだが冷静沈着な人間だと一家の中では評価されている。親っさんの信頼も厚い。

「安心しろ、幸い変な騒ぎは起こっていない。多分何らかの事情で足止めを食らっているんだろう」
「そうですね、……それにしても連中、何者でしょう」
「さあな。……あんまりじろじろ見るんじゃないぞ」

到着出口付近には俺達以外にも人が居る。友人、家族、恋人を迎えに来たのだろう。だがそれとは明らかに様子の違う人間達が居る。わざと目立つようにしている者、さりげなく佇んでいる者。私服、軍服、男、女……。誰かを迎えに来ているのではない、何かを待っている。おそらくは親っさんだろう。

「警察と軍でしょうか、それにしてはちょっと多い様な気もしますが」
俺が問いかけるとリスナー所長がチラッと俺を見た。
「まず警察だな、社会秩序維持局は有難い事に活動停止だ。軍からは憲兵隊と情報部だろう。あとは同業者とフェザーンだな……」

警察、情報部、憲兵は自分にも見当がついた。でも同業者とフェザーンは気付かなかった。まだまだだ。
「軍服を着ているのは憲兵隊か情報部ですか」
「あれは軍服を着ているだけだ、軍人とは限らない。先入観で決めつけるな」
リスナー所長がまたチラッと俺を見た。“はい”と答えたけど顔が熱くなった。情けない話だ、全然所長には及ばない。

「親っさんです!」
誰かが声を上げた。間違いない、親っさんは隠れてて見えないがアンシュッツ副頭領、キア、ウルマン、ルーデルが見える。ようやく一安心だ、それにしても相変わらず親っさんは小人数で動く、周囲には十人程度しかいない。本当なら最低でも倍の二十人は要る、そう思った時だった。

「周囲に目を配れ、妙な動きをしてる奴はいないか」
リスナー所長が低い声で注意した。慌てて周囲を見る、皆親っさん達に視線を向けている、妙な動きは無い。
皆が口々に異常が無い事を告げるとリスナー所長が
「そのまま周囲を警戒しろ、ゆっくりと歩くぞ」
と言って歩き出した。

所長の指示に従って周囲を見ながらゆっくりと歩く。連中は親っさんより俺達に注目している。慌てて視線を逸らす奴もいる。なるほど、こういう警告の仕方も有るのか……。親っさん達が到着出口から出てきた。先頭はアンシュッツ副頭領だ、リスナー所長が傍によって挨拶をした。

「御苦労様です」
「そっちこそ御苦労だな。待たせたか、リスナー」
「ええ、何か有りましたか、副頭領」
「警察がな、職質をかけてきた。嫌がらせだな」

アンシュッツ副頭領が顔を顰めている。確かに嫌がらせだろう。明日、海賊がオーディンで総会を開くのは警察もとっくに知っているはずだ。殆どの頭領は既に集まっている。敢えて親っさん達に職質をかける必要は無い。
「嫌がらせとは限らないでしょう。ローエングラム公が実権を握ってから役人の綱紀粛正が進んでいると聞きます。我々に対しても通常任務として行ったのかもしれません」

「親っさん、我々は犯罪者じゃ有りませんが」
アンシュッツ副頭領が抗議すると親っさんがクスッと笑った。
「しかし犯罪者より悪名は高い」
親っさんの言葉に皆が苦笑した。苦笑が収まると動き出した。俺と所長が先頭に立つ、その後を親っさん達が続きその後をウチの人間が固める。外の駐車場には車が六台、運転手と共に待っている。

六台の車が事務所に向かう、俺はリスナー所長と共に三台目の車に乗る。親っさんも一緒だ。車が動き出すと親っさんとリスナー所長が話し始めた。
「それで状況は」
「良くありません。我々が向こうと取引をするのが気に入らないようです。軍人、商人、警察、政治家、皆我々を非難しています。唯一の味方は改革者だけです、しかし決して声は大きくは無い」
親っさんが溜息を吐いた。

「やれやれですね」
「今日も随分と見物人が居ました。我々の弱みを掴んで押さえつけたい、そう思っているのでしょう」
「なるほど、……憲兵は如何です」
「見物には来ていたと思います。しかしそれ以外はこれといって動きは有りません」
親っさんは面白くなさそうだ、顔を顰めている。

「……気付いていないと思いますか」
「そうは思えません。先日も我々の件で軍内部で喧嘩が有ったくらいです」
「……敢えて放置している……」
「その可能性は高いと思います」

今一つよく分からない会話だな。いろんなところがウチを面白く思っていないのは分かる。憲兵が動いていないって言ってたな。親っさんは面白くなさそうだけどそれがよく分からない。憲兵なんて動かないでいてくれた方が助かると思うんだが……。

事務所に到着すると親っさんは副頭領、リスナー所長と打ち合わせに入った。暫くは俺達は控室で待機だ。キアやウルマン達と話すのは久しぶりだ。コーヒーを入れて皆で飲む。宇宙港で緊張したせいだろう、旨い。キアが話しかけてきた。
「アルント、随分とデカい屋敷だな。内乱で没落した貴族の屋敷だって?」
「ああ、持ち主は戦死してるよ。政府が競売にかけてな、ウチがある不動産屋に買わせてそこから購入した。直接ウチが買うと煩いからな」

「他にもそういう屋敷は多いのか?」
「持ち主が居なくなって病院とか福祉施設、学校になった屋敷は結構ある。ウチの右隣は病院だし左隣は戦傷者のための職業訓練学校だ」
「はーっ、帝国も変わったな。実感が湧いたよ」
キアが嘆息するとウルマン、ルーデル、ヴァイトリング、ヴェーネルトが頷いた。

少し雑談をした後、気になっていたことを問いかけた。
「一つ聞いていいか、マテウスさんが追放されたが一体何が有ったんだ?」
皆の表情が強張った。そしてウルマンが吐き捨てた。
「アルント、もうマテウスさんじゃない、マテウスだ。ウチとは関係ないんだからな」
「……」

フランツ・マテウス、俺やキア達より十は年上の構成員だった。先月の半ば過ぎ、突然他の数名と共に組織から追放された。親っさん達がこちらに向かう直前のはずだ。
「薬に手を出そうとしたんだ」
「薬? まさかサイオキシン麻薬か?」
「いや、もっと軽い奴だがな」

信じられない、ウチの組織はその種の薬は禁止している。一体何を考えているのか……。呆然としているとルーデルが後を続けた。
「最近辺境も景気が良くなって妙な奴が増えてるんだ。金髪が改革を始めてから中央は取り締まりが厳しくなった。それで、辺境なら景気が良いし取り締まりも厳しくない、そう考えたらしい」

「流れ者か……。それに引っかかった、そういうわけか」
「妙な奴が居る、それで密かに調べている最中だった。そんな時にマテウスと奴の仲間が接触したんだ。どうも薬を売るのを助けようとしたらしい。俺達と組めば辺境じゃ大儲けできる、そう言ったらしいな」
「馬鹿げている……」
「馬鹿なんだよ」

俺が呟くとキアが厳しい声を出した、こっちを強い目で睨んでいる。
「辺境はウチの縄張りだ。ここまで一家が大きくなったのは辺境の住民と協力してきたからなんだ、それが分かってねえ。薬なんか流してみろ、俺達は縄張りを失いかねない」
「……それで追放か……」

「連中を捕まえて船を調べた。結構な量の薬が有ったよ、雑貨に混じってな。連中は警察に突き出した。マテウスとその仲間は追放だ、未遂だからな。他の組織にも辺境の住民にも追放は通達した」
「……」
「ウチは親っさんの名前で辺境領域の住民に謝罪文を出した。もう少しで迷惑をかける所だったってな」
「……そうか」

マテウスは追放された。組織からだけじゃない、辺境からもだ。辺境ではどこの住民もマテウスを相手にすることは無いだろう。辺境以外のどこかで生きていくしかない……。海賊にはなれない、何処の海賊組織も追放された人間など受け入れない。まして追放したのが黒姫の頭領だ。下手に受け入れればウチと揉める事になる。何処かの企業に勤めるか、軍に行くか、或いは土地を耕すか、一番可能性が高いのが犯罪者だろう……。あと五年、生きていられるかどうか……。

「馬鹿な野郎だよ。……アルント、野郎がオーディンに現れても関わるんじゃねえぞ。但し監視は付けろ、ウチの名前を悪用しねえようにな」
「ああ、そうするよ、キア。その時はそっちにも知らせる」
「そうしてくれ」
そう言うとキアは忌々しそうに大きく息を吐いた……。



帝国暦 489年 3月31日   オーディン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「ホテル・ヴォルフスシャンツェですか、随分と気張りましたね、オーディンでも一流ホテルですよ」
総会が開かれるホテル・ヴォルフスシャンツェへ向かう途中、地上車の中でキアが話しかけてきた。

「幹事はワーグナーの頭領ですからね。腕の見せ所でしょう」
俺の言葉にキアが頷く。総会の準備は幹事が行う、幹事の任期は三年、そして幹事は総会での議長を務める事になっている。ワーグナーは今年から幹事になった。張り切っているのだろう。

「二年も経てば親っさんに幹事をって話が出てくるかもしれません」
「面倒ですね、他の人にやってもらった方が良い。組織間の揉め事の調整なんて嫌ですよ……」
「そうは言っても逃げられますかねえ。ワーグナーの頭領は親っさんを頼りにしていますよ」

幹事は組織間の揉め事の調整を行う事も有る。基本的に揉め事は当事者同士で解決するのが決まりだが、揉め事を起こした組織が幹事、或いは有力者に調停を依頼する事も有るのだ。有力者は断れるが幹事は断れない。その所為で調停に随分苦労した幹事も居ると聞いている。

要するに幹事は海賊組織の調整役なのだ。調整役には力が要る、従って幹事に選ばれるのは海賊組織でも五指に入る大組織の長が選ばれることになっている。黒姫一家は帝国でも五指に入る大組織になった。幹事の資格は十分に有る、やる気はゼロだが……。

幹事には当然だが旨味も有る。総会に出る組織は幹事に対して会費を納める。まあ言ってみれば一年間の活動費みたいなもんだ。一組織が収める金額は二十万帝国マルク。総会に参加する組織は五十近くある。何も揉め事が無ければ丸儲けだ。総会に参加しない組織も有る、当然だが会費も納めない以上揉め事が起きても幹事に頼ることは出来ない。総会に出た組織に比べ弱い立場になる。

警察が総会を黙認するのもこの総会が揉め事の調停機関だと認識している所為だろう。取り締まるよりも利用した方が治安に役立つと思っているのだ。しかしオーディンで総会を開くか。ワーグナーも気合が入ってるよな。そろそろホテル・ヴォルフスシャンツェだ。何事もなく終わって欲しいもんだ。



帝国暦 489年 3月31日   オーディン  カルステン・キア



ホテル・ヴォルフスシャンツェに着くと親っさんと共に会場に向かう、八階の会議室だ。俺の他にはアンシュッツ副頭領とウルマン、ルーデルの三人、計五人だ。時間は午後二時、総会の開始は二時半だが会場は二時から使える事になっている。問題は無いはずだ。エレベータで八階に行くと既に人が大勢いた。

俺達がエレベータから降りると皆が俺達に視線を向けた。去年も一昨年もそうだったな、そして年々視線が強くなる。そんなに見るなよ、恥ずかしいだろう。ここから先は親っさんが先頭だ。挨拶を受ける事になるからな。俺達が会場に向かうとすっと近づいてきた男が二人いた。一人は中肉中背、四十代後半、もう一人は長身、三十代前半。ベーレンス一家の頭領とシュワルツコフ一家の頭領だ。

「御苦労様です、黒姫の頭領」
「お会いできて嬉しいです、黒姫の頭領」
「御苦労様です、ベーレンスの頭領、シュワルツコフの頭領。早いのですね」
ベーレンスの頭領とシュワルツコフの頭領にとっちゃウチの親っさんは大事な客だ。そして海賊組織の実力者でもある、挨拶は欠かせねえ。

「何時も私達に仕事を回してもらって感謝しています」
ベーレンスの頭領が言うと隣でシュワルツコフの頭領も頷いている。まあ内乱の所為でかなりやばい状況にまで追い詰められたらしいからな。今でもまだ十分に回復しているとは言えねえだろう。これからも仕事を回してくれ、仲良くしたい、そんなところだな。

「いえこちらこそ助かっています。ウチがフェザーンに武装艦を置くのはちょっと問題が有りますのでね、困っていたのです。これからもよろしくお願いします」
「それはもう」
「喜んで」
「規模は小さいのですが新しく輸送会社を手に入れましたのでそちらの方もお願いすることになります」

あーあ、二人とも喜んでるよ。親っさん、相変わらず上手いよな。そりゃこっちも困っていたけどよ、困ったの度合いが全然違う。馬鹿な奴なら威張り散らすだろうが親っさんは相手を立てるんだから……。まあフェザーンの喉元に有る星系を押さえている組織だからな。ウチはフェザーンと面白くねえ関係に有るし味方に付けておけば色々と心強いのは確かだ。

新しい輸送会社は所有輸送船は四十隻だから確かに大きくはねえ。グラスコ輸送会社、血族会社でオーナーの一族が好き勝手やっていた。だがウチとの価格競争に負けてどうにもならなくなった。オーナー一族が自分達の取り分を少なくして価格を下げればいいものを船長達の取り分を下げようとしたんだからな。

当然だが船長達は契約違反だって訴えたし、そんなトラブル抱えてる所にゃ仕事は来ねえ。あっという間に会社が傾いたぜ。あとはウチが買収して終わりだ。ウチが買収して船長の取り分は契約通りと言ったら船長達は皆訴えを取り下げた……。

「よう、黒姫の、来てたのかい」
太い声とともに大柄な男が近づいてきた。ワーグナーの頭領だ、相変わらず元気一杯って感じだな。顔には笑みが浮かんでる、その所為で右頬の刀傷が一際目立つぜ。幹事だからな、嬉しいのかな。

「幹事役、御苦労様です、ワーグナーの頭領。今日は宜しくお願いします」
「いや、宜しくお願いするのはこっちの方だぜ。ベーレンスの頭領、シュワルツコフの頭領、済まんが黒姫の頭領を少し借りるぜ」
二人とも笑顔で頷いた。まあワーグナーの頭領に頼まれたら嫌とは言えんよな。

……そうか、ベーレンスとシュワルツコフの頭領達が親っさんとの関係を強めたいと思っているのは仕事だけじゃないな、ワーグナーの頭領の件も有るか……。これから三年はワーグナーの頭領が幹事だ。ウチの親っさんはワーグナーの頭領と親しい、これは何かと心強いよな。

ワーグナーの頭領が親っさんを人気のない所に誘った。二人で話し始めるが声を潜めている所為だろう、周囲には聞こえない。皆が注目しているな、まあ無理もない。ワーグナー一家と黒姫一家、どちらも帝国では五指に入る組織だからな。この二つの組織がこれからも協力していくのかどうか、その協力の度合いはどの程度の物か、興味津々だろう。

ワーグナーの頭領は上機嫌、親っさんは時々苦笑している。ワーグナーの頭領に“頼りにしている”とか言われているんだろうな。親っさん、そういう風に言われるのが苦手だから……。あ、こっちに戻ってきた。

「ワーグナーの頭領、私の力が必要な時は遠慮なく言ってください。喜んで協力させていただきます」
「そうかい、あんたにそう言って貰えると百人力だぜ。なんたってあんたはイゼルローン要塞を落した男だからな」
ワーグナーの頭領が豪快に笑った、その傍で親っさんが穏やかに笑みを浮かべている。

周囲が皆顔を見合わせている。決まったな、親っさんが周囲に聞こえるように言ったって事は本気でワーグナーの頭領を支えるって事だ。総会でグダグダ言う奴はいないだろう……。



 

 

第十六話 黒真珠の間(その一)




帝国暦 489年 3月31日   オーディン  ホテル・ヴォルフスシャンツェ  カルステン・キア



「今日は助かったぜ、黒姫の。何の問題も無く総会が終わったのはあんたのお蔭だ」
「そんな事は有りませんよ」
「いやいや、本当に助かった。あんたが皆の前で俺に協力するって言ってくれたからな」

ワーグナーの頭領と親っさんが話している。場所はホテル・ヴォルフスシャンツェの一階にあるラウンジだ。二人はソファーに並んで座っている。もっとも声は潜めていないから親しさを表しているんだろう。周囲にはウチの人間とワーグナー一家の人間が警戒態勢を取っている。俺は親っさんを斜め横から守る位置にいるから声は良く聞こえる。俺の隣にはワーグナー一家の人間が同じように警戒態勢を取っている。

総会は三十分ほど前に終了した。頭領以外は入れない決まりになっているから総会でどんな話が出たのかは分からねえ。だが所要時間は一時間程度の総会だったからワーグナーの頭領の言う通り特に問題は無かったのだろう。総会の間、俺達は控室でワーグナー一家の人間と他愛ない話をしていた。

遊んでいたわけじゃない、これも大事な仕事だ。ワーグナー一家と黒姫一家の絆は頭領だけじゃねえ、下のレベルでも強いもんが有る、そう周囲に思わせるためだ。当然だが話しかけてきたのはワーグナー一家からだがこっちだって横柄に出る事はしない。そんな事をすれば親っさんの顔を潰す事になる。他の組織は帰ったが今頃はワーグナー一家と黒姫一家の絆は結構強い、そう思っているはずだ。

「ベーレンスとシュワルツコフの事もだ。あんたが仕事を回してくれたからなんとかやっていけてるがそうじゃなきゃ本当に海賊になってるぜ。そうなってりゃ今回の総会でも問題になったはずだ、連中の所為で迷惑してるってな」
「ウチも助かってるんです、気になさらないでください。それより内乱でかなり影響が出ているんですか?」

親っさんの問いかけにワーグナーの頭領が頷いた。
「ウチはブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家が相手だったからな。どっちにも深入りはしていなかった、それで助かったよ。それにあんたがローエングラム公にウチは中立だと言ってくれたから……、しかしそうはいかねえ所も有る」
「……」

「酷かったのはベーレンスとシュワルツコフだが他も程度の差は有れ被害は受けているようだな。内乱の間は貴族達も輸送船を動かす余裕が無かった。代わって船を動かして物を運んだのは俺達だ、今もだけどな。それなりに儲けてはいるがトータルで見れば収入は減っているだろう、それくらい貴族と組んでの商売は旨味が有った……」
「なるほど」

「そうか、あんたは辺境だから余りそう言うのは無かったか」
「ええ」
なるほどな、他の組織は貴族が居なくなって結構影響が出ているんだ。ウチがあまり影響が出ていないのはそれだけ辺境の貴族が貧乏だったって事だな。こうなってみると何が幸いするか分からねえ、あまり自慢にはならねえが慰めにはなる。

「今は皆切り詰めて何とかやっているだろうが問題はこれからだろうな。上手い具合に良い稼ぎを見つけられればいいんだが……。こればっかりはなんとも言えねえからな」
ワーグナーの頭領が顔を顰めた。親っさんも渋い表情をしている。

「これから改革が進みますし景気は良くなると思いますが……」
「俺もそれを期待しているよ。ローエングラム公には戦争なんかよりも内政に力を入れて欲しいぜ。景気が悪くちゃどうにもならん。ま、あんたの所には関係ないか……」
親っさんが首を横に振った。

「そうでもありません、辺境だけでは限界が有ります、他も良くなってくれないと……」
ワーグナーの頭領も親っさんも溜息を吐いている。海賊社会の実力者二人が溜息を吐いている。あんまり見たくねえ光景だ。

「じゃあ、俺はこれで失礼する。これからもよろしく頼むぜ」
「いえ、こちらこそ宜しくお願いします」
ワーグナーの頭領が席を立った。それを見送りながら親っさんが小さく溜息を吐いた。

「親っさん?」
「何とか景気が良くなって欲しいですね。景気が悪いと無茶をする人が出ますから……」
まあそうだよな。無茶をする人間が厄介な問題が生じかねない。そうなればワーグナーの頭領は苦労する事になるだろうし当然だが親っさんも苦労する事になるはずだ。

ホテルを出て帰ろうとした時だった。外に一人の軍人が居て親っさんをみて笑みを浮かべながら手を上げた。
「エーリッヒ」
「アントン! アントン・フェルナー」

親っさんが嬉しそうに声を上げた。どうやら昔の知り合いらしい。フェルナーと呼ばれた男が近づいて来る。ちょっと見栄えの良い男だな。この男、准将だ。まだ若いはずだけど出世している。のっぽのミュラーも大将になったって聞いてたけど親っさんの知り合いって皆偉いんだ。親っさんも軍に居たら出世してたんだろうな……。

「どうしたのかな、こんなところで」
「卿に会いに来たんだ」
親っさんがちょっと驚いたような表情をした。
「そんな暇が有るのかい、忙しいんだろう」
「まあ、少しはね」
おいおい、随分スカしてるじゃないか。“まあ、少しはね” 俺達だって暇じゃないぞ。

「ローエングラム元帥府の事務長になったって聞いたよ、総参謀長代理だとも、凄いじゃないか、おめでとう」
げっ、こいつスゲエな。あの半死人の後釜かよ。あれ、あんまり嬉しそうじゃないな。苦笑している。

「風当たりが強いよ、ブラウンシュバイク公の下に居たのに気付いたら元帥府の事務長、総参謀長代理だ」
「良かったじゃないか、借りは返した、そう思っていいのかな」
「酷い返し方だがな」
二人が笑っている。なるほど、こいつか、親っさんが頭を下げて頼んだってのは。

「オーベルシュタイン中将は憲兵総監になったそうだね」
「気になるか」
「能力は有るけど癖が有る。野放しは危険だ、見張りを付ける事だね」
「見張り?」
「例えば、……ハイドリッヒ・ラング」

おいおい野郎が驚いてるぜ。ハイドリッヒ・ラング、聞いたことが有るな。副頭領をみると副頭領も驚いている、誰だっけ……。
「社会秩序維持局か」
「名前を変え仕事の中身も変える事だね。その上で憲兵隊の監視もその任務にする。なんだったらラングではなく他の人間をトップに据えても良い、新鮮味が出るだろう」

そうか、社会秩序維持局か、そりゃ驚くわ、俺もびっくりだ。
「しかしな……」
「国内の治安維持を担当する機関は必要だよ。社会秩序維持局で懲りたからと言ってなおざりは許されないと思うけどね」
「……」
うん、迷うよな。あれは酷い組織だ、誰もあれの復活なんて喜ばない。親っさんが苦笑を浮かべた。

「まあいい、それで、私に何の用かな」
「招待状を持ってきた」
おいおい、何か嫌な笑みを浮かべているぞ。悪巧みしているな。
「招待状?」
「今夜、新無憂宮黒真珠の間で親睦会が有る。それに出席して欲しい」

はあ、親睦会? 親っさんにスカした野郎どもとお話ししろってか? 見ろ、親っさんも顔を顰めているだろう。
「ローエングラム公もパーティなど好んでいない。しかし最近軍と文官の間で何かと揉め事が生じるのでね。対立解消の一環として行うわけだ」
「なるほど、皆の嫌われ者を出席させれば一つにまとまるか……」
親っさんが笑い出した。このフェルナーって野郎、酷い野郎だな。碌でもない事を考えやがる。

「そうじゃない、卿がオーディンにいると聞いてローエングラム公が折角だから招待するようにと言ったのさ」
「ほう、珍しい事も有るもんだ」
おいおい、笑いながら言ったって信憑性が無いぞ。親っさんもまだ笑うのを止めていない。

「武勲第一位、イゼルローン要塞を落した卿を呼ばないと言うのは非礼だろう。卿は公にとって命の恩人でもある」
まあそれはあるだろうな。金髪は金髪なりに一応は礼儀を尽くした、そう言う事か……。親っさん、どうするかな。断るのは拙いが行くのもまた面倒だ。親っさんはこういうの嫌がるからな。

「……分かった、招待を受けるよ。わざわざそのために来てくれたんだからね。それに私もローエングラム公に会いたいと思っていたんだ」
「そう言って貰えると助かる」
うん、ホッとしているな。よっぽど強く金髪に言われたのかな、連れて来いって。それにしても親っさん、金髪に会いたいって、何かあるのかな。

「但し、銃の携帯は認めてもらうよ。それと親睦会で何が有っても責任は持てない。私は大人しくしていたいけど周囲がそれを許さないかもしれないしね。オーディンでは私を嫌っている人間が多いから」
親っさんの言葉にフェルナーが肩を竦めた。

「構わんよ、俺の役目は卿を親睦会へ連れてくることだ、その後までは責任は持てない」
こいつ、結構いい根性してるな。軍人よりも海賊向きだよ。多分、碌でもない海賊になると思うけど。

フェルナーが親っさんに招待状を渡した。そして身を翻して去っていく。
「親っさん、あの人、結構いい根性してますね」
俺の言葉にアンシュッツ副頭領が“キア!”って注意したけど親っさんは笑い出した。
「ええ、いい根性をしていますよ。どんな時でも自分だけは生き残る、そう思っていますから。……さあ、帰りましょうか」



帝国暦 489年 3月31日   オーディン  新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



十九時からの親睦会だ、但し受け付けは十八時半になっている。こういうパーティに行く場合、十九時ぴったりに行くのはあまり上手くない。受付が込んで待ち時間が長くなるからな。だからと言って十八時半に行くのはちょっと間抜けだ。親しい人間なんて居ないから一人でポツンとしていることになる

本当は十分程度遅れて行った方が良い。受付も空いているし、どうせホスト役の挨拶なんて始まってはいないから問題は無い。しかし、俺のような歓迎されているとは思えない立場だとちょっと微妙だ。遅れていくとそれだけで騒ぐ奴が居る。と言う訳で十八時四十五分に受付に向かった。

受け付けはスムーズに済んだ。俺が銃を持っていても警備の人間は何も言わなかった。フェルナーが予め俺の事を伝えていたらしい。ただ肩書きをヴァレンシュタイン総合警備代表って書いたら受付の人間は妙な顔をしていたな。海賊黒姫一家頭領と書くと思ったらしい。

黒真珠の間には既に先客がいた。大きな広間には疎らに人が散らばっている。まあ話し相手にはならないだろう、正面から見てあまり目立たない場所に立った。五分程経つと人がパラパラと入って来る。どうやら俺が誰かは皆知っているらしい。入って来る奴は必ず俺の方を見る、そして俺を避けるようにして場所を探す。うんざりした、俺は病原菌か?

十九時になるととんでもない事になった。俺の周囲だけ人が居ない。綺麗に半径五メートルくらいの空白地帯が出来ている。ウェイターを捉まえてジンジャーエールを頼んだが露骨に怯えていた。流石、悪名高き黒姫だ。ここまで来るといっそ快感だな。でも俺ってそんなに悪いことしたかな?

ラインハルトがこれを見たらどう思うかな。ザマーミロか、それとも拙いか……。ここまできたらそれを是非とも確認したいもんだ。そう思っていると長身の軍人が近づいてきた。ミュラーだ、顔に苦笑が浮かんでいる。
「エーリッヒ、詰まらなさそうだな」
「そうでもないよ、十分に楽しんでいる。ローエングラム公がこの状況を見たらどう思うか、考えていた。なかなか楽しいだろう?」

ミュラーの苦笑が大きくなった。
「そんな事を言うから卿は怖がられるんだ、こっちへ来いよ」
「止めた方が良いよ、私を連れて行くと嫌がられるぞ、いや怖がられるかな」
「大丈夫だ」
「私の機嫌が悪くても?」
「……大丈夫だ、多分な」

ミュラーが俺の手を取って歩き出す。良い奴だよな、ナイトハルト・ミュラー。でもな、周囲の視線が痛いくらい集中してるぞ。……そうか、イゼルローン要塞が帝国側にある、という事はガイエスブルグ要塞を使った第八次イゼルローン要塞攻防戦は起きないわけだ。去年の黒姫一家が要塞を落したアレが第八次イゼルローン要塞攻防戦になるのか……。

いや、あれは軍の作戦じゃないからな、第八次イゼルローン要塞攻防戦はおかしいのか? 戦争じゃないとすれば事件? イゼルローン要塞乗っ取り事件? よく分からんな、後で誰かに聞いてみようか。止めた方が良いかな、嫌味に聞こえるかもしれない……。ミュラーは怪我をしないしケンプも生きてる、シャフトもそのままか……。皇帝誘拐、ラグナロック、どうなるんだ?

ミュラーに連れられて考えながら歩いて行くと一塊の軍人が居た。メックリンガー、アイゼナッハ、ルッツ、ファーレンハイト、ワーレン、ビッテンフェルト、他に若手の士官が何人かいる。双璧はちょっと離れたところで女に囲まれている。レンネンカンプ、シュタインメッツ、ケンプも離れたところで談笑している。

「連れてきましたよ」
「……」
皆黙っている。だから言ったんだ、嫌がられるぞって。ナイトハルト・ミュラーは良い奴なんだが、時々空気が読めないんじゃないかって思う時が有る。悪気が無いのは分かっているから文句は言わないけどな。しょうが無いよな、俺から声をかけるか。

「皆さん、久しぶりですね、元気でしたか」
「……」
スマイル、スマイル、目指せ宇宙で一番愛想の良い海賊、黒姫より愛を込めてコンニチハ。……なんで皆黙っているかな、空気を読めよ、俺だって我慢しているんだ。嘘でもいいから“元気だよ”くらい言えよな。

「卿に心配されずとも元気だ。卿が一人で寂しそうだったのでな、呼んでやったのだ。分かったか」
吐き捨てるような口調だった。だから俺はお前が好きなんだ、ビッテンフェルト! よくぞ喧嘩を売ってくれた、喜んで買ってやる! 俺は今最高に機嫌が悪いんだ、多分お前もだろう。

「仰る通り、寂しくて死にそうでしたよ。もう少しでローエングラム公に客のもてなし方も知らない気の利かない部下ばかりで大変ですねと同情するところでした。面目丸潰れですね、誰の面目かは知らないけれど……」
言ってる最中に可笑しくて笑い出してしまった。ミュラー、そんなに顔を引き攣らせるなよ。俺が悪いんじゃないし、お前が悪いんでもない。多分腹の虫の居所が悪いんだろう、誰の虫かは知らないけどな!

 

 

第十七話 黒真珠の間(その二)



帝国暦 489年 3月31日   オーディン  新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



俺が笑っている傍でミュラーが引き攣っている。引き攣っているのはミュラーだけじゃない、皆だ。阿呆共、俺はコケにされるのに慣れていないんだ。少しは反省するんだな。
「エ、エーリッヒ」
「冗談だよ、ナイトハルト。ちゃんとこうして相手をしてもらってるんだから感謝している。元帥閣下にもそう言うから安心して良いよ」

「そ、そうか」
ミュラーがホッとしたような息を吐く。そんな露骨にホッとするなよ、ついついからかいたくなるじゃないか。
「出来る男がやっかまれるのは仕方ないからね。こんなのは慣れているよ」
「エ、エーリッヒ」

あらあら、今度は皆顔に力が入っている。怒ったのかな、なんで怒るんだ? 俺は事実を言っただけだぞ。君達より俺の方が出来ると評価したのはラインハルトだ、文句あるのか?
「海賊め、良い気になるなよ」

怒り心頭に達した、そんな声を出したのは若手士官の一人ゾンバルトだった。一応初対面なんだよな、知らないふりをしないと。
「知らない方ですね、メックリンガー提督、そちらの方々を紹介して頂けませんか」
俺の頼みにメックリンガーは気の進まない表情をした。理由は分かっている、こいつ等は反黒姫の急先鋒なのだ。そして正規艦隊司令官達、彼らは俺を認めてはいるが好意は欠片も持っていない。ハインリッヒ・リスナーの報告だ。

「紹介しよう、トゥルナイゼン中将、アルトリンゲン中将、マイフォーハー少将、ゾンバルト少将、クーリヒ少将、ザウケン少将だ」
口調に精彩が無い、紹介された方も碌に挨拶もしないしそれを咎める声も無い。つまり此処は敵地だ。
「エーリッヒ・ヴァレンシュタインです、宜しく」
「……」

どいつもこいつもフン、という声が聞こえそうな態度だ。可愛いぞ、お前達。後でゆっくりと遊んでやる。だが先ずはラインハルト登場だ、一応そっちに視線を向けないとな。一時休戦と行こうじゃないか。

ラインハルトが登場すると歓声が上がった。人気あるよな、見栄えも良いし華が有る。一緒に居るのはキルヒアイス、ヒルダ、フェルナー、シュトライトにリュッケだな。ラインハルトが手を上げて歓声に応える、歓声がより大きくなった。なんかプロレスみたいなノリだな。スーパースター登場! となると憎まれ役のヒールは極悪非道、凶険無道の辺境の大海賊、黒姫か。燃えるな、悪役が輝いてこそドラマは盛り上がる。

黒真珠の間には大きな丸いテーブルがいくつも置いてある。そして中央には料理が並んでいる。ビュッフェ形式で親睦会を行うわけだ。俺だったら席を固定にして文官と武官を適当にばらけさすけどな。その方が親睦を深める事になると思うんだが……、まあ気休め、って事だな。

俺がさっき居た場所もテーブルの近くだったんだがテーブルには誰も居なかった。今は結構人が居る。俺が居なくなるのを待っていたのかな、不愉快な連中だよ。ラインハルトの挨拶が終わると歓談の時間だ。若手の士官達が料理に向かう。あんまりがっつくなよ、みっともないぞ。

トゥルナイゼン達が戻ってきた。テーブルの上に料理を置いて行く。なるほど、自分の分だけじゃない、ミュラー達上級者の分か。軍隊は完全な階級社会だからな、まずは上位者の分を調達か……、それは急いで料理を取りに行くわけだ。がっつくなと言ってもがっつかざるを得ない。そして当然だが軍人では無い俺の分は持ってこない。分かりやすいよな、ホント可愛いぜ。

「エーリッヒ、一緒に食べよう」
ミュラーが困った様な笑顔で俺を誘ってきた、良い奴だな、お前は。
「いや、気遣いは無用だよ。此処に来る前に食事は済ませたんだ。長居をするつもりは無いからね」
嘘じゃない、適当なところでラインハルトと話をして帰る、そう考えていた。
「……そうか、……じゃあ、頂くよ」

嘘でもいいからちょっと食べれば良かったか、ミュラーが切なそうだ……。他の連中もバツが悪そうな顔をしている。嬉しそうなのはトゥルナイゼンとかあの辺だな。まあ正規艦隊司令官クラスと比べると指揮官としての能力も落ちるけど人間としても落ちるか。食べ物で差別とか人間としての品性が露骨に出るな。

「黒姫の頭領、メルカッツ提督はお元気かな」
気を遣ってるのかな、ファーレンハイトが話しかけてきた。
「お元気ですよ、ファーレンハイト提督。今はウチの艦隊を鍛えてくれています」
「そうか……、俺が言うのもなんだが宜しく頼む」
「承知しました、メルカッツ提督にお伝えする事は有りますか?」
「……いや、無い」
「……」

ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ。自由惑星同盟に亡命しようとしたがイゼルローン要塞が陥落した事で行き場が無くなった所を黒姫一家に捕まった。ラインハルトの所に行ってはどうかと勧めたのだが割りきれなかったのだろう、首を縦には振らなかった。ラインハルトには事情を話し俺の所に出向という形で預かっている……。ファーレンハイトはメルカッツとは縁が有る、気になるのだろう。

「ところで黒姫の頭領、イゼルローン回廊で艦の残骸を除去しているそうだが何時頃終わるのかな」
今度はワーレンだ。ま、この中では比較的親しい方だからな……、俺の勘違いかな?
「当分終わりそうにないです。残骸と言っても大きいのになると戦艦が真っ二つになったのとかあるんです。そんなのがごろごろしている。小さいのはその何倍、何十倍と有るでしょう、きりが有りません」
俺の言葉に皆が顔を見合わせた。

「儲かっているそうだが」
「え、儲かるのか」
「そうらしい」
ルッツとファーレンハイトだ。さすがだな、ファーレンハイト。そこに喰いつくか。俺の方を本当か、と言った目で見ている。

「事実です、儲かりますよ。儲けるために始めたわけではありませんが」
今度は彼方此方で唸り声が起きた。やっぱり人間、金には興味あるよな。
「まるで清掃係だな、アムリッツアでも同じ事をしていた」
ザウケンか、よっぽど俺が気に入らないらしいな。嘲笑が響き渡った。阿呆共が一緒になって笑っている。

「その辺にしておけ」
おやおや、ビッテンフェルトが俺を庇っている。悪いもんでも喰ったか、それとも腹が満ちて猪の性格が丸くなった? だがどちらにしても俺には不要だ、俺は阿呆共の相手をするのが大好きなんだ。ついでに言うとそんな嫌々制止されても全然嬉しくない。全部まとめて喧嘩を買ってやるよ。ここには喧嘩に来たんだ。

「その通り、清掃係ですよ。最近は散らかす事は出来ても片付けの出来ない人が多いんです。困ったもんですよ、ウチは他所様の尻拭いばかりしている。少しは自分で尻を拭いて欲しいものです」
俺も笑ってやった。皆顔が強張っている。俺の隣でミュラーが溜息を吐いた。済まんな、ミュラー……。

「貴様、我々を侮辱するのか!」
その通りだ、阿呆。今頃気づいたのか、鈍い奴め。
「落ち着きなさい、ザウケン少将。親睦会で大声を上げてどうするんです、周りが驚いていますよ」

周囲の視線がこっちに向いているのに気付いたのろう。ザウケンの阿呆が一生懸命平静を装おうとしている。可愛い奴、からかい甲斐が有るよな。あらあら、メックリンガーとワーレンが溜息を吐いている。ビッテンフェルトとアイゼナッハは食事に夢中だ、いや食事に夢中の振りかな。お前ら本当に客のもてなし方を知らないよな。ザウケンの方がまだましだぞ、阿呆だけど楽しませてくれる。

ウェイターが傍を通ったので呼びとめた。手にトレイを持ち飲み物が置いてある。アルコールの無い物を確認するとグレープフルーツジュースとジンジャーエールがトレイに有った。迷わずグレープフルーツジュースを取る。それを見て何処かの馬鹿が”子供だな“というのが聞こえた。子供はお前だろう。

「酒は飲まないのか」
ファーレンハイトが問いかけてきた。
「ええ、あまり飲めないんです。それにブラスターを持っていますからね。酔って手元が狂うと危ない」

皆顔を見合わせている。まあ警備以外の人間は非武装のはずだ。どうやら俺がブラスターを持っている事は知らなかったらしい。ルッツが声をかけてきた。
「良ければブラスターを見せてくれるか」
「良いですよ」
ルッツは射撃の名手だからな、興味あるんだろう。雰囲気を変えようと言う思いも有るのかもしれない。ブラスターをパドルホルスターから抜き取りルッツに渡すとしげしげと見始めた。

こういう時、男ってのは子供に帰るよな。ファーレンハイトやワーレン、メックリンガーも興味深そうに見ている。アイゼナッハとビッテンフェルトもだ。ミュラーからはちょっと遠いな、残念だ。
「これは何の皮かな」
「エイですよ」

俺は滑り止めにエイの皮をグリップに貼っている。昔、カストロプの手下に襲われた時、怪我した所を右手で触ってしまった。その所為でグリップが血でヌルヌル滑ってどうにも落ち着かなかった。それ以来エイの皮を使うようにしている、先代の頭領に奨められた事だ。その時言われた、“利き腕は常に使えるようにしておけ、エイの皮もそのためだ”。不器用だが渋い親父さんだった……。

「なるほど、しっくりくるな……。それにかなり使い込んでいる、手入れも良い。エイの皮か、俺も使ってみるかな」
「ルッツ提督、俺にも触らせてくれないか」
ルッツの言葉にワーレンが反応した。そしてワーレンに渡そうとしてちょっと訝しげな表情をし、俺を見た。気付いたか……。

ワーレンは受け取るとグリップを強く握って“なるほど、感触が良いな”と言っている。ビッテンフェルトも“そうか”と声を出した。そのうち帝国軍でもエイの皮が流行るかもしれないな。エイが絶滅しない事を祈るのみだ。アイゼナッハも手を出した。その手にワーレンからブラスターが渡る。こいつも首を傾げた。

正規艦隊司令官達が見終わると阿呆共にブラスターが渡った。何だかな、顔を見合わせている。ゾンバルト少将がブラスターを握ると俺に銃口を向けた。嫌な笑みを浮かべている。
「黒姫、命が惜しかったらヴァンフリート星域を帝国へ渡してもらおう」
阿呆共はニヤニヤ笑っている。正規艦隊司令官達は眉を顰めただけだ。大体予想通りだ。阿呆共、あんまり予想通りなんで欠伸が出た。もう少し意表を突いてくれ。“ヴァンフリート星域を帝国へ渡さないとお前のブラスターで自殺する”とか“他の奴を撃っちゃうぞ”とか。

「何を欠伸などしている! 死にたいのか」
「撃ったらどうです、遠慮せずに」
うん、我ながら投げやりな声だ。可笑しくて笑い声が出た。
「止せ、エーリッヒ。ゾンバルト少将も馬鹿な真似は止めろ」
ミュラーが顔を青褪めさせている。他の連中は困惑だな、どうせゾンバルトは撃たないと見ているのだろう。他のテーブルでもこっちを見始めた人間が居る。これは引くに引けないな、ゾンバルト。顔が引き攣ってるぞ、“貴様”とか呻いているが大丈夫か?

ルッツが溜息を吐いた。
「ゾンバルト少将、そのブラスターにエネルギー・カプセルが入っているか?」
「えっ」
キョトンとしたゾンバルトが慌ててブラスターを折って調べた。エネルギー・カプセルは入っていない、呆然としている。多分輸送部隊をヤンに撃破された時も同じような顔をしていたんだろう。間抜け、笑いが止まらん、本当に楽しませてくれる。エネルギー・カプセルは此処に来る前に抜いたんだ。

「貸せ、馬鹿が」
ルッツが的確な評価をするとブラスターをゾンバルトから取り上げ俺に差し出した。不機嫌そうな顔をしている。ルッツだけじゃない、他の連中もだ。心外だな、ゾンバルトが馬鹿をやったからって俺の所為か? エネルギー・カプセルが入っていた方が良かったのか、俺が死んだ方が。“済まなかった”の一言もない。上等だ、お前らがそんな態度取るんなら俺にも考えが有るぞ。

ブラスターを受け取るとポケットからエネルギー・カプセルを取り出した。皆の視線が俺の手元に集中した。ブラスターにカプセルを押し込んでセットする。皆を見渡した、緊張しているのが見える。黙ってブラスターを突き出した。銃口は俺の方に向いている。

「ゾンバルト少将、今度はエネルギー・カプセルが入っています。私を殺せますよ」
「な、何を考えている」
「このまま引金を引くだけで私を殺せると言っているんです」
唖然としているゾンバルトを見てにっこりと笑みを浮かべた。おいおい震えてるよ、こいつ。

「何を考えている、馬鹿な真似は止せ」
「そうだ、エーリッヒ、メックリンガー提督の言う通りだ」
メックリンガーとミュラーが止めようとする。残念だな、もう遅い。
「ゾンバルト少将はローエングラム公に私を殺せと命じられているんです。そうでしょう?」

皆がギョッとした表情で俺を見た。
「馬鹿な、何を言っている」
「隠さなくても良いでしょう、ゾンバルト少将。……普段辺境に居る目障りな海賊がオーディンに来た。滅多にない機会だが部下が周囲を固めている。よって親睦会に招待した。黒真珠の間には一人で来るはずだ。奴は武器を持っている。その武器を奪って事故に見せかけて殺せ……。間違っても命の恩人を謀殺したなどと周囲に言わせるな……」

皆顔が強張っている、ゾンバルトは凄い汗だ。大丈夫か、こいつ。少し安心させてやるか。
「大丈夫ですよ、周りは皆事故だったと言ってくれます。ナイトハルトを除けば皆、私を嫌っていますからね。そう、今ならローエングラム公を誹謗したと言って殺すことも出来る。受け取りなさい、欲しかったのでしょう、これが」

俺がブラスターを突きだすとゾンバルトは後ずさりした。後ろに居たクーリヒとぶつかる。
「いい加減にしろ! 悪ふざけが過ぎるぞ!」
「そうだ、ビッテンフェルトの言う通りだ」
ビッテンフェルトが怒鳴るとワーレンが後に続いた。

「ふざけてなんかいません。本気ですよ」
「……」
黙り込んだ連中を見渡した。にっこり微笑んでやる。おいおい、皆顔が引き攣ってるぜ。

「ローエングラム公からの招待でしたが、どう見ても歓迎されているとは思えない。何か裏が有ると思いましたが案の定です。ゾンバルト少将が私を殺そうとした。止めようとしたのはナイトハルトだけです。下の人間と言うのは上の人間の望みを敏感に感じ取るものですよ。皆さんはローエングラム公が私を目障りだと思っているのを知っていた。だから私が死んでも構わないと思った、だからゾンバルト少将を止めなかった、違いますか?」
「……」

「引金を引くだけで殺せますよ。さあ、誰が引きます?」
「……」
「さあ」
皆を見渡す。一人、また一人……。皆、顔を強張らせて黙り込んだ。阿呆共が、全員ここで凍りつけ。俺はお前達に猛烈に腹を立てているんだ。



 

 

第十八話 黒真珠の間(その三)




帝国暦 489年 3月31日   オーディン  新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



皆凍りついている。
「引かないんですか? ローエングラム公の期待を裏切る事になりますよ。……公もなかなか冷酷な方だ。リヒテンラーデ公を私に始末させ、もはや用済みとみて今度は私を事故に見せかけて始末させる。狡兎死シテ良狗煮られ、高鳥尽きて良弓蔵われ 敵国破れて謀臣亡ぶ。なるほど、良く言ったものだ。次は誰の番かな」

「……違う、そ、そんなんじゃない……。ただ、ちょっと脅して、それだけだ……」
ゾンバルトが喘ぐ。馬鹿な奴だ、お前がどう思うかなんて関係ないんだ。俺がどう思うか、周囲からどう見えるかだ……。皆を見渡した、蒼褪めている、震えている奴もいる。次は自分の番だとでも思ったか。

「黒姫の頭領、ブラスターを収めていただきたい」
「……」
メックリンガーだ、血の気の無い表情をしている。
「ゾンバルト少将の非礼、御詫びする。重ねて我らの非礼を御詫びする。ローエングラム公の御招きした賓客に対する礼儀では無かった。どうか、ブラスターを収めていただきたい……」

そろそろ潮時かな? ラインハルトが近くのテーブルまで来ている。もうすぐ此処にも来るだろう。本命はそっちだからな、御遊びは此処までだ。
「非を認めると仰られる?」
「認める、申し訳ない事をした。その上で誤解を解きたい。ローエングラム公も我らも卿に危害を加えようなどと考えた事は無い。卿の力量は良く分かっている。だがその事に対して敬意を払う気持ちが足りなかった。その事が誤解を生んだと思う、どうか許して頂きたい。皆も同じ気持ちだと思う」

皆、神妙な顔をしている。
「エーリッヒ、頼む、ブラスターを収めてくれ」
「……分かりました。どうやら私の誤解の様です。こちらもいささか礼を失しました。お許しいただきたい」
俺がブラスターをホルスターに収めるとほっとしたような空気が流れた。

難しいよな、理性で認める事と感情を納得させる事は別だ。世の中何が厄介と言ってもこの面白くないという感情くらい厄介なものは無い。ほとんど理由になっていないんだからな。そして程度の差はあれ行動に出る。積極的に嫌がらせはしなくても見て見ぬ振りは有り得るのだ。要は苛めと同じ構図だ。

少しの間居心地の悪い時間が続く。ミュラーも含めて皆が俺に当たり障りのない話をしてきた。ラインハルトが俺達のテーブルにやってきたのは二十分ほど経ってからだ。
「久しぶりだな、楽しんでいるかな」

「お招き、有難うございます、閣下。黒真珠の間に入るのはこれが最初で最後かもしれません。貴重な想い出を下さった事、御礼申し上げます」
ラインハルトが話しかけた時は緊張が走ったが俺が答えると皆がホッとした表情を見せた。
「そうか、それは良かった」

御機嫌だな、ラインハルト。まあ最初で最後は本当だろう。
「メルカッツ提督の事、御理解頂きました事重ねて御礼申し上げます」
「うむ、まだ私の下に来るのには抵抗が有るのか」
少し不満そうだな、まあ若いからな、そういうのが出るのは仕方ないんだろう。

「愧じておいでなのかもしれません、不甲斐ない戦いをしてしまったと。私にはメルカッツ提督が居たから貴族連合はあそこまで戦えた、提督に全ての権限があれば失礼ではありますが閣下とて勝つのは容易では無かったと思うのですが……」
「そうだな、卿の言う通りだ、メルカッツに全権が有ればもっと苦労しただろう、……メルカッツも不運だな」

ラインハルトが感慨深げに頷いた。プライドは高いんだがこういう所は素直なんだよな、だから好きなんだ。もう少しこういう所を前面に出せばもっと魅力が出ると思うんだが……。
「今少し、御時間を頂きたいと思います」
俺の言葉にラインハルトが頷いた。

「うむ。幸い反乱軍の下に行ったのではないのだ。そう思えば大したことでは無い。卿に全て任せる」
「有難うございます」
なんか友好的だな、招待したって事で優越感が有るのかな。もしかすると上に居ないと安心できないタイプなのかもしれない、上司に恵まれなかったからな……。

少しの間ラインハルト、キルヒアイス、ヒルダと歓談した。フェルナー、シュトライトとリュッケは黙って話を聞いている。リュッケがこちらを興味深そうに見ているのが分かった。さてそろそろ始めるか、今日はこのために来たのだからな。

「ところで閣下、最近の帝国軍では副業を行うのが流行っているそうですね」
「何の事だ?」
ラインハルトがキョトンとしている、キルヒアイスも訝しげだ。そうだろうな、やはりこの二人は知らなかった。ヒルダの表情は厳しい、ある程度知っていた、いや感づいていたな。だが確証が無いから黙っていた、そんなところか。そして……、なるほど、そうか、そう言う事か……。

「帝国の利益ではなく、フェザーンの利益を図ろうとしている人間が居る、そう言っています」
「馬鹿な、何を言っている」
不愉快そうだな、ラインハルト。だが不愉快なのは俺の方なんだ。何だって俺がこんな事をしなければならんのか。周囲がざわめくのが聞こえた。

「ここ最近、フェザーンは酷く困っているようです。中継貿易の独占が出来なくなりこれまでのように利益が上がらなくなっている……。我々は利益よりも発展を重視していますからね。我々が運ぶ品物は価格が安いのです」
「……」

「我々が邪魔だ、そう思ったフェザーンは閣下の部下にヴァンフリート星系を接収せよ、黒姫一家が不満を述べるなら叩き潰せと言わせて周囲を煽らせているのですよ。我々は軍内部でも評判が悪いですし嫌っている人間も多い。協力者を見つける事も煽らせることも躍らせる事も簡単でしょう」
何人か顔を強張らせている奴が居るな。

「馬鹿な、そんな人間が居るわけがない。卿らは帝国の発展のために役だっているではないか。それに私は卿との約束を破ろうなどと考えてはいない」
ラインハルトが力説した。そうだよな、誰だって自分の部下にそんな奴が居るとは思いたくないし嘘吐きだなんて思われたくない。そしてラインハルトは俺が役に立つと理解している。腹が立つ事も有るだろうが、そんな事で排除していたらオーベルシュタインなんて三日と持たずにクビだろう。

だからこそラインハルトの性格では公益より私益を優先する人間が自分の部下に居るなんて信じたくないだろうし理解も出来ないだろう。だが組織が大きくなれば腐った林檎は必ず出る、そして腐った林檎は周囲の林檎も腐らせる。俺の組織でもそういう奴が居た。叩き出したがな。こっちでも俺がやらなければならん、今回はな。

「だからフェザーンは困っているのです。自分達の利益が減り、存在価値が減少している、存続の危機だと……」
「……」
「フェザーンにとって我々の存在は許す事が出来ないものになりつつあるのです」
「……」

「閣下が考えを変え接収すれば良し、そうでなくても私がオーディンの状況を憂え閣下に不安を感じれば良し、いずれ何らかの事件が起きればそれを利用して亀裂を大きくし決裂させよう、そんなところでしょう」
「……証拠が有るのか、一体誰だ?」
低く問い詰める様な口調だ。かなり怒っている。俺に対してか、それとも腐った林檎に対してか。

「そこに居ますよ。クーリヒ少将、ザウケン少将、そうでしょう」
「馬鹿な!」
「何を言っている!」
クーリヒ、ザウケンが口々に否定した。残念だがお前達がフェザーンに、ニコラス・ボルテックに繋がっているのは分かっている。オーディンに開いたウチの事務所を軽視するべきでは無かった。

ポケットから光ディスクを出した。皆の視線が集中する。
「これが何か分かるでしょう? 何が入っていると思います?」
クーリヒ、ザウケンの顔が強張った。眼が飛び出しそうになっている。
「本当なのか、クーリヒ! ザウケン!」
ラインハルトの叱責に近い問いかけにも沈黙したままだ。

「ゾンバルト少将、貴方はこの二人に上手く操られたのですよ、可哀そうに」
「貴様ら……、俺を騙したのか……」
呻く様な口調でゾンバルトがクーリヒ、ザウケンを睨んだ。二人は眼を逸らしたままゾンバルトを見ようとしない。

ラインハルトがどういう事だと問いかけてきたからさっきの一件を話すと苦虫を潰したような表情になった。主人役の面目丸潰れだろう。キルヒアイスも厳しい表情をしている。そして二人が一件に関わった人間を睨み据えた。トップとナンバー・ツーに睨まれているのだ、皆面目なさそうな表情をしている。後でこってりと怒られるだろう。

気が付けばロイエンタール、ミッターマイヤー、ケンプ、シュタインメッツ、レンネンカンプも集まって来た。どうやら何か起きていると感じたらしい。訝しげな表情で皆を見ている。

「クーリヒ少将、ザウケン少将、ローエングラム公は例え敗者であろうと有能で節義の有る人物だと思えば侮蔑はしません。その事はファーレンハイト提督、シュトライト少将を見れば分かるでしょう。公が侮蔑するのは節義の無い、卑怯卑劣な人間です。そのまま沈黙していて良いのですか? せめて公の前で男らしく自らの非を認めてはどうです。少しは違うと思いますよ」

クーリヒ、ザウケンが顔を見合わせた。おいおい、この期に及んでまだ一人で決断できないのかよ。まあ裏切っていたなんてのは出来るだけ言いたくないんだろうが、だったら裏切り自体するんじゃない。こんな事態は想定外だったか? まあラインハルトが睨んでいるからな、溜息が出そうだ。

「申し訳有りません」
もごもごとした口調でクーリヒが、そしてザウケンが謝罪すると周囲から溜息が洩れた。ラインハルトも溜息を吐いている。“連れて行け”とラインハルトが言うと何処からともなく兵士が現れ二人を連れて行った。警備の兵か、或いは憲兵か……。

「そのディスクの中には何が入っているのだ」
ラインハルトが視線でディスクを示した。
「写真です、ボルテックと親しげに話している何人かの写真が入っています」
「……」
「それだけでは証拠になりませんからね、彼らの自白を引き出しました。上手く引っかかってくれましたよ、閣下のおかげです」
周囲から溜息が聞こえた。なんか嫌な感じだな。

「油断も隙も無い男だな、卿は」
お前もか、ラインハルト。お前の脇が甘いから俺がやってるんだ、少しは感謝して欲しいものだな。
「お渡ししますので使ってください。他にも協力者が居ます」
ディスクを渡すとラインハルトはシュトライトに渡しディスクの中を確認しろと命じた。シュトライトが一礼して場を離れた。この広間にも何人か協力者は居る、首を括りたい気分だろう。

「ところで閣下」
「なんだ」
おいおい、そんな怖い顔をするなよ。俺は味方だよ、少なくとも今は味方だ。
「このような事態が生じたとなりますと国内の防諜、治安維持を担当する組織が必要と思われますが?」
ラインハルトが眉を顰めた。

「卿は社会秩序維持局を復活させろと言うのか?」
感心しない、そんな口調だな。政権安定のためには帝国臣民の支持が必要か、しかし支持を得ようとするのと媚を売るのは別だ。
「閣下が躊躇われるのは分かります。社会秩序維持局は帝国臣民を抑圧する組織でした。それを復活させれば帝国臣民の反発は必至、そうお考えなのでしょう」
「そうだ、いずれは必要としても今は……」

「帝国臣民のために改革を行う政府を守る、より大きな意味では帝国臣民を守る組織が必要だと公表しては如何でしょう。その上で新たな組織として立ち上げる。当然ですが組織の統括者はハイドリッヒ・ラングではなく別な人間を任命します」
「……なるほど」

ラインハルトが考え込んでいる。そしてヒルダに“どう思うか”と問いかけた。俺の予想が正しければ彼女は反対しない。
「私も国内の防諜を司る組織は必要だと思います」
ラインハルトが大きく頷いた、そしてキルヒアイスを見る。キルヒアイスも頷いた。二人とも必要性は感じていたのだろう。周囲から勧められたとあれば平民達に説明もし易い、良い機会だと思ったに違いない。

「しかし、誰に任せれば良いか……」
「フェルナー准将は如何でしょう」
「フェルナーか、しかし彼は……」
「総参謀長代理の職にあります。しかし元々はブラウンシュバイク公の部下だったため周囲からの風当たりが強いようです。むしろ新たな任務で使われた方が良いでしょう、そして彼の後任にはフロイライン・マリーンドルフを……」
周囲から驚きの声が上がった……。



帝国暦 489年 3月31日   オーディン  新無憂宮  アントン・フェルナー



人気のない新無憂宮の通路を小走りに急いだ。エーリッヒの奴、言いたい事を言ってさっさと帰った。おそらくもう新無憂宮を出ただろう。黒真珠の間は大騒ぎだ、親睦会は直ぐに中止になった。エーリッヒの渡したディスクの写真によって何人もの人間がその場で逮捕された。おそらくそれ以外にも協力者は居るはずだ。その割り出しも急がねばならないだろう。

新無憂宮を出ると遠くに道路照明灯の灯りを浴びながら歩き去る男達の姿が見えた。距離、約三百メートルほどか。おそらくエーリッヒとその護衛だろう、駐車場に向かっているに違いない。走って後を追った。百メートルも走ると男達が足を止めた。そしてこちらを見ている。残り約五十メートルまで走った。そこからは息を整えつつゆっくりと近づく。

大体三十人程か、エーリッヒは中心に居るのだろう、姿は見えない。少しずつ彼らの事が分かった。昼間見たときはスーツだったが今は違う、全員が黒っぽい服を着ている。上はピーコート、下は膨らみ具合から見て防寒防水ズボン、半長靴、そしてレッグホルスター……。全員がグリップに手をかけている、ハーフグローブだ。近づく俺をじっと見ている。威圧感が凄い、嫌でも緊張した。

「アントン・フェルナーだ。昼間会ったから覚えている人間も居るだろう。エーリッヒに会いたい」
出来るだけ親しみを込めて言ったつもりだったが誰も反応しなかった。少しの間が有って中に通された、中央にエーリッヒが居た、こちらを見ている。

「何の用だ、アントン。礼でも言いに来たのかな、思い通り動いてくれたと」
「……気付いていたか」
俺が苦笑するとエーリッヒが頷いた。
「ローエングラム公、キルヒアイス提督の二人は知らなかった。しかし卿とフロイラインは知っていた、あの事態を驚いていなかった。卿とフロイライン、そしてギュンター・キスリング、三人が今回の一件を仕組んだ……」
周囲の視線が強まったような気がした。喉が干上がるような感じがする。

「……その通りだ。オーベルシュタイン中将は部下にフェザーンの動きを探らせた。その部下の中にギュンターが居たんだ。証拠が有るにも拘わらず中将は何もしなかった。危険を感じたギュンターは俺に相談に来たんだ」
「オーベルシュタインの考えははっきりしている。フェザーンと私を噛み合わせる、騒動を起こさせ両方叩き潰す。そんなところだ」

おそらくそうだろう、ギュンターもそれを恐れていた。そして相談を受けた俺も危険だと思った。俺が相談したフロイライン・マリーンドルフも危険だと同意した。
「ギュンターは黒姫一家が動いている事も知っていたはずだ。そこで卿らは私を親睦会に招待する事を考えた。私が何らかの行動を起こすと期待してね」
やれやれだ、全てお見通しか。

「何故、ローエングラム公に憲兵隊の事を言わなかった?」
「私が言わなくても公はオーベルシュタインに不審を抱く。必ず問いただすはずだ。オーベルシュタインは沈黙するか正直にフェザーンと私を噛み合わせるつもりだったと話すだろう、そして叱責される。彼が沈黙したばかりに公は満座の中で顔を潰されたんだ。彼が公に信頼されることは無い」

エーリッヒが薄く笑っている。カミソリのような笑みだ、昔はこんな笑みを見せる男ではなかった。
「それにしても新たな防諜組織の長に俺をか……」
「オーベルシュタインに対抗できるのは卿ぐらいのものだ」
「評価してくれて嬉しいよ」
「毒には毒、そう評価している。嬉しいだろう?」
「……」

エーリッヒが笑みを消した。
「気を付ける事だ、オーベルシュタインは味方を作る事よりも味方を切り捨てる事、敵を作り出して潰す事を優先する男だ。彼にとっては自分以外の全ての人間が反乱予備軍だ。彼の好きにさせたら陰惨なことになる」
「そうだな」

エーリッヒはさっきからオーベルシュタイン中将を呼び捨てだ。敬意など欠片も払う気になれない、或いは敵と見定めているということだろう。
「ローエングラム公は英雄だ、公明正大でもある。しかしそういう人間ほど人間の卑小さを理解できずに足元を掬われがちだ」
「なるほど」

「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが銀河帝国皇帝になったのは彼が英雄だからじゃない、狡猾で強かだったからだ。公にはそれが足りない」
「随分な言い様だな」
「フェザーンもオーベルシュタインも一筋縄ではいかない、気を付けろと言っているんだ。負ける事は許されない」
「分かっている」

「いいや、分かっていない」
「……」
断定するような言い方だった。エーリッヒが俺を見詰めている。そして微かに笑みを浮かべた。

「フェザーンはただの拝金主義者じゃない。あれは擬態だ」
「どういうことだ?」
「自分で調べるんだな。……では失礼する」
エーリッヒが背を向けた。護衛の男達二人が威圧するかのように俺の前に立ち塞がる。エーリッヒの姿が男達の中に消えた。

「待て、エーリッヒ。俺と手を組まないか、それを言いに来たんだ」
「断る。どの程度の実力を持っているのかも分からない組織と手は組めない。そして我々は利で動くが卿らは国家のためという理で動く、価値観が違う以上協力は出来ても手は組めない」
声だけが聞こえた。男達は去っていく、俺の前を塞いだ男達も少しずつ後退っていく。やがて海賊達は闇の中に消えて行った。






 

 

第十九話 懸念



帝国暦 489年 4月 15日   オーディン  国家安全保障庁  アントン・フェルナー



「ようやく軌道に乗ってきたかな、ギュンター」
「まだまだ、よちよち歩きと言ったところさ」
ギュンターが肩を竦める。その仕草に苦笑が出た。この男は仕事に厳しい、なかなか褒めると言う事をしない。

目の前に有る報告書を見た。国家安全保障庁が設立されてから初めて上がってきた報告書だ。調査対象はオーディン駐在フェザーン高等弁務官府、黒姫一家のオーディン事務所、憲兵隊……。

「それでも半月でこれなら大したものさ」
「まあそうかもしれないな、しかし国家安全保障庁に期待されているものはこんな状態を許すものじゃない、そうだろう」
「まあそうだな」

ギュンターが俺を見た。ニヤリと笑みを浮かべる。
「長官、宜しいですか、元帥閣下の雷が落ちる前に国家安全保障庁の活動を軌道に乗せないと大変な事になりますぞ」
「分かっているさ、だからその長官と言うのは止めろよ。さもないと俺も卿を副長官と呼ぶぞ」
ギュンターがまた肩を竦めた。

あの親睦会から約半月が経った。帝国はあの日、激震に見舞われたと言って良いだろう。親睦会は急遽中止、その場でフェザーンの協力者の洗い出しと逮捕が行われた。協力者達も写真が有る以上、隠し通せないと思ったらしい。それとローエングラム公の心証を少しでも良くしておきたいという打算も有ったのだろう。彼らは自ら名乗り出た。親睦会に出て居なかった人間は翌日、自首してきた。

軍人、官僚、貴族、総勢二十余名。その全てが憲兵隊に取り調べを受けている。全員がフェザーンから何らかの便宜を受けているがフェザーンのボルテック高等弁務官を処罰できるかと言うと難しい様だ。便宜は図ったが見返りは要求していないと言っているらしい。実際に物証は無いに等しく憲兵隊はボルテックの弁明を否定できずにいる。

逮捕者は彼らだけだったが処罰や叱責された者は他にもいる。ゾンバルト少将は一階級降格されゾンバルト准将になった。他にもエーリッヒと同席していた人間達はミュラーを除いて皆厳しい叱責を受けた。無理もないだろう、公にとっては二重に顔を潰された様なものだ。もてなしの悪さ、フェザーンの協力者……、怒鳴りつけたくもなる。

オーベルシュタイン憲兵総監も叱責を受けた一人だ。フェザーンの動きに気付いていたにも関わらず放置した。理由はいずれフェザーンとエーリッヒをまとめて処断するため……。公は激怒しオーベルシュタイン憲兵総監に対して一日に一度、捜査状況を報告しろと厳命した。エーリッヒの予想通りだ、憲兵総監はローエングラム公の信任を完全に失った。

今回の騒動で利益を得た人間も居る。フロイライン・マリーンドルフは宇宙艦隊総参謀長の任に就く事になった。彼女が総参謀長に推薦された時、当然だが周囲からは驚きと反対の声が上がった。それに対し推薦者はローエングラム公が総参謀長に求めるのは軍事的な助言ではない、政略面での助言だと言った。そして公もそれを受け入れた。これによって彼女は帝国宰相秘書官と宇宙艦隊総参謀長を兼任する事になった。ローエングラム公の側近中の側近と言って良いだろう。

そして俺だ。俺は今、新たに立ちあげられた防諜機関、国家安全保障庁の長官という事になっている。国家安全保障庁は旧内務省社会秩序維持局を引き継いだものだが内務省の一部局ではなく宰相府の外局という形になっている。つまりローエングラム公に直結する機関という事だ。

国家安全保障庁に対するローエングラム公の期待は大きい。公は憲兵隊が今一つ信用できないと思っている。オーベルシュタイン憲兵総監の能力は認めながらも監視役が必要不可欠だと思っているのだ。ギュンターが言った“国家安全保障庁に期待されているものはこんな状態を許すものじゃない”は冗談でも誇張でもない。“元帥閣下の雷が落ちる前に軌道に乗せないと大変な事になりますぞ”も同様だ。国家安全保障庁はギュンター・キスリングを副長官に据え、ようやく機能し始めた。

「アントン、今回の一件は上手く行った、そう思って良いんだろう」
ギュンターが俺の顔を覗き込んだ。眼が笑っている。
「そうだな、幾つかの予想外は有る。しかし総体として上手く行ったと思う。結果は上々だ」
「フロイライン・マリーンドルフもそう考えているのか」
「まあそうだ。総参謀長になった事をぼやいてはいるがね」
ギュンターが苦笑を浮かべた。

上手く行ったと思う。エーリッヒを利用しフェザーンの暗躍を明るみに出した。そしてオーベルシュタイン憲兵総監に釘を刺す事が出来た。俺が国家安全保障庁の長官になった事、フロイライン・マリーンドルフが宰相秘書官に宇宙艦隊総参謀長を兼任する事になったのは予想外だが、それとて良い方向に予想外と言える。

「アントン、今回の一件、結局はエーリッヒの一人勝ちだと俺は思うんだが……」
「そうだな、全て奴の思い通りになった。あれほど騒いでいたヴァンフリートの件も今では誰も口にしない」
「下手に口にすればフェザーンとの繋がりを疑われるさ。それにオーディンには海賊屋敷がある」
ギュンターが嘲笑交じりに言い放った。目には皮肉な色を浮かべている。

事件後、黒姫一家の事務所は海賊屋敷と呼ばれるようになった。そして海賊屋敷に居る人間達は黒姫の目と耳と呼ばれ怖れられている。事件前、ヴァンフリートを接収しろと声高に主張していた人間達は皆口を噤んでいる。いや、エーリッヒを非難する声さえ聞こえてこない。たかが海賊と侮って生半可な気持ちで敵に出来る相手ではないと誰もが分かったのだろう。

「ところでギュンター、フェザーンへ送る人間だが……」
俺が話しかけるとギュンターが頷いた。
「今絞り込んでいる。現時点で三名が確定している、残り七名は明日までには選び終わるよ。それとは別に政治体制、経済、歴史、それぞれの分野でフェザーンを調べさせるべく人を選んでいる。調査室を作るつもりだ」

「そうか……、例の件、どう思う?」
「フェザーンはただの拝金主義者じゃない、あれは擬態だ、だな……」
「ああ、人を送ると決めておいてなんだが、どうも引っかかる」
ギュンターを見た。向こうもこちらを見ている。

「引っかかるから送るんだろう」
「まあそうだが、……嘘だと思うか?」
ギュンターは少し考えていたが首を横に振った。
「エーリッヒは詰まらない嘘を吐くような奴じゃない、フェザーンには何かが有ると見た方が良い。もし嘘を吐いたなら何らかの目的が有るはずだ。辺境にも人は送る、向こうの動きも探らせるさ」

擬態か……。確信有りげな口調だった。そしてフェザーンをかなり危険視していた。
「フェザーンがエーリッヒを危険視しているのは分かっていたが、エーリッヒも相当フェザーンを危険視しているな」
ギュンターが“そうだな”と頷き直ぐ言葉を続けた。

「フェザーンにとっては中継貿易の利を奪われたんだからな。おまけに今ではエーリッヒはフェザーン回廊も使って反乱軍と交易をしている。フェザーンにとってエーリッヒは権益の侵略者だよ、それだけに反発は強いだろう。今回の一件もそれが原因だ」
「なるほど……」

「もっともエーリッヒのおかげで最近では向こうの生産財が安く手に入るようになった。そう考えればフェザーンはこれまで不当に利益を貪っていた、そうも言える。これから益々激しくなるな、対立は」
「うむ……」

独占していた権利を奪われる、得ていた利益が大きければ大きい程その怒りは大きいだろう。その怒りの大きさは昨年の内乱を考えれば分かる。怒りは帝国を二分するほどの内乱になった……。それかな、フェザーンとの対立の激化を心配しているのかな……。

いやそれも有るかもしれないがそれだけじゃないな。エーリッヒはフェザーンの何かを知っている。あるいはフェザーンがエーリッヒを敵視するのはそれを知られたという事も有るのかもしれない。対立する中でお互いに相手の弱みを握ろうとした、そしてエーリッヒはフェザーンの何かを知った……。

「ギュンター、ウチにはエーリッヒの、黒姫一家の調査資料は無いんだよな、これ以外は?」
俺が報告書を指さしながら問いかけるとギュンターは渋い表情で頷いた。
「ああ、社会秩序維持局の時は調べていなかったようだ。所詮は海賊、不穏分子では無い以上気にする事は無い、そういう認識だったようだな」

ギュンターの口調が苦い。認識不足、そう思っているのだろう。俺も同感だ、エーリッヒは不穏分子では無いが要注意人物ではある。扱いを間違えないためにも情報は必要だったはずだ。

「憲兵隊には有るのか?」
「一応有るな。フェザーンの格付け会社の報告書を元に作成したものだ。但し、あれが何処まで役に立つかはわからん。ちょっと調べれば分かる事しか書いていないからな。俺なら参考資料扱いだ」
憮然としている。古巣の不甲斐なさにウンザリしている風情だ。しかし、妙だな……。

「オーベルシュタイン中将は調べていないのか?」
「いや、着任早々調べさせているよ。他の海賊やフェザーン商人にエーリッヒの事を確認させたらしい。警察や社会秩序維持局にも問い合わせをかけたと聞いている」
「それは?」
ギュンターが妙な顔をしている。困った様な笑い出したい様な表情だ。

「情報は集まったんだ。それこそ本が二、三冊書けるほどにね」
「……それで?」
「ゴミ箱行きさ」
「はあ?」
俺の答えにギュンターが笑い出した。

「当てにならない、情報としての精度がどれもこれも低すぎるんだ。エーリッヒの身長一つとっても二メートルを超える大男なんて話まで有る。頬に傷が有るとか大酒のみだとかな。黒姫一家は犯罪に関係してる、覚醒剤を扱っているって情報まで有った。警察に確認しても真偽は分からないと言われたらしい。酷いのになると未来を読める、そんなのも有ったようだ」
「……」

唖然としてギュンターを見ていると今度は肩を竦めて苦笑した。
「そんな顔をするなよ、アントン。黒姫一家は急速に組織が大きくなったからな、真実よりも風聞の方が多いんだ。エーリッヒは海賊組織の間では生きている伝説みたいな存在だよ。何処までが本当で何処からが嘘なのかは誰にも分からない」
「……冗談じゃないんだよな……」
俺が問いかけるとギュンターが頷いた。もう苦笑はしていない。

「冗談じゃない。……なあ、アントン。黒姫一家の組織の規模、収益なんて外見は参考資料を見れば簡単に分かる。とんでもない勢いで成長しているよ。でも俺はそれを知る事に意味が有るとは思えない、いや意味は有るのだろうがもっと重視すべき事が有る、そう思っている」
「どういう事かな」
一瞬だけギュンターが口を噤んだ。

「その先だよ、その先が分からないんだ。何故そんな成長が可能なのかがな。最初は貴族の相続、反乱を利用して儲けた、次は反乱軍、貴族との戦争だ、今は反乱軍との交易で儲けている」
「……」
分かるかと言うようにギュンターが目で問い掛けてきた。ゆっくりと頷く。ギュンターはそれを見てまた話し始めた。

「滅茶苦茶だよ、やりたい放題やっているとしか思えない。でも誰にでも出来る事じゃないんだ、エーリッヒだけがやっている、おかしいだろう?」
「……確かに、そうだな」
俺の言葉にギュンターが頷いた。
「そう思うと未来が読めるっていうのもあながち嘘じゃないんじゃないかって思えてくる、……馬鹿げているよな」
「……」

少しの間沈黙が有った。お互いに顔を見合わせ黙っている。馬鹿げているだろうか? ギュンターがまた話し始めた。
「海賊とは言っているが他の組織とは全く違うんだ。黒姫一家には既存の海賊の常識が当て嵌まらない。あれは海賊とは名乗っているが何か別のものだよ、別の何かだ」

「確かに海賊がイゼルローン要塞を攻略するなんて考えもしなかったな。ヴァンフリートを割譲させることも……」
「そうなんだ、海賊と言う枠に収まりきらないし国という枠にも収まりきらない。結局はエーリッヒは何を考えているのか、エーリッヒとはどういう人間なのかを調べるしかないんだ。オーベルシュタイン中将がエーリッヒの事を調べさせたのもそれが理由だと思うんだが……」
「……入って来るのは訳の分からん風聞ばかりか……」
ギュンターが頷いた。そして何を思ったか顔を顰めた。

「まあ、分かっている事だけでも十分とんでもないんだがな。……卿は知らんだろうな、表向き黒姫一家の構成員は八万人と言われている。だがそれは交易、輸送、警備業務に携わっている人間だけの数字だ。実際にはもっと多い、三倍近く居るだろう」
「どういう事だ」
俺が問いかけるとギュンターは微かに笑みを浮かべた。冷笑だろうか。

「エーリッヒは辺境の企業を買い取って規模を大きくして開発をさせているのさ。道路、宇宙港、電力、上下水道、ガス、通信……。もっぱらインフラ関係に従事する企業だ。それらの企業は黒姫一家とは表向きは無関係という事になっているんだが勤めている人間は十五万人以上いる。そしてその数字は開発が進むにつれてさらに増えるだろうな」

「そんな馬鹿な、聞いていないぞ、そんな話は……」
今度は首を横に振った。
「隠しているわけじゃないだろう、調べれば分かる事だからな。彼らはエーリッヒが給料を払うのではなく企業が給料を払っている。海賊として活動しているのが八万人という事だ。フェザーンや帝国の経済人達は知っているよ」
「……」
ギュンターが俺を見ている。切なそうな表情だ。

「已むを得ない事なんだ。辺境は貧しかった、インフラ整備も碌にされていなかった、発展のしようが無かった……。辺境を発展させようとすれば先ずインフラの整備が要る。政府がやらない事をエーリッヒが自費でやっただけだ。辺境は少しずつインフラが整備され住民達の生活水準も向上した」
「……」

「結果として辺境は宇宙空間も地表もエーリッヒの影響下に有る。中央の企業はエーリッヒが整備したインフラを前提として進出を決めている。そして反乱軍から生産財を入手してくるのもエーリッヒだ。分かるだろう、辺境は発展するにはエーリッヒが必要で発展すればするほどエーリッヒの影響力は強まる。だがそれを責められるか?」
「……いや、責められんな。……辺境をこれまで見捨ててきたのは他でもない帝国政府だ」
ギュンターが溜息を吐いた、俺もだ。

「オーベルシュタイン中将がエーリッヒを危険視するのも当然なんだ」
「ギュンター!」
「勘違いするなよ、アントン。俺は中将のやり方を認めているわけじゃない、だが中将が何を危険視したか、それは分かる様な気がするんだ……。いや理解しなければいけない、そうでなければ中将に対抗できない。おそらく中将は徐々に徐々にだが辺境が一つの人間の下に経済的に政治的に纏まるんじゃないか、中央と対立するんじゃないか、そう考えたんだと思う」

「……馬鹿馬鹿しい、考えすぎだ。確かに辺境は発展しているかもしれない、一つに纏まりもするだろう。しかし中央から比べれば遥かに小さく弱体だ。対立すればあっという間に潰れるだろう。そんな事をするほどエーリッヒは馬鹿じゃない」
そうだ、エーリッヒはそんな馬鹿じゃない、杞憂だ。

「今はそうだ。だが十年後、いや二十年後はどうだろう。辺境が独自の経済圏を作って中央と対立する、その可能性が有る、オーベルシュタイン中将はそう考えたんじゃないかと思う。そしてその時はとんでもない騒乱になるだろうと。……否定できるか?」
「……」

否定できるだろうか? 十年後、二十年後か……。おそらく帝国は宇宙を統一しているだろう、その中で中央と辺境が対立する? 馬鹿げている、宇宙が統一された中で対立? そんなことは有り得ない……、有り得ない筈だ……。

「……否定は出来ないな」
我ながら口調が苦い。
「アントン……」

帝国は宇宙を統一しているだろう。反乱軍の旧領土が果たして何処まで帝国の支配を受け入れるか、心服するか……。彼らにとっては帝国中央よりも辺境の方が身近に有る……。反帝国感情の強い新領土と自らの力で発展してきたと自負する辺境……。経済的な繋がりは現段階で既に密接なものになりつつある。十年後、二十年後、……統一された宇宙の中で対立が起きるかもしれない。その時、その中心にいるのは……。



 

 

第二十話 触手


帝国暦 489年 5月 10日   アムリッツア  カルステン・キア



「どうだ、キア。なんか面白い記事出てるか」
「そうですねぇ。日刊オーディンによるとオーディンじゃ憲兵隊、国家安全保障庁、フェザーン、それに海賊屋敷が四つ巴になって情報戦をしてるって書いて有りますよ」

俺が答えると“爺さん”ことヴィルヘルム・カーンが顔を顰めた。
「そんな事は分かってるさ。リスナーからだって人が足りねえ、金が足りねえ、このままじゃ連中に出し抜かれるって悲鳴が上がってるんだ。それより他にはねえのかよ、なんか面白い話が」

「夕刊ヴァルハラにはお嬢様の影響力が強まっているって出てますね、金髪の信頼も厚いとか……。まあ仕事も出来るけどあっちの方でも役に立っているんじゃないかって書いて有ります。夕刊ヴァルハラはその手の話が大好きだから……」

「そりゃ嘘だな。金髪もお嬢様もあっちの方はねんねのお子様だそうだ。親っさんの言う事だから間違いはねえよ。親っさんもそっちの方はからっきしだからな」
爺さんがケケケっと笑った。そんな爺さんをウルマン、ルーデルが呆れて見ている。

しょうもねえ爺さんだよな。もう七十を超えていい歳なのに全然枯れてねえんだから。もっともいい加減に枯れたらどうだなんて言ったら人間枯れたら御終いだって言い返すのは目に見えている。とんでもねえジジイだが、そんな爺さんだからイゼルローン要塞攻略を親っさんから任されたんだろう。

あの作戦を幹部の中でも知っていたのは親っさんとアンシュッツ副頭領と爺さんだけだと聞いている。艦を降りたはずのジジイがイゼルローン要塞攻略の責任者ってウチの組織も結構滅茶苦茶だよな。まあ作戦の実施は若い奴に任せたらしいが。

「爺さん、相変わらず口が悪いなあ。金髪とお嬢様は良いけど親っさんの事は拙いんじゃねえの?」
俺が注意すると爺さんがニヤッと笑った。なんともふてぶてしい笑みだぜ。
「本当の事だろう、キア。俺はな、親っさんにワーグナーの頭領みたいに五人も女こさえろとは言わねえよ。でもなあ、一人ぐらいは居たって良い、そう思わねえか?」
「そりゃまあ、そうだけど……」

「キア、爺さんに同調してどうすんだよ、またアンシュッツ副頭領に殴られるぞ」
「勘弁してくれよ」
ウルマンが笑いながら俺に注意した。そうだよな、気をつけないと。このジジイ、とんでもない根性悪だからな。……待てよ、五人?

「爺さん、ワーグナーの頭領の所はかみさん入れて四人じゃなかったっけ? 五人って間違ってないか、それともまた増えたのかな?」
俺が問いかけると爺さんがまたケケケっと笑った。
「五人だよ、増えたんじゃねえ、隠してあったのがバレたんだ。向こうはえらい騒ぎらしいぜ」

はあ? 皆で顔を見合わせた。ウルマンもルーデルも???な表情をしている。そんな俺達をおかしそうに爺さんが見ている。
「隠してた? 何だそれ?」
「五年前から囲っていた女がかみさんにバレたらしい。相手の女は二十一ってことだ」
「二十一?」

周囲から声が上がった。二十一歳で五年前からって事は囲った時は十六歳かよ。そりゃ若いのが良いって気持ちは分かるけどよ、娘、いや下手すりゃ孫と間違われるぜ。周囲に隠してたってのもそれが理由だろうな、十六歳の娘を囲うなんて聞いたら皆怒るわ……。

十六歳か……、ワーグナーの頭領もやるもんだぜ。それにしてもこのジジイ、一体何処からそんな話を仕入れてくるんだ? 油断も隙もねえジジイだな。呆れて見ていると爺さんがまたケケケっと笑った。
「三歳になる娘が居るらしいな」

彼方此方から溜息が聞こえた。ワーグナーの頭領、オットセイ並みの絶倫ぶりだな。子供は七人じゃなくて八人か……。そんな事を考えていると爺さんが声を潜めて話してきた。嫌な予感がするぜ。
「そんでな、かみさんが酷く焼き餅やいてワーグナーの頭領は家に帰れねえそうだ」

なんてえか、もう溜息しか出ねえな。……アレ? あそこのかみさんは後妻だったよな。前のかみさんが亡くなって愛人の一人が本妻に納まった、そんな風に聞いたぞ、あれ何時だっけ……。
「爺さん、俺の記憶に間違いが無ければ今の奥さんが本妻に納まったのって五年前じゃなかったっけ……」
俺が恐る恐る問いかけると皆がギョッとした表情を浮かべた。
「そうかもしれないなあ」

爺さんはとぼけた表情でニヤニヤしている。笑いごっちゃねえだろう、そりゃ奥さんも怒るわ。自分を後妻に迎えといて十六歳を愛人かよ、面子丸潰れだぜ。また溜息が出た。
「それでワーグナーの頭領は何処に? 他の愛人の所?」
ルーデルが問いかけると爺さんが“うんにゃ”と言って首を横に振った。そしてニヤッと笑う。
「今回ばかりは他の愛人達も怒っちまってなあ……」

爺さんの言葉に皆頷いている。そりゃ怒るよな、普通。
「問題の愛人の所にも流石に行けなくて、今は艦で一人で暮らしているらしいわ」
「……」
「これまではな、一家の人間に間に入ってもらって丸く納めてきたんだが、今回ばかりは皆勘弁してくれと逃げ廻ってるらしい。いやあ、大変な騒ぎだよなあ、これは……」
ルーデルとウルマンを見た。二人とも呆れた様な表情をしている。……こんな話聞いていても仕方ねえな、仕事に戻るか……。

今日の俺達はリューデッツの事務所で仕事だ。親っさんは今応接室で人と会っている。新しく辺境に進出してきた企業の重役らしい。宜しくお願いします、そんなところだろうな。

俺達は今事務所の大部屋で電子新聞の記事を調べている。妙な記事、おかしな記事が無いかを調べているわけだ。俺がオーディン、ウルマンがフェザーン、ルーデルが辺境星域発行の新聞を調べている。俺が名前を上げた日刊オーディン、夕刊ヴァルハラだがはっきり言ってこの二つはゴシップ紙に近い。載せている記事の信憑性など皆無に等しいんだが俺だけではなく後の二人もこの手のゴシップ紙の類を調べている。

理由は一つ、情報の信憑性は落ちるが鮮度は高いからだ。一流紙は必ず裏付けを取る、情報の確度は上がるんだがその分だけ記事に出るのは遅くなる。また一流紙にとっては意味の無い事でも俺達にとっては重大な意味を持つことも有る。ゴシップ紙を無視は出来ねえ。

例えばだが人の生死が良い例だ。商人にとって貴族の生死は重大な意味を持っている。しかしだ、一流紙が××伯爵が死にそうだなんて記事を出すだろうか? そんな事はしない、死んでから記事を出す。だが俺達にはそれでは遅い、死んでからではなく死ぬ前に××伯爵の領地の特産物を押さえる必要が有る。

つまり俺達には××伯爵が死にそうだという情報が要るのだ。だから俺達だけじゃない、フェザーン商人だってこの手のゴシップ紙を無視はしない。今頃俺達と同じように日刊オーディン、夕刊ヴァルハラを見ている奴が居るだろう、何人もだ……。

ウチが貴族の相続争い、反乱においてフェザーン商人を出し抜いて大儲けできたのはゴシップ紙に記事が出る前に特産物を押さえたからだ。親っさんの指示で押さえたんだが、独り占めだった。一度や二度じゃない、親っさんが頭領になってからずっとだ。五年ほど前からはゴシップ紙もウチの動向を注視するようになった。“黒姫は死の使い”なんて言われるようになったのはその頃からだ。

それにしても面白くないな。爺さんの言う通り今日のニュースは碌なのが無いぜ。四つ巴の情報戦が起きている、お嬢様の影響力が強まっている、キュンメル男爵が死にかけている、オスカー・フォン・ロイエンタール提督が女を変えた、そんなところか……。

もっとも寝たきり男爵は年がら年中死にかけているし節操無しが女を変えるのも珍しくもねえ……。でもなあ、節操無しは帝国軍の重鎮の一人だからな。どんな女と付き合ってるかは大事だよな。それにしても落ち着きのねえ野郎だよ、全く。気が多いんだか、好みが難しいのか……。

ドアの開く音がした。廊下で親っさんが誰かと話している。多分客だろう、話が終わって見送るところだな。さて、どうするか……。
「ルーデル、ウルマン、そろそろ親っさんの所に行くか」
俺の言葉に二人が顔を見合わせ頷いた。

それから十分程してから親っさんの所に向かった。緊張するぜ、こいつは俺達にとっては或る意味試験みたいなもんだ。どんなニュースに関心を示したかってな。親っさんだって同じニュースを見てるんだから。

親っさんは自分の部屋で一息入れていたところだった。部屋にはココアの匂いがしている。出直そうかと思ったが親っさんが報告を聞きたがった。親っさんの執務机の前に立ち一人ずつ報告だ、先ずは俺からだ。親っさんが関心を示したのは寝たきり男爵の事だった。

「それでキュンメル男爵がどうしました?」
「また発作を起こしたそうです。そろそろ本当に駄目じゃないかって……。その所為かもしれませんが金髪と会いたがっているとか。最後の望みなんですかね、ちょっと可哀想な気もしますが……」
「……」
あ、親っさん、何か考えてるな。

「親っさん、キュンメル男爵領の物産ですが押さえますか。今なら未だ何処も動いていないと思いますが……」
親っさんが首を横に振った。
「無駄でしょう。あそこはマリーンドルフ伯が管理しています。キュンメル男爵が死んでも混乱は生じない」

そうだった、あそこはお嬢様のところと親戚だったな。ていう事は金髪に会うのも実現するか。……最後くらい望みを叶えてやりたいぜ、ずっと寝たきりなんだからな。親っさんもそれを思ったんだろうな。俺が終わると次はウルマンだった。フェザーンの報告をし始める。

「黒狐が坊主と会っているという記事が出ています」
「坊主……」
「地球教の坊主だそうですが……」
ウルマン、自信なさげだな。まあ確かに妙な話ではある、黒狐と坊主か……。あれ、親っさん、また考えてるな。ウルマンがホッとした様な表情をしている。

「他には有りますか?」
「フェザーンでは中間貿易の旨味が段々無くなっていると言う記事が出ています。大手はともかく中小の輸送会社、個人の交易船は輸送費の割に利益が出ないと。同盟内部か帝国内部での交易に専念した方が利益は出るかもしれないと有りますし業界再編に拍車がかかるだろうともあります」

ウチが価格を下げているからだな。まあその所為で先日の騒ぎも有ったわけだが……。
「おかしいですね」
親っさんが呟いた。おいおい、なんか有るぜ。ウルマン、ルーデルと視線を交わした。二人も緊張している。

「フェザーンの自治領主という仕事は忙しいはずです。まして今はフェザーンにとっては苦難の時と言って良いでしょう。こんな時に地球教の坊主と会う……。気になりますね」
言われてみれば確かにそうだな。

「フェザーンの事務所に注意を呼びかけましょうか」
ウルマンが進言すると親っさんが頷いた。
「そうですね、そうしてもらいますか」
「はい」

ウルマン、嬉しそうだな。自分の見立ては間違っていなかった、そう思ったんだろう。なるほどな、一つ一つは???だが二つを結びつければ確かに変だぜ。この辺り、俺達はまだまだ親っさんには及ばねえ。少しでも追いついて力になりたいもんだ。

ウルマンが終わるとルーデルが辺境について報告を始めた。もっとも辺境はあまり大したことはねえ。直ぐに終わって親っさんの前から引き下がった……。



帝国暦 489年 5月 10日   アムリッツア  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



キア、ウルマン、ルーデルが部屋を出て行くと老人が一人入れ替わりに部屋に入って来た。ヴィルヘルム・カーン、黒姫一家でも最も喰えない老人の一人だ。老人はニヤニヤ笑っている。おいおい笑うなよ、寒気がするじゃないか。
「少しお話が有るんですが宜しいですかな」
「ええ、こちらも相談したいことがあったんです」
爺さんが真面目な顔になった。俺をじっと見ている。嘘じゃないぞ、本当に話したいことはある。

「怖いですなあ、親っさんが話があるとは。またイゼルローンのような事ですか」
「そうじゃありませんよ。ところで話とは」
「……ワーグナーの頭領ですが大変なようですな」
「大変?」
「浮気がばれたそうで」
「……なるほど」
珍しい事じゃない、あそこは一年の四分の一はそれで揉めている。

「そのうち親っさんに仲裁に入ってくれ、そんな話が来るかもしれません」
「馬鹿な事を」
「そうですなあ、親っさんに夫婦喧嘩の仲裁とか論外ですな」
そう言うとカーンがケケケッと笑った。

俺が黙っているとカーンがニヤッと笑って一つ頷いた。分かっている、ここからが本当の話だ。今までの話は他の奴に何の話をしたかと訊かれた時の言い訳用だ。
「最近、妙な連中が辺境に入り込んでいるようです」
「妙な……。薬の売人ですか」
「いや、ちょっと違うようで……」
なんだ、爺さんが困惑している。

「ルーデルは何も言いませんでしたが……」
「まだ記事には出ていませんなあ、私の方に引っかかった、そう言う事です」
「なるほど」
「はい」

ウチの防諜に引っかかった、そういう事か。黒姫一家には防諜、監察を任務とする組織が有る。もっともその組織の存在は殆どの人間が知らない。知っているのは俺、アンシュッツ、そして目の前にいる組織の責任者、ヴィルヘルム・カーン……。以前、ウチの腐ったリンゴと流れ者の繋がりを警告してきたのもこの男だ。

「どういう連中です」
俺の問いかけにカーンはちょっと首を傾げた。
「随分と横柄な連中だそうですよ、もっとも余り裕福とも思えないとか……。昔は羽振りが良かったのかもしれませんな」
「……」
「そうそう、ちょっと周囲を憚るようなところもあるようです」
「なるほど……」

「少し探ってみようかと思いますが?」
「そうですね、お願いできますか。多分裏に誰かが居ると思うのですが……」
「そうですな、私もちょっとそれが気になります。フェザーンか、オーディンか……」
「或いは別口か……」

カーンが俺をじっと見ている、一つ頷いた。今度は俺の番だ。
「爺さん、オーディンの海賊屋敷に知られることなく人をキュンメル男爵に張り付けられますか?」
「キュンメル男爵をリスナーに知られることなくですか……」
意外そうな口調だな、爺さん。

「誰にも知られたくないんです」
「なるほど、海賊屋敷を動かせば周囲に知られますからな、だからウチを動かす……。やろうと思えば出来ますが……」
海賊屋敷を監視する人間達、それを動かす……。

「急ぎます、何時からできます?」
「やろうと思えば明日からでも出来ます。しかしキュンメル男爵にそこまでの価値が有りますか?」
気乗りしない口調だな。気持ちは分かる、出来れば動かしたくないよな、周囲にバレるような事はしたくない。
「キュンメル男爵はローエングラム公に会おうとしているようです」
「……それが」

「男爵は動けない、会うとなればローエングラム公がキュンメル男爵邸に行くことになる。男爵はフロイライン・マリーンドルフの従姉弟です」
「……」
「キュンメル男爵を唆す誰かが居るかもしれない」
爺さんがギョッとしたような表情を見せている。

「……親っさん、まさかとは思いますが、親っさんは……」
「まさか、ですよね。しかし……、今ローエングラム公に死なれると痛い。そうは思いませんか?」
「確かに痛いですな。なるほど、親っさんが何を心配しているかが分かりました。さっそく人を張り付けましょう、明日とは言わず今日にでも」
カーンはチラッと俺を見て一礼すると部屋を出て行った。どうやらまた忙しくなりそうだ。




 

 

第二十一話 謀議



帝国暦 489年 5月 10日   フェザーン 自治領主府 アドリアン・ルビンスキー



「昨日、そなたの言った事は真実か」
「はい、徐々に徐々にではありますがフェザーンの利益は辺境の海賊に奪われつつあります。そして帝国も同盟も海賊を利用してフェザーンの利益を押さえようとしている……。フェザーンの未来は決して明るいとは言えません。現にこの執務室には何とかしてくれと泣きついて来る者達が一日、一日と増えつつあるのです」
俺の言葉にデグスビイ主教は顔を顰めた。

「フェザーン商人が泣き言を言うとは……、存外にだらしがないではないか。汝らの力はそれほど弱いものではあるまい」
本気で言っているとは思えんな。連中の手強さは地球もよく分かっているはずだ。首を横に振って否定しながら海賊の手強さを訴えた。

「なかなか、そのように生易しい相手ではありません。交易もやれば戦争もやる、謀略も使う。手強い相手です」
デグスビイ主教は今度は唸り声を上げた。肉付きが薄く血色の悪い顔で唸っているとまるで病人のように見える。

「そうだな、連中の所為でこちらも思わぬ齟齬をきたした……」
「と言いますと?」
「トリューニヒトよ。前年の内乱であの男を我らの手の内に入れた、そう思ったのだがな……。イゼルローン要塞が落とされた事で政権を投げ出した。今では誰もあの男を相手にせぬ……。全くの無駄になった、何のために助けたのやら」

ぼやく口調に失笑しそうになったが堪えた。気持ちは分かるがトリューニヒトを責められるだろうか? 俺がその立場でも逃げ出したくもなるだろう。アルテミスの首飾りは粉砕され第十一艦隊はほぼ全滅、そしてイゼルローン要塞が陥落し三百万人の人間が人質になった。あの状態で政権を引き受ける人間が居た方が奇跡に近い。ジョアン・レベロが評議会議長になったと聞いた時には正気かと耳を疑ったものだ。

「だが何より厄介な事は帝国と同盟の共倒れは不可能に近いと思われる事だ。そうではないか、ルビンスキー」
「私もそう思います。国力にあまりにも差が生じました。この差を埋めるのは容易では有りません」
“うむ”とデグスビイ主教が頷く。

「そしてイゼルローン要塞が落とされた事で同盟がローエングラム公の行く手を阻むことは難しくなりましたな」
俺の言葉にデグスビイ主教がまた顔を顰めた。
「おまけにあの海賊め、金髪の小僧を煽ったそうではないか」
「そうですな、宇宙を統一しろと言ったそうです」
「忌々しい奴だ! 何なのだ、あいつは!」
同感だ、俺も同じ事を言いたい。何なのだ、あの海賊は? フェザーンにとっては天敵のような存在だ。そして地球にとっても……。

地球の復権、全銀河の支配をもくろむ地球教にとって現状は必ずしも満足できるものではない。むしろ状況は酷く悪い。地球教の戦略は帝国、同盟の共倒れだ。だが同盟は先年の帝国領侵攻で大敗、今回の内乱で弱体化した軍事力をさらに弱体化させた。一方の帝国は内部からドラスティックに改革されつつある。両者の国力差は開く一方だ、デグスビイ主教も認めるように共倒れは不可能に近い……。

この事態にどう対応するか……。帝国に肩入れし帝国に宇宙の統一をさせる、その後に帝国を乗っ取る。それも考えたがなかなかに難しい。乗っ取るにはそれなりの力が要る。だがローエングラム公がフェザーンの権益をどこまで認めるか……。いや、その前にフェザーンは何を以ってローエングラム公に協力するのか……。

財力……、内乱で門閥貴族を潰した今、帝国の財政は一気に改善した。ローエングラム公にとってフェザーンの財力面での協力は必ずしも必要不可欠のものではない。イゼルローン要塞が同盟に有るのならフェザーン回廊の通行を提案出来るが要塞はあの海賊が御祝儀としてローエングラム公に献上してしまった。全く碌でもない事をしてくれる。

つまりフェザーンには取引に使える決定的なカードが無い。ローエングラム公にとってフェザーンは変な権益を認めてまで味方にするより軍事的に征服してしまった方が面倒が無い存在だろう。或いは黒姫一家の対抗勢力としてフェザーンの権益を認めると言う可能性も有る。しかしその権益は黒姫一家よりも小さなものになるはずだ。これまでの貢献度の違いから言ってそうならざるを得ない……。

邪魔だな、やはり黒姫は邪魔だ。フェザーンのためには黒姫も黒姫一家も邪魔以外の何物でも無い。なんとか潰したいと思いボルテックに工作させたが上手く行かなかった。手強い相手だ、ボルテックはいささか黒姫を甘く見た。辺境の海賊と何処かで侮ったのだろう。軽視すべきではなかったし俺も注意すべきだった。ローエングラム公、そして同盟との駆け引きを見ても黒姫は互角以上に立ち回っている。

「フェザーンにとっても地球にとっても現状は満足できるものではありませんな」
「同感だ、そして嘆いてばかりいても仕方がない事も理解している。何か策が有るか?」
綺麗な青い眼をしている、しかし不快感を感じるのは何故だろう。多分視線に偏狭な執拗さを感じるからだろう。

「さて……」
「殺すか?」
「海賊を、ですか?」
「難しいか……」
デグスビイ主教の青い眼がじっとこちらを見ている。辟易する思いがしたが懸命に耐えた。眼を閉じ考える振りをする。五つ数えてから目を開けた、まだ俺を見ている……。

「不可能、とは思いません。しかし黒姫を殺しても黒姫一家が残るのではフェザーンの苦境は変わりません。そして現在の帝国と同盟の状況もです。あまり意味は無いでしょう」
「そうだな」
デグスビイ主教が俺の言葉に頷いた。そしてまた問いかけてきた。

「殺す事で黒姫一家を分裂させることは出来ぬか」
「……」
その事は俺も考えないではなかった。だが分裂するだろうか? 分裂するにしても直ぐという事は有るまい。そして黒姫を殺した時、真っ先に疑われるのはフェザーンだ。あまり面白い事ではない。

「不確定要素が多すぎるか」
「はい」
「所詮は意趣返し、そう言う事だな」
「……」
デグスビイ主教が頷いている。偏執狂では有っても馬鹿ではないか……。せめてもの救いだな。

「フェザーンの苦境を救い、帝国の力を削ぎ、同盟の国力を回復させる。それが必要だという事か」
「はい」
俺が頷くとデグスビイ主教が顔を近づけてきた、堪えろ。
「有るか、そのような方法が」

「同盟の国力を急速に回復させるのは無理でしょう。となれば時間を稼ぐしかありますまい」
「……」
青い眼がじっとこちらを見ている。重苦しい眼だ。
「ローエングラム公を……」
「殺すか」
「はい」

答えてから大きく息を吐いた。デグスビイ主教は即答した、やはり地球教もその事を考えたか。
「主導権争いで帝国を混乱させる、そう言う事だな」
「そうです」
「その混乱の中で黒姫一家を潰す……」
「不可能とは思いません、ローエングラム公の部下達は黒姫を必ずしも好んではいない……」

デグスビイ主教が“ウーム”と唸っている。ジロリとこちらを見た、寒気がする目だ。
「殺せるのか、ルビンスキー」
「そこが何とも……。何と言っても相手は帝国の支配者です、警備は厳しい。しかし他に手が有るとも思えません」

デグスビイ主教がまた唸った。
「ボルテックは使えぬか」
「帝国の、そして黒姫の監視が厳しいようです。難しいでしょう」
デグスビイ主教の表情が歪んだ。“詰まらぬ事をするからだ”と吐き捨てる、腹は立ったが黙って頭を下げた。

「やむを得ぬな、ローエングラム公はこちらで始末するほかあるまい」
大きな嘆息と共に言葉が出された。芝居がかった態度が鼻についたが神妙に相手役を務めるしかあるまい。
「と申されますと、そちらで手が有りますか?」
「うむ」
自信ありげだな、成功率は高いと見ている。

「……こちらでお手伝いできることは」
「無用だ、そなた達は帝国からも海賊からも目を付けられている。余計な事はしなくていい」
こちらの手を汚さずに済むのであれば望むところだ、精一杯申し訳無さそうな表情を作って一礼した。

話しが終わるとデグスビイ主教は饗宴の誘いを断って部屋を出て行った。やれやれ、一体何が楽しみで生きているのか……。狂信的な教条主義者と言うのはさっぱり分からんな。デグスビイ主教と入れ替わる様に部屋に若い男が入って来た。新しい補佐官、ルパート・ケッセルリンク……。

「お話はお済みですか」
「終わった。もてなしは要らんそうだ。一体何が楽しみで生きているのか……」
俺の言葉に補佐官が冷笑を浮かべた。
「主教のおもりも大変ですな、それで如何なりました」

「向こうでやるそうだ」
「ほう、ではこちらは」
「有難い事に何もする事は無いそうだ、大分自信ありげであったな」
「それはそれは……、手を汚さずに済むという事ですか」
ルパートがまた冷笑を浮かべた。あまり見ていて楽しいものではない。

「結果的にボルテックの失敗は悪くなかったようだ、結果的にだがな」
「なるほど」
「こちらはじっくりと見物させてもらおう、成功を期待してな」
「そうですな」
ルパートがまた冷笑を浮かべた。



帝国暦 489年 5月 15日   アムリッツア  ヴィルヘルム・カーン



「それで、何か分かったか」
『分かりませんや、動きが全くねえんですから』
投げやりな口調だな、この野郎……。口だけじゃねえ、顔まで不貞腐れていやがる。

「ヨハン・フレーベル、てめえ、不貞腐れてんじゃねえ。もう五日だぞ、五日! 何も掴めねえとは何事だ!」
『そんな事を言っても……、相手は寝たきりですからねえ、爺さん。手の打ちようがねえですよ』
溜息交じりの声だ。駄目だな、不貞腐れる以上に参っている……。

「男爵本人から話を聞けなんて言っていねえだろう、他は如何なんだ、使用人はどうだ、誰かと接触はしてねえのか」
俺の問いかけにフレーベルは首を横に振った
『駄目ですね、主が寝たきりだと屋敷の人間も殆ど外に出ねえ。全然動きがねえんです』

溜息が出そうだな。五日もかけて何も出てこねえとは……。いや、出る出ねえよりも動きがねえ、こいつが一番厄介だ。親っさんの杞憂か? しかしな、まだ始まったばかりだ。それに親っさんの懸念は有り得ねえことじゃねえ。そしてキュンメル男爵は確かに予想外だ、それだけに成功する可能性は有るだろう。

『爺さん、これ、いつまで続けるんです。みんなウンザリしていますぜ。妙な動きは無いか探れと言われても相手は寝たきりの病人なんだから……』
「グタグタ言うんじゃねえよ。相手はローエングラム公の側近、お嬢様の親戚なんだ、目え光らせる必要が有るだろう」

『だったら海賊屋敷の連中にやらせればよいでしょう。なんで俺達が……。大体昨日はお嬢様が来ましたからね、もう少しで海賊屋敷の連中と鉢合わせするところでしたよ』
「連中じゃ駄目なんだよ。誰にも知られたくねえんだ」

駄目だな、フレーベルは納得していねえ。仕様がねえな、はっきりと言った方が良いか。金髪の暗殺と言えばやる気を出すだろう。それに囚われると妙な所で見落としをしかねないと思って敢えて言わなかったんだが……。今のままじゃ見えてる物も見過ごしてしまう。

「フレーベル、良く聞け。キュンメル男爵を探れというのはな、親っさんの命令だ。それでも不服か?」
『親っさんの?』
おいおい、素っ頓狂な声を出してるんじゃねえよ。

「そうだ、親っさんはな、何処かの馬鹿がキュンメル男爵を利用して良からぬ事をしようと考えねえかと心配しているんだ」
『良からぬ事って……』
「良からぬ事さ、……例えばだぜ、金髪の暗殺とか」
声を潜めて囁くとギョッとしたような表情を見せた。まだまだ若いな、フレーベル。

『でも、相手は寝たきりの病人ですぜ、爺さん。親っさんの思い過ごしじゃねえんですかい』
「なら良いんだがな、困った事に男爵はお嬢様の親戚だ、金髪が見舞いとか言い出さねえとも限らねえ、そうだろう?」
『……』
考え込んでいるな、よしよし、もうひと押しだ。

「何もねえなら良いんだよ。だがなあ、もし金髪に万一の事が有ったら、お前、ただじゃ済まないぜ」
『ちょっと、爺さん』
「親っさんの警告を無視したことになるからなあ」
『ちょっと、待ってくれよ爺さん、脅すなよ』
おやおや、随分とビビってるじゃねえか。もう少し脅してやるか、ちったあ真面目にやるだろう。

「脅しじゃねえよ。親っさんの怖さはおめえも分かってるだろう。下手を打つとどっかの海賊みてえにブラックホールに叩き込まれるぞ。生ゴミは要らねえってな」
『……生ゴミって』
青くなっていやがる。ここらで締めるか。

「フレーベル、もう一度だけ言うぜ。キュンメル男爵の周囲を見張れ。妙な動きをする奴が居ねえかしっかり調べるんだ」
『……分かりやした』
「こいつは親っさんの命令だ。親っさんをコケにするようなマネはするんじゃねえぞ」
『はい』
よしよし、これで少しは気合を入れなおすだろう。全く、世話の焼ける奴らだぜ……。

 

 

第二十二話 黒姫からの警告

帝国暦 489年 5月 25日   アムリッツア  ヴィルヘルム・カーン



「気になる事でもあるんですか」
家で夕食を摂っていると女房が問いかけてきた。
「なんでそんな事を訊く」
「折角の赤ビール、美味しそうに飲んでいないじゃないですか。おまけに大好物のポテトのパンケーキを作ったのに少しも手を付けない……」
そう言うとホレというように顎で皿を指し示した。

いかんな、女房の言う通りだ。ついつい考え事をしていた。
「大したことじゃ無いんだ、ちょっとな」
ポテトのパンケーキをつまむとグイッと赤ビールを飲んだ。うん、やっぱり赤ビールは美味いぜ、モルトの風味が程よく利いててポテトのパンケーキによく合う。

この赤ビールだが火で焙って色が濃くなった麦芽を五十パーセント以上使用している。そのため普通のビールと比べるとビールの色が濃い。赤ビールの名前はそこから来ている。辺境で作られる地ビールの一つでオーディンを中心とした中央では作られていないし販売もされていない。

まあちょっと手間がかかっているため普通のビールよりは値が張るし生産量も少ないため辺境でもあまり出回ってはいない。という訳で毎日飲めるビールではないがまろやかで少し甘みのある味が俺は結構気に入っている。辺境に来て最初に思ったのはビールは中央よりもこっちの方が美味いなという事だった。赤ビールだけじゃない、他の地ビールも結構楽しめる。

「何か有るんですね、気にかかっているんでしょう」
「……分かるのか」
「そりゃ、あんた、連れ添って何十年になると思ってるんです」
「……五十年、だったかな?」
「それは去年です! 金婚式をやったじゃありませんか」
「そうか……」

いかんな、女房の奴、怒ってやがる。一年くらい間違っても大したことはねえだろうに……。五十一年前はもっと大人しくて可愛い感じだったんだがなあ。少なくともそう言う記憶が有るんだが何処で変化したのか、いまだに思い出せない。三十年前くらいにはこんな感じだったからもっと前だな、四十年前くらいか……。

「変に隠してると、ワーグナーの頭領みたいになりますよ」
「冗談は止してくれ、俺はあんなへまはしねえよ」
「昔、へまをしたのは誰でしたっけ、土下座して謝ってましたけど」
「あ、あれはもう時効だろう、古い話を持ち出すんじゃねえよ。大体だ、俺はもう七十を超えてるんだぞ。年寄りを苛めるなって」
おいおい、何て目で見るんだ。そんな蛇でも見るような目で見るんじゃねえよ、俺はお前の亭主だぞ。それにお前の言うへまだって未遂だったじゃねえか。

……ワーグナーの頭領が若い愛人を密かに囲っていた。それが女房にばれて大騒ぎになったんだが、何のことは無い、詰まらない冗談と誤解と焼き餅から起きた騒動だった。噂になった女性は愛人じゃない、ワーグナーの頭領の古い知り合いの孫娘だった。結構世話になった人だと聞いている。

相手の女性は戦争未亡人で歳も二十一ではなく二十五だ。童顔で歳より若く見えたらしい。小さい子供を抱えて大変なのでワーグナーの頭領が密かに援助していた。密かに援助なんてするからややこしくなる。大ぴらにやれば良かったんだ。おまけに周囲の人間に正直に言えば良いものを何を考えたのか密かに囲ったなどと嘘を吐くから……。真相を訊いた時には笑うよりも溜息が出たぜ。

「お仕事の事ですか」
「うん、まあな。どうもすっきりしねえ話でな、イライラするぜ」
そうなんだ、イライラするんだ。可能性は有る、狙うんならここだろう。そう思って調べているんだが誰も金髪を狙おうとしねえ……。考え過ぎなのか?

「私は仕事の事なら口出しはしませんけど、食事の時くらいは忘れたらどうです。美味しいものは美味しく食べないと、健康に良くありませんよ」
「そうだなあ、クリスティン、お前の言うとおりだ。美味い物は美味しく頂かないとな……」
取りあえず食事に専念するか。女房を心配させるのも何だしな。

もう一つポテトのパンケーキを口に入れる。やっぱり美味いわ、それにザウアーブラーテン、こいつもやっぱりビールだよな。歳をとったら美味いものを食うのが一番の幸せだ。クリスティンの良い所は料理が上手い所だな。それと口が堅いって事だ。普通の女は耳から入って口に抜けるがクリスティンは耳から入って腹に納まる。一緒に飯を食っても変に気を使わずに済むのが一番だぜ。

食事を楽しみ始めたと思ったらTV電話の呼び出し音が鳴った。やれやれだな、悩んでいる時には連絡が入らず食事を楽しみだしたら電話がかかってきやがる。大神オーディンは人の楽しみを邪魔するのが趣味になったらしい。女房に視線を向けたが何も言わない、黙ってザウアーブラーテンを口に運んでいる。仕事には口は出さない、五十一年前に決めた夫婦の約束事だ。“少し外すぞ”と言って席を立った。

書斎で受信するとフレーベルの顔がスクリーンに映った。
「どうだ、様子は」
『うーん、動きはねえなあ……。手を抜いてるわけじゃねえがキュンメル男爵家に動きは見えねえ。爺さん、今回ばかりは親っさんの考え過ぎって事はねえかなあ』
自信なさげな表情と口調だな。頭が痛いぜ、ビールで悪酔いしそうだ。

「そうか、今回ばかりは外れたかな……」
『あの屋敷は人の出入りが全然ねえんだ。食料なんかは店の方で持ってくるからな。店も昔からの付き合いでおかしな奴は見当たらねえし……』
フレーベルの言う通りかもしれねえ、今回ばかりは親っさんの考え過ぎか。親っさんに報告して終わりにするか……。

『あそこの邸で頻繁に出入りするのは医者くらいのもんだ。いつ死ぬか分からねえ病人だから忙しそうだぜ』
「医者か……」
『熱心に通っているところを見ると親切な男なんだろうな、良くお参りもしているみたいだし……』

「お参り?」
『ああ、その医者、地球教の信者らしいんだ、良く地球教の教団支部に行っているよ。医者とかってのは人の生死に関わるから信心深くなるのかな』
地球教か……。妙なもんが引っかかって来たな。

「フレーベル、その医者を見張るんだ」
『医者を?』
「それと地球教の教団支部、こいつも見張れ」
『爺さん、地球教に何かあるのか?』
フレーベルが訝しそうな表情をしている。ふむ、少し話しておくか。

「フェザーンでな、ちょっとばかし妙な話が有った。ルビンスキーが地球教の坊主となにやら話し込んでいたらしい、半月ほど前の事らしいがな。ちょっと引っかかるだろう」
フレーベルがちょっと首を傾げた。
『ルビンスキーと地球教の坊主か、……考え過ぎって事はねえかな、爺さん。それは半月ほど前の事だろう。その医者がキュンメル男爵家に行くようになったのは随分と前の事だ、確か去年の暮れだぜ、一応調べたんだ』

去年の暮れか、フレーベルの言う通り確かにかなり前だな。しかし金髪の覇権が確定した後でもある、お嬢さんはもう金髪の傍にいた……。キュンメル男爵に利用価値は有る、いや利用価値が出てきたところだ。偶然と考えるには少々きな臭過ぎるな。

「かもしれねえ、しかしこうも考えられるぜ、フレーベル」
『……』
「フェザーンと地球教にどんな関係が有るのかは知らねえが、オーディンにあるフェザーンの弁務官府は帝国やウチに見張られていて身動きが出来ねえ。という事で代わりに地球教が動く……。どうだ、万一の事が起きてもフェザーンを疑う奴はいねえぞ」

フレーベルが唸り声を上げた。眼付が変わってきたじゃねえかよ、フレーベル。良い眼だぜ、ようやく獲物の臭いを嗅ぎつけた猟犬みてえな眼だ。
『見過ごす事は出来ねえ、そういう事だな、爺さん』
「そういう事だ、フレーベル。もしかするとフェザーンは奥の手を出してきたのかもしれねえ、切り札をな」

フレーベルがまた唸り声を上げた。
『分かったよ、医者のことを調べてみよう。先ずはどういう経緯でキュンメル男爵家に入り込んだのかだな。それと地球教団の支部にも人を付ける。それでいいかな、爺さん』
「ああ、十分だ。抜かるんじゃねえぞ、フレーベル」
『分かってるよ、きっちり調べるぜ』

どうやら親っさんの読みが当たったかもしれねえな。後はフレーベルが何を見つけてくるかだ。さてと、俺は赤ビールに戻るとするか、どうやらビールが旨く感じられそうだぜ。ポテトのパンケーキもな。



帝国暦 489年 6月 8日   オーディン  ギュンター・キスリング



仕事を終え、国家安全保障庁から地上車で宿舎まで送ってもらった。ようやくゆっくりする事が出来る、そう思いながら宿舎に入ろうとすると暗闇の中から声が聞こえた。
「国家安全保障庁副長官、ギュンター・キスリング中佐ですね」
まだ若い声だ、油断は出来ないが敵意は感じられなかった。宿舎の陰に隠れているのだろう、姿は見えない。どうやらゆっくりするのはお預けのようだ。

「物陰に隠れて声をかけるなど穏やかではないな、何者だ」
「失礼しました、今姿を見せます」
宿舎の陰から男が姿を現した。敵意が無い事を示す為だろう、ゆっくりと近づいて来る。近づくにつれ容貌が見えてきた、この男は……。
「黒姫一家、オーディン事務所の駐在員、テオドール・アルントです」

本人だ、間違いは無い。オーディンの黒姫一家の事務所では所長のハインリッヒ・リスナーの側近と言って良い男だ。エーリッヒがオーディンに来た時には出迎えの一員でもあった。信頼されているのだろう。となると、ここに来たのはリスナーの指示か……。

「何の用だ」
「御相談したい事があります」
「……ここでは拙いのだろうな、中へ入るか」
「出来れば」

家の中に入るとアルントは珍しそうに中を見ている。軍の宿舎に入ることなど初めてなのだろう。居間で話すかと思ったが飲み物の用意が面倒だった。ダイニングに案内してインスタントのコーヒーを用意した。手抜きで済まないと言うとアルントは一人暮らしの所に押し寄せたのは自分だと言って済まなさそうにした。まだ擦れてはいないらしい。

「それで、話とは」
アルントが緊張を見せた。
「最初に断っておきます、私がここに来たのはリスナーの命令によるものではありません」
「と言うと……」
嫌な予感がした、コーヒーが苦い……。

「ヴァレンシュタインの頭領の命令によるものです」
「……なるほど、それで」
エーリッヒが彼をここへ寄こした。道理で緊張しているわけだ。どうやら話の内容は碌でもないものになると決まった。コーヒーを苦く感じるのはその所為だろう。

「ローエングラム公がキュンメル男爵のお見舞いに行くと聞きましたが」
「ああ、十二日に行くことになった」
「お止めになった方が良いでしょう、生きて戻れなくなる」
コーヒーを飲もうと思って持ち上げたカップを戻した。アルントに視線を向ける、アルントもこちらを見ている。

「どういう事だ、それは」
自然と声が低くなった。
「キュンメル男爵はローエングラム公を殺そうとしています」
アルントも同じように声を低めた。

「証拠が有るのか、キュンメル男爵はフロイライン・マリーンドルフの従姉弟だ。証拠がなければただでは済まないが」
言っていて馬鹿らしくなった。エーリッヒが彼をここに寄越したのだ、証拠も無しに寄越すはずが無い。
「分かっています、これを見てください」
そう言うとアルントは胸の内ポケットから封筒を取り出した……。



帝国暦 489年 6月10日   オーディン  帝国宰相府  アントン・フェルナー



「卿ら三人が私に用とは……、何か厄介事が起きたようだな」
ローエングラム公が眼の前に居る三人を見ながら言った。俺、フロイライン・マリーンドルフ、そしてオーベルシュタイン中将。中将は元々だが俺とフロイライン・マリーンドルフも顔色は良くないだろう。人払いをしたうえで顔色の悪い部下が三人、それを見ればどんな馬鹿でも厄介事が起きたと想像がつく。

それにしても妙な面子だ、現在と過去の総参謀長経験者が集まった。まあ俺は代理だったが……。
「それで、何が起きたのだ」
オーベルシュタインが俺に視線を向けた。お前が話せ、そんなところか。フロイライン・マリーンドルフに視線を向けた。彼女は沈黙している、変な弁解はしないということだな。つまり、俺か……。気が重いな、どんな結末になるかは想像がつく……。

「明後日のキュンメル男爵邸訪問はお取り止め頂きたく思います」
「どういう事だ、男爵に不都合でも生じたのか」
公が訝しげな表情をし、そして気遣わしげな表情でフロイライン・マリーンドルフを見た。彼女の顔色の悪さから多分男爵の健康が悪化した、或いは死に瀕している、そう思ったのだろう。それなら良かったんだが……。

「そうでは有りません、キュンメル男爵邸に赴けば閣下の御命が危ないという警告が有りました」
「……それは男爵が私を殺そうとしている、そういう事か?」
「はい」
どうにもピンと来ない、そんな顔だな。まあいつ死んでもおかしくない病人が自分を殺そうとしている、そう言われてもピンと来ないか……。

「その警告というのは信用できるのか? いや、卿ら三人がこうして押し寄せたのだ、信用できるのであろうな」
運命の一瞬、だな。
「警告は黒姫の頭領からのものです」
「……」

……そんな睨まなくても良いだろう。エーリッヒは敵じゃないぞ、少なくとも危険だって身を案じているんだから喜んでもいいと思う、心配してくれて有難う、とかって思うのは俺だけかな……。空気が重いわ、なんでだろう……。
「どういう事だ、何を言ってきたのだ、黒姫は」

口調が普通じゃないんだよな、妙に粘ついてるっていうかスカッとしないって言うか……、溜息が出そうだ……。
「キュンメル男爵が或る組織に使嗾されていると黒姫の頭領は言っています」
「組織? ……それは?」

オーベルシュタインとフロイライン・マリーンドルフを見た。二人とも俺と視線を合わせようとしない。孤立無援ってのはこの事だ、ギュンターにも来てもらえば良かった……。
「地球教です」
「地球教?」
「そうです、地球教がキュンメル男爵を使嗾して閣下の暗殺を計画している。黒姫の頭領はそう警告しています……」






 

 

第二十三話 闇を制する者

帝国暦 489年 6月10日   オーディン  国家安全保障庁  アントン・フェルナー



宰相府から国家安全保障庁に戻り長官室のソファーに座ると直ぐに副長官、ギュンター・キスリングがやってきた。正面に座りこちらを気遣う様な表情をしている。ギュンター、我が心の友よ、卿だけだ、俺をそんな優しい目で気遣ってくれるのは……。ナイトハルトは宇宙艦隊に入り浸りでなかなか会えない、エーリッヒはヤクザな海賊稼業に身を堕として俺を苛める。そして上司は……、思い出したくもない。世の中は俺に冷たいのだ……。

「どうなった」
「憲兵隊との合同捜査になった。医者とゼッフル粒子の購入者、キュンメル男爵、教団支部に対して強制捜査だ。憲兵隊は国家安全保障庁の支援ということになる」
俺の言葉にギュンターが頷いた。

「打ち合わせ通りだな」
「打ち合わせ通りだ」
今度は俺が頷いた。ギュンターも二度、三度と何か確認するように頷いてからこちらに視線を向けてきた。

「地球に対しては?」
「現状ではオーディンの教団支部への捜査で精一杯だ。地球、高等弁務官府への捜査は見送りになった。もっとも今後の捜査の進展次第では両方とも捜査の対象になる……」
「二段階か……。ま、そうだろうな、ここから指示を出して良いか?」
「ああ」

ギュンターが俺の執務机のTV電話を使って部下に指示を出し始めた。指示と言っても難しいものではない、準備はもう出来ている。“行け”の一言だけだ。……全ての準備を整えてからオーベルシュタイン中将、フロイライン・マリーンドルフと調整した。だから主導権を取れた、もっともそのために俺もギュンターも二日徹夜だ。そして未だ休めそうにない。おそらくこのソファーで仮眠を取る事になるだろう……。

指示を出し終わったギュンターがソファーに戻り俺の方を見た。気遣う様な表情で問い掛けてくる。
「元帥閣下の反応はどうだった」
「半信半疑、そんなところだな。危険であることは認識したが地球教が何故、というのがある。それと地球教とフェザーンというのがどうにもピンと来ないようだ。まあ坊主と拝金主義者の組み合わせだ、無理もない」

ギュンターが困惑を顔に浮かべた。
「そうじゃないさ、いや、それも有るんだが、……情報提供者がエーリッヒだと知った時の元帥閣下の反応を訊いているんだ」
思わず顔を顰めた。
「……訊かなくても分かるだろう、酷いもんさ」
ギュンターが大きな溜息を吐いた。ギュンター、溜息を吐きたいのは俺の方だ、どれだけ辛かった事か……。

「話している最中に顔が強張る、頬がひくつく、目を閉じて何かを堪えるようなそぶりをする、大きな溜息を吐く……。ああ、あと身体も小刻みに震えていたし拳も握りしめていたな。見ているだけで気が滅入ってきたよ……。フロイラインもキュンメル男爵の件が有るから取りなしは出来ないしな」
「……」
実際、あんなに話し辛いと思った事は無かった。何度か溜息を吐きそうになったし、逃げ出したくなった。

「最後は散々嫌味を言われたよ。また感謝状を書かされるとか、お前達の情報収集能力は辺境の海賊にも劣るのかとか、帝国最強の情報機関は黒姫一家らしいとか……」
「……それで、卿はなんて答えたんだ」
「その通りです、我々よりもエーリッヒの方が一枚上ですって答えたさ。オーベルシュタイン中将も否定しなかった、事実だからな」
俺の言葉にギュンターが息を吐いて天を仰いだ。

「最後はどいつもこいつも、と言って口を噤んだよ。何を言いたかったのか、嫌でも想像がつく」
ギュンターが今度は二度首を横に振った。
「戦争をやれば武勲第一位、イゼルローン要塞を落して来る。内政でも辺境を発展させている、諜報活動でも二連勝だ。おまけに自分達は協力者だと言って公に頭を下げようとしない。エーリッヒが出来れば出来るほど自分の部下に不満が出るだろうな」
ギュンターが溜息交じりに呟く。

実際ローエングラム公のエーリッヒに対する感情は単純なものではない。エーリッヒが軍人、政治家として傑出している事は十分に理解している。だが口では“あの根性悪のロクデナシの業突張り”、“あの海賊が”と悪態を吐く。その癖部下がそれに迎合すると不機嫌になるのだ。

以前はヤン・ウェンリーが公にとって最も気になる存在だったらしい。だが今ではエーリッヒに変わっている。ヤン・ウェンリーはエーリッヒにしてやられた男で手強さではエーリッヒの方が上だと言う事だろう。何の事は無い、ガキ大将が強い奴と腕試しをして自分の方が上だと証明したがっているのに似ている。

問題はエーリッヒが味方で腕試しが出来ないという事だ。せめて部下達に同じくらい出来る人間が居れば良いのだが常に一歩も二歩も譲ってしまうから面白くないのだ。血統書付きの猟犬を集めたが狩りをさせたら近所の野良犬の方が上手かった、と言うのに似ている。野良犬を評価は出来るが納得は出来ない、そんなところだ。

ちなみに高級士官の間ではブラスターのグリップにエイの皮を貼るのが流行っている。エーリッヒの真似なのだがローエングラム公も貼っている。キルヒアイス上級大将に勧められたらしい。エーリッヒを本当に嫌っているのならマネなどしないはずだ。

「真面目な話、公が半信半疑なのも無理は無いと思う。ギュンター、今俺達に見えているのは元帥閣下がキュンメル男爵邸を訪問しようとした事、それに合わせて或る地球教徒がゼッフル粒子の発生装置を購入した事、そしてそれを男爵の主治医が男爵邸に持ち込んだ事、その主治医も地球教徒という事だ……」
俺の言葉にギュンターが頷いた。そして今度はギュンターが言葉を続ける。

「その主治医は去年の十二月にキュンメル男爵の主治医になった。前任者は何者かに呼び出されたところを轢き逃げに遭い死亡、犯人はまだ捕まっていない、呼び出した人間も名乗り出ていない。そして一月前、フェザーンのアドリアン・ルビンスキーが地球教のデグスビイ主教と何日かに亘って密談している……」
ギュンターと視線を交わした。俺が頷くとギュンターも頷く。

「ローエングラム公が死ねば帝国は間違いなく混乱する。暫くは大規模な外征は不可能だろう。帝国と反乱軍の勢力均衡を願うフェザーンとしては願っても無い事だな」
俺が呟くとギュンターが溜息を吐いた。

「そしてローエングラム公が死ねばヴァンフリート条約を反故にするのも難しくない、現在の苦境を脱却できる……。となればエーリッヒを潰すよりもローエングラム公を殺す方が効率が良い。一石二鳥だ……」
今度は俺がギュンターの呟きに溜息を吐いた。

ギュンターが俺を見ている、そして俺もギュンターを見た。彼の顔には懸念と不安、疑義が浮かんでいる。おそらくは俺も同様だろう。
「地球教の後ろにフェザーンか……。細い糸だな、ギュンター」
「ああ、しかし両者が繋がっている可能性は有る。エーリッヒの指摘は無視できない……」

可能性は有る、その通りだ。地球は資源も産業も無い星だ。何らかの形でフェザーンが援助しているのかもしれない。見返りはフェザーンが表立って出来ない事を地球教が裏で行う……。今回のケースがそうだろう、地球教など全く無警戒だった。

「良く気付いたもんだよ、どうなってんだか……」
「同感だ、フェザーンの情報はゴシップ記事が基らしいからな。そこから裏付けを取ったとか……」
男二人、顔を見合わせて溜息を吐いている。

「フェザーンはただの拝金主義者じゃないか……。この事かな、ギュンター」
ギュンターが首を横に振った。まだ判断出来ないか……。
「分からんな、……まだフェザーンと地球教が繋がったという証拠は無いんだ。確実なのは地球教がローエングラム公を暗殺しようとしている、その疑いがある、そういう事だ」
また溜息が出た。フェザーンと地球、一体どういう繋がりなのか、エーリッヒが報せてきた以上何らかの繋がりは有るはずだ……。

「どうも試されているような感じがするな」
「試されている?」
俺の言葉にギュンターが片眉を上げた
「ああ、エーリッヒに試されている。ヒントは与えた、答えに辿り着いてみろ……。そんな感じだ」
俺の言葉にギュンターが苦笑した。

「あいつ、性格が悪いからな、誠実そうに見えて本当は悪いんだ。海賊になってからさらに磨きがかかってる。そう思うだろう、ギュンター」
ギュンターの苦笑が更に大きくなった。
「この世界じゃ性格が悪いのは必須条件だ。俺達がエーリッヒに及ばないのは性格が良いからさ。そう思うしかないな」

「オーベルシュタイン中将もか?」
俺の質問にギュンターは一瞬虚を突かれたような表情をしたが直ぐニヤッと笑みを浮かべた。
「そうなるんだろうな」
二人で顔を見合わせた。どちらかともなく吹き出すと、大きな声で笑いだした。疲れているのだろう、なかなか止まらない。たっぷり二分は笑わせてもらった。


「帝国最強の情報機関か……、あながち否定できんな」
「ギュンター?」
「憲兵隊は軍内部に関心が向きがちだ、国家安全保障庁は立ち上がったばかり、旧社会秩序維持局は国内の不平分子、不満分子に視線が向きがちだった。それに比べればエーリッヒはオーディン、フェザーンに拠点を持ち政、軍、官、そして貴族にも関心を示している。今では反乱軍の情報も奴が一番押さえているだろう」

「将来的にはともかく現状ではエーリッヒの方が上か」
「……そうだな」
頭の痛い話だ。ローエングラム公が怒るのも無理は無い、帝国の情報機関、捜査機関は余りにも脆弱だ。捜査対象が余りにも狭すぎる。オーベルシュタイン中将と話して分かったが、国家安全保障庁も憲兵隊も地球教を捜査対象にしてはいなかった、旧社会秩序維持局もだ……。

「ギュンター、不思議とは思わないか? あいつ何時の間にかキュンメル男爵、地球教を調べている。ローエングラム公にも叱責されたが海賊屋敷の動きを押さえていたのに気付かなかった。気付いていればこっちでも地球教の動きを知る事が出来たと思うんだが……」
ギュンターが俺の言葉に頷いた。

「押さえ切れていなかったか、或いは……」
「或いは?」
「海賊屋敷とは別な組織が動いたか……」
ギュンターがじっと俺を見詰めている。息苦しい程に圧迫感を感じた。

「……つまりエーリッヒの目と耳は海賊屋敷以外にも有る、その組織はまだ俺達の前に姿を現していない。……そういうことか?」
「その可能性があるだろうな。情報は海賊屋敷の人間が持ってきた。しかし彼はエーリッヒの使いだと言った。地球教の動きを探ったのは海賊屋敷ではなくエーリッヒの指令を受けた別組織だったのかもしれない。海賊屋敷は情報をエーリッヒから手渡され俺に渡すようにと言われた……」

ゾクッとした。このオーディンで闇の中で戦っている人間達が居る。本来なら俺達国家安全保障庁こそが闇で戦う組織の筈だ。だがその俺達でさえ知らない奥深い闇がある。地球教、そしてエーリッヒの謎の組織……、彼らはその奥深い闇で蠢いている。地球教は、或いはフェザーンも絡んでいるのかもしれないが、彼らはローエングラム公を暗殺しようとしエーリッヒはそれを防ぐために動いた……。

似ていると思った。エーリッヒに闇の組織が有る様にフェザーンにも闇の組織があるのかもしれない、それが地球教……。だとすれば今回の一件、お互いに闇の組織を動かしての対決になったということだろう。お互いに必死という事だ、俺達の知らないところで互いの存続を賭けて戦っている。そしてエーリッヒが勝利を収めつつある……。

試されている、また思った。エーリッヒは俺達を誘っている、ここまで来い、追い付いて来い、帝国の奥深い闇を覗きに来い、そう誘っている。追い付けるだろうか……、今回の捜査で何かが見えてくるかもしれない。いや見なければならないだろう、国家安全保障庁の長官として……。



帝国暦 489年 6月10日   アムリッツア  ヴィルヘルム・カーン



トントンと親っさんの執務室のドアをノックすると部屋の中から“どうぞ”と声が聞こえた。“失礼します”と声をかけてドアを開け中に入る。親っさんは長期航海の準備をしているところだった。俺を見て微かに笑みを浮かべる。うむ、機嫌は悪くなさそうだ。

「オーディンから引き上げが完了しました。この三日間、それぞれバラバラに輸送船に乗せています。行き先も別ですから国家安全保障庁も憲兵隊も彼らがウチの手のものだとは気付かんでしょう」
「結構」
言葉は短いが声も表情も明るい、満足しているのだろう。

「次に連中をオーディンに送るのは何時頃とお考えで……」
「最低でも一年は先でしょう。それに人も代えてください。今回のメンバーは誰も使わない」
「……」
随分と用心している。一年先、しかも人を代えるか……、一からとなれば効率は悪くなるが……。

俺が沈黙していると親っさんがクスッと笑った。
「爺さんは不満そうだ」
「そうじゃありません、ただ随分と用心していると思いましたんで……。私は半年くらいで人を送ろうかと考えていたんですが……」

今度は首を横に振った、完全に不同意だな。再考の余地が有るなら首を傾げる。
「今回の事件が一段落するのに半年くらいかかると私は見ています」
「そんなにかかりますか」
「ええ、そしてその頃から国家安全保障庁、憲兵隊、そして地球教、フェザーン、皆ウチの組織を探る事に力を入れるはずです。特に今回陰謀を突き止めた組織を」
「なるほど……」

親っさんはこの事件がでかくなると見ている。まあ帝国最大の実力者である金髪を殺そうとしたんだ、でかい事件で有るのは間違いないが、こりゃ他にも何かあるな。考えられる事はフェザーンか……。フェザーンと地球の関係は単純に殺しを請け負った、そんなもんじゃねえと見ているようだ。

「暫くはオーディンの海賊屋敷に監視は付けられませんが……」
「構いません、彼らも自分達とは別の組織が動いたと分かっているはずです。今一番緊張と危機感を持っているのはリスナー達でしょう」
「まあそうですな」
フレーベルの調べた情報は親っさんからリスナーに送られた。リスナー達にとっては驚天動地の出来事だっただろう。

「彼らにはこれから国家安全保障庁、憲兵隊、地球教、フェザーンとの戦いが待っています。気を入れてやって貰わなければ足を掬われる。オーディンで負ける事は取り返しのつかない事態を引き起こしかねない、そうでしょう、ヴィルヘルム・カーン」
「……」

親っさんが笑みを浮かべて俺を見た。相変わらず怖いお人だ、このジジイが気圧されるぜ。リスナー達も肝を冷やしただろう、フェザーンの陰謀を暴いて意気の上がっている所に浮かれるなと一発噛まされたんだからな。しかも口じゃなくて行動で示した……。冗談抜きでへまをやったらブラックホールに叩っ込まれる、そう思ってるにちがいない……。

「フェザーンに行かれるんですか」
「ええ、ルビンスキーに礼をしないと。随分とふざけた真似をしてくれましたからね」
ルビンスキーも馬鹿な野郎だよ。親っさんに喧嘩売るとは、一体何を考えてるんだか……。

「……しかし金髪が許しますかねえ、それを」
「最悪の場合はローエングラム公の顔を立てると言って手を引きますよ」
「なあるほど……」
「最悪の場合ですよ」
親っさんが悪戯っぽく言う。まあそれも良いか、偶には金髪の顔も立ててやらないと……。

トントンとドアを叩く音が聞こえた。親っさんが“どうぞ”と言うとキアが中に入ってきた。
「親っさん、そろそろ時間ですが」
「分かりました、今行きます」
親っさんが手荷物を持って歩き出した。親っさん、キア、そして俺の順で部屋の外に出た。

「それじゃあ、後を頼みます」
「お気を付けて」
「有難う」
親っさんの後姿を見ながら思った。フェザーン、地球、金髪、そして親っさん……、さてどうなるか……、見応えの有る劇が始まるな、この辺境でじっくりと見させてもらうとするか……。


 

 

第二十四話 新たな敵

帝国暦 489年 6月12日   オーディン  ローエングラム元帥府  エルネスト・メックリンガー



各艦隊司令官に会議室に集合せよと命令が下った。司令官達は皆集まったが訝しげな表情をしている。
「メックリンガー提督、何が起きたと思われる」
隣に座っているワーレン提督が小声で問いかけてきた。何処となく声に不安そうな響きが有る。

「多分、地球教の件だろうとは思うが……」
「やはりそう思われるか。地球教の教団支部はかなり激しく抵抗したと聞いているが」
「私もそう聞いている。第一、国家安全保障庁と憲兵が共同で対処しているのだ、尋常な事ではない」
「うむ」
ワーレン提督が重々しく頷いた。

一昨日、国家安全保障庁と憲兵が共同でカッセル街十九番地にある地球教教団支部に踏み込んだ。どうやら地球教はローエングラム公の暗殺を企んだらしい。そのためにキュンメル男爵を巻き込んだとも言われている。おそらくは事実だろう、昨日今日とフロイライン・マリーンドルフの姿は見えない。そしてここ数日、ローエングラム公の機嫌はすこぶる悪い。

支部では戦闘となり、国家安全保障庁、憲兵隊、信者にかなりの犠牲者が出たようだが最終的には国家安全保障庁と憲兵隊が支部の制圧に成功している。地球教の大主教ゴドウィンは逮捕され尋問されたようだ。多分彼から何らかの情報が得られたのだろう。

「地球教がローエングラム公暗殺か、一体何を考えたのか……」
「全くだ、さっぱりわからんな」
地球教が何故ローエングラム公を暗殺しようとするのか、艦隊司令官達も皆首を捻っている。

だが何かが起きているのだろう。国家安全保障庁と憲兵隊が協力しているなど本来有り得ない事だ。国家安全保障庁は成立の過程からして憲兵隊とは不倶戴天の関係に有ると言って良い、それが協力して対処している。単なる暗殺未遂に止まらない国家的重大事件の発生、そう考えられなくもない。

私が気になるのは今回の事件、地球教のオーディン支部の独断なのか、それとも地球からの命令なのかだ。場合によっては地球鎮圧のために軍の派遣も有るだろう。我々がローエングラム公から呼び出されたのはそれではないかと思うのだが……。

会議室にローエングラム公が入って来た。皆が起立して公を迎えた。公の後ろにキルヒアイス上級大将、フェルナー国家安全保障庁長官、オーベルシュタイン憲兵総監が続く。それを見て会議室の空気も緊張したものに変わった。互いに礼を交わし席に着く。公が我々を見回し話し始めた。

「もう知っていると思うが一昨日、私を暗殺しようとする計画が発覚した。実行者はキュンメル男爵だが、彼は使嗾されたにすぎぬ。使嗾したのは地球教徒と分かった」
ローエングラム公が会議室の中を見回す。部屋の中、彼方此方で頷く姿が有った。それを確認してから公が話を続けた。

「国家安全保障庁、憲兵隊が地球教団支部に踏み込み彼らを逮捕した。そして私の暗殺は地球教団本部からの命令である事が分かった」
会議室にざわめきが起きた。どうやら出兵のようだ、誰が地球討伐を命じられるのか……。

「だが取り調べの過程で奇妙な事が判明した。フェルナー、説明せよ」
奇妙な事? ローエングラム公の表情には不愉快そうな表情が有る。どうやら公自身にも判断がつかないという事か。そしてフェルナー国家安全保障庁長官の表情にも戸惑いがあった。一体何が判明したのか……。

「地球教がローエングラム公の暗殺を考えたのはそれにより帝国を混乱させ、反乱軍が回復するまで攻勢をとらせない事を考えたようです」
反乱軍が回復するまで攻勢をとらせない? どういう事だ? 連中は反乱軍の味方なのか? 皆が顔を見合わせている、私と同じ想いなのだろう。

「彼らの目的は帝国と同盟を戦わせ続ける事で疲弊させ共倒れさせる。その後地球が混乱した宇宙を支配するというものです」
皆がまた顔を見合わせている、何を言っているのかよく分からない。地球が宇宙を支配する? 一体何の冗談だ。

「フェルナー長官、それは冗談ではないのだな」
「残念ですが冗談ではありません、ロイエンタール提督。地球教のゴドウィン大主教から得た情報です」
フェルナー長官は至極真面目な表情だ。嘘ではない、だがとても正気の沙汰とは思えない。地球教とは誇大妄想を持つ人間の集まりなのか? 皆どう判断してよいのか分からないのだろう、しきりに顔を見合わせている。笑い出す人間が居ないのが不思議なくらいだ。

「情報そのものよりも情報源の頭の中を確かめた方が良いのではないか、フェルナー長官。連中、とても正気とは思えんが」
首を傾げながらのビッテンフェルトの言葉に彼方此方から同意の言葉が漏れた。私も同感だ、正気か? と言う思いがある。だがフェルナー長官は気にすることなく言葉を続けた。

「もう一つ気になる情報が有ります。フェザーンの真の支配者は地球だそうです。ローエングラム公を暗殺するのは公の後継者にヴァンフリート割譲条約を破棄させフェザーンの立場を強化するという狙いも有ったと言っています」
彼方此方でざわめきが起きた。“馬鹿な”、“何を考えている”そんな声が聞こえる。隣にいるワーレン提督も頻りに首を振っている。

「当初国家安全保障庁は逆だと考えていました。フェザーンが関与しているとすればフェザーンが主で地球教が従、今回の一件は劣勢にあるフェザーンが事態打開のために地球教を利用したのだと。しかしゴドウィン大主教の証言からするとむしろ地球がフェザーンを隠れ蓑にして宇宙の支配を考えていたと言う事になります」

「つまり、地球は宗教とフェザーンの財力で宇宙を征服しようとしている、そういう事か。ボルテック弁務官は何と言っているのかな、確認はしたのだろう?」
私が問いかけるとフェルナー長官は力無く首を横に振った。

「知らないと言っております。ゴドウィン大主教の証言以外にフェザーンがこの件に関与しているという証拠は有りません、今のままでは……」
どう考えれば良いのだろう。正気とは思えない、しかし無視してよいのだろうか? 事実ならとんでもない事だが……。ローエングラム公の表情が渋いのは公自身にも判断がつかない所為だろう。

「元帥閣下、やはりこの一件、黒姫の頭領に確認した方が良いのではないでしょうか?」
躊躇いがちにキルヒアイス上級大将が進言するとローエングラム公の表情がますます渋くなった。はて、この件に黒姫が絡んでいるのか? 皆が顔を見合わせた。その事に気付いたのだろう、キルヒアイス上級大将が我々を見ながら話し始めた。

「今回の一件、キュンメル男爵が暗殺を計画している事、そして地球教が絡んでいる事を知らせてきたのは黒姫の頭領なのです。彼はフェザーンが関与している可能性も指摘していた」
周囲から溜息を吐く音が聞こえた。私も溜息を吐きたい。今回の暗殺事件を未遂に終わらせたのは国家安全保障庁、憲兵隊の働きによるものではなかった。黒姫の目と耳が動いたという事か、道理でローエングラム公の機嫌が悪いわけだ。

「彼は以前フェルナー長官にこう言ったそうです。“フェザーンはただの拝金主義者じゃない。あれは擬態だ”」
キルヒアイス上級大将の言葉が続く、そして会議室に沈黙が落ちた。皆が顔を見合わせている、これで何度目だろう。ややあって途惑いがちにケンプ提督が周囲を見ながら質問を発した。

「つまりフェザーンと地球教は同じ穴のムジナで彼はそれを知っていたと」
キルヒアイス上級大将が首を横に振った、違うのか?
「それだけではないかもしれません。彼はフェザーン、そして地球と戦っていたとは考えられませんか。イゼルローン要塞を落す事で反乱軍勢力地への侵攻を容易にしローエングラム公に宇宙を統一すべきだと進言していた。そしてヴァンフリート割譲条約はフェザーンの力を抑える為に結んだ……」

皆考え込んでいる。なるほど、今回の暗殺未遂事件、その理由を考えると黒姫の存在は大きい。フェザーンと地球教が宇宙の征服で結びついているとすれば黒姫の行動はことごとく彼らの邪魔をしているとしか思えない。偶然なのか、それとも必然なのか、フェザーンを危険視していたことを見れば偶然とは思えない。しかし、そんな事があるのか。己の利益を図りつつ敵に損害を与え続けた……。

「止むを得んな、フェルナー、黒姫に連絡を取れ。我々だけで考えていても埒が明かない」
ローエングラム公が忌々しそうな口調でフェルナー長官に命じた。なるほど、既に彼に確認しようと言う意見は出ていたのだろう。だが公がそれを受け入れなかった。我々から何らかの回答、ヒントが出るのではないかと期待したという事か……。また役立たずと思われたと言う事か、溜息が出そうだ……。

フェルナー長官が機器を操作すると会議室のスクリーンに黒姫が映った、どうやら艦に乗っているらしい。
「やあ、エーリッヒ」
『ああ、アントンか、久しぶりだね。おやおや、皆勢揃いか。元帥閣下、お元気そうで何よりです。久しぶりですね、皆さん』

黒姫がにこやかに声をかけてきた。公の表情が益々渋いものになる。
「卿のおかげで殺されずに済んだ、礼を言う」
『お役に立てた様ですね、御報せした甲斐が有りました。今後もこのような事が有ると思います、お気を付けてください』
「そうしよう」

話が進むにつれ黒姫のにこやかな表情とは対照的にローエングラム公の表情が渋くなる。良くない傾向だと見たのだろう、フェルナー長官が話し始めた。
「エーリッヒ、俺からも礼を言う。卿のおかげでローエングラム公を守る事が出来た」
フェルナー長官の言葉に黒姫が頷いた。

『随分と被害が出たようだ、リスナーから聞いている』
「ああ、予想外の被害だった」
『ウチの人間が忠告したはずだけどな、本気にはしなかったか……』
黒姫の口調がぞんざいになっている。友人として気安いのだろう、或いは呆れているのか……。フェルナー長官の顔が歪んだ、ローエングラム公の顔も歪んでいる。少なくとも二人は呆れられたと受け取っただろう

「そういうわけではないが……、言いわけだな、卿の言う通りだ、何処かで高を括ったと思う」
フェルナー長官が首を振った。苦い口調だ、黒姫からは地球教はかなり危険だと報せが有ったのだろう。軽視したわけではないだろうが結果としてはそうなった。

『これからは気を付ける事だ、あの連中は宇宙征服を企む悪の秘密結社なんだから』
何処か浮かれた様な冗談めいた口調なのは友人を気遣っての事だろう。だがフェルナー長官の表情が益々歪んだ。

「やはり知っていたのか、彼らの陰謀を……」
『……知っていた、いや想定していたと言うべきかな』
周囲から溜息が聞こえた。ローエングラム公も溜息を吐いている。
「どうして教えてくれなかった」
黒姫がほんの少し答えるのを躊躇った。

『……言ったら信じたか?』
「……いや、事が事だ。難しいだろうな……」
『だから言わないんだ。気が狂ったと思われるのがオチだからな。卿らは地球教が危険だという事も軽視した……』

「……俺を試したんだな、ヒントを出して正解に辿り着けるか試した、何処まで自分の言う事を信じるか試した……」
苦い口調だ、お互いに視線を合わせたまま沈黙している。誰も口を開こうとしない、重苦しい沈黙が会議室に落ちた。

黒姫が一つ息を吐いた。
『……そう思いたければ、そう思えば良い。私には止める権利は無い。それで、何の用だ。……恨み言を言うために連絡してきたわけじゃないだろう、アントン・フェルナー国家安全保障庁長官』
何処か投げやりで突き放すように聞こえる口調に皆が顔を見合わせた。多分驚いているのだろう、我々が知っている黒姫とは余りにも違う。明らかに彼はウンザリしているしそれを隠そうともしない。

「済まん、責めているわけじゃないんだ。……ただ、確証が欲しい。ゴドウィン大主教の証言は有る、だが皆それを信用出来ずにいる。卿はどうしてフェザーンの支配者が地球だと思ったんだ」
黒姫が我々を見た、そしてまた一つ息を吐いた。呆れられている、情けなかったがそれ以上に彼が何故地球教とフェザーンの陰謀を察知したのか知りたかった。

『最初に思ったのはフェザーンは交易国家として不自然な点が有ると言う事だ』
「不自然?」
フェルナー長官の言葉に黒姫が頷いた。

『フェザーンは帝国と同盟の中間に有り両者と交易する事で繁栄している。ああ、断っておくが私は彼らを反乱軍などとは呼ばない。彼らは黒姫一家にとっては大事な取引先なんでね」
フェルナー長官がローエングラム公に視線を向けると公は渋々といった表情で頷いた。
「……分かった」

『では続ける、言わばフェザーンの繁栄は帝国と同盟が支えていると言って良い。酷い言い方をすればフェザーンは帝国と同盟から栄養を吸い取って肥え太る寄生虫の様なものだ』
「確かにその通りだが……」
言葉を続けなかったのは黒姫を誹謗する事になりかねないと思ったからだろう。確かに酷い言い方だ。

『当たり前の事だが宿主が死ねば寄生虫も死ぬ。帝国、同盟が崩壊すればフェザーンも没落する。そう考えると現状におけるフェザーンの政策、帝国と同盟の間で戦争を煽るような行為は不自然だと思わないか? 帝国、同盟、そのどちらか一方が崩壊すればフェザーンの繁栄は崩壊するんだ。連中は自ら没落への道を歩んでいる事になる』
「なるほど……」

なるほど、確かにその通りだ。ローエングラム公も皆も頷いている。
『此処までで腑に落ちない点は有るかな? アントンに限らない、疑問点が有ればおっしゃってください』
フェルナー長官が皆を見渡した。誰も発言をしようとしない。それを見て“続けてくれ”と先を促した。

『フェザーンの政策は不自然だ、その事に気付くともう一つの不自然に気付く』
「それは?」
黒姫が微かに笑みを浮かべた。冷笑? 嘲笑だろうか。
『フェザーンはその成立以来、ずっと不自然な政策を採り続けている……。これがもう一つの不自然だ』
彼方此方で唸り声、嘆息が聞こえた。

「しかし現実においてフェザーンは繁栄しているが……」
ローエングラム公が疑問を提示した。反発ではないだろう、真実訝しそうな表情をしている。
『公のおっしゃる通り政策が一貫しフェザーンは繁栄している。現状を見ればフェザーンの行動は正しい様に見える。だから誰も疑問を抱かない。しかし、これはまやかしだ。現実にはフェザーンは極めて危険な状態にある』

皆が黒姫に注目した。危険とは一体何なのか。
『この銀河には最盛期三千億の人間が居た。しかし今では帝国、同盟、フェザーンを合わせても四百億に満たない人間しかいない。大体十分の一になっている。この事が経済活動に及ぼす影響は決定的だ。フェザーンにとって市場が十分の一になった事になる』

彼方此方で呻き声が聞こえた。所々で“十分の一”と言う声も聞こえる。
『しかも長い戦争の所為で男性が圧倒的に少ない。当然だが生まれてくる人間も減少している。戦争をこのまま続ければ成人男性がさらに戦死し人口減少に拍車がかかる。冗談ではなく帝国、同盟の両国は崩壊しかねない』
会議室に沈黙が落ちた。皆顔を強張らせている。そして黒姫だけが淡々として話を続けた。

『フェザーンにとって帝国、同盟は大事な市場だ。その市場がどういう状況にあるか気付かないとは思えない。私が自治領主なら和平、或いは休戦を呼びかける。恒久的な物じゃなくていい、十年で良いんだ、十年戦争が無ければかなり違う。しかし、フェザーンの自治領主は五代に亘って帝国と同盟を噛み合わせる事しか考えていない、何故かな……』
「……」

黒姫が笑みを浮かべている。何処か寒々とした笑みだ。
『自分達の政策が誤っていると気付かない愚か者か、そうでなければ……』
「そうでなければ……」
フェルナー長官の問いかけに黒姫がクスッと笑った。

『政策の決定権を持っていないかだ。彼らはフェザーンの支配者ではなく使用人でしかないのさ。真の支配者にとってはフェザーンの繁栄は必ずしも重視すべきものではない。より重視すべきは帝国、同盟の崩壊、それによる宇宙の混乱、そういう事になる……』
会議室の彼方此方から呻き声が起こった、私も呻いている。そして黒姫が笑い声を上げた……。




 

 

第二十五話 戦火の足音


帝国暦 489年 6月12日   オーディン  ローエングラム元帥府  エルネスト・メックリンガー



皆が呻き声を上げている会議室に黒姫の笑い声が流れた。嘲笑だろうか、おそらくはそうだろう。我々の愚かさへの嘲笑としか思えない。敵の存在すらも分からずにただ戦っていた。武勲を挙げては喜んでいた。黒姫から見れば愚かとしか言いようがないだろうし滑稽にしか見えまい。実際私自身が滑稽で哀れに思っている。

「なるほど、自治領主は傀儡か……。しかし後ろにいるのが地球だと判断した根拠は?」
フェルナー長官の問いかけに黒姫は少し小首を傾げる姿を見せた。
『一つ、フェザーンの創設者のレオポルド・ラープは地球出身だ、おまけに彼の経歴、財産には不明な所がある。その不明な所は地球教が絡んだところだろう』
「……」

『二つ、地球教徒はここ数年著しく増加しているがフェザーンを拠点として行われている地球巡礼がその理由だ。フェザーンは地球教徒を増やす手伝いをしているよ』
確かに気になる部分だがそれだけなのか? 決定的証拠とは言えないと思うが……。所詮は勘か、そうであってくれれば……。

「それだけか、エーリッヒ」
フェルナー長官の問いかけに黒姫が肩を竦める仕草をした。
『いいや、三つ目が有る。昨年の内乱で確信した』
「内乱? 何かあったか?」
訝しそうな声だ、だが私も同じ思いだ。何か有っただろうか? 気付かずに見逃したか?

『帝国じゃない、同盟だ。内乱が起きた時、最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトは間一髪クーデター勢力の手を逃れた。彼を匿ったのが地球教徒だった。余り知られていない事だがね』
会議室がざわめいた、皆表情が強張っている。

『イゼルローン要塞が陥落したためトリューニヒトは政権を投げ出したがそうでなければ今頃は彼の周囲には地球教徒が居ただろう、最も信頼できる味方としてだ。地球教は一国の最高権力者を手中に収めたわけだ。キリスト教によるローマ帝国乗っ取りと同じさ』
「……なんて事だ」
彼方此方でまた呻き声が聞こえた。黒姫がその呻き声を薄い笑みを浮かべながら聞いている。震えが走るほどの恐怖を感じた、彼は私達とは違う何かを見ている……。

『分かっただろう、地球教を甘く見ない事だ。彼らは国を持たない、だが帝国にも同盟にもフェザーンにも地球教徒はいる。そして連中は手段を選ばない、利用できると見れば瀕死の病人でも利用する。家族、婚約者、恋人を持つ人間は要注意だ。弱点だと思われれば容赦なく利用される』
「……グリューネワルト伯爵夫人か」

フェルナー長官の言葉にローエングラム公が愕然とした表情を見せた。“姉上が”と呟く。何か言おうとしたローエングラム公を黒姫の言葉が押し留めた。
『伯爵夫人だけじゃない、ミッターマイヤー、ケンプ、アイゼナッハ、ワーレン提督は家族がいる。そしてシュタインメッツ、ロイエンタール提督は交際している女性が居るはずだ』

「ロイエンタール提督……」
フェルナー長官が呟いた。よくそこまで調べている、そう思うよりもロイエンタール提督も? と思ったのだろう。皆も顔を見合わせ、そしてロイエンタール提督を見ている。ロイエンタール提督は迷惑そうな表情をしていたが黒姫は気にする事も無く言葉を続けた。

『ロイエンタール提督が季節ごとに女を替えている事は私も知っている、地球教も知っているだろう。だがそんな事はどうでもいいんだ。連中にとっては利用できる女が居るか居ないか、ロイエンタール提督にダメージを与えられる女が居るか居ないか、それが大事なんだ』
「……」

フェルナー長官が必ずしも納得していないと見たのだろう、黒姫が表情を厳しくした。
『また同じミスを犯す気か! 連中を甘く見るなと言ったはずだぞ、アントン・フェルナー!』
「いや、そう言うつもりじゃ……」
抗弁しようとしたフェルナー長官を黒姫が首を振って遮った。

『連中には軍事力が無い、彼らの武器は謀略とテロだ。甘く見ていると大勢の人間がテロで死ぬことになるんだ。その程度の事も分からないのか! 私をこれ以上失望させないで欲しいな!』
「分かった、直ぐ周囲を警戒させる」
慌てたようにフェルナー長官が答えた。烈しい口調だった、黒姫は苛立っている。我々の認識が甘いと見ているのだろう。

黒姫が眼を閉じ一つ息を吐いた。自分を落ち着かせようとしたのかもしれない。そんな黒姫を宥めるかのようにフェルナー長官が話題を変えた。
「教えてくれ、卿は何時フェザーンがおかしいと気付いた?」
黒姫がじっとフェルナー長官を見た、そして微かに口元に笑みを浮かべた。嘲笑……。

『生まれたときからだ、そう答えたら信じるか?』
「エーリッヒ……」
黒姫が声を上げて笑い出した。
『冗談だよ、アントン。気付いたのは士官候補生の時だ』
会議室にまた溜息が洩れた、これで何度目か……。ローエングラム公でさえ溜息を吐いている。我々とは余りにも違いすぎる……。

「卿にとっては俺など共に語るに足りぬ存在だろうな。手を組みたいと言っても断られるのは当然か……」
会議室にフェルナー長官の自嘲が響いた。彼だけの思いでは有るまい、この部屋に居る人間は多かれ少なかれ同じような思いを抱いているはずだ。まるで神と技を競うかのような感じがする、どれほど上手くやっても相手は常に軽々とそれを超えて行く……。残るのはまた及ばなかった、所詮は敵わないという徒労感と疲労感だけ……。

『……私と卿では望むものが違った。卿は軍人として出世する事を望んだだろう、だが私はそんな事は考えなかった。この帝国を変えたいと思った。願う物が違えば見る物、見える物、考える事は違ってくる。それだけの事だ、気に病む事は無い』
「……」
淡々とした口調だったがフェルナー長官が苦笑を浮かべた。同情されたと思ったのかもしれない。私自身、苦笑を浮かべざるを得ない。

『だがこれからは別だ。アントン・フェルナー、卿は帝国軍の中枢に居る。もう出世だけを考えれば良い気楽な立場ではいられなくなった。帝国、同盟、フェザーン、地球……、それぞれがどう動くのか、そして宇宙はどう変わるのかを卿は考えなければならない。その中でこれまでは見えなかった物が見えてくる事も有るだろう……』
「そうかな……、そうだといいんだが……」

『自信が無いなら辞めれば良い、私は止めるつもりは無い。これは卿自身の問題だ、私がどうにか出来る問題じゃない』
「そうだな……」
黒姫が大きく息を吐いた、世話が焼ける奴、そう思ったのかもしれない。そしてローエングラム公に視線を向けた。

『元帥閣下』
「何か」
『これを機にフェザーンの自治権を取り上げ帝国の直轄領にするべきかと思います』
会議室に緊張が走った。ローエングラム公が眉を寄せた。そしてフェルナー長官を始め皆が顔を見合わせている。

「なるほど、フェザーンを征服せよ、卿はそう言うのだな」
『はい、二個艦隊も送れば十分に可能でしょう』
「ふむ、キルヒアイス、どう思う」
ローエングラム公がキルヒアイス提督に声をかけた。

「フェザーンを手に入れる事が出来れば反乱軍との戦争で圧倒的な優位に立てます」
「そうだな」
ローエングラム公が今度は我々に視線を向けてきた。どう思うか、意見を述べろ、そういう事だろう。

皆が顔を見合わせた。嫌悪感、侮蔑感を出している人間は居ない。フェザーン征服に反対を表している人間は居ないということだ。ロイエンタール提督が口を開いた。
「異存は有りません、問題は反乱軍がそれを認めるかどうかです……」
「ヤン・ウェンリーが出て来るでしょう」

ロイエンタール提督の言葉にミッターマイヤー提督が続いた。確かに反乱軍にとっては受け入れがたい事態だろう、となればヤン・ウェンリーが出てくる可能性は高い。反乱軍の艦隊戦力は最大二個艦隊、全てを出してくるとは思えんが……。
「兵力が少ないのではないかな、反乱軍を圧倒するのであれば二個艦隊と言わず五個艦隊も動かした方が良い様な気がするが……」
私の意見に何人かが頷いた。皆がヤン・ウェンリーの手強さを理解している。

『その必要は無いでしょう、二個艦隊で十分だと思います』
「過小評価だ、高を括るのは危険だ」
黒姫は笑みを浮かべている。ヤン・ウェンリーを甘く見ているとしか思えない。イゼルローン要塞攻略ではあの男の隙を突いた形になった。しかし今度はそうはいかない。

『こちらの目的はフェザーンを占領する事です。ヤン・ウェンリーに戦術レベルで勝つ必要は有りません。相手が手強ければ動けなくすれば良い。先ず同盟軍に対して今回の一件を通知します、そしてフェザーンの自治権剥奪は帝国内の内政問題である事を強調する』
「意味が有るのか、そんな事が」

反乱軍にとってもフェザーンを取られるのは死活問題のはずだ。そんな事で引き下がるとは思えない。皆も頷いている。
『少なくともレベロ議長にとっては同盟市民に兵を出さない理由として説明しやすいでしょう』
「しかし……」
反論しようとする私を黒姫が手を上げて押し留めた。

『帝国は同盟に対して地球教の禁教を依頼します、その時昨年の内乱で地球教徒がトリューニヒト前議長を匿った事を指摘すればレベロ議長は震えあがるでしょう。自分の足元に恐ろしい陰謀家達が居る、とね。その状態で艦隊を全てフェザーンに振り向けられると思いますか?』
彼方此方から唸り声が聞こえた。確かに兵を出すのは難しいかもしれない。

『無理ですよ、とてもでは有りませんが兵など出せない。昨年の内乱を嫌でも思い起こさずにはいられないでしょうね』
「……ヤン・ウェンリーだけでも出てくれば厄介な事になるが」
敢えて疑問を提示してみた。黒姫は何処まで考えているのか、それが知りたい……。

『同盟にはイゼルローン要塞もアルテミスの首飾りも有りません。彼らの首都星ハイネセンは丸裸なんです。フェザーンに艦隊を向ければイゼルローン方面から艦隊が押し寄せた時防ぎ切れない。今の同盟に侵攻作戦など無理です、彼らには敵を引き摺り込んでの防衛戦しか手は有りません。フェザーン出兵などやるだけ無駄です』
「……」

『それでも兵を出すと言うのなら帝国の内政問題に介入しようとしていると非難して全面戦争に踏み切ると脅せばよいのです。同盟政府は兵力不足、帝国の内政問題、地球教対策を優先すると同盟市民に説明して帝国との全面戦争を避けるしかない』
皆無言だ、黒姫の頭の中では既にフェザーン征服戦は終わっている……。

「……ここからは競争か」
ローエングラム公が呟いた。競争?
『そうです、帝国がどれだけ早くフェザーンを掌握し同盟領侵攻時の後方基地に出来るか、同盟がどれだけの戦力を整えられるか、それによって同盟の抵抗がどの程度の物になるかが決まります』

なるほど、その競争か。宇宙統一が間近に迫っているというわけだ。皆が顔を見合わせた、静かに興奮を見せている。
「ロイエンタール、ミッターマイヤー、直ちに艦隊を整えフェザーンに向かえ!」
「はっ」
「ワーレン、卿に地球討伐を命じる。地球教徒の巣を叩き潰せ!」
「はっ」
「フェルナー、ボルテックを逮捕しろ!」
「承知しました」
ローエングラム公の声が会議室に響いた……。



帝国暦 489年 6月12日   巡航艦バッカニーア  ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ



ローエングラム公との通信が終わったが巡航艦バッカニーアの艦橋は皆沈黙している。まあ無理もないだろう、話の大きさもさることながら黒姫の頭領の凄みをこれでもかと言うほど見せつけられたのだ。私自身、恐ろしさを感じざるを得ない。ただの海賊だとは思っていなかったがここまでとは思わなかった。いやむしろこれ程の人物が何故海賊なのかという思いがある。

「……親っさん、 金髪の奴、面白くなさそうでしたね。親っさんが自由裁量権をくれって言ったら露骨に胡散臭そうな顔をしてましたけど」
そう、確かに面白くなさそうだった。言われた内容の事もあるが、先を越されたという事、千隻の艦艇を動かしたという事も気に入らないらしい。もっと端的に言えば全てが面白くなさそうだった。胡散臭そうな目で見られていたが……。

「キア、ローエングラム公が面白くなさそうなのはいつもの事です。あまり気にする事は有りません」
平然としたものだ。シュナイダーと顔を見合わせ苦笑した。我々だけではない、他にも多くの人間が苦笑している。

「そりゃ、まあ、そうですけど……。親っさん、ルビンスキーの奴を捕まえられますかね?」
黒姫の頭領がチラっとキアを見た。微かに表情に笑みが有る。
「どうでしょう、私達が会いに行くのを待っているほど気の良い人間とは思えませんが……」
また、皆が苦笑した。

「黒姫の頭領、では何故フェザーンに行くのですかな? ローエングラム公はそのために頭領に自由裁量権を与えたと思うのですが」
私が問いかけると黒姫の頭領は微かに小首を傾げた。
「今回フェザーンに行くのはルビンスキーを捕えるのが主目的ではないんです。捕えられれば儲けもの、そんなところですね。他に色々とやらなければならない事があります、間に合えばいいんですが……」

間に合えば? 皆が不思議そうに黒姫の頭領を見ている。
「半月程遅かった……、でも半月前だと暗殺計画の確証が無かった……。あとは地球教とルビンスキーの関係がそれほど親密でないことに期待するしかありません。なかなか上手く行かない……」
黒姫の頭領が溜息を吐くと皆が不安そうな表情を見せた。はて、一体何が間に合わないと言うのだろう……。



 

 

第二十六話 嵐近付く




帝国暦 489年 6月12日   オーディン  ゼーアドラー(海鷲)  アウグスト・ザムエル・ワーレン



「ワーレン提督は何時出立するのだ」
「明後日の早朝だ。そちらはどうなのだ、ロイエンタール提督。もう少しかかるのだろう」
俺の問いかけにロイエンタールはミッターマイヤーと視線を交わした後“卿の出立の翌々日だ”と答えた。まあ俺は半個艦隊だがこの二人は一個艦隊を率いる、その程度の準備は要るだろう。

席にはロイエンタール、ミッターマイヤーの他にメックリンガー、アイゼナッハ、ルッツ、ファーレンハイト、ビッテンフェルト、ミュラーが居る。出撃前ともなれば場が華やぐものだがどうにも気勢が上がらない。皆、何処となく沈みがちな表情でグラスを口に運んでいる。

ミュラーが溜息を吐いている、これで三回目だ。原因は想像が付くが見兼ねて声をかけた、俺も結構人が好い……。
「どうかしたのか、ミュラー提督」
「いえ、……」
浮かない表情でまた溜息を吐く。
「遠慮はいらん、黒姫の頭領の事だろう。言ってしまえよ」
皆を見た、特に反対する人間はいない。何処かでガス抜きではないが話をした方が良いだろう。

「何と言うか、エーリッヒが士官学校であんな事を考えていたのかと思うと……」
ミュラーの答えに幾つかの溜息が聞こえた。俺達とは何処か違う、皆そう思っているのだろう。敗北感というより畏怖を感じざるを得ない。我々とは違う、何か別な存在……。

「戦争も出来れば諜報も出来る、そのどちらも俺達より上だ。なんとも情けない話だ……」
「内政でも活躍してるさ。共に語るに足らずか……。フェルナー長官の言う通りだ、言い得て妙だな……」
ルッツ、ファーレンハイトの言葉に皆がまた溜息を吐く。苦い現実だ、だが嫌でも受け入れざるを得ないだろう……。

「アントンによると情報量からして相手にならないそうです」
「情報量?」
メックリンガー提督がミュラーを見ながら不思議そうな表情で呟いた。
「ええ、エーリッヒは士官候補生時代から色々と調べていました。十年前から知識、情報を蓄積している。それに比べて旧治安維持局は反政府分子の摘発が主体でフェザーンや地球教の事など殆ど何の資料も無いそうです。内乱終結によって政治犯も釈放されましたし今では治安維持局時代の資料など何の価値も無いと言っても良い物だとか」

また彼方此方で溜息が聞こえる。俺自身溜息を吐きたい気分だ。帝国は一体どうなっているのだ?
「エーリッヒに警告を受けて二ヵ月程前から調査チームを作ってフェザーンを調べ始めたそうですが……、時間が足らないと言ってました。地球教との繋がりはもちろんですが、フェザーンが帝国と反乱軍を共倒れさせようとしている事も調査チームは分からなかったそうです。情報を蓄積し様々な角度から分析しなければ考察できない。十年遅れている、そう言って嘆いてましたよ……」
ミュラーが溜息交じりに言葉を吐く。

「黒姫は十年間、それをやってきたという事か……、士官候補生と言えば奴はまだ十代の前半だろう」
「十年やってもそこに辿り着くかな、フェザーンと地球教が繋がっていると……。化け物だな」
ロイエンタール、ミッターマイヤーが信じられないと言うように首を振っている。

「嘆きたいのはこちらも同じだ。今日は用兵家としても向こうの方が上だと思い知らされたよ。政戦両略で優位に立ち反乱軍を動けなくする事でヤン・ウェンリーを無害化するか……。戦わずして勝つ、最上の勝ち方だな、見事なものだ。彼の頭の中では宇宙はもう統一されているのだろう……」
メックリンガー提督がグラスを一口呷った。苦そうな表情をしている。

「黒姫は一体フェザーンに何をしに行ったと思う? 自由裁量権を得て何をするつもりかな」
ビッテンフェルトの言葉に皆が視線を交わした。
「考えられる事はルビンスキーの身柄の確保だな……」
「それと航路情報か……」

ロイエンタール、ミッターマイヤーの言葉に皆が頷いている。唯一人ビッテンフェルトだけが首を傾げた。
「上手く行くと思うか?」
「……」
「それにそれだけかな?」
「……」
皆、顔を見合わせたが誰も口を開かなかった……。



帝国暦 489年 6月26日   オーディン  国家安全保障庁  ギュンター・キスリング



ローエングラム元帥府から戻ってきたアントンは疲れた精彩の無い表情をしていた。
「どうだった、ローエングラム公は」
「当然だが激怒していたさ。エーリッヒの警告を無駄にしたんだからな。面目丸つぶれ、そんなところだ」
「そうか」
思わず溜息が出た。アントンも釣られたように溜息を吐いている。国家安全保障庁のトップ二人が溜息を吐いているのだ、状況は良くない。

「唯一の救いは怒られたのが俺だけじゃないって事だな」
「オーベルシュタイン中将か」
「ああ、最近では妙に中将に親近感が湧くよ。出来の悪い生徒ってのは先生に一緒に怒られて仲が良くなるらしい」
今度は自嘲が入っている。もっともここ半月、我々にとって良いニュースなど一件も無かった、憲兵隊にもだ。アントンの気持ちが分からないでもない。

地球討伐に向かったワーレン提督が旗艦サラマンドルで暴漢に襲われた。どうやら相手は兵士に化けた地球教徒だったらしい。ワーレン提督は左腕をナイフで刺されたがナイフからは毒が検出されたため止むを得ず左腕を切断、今現在ワーレン提督は昏睡状態にあると艦隊からローエングラム公に報告が有った。それを受けてローエングラム公は配下の艦隊全てに警告を出している。フェザーン侵攻中のロイエンタール、ミッターマイヤー艦隊、イゼルローン要塞のケスラー提督にも警告は出された……。

「エーリッヒの言う通りになったな、アントン」
「まさかワーレン提督が襲われるとは……」
アントンが顔を歪めている。テロが有るとは想定していただろうがワーレン提督を直接狙ってくるとは思わなかったのだろう。だが考えてみれば討伐艦隊の頂点を狙う、これほど効果的なことは無い。ローエングラム公でさえ標的にしたのだ。

「命に別条が無い事が救いだ……」
「ああ、そうだな」
ローエングラム公も引き返せ、代わりの艦隊を送る、或いは指揮官を送るとは言わなかった。ここでそんな事をしたらテロが有効であることを証明してしまう。ワーレン艦隊の司令部にとっては些か厳しいかもしれんがここは踏ん張ってもらうしかない。

「アントン、一般人がワーレン艦隊の旗艦に乗っている、本来有り得ない事だ。誰かが手引きした、或いは便宜を図ったのは間違いない」
俺の言葉にアントンがまた顔を歪めた、しかし続けなければならない。
「しかもワーレン提督は地球討伐の命を受けて翌々日にはオーディンを発っている。それほど時間が有ったわけじゃない。連中、軍にもかなり浸透している可能性が有る……」
益々表情が歪む。

「そうだな、ギュンター。卿の言う通りだ、ローエングラム公もそれを心配していた」
「そうか」
「その件については憲兵隊が担当する事になった。俺達は要人の家族の警護、それと地下に潜ったであろう地球教徒の焙り出しだ」
アントンが溜息交じりに言った。なるほど、楽な仕事じゃない。
「先ずはボルテックを絞り上げるか……」
「そうしよう……」
また溜息が出た……。


帝国暦 489年 7月 4日   フェザーン    ルドルフ・イェーリング



『我々の動きは気付かれていますか?』
「いえ、まだ気付かれていません。フェザーン人は皆、帝国軍の動きに気を取られているようです」
『なるほど、それはそれは……。それでフェザーンの状況は?』

「多少混乱しています。自治領主府はフェザーンと地球教は何の関係もない、今回の一件はフェザーンを不当に陥れようとする帝国の言いがかりだと主張しています」
『……』
スクリーンに映る親っさんは微かに笑みを浮かべている、スウィトナー所長もだ。二人とも機嫌は良さそうだけど、傍で聞いている俺の方は緊張しっぱなしだ。

「多くの住民がそれを信じている、或いは信じたがっていますがその一方で帝国軍が現実にこちらに侵攻してきています。順当に行けば今月末にはフェザーンに到着する、それに同盟がこの件に関与しないと発表しましたので本当に大丈夫なのかと怯えている人間も居ます。まあ最終的には金でかたが付くのではないか、皆そう思っているようですが」
スウィトナー所長の答えに親っさんが微かに頷いた。

『フェザーン人の悪い癖です。何でも金でかたが付くと思っている、或いは付けようとする』
「そうですな」
確かにそうなんだな、フェザーン人ってのは商人のせいかもしれないが金の力を信じすぎだよ。ローエングラム公暗殺未遂事件だぜ、帝国は二個艦隊動かすんだ、フェザーンもそれなりの覚悟が要ると思うんだがな。

「現時点でフェザーンからは輸送船、交易船の出向を控えています。拿捕、撃沈されては敵わないという事でしょうが、自分達が船を出さなければ帝国に大きな打撃を与える事が出来る。そういう思いも有るようです」
『なるほど……』
「こちらの動きに気付いていないのはそれも有ると思います」
なんというか、全部フェザーンにとっては裏目に出てるんだな。危険だけど船を出した方が情勢が探れるんだ。それをしないばかりに親っさんの動きさえ掴めていない。

『ところでルビンスキー自治領主、ケッセルリンク補佐官の動きはどうです?』
「今のところは特に目立ったものは有りません。周囲を落ち着かせようとしています」
『逃亡は未だしませんか……』
「はい」
親っさんがまた頷いた。

『長老委員会の動きは』
「特に何もありません。落ち着いています」
『ルビンスキー解任の動きは無い?』
「当初はそういう動きが僅かですが有ったようです。しかし今は……」
スウィトナー所長が首を横に振ると親っさんが“有りませんか”と後を続けた。

『自由惑星同盟の弁務官事務所は如何です』
スウィトナー所長が苦笑を浮かべた。
「一番落ち着いていると言って良いでしょう。ヘンスロー弁務官は相変わらず女の所に入り浸りですし他の人間も余り気にする事も無く通常業務に励んでいます。どうやら大したことにはならない、そう見ているようです。或いは諦めているのか……」

『ルビンスキーに丸め込まれたのかもしれませんね、大したことにはならないと……。全く何を考えているのか、同盟はどうにもならない……』
親っさんが溜息を吐いている。まあ、その通りだな。所長が苦笑するのも分かるし、親っさんが溜息を吐くのも分かる。確かに何を考えているのか俺にもさっぱり分からない。

『我々がそちらに到着すれば大騒ぎになるでしょう。その時は安全は保障する、帝国軍が来る前に同盟に帰還させると言って彼らの保護を申し出てください。下手に混乱させるととんでもない事をしかねませんから』
「了解しました」
『その後は』
「分かっています」

親っさんとスウィトナー所長が頷き合っている。五十歳を超えた虎髭の所長と二十代前半の親っさん、どう見ても不釣合いだけどその二人が謎めいた会話をして頷き合っている。うん、何か危険な香りがするな。大物悪党同士の秘めた会話、そんな感じだ。

『“テオドラ”は如何しています』
「特に動きは有りません、……こちらから接触しますか?」
所長の問いかけに親っさんが笑みを浮かべて首を横に振った。
『その必要は有りません。時が至れば向こうから接触してくるでしょう、それまで待ちます』
「承知しました」
また二人が頷き合っている、怖いわ、ホント怖いぜ。

『何か懸念事項が有りますか?』
「今のところは……」
『そうですか、ではこれからも抜かりなくお願いします』
「はっ」
通信が切れスクリーンが暗くなった。それと同時にスウィトナー所長がフーッと息を吐いた。

「いやあ、緊張するわ」
そう言うと所長は大きな声で笑い声を上げた。
「そんな風には見えませんけど」
嘘じゃない、髭面で大男のスウィトナー所長が笑うと豪快な感じがする。何処かワーグナーの頭領に似てるよな。昔は船団長もやったって聞いてるけど確かに艦橋で仁王立ちしたら似合いそうなオッサンだ。親っさんとの会話でも緊張してるなんて欠片も感じさせなかった。

「おいおい、相手は親っさんだぞ、緊張しねえ訳がねえだろう。へまをするんじゃねえって釘も刺されてるんだぜ? お前だってカチカチじゃねえか」
「そりゃあ、まあ、俺はそうですけど」
スウィトナー所長がまた大声で笑った。

「それにな、イェーリング。後十日もすれば親っさんが来る。フェザーンの、宇宙の歴史が変わる、いや、俺達が変えるんだ。嫌でも緊張するだろうが」
そう言うとスウィトナー所長はバシバシ俺の肩を叩いた。気持ちは分かるけど痛い……。

「相変わらず親っさんは考える事がでかいぜ、胸がわくわくする」
所長が身体をブルッと震わせた、武者震いって奴かな。
「上手く行くでしょうか?」
「さあ、どうかな。後十日、どう動くかで全てが決まる。なんとか上手く行って欲しいもんだぜ。イゼルローン要塞に続いて今度はこのフェザーンを黒姫一家が乗っ取るんだからな」
そう言うとスウィトナー所長は大声で笑いながらバシバシ俺の肩を叩いた。だから、痛いんですけど……。






 

 

第二十七話 フェザーン制圧

帝国暦 489年 7月14日   フェザーン    ルドルフ・イェーリング



フェザーン中央宇宙港ビル内に親っさんは仮の本拠を構えていた。ここなら万が一の場合、すぐに巡航艦バッカニーアに戻ることが出来る。ビルの中は大勢の人間で溢れていたがその殆どが黒姫一家の人間だ。スウィトナー所長の顔を見ると皆が挨拶してくる。所長と俺はその挨拶に応えながら親っさんの元へ急いだ。

親っさん達がフェザーンを強襲したのは四時間前だ。不意を突かれたフェザーンはとんでもない混乱状態になったが俺達の事務所もその混乱に巻き込まれかけた。暴徒化したフェザーン市民が事務所に押し掛けてきたんだ。いやあ、焦った、親っさんが俺達の事を案じて警護部隊を回してくれたから良かったがそうでなければどうなっていたか……、寒気がする。

襲われたのはウチだけじゃない、帝国の弁務官府、同盟の弁務官府も暴徒に囲まれたらしい。帝国はフェザーンを併合しようとしたため、同盟はフェザーンを見捨てたため、という事の様だ。まあ一般市民にとっては地球教とか宇宙の統一とか言ったってピンとはこない話だ。巻き込まれたって不満が有るのだろう。

フェザーン中央宇宙港ビル内の一室に親っさんはアンシュッツ副頭領、メルカッツ提督、キア、ウルマンと一緒に居た。もう一人軍人が居るな、確かシュトライト少佐だったか……、いや違うシュナイダー少佐だ。ルーデル、ヴァイトリング、ヴェーネルトの姿は見えない、おそらく何処かの制圧に向かっているのだろう。部屋はひっきりなしにかかってくる外からの連絡とそれに対応する声で満ちている。そして入ってくる人間と出て行く人間、まるで祭りでも行っているかのような熱気と喧騒だ。

「親っさん、遅くなりました。色々と御手配頂きまして有難うございます、助かりました」 
スウィトナー所長の挨拶に親っさんが軽く頷いた。
「いえ、そちらの状況は分かっています。気にする事は有りません。それより自由惑星同盟の弁務官事務所ですが上手く対応してくれたようですね、ご苦労様でした」
親っさんの言葉に所長がちょっと身を屈めるような姿勢を見せた。

「恐れ入ります。ヘンスロー弁務官達にはウチの事務所の方に移ってもらいました。事務所の周囲には警護部隊が居ますので安心ですからね。彼らに移ってもらった後、コンピュータの情報は密かにバックアップを取りました。同盟の人間は気付いていません」

親っさんとアンシュッツ副頭領が顔を見合わせた。二人とも笑みが有る、悪い事をしたとは思っていないんだろうな、まあ俺も思っていないけど……。それにしても情報が取れて良かった。警護部隊を派遣してもらったのに情報が取れなかったなんてなっていたら立場が無いわ……。

今頃ヘンスローの阿呆は如何しているか……。親っさん達がフェザーンに来た今日もルビンスキーの用意した女の所に居たんだからな、処置無しだ。危険になるとオドオドする癖にちょっと安全になると直ぐに威張り散らす、弁務官事務所の連中もウンザリしていた。コンピュータのデータを取るためにウチの事務所に引っ張り込んだが所長も直ぐに後悔した。ここに来るために事務所を出た時にはホッとしてたな、お互い顔を見合わせて肩を竦めたっけ。

「奇襲は上手く行ったようですね、副頭領」
俺の問いかけに副頭領はちょっと憂鬱そうな表情を見せた。
「幸い、フェザーンから船が出ていなかったので助かった。だがフェザーンへ戻る交易船、十隻とぶつかってな……」
副頭領が顔を顰めた。やばいな、拙い話題に振っちまったか……。
「……」

「七隻は大人しく拿捕されてくれたが、後の三隻は逃げたんで撃沈するしかなかった。後味が悪いぜ……」
皆が黙り込んだ。商船には武装なんて無い、ただ逃げ回るだけの無抵抗の船を撃沈したんだ、後味が悪いのも無理は無い。あーあ、バツが悪いわ……。

「撃沈を命じたのは私です、皆は私の命に従っただけの事、気にする事は有りません」
「……」
「撃沈数が三隻で済んだのは幸いでした。もっと撃沈数は多くなると思っていましたからね」

平然とした口調だ。親っさんの言葉に皆が視線を交わした。分かっている、親っさんの本心じゃない。俺達周囲の心を軽くしようとして敢えて何も感じていないように言ったのだろう、済みません、親っさん、俺が馬鹿な話題を振ったばっかりに……。皆も分かったのだろう、スウィトナー所長が“副頭領”とアンシュッツ副頭領に声をかけた。話題を変えるんだろうな。

「それで、施設の制圧の状況は如何です?」
「順調と言って良いだろうな。自治領主府、航路局、公共放送センター、中央通信局、宇宙港を六ヶ所、軌道エレベータ、物資流通センター、治安警察本部、 地上交通制御センター、水素動力センター、エネルギー公団を押さえた、それとそっちが同盟の弁務官府を押さえてくれたからな、問題は無い」

「治安警察も押さえたんですか」
俺が問いかけるとアンシュッツ副頭領がニヤッと笑った。この人、笑うと悪人顔だよな。
「いずれ帝国軍二個艦隊がやってくる、今の内に大人しくこっちに協力しろと説得したんだ。連中、大人しく従ってくれたよ。その方が将来的には影響力を残せるからな」
「なるほど」

皆強かだよな、俺が頷いているとスウィトナー所長が親っさんに話しかけた。
「親っさん、ルビンスキーですが……」
「逃げましたね、自治領主府にも彼の私邸にもいませんでした。妙なもので私邸にはケッセルリンク補佐官の死体が有ったそうです。一体、何が有ったのやら……」

裏切りかもしれない、ケッセルリンクはルビンスキーを捕えて降伏しようとした。ルビンスキーを土産に自分の立場の強化を図ったか……。だがそれを嫌ったルビンスキーに逆に殺された……。物騒な話だ、思わずスウィトナー所長と顔を見合わせたけど所長も顔を強張らせている。そんな俺達を見て親っさんがクスッと笑った。怖いよ、キアもウルマンも顔を強張らせている。

若い組員が遠慮気味に声をかけてきた。
「スウィトナー所長、通信が入っています。自由惑星同盟のヘンスロー弁務官と名乗っていますが……」
ゲッ、あの馬鹿ここまで追っかけてきやがった。所長も顔を顰めている。
「私が出ましょう、こちらのスクリーンに映してください」
「お、親っさん」
「大丈夫ですよ、イェーリング」

大丈夫って、全然大丈夫じゃないですよ。スウィトナー所長だって引き攣ってます。
『君じゃない! スウィトナー所長は何処だ!』
親っさんの前のスクリーンにヘンスローが出やがった……。太く短い眉が吊り上っている。興奮するなよ、ブルドックみたいに頬がブルブルしてるぞ。それにしてもこいつ、おやっさんの顔も知らねえのかよ。……ホント、同盟ってどうなってるんだ?

「ヘンスロー弁務官、私はエーリッヒ・ヴァレンシュタインです」
『エーリッヒ・ヴァレンシュタイン? ……く、黒姫か……』
おいおい、目ん玉飛び出そうになってるぞ。顔が引き攣ってる、いや、引き攣ってるのは頬かな?

「そう呼ばれていますね。安心してください、貴方達の安全は保障しますよ。帝国軍が来る前に自由惑星同盟に無事に御帰しします」
親っさんがニコニコしながら答えるとヘンスローの馬鹿は扱いやすいと見たのか不機嫌そうな態度になった。
『一体何時だね、それは?』
「予定では四十四時間後には民間船の出航を許可するつもりです」
『四十四時間……、二日もかかるのか』
イライラするなよ、ブルドック。

「もっとかかりますよ、一般民間人を優先しますからね、政府関係者は最後です。まさか彼らを後回しにして先に帰るとは言わないですよね? 後々問題になりますよ、政府の責任問題にもなりかねない」
親っさんが心配そうに言うとブルドックは露骨に顔を顰めた。
『……そんな事は君に言われなくても分かっている』
信憑性はゼロだな。

「私はこれからレベロ議長と連絡を取ります、心配しているでしょうからね。今の事も議長に報告しておきますよ、ヘンスロー弁務官が民間人の安全と出立が確認できるまではフェザーンに残ると言った事を」
『な、なにを』
おいおい、目を白黒させてどうすんだよ、自分だって分かっているって言ったじゃないか。

「レベロ議長もとても喜ぶと思いますよ、公の立場にある人間としては当然そうであるべきだと言って」
『……と、当然だ』
「意見が一致したようですね。同盟への帰還はもう少しお待ちください。では、これで」
親っさんがにっこり笑うと通信を切る様に指示した。親っさん、相変わらず手厳しいよな。これで少しは大人しくなるかな? 無理だろうな、事務所の連中、苦労するぜ……。

溜息を吐いていると親っさんがレベロ議長に連絡を取る様に指示を出した。あれ? 本当に取るの? ブルドックを大人しくさせるためじゃないんだ。今度はスクリーンにレベロ議長の顔が映った。表情が険しい、親っさんを見ると早速噛み付いて来た。

『君か、黒姫。一体どうなっている、フェザーンに攻め込んだと言うのは本当か!』
「攻め込んでなどいません。フェザーンは帝国領で私はローエングラム公からフェザーンでの自由裁量権を得ています」
親っさんの言葉にレべロ議長が苛立たしげに首を振った。

『建前はどうでもいい』
「良くは有りません、こちらの立場を説明しておかないと我々はただの悪人になってしまいます」
『自分が善人だとでも言うつもりかね?』
皮肉一杯な口調だったが親っさんは気にしたそぶりを欠片も見せなかった。ホント、親っさんって性格が良いよな。

「まさか、そんな事は言いません。善人ではありませんが我々の行為には法的な根拠が有ると言っているのです」
『……それで、君から連絡してきた理由は?』
レベロ議長、忌々しそうだな。でもここは親っさんの話を聞くべきだと考えたようだ、正しい判断だよ。聞かない方が良くない事が起きるって。

「現在宇宙港の閉鎖、船の出航の禁止を一時的に行っています。再開には二日ほどかかるでしょう。その後は順次同盟に向けて船を送り出すつもりです。同盟市民にはそれで帰還してもらおうと考えています。叛徒として拘束するつもりは有りません」
『なるほど、……市民の安全は保障してくれるのだろうね』
少し心配そうだな、うん、ヘンスローよりは好感が持てる。

「我々は危害を加えるつもりは有りません。問題はフェザーン人です、一部の人間が暴徒化しています。帝国人、同盟市民、関係無く襲っているようですね。現時点ではフェザーンの治安警察に沈静化を頼んでいます」
『フェザーンの治安警察は信用できるのかね』
不信感丸出し、フェザーン人って嫌われてるよな。

「ここで点数を稼いでおけば帝国軍本隊が来ても影響力を残す事が出来るかもしれません。非協力的ならその可能性は無い。そう言って協力を頼んでいます」
『なるほど、気休めにはなるな』
鼻を鳴らした、下品だぞ、レベロ議長。
「私と直接交渉して同盟市民の帰還を確約させた、そう言って貰って結構ですよ。煩い人間が周囲に居るのでしょう?」
レベロ議長が顔を顰めた。

『まあそうだ、弁務官府も連絡がつかん、そっちの状況がまるで分らないので煩く騒ぐ連中がいる』
「ヘンスロー弁務官達は暴徒が押し寄せてきたのでウチの事務所に退避していますよ。先程も何時になったら同盟に帰してもらえるんだと騒いでいました。民間人の事など何も考えていませんでしたね、あれは」
『……』
レベロ議長の渋面が益々酷くなる。

「まあ周囲には民間人の安全について我々と調整している、そう言って貰って結構です。議長もそれに加わって私に同盟市民の帰還を確約させた、如何です、このシナリオは」
親っさんが問いかけるとレベロ議長はじっと親っさんを見詰めた。

『……不本意だが乗らせてもらおう』
「不本意は無いでしょう、議長にも利が有る筈ですよ」
『だから乗ると言っている』
「……素直じゃありませんね」
『君程じゃない』
親っさんが憮然とするとレベロ議長が嬉しそうな表情をした。こいつも性格が悪そうだ。

「ところで、地球教の事ですが同盟ではどうなっているのです……」
親っさんが問いかけるとレベロ議長が顔を顰めた。
『同盟は帝国とは違い信教の自由を保障している、それに陰謀と言っても帝国が言っているだけで同盟では何の問題も起こしていない。トリューニヒトを匿ったのも人助けと言われればそれまでだ。取り締まりは難しいな』
親っさんが溜息を吐いた。

「付け込まれますよ、連中に」
『……』
「帝国では地球討伐が実施されましたがその折、討伐軍指揮官のワーレン提督が自分の旗艦で地球教徒に襲われると言う事件が有りました」
『自分の旗艦で?』
レベロ議長が驚いている。ま、普通は驚くよな。

「地球討伐が決定されてからワーレン提督がオーディンを発つまで二日しかありません。その二日の間に地球教徒がワーレン提督の旗艦に潜り込んだ。帝国では地球教を侮るべきではないという意見が強まっているそうです」
『うーん』
「警告はしましたよ、あとは議長次第です。では、これで」

親っさんが通信を切るまでレベロ議長は唸りながら考え込んでいた。通信が切れるとスウィトナー所長が親っさんに話しかけた。
「親っさん、“テオドラ”から連絡が……」
「有りましたか」
「はい」
え、何時の間に有ったの? 俺全然気づかなかった。

「“テオドラ”は何と?」
「迎えに来て欲しいと言っています、五十人程連れて行きたいのですが?」
所長の言葉に親っさんが副頭領に視線を向けた。
「アンシュッツ副頭領、百人程用意してください。人数は多い方が良いでしょう」
「分かりました」
「有難うございます」
親っさんの言葉に副頭領、所長が応えた。

俺も一緒に行こうとしたけど所長に親っさんの傍に居ろと言われた。詰まらんと思ったけど直ぐにそんな気持ちは吹っ飛んだよ。親っさんがローエングラム公に連絡を取るように指示を出したからな。

 

 

第二十八話 統一に向けて


帝国暦 489年 7月14日   オーディン    ローエングラム元帥府   ナイトハルト・ミュラー



会議室は来たる大遠征の打ち合わせのために艦隊司令官達が集結していた。地球討伐から帰還したワーレン提督、総参謀長のフロイライン・マリーンドルフも参加している。この場に居ないのはイゼルローンのケスラー提督、フェザーンに向かっているロイエンタール、ミッターマイヤー提督の三人だけだ。正面にローエングラム公とフロイライン、両脇に艦隊司令官達、コの字型に並べられた会議卓に座っている。

「反乱軍も早急に戦力を整えようとするだろう、こちらも準備を整えているが出征は何時頃になると見る?」
ローエングラム公の問いかけにフロイライン・マリーンドルフとキルヒアイス提督が顔を見合わせたがフロイラインが一つ頷くと口を開いた。

「準備にあと四カ月はかかると思われます。出征は十一月半ばから十二月初旬になるでしょう」
彼女の言葉に艦隊司令官達の集まった会議室に小さなざわめきが起きた。殆どが同意する様な声だ。動員兵力は十五万隻を超えるだろう、これまでにない規模での出兵になる。準備は疎かにできない。ローエングラム公も同意するかのように頷いている。

「反乱軍は現状では二個艦隊だったな、キルヒアイス」
「はい、当然ですが反乱軍は戦力増強を図ると思います。しかしいくら努力しても倍の四個艦隊が良いところでしょう、三倍でも六個艦隊です」
「そうだな」
頷く公にフロイラインが話しかけた。

「戦力比は圧倒的、しかも味方はイゼルローン、フェザーン両回廊が使えます。となれば反乱軍は我々を自領奥深くに引き摺り込んでの防衛戦を挑んでくると思われます。やはり問題になるのは補給でしょう。十分な後方支援の体制が必要です」
確かにその通りだ、ローエングラム公も頷いている。となるとやはりフェザーンをどれだけ早く掌握するかだろう。

「後方支援の体制も必要ですが、劣勢な反乱軍が我々に勝とうとすればこちらの補給を断とうとするはずです。補給部隊の護衛を重視しなければ危険でしょう」
「一つ間違うと我々は二年前の反乱軍の立場になりかねません」
メックリンガー提督、ルッツ提督が護衛の重要性をローエングラム公に訴えた。これも道理だ、だが公は顔を顰めた。

「あの時は黒姫にしてやられたな」
ローエングラム公が苦い表情で呟くと皆が困ったような表情で顔を見合わせた。そしてルッツ提督はバツが悪そうな表情をしている。余計な事を言ったと思っているのだろう。

公が首を振った、気分を切り替えようとしているようだ。その様子に皆がホッとしたような表情を見せた。
「補給線をどうするかだな。フェザーンのみにするか、それともイゼルローンも使うか……。どう思うか」
さて、どうするべきか……、皆も困惑を露わにしている。イゼルローン回廊を使えとは言い辛いよな、エーリッヒにまた協力を依頼することになる。でも言わなければならん、しょうがない、俺の役目だな。

「フェザーンには後方支援に必要な能力が十分にあります。航路が一本の方が護衛もし易い、効率を考えるのなら補給はフェザーン一本で行うべきでしょう。しかし問題はフェザーンがどの程度信用できるかです。反乱軍領内に攻め込んだ後、フェザーンが混乱すれば補給に影響が出ざるを得ません。それを考えるとイゼルローンからの補給は使う使わぬは別として保険として必要ではないでしょうか」
俺が発言すると皆が頷いた。

「保険か……、確かにイゼルローンからの補給はフェザーンに比べれば効率が良くない、辺境は発展してきているとはいえ後方支援能力はフェザーンには及ばないからな……。大艦隊を率いるとなれば、やはりフェザーンだろう。しかし、保険か……、ミュラーの言う事にも一理ある……。出兵までにフェザーンを何処まで掌握できるか、それが鍵だな……」
ローエングラム公の言葉は最後は呟く様な口調になっていた。艦隊司令官達もそれぞれの表情で同意している。

理想としては補給線は多い方が良い、しかし現実には補給線が多ければそれの維持そのものに大きな負担がかかる……。エーリッヒ云々は別としてイゼルローンからの補給は効率が悪いという問題が有る。皆が考え込んでいるとTV電話の通信音が鳴った。会議室の皆が顔を見合わせた、ここに連絡を入れてくる、緊急事態の発生だろうか? フロイラインが自分の前に有るTV電話を受信した。

「何か有りましたか? こちらは今会議中ですが」
『申し訳ありません、黒姫の頭領から通信が入っています。かけ直すように伝えますか』
オペレータの言葉でエーリッヒからの連絡だと分かった。エーリッヒは今フェザーンに居るはずだ、五時間ほど前にフェザーン制圧に入ると連絡が有った。どういう状況なのか、皆の顔が緊張した。

フロイラインがローエングラム公に視線を向けると公が頷いて“正面のスクリーンに繋いでくれ”と言った。フロイラインが操作するとスクリーンにエーリッヒが映る。エーリッヒは常に変わらぬ笑みを浮かべていた、僚友達がロキの微笑みと名付けた笑みだ。本心からではなく心を隠す微笑み。そこまで言わなくてもと俺は思うんだが……。

『ヴァレンシュタインです、皆さんお揃いのようですね』
「会議中だ、そちらはどういう状況なのだ」
『自治領主府、自由惑星同盟高等弁務官府、航路局、公共放送センター、中央通信局、宇宙港を六ヶ所、軌道エレベータ、物資流通センター、治安警察本部、 地上交通制御センター、水素動力センター、エネルギー公団を押さえました』
エーリッヒの答えに会議室に安堵の声が上がった。制圧は順調に進んでいるようだ。

「ルビンスキーは?」
『残念ながら逃げました。今、ウチの人間が追っています』
今度は溜息だ。やはり一筋縄ではいかない……。
「卿でも失敗する事が有るのだな」
幾分皮肉交じりの公の言葉にエーリッヒが苦笑を洩らした。

『当然でしょう。神様だって失敗するんです、私が失敗しても不思議じゃありません。……閣下、嬉しそうですね』
「そんな事は無い、卿の誤解だ」
『誤解ですか、映りが良くないのかな。どういうわけか私には元帥閣下がとても喜んでいるように見えます』

「オーディンとフェザーンは遠いからな、映りが悪いのだろう」
皆、呆れた様な表情で顔を見合わせている。実際俺には公が喜んでいるようにしか見えない。おそらく皆にも同じように見えているだろう、つまりエーリッヒにもそう見えているはずだ。

『代わりと言っては何ですが長老委員会のメンバーを拘束しました』
「長老委員会?」
ローエングラム公が不思議そうな声を出した。心当たりがないようだ、俺も同じだ。一体何なのか……。

『自治領主を選ぶのが長老委員会です。地球教はこの委員会を通して自分達の代理人を選んでいました。オーディンに送りますので調べてください。色々と面白い話が聞けると思います』
「なるほど」
失点挽回か、ローエングラム公は少し面白くなさそうだ。

『ところで自治領主府の地下から妙な物を見つけました』
「妙な物?」
公が訝しそうな表情をした。妙な物? 何だろう、地球教に関する何かだろうか……。もしそうなら捜査が進むとアントンも喜ぶ、いやまた先を越されたと顔を顰めるかもしれんな……。

『時価総額で一兆帝国マルクは下らないと思われる貴金属です』
「何?」
ローエングラム公が不思議そうな表情でスクリーンを見ている。そして視線を俺達の方に向けた。良く分からない、お前達は分かったか? そんな表情だ。俺も良く分からない、時価総額で一兆帝国マルクは下らない貴金属? 何だそれは?

『金、プラチナが主体ですが、他にもダイヤ、ルビーの宝石類、それに絵画ですね。随分と貯め込んだものです』
言っている意味は分かるがとても俺には想像できない、おそらく皆も同じだろう。会議室の彼方此方から溜息が洩れた。

「どうするつもりだ、それを。まさか……」
『ええ、接収しました。ここに置いておくのは危険ですから』
「それは横領だろう、そんな事は許されんぞ!」
ローエングラム公が厳しい声を出すとエーリッヒは苦笑を浮かべた。まさかとは思うが“私達は海賊なんです”って言うんじゃないよな。

『誤解が有る様です、接収はしますが着服はしません。ロイエンタール、ミッターマイヤー提督がフェザーンに到着すれば我々はオーディンに向かいます。帝国政府に全てお渡ししますよ。フェザーンは地球教にとっては地球に次ぐ拠点ですからね、ここに置いておきたくないんです』
「……」
公が納得していないと見たのだろう、エーリッヒの苦笑が更に大きくなった。

『自治領主府内部に彼らの協力者が居ないとも限りません。彼らの活動資金にされては困る、そう言っています』
「……なるほど、活動資金か……。地球を失った今、彼らが次の根拠地に選ぶのはフェザーンの可能性が高い、必要になるのは金か……」
ローエングラム公が合点がいったという面持ちで頷く。

『ようやく御理解いただけたようですね。それにしても我々を手癖の悪いコソ泥扱いとは……。いささか心外です、もう少し信用していただいているのだと思っていました……』
皮肉混じりの口調にローエングラム公が幾分バツの悪そうな表情を見せた。

「そういうわけではない。ただ物が物だ、心配になっただけだ」
エーリッヒがクスクスと笑い声を上げる、公の表情が益々渋くなった。また公の機嫌が悪くなるな。エーリッヒ、その辺にしておけ、後で苦労するのは俺達なんだ。フロイライン・マリーンドルフも切なそうな表情をしている。宥めるのが大変だと思っているのかもしれない。

『それとフェザーンが所有していた国債も名義変更しました、これも危ないですからね』
「国債?」
公がキョトンとしている、いや公だけじゃない、皆も同じだ。
『帝国政府が発行した国債、約十二兆帝国マルク。それと同盟政府が発行した国債、約十五兆ディナール。ちなみに償還期限を超えたものですが帝国が三千億帝国マルク、同盟が五千億ディナール有ります。いや、凄いものです』

いや、凄いものですって、何だよそれは……。帝国だけで十二兆帝国マルク? 周囲を見たが皆度胆を抜かれている。
『既に名義変更されているかと思いましたが大丈夫だったようです。地球教はあまりルビンスキーを信用していなかったようですね、それこそ横領するとでも思ったかな。或いはルビンスキーが指示を受けてもそれを無視したか……』
エーリッヒが笑い声を上げた。

「それを、どうするつもりだ」
公の声が掠れている。
『ご安心を、オーディンに戻りましたら全て帝国政府に名義変更します。私はそんなものには興味は有りませんので』
今度はフフフ、とエーリッヒが笑った。ご安心をと言われても全然安心できない、俺だけじゃない、皆不安そうな表情をしている。

「何も要らないと言うのか?」
ローエングラム公が不信感丸出しで問い掛けた。気持ちは分かるがその不信感をもう少しオブラートに包めないものかな。エーリッヒは味方なんだから……。
『そうは言いません。欲しいものはちゃんと頂きました』
エーリッヒがまたフフフと笑う。益々嫌な予感がする。

「何だ、それは」
『内緒です。誤解しないで頂きたいのですが私個人の利益のためではありません、ご安心ください』
「……」
そんな嬉しそうに言うな。ますます安心出来ないだろう……、皆の不安そうな表情が卿には見えないのか?

俺の不安を他所にエーリッヒがローエングラム公に話しかけた。
『ところで一つ確認したいのですが……』
「何だ」
『銀河統一後の事ですが通貨の統一について考えていらっしゃいますか?』
「通貨の統一?」

呟いた後、公が“あ”っと声を上げてフロイラインと顔を見合わせた。フロイラインも虚を突かれたような表情をしている。
『フェザーン、自由惑星同盟を軍事的に征服した後、それを政治的、経済的に帝国と統合し一つの国家にしなければなりません。通貨の統一は避けては通れませんよ』
「……」
エーリッヒの言葉にローエングラム公の顔が悔しそうに歪んだ。またしてやられた、そう思っているのだろうな。

『帝国マルクとディナール、フェザーン・マルクとの交換比率を決めなければなりませんし、決めた後はそれに従って通貨を変換する必要が有ります。これは現物だけでなく電子も同様です。通貨の発行量がどの程度になるのか……。膨大な作業になりますがやらなければなりません。そして失敗は許されない、失敗すれば大変な混乱が発生します』

聞いてるだけで頭が痛くなってきた。通貨の統一? 軍人の俺には到底分からない事だが大変な問題だという事は分かる。周囲の提督達も困惑したような表情を見せている。
「黒姫の頭領、良いお考えが有りますか?」
問い掛けたのはフロイラインだった。公が幾分彼女を睨み気味だが気にすることなくエーリッヒを見ている。

『やはりフェザーン人を使うのが一番でしょう』
「具体的には」
『ボルテック弁務官を利用する事です。彼は帝国、同盟、両方の国家財政、経済状態について詳しい。彼を責任者としてチームを作り対応させる、それが最善だと思います』
会議室にざわめきが起こった。ボルテックは今国家保安庁で取り調べを受けている。それを利用?

「しかしボルテックは取り調べを受けているが」
ローエングラム公がそれを指摘するとエーリッヒが微かに笑みを見せた。
『彼に選ばせては如何でしょう。このまま犯罪者として扱われるか、それとも帝国に協力し栄達するか』
「……」

『通貨統一を成功させた暁には新たに帝国の通商を管轄する省庁を作りその責任者に任命する、そう提案するのです。彼が受けてくれれば地球教についても積極的に話してくれるでしょう。一石二鳥ですよ』
「なるほど」
なるほど、上手い手だな、敵ではなく味方に取り込むか……。ローエングラム公も頷いている、どうやらこの案は採用だな……。




 

 

第二十九話 ダミー会社

帝国暦 489年 7月14日   オーディン    ローエングラム元帥府   エルネスト・メックリンガー



スクリーンでは黒姫が穏やかな笑みを浮かべている。“ロキの微笑み”とビッテンフェルト提督が名付けた微笑みだ。本心を隠す偽りの微笑みと言う意味だろう。ミュラー提督を除いて皆が納得している、油断する事が許されない微笑みだ。しかしボルテックを利用する案は面白い、彼が受け入れれば統一の準備も上手く行くし地球教の情報も得ることが出来るだろう。やっぱり黒姫はロキだ、狡賢くて抜け目がない……。

「他にはないか?」
ローエングラム公が問いかけると黒姫が少し考えるそぶりを見せた。どうやら公は黒姫の考えを全部聞き出すつもりらしい。癪には障るが確かに黒姫が役には立つのは認めざるを得ない。公としてはそんな思いだろう。
『そうですねえ……、遷都は如何でしょう』
「遷都?」

ローエングラム公が鸚鵡返しに口にすると黒姫が頷いた。遷都? オーディンからフェザーンに都を遷すというのか?
『ええ、フェザーンに遷都するのです』
ざわめきが起きた、僚友達が彼方此方で小声で話している。ローエングラム公が我々に視線を向けると皆、口を噤んだ。そして黒姫が言葉を続ける。

『フェザーンは帝国と同盟の中間にあります、いわば宇宙の臍ですね。ここに都を置けば経済だけでなく政治的にも帝国、同盟の両方を押さえる形になります。軍事的にもフェザーン回廊を直接押さえますから帝国領、同盟領への出兵もし易い、後方支援の能力も充実している、言う事無しですね。これほど地政学的に優れた場所は有りませんよ』
「なるほど」

ローエングラム公が頷いている。遷都か……、なるほどフェザーンを直接押さえると言う意味も有るな。悪くない、というより絶妙と言って良い案だが何でこんな事を考えつくのだ? 五百年続いた帝国の都を遷すなど……。またこの男に先を越された、彼方此方で僚友達の溜息を吐く音が聞こえる。政治感覚に優れた総参謀長も溜息を吐いている。とても敵いそうにない、ワーレン提督やルッツ提督は諦め顔だ……。

ローエングラム公が顔を顰めるのが見えた。おそらく私と同じ想いを抱いたのだろう。なんとも憎い男だ、いつもローエングラム公の先に、我々の先に居る。我々が戦争の事を考えている時、黒姫は戦後の事を考えているのだ。そして常に途方もない事を考えている。この男には失敗と言うことは無いのだろうか、いやルビンスキーを取り逃がしたか。本来なら面白くない事だし喜べない事だが少しだけホッとした。

『ついでに暦も変えるのですね、統一暦とか新宇宙暦とか。新しい王朝に新しい都、新しい暦。旧王朝とは決別したと言う宣言になりますし同盟市民に対するメッセージにもなるでしょう』
「口を慎め、不敬罪だぞ。一体何を言い出すのだ」

ローエングラム公が慌てて黒姫を叱責した。皆もギョッとした表情をしている。言っている事は分かるがこんなところで言うべきではないだろう、それは口に出さない公然の秘密の筈だ。だが黒姫は笑みを浮かべたまま我々を見ている。間違いなく我々が慌てているのを面白がっている、だから卿はローエングラム公に根性悪のロクデナシと言われるのだ。

『隠さなくても良いでしょう』
「黒姫!」
またローエングラム公が黒姫を叱責した。
『まさかこのままずっと帝国宰相兼帝国軍最高司令官ではないでしょうね。そこに居る皆さんが悲しみますよ、このまま出世は出来ないのかって』

黒姫が悲しそうな表情を浮かべて我々の方を指差した。釣られたようにローエングラム公が我々に視線を向けてきた。何てことをするのだ! この根性悪のロクデナシ! 皆が慌てて顔を背けたり表情を隠そうとした、私もだ。キルヒアイス提督もフロイラインも困ったような表情をしている。

ローエングラム公も困ったような表情で我々を見ている。それは確かに我々だって出世をしたいし、顕職に就いてみたいという思いは有る。公が皇帝になれば我々にも帝国軍三長官職に就任する機会が訪れるだろう。もっとも黒姫を見ていると我々のような無能者にその資格が有るのかと落ち込む事もしばしばだが……。

『その帝国宰相兼帝国軍最高司令官という厭らしい肩書きはさっさと卒業することです、皆がそれを望んでいるのですから。私も閣下を陛下とお呼び出来る日が来るのを楽しみにしています。これは本当の事ですよ、そのために協力してきたのですから』
「……」

嫌がらせだな、間違いなく嫌がらせだ。黒姫は罪のない笑顔でニコニコしているがローエングラム公が返答できずに口籠っているのを見て喜んでいる。帝国宰相兼帝国軍最高司令官を厭らしい? ローエングラム公は簒奪を企む帝国一の不忠者で我々はそれに与する謀反人かもしれないが卿はそんな我々を嗤って喜ぶ宇宙一の根性悪のロクデナシだ。卿に比べたら私など間違いなくお人好しの善人だろう。

心の中で毒づいていると黒姫が公に話しかけてきた。
『そうそう、今度の戦いにはメルカッツ提督も参加します。提督の艦隊を用意していただけますか』
『黒姫の頭領! それは……』
『そろそろ戻る時ですよ、メルカッツ提督。もう十分に休んだ筈です』
『しかし……』

黒姫の声とメルカッツ提督の声が聞こえた。姿は見えないがメルカッツ提督もフェザーンに居るようだ。
「構わないが、大丈夫なのか。メルカッツ提督は気が進まぬようだが」
『大丈夫です』
「しかし……」
ローエングラム公が躊躇った。無理も無い、メルカッツ提督は必ずしも納得していない、戦意不足の艦隊など有っても邪魔になるだけだ。だがそんな不安を打ち消すように黒姫がクスクスと笑い声を上げた。

『いざとなったら私が指揮しますよ。最後の戦争でしょうからね、想い出づくりに一個艦隊を指揮してみたいものです』
「本気か?」
公が呆れた様な声を出している。同感だ、本気で言っているのか? 我々と同じ立場で戦う? 艦隊の指揮などした事がない黒姫が?

『公の指揮下で戦う、お許しいただければ光栄ですね』
ローエングラム公が唸り声を上げている。これまで黒姫は協力者の立場だった、だが今度は指揮下に入ると言う。負けられない、負けるわけがない、そう思った。向こうは素人なのだ、今度こそ黒姫の上を行く。僚友達の顔を見た、ケンプ、ルッツ、ワーレン……、皆が厳しい表情を見せている。同じ思いを胸に抱いているに違いない。

「ではこうしよう、黒姫を艦隊司令官としメルカッツを参謀長とする。卿は艦隊の指揮経験は無いだろうからな、メルカッツを補佐として付けよう、どうか?」
公の提案に黒姫が笑みを浮かべて頷いた。
『それならば、お受けいたします』
『有難うございます。楽しみです』

メルカッツ提督と黒姫の返事にローエングラム公が嬉しそうな表情を浮かべている。多分黒姫を指揮下におけるというのが嬉しいのだろう。しかし強敵だ、黒姫の戦略家としての才能とメルカッツ提督の実戦指揮官としての力量、これが組み合わされた事になる。それにこれまでの遣り取りからするとメルカッツ提督はかなり黒姫を信頼しているようだ。二人の間に隙は感じられない、彼らの艦隊はこの銀河でも屈指の実力を持つ艦隊になるだろう。素人の指揮する艦隊では無い、だが望むところだ。

「ところで黒姫、卿がフェザーンで得たものだが」
『気になりますか』
「気になる」
ローエングラム公の返事に黒姫が笑みを見せた。またロキの微笑だ、どうにも嫌な予感がする。

『帝国政府が得た物はフェザーンとフェザーン回廊。それに時価総額で一兆帝国マルクは下らない貴金属、それとフェザーンが所有していた膨大な国債、……それに比べれば大したものではありません。ただフェザーンに置いておくのは危険です』
「……地球教に利用される可能性が有る、そういう物か」
公の言葉に黒姫が頷いた。
『おそらく一番危険でしょうね、そして来る遠征においてフェザーンを帝国の補給基地にするには必要不可欠な事だと思います』

ローエングラム公は納得がいかない様な表情をしている。黒姫が何を得たのか分からない事が不安なのだろう。確かに今回のフェザーン占領で帝国が得たものは言葉に出来ないほど大きい、金銭面だけではなく政治面、軍事面にまで及ぶ。黒姫が何を得たのかは知らないが、それに比べれば大したことは無いとは思うのだが……、やはり一抹の不安は有る。

『心配ならボルテック弁務官に尋ねてみては如何でしょう。彼なら私が何を得たか分かるはずです』
「……」
『彼に伝えてください、陰でコソコソするのは止めるようにと』
そう言うと黒姫が笑い声を上げた。公は釈然としない表情だ。

『では、この辺で失礼します。ああ今連絡が入ったのですが、ルビンスキーを確保しました』
「……」
失敗は無しか、皆が溜息を吐いている。また点数を稼がれたな、失敗が有れば少しは可愛げがあるのに……。ローエングラム公も詰らなさそうな表情をしている。

『閣下、喜んでいただけますよね?』
「……もちろんだ」
公が引き攣った笑みを浮かべた。
『私達は役に立つでしょう?』
「……そうだな、役に立つ」
益々笑みが引き攣る。
『では、これで……』

黒姫が消えるとローエングラム公が溜息を一つ吐いてから我々に視線を向けてきた、何となく困った様な表情をしている。例の私達が可哀そう、と言った言葉を思い出しているのかもしれない。作戦会議という雰囲気ではないな。黒姫め、全く碌でもない事をしてくれる。ローエングラム公がまた溜息を吐いた。黒姫と話をすると皆が溜息を吐く……。

「フロイライン、ボルテックをここに呼んでくれ」
「ボルテックをですか」
「黒姫の提案を提示してみよう。それに奴に訊きたい事が有る。黒姫が何を手に入れたのか、ボルテックに確認したい」

ボルテックがフェルナー国家安全保障庁長官に連れられて会議室に来るまで二十分程時間が有った。何とも間の悪い二十分だ。公も我々も何処か相手を窺うような表情で話をした。公は何を考えていたのだろう、やはり皇帝になるべきだ、皆がそれを望んでいるとでも思ったのだろうか。帝国軍三長官を誰に任せるか、だろうか……。

ボルテックがフェルナー長官に連れられて来ると公が黒姫の提案を話し始めた。ボルテックは興味深そうに聞いている。特に将来的には帝国の通商関係を統括する官庁を新設しその責任者にすると言う所には何度か大きく頷いた。フェルナー長官もボルテックを敵にするのではなく味方に取り込もうという狙いは分かったのだろう、不満そうな表情はしていない。

ボルテックは公の提案、いや正確には黒姫の提案を受けた。問題はその後だった。黒姫が自治領主府の地下から貴金属を手に入れた事、膨大な国債を手に入れた事を話すとボルテックは顔面を強張らせた。そして他にも何かを手に入れたようだがその正体が分からない事、“陰でコソコソするのは止めるように”と自分に警告した事を告げると物も言わずに手近にあったコンピュータを操作し始めた。

「まさか、……馬鹿な! これも、あれも、全部、変わっている! ……そんな、馬鹿な!」
ボルテックが悲鳴のような声を上げた後、呻きながら床に座り込んだ。蹲る様な姿で頭を掻き毟っている。どういう事だ? 何が変わった? 会議室に居る人間は皆、呆然として何が起きたか分からずにいる。ローエングラム公も総参謀長と顔を見合わせるばかりだ。

「ボルテック弁務官、何が起きたのです」
キルヒアイス提督の問いかけにボルテックがノロノロと顔を上げた。
「フェザーンの、自治領主府のダミー会社の所有者が、……全て変わっている……」
「ダミー会社?」
ボルテックが力なく頷いた。

ダミー会社? 嫌な予感がする。何処となく後ろ暗い犯罪の臭いのする言葉だ。ローエングラム公も総参謀長も不信感が顔に滲み出ている。僚友達も同様だ。ダミー会社を利用して何をしていたのだろう。地球教に対して送金だろうか。有りそうな事だが……。
「そのダミー会社は一体何なのだ、何に使っていた?」

ローエングラム公が問いかけるとボルテックは座り込んだままぼそぼそと話し始めた。
「フェザーンはダミー会社を利用して帝国、同盟の基幹産業、利権をフェザーンの支配下に置こうとしていたのです。そうする事で経済面からの影響力を密かに強めようとしていました」
支配下? 影響力を強める? また皆が顔を見合わせた。

「常に百社以上のダミー会社を使って狙いを付けた企業の株を購入していました。一社当たりにすれば最大でも五パーセントに届かない数字です、帝国にも同盟にも不信を抱かれる事は無かった、それなのに……」
「そのダミー会社の所有者が変わったということは……」
総参謀長が問いかけるとボルテックが力なく頷いた。

「取得した株、利権の所有者はダミー会社の名義になっていました。そのダミー会社の所有者が変わったということは取得した株、利権の真の所有者も変わったという事です」
そう言うとボルテックは立ち上がりまたコンピュータを操作し始めた。そして溜息を吐いた。

「ご覧ください。ヴァレンシュタイン総合警備がダミー会社の所有者になっています、つまり真の所有者は黒姫という事です……」
会議室の彼方此方から溜息を吐く音が聞こえた。
「一体どれだけの企業を所有していたのだ」

ローエングラム公の問いかけにボルテックがビクッと身体を震わせた。だが諦めた様な表情を顔に浮かべた。
「帝国では、ざっと百社です」
「私の知っている企業も有るかな」
「……例えばですが、ヴォンドラチェク重工業、キスク化学、コーネン……等です」

ボルテックの声が会議室に流れると彼方此方で溜息が聞こえた。ヴォンドラチェク重工業は兵器、エネルギー、エンジン等の開発を行っている帝国でも最大規模の重工業会社だ。キスク化学は住宅、建材、繊維、コーネンは帝国でも一、二を争う穀物商社。いずれも帝国の経済に大きな影響を持つ会社だろう。このレベルの会社が百社も有るのか……。

「同盟にも百社程度、同じような会社が有ります。それとフェザーンもです。フェザーン五大銀行の内上位三行は発行株数の五十パーセント以上を所有しています。残りの二行も五十パーセントを超えてはいませんが筆頭株主です。他にも輸送会社で言えばフェザーン最大の輸送会社オアシスを含む大手三社は過半数を超えています」
「……それが、全て黒姫のものになったのか」
掠れた声で問いかけたローエングラム公に対しボルテックが力なく頷いた。

「フェザーンの強みは金融と物流です、いわば船と金……。その両方を黒姫に奪われました。貴金属、国債、そしてダミー会社を奪われたフェザーンはその影響力を全て失ったに等しいでしょう……」
会議室の彼方此方から溜息が聞こえた……。









 

 

第三十話 テオドラ

帝国暦 489年 7月14日   オーディン    ローエングラム元帥府   エルネスト・メックリンガー



会議室では皆が皆が溜息を吐き困惑した表情を浮かべている。問題になっているのが軍事ではなく経済ということで戸惑いも有るのだろう、私自身困惑を禁じ得ない。帝国、フェザーン、反乱軍、その三国の優良企業を黒姫が手に入れた。これが何を意味するのか……。

いや、先ずはフェザーンだ。フェザーンはその影響力を失ったとボルテックは言っていた。フェザーンは武器を失ったと言う事だろう、他者から利用される危険は無くなった、少なくなったと言う事だ。武器を持っているのは帝国と黒姫、そして帝国はフェザーンに遷都する……。やはり問題は帝国と黒姫の関係か、そこに行きつくな……。

「黒姫の頭領が得た株を帝国に譲渡させる事は出来ないのかな。……いや、その、個人に集中させるのは良くないと思うのだが……」
ケンプ提督が周囲を見回しながら恐る恐ると言った口調で話しだした。何人かが顔を見合わせている。
「それは危険ではないかな、黒姫の頭領が信用できないと言っているように聞こえるが……」
「ワーレン提督、そうではない、一般論として言ったのだが……」

ケンプ提督が困った様に口籠っている。黒姫は何度もローエングラム公に協力し多大な功を上げた、公の命の恩人でもある。根拠も無しに誹謗じみた事を言うのは許されない。ワーレン提督はその事を注意したのだろう、責めるのではなく気遣う様な表情をしている。ケンプ提督が口籠ったのもそれが分かったからに違いない。心の中はどうであれ黒姫の事を話すときには細心の注意が要るのだ。気まずい空気が流れたがファーレンハイト提督が咳払いをして話し始めた。

「帝国に譲渡させるという事は国営企業にするという事になるな。帝国、フェザーンの企業は良いが反乱軍の企業はどうだろう、反乱軍がそれを許すとも思えん。連中、株の所有は無効だと言いだすだろうな。多分、いや間違いなく所有した株は無意味なものになるだろう」
ファーレンハイト提督の言葉に皆がまた溜息を吐いた。ファーレンハイト提督は家が貧しかった所為だろう、この手の経済問題には詳しそうだ。

「黒姫の頭領が持っている分には問題が無いのか? ファーレンハイト提督」
ルッツ提督の問いかけにファーレンハイト提督が考える様な表情を浮かべた。
「さて、あそこは反乱軍とヴァンフリート割譲条約を結んでいる。交易も盛んなようだし反乱軍は黒姫の頭領を単純に敵とは認識していないと思う。やり方次第では所有を認める可能性は有るのではないかな。帝国、フェザーンの分はともかく反乱軍の分は株の所有を認めた方が得かもしれん」
何人かが頷いている。ローエングラム公も不得要領な表情ではあるが頷いていた。

「詳しいな、ファーレンハイト」
公の問いかけにファーレンハイト提督が苦笑を浮かべた。
「金では随分と苦労しております、嫌でも詳しくなりました」
「なるほど」
ローエングラム公とファーレンハイト提督の会話に一瞬だが会議室の空気が和んだ。彼方此方で苦笑めいた笑みが漏れている。

「問題はもう一つあるな。株を譲渡させた場合、黒姫の頭領に対して何を以って代償として与えるかだ。何も無しというわけにはいくまい」
ビッテンフェルト提督の言葉に皆が気まずそうにローエングラム公を見た。公は顔を顰めている。フェザーン回廊とフェザーン、それに一兆帝国マルク相当の貴金属、国債が約十二兆帝国マルクと約十五兆ディナール、譲渡させた株、アドリアン・ルビンスキー、長老委員会……。溜息が出そうだ。

「借金だけでも十二兆帝国マルクと十五兆ディナールが減ったわけだからな」
「十五兆ディナール? 反乱軍の国債もカウントするのか?」
ルッツ提督がファーレンハイト提督の言葉に驚いたように問いかけるとファーレンハイト提督が“そうだ”と頷いた。

「反乱軍を滅ぼし新帝国を作る、当然だが反乱軍が発行した国債は新帝国が責任を持って償還しなければならんだろう。国債だけじゃない、遺族年金も同様だ、全て新帝国が保障する。そうでなければ占領地はあっという間に生活苦に陥る人間で溢れる事になる。金が無いのは辛いぞ、あれは人の心を荒ませるからな」
ファーレンハイト提督の口調は苦い、皆言葉も無く黙って聞いている。

「黒姫の頭領が通貨の統一、交換比率を決めろと言ったのもそれが有るからだろう。現物だけではなく電子も対応しろと言っていたからな。そうじゃないかな、ボルテック弁務官」
ファーレンハイト提督の言葉にボルテックが大きく頷いた。

「ファーレンハイト提督の言う通りです。これは良い悪いの問題ではありません、やらなければ占領地は貧困者で溢れる事になります。あっという間に同盟市民は帝国に対し反政府活動を始めるでしょう。一つ間違うと征服しなかった方が良かった、そんな事になりかねません」

皆が顔を見合わせている、何度めだろう。しかも回を重ねるごとに疲れた様な表情になっていく。宇宙統一はそれほど難しくないと思っていた。しかしそれは軍事的にはだ。戦争だけで統一出来るわけではないという事だな、問題は山積みだ。そしてその問題を黒姫は誰よりも認識しているようだ。

「つまり十五兆ディナールの国債は有難い贈り物か、借金を払わなくて済むのだからな」
「その通りです。十二兆帝国マルクも同様です、その分だけ帝国の財政負担が少なくて済みます」
ローエングラム公が面白くなさそうに問いかけるとボルテックが生真面目に頷いた。公の表情が益々渋いものになった。

「小官は積極的に株の所有を認めるべきだと思います」
「!」
私の言葉に皆が驚いた様に視線を向けてきた、ローエングラム公もだ。これほどまでに注目された事は一度も無い、突き刺さる様な視線が痛い、だが言わねばならんだろう。

「以前、イゼルローン要塞のケスラー提督と話した事が有ります。黒姫の頭領はヴァンフリート割譲条約によって辺境星域と反乱軍を経済的に結び付けて一つの経済圏を作ろうとしているのではないかと。それによって辺境星域を発展させようとしているのではないかと……」
私の言葉に皆が頷いた。この事は皆も知っている事だ。

「しかし認識が甘かった、いや黒姫の頭領を過小評価していたのかもしれません」
「どういう事だ、メックリンガー」
ローエングラム公が問いかけてきた。口調も厳しいが視線も厳しい、何ともやり辛い事だ。

「彼はローエングラム公による宇宙の統一を強く進めています。政治的な国境を無くそうとしているのでしょう。そして彼自身は経済的な面での国境を無くそうとしているのではないかと思うのです。彼の真の狙いは帝国、フェザーン、反乱軍の経済を一つに繋げ、それによって経済面で宇宙の統一を図ろうとしているのではないでしょうか。その大きな流れの中で辺境星域を発展させようとしている……」
彼方此方で唸り声が、“なるほど”という声が聞こえた。ローエングラム公も何度か頷いている。

「経済的な利が有れば敵対していても協力は出来る、ヴァンフリート割譲条約を見ればそれが分かります。黒姫の頭領は宇宙の統一は政治的な統一だけでは不十分で経済的な統一により利を生みだす事が必要と見た、小官にはそのように見えます」
「……」
皆が黙って聞いている。ケスラー提督、卿と話した事は無駄ではなかった。卿の見識が今の私の発言になっている。出来れば今此処で卿と話したいものだ。

「帝国、フェザーン、反乱軍の企業を手に入れたのもそれらの企業を使って交易を推し進めようと考えているのでしょう。黒姫の頭領が利を生み出せばそれに続くものが必ず現れる、新帝国内で帝国、反乱軍、フェザーンの経済交流が活発になれば新帝国が経済的に一つに繋がる、そう考えているのではないかと思うのです」
「……」

「統一後には通商を管轄する省庁を作りボルテック弁務官を担当者にすべしと進言した事もその表れだと思います。……ボルテック弁務官、卿がその立場に就いた時、経済界で最も頼りになる人物は誰かな、黒姫の頭領ではないかな?」
私の問いかけにボルテック弁務官が苦笑を浮かべた。

「確かにそうですな。彼には色々としてやられています、思う所は有りますが頼りにはなるでしょう。メックリンガー提督の言う通りです、彼との協力関係が必要不可欠になると思います」
「安心して良い、してやられているのは卿だけではない、我々も同じだ。つまり卿と我々は有る一点を通じて仲間だと言う事だな。そう思うと妙に親近感が湧くよ」
私の言葉に会議室に笑い声が満ちた。皆が苦笑をしている。

「幸い彼はローエングラム公に協力的です、敵対しているわけではない。今度の戦いでも共に戦うと言っている。彼を積極的に受け入れ新帝国を安定させるために利用すべきです」
「……彼が危険だとは思わないのか、メックリンガー」
ローエングラム公が顔を顰めながら問いかけてきた。

「大変危険です、何と言っても宇宙一の根性悪でロクデナシなのです。しかし愚かではありません。こちらと敵対すれば損だという事は理解しているはずです。我々にとっても彼を敵に回す事は得策ではない、そして協力し合えばお互いに利が有る事も分かっています。協力は出来るでしょう……」
扱いは難しいだろう、飢えたトラ並みに危険だし年老いた狐のように狡猾だ。だが扱いを間違えなければ問題は無いはずだ……、溜息が出た、何故だろう……。



帝国暦 489年 7月14日   フェザーン    アルツール・スウィトナー



ぞろぞろと十人ほどの男達が連れられてきた、全員後ろ手にされ手錠をかけられている。そしてその両脇を黒姫一家の男達が警備していた。捕えられた男達の表情が冴えないのは落胆の他に催涙ガスを吸った事による影響も有るだろう。あれを吸うと咳、くしゃみ、涙、嘔吐が酷いからな。とてもじゃないが抵抗など出来ん。

最後尾には恰幅の良い中年の男の姿が見えた。あれがルビンスキーか……、写真では見た事が有るが実物は初めてだ。精彩は欠いているが抜け目なさそうな表情をしている、油断ならない顔つきの男だ。これで精気に満ちていればふてぶてしい印象の男になるだろう。こっちを見たな、おやおや表情が厳しくなった、気付いたか……。

それにしても旨い所に隠れたもんだ。政府所有の秘密地下シェルターのさらに下に隠れ家を用意するとは……。黒狐の巣籠りか、もっとも隠れてどうするんだって話も有るな。安全かもしれんが表には出られない、影響力は限定されるだろう。素直に降伏して協力する、それによって影響力を残す、そうは考えられなかったものかね……。

目の前にルビンスキーが来た。
「ルビンスキー自治領主、いや自治領はもう無いから元自治領主かな。お初に御目にかかる、黒姫一家、アルツール・スウィトナーだ」
「……」
おいおい、無視かよ。相変わらず表情は厳しいな、答える余裕もない、そんなところか。

「私を裏切ったのか、ドミニク。先にルパートを裏切り今度は私を裏切ったのか」
「裏切ったんじゃないわ、見限ったのよ」
男の声は熱を帯びていたが女の声は気だるげだった。どうでも良い、そんな感じだな。相手に対する関心など微塵も感じられねえ。

「自分より劣る人間の事は理解できるって言っていたけど、そうでもないみたいね。もしかすると貴方は自分で思っている程賢く無いのかもしれない……。どちらかしら?」
「貴様……」
嘲笑しているわけではない。しかしルビンスキーにとっては嘲笑を受けるより屈辱だろう。身体が小刻みに震えている。

そんな男の姿を見て俺の隣に居る女が微かに苦笑を浮かべている。ドミニク・サン・ピエール、結構きついな、この女。ルビンスキーの表情が屈辱で歪んでいるぜ。この二人、元は愛人関係に有ったらしいが到底信じられん。ルビンスキーも趣味が悪いとしか言いようがないな。

「嘘じゃあないぜ、彼女が俺達の仲間になったのは一年も前の事だ。あんたは気付かなかったようだがな」
「一年……」
ルビンスキーが俺の言葉に愕然としている。哀れな奴、お前の不幸は親っさんを敵に回した事だ。

「ルビンスキー、お前さんは間違ったんだ」
「間違った?」
「ああ、間違った。俺達がフェザーンに事務所を開いた時、詰まらねえ小細工をして仕事が来ねえようにしただろう? 自分の力に大分御満悦だったそうじゃねえか」
「……」
黙り込むなよ、まあ自分の指図じゃねえなんて言うよりはましか……。

「あのなあ、親っさんはな、俺達にフェザーンで商売しろなんて一言も命じてねえんだ」
「何だと?」
「親っさんはな、俺達にお前を見張れと言ったんだ。いずれ帝国はフェザーン、同盟を滅ぼして宇宙を統一する、その日までお前を見張れってな」
「……」
俺の言葉にルビンスキーは呆然としている。

「だからな、フェザーンでの商売はお前の目を晦ます芝居だったのさ。仕事が無くても全然構わねえ、お前を油断させることが出来るならな、笑えるだろう?」
「……馬鹿な」
ルビンスキーが信じられないといった表情をしている。その顔が可笑しくてつい笑い声を上げちまった。ドミニクも一緒に笑い声を上げている。ルビンスキーの表情が益々屈辱に歪んだ。

「親っさんがお前の事をこう言っていたぜ、自分の力を見せつけ優越感を感じていないと安心できない男だってな」
「……」
「喧嘩の下手な男だとも言っていたな、今のお前なら分かるだろう?」
ルビンスキーが呻き声を上げた。

「分かったでしょう、何故貴方を見限ったか。所詮貴方は嫌がらせをするのが精一杯の男、それに比べて黒姫の頭領は宇宙の統一を考えて動いている。貴方が勝てるわけないわね」
「……貴様」
「貴方じゃ満足できないの、見ていて詰まらないのよ、御免なさいね」
そういうとドミニクは含み笑いを上げた。怖ええ女だぜ。

「ボルテックが、地球教が失敗したのはお前の所為か!」
ルビンスキーの怒声にドミニクが詰まらなさそうに苦笑した。その姿を見てルビンスキーが更に激高した。掴みかかろうとして男達に取り押さえられる。この女、男を苦しめるために生まれてきたような女だな。

「違うわ、黒姫の頭領はね、何もしなくて良いって言ったの。フェザーンを潰すその日まで何もするなって。その日が来たら迎えを出すから連絡しろって……。そうじゃなきゃ、何処かで貴方は気付いていた。そうでしょう?」
「……」
今度は声を上げて笑った。

「楽しかったわよ、貴方と黒姫の頭領の戦い。貴方の動きを的確に読んで一つ一つ潰していく。動けば動くほど貴方は追い詰められていく……。そして最後に私でチェック・メイト。冷徹で緻密で、そして意地悪……。最高よね!」
また笑った。怖い女だぜ、親っさんってこういう女にも好かれるんだ……。

「……ドミニク」
名を呼ばれて女が首を横に振った。
「テオドラよ、貴方を見限ったその日から私はテオドラなの。黒姫の頭領が最初にくれた贈り物は新しい名前、……素敵でしょう?」
「……テオドラ……」
ルビンスキーが呻き声を上げるとテオドラは楽しそうに笑い声を上げた……。


 

 

第三十一話 ドラクール



帝国暦 489年 7月24日   フェザーン    エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



全く、何処に居ても仕事は無くならないな。フェザーン制圧から十日間……、この十日間は嫌になるほど忙しかった。フェザーンの治安維持と日常生活の回復、同盟市民の返還、経済活動の再開、まあそれも後一週間だ。一週間もすればミッターマイヤーとロイエンタールがやってくる。あの二人に引き継いで俺はフェザーンをおさらばだ。

案の定だがレベロが株の事でグズグズ文句を言ってきた。帝国人が同盟の企業の株を持つのは許されないんだそうだ。同盟政府に返せだの無効にするだのふざけた事を言いだしたから償還期限の過ぎた国債五千億ディナールをフェザーンでばら撒くぞって言って黙らせた。

同盟はもうすぐ滅ぶ。レベロだってそれは分かっているはずだ。そんな状況で株を返せだの無効にするだのって何考えてるんだか……。そんな事よりもやる事が有るだろう、講和条件の作成とかな。そのなかで同盟市民の権利の保障をどうするかとか考えるべきなのに……。

株なんて帝国人の俺が持っていた方が却って良いんだ。その方が企業に対する保障になる、特に軍事産業なんかはその傾向が有る。その辺りの事もレベロに言ったんだが周囲が五月蠅いらしい、困ったもんだ。

もう一方の帝国はすんなり認めてきたな。まあ面白くは無いが仕方がない、ラインハルトの表情を見るとそんなところだな。やっぱり帝国は余裕が有る、それにボルテックあたりが俺を利用した方が良いとアドバイスしたのかもしれない。統一後の事をラインハルトも考えているようだ。この辺りは良い感じだな。

各企業には慌てることなく通常業務をこなすようにと伝えたが、まあ戸惑っているだろうな。問題はこれからだ、特に兵器生産をしている企業だな。今は戦争中だから景気が良いだろう、しかし宇宙が統一されれば兵器生産は需要が減るはずだ。これからは企業の主力分野を軍需から民需に切り替える必要が有る。その辺りを考えなければならない。一つ間違うと経営が傾きかねん、頭の痛い話だ。

原作だと経済面の記述が少ないんだよな、おかげであんまり参考に出来る事が無い。でも俺が思うにラインハルトは新帝国経営に失敗したと考えている。理由は新領土の統治方法だ。新領土総督なんて置くべきじゃなかった。旧自由惑星同盟領の政治軍事を統括させるだなんて、それじゃ帝国本土との交流を自ら断ったに等しい。

おそらくラインハルトは民主共和政であった同盟領は帝国本土とは政治風土が違うとして一緒に扱う事を躊躇ったのだろう。改革派の文官達も直接統治を望まなかったかもしれない。何と言っても社会福祉や市民の権利の保障については同盟側の方が帝国よりも進んでいた。リヒターやブラッケ達にとって同盟領は改革をするという面白味の無い土地に見えた可能性が有る。

逆なんだ、政治風土が違うからこそ経済的な結合を図るべきだった。統治方法はある程度ケース・バイ・ケースで良い。しかし経済的に結合する事で帝国に所属していると自覚させるべきだった。そのためには皇帝の直轄領とするべきだったんだ。その方が同盟市民に対しても皇帝が自分達に関心を持っているという意識を持たせられたはずだ。市民の中にはそんなラインハルトに対して好感を持つ人間も現れただろう。

文官達もラインハルトが関心を持っているとなれば自然と関心を持ったはずだ。そうなれば帝国の政策も経済交流を促進させるようなものになった可能性が有る。新領土総督なんて作ったら市民からは部下に任せて自分は無関心かと不満が出ただろうし文官達からも俺には関係ないとそっぽを向かれただろう。

百五十年間戦争をしていた、交流は全くなかった。その所為で帝国、同盟両国の人間に交流を図ると言う考えが希薄になっていた。その手の意識が有るのはフェザーン人なのだがフェザーン人は帝国でも同盟でも拝金主義者と蔑まれ信用が無い。その所為で新帝国統治に関われなかった。経済的な結合は図れずじまいだっただろう……。ラインハルト崩御後のヒルダは苦労しただろうな、彼女も経済に関しては関心が低い、帝国は本当の意味で一つになれたのかどうか……。

「親っさん、どうされました、難しい御顔をされて」
「……テオドラ」
誰かと思えばドミニク・サン・ピエールだった。もっとも俺がテオドラの名前を贈った以上、黒姫一家ではテオドラ以外の呼び名は許されない。彼女は俺の執務机の前に立っている。ちなみに俺が今居るのは自治御領主府の執務室だ。元々はルビンスキーの仕事部屋だな。以前もこんな風にルビンスキーの前に立ったのかな。

「悩み多き年頃なんです」
俺の言葉にテオドラが微かに苦笑を漏らした。
「おかしな話ですね、今宇宙で親っさん程満足されている方は居ないと思っていましたけど」
今度は俺が苦笑した。

「今は良いですけどね、一年後には地獄になる」
「……地獄、ですか」
「ええ、……私の心配が何か、分かりますか?」
俺の問いかけにテオドラが少し考えてから頷いた。

「……一年後には宇宙は統一され戦争が無くなります。しかし企業は戦争を前提にした企業活動を行っている。このままでは利益を上げられなくなる……、違いますか?」
テオドラは分かっている……。
「その通り、企業は何を作り何を売るべきなのか、生き残る道を探さなくてはならない」

戦争は膨大な物資を消費する。人が死ぬことを除けば企業にとっては大変有難い国家事業と言って良い。その国家事業が百五十年続いた、企業はどっぷり戦争に漬かっている、それによって利益を出してきた。企業の事業計画は戦争有りきのものだろう。だがそれが通用しなくなる……。

テオドラが思慮深げな目をしている。
「帝国も同盟も大変ですね」
「どちらかといえば同盟の方が厳しいでしょうね。統一されれば軍が解体されることになります。失業者があふれる事になる、そこに軍事産業の不振……。景気悪化は避けられない」
「なるほど……」

同盟の企業は現時点でも不景気感を感じているはずだ。何と言っても宇宙艦隊が二個艦隊しかない、大口ユーザーが帝国領侵攻以来激減しているのだ。宇宙艦隊の再建は国防問題だけじゃない、経済問題でもあるだろう。だが統一後はそれがゼロになる……。

「大規模な経済振興策、景気高揚策が必要になるでしょう」
俺の言葉にテオドラが首を傾げた。
「ローエングラム公はその辺りを理解しているのでしょうか」
うーん、そうだよな、その辺りがどうも頼りないんだ。

「ボルテック弁務官は理解していると思いますが……」
理解はしているだろうが彼はフェザーン人なんだよな。ラインハルトに対する影響力は決して大きくは無いだろう。バックアップする必要が有るだろうしリヒターやブラッケにも声をかける必要が有る。ウチの中でも対策チームを作るか……、トップはテオドラが良いかな。後でアンシュッツと相談してみるか……。

「困ったものですね、頂点になる人が理解していないと言うのは」
テオドラが苦笑している。俺も笑いたかったが真面目に答えた。
「良いのですよ、理解していなくても。頂点に立つ人は目標を示せば良い。色々な問題は周囲の気付いた人間が対策を考えてトップに示せば良いんです。頂点が問題を理解してしまうと困難さを感じて目標が小さくなる。それでは詰まらない、そうでしょう?」

テオドラの苦笑が更に大きくなった。
「親っさんの欠点が分かりましたわ」
「……」
「ローエングラム公に甘い事です。トップを甘やかすのは良くありませんわね」
「……宇宙を統一して新しい王朝を作ろうなんて突拍子もない事を考えるのは彼ぐらいのものです。楽しませてくれるんですから少しぐらい甘くても良いでしょう。そう思いませんか?」

テオドラがクスクスと笑いだした。
「向こうは親っさんの事を必ずしも好んではいないようですが」
「素直じゃないんです、まだ大人になりきれない、子供なのですよ」
「まあ」
「だからついつい構いたくなる、可愛いですからね」

テオドラが今度は声を上げて笑い出した。
「困ったものですわね」
「ええ、困ったものです」
「ローエングラム公も親っさんも、二人とも子供で。しかも二人ともその事に気付いていない、本当に困ったものですわ」
「……」

さて、景気の悪い話ばかりしていると気が滅入るな。気分転換に外にでも出てみるか……。せっかくフェザーンに来たんだ、あそこに行ってみよう……。



帝国暦 489年 7月24日   フェザーン ドラクール   ボリス・コーネフ



「ようマスター、景気はどうだい」
本気で問い掛けたわけではない、ここには三日と空けずに通っている。俺の問いかけにマスターは肩を竦める仕草をした。分かっているだろう、そんなところかな。

「あんまり良くないな。日々客が減っている。あんたが酔って管を巻いていたのが懐かしいよ。あの時は大勢いたからな」
「悪かったな、管を巻いて」
黒姫が攻めてきた時の事だな。口の悪い親父だ。俺が顔を顰めると微かに笑みを浮かべた、口だけじゃなく性格も悪い。

店には古い歌謡曲が流れていた。十年前に人気のあった歌手の歌だ。だが余り人のいない店にはその曲が良く似合っていた。振付の華やかな賑やかな曲、いや似合っていないのか……。カウンター席に座りブラックルシアンを頼む。マスターは黙ってウォッカとコーヒーリキュールを用意した。

曲が変わった頃、ブラックルシアンが出てきた。次も同じ歌手の歌だ、ずっとこいつの曲が続くのだろう。一口飲む、コーヒーリキュールの香りが鼻腔をくすぐる……。
「独立は諦めたのかい、コーネフ船長」
嫌味かと思ったがそうでもない様だ。こっちに向けた視線には棘も無ければ冷やかしの色も無い。

「……難しいな。……黒姫の奴、銀行と輸送会社を押さえちまってる。それにエネルギー会社もだ。おまけに帝国と同盟のデカいところも押さえてるんだ。下手に逆らうと簡単に潰されるだろう、えげつない野郎だよ……。皆現状に不満は有るがどうしようもない、そんなところかな」
俺の言葉にマスターが頷いている。もっとも俺の言った事など既に他の誰かから聞いて知っていただろう。

同盟のレベロ議長も黒姫には及び腰だ。黒姫が取得した株を無効にするかと思ったが結局は何もしなかった。ヴァンフリート割譲条約も破棄していない。同盟がもたない事は皆が分かっている。同盟政府は黒姫を怒らせて同盟滅亡後に報復を受けるのを恐れているらしい。イゼルローン要塞を攻略しフェザーンを占領した黒姫はローエングラム公以上に危険視されている。

「ここに帝国が都を遷すって話は聞いているか?」
マスターがボソボソと話しかけてきた。
「ああ聞いている。その事も皆の士気を挫いてるよ。ここが帝都になるなら今以上に繁栄するだろうってな」
俺の言葉にマスターが黙って頷いた。

なんとも遣り切れない思いだ、……溜息が出た。ブラックルシアンをもう一口飲む。……失敗だったな、他の奴を頼めばよかった。甘い香りが切なくなる……。音楽も良くない、昔を思い出すぜ、古き良き時代を……。
「ボルテックも帝国に付いちまったしな」
「ああ、新帝国が出来たら尚書閣下と呼ばれるらしい、目出度い事だ」

マスターの言う通り、全く目出度い話だ。ボルテックは帝国に寝返りルビンスキーは黒姫に捕まった。ルビンスキーは愛人に愛想尽かしされていたらしい、しかも噂じゃ一年以上前からだとか。全く情けない話だぜ。黒狐なんて呼ばれていたが何の役にも立たない、あんなのがフェザーンの自治領主とは……。滅びるのも当然か……。

店の中を見回した。まだ早い時間の所為だろう、客はそれほど多くない。店の中は壁際にはテーブルとイス、中央にはカフェテーブルが十個置かれている。十人程いる客が二、三人ずつカフェテーブルで飲んでいるだけだ。腰を落ち着けて飲む客ではない、一杯ひっかけて直ぐ出て行くのだろう。

「マスター、見かけない奴ばかりだな」
「最近来るようになった。帝国辺境の訛りが有る」
「じゃあ……」
マスターが頷いた、黒姫一家の連中か……。まさか俺達を探っている? さっきまでの会話の内容を思い返した。拙い事を喋ったか、いや音楽もかかっている、大丈夫だ……。

「スパイか?」
小声で話しかけるとマスターがフッと笑った。笑いごとじゃないんだがな。
「いや、ただの客だ、安心していい。あんたが来るちょっと前に来た」
「全員?」
マスターが頷く。安心して良いと言われても落ち着かない。その内“ちょっと良いですか”なんて強面の海賊に腕を取られて連れ去られそうな気がする。そうなったら生きて帰って来られるかどうか……。

「悪い客じゃないさ、大人しく飲むだけだからな。海賊の悪口を言っても多少の事なら知らん振りをしているよ。だがしつこくするなよ、二日前、それが原因で若い連中とトラブルになった」
「それで」
俺の問いかけにマスターが微かに笑みを浮かべた。

「ブラスターを喉に突きつけて終わりさ。……喧嘩はするな、どうしてもやるときは必ず殺せ、黒姫にそう言われているらしい。若い連中が慌てて詫びを入れて終わった。それ以来連中にちょっかいを出す奴はいない」
「怖い連中だな」
マスターが肩を竦めた。

店にまた一人客が入って来た。こいつも見ない顔だ、小柄でまだ若い、サングラスをかけている。店の中を見渡していたが俺の方に向かって歩き出した。武装している、レッグホルスターにブラスターが見えた。どうやら海賊らしい。まさか、俺を捕まえに来たんじゃないよな。マスターを見たが彼も困惑している。

「隣、良いですか」
柔らかく温かみを帯びた声だ、一瞬だが女かと思った。席は他にも空いている、それをわざわざ俺の隣に来た……。帰りたくなったが今席を立ったら不自然だ、もう少しここに居るしかない。

「どうぞ」
「どうも、では失礼します」
俺が応えると男は礼を言ってから隣に座った。礼儀正しい男だがその事が余計に不気味さを感じさせた。男は店の中を興味深そうに見ている、酒場が珍しいのだろうか? 慣れていないのかもしれない。男の言葉に訛りが無かった事に気付いた、海賊じゃない? だから俺の隣に来たのだろうか、海賊なら仲間の所に行くはずだ。

「黒姫一家の人、じゃないよな?」
「いえ、黒姫一家の人間ですよ」
一縷の希望も虚しく潰えた。あの連中と同じか、どうして連中の所に行かないんだ、そう思って視線をカフェテーブルの有る店の中央に向けた。はて、なんかこっちを見ている奴が居るな、さりげなく視線を外している。やっぱり狙いは俺か?

「お客さん、お飲み物は?」
「……ミルクを、氷を入れてください」
「……」
その言葉にマスターが呆れた様な顔をした。ま、ここでミルクは無いよな。半分自棄だ、言ってやるか。

「ここは酒場だぜ、ミルクは無いだろう」
俺の言葉に男はクスッと笑った。
「確かに酒場ですが、ここはフェザーンですよ。金を払えば客が望むものは用意する、そうじゃありませんか?」
おいおい、言うじゃないか。マスターを見ると肩を竦めている。グラスを取り出した、どうやら用意するらしい。

出されたミルクを男は美味しそうに飲み始めた。妙な奴だ、何だって酒場でミルクを飲むのか……。眺めていると男が話しかけてきた。
「独立商人? 船長ですか?」
「ああ、ベリョースカ号の船長だ」
「……」

男がグラスをテーブルに置き俺に視線を向けてきた。そんなにじっと俺を見るなよ。他人を不安にさせるようなことはするもんじゃないぜ。
「仕事は決まりましたか?」
さっきまでと違う、幾分低い声だ。ちょっと危険な感じがした。
「同盟の弁務官府の人間をハイネセンにまで送る事になった。その後はしばらく向こうに居るつもりだ。向こうは今大騒ぎだからな、色々と仕事が有りそうだ」

男がまた俺をじっと見た。サングラス越しでも分かる、強い視線だ。そしてフッと笑いを漏らした。ゾクっとするものが背筋を走った。
「ヤン提督と会うのでしょう? コーネフ船長」
「……お前、誰だ?」

俺とヤンの事を知っている! それに俺の名前も! この男が俺に近づいたのは偶然じゃない、やはり俺は黒姫一家にマークされている……。周囲の海賊を見た、皆が俺の方を注視していた、今度は視線を逸らそうとしない。さっきまでとは店の空気が明らかに違った、痛いほどに強張っている。マスターがゴクッと喉を鳴らす音が聞こえた。

「ヤン提督を、同盟を利用してフェザーンの独立を考えているなら無駄ですよ。帝国と同盟を戦わせてその中間で利益を貪る、そんなふざけた独立は許しません。フェザーンの自由と繁栄、その陰でどれだけの人間が死んだと思っているのです」
「……」
サングラスで目は見えない、しかし男の口元には冷ややかな笑みが有った。おそらく目は口元以上に冷えているに違いない……。

「ヤン提督に伝えて貰えますか。そろそろ戦争を終わらせる時が来たと、民主共和制に囚われて詰まらない事はしないでくれと」
静まり返った店に男の声だけが流れた。
「……お前は、誰だ?」
掠れる様な声で発した再度の問いかけにも男は答えない、黙ってミルクの入ったグラスを見ている。口元の笑みは未だ残っている、震えが来るほどの恐怖が俺を襲った。

「戦争をしないで済む時代がようやく来るんです。邪魔をするのは許さない、そう伝えてください」
そう言うと男はグラスのミルクを一気に飲み干し“勘定を”と言って五百フェザーンマルクをカウンターの上に置いた。そして驚く俺とマスターを無視して席を立つ。

男が席を立つとカフェテーブルの男達が無言のまま近づいてきた。
「もう宜しいんですか」
「ええ、十分に楽しめました。行きましょうか」
男の声に海賊が三人、先に立ってドアの外に出る。そしてその後を男と男を囲むように歩く海賊達が出て行った。

「マスター、あの男は……」
「ああ、多分、あの男だろう」
お互いに顔を見合わせた。敢えて名は言わない、言う事が怖かった。あれがそうなのか、冷ややかな刃物のような笑み……。何時の間にか曲が変わっていた……。




 

 

第三十二話 その始まり




帝国暦 489年 9月10日   オーディン  宇宙港  テオドール・アルント



オーディンの宇宙港の到着出口は大勢の人間で溢れていた。しかし喧騒は殆ど無いと言って良い、有るのは物々しさだけだ。
「凄いですね、これ」
俺の言葉にリスナー所長が無言で頷いた。表情が厳しい、かなり緊張しているのが分かった。

親っさんがオーディンに到着した。先々月、親っさんはフェザーンを占領したが後をロイエンタール、ミッターマイヤー提督に引き継ぐとこのオーディンにやってきた。リスナー所長は俺の他に三十名程で出迎えているんだが宇宙港の到着出口は軍人、それと明らかに警察関係者と分かる人間で溢れている。どうやら親っさんの警備のために動員されたらしい。おかげで一般の利用者は怯えた様な表情をしている。

「まあ親っさんは帝国の重要人物だからな。もしもの事が有ったら帝国はとんでもない騒ぎになる。政府の連中もそれを分かっているから警備をしているんだろう。内心では面白くないと思っているかもしれないがな」
「そうですね」
「それに一兆帝国マルク相当のお宝も有る」

所長の言う通りだ。親っさんは帝国、フェザーン、同盟の主要な企業を押さえイゼルローン、フェザーン両回廊を使って物を動かしている。経済の世界じゃ親っさんを超える人間など居ない。実際独立心の強いフェザーン商人達も親っさんの前では大人しくしている。敵対すれば金融、物流の面で圧力をかけられ潰されると思っているのだ。

次の遠征ではフェザーンが後方支援の基点としてどれだけ役に立つかが遠征の成否のカギを握ると言われている。帝国軍にとっては親っさんは間違っても失う事は出来ないし敵に回す事も出来ない存在だ。親っさんは次の遠征に参加するが、その事が帝国軍をどれだけ安心させている事か……。多分親っさんもその辺りを考慮して参加する事を決めたのだろう。

所長の厳しい表情は先程から少しも変わっていない。例のキュンメル男爵の一件以来、リスナー所長の仕事に対する姿勢は一段と厳しくなった。所長だけじゃない、俺達皆が以前にもまして精力的に仕事に取り組んでいる。あの一件はオーディン駐在の黒姫一家の人間にとっては大きな衝撃だった……。

フェザーンの陰謀を潰して意気の上がっていた俺達にとっては晴天の霹靂だった。自分達の知らないところで地球教がローエングラム公の暗殺を企み、それによって黒姫一家にもダメージを与えようとしていた。そして親っさんがそれを密かに調べていた……。

親っさんからは海賊屋敷を動かせば地球教、フェザーンに警戒されかねない、相手を油断させるためにやむを得なかったと言われたがそれでもショックだった。本来なら親っさんが動く前に自分達が気付いていなければならなかったのだ。まだまだ甘い、そう言われているようなものだ……。

リスナー所長が俺達に視線を向けた。緊張しているのが分かる、少しほぐした方が良いだろう。
「そう言えばウルマンが一兆帝国マルク相当の貴金属なんて見るんじゃなかったって言ってました」
「ほう、なぜかな。見たくても見られるもんじゃない、良い思い出になると思うんだが……」
不思議そうな表情だ。

「夢に出るそうです、悪夢だって言ってましたよ」
リスナー所長が微かに笑った。良かった、少しはリラックスできたかな。
「アルント、気を遣わせて済まんな」
「所長……」
所長が俺を見ている、ばれてたか……。

「アルント、俺は大丈夫だ。それより集中しろ、あの連中を当てにするんじゃない。親っさんの警護は俺達の仕事だ」
「はい」
所長の言う通りだ、詰らない事を考えるな。親っさんの身は俺達が護るんだ、あの連中の前で無様な姿は見せられない。

十五分ほど経った時だった。誰かが
「親っさんです!」
と声を上げた。間違いない、親っさんは隠れてて見えないがアンシュッツ副頭領、キア、ウルマン、ルーデルが見える、それにメルカッツ提督。女性が一人一緒に居るな、あれがテオドラか、イェーリングの話じゃかなり厄介だって聞いているけど……。リスナー所長の表情が一段と厳しくなった。困ったもんだ、親っさんの周囲には二十人程度しかいない。相変わらず親っさんは小人数で動く。

大体このオーディンには十隻程度の小艦隊で来た。他は皆辺境に戻してしまったのだ、無防備にも程が有る。本来なら最低でも百隻は護衛に欲しいところだ。どうも親っさんは自分の事に関して無頓着に過ぎる、或いは大袈裟にされるのが嫌いなのか……。

親っさん達が出口に近付く、そしてその周りを政府の警護の人間が固めている。俺達も親っさんを迎えるために出口に近付いた。政府に護衛される海賊か……。また噂になるな、新たな伝説の誕生だ。

「親っさん、御苦労様です」
「御苦労さまです!」
リスナー所長の声に続いて俺や他に迎えに来た人間が挨拶した。親っさんが微かに笑みを浮かべて頷く。多分苦笑だろうな、親っさんはこういうの苦手だから。

「待たせましたか、リスナー」
「いえ、それほどでは。それよりも不用心です、もう少し警護の人数を増やしてください」
リスナー所長がアンシュッツ副頭領に視線を向けた。どうやら所長は親っさんではなく副頭領に言っているようだ。副頭領もそれが分かったのだろう、苦い表情を浮かべた。

「親っさん、リスナーの言う通りです。不本意かもしれませんが周りを安心させるのも頭領の仕事です」
「その通りです、地球教、フェザーンが親っさんを狙っているという情報もあるんです。政府もそれを知っているからこんなにも警戒しています、もう少し注意してください」
アンシュッツ副頭領とリスナー所長の言葉に親っさんが困ったような表情を見せた。副頭領と所長の顔を交互に見る、二人とも厳しい表情だ。親っさんが一つ溜息を吐いた。

「エーリッヒ!」
突然親っさんを呼ぶ声が聞こえた、親っさんをファーストネームで呼ぶ奴は俺の知る限り三人しかいない。ナイトハルト・ミュラー大将、アントン・フェルナー国家安全保障庁長官、ギュンター・キスリング国家安全保障庁副長官だが一体誰だ?

「ギュンター、ギュンター・キスリング!」
親っさんが近づいて来る男に嬉しそうに声をかけた。ギュンター・キスリング国家安全保障庁副長官か……、一度話したことがあるが悪い印象は無かった。副長官も表情に笑みを浮かべている。親っさんの表情が明るい、内心助かったと思っているのかもしれない。

「不用心だな、エーリッヒ。そんな小人数で来る奴があるか」
「やれやれ、今それで二人に怒られていたところだ。卿までそれを言うのか」
親っさんが肩を竦めると副長官が声を荒げた。
「当たり前だ! その二人のいう事は正しい。地球教、フェザーンが卿を殺そうとしているという情報が有るんだ。連中の恐ろしさは卿が一番よく分かっているだろう」

副長官が厳しい表情をしている。どうやらさっきまでの笑みは怒りを押し殺していた笑みらしい。親っさんがアンシュッツ副頭領とリスナー所長に視線を向けると二人が副長官の言葉を肯定するかのように頷く。親っさんは溜息を吐いてからキスリング副長官に視線を向けた。
「分かった、次からは気を付ける。それで、何の用だ? 護衛だけのためにここに出張ってきたわけじゃないだろう。貴金属は既に引き渡したよ」

「迎えに来たんだ、ローエングラム公が卿に会いたいと言っている」
親っさんが目を見開いた。
「おやおや、三枚目の感謝状でもくれるのかな。まあ今回は良い仕事をしたからそのくらいは有ってもおかしくは無いか……」
副長官が顔を顰め、皆は苦笑を洩らした。そんな事は天地が引っ繰り返ってもまずあり得ない。

「フェザーンの状況を確認したいそうだ」
「ロイエンタール、ミッターマイヤー提督から最新の状況報告は届いているだろう。私の情報などカビが生えているよ、意味が有るとは思えないね。……感謝状をくれるなら行っても良いけど」
親っさんがニコニコ笑みを浮かべると副長官が溜息を吐いた。

「ローエングラム公は卿から直接聞きたいと言っているんだ。感謝状は自分で交渉するんだな」
「気前が良くないのがローエングラム公の欠点だ。なんなら国家安全保障庁からの感謝状でも良いよ、私達は随分と卿らに協力したと思うんだけど」
副長官がじっと親っさんを見詰めた。親っさんは相変わらず罪の無い笑顔でニコニコしている。

「諦めろ。さあ、行くぞ」
「……上がケチだと下までケチになるな、親友なのに紙切れ一枚出さない……」
親っさんがぼやくと副長官がまた溜息を吐いた。親っさんの親友って結構大変だよな、おまけにローエングラム公の部下なんだから……。



帝国暦 489年 9月11日   オーディン  ゼーアドラー(海鷲)  アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト



「ようやくこうして酒を酌み交わす事が出来ました」
「確かに……、一度は亡命を試みた事を思えば不思議ではあるな」
メルカッツ提督の言葉に俺は無言で頷いた。不思議ではある、亡命が成功していれば戦場で殺し合う事になっただろう。いや、あの時俺自身処刑される事も有り得たのだ。今こうして酒を酌み交わしているのは不思議としか言いようがない。

「皆がメルカッツ提督と話したがっていますよ。でも今日は私に譲ってくれました」
「……気を遣わせたようだな」
賊軍としてローエングラム公と戦った。不本意な戦いだった、最後まで自分の思う様な戦いは出来なかった……。その事が何処か胸の奥で澱んでいる。

おそらくは閣下も同様だろう。その事がローエングラム公に素直に従えなかった理由のはずだ。俺のように割り切ることが出来なかった……。黒姫の頭領はそれを察していたな、その上でローエングラム公に閣下を預かると申し出た。冷徹なだけではない、情もあるようだ……。

「昨日は御家族と一緒だったのでしょう、御元気でしたか」
「元気だった。だが心配したのだろうな、妻は少し痩せた様だった……」
「そうですか」
「……亡命しないで良かったと思っている、戻ってきて良かったと……」
「……」
誰に聞かせるでもない、呟く様な声だった。話題を変えた方が良いだろう。

「辺境は如何でしたか?」
俺の質問にメルカッツ提督が微かに笑みを浮かべた。どうやら話題を変えた方が良いと思ったのは俺だけでは無い様だ。閣下がグラスを口元に運び一口ウィスキーを飲んだ。閣下も俺もウィスキーをロックで飲んでいる。

「活気が有るな、オーディンの様に発展してはいないが活気が有る」
「オーディンも改革が始まってからは活気が有ると思いますが」
「辺境はそれ以前から活気が有った」
「なるほど」
辺境は辺境にあらず……、メックリンガー提督が言っていたがどうやら本当らしい。疑うわけではないが実際に辺境に居たメルカッツ提督の言葉に改めてそれを実感した。

「メルカッツ提督は黒姫の頭領をどう見ました?」
「気になるかな、ファーレンハイト提督」
ちょっとからかう様な口調だ、思わず苦笑が漏れた。
「気にならない人間など居ないでしょう」
「皆が私に会いたがっているのもそれが理由か」
「それだけではありませんが……」
メルカッツ提督が軽く笑い声を上げた。ふむ、機嫌は悪くないようだ。

「卿らはどう見ているのだ」
「皆の話では最初は極めて冷徹で強か、そう見ていたようです。しかし最近では何とも言えない怖さ、不気味さを感じると……。何処か我々とは違う、そう見ています」
閣下が頷いた。

「普段は何処にでもいる穏やかな若者だ。書類仕事をしているところは黒姫と異名を付けられる海賊には見えん」
「……」
「しかし卿らが感じた様に時折ヒヤリとするものを感じる時が有る。まるで鋭利な刃物を突き付けられた様な感触、と言えば良いのか……」
閣下はもう笑みを浮かべてはいない。

「部下達は黒姫の頭領を怖いとは思わないのですか」
「もちろん怖いと思っている。しかし海賊の頭領はそのくらいでないと務まらない、そう思ってもいるようだな」
「……」
俺が無言でいると閣下が軽く笑い声を上げた。

「海賊の世界と言うのは実力の世界だ。彼らは強く賢明な頭領を望んでいる。弱い頭領、愚かな頭領ではあっという間に組織は衰退するからだ。そして強く賢明な頭領を得た組織はその勢力を増大させていく」
「なるほど、黒姫の頭領ですな」
閣下が頷いた。

「その通り、黒姫の頭領は僅か数年で弱小組織を帝国屈指の組織にまで成長させた。どの組織も黒姫一家と正面から敵対しようとはしない。それを許さないだけの財力、戦闘力を保持している。黒姫の頭領こそ頭領の中の頭領だろう。部下達は皆心服しているよ」
海賊だけでは無い、我々だって彼を敵に回す事が危険だと言う事は理解している。地球教やフェザーンがどうなったか、それを見れば考えるまでもなく分かる事だ。

「十七歳で頭領になったと聞きましたが反対する人間は居なかったのですか?」
「居なかったと聞いている」
「……」
「聞きたいかね、彼が頭領になったいきさつを」
閣下が悪戯っぽく笑みを浮かべた。

「御存じなのですか?」
「元々黒姫一家は根拠地を持たない弱小組織だった。辺境に根拠地を持とうと提案したのが黒姫の頭領だった。当時は未だ頭領では無かったがね」
「……」
「先代の頭領はそれを受け入れ組織は辺境を根拠地とした、そして少しずつ安定するようになった。だがそれに反発する人間も居た。何と言っても辺境は貧しかった、将来への展望を見いだせない人間も居たのだろうな」
閣下がグラスを口に運ぶ、俺も一口ウィスキーを飲んだ。

「確か組織の№2がクーデターを起こそうとした、そう聞いていますが」
「その通りだ。それを防いだのが黒姫の頭領だった」
「……」
「№2がクーデターを起こそうとしている、頭を痛めた先代頭領に暴発させて一気に片を付けようと提案したそうだ」
閣下がまた一口ウィスキーを飲んだ。

「№2は強い男ではあったが粗暴な男だった。黒姫の頭領は彼の部下達に彼が頭領になれば消耗品扱いされる、長生きは出来ないと説得したようだ。結局、殆どが寝返った」
「それで終わりですか」
俺の言葉に閣下が首を横に振った。違うのか……。

「寝返らせた連中に№2を唆せた。“貴方こそが頭領になるべきだ、自分達はそれを望んでいる”、そう言わせた」
「それは……」
「時期尚早と言って反対した人間も居た、№2の本当の味方だな。だがそれらの人間は臆病者として排除された、そういう風にしむけた……。№2がクーデターを起こした時、彼の周りに味方は居なかった。味方だと思った部下達は皆、彼に銃を突きつけた……」

しんと冷えた様な沈黙が落ちた。周囲には人も居る、ざわめきも聞こえるがここだけは別世界のようだ。
「……彼は未だ十七歳でしょう?」
声が掠れた、閣下は無言だ、答えようとしない。十七でそこまでやるのか……。非情、冷酷、敵も味方も震えあがっただろう。

「取り押さえられた№2に黒姫の頭領が自分が全てを仕組んだと言ったらしい。そして一発だけ撃てるブラスターを渡した……、人として死ぬか野良犬のように始末されるか、好きな方を選べと……」
「……自殺したのですね」
閣下が頷いた。また思った、冷酷、非情……。

「何故そんな事をしたのか、先代の頭領に問われて黒姫の頭領はこう答えたそうだ。“試したかった”、とね」
「試したかった、ですか……、一体何を……、それにしても危うい事をする」
何を試したのだろう、運か、それとも海賊としての覚悟か……。眩暈がしそうだった、振り払うかのように頭を振った。

「平然としていたそうだな、№2が自殺を選択した時も顔色一つ変えずに見ていたらしい。……黒姫一家にヴィルヘルム・カーンという老人が居る。彼が言っていたよ、“あの時、次の頭領は決まったと思った。自分だけじゃない、皆がそう思ったはずだ”、とな」
「……」

「クーデター事件の一ヶ月後、頭領が急死した。遺言は黒姫の頭領を後継者にと言うものだった。誰も反対しなかったそうだ。海賊になって一年足らず、十七歳の頭領が誕生した、前代未聞だな。しかし今では黒姫一家は帝国でも屈指の海賊組織になっている」
「……」
試したのは頭領としての器量かもしれない。黒姫の頭領はそうは思わなかったかもしれないが皆はそう思っただろう。

「カーンが言っていたよ、“死にたくない、死ねない”と。黒姫の頭領が何処まで行くのか、何処に行くのか、見届けたいそうだ」
「……閣下は如何お考えです」
俺の問いかけに閣下は少し考え込んだ。

「そうだな、私も見てみたいと思っている。今ならカーンの気持ちが良く分かる、……私も海賊になったかな」
「それは困りましたな」
閣下が苦笑を浮かべている、多分俺も同じだろう。

「次の戦いでは参謀長として補佐する事になりますが……」
「勝ち戦なら前に出ないそうだ、負けそうになったら出ると言っていたな」
「では出番は有りませんな」
戦力比は圧倒的だ、まず負ける事は有りえない。だが閣下は首を横に振った。

「そう思うか……。しかし黒姫の頭領が無駄になる事をした事は無い。今度の戦いは予想外に苦戦するかもしれん。油断は禁物だ……」
「……」
何となく破滅した№2の事を思った。彼も破滅するまでは自分の勝利を疑っていなかっただろう、楽観は消えさり嫌な予感だけが残った……。


 

 

第三十三話 伝言


帝国暦 489年 9月12日   オーディン  アルベルト・マイヤー



「マイヤー所長、どうですかね」
「まあ今の所は悪くは無いな。俺はそう思うぜ、ホルツ」
俺の答えにヴィリー・ホルツは満足そうな笑みを浮かべた。困った奴だな、目先の事ばかりに気を取られてやがる。俺が“今の所”と言った事に何の注意も払っていない。

「何と言っても十五万隻の大艦隊ですからね。前代未聞でしょう」
「そうだな」
「親っさんもホッとしてるでしょうね」
「……今のところはな」

確かにブラウンシュバイクにいる親っさんもホッと一息だろう。十五万隻の遠征軍の物資調達のためオーディンに有るワーグナー一家の事務所は大忙しだ。当然だが所長である俺も大忙し、所員のホルツも同様だが問題はその後だ。遠征が終わっちまったらどうすれば良いんだ? また頭の痛い状況になる。

内乱以降、なかなか景気が良くならない。改革が進んで平民達の間に解放感、期待感は高まっているんだが経済は今一つだ。何と言っても実際に物を消費していたのは貴族だからな、連中が潰れたのは痛い。平民達も少しは豊かになってきたが購買力はまだまだ低い、不景気感満載だぜ。

多くの海賊組織がこの戦争特需で儲けている。そして俺と同じ事を考えているはずだ、この後はどうすれば良いかって……。親っさんもとんでもない時に幹事役になっちまった。こうも不景気じゃやり辛いったらありゃしねえ。唯一の救いは黒姫一家がワーグナー一家に協力的な事だな。おかげで他の組織もあまり無茶は言ってこねえ。しかしそれもいつまでもつか……。

いきなりドアが開いた。まだ若い所員が顔を見せている、この馬鹿野郎!
「ノックも無しに所長室を開けるんじゃねえ! 他人に聞かれちゃ拙い話だってする事が有るんだ」
「も、申し訳ありません」
全くなって無いぜ。こんなとこ、親っさんには見せられねえな。溜息が出そうだ……。

「何の用だ」
「それが、その」
はっきりしろ、イライラするじゃねえか。怒鳴りつけてやろうかと思っていると、つっかえつっかえ話し始めた。

「く、黒姫の、か、頭領が……」
「黒姫の頭領?」
ホルツと顔を見合わせた。
「お見えに、なっています」

「馬鹿野郎! 早く言え!」
慌てて席を立った。全く何を考えていやがる。ドアの前に立ったままの奴を押し退け玄関に向かった。
「一体何事でしょう」
話しかけてきたのはホルツだった。気付かなかったが後を付いて来たらしい。“さあな”と答えて先を急いだ。

黒姫の頭領は玄関ホールに居た。部下が五人、さりげなく周囲を確認している。あそこは敵が多いからな、警備はかなり厳しい。黒姫の頭領の周囲は腕利きが固めていると聞いた事が有るが事実のようだ。うん、一人は事務所長のリスナーか。何度か話した事は有るが結構切れる男だ。近付くと黒姫の頭領が柔らかい笑みを浮かべた。良いのかね、そんな無防備で。

「お待たせしました、ヴァレンシュタインの頭領。ワーグナー一家でオーディンの事務所を預かっております、アルベルト・マイヤーです」
「御丁寧に痛み入ります。エーリッヒ・ヴァレンシュタインです。いきなり押し掛けて申し訳ありません」
黒姫の頭領は丁寧に挨拶を返してきた。この辺りはウチの親っさんとはちょっと違うな。

応接室に案内すると黒姫の頭領はリスナーと共に部屋の中に入った。俺もホルツを同席させる。こういう時は後々言った言わないで揉める事が無いように必ず誰かを同席させる、二人だけで話さないのがルールだ。ワーグナーの親父に対する身の潔白の表明でもある、裏切ってはいないというな。

それにしても良いのかな、俺はワーグナー一家では一応幹部だが序列は九番手から十番手位、決して高い地位じゃない。本当なら黒姫の頭領と直接話すなんて許される立場じゃないんだが……。悩んでいても仕方ないな、飲み物が用意されたら始めるか。

若い所員が飲み物を持ってきた。グラスに氷の入った水が出された。ホッとしたぜ、コーヒーとか出されたら最悪だ。黒姫の頭領はコーヒーは嫌いだからな。まあこの時期なら冷たい水はおかしな出し物じゃない。念のためだ、今後はココアも用意しておくか……。

「今日はどういう御用件でしょうか」
「実はワーグナーの頭領と話がしたいのです」
「はあ」
思わず不得要領な声が出てしまった。話がしたいなら何もここに来なくても良い筈だが……。

黒姫の頭領が軽く笑い声を上げた。俺の困惑が可笑しかったようだ。
「貴方にも聞いていてもらった方が良いと思ったのですよ」
「そういう事ですか、分かりました、今用意します」
つまり俺に対する厚意って事かな、リスナーが同席してるからこれからも宜しくって事か。黒姫一家とパイプが強まるのは俺としても願ったり叶ったりだが……。

『久しいな、黒姫の』
「お久しぶりです、ワーグナーの頭領」
太い声と満面の笑み、相変わらず親っさんは元気一杯だな。そして黒姫の頭領もにこやかに応対している。全然タイプが違うんだが不思議に仲が良い。

『相変わらず派手にやっているようだな、羨ましい限りだぜ』
「恐縮です」
親っさんの言葉に黒姫の頭領が軽く頭を下げた。まあ確かに派手だよな、フェザーンを征服したんだから。

『それで、マイヤーから話が有ると聞いたが』
「はい、今度の遠征の準備で大分物が動いていると聞きましたが」
『ああ、おかげでかなり助かっている。もっとも景気が今一つと言うのは困ったもんだがな』
親っさんが顔を顰めた。黒姫の頭領も頷いている。

「その事ですが戦争が終わり自由惑星同盟を下した後、ローエングラム公は大規模な景気昂揚政策を実施するそうです」
『ほう、そりゃ大歓迎だ。しかし本当かね』
本当かね、と疑問符を付けているが親っさんの声は弾んでいる。黒姫の頭領の言葉に嘘は無いと思っているんだろう。

「帝国と旧同盟領の経済を活性化させ、一つに結び付ける事で統一をより強固なものにしよう、そう考えているようです」
『なるほどな』
「私もそれに協力する事になっています」
うん、随分とデカい話だな。しかし悪くない、いや有難い話だぜ。

『フェザーンから取り上げた企業を使うんだな』
「まあそうです」
『随分と阿漕に儲けたよな』
親っさんがニヤッと笑うと黒姫の頭領が苦笑を浮かべた。何百社って一流企業が黒姫一家のものになったんだ。阿漕としか言いようがないよな。

「その分政府に協力しないと……」
『そりゃそうだな』
親っさんがとうとう笑い出した。こういう場合、俺やホルツは困るんだ、一緒に笑うのは失礼だろうし……。立場は違うがリスナーも困った様な顔をしている。

「それとローエングラム公は宇宙の統一後はフェザーンへ遷都するそうです」
『遷都? 都を移すのか?』
「ええ」
おいおい、すげえ話だな。親っさんも唸り声を上げてるぜ。

『なるほど、オーディンよりフェザーンの方が立地は良いな。……となると俺もフェザーンに事務所を持った方が良いか』
「そうですね、統一された宇宙の中心になるのですからオーディンよりも遥かに重要性は高いと思います。向こう側に行くのも自由になりますし……」
うん、そうだな、これまで帝国で向こうと取引が出来たのは黒姫の頭領だけだった。でも今度は俺達にもそれが開放されるわけだ。こいつは大きいぜ。

『しかし都が遷るとなるとオーディンは寂れる事になるな』
親っさんが顔を顰めている。うーん、そいつは面白くないな。ウチは縄張りが帝都オーディンに近い事が強みの一つなんだ。そのオーディンが寂れるのは面白くない。

「多少はそういう事は有るでしょう。しかしオーディンは五百年間首都だった事でインフラも整っていれば産業も多く有ります。軍の重要な拠点でもある。それに景気昂揚政策は帝国内でも行われますがオーディンはその中で重要な役割を担う事になっています。余り心配はいらないと思いますよ」
黒姫の頭領の言う通りなら良いんだが……。景気昂揚政策に期待するしかないな。親っさんも今一つ浮かない顔だ。

「それより都がフェザーンに遷るとなればヴァルハラ星系は空き家になりますね」
『空き家か……、なるほど、確かにそうだな』
あれ、親っさんと黒姫の頭領が見つめ合っている。

『良いのかい?』
「ウチは辺境だけで手一杯です。それにヴァルハラはしっかりした人に押さえてもらった方が良いと思います」
『それじゃあ、ウチで頂くぜ』

え、そういう事? つまり遷都後のヴァルハラはワーグナー一家の縄張りって事が今決まったのかよ、とんでもねえ話だな。そういう事か、だから俺とリスナーが同席してるのか……。準備をしなくちゃならねえな、他が気付いて動く前にウチで準備を終わらせておく。親っさんとも頻繁に打ち合わせをする事になるだろう。忙しくなるぜ、今以上に忙しくなる……。



宇宙歴 798年 9月12日   ハイネセン  ヤン・ウェンリー



「久しぶりだね、ボリス」
「ああ、最後に会ってから十五年以上は経ったからな」
「そうなるね。良く訪ねてくれた、色々と話したい事が有るんだ」
「俺もだ、話さなくちゃならない事がある」
あの悪たれボリスが今では独立交易船の船長か……。そうなるだろうとは思っていたが、本当に船長になったのだと思うとちょっと不思議な気持ちがする。

ユリアンが紅茶を用意した後、何か足りない物が有ったら声をかけて欲しいと言って奥に消えた。
「良い子だな、ヤン」
「ああ、あの子のおかげで随分と助かっているよ」

紅茶を一口飲んだ、ボリスも紅茶を飲んでいる。カップをテーブルに置くとボリスも同じようにカップをテーブルに置いた。そしてじっとこちらを見ている。表情が硬い、緊張しているようだ。何故だ?
「ボリス、フェザーンの状況を教えてくれ。フェザーンで反帝国運動が起きる気配は無いかな」

ボリスが首を横に振りながら息を吐いた。
「難しいだろうな」
「何故だ、フェザーン人は独立不羈、他からの束縛を嫌うと思うんだが」
またボリスが息を吐いた。どうもおかしい。

「ヤン、あんたが何を考えているかは分かっている。帝国軍が侵攻した後、フェザーンで反帝国運動を起こさせる。それに合わせて反撃する事で帝国軍を撃退したい。あるいは帝国軍に同盟領侵攻そのものを断念させたい、そんなところだろう」

ボリスの言葉にうなずいた。
「そうだ、上手く行けばフェザーンの独立も可能かもしれない」
騙すつもりは無いが可能性は低いだろう、だがゼロではない……。ボリスがカップを取り上げ一口飲んだ。表情は苦い、ボリスも可能性の低さを思ったのだろうか……。

「あんたが考えた事は俺も考えた。そして他にも同じ事を考えた奴が居る」
「どういう事かな」
嫌な予感がした。誰かが何かをしたという事か、フェザーンを押さえる何かを……。ボリスが微かに嗤った。笑ったのではない、確かに嗤った。

「黒姫さ、同盟の優良企業が黒姫の物になっただろう、それと同じ事がフェザーンでも起きている。黒姫は銀行、輸送会社、エネルギー会社を押さえているんだ。フェザーンは船乗りの国だ。下手に騒げば黒姫に圧力をかけられて船を出せなくなる。皆それを恐れている」

溜息が出た。帝国軍を同盟領奥深くに引き摺り込んで補給を断つ、そこにフェザーンで反帝国運動が起きれば、そう思ったのだが……。こちらの狙いを未然に断ってきたというわけか……。黙っているとボリスが言葉を続けた。
「それに宇宙の統一後、帝国はフェザーンに遷都するという噂が有る」
「遷都?」
遷都か……、確かに有り得ない話じゃない。しかし……。

「その噂だけど出所は何処かな?」
「黒姫一家らしい」
「それは……」
罠だと言おうとしたがボリスが手を振って止めた。

「分かっている、こちらを押さえるための噂かもしれない。しかし考えてみれば有り得ない話じゃない、そうだろう」
フェザーンの位置を考えれば十分有り得る話だ。フェザーンはオーディンなどより遥かに帝都に相応しい条件を持っている。

「フェザーンが銀河統一後の帝都になるなら今以上に繁栄するだろう。その事も反帝国活動を起こし辛くしている」
「飴と鞭か……」
ボリスが頷いた。表情は苦い、不本意なのだろう。
「同盟が健在ならともかく現状では反帝国運動は無謀すぎる、それよりは新帝国での繁栄を選ぶべき、皆がそう考えている」
「なるほど」

兵力だけでも圧倒的に不利なのに……、何とも嫌らしい事を仕掛けてくる。ローエングラム公が武勲第一位と評したのはこれが理由か。眼に見える武勲では無く目に見えない所で敵の力を削ぐ……。アムリッツアでこちらの補給を断ったのと同様だ。敵の力を弱め味方の勝利を得やすくしている。戦術では無く戦略面での貢献……。

「ヤン、あんたに伝言が有る」
「伝言?」
「そろそろ戦争を終わらせる時が来た、民主共和制に囚われて詰まらない事はしないでくれと。それから戦争をしないで済む時代がようやく来る、邪魔をするのは許さない……」

驚いてボリスを見た。ボリスは何処となく怯えた様な目をしている。
「それは一体……」
「黒姫からの伝言だ」
「黒姫からの……、会ったのか?」
声が掠れていた。黒姫が私に伝言を寄越した……。

「酒場で会った。偶然か、そうじゃないのか、俺には分からない。だが奴は俺達が知り合いである事も俺がお前に会いに行こうとする事も知っていた」
「……馬鹿な、どんな男だ」
私の言葉にボリスが分からないというように首を横に振った。

「五分も話したかどうか……。サングラスをしていたから目は見えなかった。だが口元には笑みが有った。冷たい笑みがな」
「……」
「怖いと思ったよ、背筋が凍るような怖さを味わった。あの男を敵に回したいとは思わない」

ボリスの声には明らかに怯えが有った。そして私も怖いと思っている。一度も会った事は無い、しかし相手は私の事をかなり知っている。何処まで、何を知っているのか。得体のしれない恐怖感が身体を包んだ……。

 

 

第三十四話 征途



帝国暦 489年  12月 6日   マーナガルム  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「黒姫の頭領、前方の先遣部隊より連絡が有りました。特に異常なしとのことです」
「分かりました、参謀長」
俺が答えるとメルカッツは自分の席に座った。参謀連中は神妙な表情で席に座っているだろう。

俺は今艦隊を率いて同盟領侵攻作戦に参加している。原作でのラグナロック作戦に該当するのだがこの世界では作戦名は無い。なんかイマイチだな、盛り上がらん。まあイゼルローン要塞はこちらに有るしフェザーンも帝国領になっている。原作ほど作戦に劇的さ、壮大さには欠けるのは確かだ。作戦名を付けるほどじゃない、ラインハルトはそう思ったのかもしれない。

帝国軍は軍を二手に分けている。一つはキルヒアイスを総司令官としてイゼルローン方面から同盟領へ侵攻する部隊。彼に従うのはケンプ、シュタインメッツ、レンネンカンプ、ワーレンの四人。五個艦隊、原作を越える約七万隻の大部隊だが主力部隊じゃない所が凄い! 七万隻の別働隊って何だよって言いたくなる。同盟軍も泣きたくなるだろうな。

主力部隊はフェザーン方面から同盟領へ侵攻する。ラインハルトの他、メックリンガー、ビッテンフェルト、ファーレンハイト、アイゼナッハ、ルッツ、ミュラー、そして俺。八個艦隊、さらにフェザーンにはロイエンタール、ミッターマイヤーの双璧が居る。彼らを入れれば十個艦隊がフェザーンに集まる事になるがメックリンガーはフェザーンで留守番らしいから九個艦隊、十二万隻を超える艦艇が同盟領を目指す。

俺の艦隊だが艦艇数は約一万五千隻、陣容は以下の通りだ。

司令官:エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
副司令官:アルフレット・グリルパルツァー中将
参謀長:ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ上級大将
副参謀長:ゾンバルト准将
作戦主任参謀:エンメルマン大佐
作戦参謀:クリンスマン少佐
情報主任参謀:ヘルフリッヒ中佐
情報参謀:ライゼンシュタイン少佐
後方主任参謀:クレッフェル少佐
後方参謀:シェーンフェルト大尉
分艦隊司令官:グローテヴォール中将
分艦隊司令官:ヴァーゲンザイル中将
分艦隊司令官:タールハイム少将
副官:コンラート・リンザー大尉
従卒:コンラート・フォン・モーデル上等兵
旗艦艦長:ヴァルケ大佐

何とも妙な艦隊編成だよな。副司令官が裏切り者のグリルパルツァーだ。まあ今度の戦いでは裏切るなんてことは無いだろうから問題は無いと思うが過度の信頼は危険だ。ロイエンタールを陥れようとしたように俺を陥れようとする可能性は十分に有る。特に何処かの馬鹿が唆せばな。オーベルシュタインか、地球教か、油断は出来ない。

しかしグリルパルツァーも困惑だろう、副司令官の自分より参謀長のメルカッツの方が階級が上なんだから。まあ俺はお飾りでメルカッツが司令官と考えればそれほどでもないかもしれん。奴にはそう言ってやったんだが問題は割り切れるかどうかだな。

それと副参謀長がゾンバルトだ。艦隊の編制表を見た時には目が点になったわ。奴はあの黒真珠の間の一件で閑職に回された。まあ一応エリートコースを歩いていたゾンバルトには屈辱だっただろう。それで雪辱の機会をとラインハルトに今回の遠征に参加を志願したらしい。ラインハルトはゾンバルトの参加は許したが条件を付けた。俺の下で働けという事だ。

こういうところはラインハルトは厳しいよな、少しは耐える事を覚えろ、そんなところか。気持ちは分かるが押付けられた方の気持ちも考えて欲しかった。トリューニヒトを押付けられたロイエンタールの気持ちがよく分かるよ。まあゾンバルトは出世欲は有るが底は浅い、それにグリルパルツァーとは違って俺の目の届く所に居る。注意すれば大丈夫だろう。

副官のコンラート・リンザーと従卒のコンラート・フォン・モーデルは自ら志願してきた。キフォイザー星域の会戦でどうやらウチの人間がこの二人を救助したらしい。その所為で二人は直接にはキルヒアイスと接触しなかったようだ。本当ならリンザーはワーレン、モーデルはアンネローゼの所に行くはずだったんだが……。

俺が追撃を止めて救助を優先しようと言った事もその時聞いたようだ。律義にも助けられた恩を返したいという事らしいがこういうのは困るんだ。恩に着なくても良い、多少遅くなってもキルヒアイスがお前達を救助したんだから。それにモーデルはアンネローゼの所に行った方が良かっただろうし……、ちょっと複雑だ。

分艦隊司令官はまあそこそこ信頼しても良いだろう。問題は司令部要員だ。……全然分からん、ラインハルトが選んだのだから或る程度の能力は備えていると思う。今までの所でおかしな行動をする奴はいない。大丈夫だとは思うのだが……、溜息が出そうだ。

ミュラーから聞いたんだが作戦主任参謀のエンメルマン大佐は士官学校で俺達と同期生だったらしい。もっとも彼は戦略科で俺は兵站科だ、あまり接点は無かったから俺が知らなくてもおかしくは無い。おまけに俺はシュターデンに睨まれていた。出世したい奴は俺には近付かなかったはずだ。昇進が遅いようにも見えるが戦闘で負傷して長期療養していたというからその所為だろう。無能が理由だとは思いたくない。

ウチの人間も来たがった。キアとかウルマンとか俺を一人にするのは心配らしい。アンシュッツも誰か連れて行けって言ってたが断った。海賊は出来るだけ戦争を避けるべきなんだ、軍人とは違うんだからな。あくまで金儲けが仕事で人殺しを仕事にするべきじゃない。

俺が海賊になって行った軍事行動は二つだ。一つはウチにチョッカイをかけてきた馬鹿な海賊を始末した事、もう一つはイゼルローン要塞の攻略戦。ああ、あとアムリッツアで補給船の拿捕も有ったな。最初の海賊の始末の時にはこっちにも死傷者が出た。遺族への見舞金、補償金とか大変だった。なにより罪悪感が酷かった。あれで戦争はすべきじゃないと思ったね。後の二つは損害はゼロだ、ホッとしたよ。

俺の乗っている艦、マーナガルムはヨーツンハイム級の三番艦だ。ヨーツンハイム級と言えばケンプの座乗艦ヨーツンハイムとレンネンカンプの座乗艦ガルガ・ファルムルがある。デカイ戦艦で帝国軍最大級の戦艦、個艦性能も最強クラスと言われている。俺のマーナガルムはどちらかと言うとガルガ・ファルムルに似ているらしい。

マーナガルムの特徴は通信機能を充実させた事、もう一つは司令部要員の席を用意させた事だ。どちらも俺が要求したんだがその辺りは同盟の艦に似ているかもしれない。海賊の俺が指揮官席に座っていて参謀連中が立っていると面白くないだろうからな。席を用意させたんだが慣れない所為だろう、皆居心地が悪そうに座っている。

マーナガルムは北欧神話に登場する狼だ。「月の犬」を意味するらしい。人間の国ミズガルズの東にある森イアールンヴィズに一人の女巨人が住んでいてこの女巨人が沢山の巨人を産んだんだが、それは皆狼の姿をしていたと言われている。天空で太陽を追う狼スコル、月を追う狼ハティもこの女巨人が生んだ狼だ。

この女巨人だがアングルボザだと言う説も有る。だとすると父親はロキで妖狼フェンリルは狼達の兄弟ということになるんだがどうもこのあたりははっきりしない。この女巨人、どうやら子供の躾が下手な女だったようだ。子供達は不幸な家庭環境で育った所為で、皆グレてしまったらしい。

女巨人が生んだ狼の中で最強の狼、つまり一番のロクデナシ、不良狼がマーナガルムだ。フェンリルより強いのかどうかは分からんが全ての死者の肉を腹に満たし、月を捕獲して天と空に血を塗ってしまう、そのため太陽が光を失ってしまうと言われている。良く分からんが日蝕の事なんだろうと思う。ロクな事をしない奴だ。

そんな名前の艦を寄こすとは嫌がらせだとしか思えない。ラインハルトからみれば俺もマーナガルムもロクな事をしないという一点で同類なんだろう。考え過ぎとは思わない、艦の横っ腹には疾走する黒い狼の絵が描いてある。ラインハルトの命令だそうだ。

フェザーンには月末頃に着くだろう。新年のパーティをしてから同盟領に侵攻する事になっている。この辺は原作と同じだな。地球教がテロとか仕掛けなければ良いんだが……。さて、この先どうなるか、ハッピーエンドに向かってはいるがハッピーエンドで終わるかどうかはまだ分からない……。



帝国暦 489年  12月 9日   マーナガルム  コンラート・フォン・モーデル



艦隊はフェザーンに向かっている。今のところは特に問題は無いらしい。もっとも帝国領内を航行しているだけだから当たり前の事だけど。黒姫の頭領は指揮官席に座って宇宙空間を映しているスクリーンを見ている。そして参謀長を始め司令部要員は指揮官席の後ろに用意された席に座っている。

指揮官席の後ろには席だけじゃない、打ち合わせが出来るようにテーブルも用意されている。必要とあれば頭領は指揮官席を回すだけで参謀長達と打ち合わせが出来る。便利だと思うけど普通はテーブルも席も無いらしい。参謀達は指揮官席の周囲で直立して待機する事になっている。慣れないせいだろう、皆困っているようだ。

僕も末席に座る事を許された。楽なんだけどちょっと手持無沙汰だ。もしかすると皆もそうなのかもしれない。でもメルカッツ参謀長だけは時々ホッとした様な表情をする時が有る。やっぱり立っているのが辛いのかな。旧知のリンザー大尉にこっそり話したら大尉はクスッと笑って誰にも言うんじゃないぞ、って言われた。

リンザー大尉とはキフォイザー星域の会戦で一緒だった。あの戦いは酷かった。味方であるはずのリッテンハイム侯に攻撃されリンザー大尉は負傷、僕はどうして良いか分からずおろおろするばかりだった。そんな僕達を助けてくれたのが黒姫一家の人達だった。

海賊だから漠然と怖いのかなと思ってたけど皆優しい人達だった。その時にキルヒアイス提督にリッテンハイム侯の追撃よりも負傷者の救助を優先するようにと進言したのが黒姫の頭領だと聞いた。あれ以来リンザー大尉と僕は時々連絡を取り合っていたけど今回、頭領が艦隊を率いると聞いて二人で志願した。あの時の恩返しをしたいし、それに黒姫の頭領がどんな人か興味も有った。

頭領は不思議な人だ。有名な海賊だけど指揮官席に座っている様子は穏やかでとても海賊には見えない。本当は“提督”とか“閣下”って呼ばなければいけないんだろうけど頭領が嫌がった。そんな風に呼ばれても嬉しくないそうだ。僕なら嬉しいけどな、頭領はちょっと変わっている。

軍服も着ていない。ワイシャツとズボン、それと上着にピーコートを身につけている。多分ズボンは防寒だろう。それとレッグホルスター。キフォイザーで僕を助けてくれた人達と同じ姿だ。黒姫一家の制服なのかもしれない。レッグホルスターに収められたブラスターにはエイの皮が貼ってある。今帝国軍の高級将官の間ではブラスターにエイの皮を貼るのが流行っているらしいけど、これって黒姫の頭領の真似だそうだ。

「ミュラー艦隊から通信が入っています」
オペレータが声を上げると頭領が“スクリーンに映してください”と答えた。スクリーンに穏やかな表情の男性が映った。ミュラー提督だ。僕の席からは頭領の後ろ姿しか見えない、でも多分喜んでいるだろうな。二人は親友らしいから。

『やあ、エーリッヒ。どうかな、艦隊を指揮するのは』
「暇だよ、ナイトハルト。全部参謀長に任せているからね。指揮官というのがこんなにも楽だとは思わなかった。皆出世したがるわけだ、納得したよ」
頭領の言葉に皆が苦笑した。ミュラー提督も苦笑している。もっとも頭領の言葉は嘘じゃない。頭領は殆ど何もせずメルカッツ参謀長に全て任せている。本人は指揮官席でスクリーンに映る宇宙空間を見ているだけだ。

『申し訳ありません、メルカッツ閣下。こいつは昔から冗談が下手で……』
「いやいや、気にしてはおらんよ、ミュラー提督。指揮官とは細かい事は気にせず大本を押さえれば良い。黒姫の頭領の言う通りだと私も思う」
穏やかな口調だった。本気かな? でも頭領とメルカッツ参謀長は良い感じなんだよな。お互いに信頼し合ってるって感じで。

「ローエングラム公も大変だね、私を公の後ろに配置しその後ろに卿を置くとは……。随分と気を遣っているようだ」
あれ? どういう事なんだろう。艦隊の航行順番に何かあるのかな。確かに僕らの前はローエングラム公で後ろはミュラー提督の艦隊だけど。

『卿を御自身の後ろに置くというのは卿を信頼しているという証さ。卿の事を不安視する人間も居るからな』
頭領が笑い声を上げた。
「万一私が馬鹿げたことをしそうになったら卿が引き止めるというわけだ。責任重大だね、ナイトハルト・ミュラー提督」
頭領の言葉にミュラー提督が苦笑している。“気付いていたのか”と呟いた。驚いた、頭領の言葉は本当だったんだ。皆顔を見合わせている。

「私を公の後ろにと言ったのは公自身だろう。卿を私の後ろにと言ったのはフロイライン・マリーンドルフかな、詰まらん小細工をする」
ミュラー提督の苦笑は止まらない。多分これも本当なんだろうな。凄いや、頭領は全て見抜いている。

「公の悪い癖だな。相手を信じているという事を過剰に表現する。私人としては悪くないが公人としてはどうかな。特に統治者としては……」
『不満か、エーリッヒ』
ミュラー提督の言葉に頭領が頷いた。良いのかな、ローエングラム公の批判なんて。参謀達の中には顔を顰めている人も居る。

「付け込まれる危険性が有る。私の配下の人間を唆して公の艦隊を攻撃させようと考える人間がいるかもしれない。宇宙の統一を望まない人間、或いは私を排除したいと考えている人間、そしてその両方を望む人間……」
『……』

ミュラー提督が考え込んでいる。そうか、そういう可能性も有るんだ。この艦隊って危険なんだ、驚いたな。さっきまで顔を顰めていた人達もミュラー提督同様考え込んでいる。凄い、頭領は宇宙空間を見ながらずっとそれを考えていたんだ。

「公明正大であろうとする人間は得てしてこの手の陰謀に足を掬われがちだ。公明正大である事よりも危険を少なくして周囲を安心させる事の方が重要だろう、統治者の務めだよ。周囲を必要以上に緊張させる事に意味は無い……。この後、公に連絡するんだろう?」
『……まあ、総参謀長閣下にね』
ミュラー提督が曖昧な表情で頷いた。

「なら伝えて欲しいね、順番を卿、私、公に変えてくれと。このままでは昼寝も出来ない」
黒姫の頭領が肩を竦める仕草をするとミュラー提督が困ったような表情をした。
『ローエングラム公が後ろだが卿を攻撃すると心配はしないのか? 誰かが公の部下を唆すかもしれないぞ』
ミュラー提督の言葉に頭領が首を横に振った。もしかすると苦笑しているかもしれない。

「公は卑怯という言葉とは無縁の人だ。それを分からずに私を攻撃した人間は生きている事を後悔することになるね、それでも良ければやってみる事だ」
うわっ、頭領は怖い事を言う。司令部の要員は皆顔を強張らせているよ。
『……了解した、総参謀長閣下に伝えよう』
ミュラー提督が敬礼すると頭領はバイバイというように手を振った。それを見てミュラー提督がまた苦笑した。

通信が切れると黒姫の頭領は指揮官席を回して皆の方を向いた。
「参謀長、聞いての通りです。ローエングラム公より隊列の順番を変えると命令が有ると思います。準備をしておいてください」
「承知しました。しかし、本当にそうなりますかな」
参謀長はちょっと懐疑的だ。心持ち首を傾げている。

「さあ、何分見栄っ張りな所が有りますからね、後は総参謀長閣下の尽力に期待しましょうか」
そう言うと黒姫の頭領はクスクス笑い出した。あーあ、また皆渋い表情をしている。頭領だけだよ、ローエングラム公を笑えるのは。ハラハラしてきた……。

 

 

第三十五話 帝国暦四百九十年の始まり


帝国暦 489年  12月31日   フェザーン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



フェザーンパレスホテル、これからこのホテルの最上階にある大広間で新年を迎えてのパーティが行われる。参加者は高級士官だけなんだがもう既にちらほらと大広間には人影が有る。まあ時刻は二十三時四十分を過ぎたからな、後五分もすればどっと人が押し寄せるだろう。

フェザーンパレスホテルはホテルの格としては中の上といったところらしい。オーディンに有るホテル・ヴォルフスシャンツェに比べればかなり格下のはずだがそれほど悪いとは思えない。俺が一般庶民だからかな、それともフェザーンのホテルは全体的にレベルが高いのか……。

「黒姫の頭領、一人ですか」
声をかけてきたのはヒルダだった。軍服を着ている、下はタイトスカートじゃない、ズボンだ。元々ボーイッシュな容姿だから結構似合っている。中将を表す軍服を身に着けていた。総参謀長だからな、そのくらいの待遇は必要だろう。

「一人ですよ、総参謀長閣下。皆には適当に楽しんでくれと言ってあります。上位者の傍で酒を飲むなんて気詰まりなだけでしょう。私もしゃちほこばった軍人に囲まれていても楽しくありません。一人の方が気が楽です」
ヒルダが苦笑を浮かべた。冗談だと思ったかな、全くの本心なのだが。

「またそのような事を……。それにしても慌ただしいパーティになりそうですわ、パーティの最中に出撃する方もいますし」
「同感です、戦争なんか何時でも出来ますが新年のパーティは一年に一度きりです。どちらが大事か分かりそうなものですがローエングラム公は無粋だから……。困ったものですね」

笑いかけたがヒルダは困った様な表情を浮かべた。やれやれ、お嬢様には洒落が通じないらしい。シェーンコップやポプランなら大声で賛同しただろう。少しは奴らを見習った方が良いんだがな。真面目なだけじゃ疲れるだろう、自分だけじゃない周囲もだ。

「冗談ですよ、総参謀長閣下。そのような表情をされては困りますね」
ヒルダは表情を変えなかった。そして溜息を一つ吐いた。
「冗談なのは分かっています。ですが、それが分からない人も居るのです」
「……」
妙な事を言うな。

「頭領の事を危険視している人間も居ます、そういう人間には頭領がローエングラム公に不満を持っていると取られかねません。少し発言には注意してください」
おいおい、随分と物騒な話だな。俺の事を気に入らないという奴が居る事は分かるが俺がラインハルトに不満を持っている? 何か勘違いしてないか? 俺くらい協力している人間は居ないし今回の遠征にも参加してるんだが……。

「不満を持っている? 何の冗談です、それは? たかがパーティの事でしょう?」
「……」
「憲兵総監ですか、疑っているのは。人を疑う事と陥れる事しか取り柄のない人間ですからね。益よりも害の方が多い、犯罪者じゃないのが不思議なくらいだ」

ヒルダは苦笑すら浮かべない。面白くなかったか? 会場には徐々に人が増えてきた。俺とヒルダを注視している人間も居る。総参謀長と海賊の会話か、気になるのだろうな。
「改革派の文官達の中には頭領の事を高く評価している人物もいます。それこそローエングラム公よりもです。その事で頭領を危険視する人間が居るのです。お分かりになりませんか?」
「……」

改革派の文官達か……、リヒターやブラッケだな。まあ連中はどちらかといえばラインハルトには批判的だった。改革は自分の野心のための人気取りだと。原作では他に人が居なかったから従っていたがこの世界では俺が居る。俺の方が純粋に平民達の事を考えていると判断したか、有り得ない話じゃないな……。

それを見て改革派の連中が俺を担ぎ上げるんじゃないかと危険視した人間が居るという事か。皇帝にじゃないな、精々宰相といったところだろう。ラインハルトを棚上げして実権を握るか。オーベルシュタインだけとは限らない、誰かは分からないが俺を危険視している人間が居るらしい。

その人物は平民達の支持が有れば改革派が俺を担ぎ上げる事が可能だと考えた……。改革派を疎ましく思い俺と連中の繋がりを危険視する者……、まさかとは思うが貴族? ……可能性は有るな。

ローエングラム体制になっても貴族はいる。連中の中にこれ以上の貴族勢力の衰退を望まない人間が居たとしたら……。ラインハルト以上に積極的に平民達の力を向上させようとしている、俺の事がそう見えたのかもしれない。当然だが面白くないと思っただろう。

文官との繋がりという意味では軍人の中にも俺を危険視する人間が居てもおかしくは無い。同盟との戦争は終わりつつある、もうすぐ軍事より内政が優先される平和な時代が到来するだろう。文官の地位が上がればそれだけ軍人の地位は下がる……。

ラインハルトは軍人だ、どうしても発想は武断的、軍人寄りになる。軍人にとっては理想の主君だろう。しかしそれだけに文官達にとっては不満に違いない。新時代のリーダーには相応しくないと思ったか……。連中が俺を評価するのはそれも有るのかもしれんな。となるとヒルダの心配は杞憂とは言えない、十分にあり得る事だろう……。

やれやれだ、世の中阿呆ばかりだな、余計な事をして混乱させてばかりいる。もっとも気付かない俺も阿呆の同類か……。何時の間にか火薬庫の上に飛び乗って火遊びをしていたらしい。溜息が出た。

「特に黒姫の頭領がフェザーンを占領してからはその傾向がさらに強くなりました。もちろんローエングラム公は黒姫の頭領に権力への野心が有るとは思っていません。頭領を御自身の後ろに配したのも周囲に頭領を信頼していると理解させるためです」

つまりヒルダの俺に対する評価はロイエンタールよりはまし、そんなところかな。いや待て、ミュラーを俺の後ろに置いたのはこの女だった。という事は彼女も俺を疑っているという事か……。これは忠告なのか、それとも警告なのか、確認する必要が有るな、間違うと命取りになる。

「総参謀長閣下も私を疑っておいでですか。ナイトハルトを私の後ろに置いたのは総参謀長の配慮だと聞きましたが」
「いいえ、疑ってはいません。しかし彼らにも配慮しなければならないのです。御理解頂けませんか?」
「……」

御理解か、どうやら警告では無く忠告という事か。敵ではないと見て良いのかな……。
「黒姫の頭領から艦隊の順番を変えて欲しいと要望が有った時には頭領は全てご存知かと思ったのですが、そういうわけではないのですね」
「部下を唆す者が居るとすれば地球教かと思っていました。後は憲兵総監ですね。まさか帝国内の権力争いが絡んでいるとは……、面倒な……」

ヒルダが頭を下げた。
「頭領には申し訳ないと思います。ですがどうか御自愛下さい。帝国には、ローエングラム公には黒姫の頭領の協力が必要です」
「……御厚意感謝します、気を付けましょう」
俺が謝意を表するともう一度丁寧に頭を下げてヒルダは立ち去った。

やれやれだ。とんでもない状況だな。敵と戦う前に味方の内部で勢力争いが生じている。まあそれだけ同盟に比べれば帝国が有利だということだろう。勝つ事よりも勝った後の事を考えているというわけだ。しかしな、有利では有るが楽に勝てるとは限らん。それが分かっているかな。

「エーリッヒ」
考え込んでいると声をかけてきたのはミュラーだった。一人じゃない、周囲にはミュラー艦隊の人間が何人か居る。オルラウ、ヴァルヒ、シュナーベル、ハウシリド、ドレウェンツ……。軍人ってのはどういうわけか直ぐ固まる。パーティなんだから自由にすればよいだろうに。

「随分と総参謀長と話していたようだが」
「見ていたのか」
「ああ、深刻そうだったんでね。声はかけなかったんだが……」
「遠慮しなくてよかったんだ、大した話はしていないんだから」
「……そうか」

正直に話そうかと思ったがオルラウ達が居る、ミュラーを困らせるのは止めた方が良いだろう。会場では何時の間にかシャンパン、ジュース等の飲み物が用意されていた。そして人も増えていた。気付かなかったな、どうやら俺は周囲に注意を向ける余裕を無くしていたらしい。

入口の方がざわめくとラインハルトが会場に入って来た。傍にはシュトライト、リュッケが居る。ヒルダがラインハルトに近付いていく。そうか、あれは偶然ではなかった。ヒルダは俺と話すために先に来たのだ……。無性に腹が立った、間抜けな自分に、そして馬鹿共に……。

音響システムを組み込んだ四方の壁から鐘の音が鳴り出した。帝国暦四百八十九年が終わり四百九十年が始まったというわけだ……。上座に居るラインハルトがテーブルに近付く、俺も傍に有るテーブルに近付き出来るだけ大きなグラスを取った。赤い液体が入っているが何でも良い、どうせ飲むつもりは無い。

ラインハルトがシャンパンを満たしたクリスタル・グラスを高く掲げると皆がそれに応じる。
「プロージット!」
「プロージット! 新たなる年に!」
「プロージット! もたらさるべき武勲に!」
「プロージット! 自由惑星同盟最後の年に!」

覇気に富んだ乾杯の声が上がる中、ガシャーンという音がしてグラスが砕けた。床に液体が流れる、綺麗な赤い液体だ。皆の視線が俺に集まった。
「失礼、手が滑りました」
俺が肩を竦めて答えると昂然とした空気は消え何処か白けた様な空気が会場に流れた。無粋な奴、間の悪い奴、そう思ったのだろう。

トゥルナイゼンが悔しそうな表情で俺を見ている。やはりこいつは“自由惑星同盟最後の年に”と叫んだ。ラインハルトの気を引こうとしたのだろうが残念だったな。少しだけだが気が晴れたよ。ウェイターが現れ砕けたガラスを片付け始めた。ヒルダが俺を見ている、目立つ事をするとでも思っているのかもしれない。悪いね、二人とも。でもどうしても我慢できなかったんだ……。



帝国暦 490年  1月 1日   フェザーン  ナイトハルト・ミュラー



会場では彼方此方のテーブルで談笑する軍人の姿が有る。新年を迎えてのパーティ、しかも出撃を控えている。本来なら会場はもっと荒々しい様な、昂然とした空気に満ちていて良いはずだが何処か白けた様な空気に支配されている。タンと音がした。エーリッヒがグラスをテーブルに置いたようだ。

「ナイトハルト、私は艦に戻る」
「戻る? 帰るのか」
始まってまだ十分も経っていない。俺の問いかけにエーリッヒが頷いた。
「出立前に少し休んでおきたいんだ。それに私はアルコールが駄目だからね。パーティは苦手だ」
「……そうか」

このパーティの終了と同時に帝国軍の一部はフェザーンを出立する。今日出立するのは四個艦隊だ。第一陣はミッターマイヤー提督、第二陣はロイエンタール提督、第三陣が俺、そしてエーリッヒは第四陣。ローエングラム公はアイゼナッハ、ルッツ提督と共に一月十九日にフェザーンを出立する。そしてその五日後、まだここには来ていないビッテンフェルト、ファーレンハイト提督がフェザーンを出立する。全軍の集結地はポレヴィト星域……。ミッターマイヤー提督が出立するのが大体二時頃になるだろう、エーリッヒの出立時間は四時頃になるはずだ。休みたいというのはおかしな話ではない……。

エーリッヒが身体を寄せてきた、小声で話しかけてくる。
「それに卿の部下達も私が居ると窮屈そうだ」
「……済まんな」
「仕方ないさ、卿の所為じゃない」

「ローエングラム公への挨拶はどうする? しないのか」
エーリッヒがちょっと迷うそぶりを見せた。
「……止めておこう、引き留められてはかなわない。それにここは軍人が多すぎる、息が詰まるよ。済まないが卿から上手く伝えてくれ」
「分かった、そうしよう」
「頼む、……卿も適当に切り上げろよ」
エーリッヒがテーブルから離れた。出口へ向かう姿に不自然な所は無い、おそらく皆はトイレにでも行くのだと思うだろう。

何か有ったな……。さっき落としたグラスだがあれはわざとだ。エーリッヒは酒が飲めない、だが奴が落としたのはカクテルの入ったグラスだった。本来エーリッヒが手に取るグラスじゃない。それにパーティが苦手なのは事実だが付き合いが出来ない奴じゃない。何かが有った、多分総参謀長との話が原因だろう……。

かなり深刻そうな感じだった。そして総参謀長はエーリッヒに丁寧に頭を下げていた。明らかに総参謀長は下手に出ている。何かをエーリッヒに頼んだのだろう。だがエーリッヒにとってそれは必ずしも嬉しい事ではなかったという事だ。或いは何らかの譲歩を迫ったのかもしれない……。だがその事とグラスを落した事がどう繋がるのか……。

オルラウ達が寛いでいる。確かにこいつらにとってはエーリッヒは異物なのだろう。軍の階級では退役中尉、しかし帝国屈指の実力者でもある。無視は出来ないがどう対応して良いか分からない、緊張を強いられる相手なのだろうな。エーリッヒにしてみれば腫れ物に触るような扱いを受けていると感じるのかもしれない。やれやれだ……。



帝国暦 490年  1月 1日    マーナガルム  コンラート・フォン・モーデル



黒姫の頭領がマーナガルムに戻ってきた。何か忘れ物でもしたのかな、あれ? 指揮官席に座った。
「如何されたのですか、パーティは……」
「抜け出してきました。私はアルコールが駄目なのでね、パーティは苦手だ」

「ココアでもお持ちしましょうか」
「……出来れば水を貰いたいのだけど」
「分かりました」
水を用意すると頭領は“有難う”と言って一口飲んだ。そして何かを考えている、どうやら喉が渇いていたわけじゃない様だ。

「あの……」
僕が声をかけると頭領は“何か”というように視線を向けてきた。
「この艦隊は戦わないんですか?」
「……」
「勝ってる時には前に出ない、ローエングラム公が負けそうになったら出るって聞きましたけど」
「……」

頭領が僕を見ている。拙い事訊いちゃったかな、でも皆気にしてるんだ、武勲は立てられそうにないって……。頭領がまた一口水を飲んだ。
「戦力的には帝国軍が圧倒的に優位です。しかし戦力的に優位である事と戦争に勝つ事は別ですよ」
「……」

うーん、それはそうだけど……。頭領が僕を見てクスッと笑った。僕が納得してないと見たのかな。
「正面から戦えば帝国軍が勝ちます。一時的には不利になる局面は有るでしょうが最終的には物量の差で帝国軍が勝つ、それも圧倒的に……」

やっぱり出番は無いのかな……。
「自由惑星同盟もその事は分かっているでしょう。果たしてそれでも正面から戦いを挑んでくるかどうか……」
頭領がちょっと小首を傾げている。

「挑んでこない時は……」
「厄介な事になるでしょうね、非常に厄介な事になる」
頭領はまた一口水を飲むと出立まではまだ時間が有るから少し休みなさいと僕に言った。

自室に戻りながら思った。皆が反乱軍に簡単に勝てると考えているけど頭領はそうは思っていないみたいだ。予想外に苦戦する、そう思っている。この艦隊の出番が有るのかもしれない。でもその時は帝国軍にとっては良い状況じゃない……。

うーん、迷うな……。この艦隊が活躍するところは見たいけど帝国軍が苦戦するところは見たくない。でも多分、帝国軍は反乱軍に苦戦する事になると思った。そして黒姫の頭領が動く時が来る……。根拠は無いけど何故かそうなると思った……。




 

 

第三十六話 主導権


帝国暦 490年  1月31日   ポレヴィト星系  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



帝国軍フェザーン方面侵攻軍がポレヴィト星系に集結した。戦闘用艦艇は十二万隻を超えるが補給、工作船、輸送、病院船などの支援用艦艇も五万隻を超える。参加将兵においては二千万を超えるという大軍だ。ラインハルト自身これだけの大軍を運用するのは初めての事だろう。帝国軍にとっても同様のはずだ。

これから総旗艦ブリュンヒルトで作戦会議が開かれる。全くなあ、こんなところでやるんならフェザーンでやれよ。パーティなんかで時間潰すんじゃない。どうもチグハグな感じがする、もっとも声に出したことは無い。ヒルダに言われているからな、注意しないと……。しかし声には出せないからその分鬱憤が溜まるわ。宮仕えなんてするもんじゃないな、疲れるだけだ。戦争が終わったらさっさと辺境に帰ろう。

ブリュンヒルトの会議室に集まったのはラインハルト、ヒルダ、シュトライト、リュッケ、ミッターマイヤー、ロイエンタール、ビッテンフェルト、ファーレンハイト、アイゼナッハ、ルッツ、ミュラー、そして俺とメルカッツ。他の艦隊は司令官だけだが俺の所は参謀長が一緒だ。まあ俺はお飾りだからな。

しかし良いのかね、この席順。コの字型にテーブルと席が並んでいるけど中央にはラインハルト、ヒルダ、シュトライト、リュッケが座っている。ラインハルトから見て左手には俺、メルカッツ、ファーレンハイト、アイゼナッハ、ミュラー。右手にはロイエンタール、ミッターマイヤー、ルッツ、ビッテンフェルト。

席順からすると俺は帝国軍の中でもかなり上位に居る事になる。ロイエンタール、ミッターマイヤーと同等ってところだ。階級でいうと上級大将クラスという事だろう。まあメルカッツが居るからな、俺を下位においてはメルカッツも下位に置くことになる。それでは皆が遣り辛いという事かな。

帝国軍はフェザーンを占領して以来、同盟軍の情報を収集している。その中で俺の気に入らない事が二つある。一つは同盟軍の戦力だ、連中は五個艦隊を用意したらしい、艦艇数は約六万隻。元々有った第一、第十三艦隊の他に新設の第十四、第十五、第十六の三個艦隊だ。原作より一個艦隊多い。イゼルローンを奪われてから同盟は軍備増強に力を入れてきたようだ。艦隊司令官は十四がモートン、十五がカールセン、十六がホーウッド。

ホーウッドは第七艦隊の司令官だったが帝国領侵攻作戦で捕虜になっている。捕虜交換で同盟に戻って艦隊司令官に返り咲いたということだろう。しかしどう見ても敗戦が待っているとしか思えないこの状況での艦隊司令官就任は余り嬉しくはないだろう。内心ホーウッドは涙目になっているかもしれん。可哀想な奴……。

会議が始まるとミッターマイヤーが立ち上がって発言を始めた。
「このポレヴィト星域からランテマリオ星域にかけては有人惑星が存在しません。民間人に累をおよばさぬためにも反乱軍はこの宙域を決戦場に選ぶ以外にないでしょう。小官は確信を以てそう予想いたします」

彼方此方で頷く姿が有る。だが俺は頷けない、どうにも嫌な予感がする。目の前にあるグラスを睨んだ。会議が始まる前に用意されたグラスには水が入っている……。イゼルローン要塞を落した事は予想以上に影響が大きいのかもしれない。同盟の兵力増強だけじゃない、迎撃計画にも影響を与えた可能性が有る。だとすれば原作とはかなり違った展開になるのかもしれん……。

ラインハルトが立ち上がった。
「卿の見る所は正しいと私も思う。反乱軍はここまで耐えてきたが人心の不安を抑えるためにも近日中に攻勢をかけてこざるを得まい。我が軍は彼らの挨拶に対し、相応の礼を以て報いることとしよう。双頭の蛇の陣形によって……」

どうしてこう帝国軍人てのはカッコつけた言い方をするかね。ラインハルトだけじゃないよな、他の奴も妙にカッコつけた言い方をする。簡単に迎撃するぞで良いだろうに。変に飾り立てるから皆が興奮する。戦争なんだからもっと冷静になれよ。煽られて興奮するなんて門閥貴族の馬鹿共と一緒だろう。頭に来たからもう一度目の前のグラスを睨んだ。そうじゃないと冷笑しそうだ。

「黒姫の頭領はどうお考えですか?」
「……」
質問してきたのはヒルダだった。俺の方を窺うような表情をしている。頼むよ、俺に自愛しろって言ったのはそっちだろう。何で面倒に引き摺り込もうとするんだ。まあ作戦会議だからな、懸念事項が有るなら言えって事だろうが、気が進まない……。

「何か有るのか、これは作戦会議だ、遠慮はいらない」
ラインハルトが俺に発言を促してきた。提督達の視線が俺に集中する。……しょうがないな。
「同盟軍が出撃してくるとは限らないと思います」
俺の言葉に会議室がざわめいた。

「しかしそれでは有人惑星を見捨てる事になるが……」
ロイエンタールが視線を厳しくして問いかけてきた。親友の意見を否定されて面白くないらしい、自信満々の見立てだったからな。しかしな、面白くないのはこっちも同じだ。
「無防備都市宣言をしていますよ、攻撃しますか?」
俺の指摘に皆が困惑した表情を見せた。

俺の気に入らない事の第二がこの無防備都市宣言だ。無防備都市宣言、戦争もしくは紛争において都市に軍事力が存在していない地域であると宣言することで敵による軍事作戦時の損害を避ける目的で行われる。つまり武力が無いから攻撃するのは反則だよという事だ。

原作ではランテマリオ星域の会戦前に同盟の諸都市が無防備都市宣言を出したという記憶は無い。だがこの世界ではフェザーン方面の有人惑星は殆ど出しているようだ。これが何を意味するのか……。各星系が独自の判断で出したのなら良い、しかし同盟政府の命令で出しているとしたら……。

「反乱軍は我々をもっと奥深く引き摺りこもうとしている、そういう事か」
ラインハルトの表情が渋い。いや、皆の表情が渋くなっている。先年の同盟軍による帝国領侵攻を思っただろう。あれはやられた方にとっては地獄だからな。想像するだけで悪夢だ。
「私には何とも言えません。ただ同盟軍が出てくるとは限らない、そう思っています」

原作では同盟は帝国軍が同盟領内に侵攻してくるとは考えていなかった。帝国がイゼルローン、フェザーンの二方向から攻めて来るとは考えていなかったのだ。これまで通りイゼルローン要塞での攻防戦に終始すると想定していた。その所為で帝国がフェザーンを占領した時にはパニックになってしまった。フェザーン方面の星域を同盟側に引き留めるためにはランテマリオで決戦せざるを得なかった。

だがこの世界ではどうだろう。内乱終了後の時点ではイゼルローン要塞は帝国側に奪還されていた。つまり帝国軍の同盟領侵攻は既定の事だったという事だ。当然だが同盟軍はそれを前提に迎撃計画を練ったはずだ。同盟の戦力が原作より一個艦隊多い事もそれを裏付けている……。

ラインハルトが可能性は有るなと呟いている。嫌な予感がする、俺は過小評価していたがこの世界ではトリューニヒトが失脚した。つまり軍内部におけるトリューニヒト派は原作ほど大きな勢力を持っていないのかもしれない。実際統合作戦本部長はクブルスリーのままだ。

そしてヤン・ウェンリーがハイネセンに居る。原作ではイゼルローン要塞に居たため一前線指揮官でしかなかったがクブルスリーもビュコックもヤンを高く評価している。この世界で同盟軍の迎撃計画の立案にヤン・ウェンリーが関わっていないと言えるだろうか。関わっているとすれば単純な正面決戦による防衛戦を挑んでくるとは思えない……。

結局会議はとりあえずランテマリオまで進んでみようという事になった。何ともあやふやな話だ。さっきまでの昂揚した雰囲気はきれいさっぱり消えていた。決戦を想定して布陣も決めたが原作と殆ど変りはない。俺の持ち場はビッテンフェルト、ファーレンハイトと一緒に予備だ。大いに結構、決戦なら俺の出る幕は無い、黙って見ているだけだ……。

帰り際にミュラーと一緒になった。ミュラーは不安そうな表情をしている。
「エーリッヒ、どうなるかな」
「さあ、どうなるかな。とりあえずランテマリオまで行ってみるしかないね」
馬鹿げているな、俺もあやふやな事しか言えない。ウンザリしたがウンザリしてばかりもいられない。

「ナイトハルト、頼みが有る」
「何だ?」
「これから先、私が卿に協力を求めた時は断らないで欲しい」
「……」
ミュラーが足を止めじっと俺を見ている。俺も歩くのを止めてミュラーを見た。
「頼むよ」
「……分かった」
「有難う」

ミュラーと二人、無言でブリュンヒルトの廊下を歩く。主導権を取れずにいる、取った様に見えるが取りきれずにいる、そう思った。だが同盟が主導権を取ったとも思えない。お互いに主導権を握るために駆け引きをしている、そんなところか……。俺の予想が正しければ作戦面で少し同盟が有利かな。しかし戦力の多寡で互角、いや未だ帝国が有利か……。どちらかが主導権を握った時点で戦局は動くだろう、油断は禁物だな……。



帝国暦 490年  2月20日   ガンダルヴァ星系  ウルヴァシー    エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「結局反乱軍は出てきませんでしたな」
「……そうですね、出てきませんでした」
俺が答えるとメルカッツは頷いた。旗艦マーナガルムの艦橋の空気は重い。同盟領に攻め込む時に有った浮き立つような空気は綺麗に消えている。ちょっとぐらい上手く行かなかったからって落ち込むなよ、全く。勝ち慣れて逆境に弱くなってるんじゃないのか。

ランテマリオで肩透かしを食らった後、帝国軍本隊はガンダルヴァ星系第二惑星ウルヴァシーに向かった。惑星ウルヴァシーは宇宙服などの装備が無くとも人間が生活できる居住可能惑星なのだが同盟による植民活動はされていない。惑星開発の企業が開発を失敗したため放置されていたらしい。もったいない話だよな。

帝国軍がここに来たのは気紛れではない。帝国はこの星に半永久的な軍事拠点を築くつもりだ。全同盟領が帝国の物になった時、惑星ウルヴァシーは武力反乱や海賊行為を働くならず者達を鎮圧するための拠点となる。もっとも原作ではラインハルト暗殺未遂事件が起きロイエンタール反逆という悲劇の起点になった。まあ場所は悪くないんだ、フェザーンとハイネセンの中間あたりにあるからな。この世界ではオーベルシュタインの影響力は小さいしラングも居ない。多分、惑星ウルヴァシーは役に立つだろう……。

一昨日、イゼルローン方面から出撃したキルヒアイス率いる別働隊もウルヴァシーに合流した。惑星ウルヴァシーに集結した帝国軍の兵力は艦艇二十万隻、将兵二千万を超える。同盟軍の三倍以上の兵力がここに集結している事になる。見渡す限り艦ばかりだ。

「反乱軍は何を考えているのでしょう」
ゾンバルトが問いかけてきた。こいつは大分俺に慣れてきた様だ。当初有った気まずさは余り感じられない。
「さて」
俺がメルカッツに視線を向けるとメルカッツも“フム”と言って考え込んだ。

「常識的に考えればハイネセン付近でこちらを待っているという事になりますが……」
今度はエンメルマンがこっちを窺いながら話しかけてきた。反乱軍がランテマリオに出ないと予想したのは俺だけだからな。どうやら皆、俺がどう考えているか知りたいらしい。あるいはこの艦隊の出番が有るかどうか知りたがっているのか……。

同盟軍は出てこなかった。帝国軍の目論見は外れたわけだが問題はこれからだな。同盟軍の迎撃作戦、その全容はまだ把握できずにいる。大体の人間はエンメルマン同様、首都ハイネセン付近での艦隊決戦を想定しているようだ。こちらを出来るだけ引き摺りこんでから叩く。おそらくは補給を断った後に叩くのだろうと考えている。

「一筋縄ではいきませんからね」
俺が答えると皆が頷いた。少しの間沈黙が有った。皆が俺を見ている。しょうがないな、もう一言か……。
「場合によってはかなり無茶をする事になるかもしれません、覚悟だけはしておきましょう。何時でも出撃できるだけの用意はしておいてください」

皆が顔を見合わせている。そしてメルカッツだけは俺を見ていた。

「前に出るのですか」
作戦参謀のクリンスマン少佐が問いかけてきた、皆の表情が緊張している。
「……まあ、念のためです」
何とも遣り辛い、そう思った時副官のリンザー大尉が躊躇いがちに
「頭領、そろそろブリュンヒルトに行く時間ですが」
と声をかけてきた。ナイスアシスト! いや、ホント助かったわ、どうも遣り辛くていかん……。



帝国暦 490年  2月20日   ガンダルヴァ星系  ウルヴァシー    コルネリアス・ルッツ



「ここは一気にハイネセンを突くべきだ。そして反乱軍を撃破する。それが最善の策だ。周辺星域を制圧してからハイネセンへ向かう等迂遠以外の何物でもない!」
声を上げているのはビッテンフェルト提督だ。

「ここまで来た以上、焦るべきではない。反乱軍の狙いはこちらを引き摺りこんで疲労のピークを狙うという事だ。周辺星域を制圧して安全を確保しつつ進むべきだろう。前に進んで後ろで騒がれては堪らぬ」
こちらはワーレン提督だ。この二人、士官学校では同期の筈だがここまでタイプが正反対というのも珍しいだろう。

先程から総旗艦ブリュンヒルトの会議室では今後の方針を巡って会議が開かれている。会議室の空気は決して良くない、本来ならランテマリオで決戦の筈だった。そこで勝てば後は怖れるものなど無かった筈だった。だが反乱軍は出てこなかった。その事が皆を苛立たせている。

「それでは先年の反乱軍と同じになるではないか!」
「あれは帝国軍が焦土作戦を採ったからだ、同一に考えるべきではない」
今度はケンプ、シュタインメッツの二人だ。誰かが溜息を吐いた。先程から同じ主張を繰り返している。何の進展も無い事にウンザリしているのかもしれない。

ローエングラム公は会議が始まってから無言を通している。何時もの公に似合わぬ態度だ。普通なら積極的に会議をリードして結論を出すのだが……、公も迷っているのかもしれない。その事が会議を常にも増して混乱させている……。

キルヒアイス、ロイエンタール、ミッターマイヤーの三人も無言だ。本来ならローエングラム公が会議をリードしない以上この三人と総参謀長が会議をリードしなければならない筈だ。しかしリードしようとはしない、時折黒姫の頭領に視線を向けるだけだ。彼らだけでは無い、皆がチラチラと頭領を見ている。先程発言した四人も発言しながら頭領に視線を向けていた。皆が頭領を気にかけている。

しかし黒姫の頭領は討議に参加する様子を見せない。時折小首を傾げたり天を仰いだりする。またはローエングラム公に視線を向けるときも有る。我々の討議を聞いているのかどうか……。前回の作戦会議の時と同じだ。まるで会議に関心を示さず、最後に総参謀長に促されて意見を述べた。誰もが想定しなかった意見だが現実は頭領の想定通りになっている。一体何を考えているのか……、多分俺だけではあるまい、皆が同じ疑問を持っているはずだ。

「黒姫の頭領、頭領はどうお考えですか?」
総参謀長の言葉に皆が頭領に視線を向けたが頭領はそれを気にする様子を見せなかった。そしてローエングラム公に視線を向けながら
「公、御気分が優れないのではありませんか?」
と問いかけた。

皆が愕然としてローエングラム公を見た。公は表情に困惑を浮かべている。
「先程から拝見するにどうも熱でもあるのではないかと思うのですが……」
「ラインハルト様」
頭領とキルヒアイス提督の言葉に公が自らの手を額に当てた。思い当たるフシが有るのか、皆が顔を見合わせた。

「いや、そのようなことは無いと思うが……」
「しかし、頭にカスミが掛かったような感じがするのではありませんか? どうも考えがまとまらない、いや考えるのが億劫かもしれませんが……」
ローエングラム公が困惑している。我々に視線を向けるが戸惑っているような視線だ。

「済まない、黒姫の頭領の言う通りだ。どうもおかしい、考えることが出来ない。卿らに迷惑をかけてしまったようだ」
ローエングラム公が謝罪の言葉を言うと今度は皆が困惑と恐縮を表情に浮かべた。確かにいつもとは違う、常に有る覇気が無い。頭領が先程から気にしていたのはこれだったのか……。

「これだけの大軍を率いるのです、何処かで疲れが溜まったのかもしれません。今日はゆっくりと御休みになる事です」
「頭領の言う通りです、ラインハルト様」
「しかし、今後の方針を決めねばなるまい」
ローエングラム公は何処となく不本意そうだ。或いは病人扱いされる事が嫌なのかもしれない。

「その状態では無理です。それに今すぐ決める必要性も有りません。一旦作戦会議は打ち切りたいと思いますが如何ですか」
前半はローエングラム公に対しての発言だが後半は我々に対する問いかけだった。皆が声に出して、或いは頷く事で賛成した。ローエングラム公もやむを得ないと思ったのだろう、“分かった”と頷いた。

「球型コンテナがフェザーンから来るはずです。その護衛をどうするかだけ決めておきたいと思います」
頭領の言葉に皆が頷いた。二千万人の一年分の食糧の他、植物工場、兵器工場のプラント、資材等が二百四十の球型コンテナに収められている。重要極まりない補給物資だ。

「六個艦隊を護衛に使うべきかと思いますが如何でしょう」
皆が頭領の言葉に驚いた。ローエングラム公も”六個艦隊か“と口に出している。俺も驚いている、一個艦隊も送れば十分かと思ったが……。
「同盟軍は五個艦隊、六万隻の兵力を所持しています。劣勢にある軍が補給を断とうとするのは戦争の常道です。彼らが全兵力を投入しても守れるだけの戦力を用意するべきかと思います」

なるほど、確かにそうだ。
「なにより補給を断たれれば帝国軍は短期決戦を強いられることになります。それは避けるべきでしょう」
「黒姫の頭領は短期決戦には反対かな」
ビッテンフェルト提督が問いかけた。声が硬い、頭領が短期決戦に反対だと思ったのだろう。だが頭領はそうではないというように首を横に振った。

「同盟軍にそれを強いられるべきではないと言っています。一気に敵の首都を突くか、ゆっくりと攻めるかは我々が決断する事です、敵に決めさせられる事では無い」
「なるほど、主導権か……」
ローエングラム公の言う通りだ。頭領は主導権は我々が握るべきだと言っている。ビッテンフェルト提督も頷いている、納得したのだろう。

「同盟軍の姿が見えない事、目に見える戦果が無い事で不安かもしれませんが焦る事は有りません。不安なのは同盟軍も同じです。何と言っても三倍以上の敵を相手にするのです。容易な事では無い」
「……」
何人かが頷いた。

「我々に今出来る事は同盟軍に隙を見せない事です。まず補給を万全にし長期自給を可能にする。逆にここで補給を失えば帝国軍に隙有りと同盟軍を勢いづかせる事になります。それを防ぐために六個艦隊を動かす……。同盟軍がそれを知れば帝国軍に隙無しと不安を一層募らせるでしょう。作戦会議は補給を万全にしてからで良い」

殆どの人間が頷いている。皆納得したらしい。確かに反乱軍の姿が見えない事で少し焦っていたようだ。地に足を付けて戦えという事か……。思わず苦笑が漏れた。手強いな、黒姫の頭領は相変わらず冷静で強かだ。反乱軍も頭領の強かさには手を焼くだろう……。



 

 

第三十七話 護衛任務

帝国暦 490年  2月20日   ガンダルヴァ星系  ウルヴァシー    コルネリアス・ルッツ



「驚いたな、ワーレン提督」
「うむ、驚いた。我々だけでなくロイエンタール、ミッターマイヤー提督までが輸送部隊の護衛とは」
「うむ」
総旗艦ブリュンヒルトの廊下を歩きつつ互いに嘆息を漏らした。

輸送部隊の護衛担当者が決まった。選んだのは黒姫の頭領だ。自ら護衛部隊の総指揮官を志願しローエングラム公に許されると残りの指揮官を指名した。ロイエンタール、ミッターマイヤー、ケンプ、ワーレン、そして俺……。

驚く皆に黒姫の頭領が含み笑いを洩らした。
“私の予想では同盟軍は輸送部隊の撃破を狙うはずです。護衛部隊が有ればその指揮官を確認しようとするでしょう。その時、護衛部隊の指揮官がアムリッツアで同盟軍を叩きのめした指揮官だと知ったら同盟軍はどう思うか……”

笑うのを止めた頭領が皆を見渡す。そして低く力感の有る声を出した。
“帝国に隙無し! 同盟軍にとってこれ以上の威圧は無いと思います。戦場で敵を撃破するだけが戦争では有りますまい。敵を威圧しその戦意を削ぎ勝ち易くするのも戦争のはず”

皆が頷く中黒姫の頭領が選ばれた指揮官達に問いかけた、輸送部隊の護衛は不満かと……。俺達は顔を見合わせたが黒姫の頭領に不満を訴える指揮官は居なかった。もし不満を言う人間が居たら、そいつは馬鹿だろう。皆に軽蔑されたに違いない。

「黒姫の頭領はローエングラム公の事を大分気遣っているようだが……」
「うむ、俺もそう思う」
気遣っている。当初、護衛部隊の総指揮官にはキルヒアイス提督が名乗りを上げた。輸送船の護衛など誰だって嬉しくはない。ナンバー・ツーの自分が指揮を執る事で皆の不満を抑えようとしたのだろう。しかし頭領がキルヒアイス提督にローエングラム公の傍に居て欲しい、親しい人が傍に居た方が公も心強いだろうと言って止めた。

「となるとあの噂は何なのかな、頭領がローエングラム公に不満を持っていると聞いたが……。今日の様子では欠片もそんな事は感じられん、ルッツ提督も噂の事はご存じだろう?」
ワーレン提督が首を傾げている。

「詰らん事を大袈裟に騒ぐ連中が居るのさ、もっぱら若い連中だがな。……卿はイゼルローン方面に配属されたから知らんだろうが、オーディンからフェザーンに向かう航海でローエングラム公の艦隊の後ろに頭領の艦隊が有った。公としては頭領への信頼を表したのだろうが頭領は上に立つ者としては不用心だと言ったらしい」

ワーレン提督が不思議そうな表情をしている。
「不用心……、どういう事かな?」
「誰かが頭領の艦隊の人間を唆すかもしれない、そういう事だ。俺の艦隊なら何かの間違いで済む、しかし頭領の艦隊なら誰かが頭領に責めを負わせろと騒ぐだろう。或いは反逆と決めつけて攻撃するか……」

「なるほど、有り得るな。地球教か……」
「地球教だけとは限らないがな」
「……」
「上に立つものは無用な危険を冒すべきではない、そう言ったらしい。まあそれがきっかけで頭領と公は位置を交換したんだが……」
「それを不満と取ったか」
ワーレン提督が左腕を摩っている。彼は地球教討伐で左腕の肘から下を失った。地球教の恐ろしさ、厭らしさを思い出しているのかもしれない。

「それとフェザーンで新年のパーティを開いたのだが黒姫の頭領はパーティが始まると直ぐに帰ってしまった。ローエングラム公に挨拶無しでな」
「……」
「まあ頭領は酒が飲めないしパーティは余り好きではないらしい。引き留められてはかなわんと挨拶はしなかったらしいが……」
ワーレン提督が妙な顔で俺を見ている。

「それで不満を持っていると?」
「まあそうだ。馬鹿馬鹿しいだろう?」
「話にならん……」
呆れた様なワーレン提督の表情に思わず失笑した。

「面白くないのさ、頭領なしでは我々はここまで来られなかった。その事は皆が理解している。イゼルローン要塞もフェザーンも頭領が落とした。この遠征そのものが頭領の御膳立てによるものだ」
「うむ……」

「おまけに頭領は今回の遠征、勝ち戦なら前に出ない、負けそうになったら出ると言っている。これだけ圧倒的な戦力差が有って負けるとはどういう事か、自分達を、ローエングラム公を馬鹿にしているのかと不満に思っている者も多い……」
「……若い連中か……」
「うむ」

この宇宙から戦争が終わりかけている。その事で若い士官達の間で焦りが生まれている。戦争が無くなれば昇進の機会は無くなる。武勲を挙げ地位を上げたいと考えている彼らにとって今回の遠征は最後のチャンスだろう。そんな時に頭領に負けそうになったら出ると言われた……。

お前達で勝てるのか? 武勲を挙げることが出来るのか? 揶揄されていると思ったとしてもおかしくは無い。それでなくとも武勲では到底頭領に及ばないのだ。その事も彼らの気持ちを複雑にさせている。我らでさえなかなか受け入れることが出来なかったのだ。若く焦りのある彼らにとってはさらに受け入れがたい現実だろう。

「実際どうなのかな、今度の護衛、頭領が指揮を執るという事は帝国軍は負けそうという事かな」
ワーレン提督が困惑を浮かべながら問いかけてきた。
「さて、……少なくとも勝っているとは言えまい。そうではないか、ワーレン提督」
「うむ、……確かに言えんな」
ワーレン提督が右手を顎に当てている。

「補給を守り抜いてようやく五分以上だろう、失えば……」
「短期決戦を強いられるか……。負けるとは思わんが我らにとっては面白くない状況が発生するな。頭領が前に出ると言うわけだ……」
ワーレン提督の言葉には溜息が交じった。

「思ったより反乱軍は手強い。連中は負ければ後が無い、その事を過小評価していたようだ。楽に勝てると思っていた」
俺の言葉にワーレン提督が大きく頷いた。
「確かにその通りだな。最近勝ち戦続きだ。何処かで反乱軍を甘く見た、油断したという事か……」

その通りだ。何処かで反乱軍を甘く見た、簡単に勝てると思っている。若い連中の焦りもそこに有るのかもしれない。簡単に勝利が、武勲を得る事が出来ると思うが故に今回の機会を逃がしたくないと思ってしまう……。勝利を得ることの難しさを理解すれば武勲を上げる事よりも勝つ事に対して真摯に向き合えるのだが……。



帝国暦 490年  3月 15日    マーナガルム  コンラート・フォン・モーデル



艦隊はランテマリオ星系に差し掛かろうとしている。フェザーン回廊の入り口で輸送船団をメックリンガー提督から受け取ったんだけどこれまでの所は何も問題無かった。反乱軍も接触してこない。

もしかすると逃げちゃったのかな。反乱軍が逃げても不思議じゃない、なんて言っても護衛の司令官達の顔ぶれが凄い。ロイエンタール提督、ミッターマイヤー提督、ケンプ提督、ルッツ提督、ワーレン提督。帝国でも一線級の司令官達だ、その五人の提督を黒姫の頭領が率いている。カッコいいよな、艦隊司令官を率いる海賊かあ。黒姫の頭領だけだよ、そんな人は……。

あと十日もすればガンダルヴァ星域に着くけど、どうなのかな。頭領が護衛をしてるってことは帝国軍はあまり良い状況じゃないのかな。でも一回も戦っていないし反乱軍を見てもいない。なんか変な戦いだ。リンザー大尉に訊いても首を傾げている。

艦隊が出撃するって聞いた時は皆緊張したけれど今では皆普段通りだ。なんか良く分からない……。
「最後尾のロイエンタール艦隊より入電、後方に正体不明の艦隊の存在を確認。但し、目視は出来ず」
オペレーターの声が上がると艦橋がザワッとした。皆が顔を見合わせている。

「参謀長、全艦隊に第一級臨戦態勢を」
「全艦隊に命令、第一級臨戦態勢を執れ」
頭領が指示を出すとメルカッツ参謀長がオペレーターに命令した。それを聞いてオペレーターが各艦隊に命令を出す。一気に艦橋の空気が緊張した! 凄い、これが戦闘なんだ。

「ロイエンタール提督の艦隊を相手に正対させてください。但し陣は崩さないようにと。それと索敵を命じます」
「ロイエンタール艦隊に命令、正体不明の艦隊に正対しつつ最後尾を守れ。陣を崩す事を許さず。なお索敵活動により正体を確認せよ」
頭領の指示を参謀長が命令にしてゆく。緊張するよ、空気がヒリヒリする。

艦隊は輪形陣を執っている。先頭は頭領、最後尾はロイエンタール提督。進行方向から見て右側にミッターマイヤー、ワーレン提督。左側にケンプ、ルッツ提督。そして中央には輸送部隊が有る。これほどまでに厳重に守られた輸送部隊は無いだろう。

「ロイエンタール艦隊より入電、後方の正体不明の艦隊は反乱軍で有る事を確認! 兵力、一個艦隊、約一万五千! 距離、約二百光秒!」
三十分程で報告が来た。一個艦隊、こっちが圧倒的に有利だ。どうする、反乱軍、向かってくるのか? 返り討ちにしてやる!

「やはり来ましたな」
「そうですね、もう少し早いかと思いましたが……」
「さて、どうなるか」
メルカッツ参謀長と頭領が話している。凄いや、二人ともまるで緊張していないし興奮もしていない。僕、まるで馬鹿みたいだ。少し落ち着かないと。

どのくらい時間が経ったのか、十分? 二十分? オペレータがまた報告をした。
「ロイエンタール艦隊より入電! 戦艦ヒューベリオンを確認!」
なんだろう、皆凄く緊張している。頭領に視線が集中している。
「距離を確認してください、縮まっていますか?」

メルカッツ参謀長がオペレーターに確認を命じると少しして縮まっていないとオペレーターが答えた。
「やはりそうですか、……挑発ですね」
「そのようですな」

え、挑発? 頭領と参謀長の言葉に皆の顔を見たけど誰も驚いていない。皆も挑発だって分かってたんだ。
「全艦に命令してください。現状を維持しつつ周囲を警戒するようにと」
「全艦に命令、現状を維持しつつ周囲を警戒せよ」

「総司令部に平文で通信、護衛艦隊は自由惑星同盟軍と接触セリ。同盟軍は第十三艦隊と認ム。なお、未確認ながら敵には増援が有る模様」
平文? 暗号を使わないの? 反乱軍にも知られちゃうけど良いのかな。それに第十三艦隊? 増援? なんで分かったんだろう。

通信が終わって二十分もすると反乱軍は居なくなった。意気地の無い奴。でも頭領が第一級臨戦態勢を解除したのはそれから六時間後だった。何かちょっと変な感じだった。反乱軍は攻めてこないし、頭領も臨戦態勢を執るだけで何もしなかった。良いのかな、反乱軍を逃がしちゃって……。

不思議がっている僕に謎解きをしてくれたのは作戦参謀のクリンスマン少佐だった。戦艦ヒューベリオンは反乱軍の名将、ヤン提督の旗艦でロイエンタール提督は相手はヤン提督が率いる第十三艦隊だと報告してきたんだって。頭領はきちんとそれを理解した。もしかするとロイエンタール提督は頭領を試したのかもしれないよって。

はあって思った。クリンスマン少佐は人の悪い笑みを浮かべている。味方同士でも相手を試すなんて事が有るんだ。でもますます分からない。
「良いんですか、逃がしちゃって?」
「大事なのは輸送部隊をウルヴァシーへ届ける事だ。そうなれば帝国軍は一年間戦える。だからどの司令官も戦いたいと言ってこなかっただろう?」

うーん、確かにそうだけど……。
「そんな事を言ったら馬鹿だと思われるからね」
少佐がニヤニヤして僕を見ている。お前は馬鹿か利口か、どっちだって聞かれている気がした。この人、結構人が悪そうだ。

「それだけに反乱軍としてはどうしても輸送部隊を叩きたかった筈だ。上手く行けば帝国軍は補給切れで戦わずして撤退という事も有り得た……」
「なるほど……。反乱軍は一個艦隊でしたけど増援とか有ったんですか? 頭領は増援が有るって言ってましたけど」
僕の質問にクリンスマン少佐はゆっくりと頷いた。

「多分、有っただろうね。ヤン・ウェンリー提督は名将だ、一個艦隊で六個艦隊に戦いを挑む程愚かじゃない。それなのに我々の後ろを暫く追ってきたのは味方が居たからだろう。こっちが攻めかかれば上手く混戦に持ち込んで輸送部隊を叩こうとしたんだと思うね。あの後ろに増援部隊が居たか、或いは我々の前方、側面に居たか……」

クリンスマン少佐が“怖いよな”ってボソッと言った。同感、本当に油断も隙もない。
「頭領が平文で総司令部に電文を打っただろう?」
「はい」
「あれは反乱軍に聞かせるためだ。お前達が何を考えているかは分かっている。その誘いには乗らない、無駄だから引き揚げろ、頭領はそう言ったのさ。だから暗号を使わず平文なんだ」

「はあ」
凄いや、そんな駆け引きが有ったなんて……。全然分からなかった。
「それが分かったから反乱軍は通信の後、直ぐ撤退した。帝国軍が挑発に乗る事は無い、もしかするとウルヴァシーから増援が出るかもしれない……。どちらにしろ輸送部隊を叩くことが出来ない事は分かったからね」

「凄いんですね、そんな駆け引きが有ったなんて……。僕、全然分かりませんでした」
本当に凄い、僕なんかただ興奮していただけなのに……。
「頭領が軍事においてかなりの才能を持っている事は皆が分かっていた。ただ実戦指揮官としては如何なのかという疑問を多くの人が持っていたはずだ。しかし今回の対応を見ると実戦指揮官としてもかなりの物だろう。メルカッツ参謀長も殆ど口を出さなかった。あとは実際に戦闘になってからの対応だろうね」

「戦闘……。この艦隊、戦闘に出るんでしょうか。それって帝国軍が負けそうな時ですけど」
本当に負けそうなのかな? 補給がウルヴァシーに届けば一年は戦えるんだけど……。

僕の言葉にクリンスマン少佐が“うーん”と唸り声をあげた。
「さあ、如何かな。帝国軍が有利に見えるのは確かだ。補給が届けばさらに優位は高まる。ただ頭領は我々とはちょっと見る所が違うからね。もしかすると我々には見えない何かが見えているのかもしれない。だとすると……」
「だとすると?」
少佐が僕の顔を見てニヤッと笑った。
「出るかもしれないね」



 

 

第三十八話 疑惑



帝国暦 490年  3月26日   ガンダルヴァ星系  ウルヴァシー   総旗艦ブリュンヒルト オスカー・フォン・ロイエンタール



輸送部隊を護ってウルヴァシーに着いた後、ブリュンヒルトに報告に行った俺達、俺の他に黒姫の頭領、メルカッツ上級大将、ミッターマイヤー、ケンプ、ルッツ、ワーレン提督をローエングラム公は上機嫌で迎えた。公の傍にはキルヒアイス提督、フロイライン・マリーンドルフが居る。ローエングラム公が黒姫の頭領を労った。
「御苦労だった、良くやってくれた」

「いえ、皆さんが協力してくれましたので何事も無く護衛の任を果たすことが出来ました。それに何と言っても頼りになる参謀長が居ます」
「うむ、そうか」
今度は嬉しそうに俺達に、そしてメルカッツ上級大将にローエングラム公が視線を向けて来た。皆がちょっと恐縮するような表情を見せた。俺もいささかバツが悪い、頭領を試す様な事をしたからな。こうなると頭領は俺が試した事を知っているのか、それとも知らないのかが気になるところだ……。

「反乱軍はやはり輸送部隊を狙ってきたようだな……。ヤン・ウェンリーを確認したそうだが奴だけではあるまい。増援が有ったはずだ。卿の進言が無ければ反乱軍にしてやられるところだった」
確かにその通りだ、危うく短期決戦を強いられるところだった……。負けるとは思わんが危うくは有る、補給は軽視できない。

「これで一年間は戦えるだけの態勢が整えられます。補給面から無理を強いられることは有りません」
「うむ、味方の士気も上がるだろう」
ローエングラム公は先程から上機嫌だ。補給が無事届いたという事も有るだろうがどうやら黒姫の頭領がはっきりと自分の指揮下で動いている事が嬉しいらしい。

まあこれまでは協力者なのか競争者なのか分からないところが有ったからな、公の気持ちは分からないでもない。おまけに役に立つ……。今回の護衛でも指揮に無理は無かった、慎重で用心深い……。敵に回せば厄介な相手だろう、反乱軍もそれが分かったはずだ。

「ところで御身体の具合は如何ですか? あの後、熱などは出ませんでしたか?」
黒姫の頭領の言葉にローエングラム公がキルヒアイス提督、総参謀長に視線を向け微かに苦笑を浮かべた。

「あの翌日、三十八度を超す熱が出た。卿の言う通り疲れが溜まっていたのだろう。医師からも過労の所為だから二日間ゆっくり休むようにと言われた」
「そうですか、やはり熱が……」
頭領は眉を顰めている。どうやら本心から心配しているらしい。ふむ、情に厚いところも有るようだ、意外ではある。

「一日で熱は下がったのだが、キルヒアイスとフロイラインに無理やりベッドに寝かし付けられた。二人とも優しそうに見えて本当は怖いのだ」
皆が公の冗談に笑った。なるほど、さっきのローエングラム公の苦笑はこの事が理由か……。今度はキルヒアイス提督とフロイライン・マリーンドルフが苦笑している。

「総参謀長にフロイラインを推薦したのは間違っていなかったようです」
「そうか、彼女を総参謀長にと推薦したのは卿だったな。またしても卿にしてやられたか」
口調とは裏腹にローエングラム公は楽しそうに笑っている。まあ悪くない、俺達も変に気を遣わずに済む。

「冗談はこの辺にしておこう。疲れているかもしれないが作戦会議を開きたい、どう思うか」
ローエングラム公が皆に視線を向ける。異存はない、暇を持て余すよりは遥かにましだ。皆も同感なのだろう、異議を唱える人間は居なかった。それを見て公が頷く。

「フロイライン、三十分後にブリュンヒルトの会議室で作戦会議を開く。全員に通知して欲しい」
「承知しました」
さて、こんどこそ方針が決まるだろう。短期決戦か、長期戦か……。



帝国暦 490年  3月26日   ガンダルヴァ星系  ウルヴァシー   総旗艦ブリュンヒルト アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト



会議室には諸将が集まっている。ここにまだ来ていないのはローエングラム公、キルヒアイス提督、総参謀長、あとは副官のシュトライト少将、リュッケ大尉だけだ。補給が無事に届いたせいだろう、会議室の雰囲気は悪くない、時々笑い声が聞こえる時も有る。

危うい所だった、黒姫の頭領が六個艦隊を動かしたから輸送部隊は無事だったがもしそうでなければどうなっていたか……。多分我々は補給を断たれ短期決戦を強いられていただろう。会議室は重苦しい雰囲気で到底笑い声など起きる状態では無かったはずだ。

頭領の功績は大きい、だがその事を認められずにいる連中も居る。あれだけの艦隊を動かしたのだから守れたのは当然だの、何故ヤン艦隊を撃破しなかっただの難癖を付けたいだけとしか思えない非難をする。余りの聞き苦しさにビッテンフェルト提督が“黙れ! 馬鹿どもが!”と怒鳴りつけた程だ。

まあ頭領なら“出来る男がやっかまれるのは仕方がないからね”と言って笑い飛ばすだろう。俺がその事を言うと皆が苦笑した、ビッテンフェルト提督もだ。もっとも彼は苦笑した後で溜息を吐いた。“出来る男はやっかまれるか……、俺もそうなりたいものだ”と言いながら……。皆の苦笑はさらに大きくなった。

ローエングラム公が会議室に入ってきた。皆が起立して公を迎えた。公の後ろにはキルヒアイス提督、総参謀長、シュトライト少将、リュッケ大尉が続いている。皆が所定の位置に着くと艦隊司令官達がローエングラム公に対して敬礼した、頭領も敬礼している。それを見て公が答礼を返した。

礼の交換が終わり皆が着席するとローエングラム公が
「会議を始めよう、我々は今後反乱軍にどのように対応すべきか、再度確認したい」
と言った。うん、前回よりはかなり良いようだ。公自ら決めようという意志が見える。前回はそれが無かった。

「前回の会議では急進してハイネセンを突くべしという意見と周辺を押さえつつゆっくり進むべきという意見が出た。幸い輸送部隊が届いた事で補給態勢は万全と言って良いだろう、どちらの案でも採る事が可能だ。我らにとって最善の案を選びたい」

公が周囲を見回す、討議を始めろという事だろう。しかし皆が口を開くのを躊躇った。前回の会議でかなり激しく遣り合っている。あれをもう一度と言うのは気が引けるのだろう。皆が戸惑っていると黒姫の頭領が”宜しいでしょうか?“と公に発言を求めた。珍しい事だ、皆が頭領に注目した。

「急進してハイネセンを突く、周辺を固めつつじっくり進む。どちらもハイネセン付近での決戦が前提になっていると思います」
「うむ」
彼方此方で頷く姿が見えた。

「ハイネセンに同盟軍が居ないという事は考えられないでしょうか」
「……」
どういう事だ? 同盟軍が居ない? 頭領は何を言っている? 皆の顔を見たが皆も困惑している、ローエングラム公も困惑している。俺だけが理解できないという事ではないらしい。

「しかし、それではハイネセンは占領されてしまいます。反乱軍は降伏と言う事になりますが……」
キルヒアイス提督が困惑混じりの声を出した。その通りだ、反乱軍は降伏という事になる。頭領がそれを分からないとも思えない、一体頭領は何を考えているのだ?

「その通りです、同盟政府は降伏するでしょう。そして帝国軍は或る程度の兵力を同盟領に残して大部分が帝国に引き上げる事になる……」
会議室がざわめいた。何となくだが頭領が何を考えているのか理解出来た様な気がする。しかし……。

「つまり卿は帝国軍が引き上げた後、無傷の反乱軍が何処からか現れ帝国の残存部隊を追い払い同盟を再建すると言うのか?」
ローエングラム公の声は厳しい、無理も無いだろう、頭領の指摘通りなら極めて厄介な事態になる。

「急進してもじっくり攻めても帝国軍が勝つ。帝国軍と決戦すれば必ず負ける、同盟軍がそう判断したとすれば決戦という概念その物を放棄する可能性が有るのではないか、それを指摘しています」
「……正規艦隊によるゲリラ戦か……」
ローエングラム公が呟くと彼方此方から呻き声が上がった。

ゲリラ戦か……。少数あるいは劣勢となった側が地の利や住民の支持を背景に小規模な戦闘を効果的・反復的に実施することによって優勢な敵に対して消耗戦や神経戦を強い、占領の長期継続を困難にさせる事を目的として行われる……。確かに現状はゲリラ戦を誘発しやすい状況に有る……。

「しかし、……反乱軍がゲリラ戦を展開すると言う確証が有るでしょうか、状況としては有り得るとは思いますが、正規艦隊を使ってのゲリラ戦など……」
ミッターマイヤー提督が困惑を浮かべながら頭領に問いかけると皆が頷いた。出来れば正面決戦をという願望も有るだろう。相手が頭領でなければ“馬鹿げている”、“有り得ない”と否定する人間も出たかもしれない。視線が頭領に集中した。

「有るのか?」
公が問いかけると頭領が首を横に振った。
「確証は有りません。しかし気になる点が有ります」
嫌な予感がする。俺だけではあるまい、皆が不安そうな表情をしている。頭領の読みの鋭さは十二分に味わってきた……。

「無防備都市宣言、あれの持つ意味を過小評価したのかもしれません」
「過小評価? どういうことだ? 抵抗する力が無ければ無防備都市宣言はおかしなことではあるまい」
「……」

ローエングラム公が訝しげに問いかけたが黒姫の頭領は厳しい表情をして沈黙している。会議室の空気が重くなった。
「頭領……」
総参謀長が声をかけた。頭領がチラッと視線を総参謀長に向け、そしてローエングラム公に向けた。そして深い溜息を吐いた。

「自由惑星同盟では主権は同盟市民に有ります。帝国で言えば平民に有るのと同じです。統治者は彼らによって選ばれる。それだけにハイネセンの同盟政府は同盟市民の動向に敏感にならざるを得ません」
「……」

「同盟軍がハイネセン付近での決戦を考えるとすればそれ以外の星系は見捨てられることになります。彼らの間から政府は自分達だけ助かろうとし我々を見捨てようとしている……。そう非難が出てもおかしくは有りません。場合によっては同盟から離脱し中立、或いは帝国に降伏してもおかしくは無い。そうなれば自由惑星同盟という国家は崩壊する事になります……」
「なるほど」

公が頷いた。確かに帝国と反乱軍では国体が違う。反乱軍では星系の支配者は平民達を守るために動くと言う事か。帝国ならどうだろう、領主は逃げ出し平民達は侵略者を新たな支配者として受け入れるに違いない。侵略者を追いだした後領主は何食わぬ顔で領地に戻るだろう。平民達も同じように迎え入れるに違いない。周りを見渡した、頷いている人間が何人か居る。

「以前、作戦会議でミッターマイヤー提督が言った事は間違っていないのです。同盟政府がハイネセン以外の有人惑星を守る姿勢を見せるとすればランテマリオでの決戦しかない。しかし現実には同盟軍は決戦をしていません。それなのに各星系は無防備都市宣言のみで同盟に留まっています……」
「……余りにも整然とし過ぎている、頭領はそうお考えなのですね」
総参謀長の問いかけに頭領が頷いた。

「各星系が無防備都市宣言のみで同盟に留まっているのはハイネセンが自分達だけを守ろうとしているのではないと知っているからではないでしょうか? このまま帝国軍が進めば、同盟軍がゲリラ戦を展開するとすれば、同盟政府は我々の前に為す術も無く降伏する事になるでしょう。その時、同盟政府首班は叛徒共の首魁として扱われる事になります。一番厳しい処罰を受ける事になる……」

「だから各星系は政府に対して文句を言えない、反乱軍を離脱する事も無く大人しくしている……」
「自らを犠牲にする事で反乱軍を一つにまとめている……」
ローエングラム公、そしてキルヒアイス提督の言葉に彼方此方から呻き声が起きた。黒姫の頭領の懸念は十分に根拠が有る。厄介な事態になったのかもしれない。

沈黙が落ちた、皆考え込んでいる。天井を見る者、目を閉じる者、腕を組む者、そして時折太い息が漏れた……。
「閣下、頭領の推測が正しいかどうか、確認をすることは出来ないのでしょうか? それなしでは今後の方針を決められないと思いますが……」
総参謀長の進言にローエングラム公が“ウム”と唸った、しかし後が続かない。難しいのだ、場合によってはハイネセンまで行って初めて分かるという事も有るだろう。

そしてもう一つ問題が有る、ゲリラ戦ではゲリラの位置を捕捉し攻撃場所を予想することが極めて難しいのだ。ゲリラに前線は無い、どこから現れるか、どんな手段で攻撃するかの選択肢は常にゲリラ側が持つ。つまり反乱軍がゲリラ戦を仕掛けてくればこの戦争における主導権は反乱軍が持つことになる……。

皆が沈黙する中、案を出したのは黒姫の頭領だった。
「閣下、艦隊を動かしてみては如何でしょう」
「艦隊を動かす? ハイネセンにか?」
公が訝しげに問い掛けると頭領は首を横に振った。

「いえ、ガンダルヴァ星域の周辺を哨戒させてはどうかと……。ライガール、トリプラ、タッシリ、バーミリオン、ランテマリオ、五個艦隊を動かし哨戒させるのです。此処には一年分の補給物資が有ります。哨戒活動はおかしなことではありません」
公が大きく息を吐いた。

「喰い付いて来るかな?」
「分かりません。しかしこのウルヴァシーの補給物資は同盟軍にとって目障りな存在のはず、出来れば破壊したいと思っているはずです、注視はしているでしょう。こちらが動いた時、相手はどう動くか……」
頭領の言葉にローエングラム公が頷いた。

「なるほど、石を投じてみるか……」
「はい、同盟軍がゲリラ戦を仕掛けてくるつもりならこの機会を逃がすとは思えません。向こうとしても出来る事ならハイネセン陥落は避けたいでしょう」
「……良いだろう、艦隊を動かしてみよう。ハイネセンに行かずとも反乱軍の狙いが確かめられればそれに越した事はない」
出撃か……、会議室に声にならないざわめきが起きた。皆が顔を見合わせている。

「戦闘は避けさせてください、同盟軍を発見した場合はすみやかに撤退するべきかと思います」
「我らが負けると頭領はお考えかな」
頭領の言葉にケンプ提督が反応した。幾分声がきつい、戦うなと言うのが不満なのだろう。頭領が苦笑を浮かべた。

「もし同盟軍がゲリラ戦を仕掛けてくるとすれば、こちらからは遭遇戦に見えても実際は遭遇戦ではない可能性が有ります」
「しかし……」
なおも言い募ろうとするケンプ提督を頭領が手を上げて制した。
「先ずは同盟軍の動きを見定めましょう」
「……」
「焦る必要は有りません、いずれ戦う時は来ます。必ず……」

五個艦隊の哨戒活動が決まった。指揮官はビッテンフェルト、アイゼナッハ、レンネンカンプ、シュタインメッツ、ミュラーの五人。さて、反乱軍はどう出て来るか……。




 

 

第三十九話  聞こえてくる声




帝国暦 490年  4月 4日   ガンダルヴァ星系  ウルヴァシー   アウグスト・ザムエル・ワーレン



ウルヴァシーの地表にはこの惑星を帝国軍の恒久的な根拠地にするための基地が作られつつある。その中の施設の一つ、大広間に皆が集まっていた。皆の顔色は良くない、哨戒活動に出た五個艦隊の内、タッシリ星系に向かったシュタインメッツ艦隊がヤン艦隊に遭遇し敗北した。

残り四個艦隊の内、ライガール、トリプラ星域に向かったミュラー、レンネンカンプ艦隊は反乱軍と遭遇したが戦闘にはいる事無く撤退した。バーミリオン、ランテマリオに向かったビッテンフェルト、アイゼナッハ艦隊は反乱軍と出会う事は無かった。今現在、各艦隊はローエングラム公の指示によりウルヴァシーへの帰還途上にある。

「やはり反乱軍はゲリラ戦を仕掛けて来るか……、黒姫の頭領の懸念が当たったな」
ロイエンタールの指摘に皆の視線が頭領に向かった、だが本人は表情を変える事無く佇んでいる。聞いているのかいないのか……。はてさて、相変わらず心の内を見せない人だ。

「ビッテンフェルトとアイゼナッハは反乱軍と出くわしていない。おそらく、ミュラーとレンネンカンプが遭遇した艦隊の増援になっていたのだろう、後ろか、或いは側面か……。ミュラー達が戦闘に入っていれば姿を現し挟撃していたはずだ」
ミッターマイヤー提督の言葉に皆が頷く。おそらく新設の三個艦隊は単独で戦わせるには不安が有るのだろう。反乱軍が正面決戦を避けたのはそれも有るかもしれない。

シュタインメッツ艦隊の敗北は小賢しいとも言える小細工によるものだった。ヤン・ウェンリーは護衛が不十分に見える補給コンテナ群を前面に配置し、偶然遭遇したように見せかけて故意にシュタインメッツ艦隊に補給コンテナを奪わせた。シュタインメッツ提督も命令に従い撤退しようとしたようだがヤン艦隊の方が先に撤退したため補給コンテナを取り込んでしまったらしい。

艦隊の中央部分に取り込まれた補給コンテナ群が自動射撃装置による僅かな反撃を開始した。シュタインメッツ提督は補給コンテナ群を攻撃、そして大爆発が起きた。補給コンテナの内部には液体ヘリウムでも有ったのだろう。混乱したところにヤン艦隊が砲火を浴びせたためシュタインメッツ艦隊は大きな損害を出して敗走した。そしてヤン・ウェンリーはロフォーテン星域に去った……。

“小細工をする”、シュタインメッツ提督からの報告を聞いたローエングラム公の言葉だ。シュタインメッツ提督には特に叱責は無かった。不注意ではあったが已むを得ないとも思ったのだろう。何より反乱軍の目論見を探るという最低限の成果は得ている。勝負はこれからだと思っているのかもしれない。

「反乱軍は根拠地はどうしているのだろう」
「ゲリラ戦となれば根拠地など有るまい。領内の補給基地を適当に使っているのだろうな」
「では、各艦隊バラバラか」
「最低でも三つには分かれているだろう、最悪の場合は五つだな」
ルッツ提督とファーレンハイト提督が話している。厄介な……、反乱軍の領土それ自体が連中の根拠地になっているに等しい。

「ならば補給基地を全て占領、破壊すればよい。そうなれば反乱軍は動けなくなるはずだ」
「机上の空論だ」
ファーレンハイト提督の意見をロイエンタールが冷然と否定した。だからお前は周囲から反感を買うのだ、もう少し言い様が有るだろう。それにしても補給基地を全て破壊か? 確か八十四カ所あると思ったが……。

「全軍を上げて動けば此処が空になる。補給基地を尽く制しようとすれば兵力分散の愚を犯し各個撃破の対象になるだけだ。場合によっては五個艦隊に袋叩きに遭う可能性も有る」
「ではロイエンタール提督は手をこまねいて奴らの蠢動を見過ごすとおっしゃるのか」
ほらな、ファーレンハイト提督が反発している。また一人敵を作った。

「そうは言わぬ、追ったところで奴らは逃げるだろうという点を指摘しているのだ。有利なら戦い不利なら逃げる、ゲリラ戦とはそういうものだろう」
言っている事は正論なのだろうが反ってその事がファーレンハイト提督の反発を強めている。

「だからと言ってこのまま追いかけっこを続けるような余裕は我らには無いぞ」
「だから連中を誘い出す。罠にかけて奴らを誘い出し包囲殲滅する。これしかないだろう。問題はどのような餌で奴らを誘き出すかだ」
「ロイエンタール提督の言う通りですね。彼らを追うのではなく誘い出す事を考えるべきでしょう。さて、どうしたものか……」

黒姫の頭領が穏やかな口調でロイエンタールを支持するとファーレンハイト提督も口を噤んだ。周囲もホッとしたような表情をしている。もしかするとこれ以上二人が険悪になるのを防ぐために敢えて中に入ったか……。ロイエンタールの奴、頭領に迷惑ばかりかけているな。

「反乱軍がこちらの誘いに乗るという保証はない、補給基地を叩くべきです!」
やれやれ、トゥルナイゼンか……。頭領への反発からだな、ロイエンタールもファーレンハイト提督も顔を顰めている。
「八十四カ所、補給基地を叩けば反乱軍は動けません!」
「卿も武勲の立て場が有るな」
言い募るトゥルナイゼンにケンプ提督が皮肉を浴びせた。彼方此方で失笑が漏れた。俺も笑った。

顔を真っ赤にしたトゥルナイゼン中将が“私は”と何かを言いかけたが頭領が止めた。
「ま、止めた方が良いでしょう。非効率的ですし危険も多い。それに補給基地が八十四カ所とは限りません。八十五番目の補給基地が有るかもしれない」
八十五番目? 皆が顔を見合わせた。

「同盟軍はかなり前からゲリラ戦の準備をしていたと思われます。帝国軍がゲリラ対策として補給基地の破壊を考えるのは当然の事。となれば彼らは補給基地を極秘で増やしたかもしれません」
十分有り得る事だがなんとも気の滅入る話だ。彼方此方で溜息を吐く音が聞こえた。トゥルナイゼンが悔しそうに唇を噛んでいる。

「イゼルローン要塞を落したのは失敗だったかもしれません」
思いがけない言葉が頭領の口から洩れた。頭領は沈痛な表情をしている。
「イゼルローン要塞が同盟側に有れば、フェザーン、そして地球はローエングラム公の暗殺を考えなかったかもしれない。要塞が同盟側に有りフェザーンが健在なら同盟は国内での防衛戦を考える事は無かったでしょう」

「しかし、それでは宇宙の統一は……」
ルッツ提督が言葉をかけると頭領は首を横に振った。
「一隊をイゼルローンに送りヤン・ウェンリーを牽制します。そして本隊をもってフェザーンを占領しそのまま同盟領になだれ込む。……イゼルローンでヤン・ウェンリーを釘付けにしておけば同盟はランテマリオで決戦し何も出来ずに終わったかもしれない……」

皆、沈黙している。時折視線を交わすが誰も喋ろうとはしない。誰よりも功を上げた頭領がその功を自ら否定している。その功が大きいだけに事態は深刻だと言って良い。
「しかし、それは仮定の話でしょう。実際にそう上手く行くかどうか……」
声をかけたが頭領は何の反応も示さなかった。俺の声が聞こえていたのだろうか?

「何より同盟軍に時間を与えてしまいました。そしてヤン・ウェンリーをハイネセンに戻してしまった。イゼルローンなら一前線指揮官ですがハイネセンに居たのなら防衛計画の作成に関与したでしょう」
「では今回の作戦はヤン・ウェンリーが立てたと?」
ロイエンタールの発言に頭領が苦笑を浮かべた。

「まともな軍人ならゲリラ戦等考えません。こんな事を考えるのは彼だけですよ」
なるほど、イゼルローン要塞攻略、そして今回のシュタインメッツ提督の敗北を考えれば確かにそうかもしれない。普通の軍人なら考えない事を仕掛けてくる。厄介な相手だ。

「メルカッツ参謀長、艦に戻りましょう」
「承知しました」
頭領が隣に居たメルカッツ閣下に声をかけた。戻るのか? そう思ったのは俺だけでは無いだろう。皆の視線が頭領に集中した。それに気付いたのだろう、微かに笑みを浮かべた。

「一応彼らを誘引する作戦案は有るのですよ、ただ上手く行くかどうか……。それに向こうが常識外れならこちらも突拍子もない作戦案です。少し考えないと……、メルカッツ参謀長、手伝って貰いますよ」
頭領の言葉にメルカッツ閣下が“はっ”と短く答えた。二人が歩きだす、皆が無言で見送った。

それを契機に自然と散会となった。艦に戻る途中、ルッツ提督、ファーレンハイト提督と一緒に歩く事になった。
「随分と激しく遣り合っていたようだが?」
「済まぬ、ついカッとなってしまった」
ルッツ提督が冷やかすとファーレンハイト提督が苦笑した。

「ロイエンタール提督に悪気はないのだが……」
「いや、それは分かっている。彼にとってはあれが普通だと言う事も。ただちょっとな」
俺の言葉にファーレンハイト提督がまた苦笑を漏らした。

「持つべきものは良き同期生だな」
「そうだな。卿とワーレン提督を見ているとつくづくそう思う」
二人の声は軽やかだった。やれやれだ、どうして俺が尻拭いをしなければならんのか……。俺が溜息を吐くと二人が声を上げて笑った。

「それにしてもゲリラ戦が現実のものになるとは……」
「厄介な事になった」
「全くだ。だが頭領はこの事態を想定していたようだな」
「うむ、突拍子もない作戦と言っていたが……」
ルッツ提督とファーレンハイト提督が話している。突拍子もない作戦か……、一体どんな作戦なのか、頭領が自分を責めていた事がちょっと気になった。



宇宙歴 799年 4月 10日   ヒューべリオン  ヤン・ウェンリー



『帝国軍を撃破できたのは貴官の第十三艦隊だけだった。他の艦隊は駄目だったな、ライガール、トリプラ方面に来た帝国軍はモートン、カールセンの艦隊を見ると直ぐに撤退してしまった』
スクリーンに映るビュコック司令長官は面白くなさそうな表情をしている。無理も無い、最低でも二個艦隊は撃破したいと考えていたのだ。

『どう思うかね、これを』
「哨戒活動に出た、というわけでは無さそうです。おそらくこちらの動きを見定めるために出したのでしょう」
『帝国軍は我々がゲリラ戦を仕掛けると疑っていたということか』
「多分……」

多分疑っていただろう。そうでなければライガール、トリプラ方面に来た帝国軍が何もせずに撤退するなどあり得ない。こちらは遭遇戦を装ったが向こうは遭遇戦では無いと疑っていたのだ。そして今では確信を抱いているに違いない。
『思うようにいかんな、もう少し油断するかと思ったが……。そうなれば付け込む隙も有ったはずだが……』

ビュコック司令長官が首を横に振っている。同感だ、帝国軍は思ったより隙が無い。そして驚くほど用心深い……。
『これからどうなるかな?』
「我々がゲリラ戦をしかけていると分かった以上、ハイネセンに直進する可能性は低いと思います。仮にハイネセンに向かったとしてもウルヴァシーを空には出来ません。かなりの兵力を置いて行くはずです。それでもハイネセンに向かう兵力は我々の倍は有るでしょう」

『倍か……』
ビュコック司令長官が溜息を吐いた。将兵、艦隊の錬度も入れれば戦力比は更に大きくなるだろう。到底正面からの決戦は出来ない……。
「帝国軍が採る方針は二つです。一つは我々の補給基地を叩き身動きを出来なくする。もう一つは我々を誘い出し殲滅する」

『うむ。補給基地を叩くのなら各個撃破のチャンスだ。帝国軍の戦力を削ぐことが出来るだろう』
「そうです、となればいずれ帝国軍は我々を誘引し殲滅しようとするでしょう。当然ですが帝国軍はわざと隙を見せるはずです、こちらはそこに勝機を探らざるを得ません」

ビュコック司令長官が大きく頷いた。
『戦場でローエングラム公を斃す……』
「はい」
『同盟を護る唯一の手だな。なんとかそこまで持って行かねば……』
司令長官の声には前途の険しさを思う憂いが有った。気弱とは思わない、私だってその実現の難しさには溜息しか出ない……。

司令長官との通信が終わるとシェーンコップが話しかけてきた。何時もの皮肉を帯びた口調ではない、至極生真面目な口調だ。
「なかなか上手く行きませんな。帝国軍は思いの外用心深い」
「……」
「何と言っても輸送部隊を撃破出来なかったのが痛い……」

その通りだ、輸送部隊を撃破出来ていればかなりこちらが有利になっていた。帝国軍に短期決戦を強いる、帝国軍に無理を強いる事が出来たのだ。
「まさか護衛に六個艦隊も動かすとは……」
「……」

六個艦隊、こちらの全戦力よりも多い戦力で輸送部隊を護っていた。こちらが姿を見せても輸送部隊の護衛を専一にして挑発に乗る事は無かった。しかも指揮官が凄い、ロイエンタール、ミッターマイヤー、ケンプ、ルッツ、ワーレン……。いずれも帝国軍の名将達だ、数だけではなく質でもこちらを圧倒した。そして指揮を執ったのは黒姫の頭領……。

挫けそうになった。それでもなんとか隙を突く事は出来ないかと後を追った。だがあの通信……。平文で打たれていた、明らかにこちらに聞かせるのが目的の通信……。無駄だと言っていた、こちらを甘く見るようなことはしないと……。

まるで目の前に大きな壁が立ち塞がったような思いだった、小揺るぎもしない大きな壁……。今思い出しても溜息が出る。帝国軍は手強い。戦力の優位を十二分に生かしてくる。そして嫌になるほど慎重だ。隙らしい隙が見えない。タッシリ星系での勝利も相手を上手く嵌める事が出来たからだ。そうでなければあの艦隊も無傷で撤退していただろう。

……作戦は立てた、僅かではあるが勝機は有るはずだ、そう思いたい。しかし帝国軍がこちらの策に乗るだろうか……。溜息を吐かざるを得ない……。
“邪魔をするのは許さない……”
黒姫の頭領の声が聞こえた。彼の声など聞いた事は無い、それでもあの輸送部隊の一件から聞こえるようになった。冷たく、威圧的で、そして喉をじんわりと締め付けてくるような声、黒姫の頭領の声だった……。

 

 

第四十話  相性


帝国暦 490年  4月 12日   ガンダルヴァ星系  ウルヴァシー   アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト



ウルヴァシーの基地の大広間に将官以上の階級に有る人間が集められた。黒姫の頭領が要請したらしい、どうやら頭領の言っていた作戦案の説明が有るのだろう。最終的にここで討議し実施の可否を決める事になるはずだ。作戦案に期待している人間も居れば反発している人間も居る。だが誰もが関心を持っている、無関心ではいられない。

哨戒活動に出ていた指揮官達も戻ってきた。ヤン・ウェンリーに敗れたシュタインメッツ提督の艦隊は三割以上の損害を出している事が分かった。おそらくこの決戦では重要な役割を得る事は出来ないだろう。シュタインメッツ提督の表情が今一つ冴えないのは敗れた事よりもその所為かもしれない。

ローエングラム公が討議の開始を宣言した。聞くところによると公も作戦の内容は知らないらしい。頭領は公に楽しみは後に取っておきましょうと言ったそうだ。頭領が皆の前に出た、いつも通りの落ち着いた表情だ。さてどんな作戦案なのか。相談に乗ったメルカッツ閣下も首を振りながら驚いたと言っていたが……。

「作戦を提示する前に同盟軍の狙いについて確認します。彼らはゲリラ戦を展開していますがその狙いは二つあると思います。一つは我々を翻弄し疲れさせ同盟征服を諦めさせる事。もう一つはローエングラム公を戦場で殺す事……」
物騒な発言だ、大広間にざわめきが起きた。

「帝国は現在ローエングラム公の独裁体制により動いています。ローエングラム公が戦死した場合一体帝国に何が起きるか?」
頭領が周囲を見回した。
「総参謀長、貴女の意見を聞かせてください」

頭領の言葉に総参謀長の顔色が曇った。一瞬だがチラっとキルヒアイス提督に視線を向けるのが見えた。
「おそらく、後継者を巡って争いが生じると思います」
また大広間にざわめきが起きた。なるほどキルヒアイス提督に視線を向けたのはナンバー・ツーの彼の体面を考えたからか……。

黒姫の頭領が手を上げると騒ぎが収まった。
「私も同感です。一時的にはキルヒアイス提督を中心に纏まるかもしれません。そして自由惑星同盟を征服するかもしれない。しかしその紐帯は極めて緩いものになるでしょう。反帝国を掲げ帝国の統一を望まない勢力がそれを見過ごすとも思えません。彼らは必ず帝国を内部から分裂させようとするはずです」

頭領の言葉を聞いている皆の表情が硬い、十分にあり得る話だ。地球教、そして征服されたフェザーン、反乱軍、それに貴族連合の残党……。帝国の内部分裂を狙い復権を望む勢力にとっては千載一遇の機会だろう。この機会を逃すとは思えない。隣に居るルッツ、ワーレンを見た。二人も渋い表情をしている。

「或る国を占領した国家が内部闘争から占領地を放棄する例は歴史上珍しくありません。同盟軍はそこまで考えてゲリラ戦を展開していると思います。なぜなら、同盟軍の跳梁を抑えるためには彼らを罠にかけ誘引し殲滅するしかないからです。そして彼らを罠にかけるにはローエングラム公自らその命を的にするのが最善の策です。同盟軍はそこに活路を見出そうとしていると考えられます」

彼方此方で呻き声が上がった。皆が顔を強張らせている。胆力に優れたルッツも顔色が悪い。思った以上に帝国軍の状況は良くない。そして反乱軍は周到に作戦を立てている。ヤン・ウェンリーか、容易ならぬ敵だ。頭領は一体どうやってこの苦境を乗り切ろうと言うのか。突拍子もない作戦、メルカッツ閣下も驚いた作戦とは何なのか……。

「ここまでの現状分析について異論の有る方、疑問の有る方は?」
「……」
黒姫の頭領が大広間を見渡したが皆無言だった。それを見て頭領が一つ頷くと言葉を続けた。

「ではこれから私が考えた作戦案を説明します。先ず、四個艦隊を以って惑星ウルヴァシーを守り、残りの艦隊は同盟軍の補給基地の破壊に向かいます。ウルヴァシーを守るのはルッツ提督、ワーレン提督、キルヒアイス提督の艦隊、そしてローエングラム公の直率艦隊」
大広間がどよめいた。ローエングラム公の艦隊をウルヴァシーに残す? 一体何を考えている。ルッツ、ワーレンを見た。二人とも驚愕を隠そうとしていない、予想外の事態だろう。

「頭領! それは一体どういう事です。先程頭領は反乱軍の狙いはローエングラム公を戦場で斃す事だと言った。それではみすみす反乱軍の……」
「キルヒアイス!」
言い募ろうとするキルヒアイス提督をローエングラム公が制した。頬が紅潮している。興奮しているのだろう。

「戦場に居る以上私は戦いを避けるつもりはない。ヤン・ウェンリーと決着を付けるか……。望むところだ、続けよ」
黒姫の頭領がローエングラム公に一礼した。もう一度ルッツとワーレンに視線を向けた。二人とも緊張している、内心では厄介な事になったと思っているだろう。

「危惧されるのは尤もと思います。しかし我々は先ず同盟軍を誘引しなければなりません。その点において我々が同盟軍の前に提示できるのはローエングラム公とこの惑星ウルヴァシーに有る補給物資だと思うのです。両方失えば帝国軍は非常な窮地に陥る、おそらくは撤退という事になるでしょう。同盟軍はこの誘いから逃げられない……。如何ですか?」

皆が渋々頷いた。確かに頭領の言う通りではある。だがローエングラム公が戦いを望んでいるから黙っているのであってそうでなければ口々に非難をしたに違いない。
「補給基地を攻略した各艦隊はウルヴァシーに帰還、ウルヴァシーの留守部隊とともに押し寄せた同盟軍を包囲殲滅する……」

頭領が皆を見渡した。反論は出ない。ローエングラム公の安全を危うくすると言う一点を除けば特におかしな作戦では無い。
「では次にローエングラム公を失う危険を軽減する策を説明します」
皆が訝しげな表情をした。俺も多分同様だろう。軽減? 兵力を増やすのか?

「ローエングラム公にはブリュンヒルトを降りて頂きます」
皆が訝しげな表情をした。ブリュンヒルトを降りる?
「どういう事だ? 一体何を言っている」
「ブリュンヒルトには私が乗ります。公はマーナガルムへお移りください」

大広間がざわめいた。皆が興奮して口々に何かを言っている。ルッツが“それは”と言って絶句した。要するに頭領が身代りに立つ、そういう事か。確かに突拍子もない作戦だ……。

「馬鹿な、そのような事は出来ぬ! 卿は私を愚弄するのか、危険を避け安全なところでじっとしていろだと?」
「その通りです」
「そのような事は……」
「甘んじて受けて頂きます」
押し殺したような声だった。ローエングラム公と黒姫の頭領が睨みあっている。大広間の空気がずしっと重くなった。騒ぎは収まり皆、何も言えずにいる。

どのくらい経ったのか……、頭領が一つ息を吐いた。
「公が一個艦隊の司令官に過ぎぬのなら私は何も言いません。ですがそうではない……。先程も言いましたが公に万一の事が有れば帝国は分裂し多くの血が流れるのです……」
「……」
ローエングラム公が唇を噛み締めた。

「それだけではありません。今では二十億のフェザーン人、百三十億の同盟市民に対しても責任を持つ身なのです。今、ローエングラム公以外に宇宙を統一できる人物が居ますか? 彼らに平和をもたらす事の出来る人物が……」
「……」
頭領の声が大広間に流れる、大きな声では無い、静かな声だ。だが声が流れるにつれローエングラム公の顔に苦痛の色が浮かんだ。

「如何なされます? ……宇宙の支配者としての責任を負うか、それとも責任を捨て己が矜持を優先させるか……。お答えください、ローエングラム公」
「……」
公が目を閉じている、微かに震えているようだ。キルヒアイス提督が“ラインハルト様”と声を出した。

「無礼だろう! たかが海賊の分際でローエングラム公に何を言うか!」
「黙りなさい、トゥルナイゼン! 私はローエングラム公にこの銀河の支配者としての覚悟を問うているのです!」
「な、何を」
「止めよ! トゥルナイゼン!」
ローエングラム公がトゥルナイゼンを厳しい声で止めた。愚かな奴、これでは到底役に立つまい……。

「分かった、マーナガルムに移ろう」
絞り出す様な声だ、皆がホッと息を吐くのと頭領が公に対して礼をするのが一緒だった。俺もホッとした、もし公が矜持を守る事を優先すると言ったらどうしただろう……。何処かで公を見限っていたかもしれない。だがそれは俺だけだろうか……。

「卿は酷い男だな」
「……」
「私に戦うなとは……」
ローエングラム公が呟くように声を出した。戦争の天才が戦う事を許されない、確かにこれ以上の苦しみ、哀しみはないかもしれない。頭領がまた一つ息を吐いた。

「御胸中、お察し致します。しかし、この道を選んだのは公御自身のはず。後悔しておいでですか?」
「……いや、それはない。私は十歳でこの道を選んだ。後悔はしていない」
後悔はしていない、そう言い聞かせている、俺にはそうとしか思えない……。

「……人はそれぞれ歩む道によって得る物も有れば失う物も有ります。全てを得ようというのは欲張りと言うものです」
黒姫の頭領も俺と同じ事を考えたのかもしれない。頭領の言葉にローエングラム公が苦笑した。
「卿は遠慮が無いな」
「……」

大広間は沈黙している。苦笑を浮かべているのはローエングラム公だけだ。軍人としてなら戦うのが正しいのだろう、しかし統治者なら危険は避けるべきだ。特に今回は負ければ失うものが大きすぎる。だが軍人として有能であればある程、理性では理解できても感性では納得するのは難しいかもしれない。まして今回の戦いはこの銀河で最後に行われる戦いになるはずだ。その戦いに参加できない、不本意だろう。

「キルヒアイス提督もバルバロッサを降りてください。ミュラー提督と乗艦を換えて頂きます」
「私も……、分かりました」
キルヒアイス提督が答えるのと、ミュラーが頷くのが一緒だった。なるほど、ウルヴァシーに残るのはいずれも守勢の上手い人間達だ。

「ローエングラム公とキルヒアイス提督にはリオヴェルデの補給基地を目指してもらいます。そこを制圧した後はウルヴァシーに反転せずそのままバーラト星系へ、そして惑星ハイネセンを突いて頂く」
大広間がどよめいた。ここでハイネセンを突く?

「自由惑星同盟政府がローエングラム公の姿を確認すれば、彼らは自分達の防衛計画がその根本から覆された事を認識するでしょう。その上で彼らを降伏させ、そして彼らから惑星ウルヴァシーで戦う同盟軍に対して降伏するように勧告させる」
彼方此方で興奮する姿が有った。俺も興奮している、なるほど、公をウルヴァシーから遠ざけたのはこれも有っての事か!

「これは競争です、各艦隊が戻ってきて同盟軍を降伏させるのが先か、それともローエングラム公がハイネセンを降伏させるのが先か、……惑星ウルヴァシーの防衛軍が単独で同盟軍を降伏させる前にどちらが先に功を挙げるか、楽しくなりますね」
頭領の冗談に興奮が更に大きくなった。いや、もしかすると本気か? ルッツとワーレンが顔を見合わせて力強く頷いている。面白い! まさに宇宙最後の決戦に相応しい戦いだろう!

「面白い! 良いだろう、卿の作戦案を採ろう」
ローエングラム公も頬を紅潮させて興奮している。おそらく自らの手でこの戦争を終わらせる、そう思っているのだろう。これなら公も十分に矜持を保つことが出来る。作戦案を採用された事に対して頭領が一礼した。
「ところで一つ教えて欲しい、私ではヤン・ウェンリーに勝てぬか?」
「……」

「卿が私の身代わりになるというのは私では勝てぬと見たからであろう」
問い掛けたローエングラム公よりも、そして問い掛けられた頭領よりも、周囲の俺達の方が緊張しただろう。ローエングラム公の声には楽しそうな響きが、頭領の顔には苦笑が浮かんでいる。大広間の興奮は何時の間にか静まっていた。

「私なりの考えを述べさせていただきます」
「うむ」
「戦略家としての能力は互角、戦術家としても互角でしょう。しかしいささか相性が悪いかと思います」
「相性?」
公が訝しげな声を上げた。皆も腑に落ちないといった表情をしている。

「じゃんけんのような物です。グーはチョキより強いがパーに負ける。しかしそのパーはグーに負けたチョキに負ける。実力は同等、しかし相性で負ける……」
「なるほど、分かるような気もするが……、騙されているような気もするな」
ローエングラム公が今一つ納得しかねるといった表情で苦笑した。俺も今一つよく分からない。頭領の苦笑が更に大きくなった。

「騙してはおりません。……ヤン・ウェンリーの戦術はどちらかといえば受動的なのです。相手の心理を読み、それを利用して勝つ。柔軟防御にこそ彼の真価が有ります」
「ふむ」
公が頷いている。なるほど、良く見ている。時々不思議になる、頭領は本当に海賊なのか? 我々軍人よりも同盟軍の事を知悉している。

「一方ローエングラム公の用兵は能動的です。積極的に、より完璧に勝とうとする。二人が戦うとどうなるか? 公がより完璧に勝とうとするが故にヤン・ウェンリーにその裏をかかれるという事象が起きます。アスターテの最終局面を思い出してください」
「アスターテか……」
ローエングラム公が呟いた。何かを考えている。

「二倍の兵力で分進合撃を図る同盟軍に対しローエングラム公は各個撃破を図りました。ヤン・ウェンリーはそのような積極果敢な指揮官なら、より強く勝利を求める指揮官なら最終局面で紡錘陣形による中央突破を狙うだろうと読んだのです。完璧な勝利を求めようとすれば採るべき手段は限られてきますからね。そしてあの逆撃が起きた……」
「……」

「ローエングラム公がもう少し凡庸か、或いは完璧な勝利を求めなければあの逆撃は無かったと思います。相性が悪いというのはそういう事です」
頭領の言葉にローエングラム公が呻き声を上げた。キルヒアイス提督は顔面が蒼白だ。いや彼だけではない、皆が凍り付いていた。

「ウルヴァシーでの防衛戦では勝つ必要は有りません。ただ堪えるだけで良いのです、時間が経てば経つほどこちらが有利になる。積極的に勝とうとしない、ただひたすら相手の攻撃を耐え抜く指揮官ほどヤン・ウェンリーにとって遣り辛い相手はいないでしょう。私はそれが出来る指揮官を選びました」
「……」

「そしてこちらが積極的に動かない以上、ヤン・ウェンリーは自らが積極的に動いて勝たなければなりません。彼にとって最も不得手とする戦い方です。ヤン・ウェンリーは限られた時間内で最も不得手な戦い方で勝たなければならないのです。今度は帝国軍がグーになりヤン・ウェンリーがチョキになります……」
誰一人身動きできずにいる大広間に頭領の声が静かに流れた。



 

 

第四十一話  雷鳴近づく



帝国暦 490年  4月 12日   ガンダルヴァ星系  ウルヴァシー   ナイトハルト・ミュラー



惑星ウルヴァシーの夜空は満天の星で彩られていた。いずれここが戦場になるとは思えないほど静かで美しい夜だ。
「まさか反乱軍の領内で星空を見ることが出来るとは思わなかったよ」
「そうか、私はエル・ファシルで見たよ」
「行ったのか?」
俺の問いかけに隣で空を見上げていたエーリッヒが頷いた。

「多分組織の人間も身近な人間を除けば殆どが知らないはずだ。まあ海賊だからね、何処かで商売をしていると言っておけばそれほど疑われることも無い」
「大胆だな、危険だとは思わないのか」
「帝国よりは安全さ。同盟には海賊なんていないから」
俺が笑い出すとエーリッヒも笑い出した。こんな風にこいつと笑うのは士官学校以来か……。

「済まないな、ナイトハルト。今回の戦いでは苦労をかける事になる」
「何をいまさら……、断らないでくれと頼んだのは卿だろう」
「……慣れない艦隊を率いる事になる。細かい指揮は出来ないだろうな」
「……どのみち防衛戦だ。細かい指揮は必要ないさ。ただ堪えろ、それだけだ。むしろ大変なのは卿だろう」

慣れない艦隊を指揮するのはエーリッヒも同じだ。反乱軍は総旗艦ブリュンヒルトを目指して押し寄せてくるだろう、そこに乗っているのがローエングラム公では無くエーリッヒだとも知らずに。負担は俺などよりもずっとエーリッヒの方が大きい筈だ。

「なに、指揮を執るのはメルカッツ参謀長だからね。私は指揮官席で座っているだけだ。まあ特等席で観戦しているようなものだよ、おまけに只だ。至れり尽くせりだな」
思わず失笑した。エーリッヒも笑っている。困った奴だ。

もっとも手は抜いていない。ローエングラム公の直率艦隊からトゥルナイゼン中将を外して代わりに自分の艦隊からグローテヴォール中将を編入している。理由は功に逸る人間は要らないという事だった。トゥルナイゼンは屈辱で顔を真っ赤にしていたが自業自得だろう。取り成す人間も同情する人間もいなかった。

「皆が驚いていたぞ、よくまああそこまでローエングラム公とヤン・ウェンリーの事を把握したものだってな」
「……」
「ヤン・ウェンリーを苦手な戦いに引き摺り込むか……」
エーリッヒが困ったような表情を見せた。

「本当に苦手なのかどうか……」
「?」
「まあ柔軟防御をされるよりはまし、そんな程度だろうね。過度の期待は禁物だ」
「……」
おいおい、話が違うぞ。思わずまじまじとエーリッヒを見るとエーリッヒは苦笑を浮かべた。

「そんな顔をしないでくれ、あの場ではああ言うしかなかった」
「……」
「ヤン・ウェンリーは戦場で相手の心理を読むのが非常に上手い、それは事実だ。そして守りに徹した相手に手古摺るのも事実だろう。時間稼ぎなら何とかなる、そして大兵力で押し潰す。……ローエングラム公の御気性ではその時間稼ぎが出来ない……」

苦い口調だ。それを聞いて思わず溜息が出た。
「やれやれだな、俺もとんでもない友人を持ったものだ」
「済まない、ナイトハルト」
「謝ってばかりだな。しょうがない、最後まで付き合うか」
俺が笑うとエーリッヒも笑った。二人の笑い声がウルヴァシーの夜空に響く。一頻り笑った後エーリッヒが口を開いた。深刻な表情をしている。

「私はヤン・ウェンリーの真の恐ろしさは邪道を極めている事だと思う」
「邪道?」
「少数を以て多数を破る、それさ」
「少数を以て多数を破るか……」
“ああ”とエーリッヒが頷いた。

「エル・ファシル、イゼルローン、どちらも本来なら勝てる戦いじゃなかった。しかし勝った。そして今回の戦い、本当なら同盟軍は一蹴されて征服されているはずだ。それなのに逆に帝国軍を追い詰めようとしている。有り得ない事だよ……」
なるほど、確かにその通りだ。少数をもって多数を破る事ばかりしている。

「敵より多数の兵力を集め、補給を整え敵を圧倒するのが戦争の常道だ。口にするのは容易(たやす)いが現実に行うのは容易(ようい)ではない。それを実現したローエングラム公は間違いなく名将だろう。となればヤン・ウェンリーは何と言うべきなのかな? 戦争の常道を否定してしまう彼を……」
「……化け物、かな」
エーリッヒがまた頷いた。

「私もそう思う、化け物さ。……今回の戦い、負ける事は出来ない。負ければヤン・ウェンリーは英雄になるだろう。そして少数が多数に勝つ事が常道になってしまうかもしれない。そんな事は許されない……」
「なるほど、邪道が常道になるか」
「うん」

エーリッヒは深刻な表情をしている。士官学校時代からエーリッヒの持論は戦争の基本は戦略と補給だった。それが原因で教官のシュターデンからも嫌われたが持論を曲げることは無かった。そんなエーリッヒにとってヤンは許し難い存在という事か。ウルヴァシーに残るのもそれが理由かもしれない……。

「少し冷えてきたな。風邪をひいてはいかん、基地の中に入ろうか」
「うん、そうしようか」
基地に戻りながら気になった事を訊いてみた。
「会議の後、ローエングラム公と話をしていたようだが……」
「ああ、ちょっと戦後の事をね、相談していた」

戦後? 勝った後の事か……。皆が解散する中、二人だけで話していた。
「突拍子も無い事ばかり言うと笑われたよ。でも感触は悪くなかった。最終的には総参謀長の意見を聞いてから決めると言っていた。まあ時間は沢山ある、焦って決める必要は無いさ……」
エーリッヒは笑みを浮かべていた。



宇宙暦 799年  4月19日   ヒューベリオン  ヤン・ウェンリー



『どうやら帝国軍が動き出したらしい、五日前から艦隊が動き出している。彼らの移動方向には補給基地が有る事も分かっている』
「こちらでもそれは押さえています」
『帝国軍の陣容から出撃した艦隊を除くと惑星ウルヴァシーに残っているのは四個艦隊のようだ。ローエングラム公、キルヒアイス上級大将、ルッツ大将、ワーレン大将。……どう思うかね?』

スクリーンのビュコック司令長官が問い掛けてきた。もっとも長官も答えは分かっているだろう。
「帝国軍が仕掛けてきたのだと思います。我々のゲリラ作戦を阻止するため誘引しようとしているのでしょう。我々を引き付ける餌はローエングラム公とウルヴァシーの補給物資です。両方失えば帝国軍は間違いなく撤退するでしょう」
私の言葉に司令長官が頷いた。

帝国軍は惑星ウルヴァシーに集結している。そして我々はガンダルヴァ星域からそれほど遠くない地点に分散している。我々にとって帝国軍の動向を探るのはそれほど難しくは無い。本来なら帝国軍は厳しい哨戒活動を行って偵察部隊を追い払い艦隊の動向を秘匿しようと努めるはずだ。にもかかわらずその形跡はない。こちらに敢えて情報を教えようとしているとしか判断できない。間違いなく帝国軍は同盟軍を誘っている。

『出撃した艦隊は補給基地を攻略するのだろうな。彼らが戻って来るまでの間が我々に残された時間という事か……』
「はい」
『時間の面ではなかなか厳しい条件だがそれを除けば決して不利とは言えない。兵力はほぼ同等、艦隊数は我々の方が多い』
司令長官の言う通りだ。決して不利とは言えない。

「鋭気と覇気に富むローエングラム公らしい遣り方です。自らの手で我々を討伐しようとしています。自信も有るのでしょう」
『一緒に残る指揮官もなかなか厄介な相手ばかりだ。キルヒアイス提督はローエングラム公の腹心。ルッツ、ワーレン提督は帝国領侵攻作戦でボロディン、ルフェーブルを戦死させた男達だ』
「彼らはリップシュタット戦役ではキルヒアイス提督の副将を務めています」

おそらくルッツ、ワーレンの二人はキルヒアイス提督が選んだのだろう。彼は今回の戦いが難戦になると見て自らローエングラム公と共に戦うと決めたのだ。そして既に一緒に戦い十二分に気心の知れている二人を残りの指揮官に選んだのだろう。もちろん能力的にも十分信頼できると見ての事だ。

改めて帝国軍の陣容の厚さに圧倒されそうな思いが有る。良くもここまで人材を集めたものだ。
『ふむ、ここまでは貴官の想定していた通りになったわけだ。ゲリラ戦を展開しローエングラム公を我々の前に引き摺り出す事が出来た……』
「はい」
その通りだ。この時を待っていた。唯一の勝機……。

『せっかくローエングラム公が我々を招待してくれるのだ、受けねば非礼と言うものだろうな』
「はい、向こうは我々が来るのを今か今かと待っているでしょう」
ビュコック司令長官が頷いた。
『ヤン提督、艦隊を惑星ウルヴァシーへ移動させてくれ。全軍を集結させ帝国軍に決戦を挑む』
「はっ」
敬礼をすると司令長官が答礼をしてきた。

艦隊を惑星ウルヴァシーへ移動させるように指示を出しながら思った。問題はこれからだ。如何にしてローエングラム公を戦場で殺すか……。簡単な事ではないだろう、相手は防御に徹するはずだ。しかし何処かでローエングラム公が防御に我慢出来なくなるはずだ。彼のプライドとロマンチシズムが防御より攻勢を採らせる。その時、帝国軍の陣に綻びが生じるかもしれない……。



帝国暦 490年  4月 25日   ガンダルヴァ星系  ウルヴァシー   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「随分と寂しくなりましたな」
メルカッツの言葉にルッツ、ワーレン、ミュラーが頷いた。もちろん俺も頷いている。元々は十四個艦隊がこの星に集結していたのだ。それが今では三分の一にも足りない四個艦隊に減っている。

基地の中も随分と人が少ない、寂しいと感じるはずだ。おまけに声のデカい奴と馬鹿みたいにキャンキャン騒ぐ奴もいない。惑星ウルヴァシーは至って平和だ。聞こえるのは基地の建設をしている工事の音だけだ。今俺達は大広間に居るのだがなんとも寒々しい限りだ。

「今の所、どの艦隊からも反乱軍と遭遇したという連絡は有りません」
ワーレンの言葉に皆が頷いた。どの艦隊も同盟軍と遭遇していない。つまり連中はゲリラ戦を停止しているという事だ。理由は一つ、集結して此処を目指すという事だろう。つまり決戦というわけだ。

俺が唯一心配していたのが同盟軍がこちらの誘いに乗らない事だった。このままゲリラ戦を続けられたらどうしようと思っていたのだがどうやら杞憂で済んだらしい。まあ領内で敵に居座られるのは面白くないからな。早めに決戦して帝国軍を追い出そうというわけだ。という事で今度はどうやって同盟軍の攻撃を防ぐかを考えなければならん。面倒な事だ……。

「この静けさもあと三日と持たんということですか……」
今度はルッツだ。また皆が頷いた。帝国軍の艦隊が動き始めたのが十四日。おそらく今月末には目的の補給基地に辿り着く。その前後に同盟軍は此処に押し寄せてくるはずだ。

各艦隊が出撃以降、ガンダルヴァ星域外縁部には哨戒部隊を出しているが今の所報告は無い。だがそれもルッツの言った通りあと三日とは持つまい、早ければ今日にも同盟軍発見の報告が来るはずだ。その後はどんなに短くても最低十日間、おそらくは二週間は此処に有る四個艦隊で同盟軍を抑えなければならない。同盟軍にとっても帝国軍にとっても灼熱の二週間になるだろう。そして日が経てば経つほど同盟にとっては耐え難い熱さになるはずだ。

「ナイトハルト、艦隊の掌握は上手く行っているのかな」
「まあ何とか……。自分の艦隊に比べれば多少の違和感は有る。しかし防御戦だけなら何とかなるだろう。卿の方はどうだ?」
ミュラーの問いかけに俺はメルカッツを見た。

「こちらも同様ですな。防御戦だけなら心配は要らないと思います」
「という事だ。良いんじゃないかな、変な色気を出さずに済む。ひたすら防ぐだけだ」
俺の言葉に皆が苦笑した。

俺もミュラーも一昨日まで一週間、ウルヴァシーの周辺で艦隊の訓練を行っていた。相手は必死だ、そしてヤンが居る。少しでも生き残る可能性は高くしておきたい。ルッツ、ワーレンにも手伝ってもらって艦隊訓練を行った。元々艦隊の練度は高いのだ、訓練の目的は分艦隊司令官との連動を高める事だった。

まあ人それぞれ癖は有るからな。こっちも覚える必要が有るが向こうにもこっちの癖を覚えてもらう必要が有る。ルッツやワーレンとの連携の訓練にもなったしヤンの一点集中砲火についても説明はした。無用な混乱はせずに済むだろう。結構充実した一週間だったと思う。昨日一日は休養日、後は哨戒部隊からの連絡を待つだけだ。

「問題は向こうの艦隊数が五個という事ですな」
「兵力は同等だが艦隊数は反乱軍の方が一つ多い。少々手古摺りそうです」
ルッツ、ワーレンが深刻そうな表情をしている。まあ確かにそうなんだが兵力自体は一万隻の艦隊が三個だ。

攻撃力も弱ければ耐久力も弱いだろうし新造艦や老朽艦も多いから艦隊としての練度も低いはずだ。それを考えれば一概に不利とは言えない。他の艦隊との連携を分断できれば兵力そのものはこちらの一個艦隊の六割程度だ。短時間に戦闘不能に追い込めるだろう。

「艦隊の並びはあれで問題ないですか?」
俺が問い掛けると皆が頷いた。問題なしか、これで陣形は左からミュラー、俺、ルッツ、ワーレンの順に決まった。多分俺の正面にはヤンが来るはずだ。両脇からミュラーとルッツが俺を支える形になる。少なくとも向こうはそう思うだろうな。

大広間に人が入って来た。閑散としているからすぐ分かる、リンザー大尉だ。顔が強張っているな、どうやら哨戒部隊が同盟軍を見つけたか……。緊張で身が引き締まるのが分かった。俺はこの日を待っていたのかな、それとも恐れていたのか……。メルカッツ、ルッツ、ワーレン、ミュラー、皆緊張している。ヤン・ウェンリーと戦う時が来たようだ。


 

 

第四十二話  決戦(その一)


帝国暦 490年  4月 29日   ガンダルヴァ星系   ブリュンヒルト   コンラート・フォン・モーデル



眼の前のスクリーンに反乱軍が映っていた。戦術コンピュータがモニターに擬似戦場モデルを映し出している。幼年学校でも戦術コンピュータが映し出す擬似戦場モデルは見たことが有るけど戦場で見ると全然迫力が違う。少しずつ、少しずつ両軍が近づいていく。

指揮官席の後ろに用意された席で見ているけど艦橋の空気は痛いくらいピリピリしている。この席はローエングラム公の許可を貰って臨時に用意したそうだ。マーナガルムと同じだ。

黒姫の頭領からは危険だからマーナガルムに残るようにと言われたけど隠れて付いて来てしまった。頭領は僕がこっちに来たのを知ると困ったような表情をした。“なんでこっちに付いて来たのか……、向こうに居れば安全なのに”、そう言って溜息を吐いてた。

でも僕はどうしても黒姫の頭領と一緒に戦いたかったんだ。頭領の戦っているところで頭領の役に立ちたかった。僕に出来る事なんて大したことじゃ無い、飲み物を用意するくらいだけどそれでも一緒に居て頭領の役に立ちたかったんだ……。

ゾンバルト准将、エンメルマン大佐、クリンスマン少佐、ヘルフリッヒ中佐、ライゼンシュタイン少佐、クレッフェル少佐、シェーンフェルト大尉、リンザー大尉、皆顔面が強張っているよ。さっき冷たい水を皆に用意したけど半数はもう飲み干しちゃってる。普段と様子が変わらないのは黒姫の頭領とメルカッツ参謀長だけだ。

頭領が席を回して僕達を見た。穏やかな笑みを浮かべている。凄いや、こんな時に笑えるなんて。僕だけじゃない、皆驚いている。
「どうしました」
「あ、いえ、頭領が余りにも落ち着いていらっしゃるので……」

ゾンバルト准将がちょっとつっかえつっかえ言うと黒姫の頭領がクスクス笑った。
「それが指揮官の仕事ですからね。どんなに緊張しても、どんなに驚いてもそれを表には出さない。そうじゃないと周囲が不安になります。そうでは有りませんか?」
「……」
うーん、それは分かるけどそんなに簡単な事じゃないよ。皆も困ったような表情をしている。

「指揮官というのはちょっと鈍感な方が良いようです。私には向かないな、演技するのも容易じゃない」
「そんな事は有りません、なかなかの指揮官振りです。参謀長としては心強い限りですな」
頭領とメルカッツ参謀長が話している。へー、演技なんだ。じゃあ本当は頭領も緊張してたの? 皆も興味深そうに頭領を見ている。頭領がこちらに視線を向けるとクスッと笑った。

「少しは落ち着きましたか?」
皆に話しかけてきた。皆顔を見合わせている。
「これから最短でも十日間は我々だけで戦うことになります。今からそんなに緊張していては身体が持ちません、深呼吸でもして落ち着く事です」
そう言うと頭領は席を戻してスクリーンに視線を向けた。メルカッツ参謀長が僕達を優しそうな目で見ている。

凄いや、頭領は僕らを落ち着かせようとしてくれたんだ。そして参謀長もそれに協力していた……。皆敵わないって顔をしているよ。エンメルマン大佐なんて溜息を吐いてる、僕も溜息が出た、本当に二人とも凄い。メルカッツ参謀長は名将だって聞いてたけどそれを実感した。

大丈夫、僕達は勝てるさ、絶対に負ける事なんて有り得ない。だから僕は僕の出来る事をしよう。グラスが空になっている人が居る、水の用意をしなくっちゃ……。



帝国暦 490年  4月 29日   ガンダルヴァ星系   ブリュンヒルト   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「反乱軍との距離、百二十光秒」
百二十光秒か……、同盟軍はだんだん近づいて来るな。まあ、当たり前か……。艦内に流れたオペレータの声は何処か上擦っていた。頼むからもう少し落ち着いてくれ、周りを不安にさせてどうするんだ?

おそらく今の声を聞いた兵士達は緊張で掌に汗をかいているだろう。掌を軍服に擦り付け汗を拭っている奴もいるはずだ。多分ズボンだな、太腿のあたりは汗でテカテカか。しかしもう直ぐ戦闘が始まる、そうなれば汗を気にする余裕も無くなるだろう……。戦闘が始まったら広域通信をする必要が有るな、補給基地を制圧に行った連中に状況を知らせないと……。

彼方此方で兵士達が顔を寄せ合って会話を交わしている。おそらく自分の緊張を少しでも緩めようというのだろう。意識しての事じゃない、多分無意識に行っている。戦い前はいつもこんな感じなんだろうな。視線を流して幕僚達を見た。

ゾンバルト、エンメルマン、クリンスマン、ヘルフリッヒ……。少しは落ち着いたか、さっきは酷かったからな、緊張でカチカチだった。視界の片隅にコンラート・フォン・モーデルが見えたが直ぐに視線を戦術コンピュータのモニターに戻した。困った奴だ、勝手に付いてきて……。もっとも気にしているのも今だけだろう、戦闘が始まれば気にする余裕は無くなるに違いない。

ここまでは予想通りだ。こちらは左翼からミュラー、俺、ルッツ、ワーレンの布陣だ。同盟軍は右翼から新設の一個艦隊、ヤン艦隊、第一艦隊、そして新設の二個艦隊。新設の三個艦隊は十四がモートン、十五がカールセン、十六がホーウッドの筈だが現状ではどれがどれだか判別出来ずにいる。そしてその後方に二千隻程の艦隊が有る、おそらくはビュコックだろう。予備戦力を兼ねていると言ったところか……。

やはり同盟軍は主力のヤン艦隊と第一艦隊を俺にぶつけてくるつもりの様だ。多分連携して俺を潰そうと言うのだろう。しかしはたしてどうかな? 上手く行くかな? 第一艦隊の司令官はパエッタだがパエッタとヤンはどう見ても上手く行っていない。

元々パエッタは第二艦隊でヤンの上司だった。この当時も上手く行っていなかったがその後も上手く行っている形跡がない。原作ではランテマリオ会戦以降、モートンとカールセンは残存部隊を率いてヤンに合流している。しかしパエッタはそれをしていない。

率いていた艦隊が全滅したとは思えない。第一艦隊は正規艦隊で兵力もモートンやカールセンより五割増しだったのだ。いくらなんでも全滅は無いだろう。となると考えられるのはヤンの指揮下に入るのを嫌がったからとしか思えない。或いは勝てないと見て諦めたか……。

上手く行かなかった元部下の下に行きたくないと言う気持ちは分からないでもない。おまけにイゼルローン要塞攻略後、第二艦隊は第十三艦隊に編入されている。パエッタは艦隊を取り上げられ行き場を失ったのだ、屈辱だっただろう。彼が第一艦隊の司令官になったのはあの馬鹿げた帝国領侵攻作戦の御蔭だ。僥倖と言って良い。

アムリッツアの会戦後、同盟軍の多くの提督が戦死するか捕虜になった。そして第一艦隊司令官クブルスリーが統合作戦本部長になった。同盟軍は極端な人材不足に陥ったのだ。そうでなければパエッタの艦隊司令官への復帰は難しかったはずだ。二倍の兵力を持ちながら敗れた指揮官、しかも部下が適切な案を出しながらそれを無視した指揮官。積極的に選ばれたのではあるまい、仕方ないと言った感じだろう。

ケンプによるイゼルローン要塞攻略戦の時、第一艦隊をヤンに指揮させて増援にという意見が有った。しかし実現しなかった。果たしてそこにパエッタの意思が無かったかどうか……。パエッタがバーミリオン会戦に参加していれば或いはヤンが勝利を収めたかもしれない。人間関係が歴史を変える事は間々あるのだ。

俺なら第一艦隊にはアッテンボローを持ってくるけどな。そうなればかなり手強い。だがそこまではクブルスリーもビュコックも踏み込めなかったようだ。
「反乱軍、イエローゾーンを突破しつつあります」
オペレータが震える声で報告してきた。いかんな、埒もない事を考えていた。或いは逃避していたのか……。

メルカッツに視線を向けた。微かに頷いて来る。俺も頷き返した。
「最初の一時間、気を付けましょう」
「はっ」
最初の一時間、同盟軍が暴走する可能性が有る。注意が必要だ。ルッツ、ワーレン、ミュラーにも注意はしておいた。頼むぞ、上手くやってくれよ、上手く行けば同盟軍の出鼻を挫ける……。

右手をあげた。この手が振り下ろされれば戦闘が始まる。後ろにいる誰かが喉を鳴らす音が聞こえた、誰だか知らないが落ち着けよ。手を振り下ろすのが怖くなるじゃないか。
「反乱軍、完全に射程距離に入りました!」
「撃て(ファイエル)!」

俺の命令とともに数十万というエネルギー波が同盟軍に向かって突進していった。そして同じように相手からもエネルギー波がこちらに向かってくる。合計すれば百万を超えるかもしれない。帝国暦四百九十年四月二十九日、二十三時十五分、自由惑星同盟の、いやこの銀河の命運をかけた戦いが始まった……。



宇宙暦 799年  4月30日   ヒューベリオン  ヤン・ウェンリー



「酷いものですな、ここまで練度が低いとは……」
「仕方がないでしょう。我々を除けば第一艦隊も含めて殆どが実戦不足です。ましてこの戦いは……」
ムライとパトリチェフが首を横に振っている。全く同感だ、ここまで酷いとは……。ビュコック司令長官も頭を痛めているだろう、私も溜息が出そうだ。

戦闘はまず砲撃戦で始まった。平凡な始まりのはずだったが第一艦隊の一部の指揮官が暴走した。緊張に耐えかねたのだろう。正面に居るローエングラム公、ルッツの艦隊に猛烈な攻撃を始めた。殆ど狙点も定めていないままヒステリーとしか言いようのない攻撃を始めてしまった。そしてヒステリーはあっという間に伝染した。第十四、第十五、第十六艦隊……、それぞれ前面の艦隊に猛烈な攻撃をかけ始めた。私の率いる第十三艦隊でさえそれに飲みこまれかけた……。

それに対して帝国軍は嫌になるほど冷静だった。こちらが暴走していると見ると無理をせずに後退した。そしてそれを追って飛び出した同盟軍に対して一点集中砲火で対応した。飛び出した同盟軍はその鼻面を思いっきり叩かれる事になった。第十三艦隊だけは突出を抑える事はできたが他は手酷い損害を受けて後退した……。

帝国軍は手強い、あっさりとあしらわれた……。同盟軍は慌てて後退し陣形を整えたが帝国軍は後退に付け込んで攻めてくるような事は無かった。じっとこちらを窺っているような雰囲気が有る。帝国軍はかなり余裕を持っている、そして同盟軍は今一つ不安定だ。おそらくは皆がそう感じているだろう。その事が艦橋の雰囲気を重くしている。我々だけではあるまい、どの艦隊でも同じだろう……。

帝国軍は左翼からキルヒアイス提督、ローエングラム公、ルッツ提督、ワーレン提督の順で並んでいる。同盟軍は右翼からモートン提督、私、パエッタ提督、カールセン提督、ホーウッド提督だ。モートン提督がキルヒアイス提督に正対し私とパエッタ提督がローエングラム公に向き合っている。

いや、正確に言うとモートン提督と私とパエッタ提督でローエングラム公とキルヒアイス提督に対峙している。そしてカールセン、ホーウッド提督がルッツ、ワーレン提督と正対している。

会戦が始まって約三時間、戦線は特に動いていない。良くない状況だ、こちらは勝たなくてはならないのだが出鼻を挫かれたため今一つ動きに精彩がない。何処か怯えているような動きだ。猛将カールセン提督も兵力が少ないだけに攻勢に出る切っ掛けが得られない様だ。拙いな、このままでは帝国軍の思う壺だ、時間だけが過ぎてゆく。何とかしなければ……。



帝国暦 490年  4月 30日   ガンダルヴァ星系   サラマンドル   アウグスト・ザムエル・ワーレン



「どうやら戦況は膠着状態になったと見て宜しいのでは無いでしょうか。今のところは願っても無い状況ですが……」
「そうだな、だが油断は禁物だ。向こうは後が無い、必ず何かしかけてくるはずだ」
「はっ」

参謀長のライブルの言う通り、今のところは思い通りの戦況だ。最初の一時間、あれが大きかったな。上手く反乱軍の出鼻を挫くことが出来た。だがまだ会戦が始まって五時間程度しか経っていない。最低でも我々だけで十日は戦うのだ、先は未だ長い、油断は出来ない……。

反乱軍の通信を傍受してようやく反乱軍の布陣が判明した。向こうは右翼から第十四艦隊、第十三艦隊、第一艦隊、第十五艦隊、第十六艦隊の順で並んでいるらしい。第一艦隊、第十六艦隊のパエッタ、ホーウッドは以前から艦隊司令官だったが第十四艦隊、第十五艦隊のモートン、カールセンは今回新たに艦隊司令官に任じられた男だ。

今の所俺が戦うのはホーウッドだけだがカールセンとも戦う可能性は有る。頭領の話ではカールセンはビッテンフェルトのような猛将タイプらしい。味方ならば頼もしい奴だが敵だと思うと厄介な奴だ。どうして俺はこの手の面倒な奴と縁が有るのか……。ロイエンタールの顔を思い出した。

さらに三時間程経った時、ライブルが声を上げた。
「閣下、反乱軍が少しずつ陣を右へと動かしております」
「そうだな」
艦橋がざわめいた。反乱軍は少しずつ陣を右へと動かしている。やはり動かしてきた。艦隊数が一個多い事を活かそうと言うのだろう。

これまで頭領の艦隊をヤン・ウェンリーとパエッタが攻めていたがヤン・ウェンリーだけにしようとしている。当然だがパエッタはルッツ提督に正対するだろう。つまり俺の所にカールセン、ホーウッドの二個艦隊が来るわけだ。どうするつもりだ? 二個艦隊で押し潰すつもりか? それともホーウッドは後背に出る事を狙うのか? そして頭領はどうする? 参謀達が不安そうな表情をしている。ブリュンヒルトに居るのがローエングラム公ならこんな表情はしないだろう。

「総旗艦、ブリュンヒルトから命令です!」
オペレータが声を上げた。さてどうする?
「直ちに同盟軍第一艦隊に攻撃を集中せよとのことです」
「分かった。直ちに第一艦隊を攻撃せよ! 急げ!」

なるほど、陣を横に伸ばしている以上連携は弱くなる。第一艦隊を叩いて反乱軍を中央から分断する、或いはそう見せかけて反乱軍の動きを止めるという事か。第一艦隊が混乱すれば、俺とルッツ提督でカールセン、ホーウッドを抑える、いや兵力的には叩く事が可能だ。

砲火が第一艦隊に集中した。頭領、ルッツ提督、そして俺の三個艦隊が砲撃を集中しているのだ。三倍の敵から攻撃を受けて第一艦隊が混乱している。艦橋に歓声が上がった。だが直ぐに悲鳴に変わった。
「閣下、ヤン艦隊が!」
「うむ」

ヤン艦隊が前進して頭領の艦隊に迫ろうとしている。第一艦隊を救おうとしているのだろう。そして間接的にカールセン、ホーウッドを援護しようとしている。或いは一気に勝負をかけに来たか。ミュラーが側面からヤン艦隊を牽制する。そして頭領の艦隊が更に第一艦隊に攻撃を加えた。同時にルッツ提督の艦隊が前進する、まさか本当に中央突破をするつもりか!

成功すれば反乱軍を分断できる。そうか、その後ろには反乱軍の総司令部が有る! 反乱軍の中枢を潰せる! ミュラー、もう少し踏ん張ってくれ……。
「攻撃だ! ルッツ提督を援護しろ! 中央突破だ!」


 

 

第四十三話  決戦(その二)


宇宙暦 799年 4月 30日   ガンダルヴァ星系   ヒューベリオン  ヤン・ウェンリー



『第一艦隊は再編にもう少し時間がかかるそうだ』
「そうですか」
私が答えるとビュコック司令長官がゆっくりと頷いた。当然だが司令長官の表情は明るくは無い。

『上手く行かなかったな。まあ帝国軍もこちらの方が一個艦隊多いのは分かっている。それに兵力そのものは互角だ。そう簡単に上手く行くとは思わなかったが……』
「……」
今度は溜息を吐いた。溜息は深い……。第一艦隊は三千隻近い損害を出した。それに対する代償は殆どない。

『帝国軍は手強いな、なんとも戦闘慣れしている。どうもあしらわれている、そんな思いばかりさせられる、不愉快な事だ……』
司令長官が顔を顰めた。
「……同感です」
『再編が終了次第、戦闘を再開する。それまで貴官は少し休んでくれ。今度は何時休めるか分からんからな』
「はっ」

スクリーンが切れるとシェーンコップが話しかけてきた。
「手強い、ですな。勝てますかな?」
「シェーンコップ少将!」
ムライ参謀長が厳しい声を出した。もっともシェーンコップは気にした様子もない。

「なかなか難しいね。司令長官も言われたがあしらわれているような感じがする。向こうはまだまだ本気じゃない、余裕が有るような気がするよ」
「困りますな、それは。閣下もそろそろ本気を出していただかないと……」
「シェーンコップ少将! 少し不謹慎だろう!」
シェーンコップが肩を竦めた。

「いや、参謀長。閣下が本気を出せばローエングラム公にも勝てるだろうと小官は思っているんですよ。違いますかな?」
「出してるつもりだけどね」
ムライ参謀長がシェーンコップを睨んでいる。何時もの事だ、もう慣れたな。
「困りますなあ、つもりでは」
「まあ、そんなに簡単じゃないよ」

簡単じゃない……。さっきの戦い、まさか第一艦隊に帝国軍が攻撃を集中してくるとは思わなかった。防御戦である以上、ローエングラム公は後退して陣を整えるか、或いはカールセン、ホーウッドの両提督、又はどちらかに攻撃を集中する事を選択すると思ったんだが……。

ローエングラム公、ルッツ提督、ワーレン提督の三個艦隊が第一艦隊に攻撃をかけてきた。中央を分断し、それによってカールセン、ホーウッド提督を動けなくしようとしている、そう思った。ローエングラム公が攻撃を第一艦隊に集中した事でこちらへの圧力は極端に薄くなった。前進してローエングラム公に攻撃を仕掛ける!

第一艦隊への援護になるし上手く行けばローエングラム公と決着を付けられる。簡単だとは思わないが遣ってみる価値は有る。カールセン、ホーウッド、パエッタ提督がルッツ、ワーレン提督を押さえれば十分可能だと思ったのだが……。ルッツ艦隊が中央突破を図った。そして僅かだがローエングラム公の艦隊がルッツ提督の艦隊の後方に位置するように動いた……。

慌てて前進する第十三艦隊を止めた。止めざるを得なかった……。あのままローエングラム公の居る方向に進めばキルヒアイス、ルッツ艦隊に側面を叩かれただろう。前進の勢いを無くしたところをローエングラム公に正面から叩かれたはずだ……。今思い出しても溜息が出る。狙われたのは私だった……。

ビュコック司令長官が危険だと判断して全軍に後退を命じた。幸い帝国軍は追ってはこなかった。こちらの動きに合わせて兵を引いてくれた。あしらわれたと思う……。ビュコック提督の言う通りだ、同盟軍はローエングラム公にあしらわれた……。

「閣下、少しお休みになっては如何ですか? お疲れのように見えます」
グリーンヒル大尉だった。心配そうな表情をしている。どうやら自分の思考の中に入り込んでいたらしい。彼女だけじゃない、ムライ、パトリチェフも同じような表情だ。

「そうだね、一時間程タンクベッド睡眠を取らせてもらうよ」
「紅茶を用意しておきます」
「有難う」
礼を言って席を立った。悩んでいても仕方ない。取り敢えずは心身をリフレッシュしよう。まだ戦いは始まったばかりだ。溜息を吐くのを堪えて歩き出した。



帝国暦 490年  4月 30日   ガンダルヴァ星系   ブリュンヒルト   コンラート・フォン・モーデル



艦橋は静かだ。皆それぞれに飲み物を楽しんでいる。頭領はココア、エンメルマン大佐とシェーンフェルト大尉が紅茶、ヘルフリッヒ中佐が水で他はコーヒーだ。僕もコーヒーを飲んでいるけど良いのかな? 頭領は良いって言ってくれたけど……。

「思い通り行っている、そう見てよろしいのでしょうか?」
ライゼンシュタイン少佐が問いかけると皆が顔を見合わせた。
「今のところはそう考えて良いんじゃないかな。結構反乱軍に損害も与えたし悪くないと思うんだが……」
副参謀長のゾンバルト准将がそう言って頭領に視線を向けた。皆も視線を頭領に向けた。

「過程はどうであれ取りあえず時間は稼げている、そういう意味では思い通りなのでしょうね。それにお茶を飲む余裕も有る」
頭領の言葉に皆が笑い声を上げた。
「しかし兵力は同数でも艦隊数が一個多いと言うのは結構厄介ですね。こっちももう一個艦隊増やせば良かったかな」
頭領が首を傾げた。

「しかしそれでは反乱軍が誘引されない可能性が有ったでしょう。已むを得ない事だと思いますが」
「そうですよね、全く上手く行かない。何だって同盟軍は一万隻の艦隊を三個なんて中途半端な事をしたのか……。まあゲリラ戦なら兵力よりも艦隊数と考えたか……、碌でもない」

メルカッツ参謀長の答えに頭領が顔を顰めてぼやいた。何となくおかしかった、黒姫の頭領がぼやいている、こんな事滅多にない。皆もちょっと困ったような表情だ、どう反応して良いか分からないんだと思う。でも僕はこんな頭領も好きだな、なんかとっても普通の人っぽくて身近に感じる。

「しかし結構終盤は激しい戦いになりました。ヤン・ウェンリーが向かってきた時はどうなるかと思いましたが……」
クリンスマン少佐が呟くように言うとエンメルマン大佐が
「これからはもっと激しくなるさ。それにいずれはヤン・ウェンリーと戦う事になるだろう。今回はそこまで行かなかっただけだ……」
と答えた。皆が深刻な表情で頷いている。

確かに最後は凄かったし激しかった。反乱軍の第一艦隊に攻撃を集中して有利になった時は皆が喜んだ。艦橋が割れんばかりの大きな歓声に包まれたんだ。そんな時にヤン・ウェンリーがこっちに向かってきた。あの時はオペレータが悲鳴みたいな声で叫んだよ。“ヤン艦隊! こちらに来ます!”って。歓声なんか一瞬で消えてしまった。あの時思った、ヤン・ウェンリーって本当に怖いんだ、皆怖れてるんだって。

でも黒姫の頭領は落ち着いていた、メルカッツ参謀長もだ。頭領は参謀長にルッツ提督に中央突破をさせたいって言ったんだ。メルカッツ参謀長はちょっと驚いたみたいだけど直ぐ頷いてオペレータに指示を出した。その上で艦隊を少し横にずらしてはどうかって頭領に進言した。頭領は“それは良い”って直ぐに許可した。

ルッツ提督が前進して僕達が横にずれるとヤン艦隊は動きを止めた。そして反乱軍は後退し始めた、ヤン・ウェンリーもだ。その動きを見届けてから帝国軍も陣を引いた。一瞬の攻防だったけど本当に凄かった。僕なんて喉がカラカラに干上がったよ。

「取りあえず挨拶は終わった、そんなところでしょう。今回は何とか優勢を保つ事が出来ましたがこのまま終わるとも思えない、向こうも次は本気を出してくるでしょうね、何と言っても同盟軍には後が無い。今の内に休息を取っておいて下さい」
頭領の指示に皆が頷いた。



帝国暦 490年  4月 30日   ガンダルヴァ星系   ブリュンヒルト   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



酷い戦いだった。全体としては優勢だったけど何時までこの優勢が持つか……、そんな事を思わせる戦いだった。溜息が出そうだよ……。最初の一時間、あれが大きかったな、上手く同盟軍の出鼻を挫く事が出来た。戦闘の主導権を握る事が出来た……。

しかしなあ、俺もミュラーも追い打ちが出来ないんだ。いや出来ないわけじゃないがヤンとモートンが正面だからな、ヤンはもちろんだがモートンもしぶといから無茶が出来ない。頭が痛いよ、あそこでもう一撃できればもっと有利になったんだが……。結局は中途半端な形になってしまった。

防御戦か、もうちょっと楽かなと思ったけど結構きついな。攻撃の主導権が相手に有るわけだからな、せっかく取った主導権も向こうに渡してしまう事になる。兵力に余裕が有るならそれも良いが今はほぼ同数だ、結構精神的にきつい。ラインハルトがバーミリオンで攻勢に出るはずだよ、性格的なものも有るだろうが、その方が楽なんだ。戦争の本質ってのは攻めなんだな、主導権を握りやすいんだろう。

ヤンが押し寄せてきた時はやばかった。あれは俺を斃しに来たのかな、多分そうだろう。艦橋も凍りついていた、精鋭部隊ってのは押し寄せるだけで迫力が有る。後退するって手も有ったがそれだと相手を勢い付けるだけだと思った。だから思い切ってルッツに中央突破をさせる事にした。

第一艦隊は混乱していたからな、上手く突破できれば後方からヤン、モートンを攻撃できる。或いは先にカールセン、ホーウッドをワーレンと前後から叩く事も可能だ。危険ではあるが俺が有る程度時間を稼げれば十分に勝機は有る、そう思ったんだ。

だがメルカッツが艦隊を少し横に移そうと言ってくれた。なるほどと思ったね、パエッタは俺とルッツの丁度中間あたりの前方に位置していた。ルッツが中央突破を図るとなれば多少斜めに進む事になる。ヤンが俺を目指してくればミュラーとルッツから側面を撃たれやすいんだ、そして俺からは正面を攻撃される。

中央突破を図りつつヤンを誘引して三方から叩くか……。ちょっと俺には考え付かなかった手だ。流石はメルカッツ、堅実にして隙無しだな……。亀の甲より年の功とは上手い事を言うもんだ、年寄りはなかなかしぶとい。そしてもう一人この戦場にはしぶとい老人がいる。同盟軍宇宙艦隊司令長官、アレクサンドル・ビュコック……。

ビュコックも楽じゃないだろう。本来なら攻撃の主軸になるはずの第一艦隊があまり当てにならないと思ったはずだ。頭が痛いだろうな、その状態で帝国軍と戦って勝たなければならない……。今頃は戦力の再計算をしているかもしれない。一体誰をヤンと組ませるか……、モートン、カールセン、ホーウッド……。

帝国軍の増援が来るのは早ければ八日か九日と言ったところだろう。俺にしてみれば未だそんなにあるのかと言った気持だが相手にしてみればそれだけしかないという焦慮が有るはずだ。ビュコックは一体何を仕掛けて来るか……。想像したくないな、溜息が出そうだ。



宇宙暦 799年 4月 30日   ハイネセン 最高評議会ビル   ジョアン・レベロ



「それで、状況は」
私が問いかけるとクブルスリー本部長がチラリとホアン・ルイ国防委員長に視線を向けた。ホアンが微かに頷く、それを見てクブルスリー本部長が咳払いをして話し始めた。

「四月二十六日に同盟軍五個艦隊、約六万隻の艦艇がガンダルヴァ星域に進出、三十日間近になってから帝国軍本隊との戦闘に入りました。帝国軍は四個艦隊、兵力はこちらとほぼ同数の六万隻。総司令官はローエングラム公です」
「うむ、それで」
そこまでは分かっている。その先だ、私が訊きたいのは。

「戦闘は約十時間続いた様です。現在では両軍ともに兵を引き艦隊の再編と補給、そして休息を取っています」
悠長な、そう思ったのは私だけだろうか……。不満を押し殺して更にクブルスリー本部長に問いかけた。

「それで、戦闘はどちらが有利だったのかね」
クブルスリー本部長の表情が多少歪んだように見えた。思った通りだ、状況は同盟軍にとって不利だったのだろう。良ければ私が訊かなくても自分から積極的に話す筈だ。

「幾分同盟軍が不利だったようです。各艦隊とも多少の被害が出ましたがもっとも被害の大きかった第一艦隊は三千隻近い損害を出したと報告が有りました」
「……」
主力の第一艦隊が三千隻近い損害を出した? 幾分同盟軍が不利という状況なのか、それが……。私が視線を向けるとクブルスリー本部長はバツが悪そうな表情をした。

「ビュコック司令長官からの連絡では五月一日午前零時をもって戦闘を再開するそうです」
午前零時か、時計は二十二時三十八分を指している。あと一時間二十二分……。
「勝てるかね?」
「……勝って欲しいとは思いますが……」
歯切れが悪いな、表情も暗い、難しいと言う事か……。

「補給基地の制圧に出た帝国軍がガンダルヴァ星域に戻るのは何時頃になるのかな?」
「早ければ八日か九日には戻ってくると軍では想定しています」
八日か九日、後一週間……。
「時間が無いな」
クブルスリー本部長が頷いた。

「正直に申し上げますと状況は良くありません。帝国軍の指揮官はローエングラム公以外もいずれも有能です。ローエングラム公を斃そうとすれば彼らが前に塞がるでしょう。同盟軍は彼らを排除してローエングラム公を斃さなければなりません」
「……分かった、状況に変化が起きたら教えてくれ。ご苦労だった」
クブルスリー本部長が一礼して執務室を出て行った。

「不満かな、レベロ。軍は良くやっていると私は思うがね」
「……」
「三倍以上の敵を相手に時間の制約は有るが五分の条件にまで持ち込んだんだ。それは認めても良いだろう」
「良くやっているじゃ駄目なんだ! ホアン」
少し声が強かったか。私が答えるとホアンが肩を竦めた。

「この戦いは負けられないんだ。負ければ民主共和政が終焉しかねない、そうだろう?」
「……」
「彼らの努力は認めても良い、だが勝たなければ駄目なんだ……」
溜息が出た。ホアンがそんな私をじっと見ている。

「ホアン、私がどれだけ皆から非難を受けたと思う」
「それは……」
ホアンが何かを言いかけて押し黙った。
「ヴァンフリートの一件では売国奴、恥知らずと皆から非難を受けた。だがあの条約を結んだから軍備を増強できた……」
「……そうだな」

誰もやりたがらなかった交渉だ。周りからは止めた方が良いと忠告された。政治生命を失う危険性が有るとも忠告された。ホアンもその一人だ。だが一つ間違えば同盟は二進も三進もいかなくなる可能性が有った。自分が出るしかなかった……。

「無防備都市宣言の事もそうだ」
「……」
各有人惑星の知事に防衛作戦を説明した時、どの知事も同盟政府だけが生き残ろうとしているのではないかと猜疑心を露わにした。卑怯者と罵られたことも有る。それでもなんとか説得した。だから同盟はまだ国家として纏まっている。

「辛かったよ、何度も投げ出したいと思った。私はあの思いを無駄にして欲しくないんだ」
「……それは」
「エゴだと思うか? だがこの国を守りたい、民主共和政を残したい、その一心で耐えたんだ。それでもエゴか、ホアン?」
「……」
ホアンが太い息を吐いた。
「勝って貰わなければ困るんだ。勝って貰わなければ……」
頼むから勝ってくれ、そしてこの国を守ってくれ、それだけが私の望みだ……。



 

 

第四十四話  決戦(その三)




帝国暦 490年  5月  2日   ガンダルヴァ星系   ブリュンヒルト   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「ヤン艦隊、また押し寄せてきます!」
「砲撃を反乱軍中央に集中せよ! 決して押されるな!」
オペレータの報告にメルカッツが指示を出している。戦闘指揮はメルカッツの方が上手いからな、お任せだ。俺は黙ってそれを見ている。結構それも辛いけどな。

オペレータが“また”って言ったけどこれで何度目だ、押し寄せてくるのは……。こっちを叩きに来るヤン艦隊をその度に押し返しているがいい加減疲れるわ。溜息が出そうになるけど必死にこらえている。ヤンの奴、そろそろ休憩とか取らないのかな、取らないんだろうな……。

常日頃は怠け者なのに戦争の時だけ勤勉になるってどういうことだ? 戦争が嫌いだとか言ってるが口だけだろう、それともイヤよイヤよも好きのウチか、この偽善者が! ラインハルトは小生意気なガキだけど素直でカワイイぞ、最近は更に可愛げが増した。頭を撫でてやりたいくらいだ、少しは見習え!

……病気、大丈夫かな、あいつ。後で周囲に警告しておかないと……。ヒルダとアンネローゼに言っておけば大丈夫だろう。それとキルヒアイスとアンネローゼの結婚の事も何とかしないと……。あの通りラインハルトはガキだからな、二人の気持ちの事など分からんだろう。二人も積極的に動くとは思えん。俺が仲に入るか、それとも人に頼むか……。

ヴェストパーレ男爵夫人に頼むか、それが良さそうだな。それとあいつの結婚も考えてやらないと……。ヴェスターラントの虐殺が無くなったからヒルダとの結婚は無理かもしれん。なんせはずみでやっちゃって出来ちゃったから結婚しました、そんな感じだからな。自力じゃ無理だ。何で俺がこんな事心配してるんだ? いかんな目の前の戦争に集中しないと。

五月一日に入ると同時に再編を終えた同盟軍は攻勢に出てきた。帝国軍は陣形を変えずに対応したが攻め寄せた同盟軍の布陣には多少の変更が有った。ミュラーの前面にパエッタが、ルッツの前面にモートンが配置されていた。パエッタとモートンの位置を交換したわけだ。

どういう事なのかと思ったがどうやらパエッタは当てにならないと判断されたらしい。というのもパエッタは俺の方に攻撃をかけてこない。正面のミュラーとの戦闘に終始している。ビュコックはパエッタを中央に置いても周囲から攻撃され混乱するだけだと思ったのだろう、そうなれば同盟軍は常に中央突破の危険にさらされる……。評価低いよな、本人も屈辱だろう。しかしビュコックの判断が間違っているとも思えない、パエッタよりもモートンの方が粘り強いし指揮能力も上だ。

モートン、カールセン、ホーウッドの三人はルッツ、ワーレンと戦闘を繰り広げている。つまりだ、ビュコックはヤンと俺を一対一で戦わせようというわけだ。一対一ならヤンはラインハルトにも勝てる、そう思っているのだろう。まあ俺もそう思わないでもない。しかし年寄りは碌でもない事を考えるな、ブリュンヒルトに乗っているのはラインハルトじゃない、俺だって教えてやりたいよ、全く……。

今のところ戦況は決して悪くない。押し寄せてくる敵を押し返す、防御戦としてはありふれた展開だ。これは俺の艦隊だけじゃない、他の艦隊も似たような状況だ。艦橋も落ち着いているし参謀達も不安そうな表情は見せていない。順調に戦況は動いていると言う事になる。このまま時間が過ぎ去ってくれれば良いんだが……、そんなわけないよな、溜息が出た。

有り得ないよな、どうもおかしい。時間制限を付けられているのは同盟側なのだ。戦線の膠着状態なんて同盟側にしてみればもっとも望ましくない事態だろう。それをもう丸一日半続けている。ビュコックとヤンがボンクラなら分かる。だがあの二人はそうじゃない、一体何を考えているのか……。今回も二時間ほど経つとヤンは艦隊を後退させた。

押し寄せては退き、退いては押し寄せる。これはヤンだけじゃない、他の艦隊も似たような動きをしている。しかも各艦隊がバラバラに行っている。同盟軍としての連携はまるで取れていない。一体どういう事だ? やはり俺の事はヤンに任せて終わりという事か?

いかんな、思考が堂々めぐりしている、建設的じゃない。水でも飲むか……。コンラートに視線を向けると緊張した様子を見せた。
「コンラート、冷たいお水を貰えますか」
「はい!」
いや、そんな嬉しそうな声を出されても困るんだけどな。

水を受け取って一口飲む。どうする? メルカッツに訊いてみるか? しかしな、参謀達は落ち着いている。彼らを不安にさせるのも考え物だが……。思い切ってメルカッツに問いかけた。
「参謀長、どうも敵の動きが不可解だと思うのですが……」
「小官も同じ思いです。いささか解せません。しかし他にはこれと言って不自然な動きは有りません……」

参謀達が顔を見合わせる中、メルカッツが戦術コンピュータのモニターを見ながら答えた。やはりそう思うか、つまり俺の杞憂じゃないってことだな。
「気を付けましょうか、油断はできない。……気付いた事が有ったら言ってください」
声をかけると参謀達が頷いた。まあ多少の気休めにはなるだろう……。



急激な戦況の変化は四時間後にやってきた。ヤン艦隊がまた押し寄せてきたのだ。しかし今度は俺の艦隊がとんでもない損害を出している。スクリーンで見ても酷い爆発だ。前線からも悲鳴のような報告が来ている、明らかにこれまでの攻撃とは損害の度合いが違う。

何が起きたかは想像がつく、ヤン艦隊お得意の一点集中砲火を受けたに違いない。艦橋の彼方此方で悲鳴が上がっているし、参謀達は顔面を強張らせて“何が起きた!”などと叫んでいる。あんまり騒ぐんじゃない、不安が増すだけだ、参謀達を睨みつけて黙らせた。

「艦隊を後退させます」
メルカッツの進言に頷いた。このままでは被害が増えるだけだ、後退せざるを得ない。多分、ヤンは突っ込んでくるだろうな。四つに組んでの戦いか……、分が悪いな、厄介な事になった……。いや、どこかでこうなるのは分かっていた事だ。これは想定内の事なのだ、まだ負けたわけじゃない。弱気になる必要は何処にもない。

それにしても上手くしてやられた、これまでの丸一日半の攻撃はこれのためか……。平凡な攻撃を繰り返す事でこっちを油断させた。いきなり攻撃方法を変える事で混乱を誘った。見事だよ、ヤン。やっぱりお前は戦争大好き人間だと言う事が良く分かった。俺の忠告も無視してくれたしな、この礼は高くつくぞ、楽しみにしてるんだな。

「してやられましたか……」
「頭領?」
「ウチだけじゃないようです、他の艦隊も被害を受けている」
メルカッツが戦術コンピュータのモニターに視線を向け、そして表情を厳しくした。どの艦隊も押し込まれている。つまり、ヤンだけじゃない、同盟軍としての作戦であり攻撃だ。

「各艦隊に命じてください、無理せず後退せよ」
「各艦隊に命令、無理をせず後退せよ、損害の軽減を図れ!」
メルカッツが命令を出し終わるのと同時にオペレータが叫んだ。
「反乱軍、陣形を変えつつあります!」

戦術コンピュータのモニターはヤンが紡錘陣形を取りつつある事を示している。中央突破を狙うか、どうやら他の艦隊も同じらしい。
「参謀長、後退しつつ陣形を縦深陣に変えましょう」
「はっ。後退しつつ陣形を縦深陣に変えます」

メルカッツが陣形を変えるために指示を出している。それを聞きながらもう一度モニターを見た。ミュラーは後退しつつあるようだ、こっちと動きを合わせようと言うのだろう、問題は無い。問題はルッツとワーレンだ。拙いな、カールセンが二人を分断しようとしている。突破されたらお仕舞いだ。或いは真の狙いはこっちかもしれん……。と言ってメルカッツは陣形を変えるので手一杯だ。参謀達を見た、顔面蒼白だが少しは落ち着いたか。

「副参謀長、ルッツ、ワーレン艦隊に命令。後退しつつ両艦隊でV字陣形を取れ。カールセン艦隊の突破を許すな!」
「は、はっ」
おいおい、目を白黒させてどうするゾンバルト。特等席で見物させてるわけじゃないぞ。お前も戦力の一部なんだ、しっかりと働いて貰う。

「全艦、ヤン艦隊の先頭に攻撃を集中せよ! 急げ!」
俺の命令をオペレータ達が全艦に伝えている。攻撃が先頭に集中されれば少しはヤン艦隊の進撃を遅らせる事が出来るだろう。メルカッツの作業を助ける事にもなるはずだ。まだまだだ、不意は突かれたが負けたわけじゃない。これからだ。

戦術コンピュータのモニターが状況を映し出している。俺の艦隊がゆっくりと陣形を変えていく、もどかしいほどの速度だ。そしてヤン艦隊が陣形を変えつつ前進してくる。その先頭に攻撃が集中した。先頭が歪に凹む、しかし崩れない、再度陣形を整えつつ前進してくる。流石はヤン艦隊と言うべきだろう、同盟軍随一の精鋭だ、士気が高い! しかし僅かだが艦隊の前進が遅くなったし時間も稼げた……。

縦深陣は何とか間に合うだろう、問題はその先だ。ヤン・ウェンリーは兵を退くか、それとも突っ込んでくるか……。兵を退くなら問題は無い、しかし変化を求めて損害を覚悟で突っ込んでくる可能性も有る。出鼻を挫いて膠着状態を作り出す必要が有るな。……あれをやるか、丁度いい、勢い込んで来る奴には効果的だろう。



宇宙暦 799年 5月 2日   ガンダルヴァ星系   ヒューベリオン  ヤン・ウェンリー



「ローエングラム公は後退しつつ縦深陣を取りつつあります」
「そうだね」
「第一、第十四、第十五、第十六艦隊も動きが取れずにいるようですがどうなさいますか」
ムライ参謀長の言葉に皆が私を注目した。やれやれ期待されているのは分かるが何とも視線が痛い。思わず髪の毛を掻き回した。

「ビュコック司令長官と話がしたい、通信の準備を」
「はい」
グリーンヒル大尉がオペレータに指示を出すと中央のスクリーンにビュコック司令長官の顔が映った。互いに敬礼をする。

『不意は突いたが向こうも反応が早い。どうかな、突破出来そうかな、ヤン提督』
「何とも言えません」
私が答えると司令長官が大きく息を吐いた。思うようには行かない、そう思ったのだろう。

『カールセン達も動けずにいる。まさか二個艦隊でV字陣形を作ってくるとは……』
「……」
同感だ。まさかあんな事をするとは……。

今回の作戦の狙いは二つあった。一つはローエングラム公の艦隊を攻撃し中央突破を図る事。上手く行けばその途中で彼を斃す事が狙いだった。もう一つはモートン提督の第十四艦隊、ホーウッド提督の第十六艦隊がそれぞれルッツ、ワーレン艦隊に一点集中砲火を浴びせつつ中央突破を図る。

当然だが敵は後退しつつ縦深陣を取る可能性が高い。そこをカールセン提督率いる第十五艦隊が分断し突破すると言うものだった。突破できれば後背からローエングラム公を攻撃する事も出来る。そうなれば前後から挟撃できるのだ、必ず斃せるはずだった。

第十三艦隊の攻撃もどちらかと言えば陽動の色合いが濃い。ローエングラム公を慌てさせ注意を逸らす、そしてカールセン提督の動きに驚いて慌てた時にはこちらが押す。そう考えていたのだがまさか二個艦隊でV字陣形を作るとは……。あれではカールセン提督は突き進めない。兵力は同等なのだ、一つ間違うと第十四、第十五、第十六艦隊は包囲されかねない。とんでもない損害を被るだろう。

『で、どうするかね』
「このまま、前進を続けようと思います」
『ふむ、損害が増えるが』
「ですがここで退いても何にもなりません。せっかくここまで踏み込んだのです、なんとか突破する事を考えたいと思います」
私の言葉にビュコック司令長官が顎に手をやり少しの間考えた。

『……分かった、貴官の判断を尊重しよう。しかし危険だと思ったら直ぐに撤退してくれ』
「分かりました」
通信が切れる。皆が私を見ていた。
「聞いての通りだ、このまま突破を図る、最大戦速だ!」

皆が頷いた、私を信頼しているのが分かる。ムライ参謀長が突入を命じオペレータが艦隊に指示を出し始めた。しかし本当に突破できるだろうか……。不意を突いたはずだった、優位に立った筈だった。だが予想外に帝国軍の反応が早い。そして的確に対処してくる……。

ローエングラム公は艦隊を後退させている、縦深陣はほぼ完成していた。第十三艦隊がローエングラム公を追って速度を上げた。こちらが前に出るにつれローエングラム公の反撃が激しくなった。こちらが追い向こうが逃げる、もう少しで追いつく。……何かがおかしい、戦術コンピュータのモニターを見た。馬鹿な! 紡錘陣形の先端が突出している!

「グエン・バン・ヒューに命令! 速度を落し、本隊を待て!」
私の命令にオペレータ達が驚いたような表情をしたが直ぐに指示を出し始めた。何故だ、何故先鋒が突出している? そうか、そういう事か……。
「閣下?」
「……ローエングラム公にしてやられた……」

ムライ参謀長を始め皆が私を見た、愕然としている。
「ローエングラム公は故意に砲撃する箇所に濃淡をつけたんだ。紡錘陣形の最先端の部分を淡く、その後ろの部分を濃く……。戦術コンピュータがそれを示している」

モニターに映る紡錘陣は瓢箪のような形になっている。これでは先鋒のグエン・バン・ヒューは孤立してしまう、帝国軍にとって各個撃破の対象でしかない。間に合うだろうか、グエンが速度を落してくれれば本隊と連携できるのだが……。

「こ、これは、最前線で味方が帝国軍の攻撃を受けています!」
オペレータの悲鳴のような報告が届いた、遅かったか……。いやグエンは私の命令を聞かなかったのか……。戦術コンピュータは突出した先鋒部隊が帝国の攻撃で粉砕されていく所を映している。

「戦艦マウリア、破壊されました! グエン・バン・ヒュー提督、戦死!」
オペレータの報告に艦橋が凍りついた。先鋒部隊が指揮官を失い半壊している。してやられた、突破は出来なくなった。半壊した先鋒部隊をどうするか……、見捨てるか、それとも救出するか。どちらを選んでも損害は出るだろう、難しい判断を迫られることになった……。




 

 

第四十五話  決戦(その四)


帝国暦 490年  5月  2日   リオヴェルデ星系   マーナガルム   ラインハルト・フォン・ローエングラム



「あとハイネセンまでどれくらいかかるか」
「こちらの計算では補給基地の攻略も含めて七日程はかかると思います」
「そうか、……もう少し早くというのは無理なのだろうな」
俺の発言にフロイライン・マリーンドルフは苦笑を浮かべて頷いた。ふむ、このイスは悪くないな。フロイラインも楽そうだ。ブリュンヒルトにも取り付けたが取り払うこともないな、そのままにしておくか……。

「ウルヴァシーが御心配ですか」
「心配などしていない、気になるだけだ」
フロイライン、シュトライト、リュッケが可笑しそうな表情をしている。失敬な、俺が痩せ我慢をしていると思っているらしい。或いは素直じゃないとでも思ったか……。

俺は正直な思いを言っている。ウルヴァシーでは開戦早々に両軍兵を退いて休息を入れている。おそらく反乱軍はかなりの損害を受けたのだ。帝国軍も無傷では無いだろう、しかし反乱軍よりは損害が少なかったはずだ。そうでなければ反乱軍が戦闘を止めるはずが無い。連中には時間が無い、黒姫とメルカッツは反乱軍に手厳しい洗礼を与えたのだろう。

黒姫とメルカッツか……。面白い組み合わせだ、用兵家として堅実だがその分地味なメルカッツと幅広い戦略眼と奇才を有する黒姫。熟練した実戦指揮官と有能な政略家、戦略家か……。反乱軍もこの二人を相手にするのは容易ではあるまい。現実に連中は黒姫の罠にかかり敗北しつつある。

メルカッツは今を楽しんでいるかもしれないな。リップシュタット戦役ではブラウンシュバイク公に疎まれ名ばかりの総司令官だったらしい。聞くところによればシュターデンなどメルカッツに対抗心を持つ軍人も居たようだ。総司令官の権威など欠片も無かっただろう。

ブラウンシュバイク公が滅ぶのは当然だ、あの男を使いきれなかったのだからな。もしメルカッツに十分な権限を与えていれば厄介な事になっていただろう。あれほどまでに短期間に内乱を終結させる事が出来たかどうか……。時間がかかっただろうな、勝利は収めただろうが時間がかかったに違いない。俺にとっては幸運だがメルカッツにとっては悔いの残る戦いだっただろう。

しかし今は違う、実戦指揮官としてのメルカッツを必要とする黒姫が居る。反乱軍が強大で有れば有る程黒姫はメルカッツの能力を頼るだろう。そして反乱軍にはヤン・ウェンリー、アレクサンドル・ビュコックが居るのだ。十分すぎるほど強大な敵だ。今頃あの二人は互いに助け合いながら戦っているに違いない。羨ましい事だ。

黒姫か……、軍に残っていれば総参謀長を任せられたな。あの男なら政戦両略で俺の力になっただろう。いや、総参謀長はフロイラインに任せて憲兵総監と帝都防衛司令官を任せても良かったか。いやいや、あの男が俺の下に居るならイゼルローン要塞はケスラーでなくても良いわけだ。ケスラーに憲兵総監と帝都防衛司令官を任せられるな。となるとあの男には……。

「閣下、何をお考えですか。楽しそうですが……」
フロイライン・マリーンドルフが不思議そうに俺の顔を見ている。彼女だけじゃない、シュトライト、リュッケも同様だ。どうやら俺は一人でニヤニヤ笑っていたらしい。

「いや、例のエル・ファシルの件を考えていた。フロイラインはどう思う? そろそろ貴女の意見が聞きたいのだが」
「面白い案だと思います。私は賛成です」
ふむ、”反対はしない”ではない、つまり積極的に賛成という事か。

「エル・ファシルの件とは何の事なのでしょうか? 差し支えなければ我々にもお話しいただきたいのですが」
シュトライトが訝しげな表情をしている、リュッケも同様だ。そうか、二人とも軍の作戦に関わる事だと思っているようだ。何か極秘作戦とでも思ったか……。つい可笑しくなって笑い声が出てしまった。

「軍の作戦の事では無いのだ。反乱軍、いや自由惑星同盟を占領した後の事だ」
「占領した後……」
「うむ」
今度は訝しげな表情が呆然とした表情に変わっている。悪いとは思ったがまた笑ってしまった。罪滅ぼしと言うわけではないが二人にも話してみるか、平均的な軍人がどう思うかというのも大事な視点だ。

「自由惑星同盟を占領した後だが、エル・ファシル星域をエル・ファシル公爵領としてはどうかと黒姫の頭領から提案が有ったのだ」
「エル・ファシル公爵領? それは一体……」
シュトライトが首を傾げている。まあ無理も無い、俺が帝国を支配してから新たな貴族などは帝国騎士でも誕生していない。まして公爵など想像もつかないだろう。

「エル・ファシル公爵領ではどのような統治制度を採ろうとそれは自由とする。そう、たとえば民主共和政でも構わない」
「そ、それは……」
シュトライトもリュッケも目を見開いて驚いている。そう言えばフロイラインも似たような表情をしていたな。また笑ってしまった。フロイラインが“閣下”と俺を窘めた。

「しかし、み、民主共和政では統治者は、せ、選挙で選ばれるはずです。公爵家とは相容れないと思いますが……」
リュッケがつっかえながら疑義を呈した。
「彼らが民主共和政を選ぶのであれば選挙で選んだ人物がエル・ファシル公爵という事だ」
俺の答えにシュトライト、リュッケは絶句している。いかんな、笑うのを堪えるのが大変だ、今度はフロイラインも懸命に堪えている。

「例えば同盟の最高評議会議長、ジョアン・レベロが選ばれたとすれば彼はその任期中はジョアン・フォン・エル・ファシル公爵になる」
「……しかし、何故そんな事を」
その通りだ、シュトライト。俺も何故そんな事をと最初は思った。

「新たな領土を上手く治めるためだ、そして帝国のためでもある。自由惑星同盟という国家は消滅する。それは同盟が国家としての寿命を使い果たしたという事だ。しかし民主共和政という統治制度と思想は残す」
「……」
二人とも腑に落ちない表情だ。

「帝国は自由惑星同盟という国家は反乱軍として否定する。しかし民主共和政という統治制度は否定しない、エル・ファシルでの存続を許す。百年、二百年後、帝国の統治が破綻すれば或いは民主共和政が新たに銀河を治める事になるかもしれぬ」
「そ、それは」
二人が驚愕している。リュッケがごくりと喉を鳴らした。フロイラインも表情を消している。

「そう思う事で彼らが帝国の支配を納得するなら安いものだ。そして帝国の統治者達も気を抜けば彼らに取って代わられると思えば愚かな統治はするまい。敵無き国家は内から滅ぶ、それは統治制度も同じであろう。民主共和政は帝国が繁栄するために必要なのだ」
俺も最初に聞いた時は驚いた。しかし道理ではある。

「ですが、エル・ファシルに人が集結するということは無いでしょうか? エル・ファシルが巨大になり過ぎ、危険ではありませんか?」
「シュトライト、その心配は無い。エル・ファシルの自給能力はそれほど高くない。現状において人の流入はエル・ファシルにとって負担でしかない」
まだ不得要領と言ったところか……。

「食料、エネルギー、雇用、人が増えればそれの確保が要る。雇用はともかく食料とエネルギーはエル・ファシルのみで賄う事が出来なければ周辺星域から購入するしかない。人が増えれば増えるほど帝国と密接に繋がらなければエル・ファシル公爵領は生きていけないということになる……」
「なるほど」

ようやく分かったか、エル・ファシルの喉を締め上げる事など難しくないのだ。攻める必要など無い、物流を止めるだけ、いや値を吊り上げるだけで悲鳴を上げるだろう。それを臭わすだけで震え上がるに違いない。人が増えれば増えるほど彼らは帝国との共存を選ばざるを得ない……。

出来るだけ大勢の人間にエル・ファシルに行って貰いたいものだ。その分だけ俺の負担は減るし共存の必要性が強まるからな。しかしおそらくエル・ファシルは受け入れの制限を行うだろう。だがそれも悪くない、制限をかけるのは俺では無い、エル・ファシルだ。受け入れを拒否された人間が怨むのも俺では無くエル・ファシルということになる。つまり、エル・ファシルは反帝国の中核には成り得ないという事だ。

「帝国はエル・ファシル公爵を帝国第一位の貴族と認める。当然だが新年の年賀には貴族を代表して挨拶をしてもらおう。そして無任所の国務尚書として帝国の統治にも参加してもらう。まあTV電話での参加になるだろうが……」
「……」
シュトライトとリュッケが絶句している。まあそうだろうな、これほどの皮肉は有るまい。可笑しくて笑ってしまった。

……そうか、あの男を帝国宰相にする手も有るな。さぞかし性格の悪い、皇帝を皇帝とも思わぬとんでもない帝国宰相が誕生するだろう。いかんな、笑いが止まらない。フロイラインが、シュトライトが、リュッケが俺を呆れたように見ている。

「帝国はエル・ファシル公爵を尊重しその識見を帝国の統治に取り入れようというのだ。エル・ファシル公爵は帝国の統治に関与することになる。どうかな、それでもエル・ファシルの人間は反帝国を標榜出来るかな?」
「……」

彼らに自治を与えて孤立させるのではなく帝国貴族として遇する事で帝国の中に取り込む。あの男らしいやり方だ、皮肉でもあり辛辣でもある。この俺が新たな貴族を作り出す、しかも民主共和政を信奉する貴族を作り出すか……。

前代未聞の椿事だな、しかし間違いなく実利は有る、だから受け入れざるを得ない。この取り込みにより銀河帝国皇帝は専制君主で有りながら民主共和政の擁護者、庇護者にもなるのだ。その時帝国は真の意味で宇宙を統一する事になるだろう……。



帝国暦 490年  5月 3日   ガンダルヴァ星系   ブリュンヒルト   コンラート・フォン・モーデル



反乱軍は後退した。総旗艦ブリュンヒルトの艦橋はようやく落ち着いた雰囲気を湛え始めた。さっきまでは皆疲れた様な顔をしてぐったりしていたけど立ち直ったみたいだ。僕が用意した飲み物をホッとした様な表情で飲んでいる。頭領とメルカッツ参謀長も無言で飲み物を口に運んでいる。大分疲れたみたいだ。

帝国軍は今補給部隊から物資を受け取っている。ウルヴァシーが近いから帝国軍は補給は楽だ。反乱軍はどうなのかな、補給部隊を連れてきているのか、それとも補給無しで戦っているのか。もし補給無しなら段々苦しくなるはずだ、戦いが長引けば長引くほど帝国軍が有利になる。後方主任参謀のクレッフェル少佐がそう言っていた。

それにしても凄い戦いだった。いきなり反乱軍の戦い方が変わったんだ。前線でもの凄い爆発が起きていた! あんなの初めて見たよ。艦隊は不意を突かれて右往左往した。艦橋も大騒ぎだった。皆顔面を引き攣らせて叫んでた。“何が起きた!”、“どうなっている!”って。情けない話だけど僕はそんな騒ぎに怯えていたと思う。

あんまり煩かったからだろう、頭領が皆を厳しい目で見た。この程度でオタオタしてどうする、そんな感じだった。それとも情けない奴、だったのかな。でもそれでようやく皆が静かになった。ちょっと恥ずかしかったな、皆もバツが悪そうだった。

でも状況は少しも良くなかった。この艦隊だけじゃない、帝国軍全体が不意を突かれていたんだ。頭領は全軍に後退するように命じたけどそれとほぼ同時にヤン艦隊が陣形を紡錘陣形に変えながら突入してきた。凄い迫力だったな、僕にも分かった、反乱軍は僕達を中央突破しようとしてるって。突破されたら負けだって……。

頭領は縦深陣を取る様にメルカッツ参謀長に指示をだした。間に合うんだろうかと心配だったけど直ぐにそれどころじゃなくなった。ルッツ提督とワーレン提督が危険だったんだ。反乱軍が二人を分断しようとしていた。皆顔面蒼白になっていた。

前面には押し寄せるヤン艦隊、そしてルッツ、ワーレン艦隊の危機。最大の危機だったと思う。頭領は慌ててはいなかったけど凄く不機嫌そうだった。反乱軍の攻撃が不愉快だったのか、それとも僕達が頼りないって不機嫌だったのか……。ゾンバルト副参謀長に指示を出してルッツ、ワーレン艦隊にV字陣形を作らせると前面のヤン艦隊の先頭に攻撃をかけた。そしてメルカッツ参謀長が陣を整える時間を稼いだ。

それにしてもヤン艦隊は凄かった。陣形を崩されたのに直ぐに立て直して攻撃してきた。反乱軍きっての精鋭部隊って言われているけど本当なんだって思ったよ。でも流石のヤン艦隊もその後に仕掛けた頭領の罠には敵わなかった。あっという間にヤン艦隊の先頭部隊が壊滅してしまったんだ。

凄かった、一瞬の逆撃だった。皆が嬉しさのあまり歓声を上げたけどまた頭領に睨まれた。皆シュンとしちゃったよ。それにしてもヤン艦隊は手強かった。先頭部隊が壊滅したのに混乱しなかったんだ、彼らは先頭部隊の残存兵を収容して撤退した。僕らの攻撃を受けながらだ。有り得ないよ。皆呆れてた、頭領もだ。多分その事が今、皆を無口にさせているんだと思う。あ、頭領がこちらを見た。

「補給の状況は?」
「あと一時間程で終了するかと」
クレッフェル少佐が答えると頭領が頷いた。そしてルッツ提督、ワーレン提督、ミュラー提督との間に通信回線を繋ぐ様に命じた。

三人の提督がスクリーンに映った。
「補給の状況はどうですか?」
『こちらはほぼ終了しました』
ルッツ提督が答えると他の二人も頷いた。あ、ウチは少し遅れている、クレッフェル少佐がシェーンフェルト大尉と顔を見合わせてちょっと顔を顰めた。

「大体あと一週間といったところでしょう」
頭領の言葉に三人が頷いた。そう、あと一週間もすれば味方がウルヴァシーに到着するはずだ。帝国軍が勝つ。
「ここからは戦い方を変える必要が有ります」
スクリーンの三人が顔を見合わせた。ううん、三人だけじゃない、皆が顔を見合わせている。戦い方を変える?

『それはどういう意味でしょう、防御では無く攻勢に出るという事でしょうか?』
ルッツ提督が問い掛けると頭領は首を横に振った。違うんだ、じゃあ、やっぱり防御? 皆不思議そうな表情をしている。

「これまでは同盟軍を撃退するだけで良かった。ですがこれからは逃がさぬようにする必要が有ります。逃げられてはこれまでの苦労が水の泡になる」
『……なるほど、確かにそうです。時間的にも次に休息を入れるようなことになれば反乱軍はそのまま撤退しかねない。となるとかなり内に攻め込ませる必要が有りますな』
ワーレン提督の言葉に皆が厳しい表情で頷いた。

『大丈夫か、エーリッヒ。卿の所にはヤンが来るだろう、あの男を相手にそんな際どい事が可能か?』
ミュラー提督が心配そうな顔をしている。ミュラー提督だけじゃない、ルッツ提督もワーレン提督も同じだ。頭領が大きく息を吐いた。

「厳しいがやるしかない、誰よりもヤン・ウェンリーを逃がすことは出来ない。この一戦で戦争を終わらせるんだ。そうだろう? ナイトハルト」
『……』
「これまでは前哨戦だ、これからが本当の戦いだよ。向こうは必死の覚悟で攻め寄せてくるだろう、それを利用して相打ち覚悟で引き摺り込む……」
頭領はそう言ってメルカッツ参謀長に視線を向けた。参謀長が無言で頷く。

それを見てルッツ提督、ワーレン提督、ミュラー提督が顔を見合わせた、そして今度は三人が頷いた。
『分かりました、では我らも相打ち覚悟で戦いましょう』
ルッツ提督が頭領に対して敬礼した。他の二人も敬礼している。そして頭領が、参謀長が敬礼した。僕達も皆敬礼した……。これからが本当の戦いなんだ、これからが……。




 

 

第四十六話  決戦(その五)



帝国暦 490年  5月  4日   ガンダルヴァ星系   ブリュンヒルト   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



同盟軍は五月四日になる二時間前に攻め込んできた。余程に急いでいるな、艦隊の再編を済ますと遮二無二突っ込んできたという感じだ。良い状況でもあるし悪い状況でもある。同盟軍が焦っているのは歓迎だがその所為で何をしでかすか分からないのは危険だ。必要は発明の母とも言う、同盟軍がどんな手を使ってくるか、頭の痛い話だ。

両軍の布陣は変わらない、ミュラーがパエッタ、俺がヤン、ルッツ、ワーレンがモートン、カールセン、ホーウッドを相手にしている。もっとも陣形は紡錘陣形から円錐陣形に変えている。何が何でも突破という事だろう。俺とミュラーは縦深陣からV字陣形に変わっている。ルッツ、ワーレンは二人でV字陣形だ。

正直ホッとした。俺が一番恐れていたのはモートンとホーウッドがルッツ、ワーレンに攻撃をかけカールセンが外側から帝国軍の後背を突く事を目指すというものだ。これをやられた場合はもう一つしか採る手はない。俺とミュラーは後退し、ルッツ、ワーレンは兵力差を活かしてモートン、ホーウッドを叩く……。

その時カールセンはどうするかな、あくまで俺を斃す事を目指すか、それとも味方の損害に耐えきれず救援に戻るか……。モートン、ホーウッドが潰れればルッツ、ワーレンはヤンとパエッタの後ろに回る……。それまで俺とミュラーは後退し続ける。そうなれば同盟軍は崩壊だ。カールセンはなかなか難しい判断を迫られるだろう。追うか、戻るか……、イチかバチかだが同盟軍が帝国軍に勝つ可能性は有る。

戦闘再開から八時間、同盟軍が押してきているが帝国軍は余裕を以て対応している。俺の所で言えばヤン艦隊が押し寄せてくるので少しずつ後退はしているが先頭部分を叩いて押し返す事を繰り返している。その所為だろう、参謀達の表情も比較的余裕が有る。いや、半分は不審だな、皆俺に物問いたげだ。だがとうとう耐えきれなくなったらしい、クリンスマン少佐が問い掛けてきた。

「頭領、宜しいのでしょうか? 反乱軍を内に引き摺り込むのでは……」
「引き摺り込みますよ、ですがあまりに露骨にやっては同盟軍が気付きますからね。機会を窺っているんです」
あらら、益々皆変な顔だ。メルカッツが苦笑している。なんか最近楽しそうだな。

「いずれ同盟軍は何かをしかけてきます。このままの攻撃を続けるはずが無い。それを利用して同盟軍を引き摺り込みます」
「反乱軍の攻撃を待つと言うのですか?」
皆なんでそんな呆れた様な顔をするのかな、しなくても良いだろう。まあ俺も確かに度し難いよな、同盟軍がどんな手を使ってくるか、頭を痛めているのに同時にそれを利用しようとしているんだから。

「そうですよ、ゾンバルト副参謀長。同盟軍に自分達の攻撃が上手く行っていると思わせるんです。その方が同盟軍を引き摺り込みやすい」
「……」
まだ納得してないな、しょうがない、俺が戦争の奥義を教えてやる。
「戦争というのは騙し合いなんです。上手に騙した方が勝つ。もっともヤン・ウェンリーを騙すのは命懸けですが……」

ホント、命懸けだよ。そうじゃなきゃこんなところで総司令官の代役なんてやってない。こういう人を騙すのはヤンの方が上手いんだけどな。ラインハルトはその辺はあまり上手くないと思う。奴がヤンに一歩譲るのはそれが原因かな? そのヤンを相手に騙し合いをする、出来るだけ自然に行かないと……。いずれ気付くだろうが気付いた時には後戻りできない、そういう風にしないといかん……。



「反乱軍の予備部隊が動き始めました!」
オペレータの声が上がった。同盟軍が仕掛けてきたのは戦闘再開から十四時間を過ぎた時だった。同盟軍の後方に有った予備部隊、おそらくビュコックの直率部隊だろうが二千隻程の艦隊が動き始めた。パエッタの後方を通ってミュラーの側面、或いは後方に出るつもりだろう。偉いよな、この状況で十二時間も耐えるかよ、ビュコック爺さん本当にしぶとい……。それともしびれを切らせたかな。

「各艦隊から通信! いかに対処すべきか、指示を願う!」
感心してもいられんか、あの艦隊が後方に出れば厄介な事になる。なるほど、カールセンを動かすよりはビュコックの直率部隊を動かした方が安全で効果が有ると考えたようだな……。こっちは予備が無い状態だ、そこを突いて来た。さて、どうするか……。例え二千隻でもビュコックが指揮しているとなれば油断は出来ない。

「メルカッツ参謀長、こちらから兵を出して対処しようと思いますが?」
「こちらからですか?」
ザワッとした。驚いているな、メルカッツだけじゃない参謀達皆が驚いている。
「利用しようと言うのですな」
頷く、その通りだ、これを利用してヤンを引き摺り込む。

俺の考えが分かっている所為だろう、参謀達は無言で俺とメルカッツを見ている。今度はメルカッツがゆっくりと頷いた。
「……分かりました、ブラウヒッチ提督を出しましょう」
皆が息を呑んだ。ブラウヒッチは本体の右脇に居る。一つ間違えば突破されるだろう。勝負どころだとメルカッツも見ている。

「……ブラウヒッチ、ルッツ、ワーレン、ミュラー提督には私が指示を出します。艦隊の再編は参謀長が、迎撃は私が指示を、再編終了次第参謀長も迎撃を指示してください」
「了解しました」
俺とメルカッツがオペレータに指示を出してゆく。ルッツ、ワーレン、ミュラーは眉を顰めたが何も言わなかった。連中も俺がこれを利用しようとしていると分かったのだろう。俺が皆に後退するように指示を出す。

ブラウヒッチは多少騒いだ。ここで陣を崩して大丈夫なのかと騒いだが、ビュコックに後ろを突かれればそれで終わりだと言うと黙りこんだ。まあこの段階で陣を離れるのは不本意だろうな。何と言ってもヤン・ウェンリーと戦っているのだ。このまま勝てばその武勲は最大と言って良い。だがビュコックを放置すれば負けるのは明らかだ。不承不承だが指示に従った。

ブラウヒッチが離脱するのを見るとヤン艦隊が勢い込んで突っ込んできた。突破できれば勝利を得られる、そう思っているのだろう。メルカッツが艦隊を後退させつつブラウヒッチの抜けた穴を塞ごうとする。それを許さぬとばかりにヤン艦隊が攻撃を仕掛けてきた。

「全艦、敵先頭部分を狙え、撃て!」
取り敢えず先頭を叩く! 俺の指示で艦隊がヤン艦隊の先頭部分に砲火を集中した。しかしヤン艦隊は叩いても怯まずに迫ってくる、一体誰だ? アッテンボローか? それともフィッシャーか? 全く厄介な……。続けて攻撃する事を命じた。

ブラウヒッチを引っこ抜いたところでビュコックの動きが止まった。元の位置に戻ろうとしている。なるほど、ビュコックは全体を統括するのが仕事だ、これまでの動きはこちらを動かす為の陽動という事か……。ブラウヒッチから連絡が入った。

『どうしますか、攻めるのか、戻るのか、指示を頂きたい』
さてどうする、攻めかからせるか? 戻らせるか? ビュコックにぶつけるという手も有るが厄介な事は戦術指揮能力では向こうの方が若干上だと思える事だ。万一負けたらとんでもない事になる。

しかし戻すのも混乱するし、戻した後またビュコックにかき回されてはかなわない。むしろこちらの予備として温存すべきだ。その方がビュコックに対する牽制にもなるだろう。

「その場にて待機してください。同盟軍の予備が動いた時対応してもらいます」
『……了解しました』
ブラウヒッチは戦闘に参加したいのだろうな。自分自身でおこなった準備を忘れて無闇に突進すると評価されてる男だ。しかしここは我慢だ、我慢してもらう。

ヤン艦隊が益々攻撃を強めてきた。爆発する閃光がスクリーンの彼方此方に映る。予定通りだ、予定通り、慌てる事じゃない。ヤンはかなり深く攻め込んできた。ここからの退却は簡単じゃないだろう、逃げたくても俺が逃がさない。あとは味方の来援を待つだけだな。頼むから早く来てくれよ、俺が生きているうちに……。



帝国暦 490年  5月  4日   ガンダルヴァ星系   ブリュンヒルト   コンラート・フォン・モーデル



状況は良くない、いや正確には想定通り良くないと言うべきなのかな。ヤン艦隊は僕達の艦隊の奥深くまで攻め込んでいる。さっきブラウヒッチ提督の艦隊を外しちゃったからね、それに付け込まれた。もっともこっちもそれを利用してヤン艦隊を引き摺りこんだのだから本当のところはどっちが優勢なのか、今一つ良く分からない。

緊張するなあ、結構近くで爆発する艦とか有るし大丈夫なのかって思ってしまう。皆は緊張してないのかな? お水でも用意しようか……。
「結構厳しく攻めてきますね、ブリュンヒルトも危ないかな」
頭領だった、のんびりした口調だったけどとんでもない事を言っている。皆顔を強張らせているよ。僕達からは後ろ姿しか見えないけどどんな顔してるんだろ。

「大体この艦は目立ち過ぎですよ、一体何でこんな艦を作ったのか、理解に苦しみます。まるで敵に撃沈してくれと言ってるようなものですからね」
「頭領……」
ゾンバルト副参謀長が声を震わせて注意した。眼が飛び出しそうになってる。でも頭領は振り向きもしない。皆が吃驚してるなんて気付いていないみたいだ。

「ローエングラム公がこの艦を貰った時は未だ軍の実力者じゃなかった、どちらかと言えば軍の嫌われ者だった。この目立つ艦に乗って撃沈されてしまえとでも思われたかな。まああの性格だからそれもしょうがないか」
あーあ、皆呻き声を上げているよ。なんかスクリーンに映る爆発なんかどうでもよくなってきた。頭領の発言の方が爆発してる、被害甚大って感じだ。

「エンメルマン大佐」
「は、はい」
「旗艦を移すとすればどの艦が良いか、ふさわしい艦を幾つか見繕ってくれませんか」
「……」

エンメルマン大佐が固まっている、身動きできない……。代わりにクリンスマン少佐がつっかえながら頭領に問いかけた。
「そ、それは、この艦が反乱軍に撃破されると、いう事でしょうか?」
ようやく頭領がこっちを向いた。眼が悪戯したみたいに笑っている。

「そうじゃ有りません。こっちから突っ込ませてヤン艦隊に撃沈させるんです。同盟軍はこの艦を撃沈すれば撤退に移ろうとしますからね、向こうの攻勢を止める事が出来る。まあ直ぐ逃げたと分かるでしょうが態勢を立て直す事が出来るでしょう」
はあ、この艦を囮に使うの? 皆目を白黒させているよ。参謀長もびっくりしている。

「し、しかし、ブリュンヒルトは総旗艦で……」
「気にする事は有りませんよ、クリンスマン少佐。ブリュンヒルトは実験艦として作られた艦です。戦闘データはローエングラム公が十分に取りましたからね、後は敵の攻撃に対しどの程度耐えられるか、耐久力の確認だけでしょう。丁度良い、これが大規模な会戦としては最後の戦いでしょうからここでやってしまいましょう」

え、あの、やってしまいましょうって……。
「ヤン・ウェンリーはゲリラ戦を展開しつつ帝国軍に決戦を強いました。見事ですよ、だから意趣返しにこちらは逆をやりましょう。決戦しつつその中でゲリラ戦を展開する。同盟軍の勝利条件は艦隊戦で勝つ事では無くローエングラム公を殺す事です。さて、ヤン・ウェンリーは私を見つける事が出来るかな……」

頭領がクスクス笑い出した。怖いよ、僕ようやく分かった。頭領は怒っている。しつこく攻めてくる同盟軍、いやヤン・ウェンリーに怒っているんだ。皆も僕と同じ事を考えたと思う、総旗艦ブリュンヒルトの艦橋には頭領の笑い声だけが流れた。



宇宙暦 799年 5月 4日   ハイネセン 最高評議会ビル   ジョアン・レベロ



「それで状況はどうなのかね、本部長」
「同盟軍は攻勢をかけています。ヤン・ウェンリー提督率いる第十三艦隊はこれまでになくローエングラム公に肉薄しているようです」
「そうか」
クブルスリーの表情は決して暗くない、口調にも力が有る、状況は優勢なのだろう。しかし問題は勝てるかだ。

「勝てるかね」
「同盟軍の指揮官でローエングラム公と戦って勝てる人間が居るとすればヤン提督だけです。油断は出来ませんが今現在ヤン提督は優勢に戦いを進めています。問題は時間でしょう」
「そうか、問題は時間か」

確かにヤン・ウェンリーは名将だろう。圧倒的な戦力差をはね返し帝国とほぼ互角の条件での決戦にまで持ち込んだのだ。時間か……、帝国軍は早ければ八日か九日には戻って来るはずだ。残り四日から五日……、何とも厳しい。溜息を堪えた。

「議長閣下」
「何かな、クブルスリー本部長」
「気になる情報が有ります」
クブルスリーの表情が厳しい。気になる情報とは良くない情報の事だろう、一体何なのか……。

「リオヴェルデの補給基地を攻略した帝国軍がバーラト星系に向かっているという報告が有ります」
「……間違いないのかね、それは」
クブルスリーが頷く、思わず溜息が洩れた。何時かは来ると思っていた、とうとう来たか……。

「あとどのくらいでハイネセンに来るかな?」
「四日から五日と見ています」
「……四日から五日、帝国軍がウルヴァシーに戻るのと同じ頃だな」
「はい」
また溜息が出た。クブルスリーが厳しい表情で私を見ている。気を引き締め直した。

「ヤン提督が勝てばどうなるかな、帝国軍は引き上げるか?」
クブルスリーが首を横に振った。
「分からないとしか答えられません、引き上げるかもしれませんがそのままハイネセンを攻略する可能性も有ります」
そうだな、その通りだ。甘い観測を持つべきではない。

「その時は我々に対する処分は過酷なものになるだろうな。同盟は滅び私も君も死ぬ事になるだろう」
「はい」
「だがヤン提督が勝てば、ローエングラム公が死ねば、自由惑星同盟は、民主共和政は復活する事が可能だ」
クブルスリーが頷いた。

「私はその可能性に賭ける。その可能性が有る限り、私に絶望は無い」
「私も同じ想いです」
私が頷くとクブルスリーも頷いた。死は覚悟している、恐れるべきものではない。だから、私に希望を与えてくれ、それだけが私の願いだ……。


 

 

第四十七話  決戦(その六)


宇宙暦 799年  5月  7日   ガンダルヴァ星系   ヒューベリオン  ヤン・ウェンリー



「アッテンボロー艦隊が敵に肉薄します!」
オペレータの声が艦橋に響いた。皆が興奮した声を出している。……同盟軍が攻め込み帝国軍が守る、その状況がもう三日以上続いている。一進一退、いや帝国軍は少しづつ後退を続けている。

時刻は五月七日の二十一時を過ぎた。残り時間という制限を考えなければ同盟軍が有利に戦闘を進めていると言って良いだろう。もう少し、もう少しでローエングラム公に届く。スクリーンに白い艦は見えているのだ。あの艦を、ブリュンヒルトを撃破しなくてはならない。

第一艦隊、第十四艦隊、第十五艦隊、第十六艦隊も帝国軍の内懐に飛び込む様な勢いで攻め込んでいる。第十三艦隊がブリュンヒルトを捉えるか、彼らが帝国軍を突破して後背を突くか、そのどちらかで勝負が付くだろう。或いは帝国軍が守りきるか……。

少し前からブリュンヒルトが前に出てきている。おそらくは押され続ける味方を鼓舞するために出てきたのだろう。鋭気、覇気に富むローエングラム公らしい振る舞いだ。だがこちらにとっても千載一遇のチャンスだ。ここで何としてもローエングラム公を討ち取る。そのために危険を承知で艦隊を更に前進させた。

ローエングラム公をこの場にて討ち取る事が正しいのかどうか、正直に言えば私には分からない。ローエングラム公が死ねば自由惑星同盟と民主共和政は生き残るだろうが銀河帝国は有能な指導者を失って間違いなく混乱することになるだろう。

おそらくは後継者の座を巡って内乱が起き多くの血が流れる事になる。そして帝国で行われている改革は中断されるに違いない。銀河帝国に住む二百四十億の人間は天国から地獄に突き落とされる事になるはずだ。混乱が何時収まるかは後継者達の力量次第だ、数年か、数十年か……。

そして自由惑星同盟はそのような銀河帝国に対して何もする事ができない。国内の再建だけで精一杯のはずだ。そして帝国と同盟の戦争はさらに続く……。人類全体に対して言えば私のやっている事は無責任極まりない行為だろう。黒姫の頭領の言う通りだ。何もしなければ宇宙は統一され戦争の無い世の中が来たはずだった、私が邪魔さえしなければ……。

それなのに私はようやく来る戦争の無い平和な時代を自らの手で握り潰そうとしている。戦争を嫌いながら戦争の続く未来を作ろうとしているのだ。私は一体何をしたいのか、何をしようとしているのか、自分のやる事にまるで確信が持てずにいる……。

民主共和政と平和、どちらが尊いのだろう……。専制政治の下での平和と民主共和政の下での戦争……、どちらが望ましいのか。民主共和政を護る、専制政治と戦う、平和を前にしてその事にどれだけの意味が有るのだろう。人命以上に大切なものが有るのか、それとも人命こそがこの世でもっとも大切なものなのか……。分からない、私には答えが出せない。だがそれでも私は戦争を選択した。

反発、だろうか、反発かもしれない……。黒姫の頭領に対する反発。イゼルローン要塞を奪われた、明らかにこちらの隙を突かれた……。屈辱だった、あれほどの屈辱は味わったことが無かった。そして着々と宇宙統一に向けて動く彼に反発した。だからあの防衛計画を考えたのかもしれない。ただ彼に私と同じ屈辱を味あわせたい、それだけの思いで……。何という事だろう、思わず溜息が出た。

この戦いでも何度も邪魔された。フェザーンを利用した妨害工作は不発だった。補給部隊の撃破も邪魔された。もし、ローエングラム公の死を知れば彼はどうするだろう? ローエングラム公の後継者を擁してもう一度宇宙統一に向けて動くのだろうか? その時私はどうするのか、また戦うのか……。もしかすると私は平和の到来を妨げただけの男として歴史に刻まれるのかもしれない……。また溜息が出た。

ユリアン……、あの子は私に憧れている。多分この戦争で私が勝てばその想いはますます強まるだろう。そしてユリアンは軍人への道を歩むに違いない。私の詰まらない反発があの子にも人殺しをさせてしまうのだ。そしていつかあの子も後悔するだろう。何故軍人になったのかと……。

「アッテンボロー艦隊が更に帝国軍総旗艦に近付きます、射程距離に入りました!」
オペレータが叫んだ。だがそれに反応する声は聞こえない、しかし皆が緊張しているのが分かった。もう少し、もう少しだ。もう少しでローエングラム公に届く。しかし、良いのだろうか……。皆が興奮している中、私だけがその興奮を共に出来ずにいる。

ブリュンヒルトの左舷が爆発した、一カ所、二カ所!
「ブリュンヒルト、左舷被弾!」
艦橋に歓声が上がった。おそらく同盟軍のどの艦艇でも上がっているだろう。レーザーか、或いはミサイルが当たったか、ぐらりとブリュンヒルトが傾いている。多分、ローエングラム公は床に投げ出されたに違いない、負傷しているだろう。

ブリュンヒルトは懸命に態勢を立て直そうとしている。見かけによらず頑丈らしい、帝国軍総旗艦に相応しい防御力を持っていると言う事か。だがさらにブリュンヒルトの左舷に火柱が上がった。今度は外部からでは無い、内部からの爆発だ。エンジンか、或いは推進剤、弾薬に火が回ったか……、致命的と言って良いだろう。

のたうつブリュンヒルトにミサイルが、レーザーが集中した。一発、二発……、閃光と爆発、そして煙、さらに内部からの爆発。……もう助からない、断末魔のブリュンヒルトに更に攻撃が集中した。一発、二発、三発……、一際大きな爆発とともにブリュンヒルトが四散した……。おそらく逃げだせた人間は居なかっただろう……。ローエングラム公も死んだはずだ。終わった……、ようやく長い戦いが終わった……。いや何も終わってはいない、戦争はこれからも続くのだ、何も終わっていない……。

「閣下! おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
ムライが、パトリチェフが、シェーンコップが、グリーンヒル大尉が口々に叫んでいる。艦橋にはベレー帽が舞い、あちこちで喜び抱き合う姿が有った。泣いている人間も居る。何が嬉しいのだろう、私は平和の到来を潰したのに……。スクリーンの帝国軍は総司令官を失って後退している。

「まだ終わっていない。もうすぐ補給基地を制圧した帝国軍が戻ってくるはずだ、その前に撤退しなければ……。ビュコック司令長官と話したい、通信の準備を」
「はい」
グリーンヒル大尉がオペレータに通信の準備を要請するとようやく騒ぎが収まった。

『ヤン提督、良くやってくれた』
「いえ、有難うございます、……今後の事ですが」
褒められても素直に喜べない所為だろう、どうも歯切れが悪い。
『うむ、時間も無い。敵はローエングラム公を失い混乱しているだろう。撤退よりも突破の方が良くはないかな』

そうですね、と言おうとした時だった。オペレータが“提督”と声をかけてきた。司令長官と話しているのだ、“後で”と言おうとしたが彼の顔面は強張り声は震えている。何が有った?
「帝国軍が妙な通信をしています」
「……」

ビュコック司令長官を見た、司令長官も訝しげな表情をしている。
「総旗艦ブリュンヒルトは失ったが総司令部は健在である。ラインハルト・フォン・ローエングラム在る限り帝国に敗北無し。全軍反撃せよ」
総司令部は健在? ローエングラム公は生きている? 艦橋が凍りついた。皆顔を見合わせている。

「その通信は何処から出ている」
「それが、発信場所は一カ所ではありません」
「なに!」
「通信は複数の艦から出ています」

ムライ参謀長の問いかけにオペレータが答えた。複数? 逃げる暇など無かったはずだ。だが複数から通信……。戦術コンピュータを見た、コンピュータは帝国軍が陣形を整えつつある姿を映しだしている。あの動きは後退では無かった、再編だったか……。

「やられた……」
思わず唇をかんだ。ローエングラム公にしてやられた。
「ローエングラム公は死んでなどいない、生きている」
「しかし逃げる暇など」
「居なかったんだ! あそこには……」
ムライが私の答えに愕然としている。彼だけでは無い、パトリチェフ、シェーンコップ、バグダッシュ、グリーンヒル、そしてオペレータ達。皆愕然としている。

「どの時点でかは分からないがローエングラム公はブリュンヒルトから降りたんだ……。あの時には無人だっただろう」
「……ではローエングラム公は何処に……」
「分からない、何処か他の艦に移乗したはずだ。そこから全軍の指揮を執っている……」
彼方此方で呻き声が起きた。

「帝国軍、反撃してきます!」
オペレータの声が上がる。皆が私を見た、指示を求めている。
「攻撃を、もう一度敵中央に攻撃だ」
オペレータが私の指示を伝えている。しかし、良いのか? ローエングラム公が中央に居るという確証は何処にもない、しかし……。

『ヤン提督』
「はい」
『どうやらもう一戦しなければならんようだ』
司令長官の声は疲れていた。無理も無い、全てが振り出しに戻った。いや、ローエングラム公の位置が分からない以上状況はむしろ厳しくなった。それでも司令長官の立場では戦えと言わざるを得ない。

してやられた……。鋭気、覇気に富むローエングラム公だから前線に出てきたと思った。だがそうでは無かった、あれは囮だった。こちらの焦りを読んだ厭らしい程に効果的なトリックだ。同盟軍の攻撃をブリュンヒルトに集中させ、撃沈させる事で油断させた。その隙に帝国軍は陣を再編した。そしてローエングラム公が何処に居るのか誰も分からない……。

「全力を尽くします」
『頼む』
通信が切れた。撤退を進言すべきだったのだろうか、もう一度、ゲリラ戦の展開に戻るべきだと……。現状では勝算は極めて少ない、ローエングラム公を探す困難さも有るが一度得たと思った勝利を失った徒労感、これが大きい。味方は疲労困憊している、天国から地獄に突き落とされた……。

しかし、撤退できただろうか? 味方はいずれも帝国軍の奥深くに入り込んでいる。この時点での撤退は帝国軍が混乱しているのでもなければ難しいだろう。となれば残り少ない時間で帝国軍を突破するしかない。つまり攻撃をし続けるしかないという事だ。してやられた、また思った……。



帝国暦 490年  5月  8日   ガンダルヴァ星系   バルバロッサ   ナイトハルト・ミュラー



「閣下、反乱軍は相変わらず攻勢を取っていますが以前ほどの勢いは有りませんな」
「そうだな」
オルラウの言う通りだ。スクリーンに映る反乱軍第一艦隊の攻撃は五時間前に比べれば執拗さと粘りに欠けると言って良い。いや欠けているのは必死さか。おかげで指揮を執るのもかなり楽になっている。

「やはりブリュンヒルトの件が効いているのでしょうか?」
「そうだろうな」
勝ったと思ったはずだ。だが勝利では無かった。そしてローエングラム公の居場所も分からない。勝算は皆無に等しくなったのだ、反乱軍の士気はどん底だろう。

「それにしても総旗艦を囮に使うとは……」
オルラウが首を振っている。確かに意表を突かれた、だがいかにもエーリッヒらしい作戦だ。まあ後でローエングラム公に対する言い訳には苦労するだろうが……。
「戦争に勝つのと戦闘に勝つのは別だと言う事だ」
「……」

オルラウが幾分困惑気味に俺を見ている。ブリュンヒルトを囮に使う事と俺の言った事がどう繋がるか分からないらしい。
「どれほど戦闘を優位に進めようとローエングラム公を斃さぬ限り反乱軍に勝利は無い。エーリッヒはその事をブリュンヒルトを囮に使う事で反乱軍に示したのだ」
「……」

「反乱軍はローエングラム公の居場所が分からずにいる。つまり極端な事を言えばこの戦場に有る帝国軍艦艇を全て撃破しなければ彼らはローエングラム公の死を確認できないと言う事になる」
「……」
オルラウの表情が変わった。顔を強張らせている。

「どれほど戦闘を優勢に進めても最後の一艦が残っていれば反乱軍はこの戦争に勝ったとは言えないのだ。帝国軍全艦を殲滅する、そんな事が可能だと思うか?」
「……いえ、到底無理です」
オルラウが顔を強張らせたまま答えた。その通り、到底無理だ。

エーリッヒはその現実を反乱軍に突き付けた。彼らにもそれは分かったはずだ。勝つ可能性は皆無に等しいと思っているだろう。今では自分を騙し惰性で戦っているようなものに違いない。彼らの勢いが落ちるはずだ。

エーリッヒらしい、辛辣で冷徹、そして容赦がない。今でさえ反乱軍にとっては地獄だろう。だがローエングラム公がここに最初から居なかった、ハイネセンに向かっていると知ったらどう思うか……。

ここに来た時点で反乱軍は敗れていた。勝つ可能性は一パーセントも無かった。それも分からずにただ意味も無く戦っていた……。
「早く味方に来て欲しいものだ」
「そうですな、いい加減守るのは飽きました」

そうではない、オルラウ。これ以上の戦いは反乱軍にとって苦痛以外の何物でもあるまい、それを終わらせたいのだ。……例えそれがどれほど酷い現実を見せる事になろうとも……。


 

 

第四十八話  決戦(その七)



帝国暦 490年  5月  8日   ガンダルヴァ星系   シュヴァーベン   コンラート・フォン・モーデル



僕達は今、戦艦シュヴァーベンの艦橋に居る。いや正確には床に座っている。ずっと立ってるのって疲れるんだよ。あー、椅子が無いのって辛いな。ブリュンヒルトから椅子だけ持ってくれば良かった……。僕だけじゃないよ、頭領も皆も同じ事を言っている。人間って一度楽を覚えると前には戻れないんだ、つくづくそう思った。

僕達が床に胡坐をかいて座っているのを見て戦艦シュヴァーベンの人達は困ったような顔をしている。最初はちょっと気になったけど今じゃ何とも思わない。だって楽なんだもん。慣れって本当に怖い。

ブリュンヒルトを捨てる時は皆結構葛藤が有ったみたいだった。総旗艦だからじゃなくて綺麗な艦だったから愛着が有ったんだと思う。ブリュンヒルトが反乱軍の攻撃を受け爆発した時は皆が悲しそうな表情をしていた。大事な宝物を失った様な感じだった。ブリュンヒルトの事を話し始めたのは少し時間が経ってからだった。

“華奢そうに見えますが結構耐久性に優れてますね”
“流線型の艦型だからな”
“しかし白は目立ちますよ。確かにあれじゃ狙い撃ちされます。グレーとかだったら目立たないと思うんですが”
“艦型だって目立つさ”

“俺はどちらかというとブリュンヒルトの様な華奢な艦よりもマーナガルムのようなちょっと無骨な艦の方が好きだな、いかにも軍艦らしいじゃないか”
“そうですか? 私はベイオウルフとかトリスタンの方が好きですね。マーナガルムは少し大きすぎます”
“バルバロッサも悪くないですよ”

皆が口々に好き勝手な事を言ったけど、極めつけは頭領だった。
“やっぱりブリュンヒルトは乗って楽しむよりも見て楽しむ艦ですよ。観賞用かな、実戦向きじゃない。一杯造っていろんな色で艦体を塗ったら綺麗なのに……”
皆唖然としてた。僕達だけじゃなくてシュヴァーベンの人達もだ。誰かがボソッと“それじゃ熱帯魚だ”って言ってたけど全く同感。宇宙って水槽で泳ぐ熱帯魚だよ。まるでグッピーだ。

ブリュンヒルトを撃破してから反乱軍の攻撃は勢いが落ちてる。僕らの居所が分からなくて攻撃のポイントを定め辛いらしい。おかげで守るのは結構楽だ。それにもうすぐ味方が戻ってくる。それもあって艦橋は和やかな空気が流れている。ブリュンヒルトに居たころとは全然違う。もっと早くこっちに来たかったよ、椅子を持って。

「コンラートは戦争が終わったらどうするんです、幼年学校を卒業して軍人になるのかな」
「そうなると思います」
僕が答えると頭領はちょっと首を傾げた。

「これからの軍は余り良い職業では有りませんよ」
そうなのかな、周りを見回したら皆渋い表情をしている。え、頭領の言う事は本当なの?
「戦争が有りませんからね、出世は遅くなる。それに平和になったから軍は縮小するべきだと言う意見が出るはずです」
「……」

「まあローエングラム公は軍人ですから五年ぐらいは現状を維持するかもしれない、しかし必ず軍の動員は解除されるし縮小も行われるでしょう。大軍を維持するのはお金がかかるんです。財務官僚に目の敵にされますね。士官でも予備役編入される人間がかなり出るはずです」

そんなあ……。でも皆頷いている。メルカッツ参謀長もだ。困ったな、僕どうしよう……。幼年学校に入る時は戦争が終わるなんて考えもしなかった。モーデル家は没落しちゃったしこれからは僕が一家を支えなくちゃいけないんだけど……。あ、でも戦闘中にこんな事話していて良いのかな?

「将官クラスでも予備役編入は結構あると思いますよ」
「やはりそうなるでしょうか」
頭領の言葉にゾンバルト副参謀長が不安そうな表情を見せた。そうか、副参謀長は准将だもんな、不安が有るのかもしれない。

「ええ、今の軍幹部は若い人が多いんです。当分上の人材に困る事は無い、予備役は免れても出世や昇進はなかなか厳しいでしょう」
「そうですか……」
副参謀長ががっかりしている。どうみても自分は先行きが暗いと思っているみたいだ。

前線から指示を請うって通信が来た。頭領と参謀長が対応している。でも他は皆上の空だ。将来の事が気になっているんだと思う。でもそれもしょうがないよ、僕だって気になる、これからどうしよう……。溜息が出そうだ。指示を出し終えた頭領がまた問いかけてきた。

「ゾンバルト副参謀長は後方支援は得意ですか?」
「一通りは出来ますが……」
「ならばそっちに進むのも良いかもしれません」
あ、副参謀長今度は顔を顰めている。そうだよな、兵站って地味だし落ちこぼれの行くところだもん。出来れば行きたくないよ。

頭領が笑い声を上げた。
「後方支援は不満ですか? しかし兵站統括部はこれから忙しくなりますよ。同盟を占領すれば補給基地だけで八十カ所以上が新たに増えるんです。大変ですよ、管理統括するのは……。おそらく帝国側の補給基地も含めて整理統合するのでしょうが大変な作業ですよ」
「なるほど」

皆頷いてる。うーん、でもなあ……。
「それにローエングラム公は帝都をオーディンからフェザーンに移します。そうなると補給の体制もオーディン中心からフェザーン中心へ移す事になる。さらに資材、物資の調達も今後は同盟領が使えますからね、仕組みを新しく作り直すくらいの作業になります。ここで力を発揮できれば美味しいですよ、出世もするでしょうし企業との繋がりも出来る。退役後の再就職も難しくないでしょうね」

あ、今度は皆顔を見合わせてる。天下りか……。兵站統括部、もしかすると良いかもしれない。
「特に実戦経験の有る士官は兵站統括では重宝されますよ。軍務省、統帥本部、宇宙艦隊との交渉時に交渉役として選ばれやすいんです。兵站出身の士官は実戦経験が無い事で非難されがち、侮られがちですがウルヴァシーで戦ったとなれば誰も文句は言えません。私達はヤン・ウェンリーを相手に総旗艦ブリュンヒルトを失うぐらいの激戦を戦ったんですから」

副参謀長が天井を睨んで唸ってる。副参謀長だけじゃない、クレッフェル少佐、シェーンフェルト大尉もだ。他の人達も皆考え込んでるよ。変化が無いのはメルカッツ参謀長だけだ。……参謀長はこの戦いが終わったら元帥になるんだろうな、いいなあ、元帥か……。

「軍を辞めて私の所に来るという選択肢も有りますね」
「軍を辞める? 頭領の所にですか?」
エンメルマン大佐が驚いた様な声を出した。そうだよね、エリート軍人から海賊なんてちょっと想像が出来ないよ。頭領が笑い出した。

「辺境はこれから発展しますよ。宇宙が統一されますからね、旧同盟領に近い辺境はこれまで以上に向こうと交易がしやすくなる」
「はあ」
エンメルマン大佐はどう答えて良いか分からないみたいだ。頭領がまた笑った。

「この戦争が終わったら私はイゼルローン回廊の全面開放をローエングラム公にお願いするつもりです。それが叶えば同盟領から交易船がどんどん来ます。企業も進出する、資本投下もされるでしょう、大変な騒ぎだと思いますよ」
皆顔を見合わせている。それをみて頭領が“時間は有るからゆっくり考えるんですね”って言った。どうしようかな、辺境に行こうかな、そっちの方が楽しそうに思えてきた……。

どのくらい悩んでいただろう、オペレータが声を張り上げた。
「味方が戻ってきました! シュタインメッツ艦隊です!」
戻ってきた! シュタインメッツ提督だ! 以前負けたから急いで帰って来たんだ、凄いや! 艦橋は大騒ぎだ、皆声を上げて騒いでいる。

頭領が立ち上がった、歓声が止んで皆が頭領を見た。
「ブラウヒッチ艦隊に命令! 同盟軍予備部隊を攻撃、足止せよ」
オペレータが復唱した。そして頭領の命令が続く。
「ルッツ、ワーレン、シュタインメッツ艦隊に命令、協力して同盟軍第十四、第十五、第十六艦隊を包囲せよ!」

僕の傍でライゼンシュタイン少佐が呟いた。
「反撃だ」



宇宙暦 799年 5月 8日   ハイネセン 最高評議会ビル   ジョアン・レベロ



「馬鹿な、何故君がここに……」
声が震えた。有り得ない、何故ここに居る? お前は今ウルヴァシーで戦っているはずだ。同盟軍が優勢に戦いを進めていると報告も有った。それなのに……。クブルスリーを見た、彼も信じられないと言った表情をしている。スクリーンに映る男が声を上げて笑った。

『卿に降伏を勧告するためだ。最高評議会議長たる卿に降伏を勧告するのは帝国軍最高司令官である私の務めだろう』
「し、しかし、君はウルヴァシーで……」
また相手が笑った。楽しくてならないといった笑い声だ。

『ブリュンヒルトがウルヴァシーに有るからと言って私が乗っているとは限らない』
「……入れ替わったのか! 卑怯だろう!」
入れ替わった? クブルスリーの怒声に愕然とした。笑い声が更に大きくなった。

『卿らは私を戦場で殺す事で帝国の分裂を狙った、そうだろう? 残念だがその手には乗らぬ』
……読まれていた。こちらの策は読まれていた、裏をかかれたという事か……。同盟は、民主共和政は……、目の前が真っ暗になった。

『それにしても惜しかった、あの男がいなければ私はウルヴァシーに居たかもしれない。そうなれば卿らにも勝機は有ったのだがな』
「あの男?」
あの男とは? まさか……。

『宇宙一の根性悪にしてロクデナシだ。大神オーディンもあの男からは眼を逸らすだろうな』
「……黒姫か……」
私が呟くとローエングラム公は目を見張ってから大きな声で笑った。
『卿もそう思うか、気が合うな、レベロ議長。卿とは仲良くやれそうだ』

黒姫、あの男がローエングラム公をウルヴァシーで戦う事を止めたと言う事か……。同盟は敗れた、帝国にでは無い、あの男に敗れた……。
『安心して良い、卿らを殺すつもりは無い。それに私は自由惑星同盟の存続は許さぬが民主共和政の存続は認めるつもりだ』

民主共和政の存続は認める? 思わずクブルスリーと顔を見合わせた。彼も訝しげな表情をしている。
「それはどういう事だ?」
『それを話す前に先ずは降伏する事だ。このままではウルヴァシーで無駄に死者が増え続けるだろう。それを止める事が出来るのは卿だけだ』
「……」

『良いのか、私がここに居る以上、帝国の敗北は無い、そして卿らの勝利も無い……』
クブルスリーが力無く首を振っている。負けたのか……、本当なら最高評議会で決を採るべきだろう。だが、その間に無益に人が死ぬ……。
「……分かった、降伏する」
ローエングラム公が満足そうに頷いた。
『宇宙艦隊に降伏を命じて貰おう……』

クブルスリーに視線を向けた。彼が溜息を吐く。
「ビュコック司令長官に降伏を命じます」
「頼む……」
『ではレベロ議長、話をしようか』



宇宙暦 799年 5月 8日   ガンダルヴァ星系   ヒューベリオン  ヤン・ウェンリー



戦況は良くない、第十三艦隊は帝国軍を攻めきれずにいる。一度はローエングラム公を斃したと思った。しかしそうでは無かった。そしてローエングラム公が何処に居るのか分からない。第十三艦隊は当ても無く帝国軍を攻めている。その事が艦隊の士気を恐ろしく下げている。

帝国軍が戻ってきた。約六千隻程の小部隊だがルッツ、ワーレン艦隊と協力して第十四、第十五、第十六艦隊を包囲しようとしている。ビュコック司令長官率いる予備部隊は帝国軍の予備部隊に攻めかかられ身動きが取れない状況だ。このままでいけば第十四、第十五、第十六艦隊は包囲殲滅されるだろう。

撤退するべきかもしれない。撤退してもう一度ゲリラ戦の展開に戻る。損害は決して小さくないだろう、半数以上、或いは七割近くを失うかもしれない。しかし戦力が有ればゲリラ戦は可能だ。同盟の再起も可能性は有る。今回は決戦を急ぎ過ぎたのかもしれない。帝国側をもっと焦らせるべきだった……。

ビュコック司令長官に連絡を取ろう、そう思った時だった。オペレータが声を上げた。
「帝国軍が停戦を求めています! それとビュコック司令長官との通信による会談も求めています!」
停戦? この状態で停戦? 時間稼ぎか? 皆が不思議そうな表情をしている。ビュコック司令長官はどうするのだろう? 停戦を受けるのだろうか……。

「司令長官は会談を受け入れるようです。全軍に攻撃を止めるように命令が出ました」
「分かった、こちらからも攻撃の停止を命じてくれ」
「了解しました。通信は広域通信で行われます、映像を映しますか?」
「そうしてくれ。それと帝国側の通信している艦を特定してくれ」
「はい」

オペレータが意気込んでいる。通信をしているのはローエングラム公の筈だ。これで彼の位置を特定できる。戦闘再開となれば今度こそ……。しかしローエングラム公もそれは分かっているはずだ、何故通信を……。広域通信による会談、この戦場にいる人間全てに聞かせようという事だろう。変な駆け引きはしないという事だ。一体ローエングラム公は何を考えているのか……。

スクリーンに二人の人物が映った。一人はビュコック司令長官、もう一人は黒髪の若い男性だ、表情には笑みが有る。ローエングラム公ではない、どういうことだ。
『同盟軍宇宙艦隊司令長官、アレクサンドル・ビュコック大将です。貴官は』
『エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、黒姫と呼ばれる海賊です』

どよめきが起きた。この男が黒姫か、まだ若い男だと聞いてはいたが……。しかし何故彼がここに居る? ローエングラム公は……。嫌な予感が湧きあがった……。








 

 

第四十九話  決戦(その八)



宇宙暦 799年 5月 8日   ガンダルヴァ星系   ヒューベリオン  ヤン・ウェンリー



黒姫は笑みを浮かべている。余裕の溢れた表情だ、勝利は目前だと思っているのだろう。だとするとローエングラム公は……。
『黒姫の頭領、ローエングラム公はどちらかな』
『公はここには居られません』

彼方此方でざわめきが起こった。皆、顔を見合わせている。やはりそうか……、何故気付かなかった。総旗艦ブリュンヒルトを囮に使う等、ローエングラム公らしくないと何故気付かなかった……。序盤で鮮やかにあしらわれた事で不審を抱かなかったのか、或いは負けられないという焦りが判断を鈍らせたのか……。思わず唇を噛み締めた。……自由惑星同盟の敗北、滅亡は確定した、民主共和政も……。

『居ないとは?』
『入れ替わったのですよ、私と。ブリュンヒルトには私が乗っていました。お気の毒ですがローエングラム公はこの戦場には居られません』
今度は呻き声が起きた、物を叩く音もする。納得できないという感情が彼方此方で噴出している。

『卑怯だ!』
司令長官の声では無い、参謀の一人だろう、姿は見えないが黒姫の頭領を非難した。同意する声が聞こえる。リオ・グランデだけでは無い、ヒューべリオンの艦橋でも“卑怯だ”という声が上がった。おそらく同盟軍の艦艇全てで同じ声が上がっているだろう。

『卑怯だ! 恥ずかしくないのか!』
『止さないか』
『ですが、閣下』
ビュコック司令長官が部下を宥めていると笑い声が上がった。黒姫の頭領が心底可笑しそうに笑っている。

『構いませんよ、ビュコック司令長官。どうやらこれは戦争なのだという事も分からずに戦場に出ている人が居るらしい。卑怯? それは一体何です、馬鹿馬鹿しい』
黒姫の頭領がさらに笑う、彼方此方で呻き声が上がった。また何かを叩く音がする、今度はヒューベリオンの艦橋だ。

『軍人が恥じるべき事は三つあります。一つ、部下を無駄に死なせる事。二つ、捕虜、民間人を虐待する事、三つ、上位者が下位者に対して私的暴力を振るう事。入れ替わる事は何ら恥じる事ではありません。これは立派な作戦ですよ』
呻き声がまた上がった。その通りだ、少しも恥じる事ではない。ただ感情が納得していないだけだ。

「提督、後方に敵艦隊、二個艦隊です」
オペレータが震える声で報告してきた。顔が引き攣っている。艦橋の空気が痛いほどに緊張した。ビュコック司令長官も知ったのだろう、顔が強張っている。
『安心していいですよ、彼らには現状維持を命じています。戦闘再開となっても一時間は現状を維持させます。時間稼ぎをしたなどと言われたくありませんからね。まああまり意味は無いかもしれませんが』

頭領が微かに笑みを浮かべた。彼の言う通りだ、あまり意味は無い。一時間で眼前の敵から撤退するのは不可能だ。敗北が確定した、いやローエングラム公が居ない以上、同盟の敗北は既に決まっていた。それに気付かなかっただけだ。一体何のために戦っていたのか……。

『話を戻しましょう、ヤン提督のイゼルローン要塞攻略戦はどうです?』
視線を感じる。ヒューベリオンの艦橋に居る皆が私を見ていた。
『ローゼンリッターに帝国軍人の姿をさせ要塞内に送り込んだ。要塞司令官を押さえる事でイゼルローン要塞を攻略した、立派な騙し討ちですよ。それを奇跡、魔術と言って褒め称えたのは貴方達です。この作戦は私が立案しました。ヤン提督を称賛した貴方達に私を非難する資格が有りますか?』
声が無い。その通りだ、あれは騙し討ち以外の何物でも無い。

『これは戦争なんです、騙す方が悪いんじゃありません、騙される方が悪いんです。海賊でも分かる理屈ですよ、自分を欺くのは止めて頂きたいですね。敗北を直視できない軍人ほど始末の悪いものはありません』
これもその通りだ、騙す方が悪いのではない、騙される方が悪いのだ。オペレータがメモを寄越した。通信をしている艦が判明したようだ。だがローエングラム公が居ない以上、何の意味もない。しかし、ローエングラム公は一体何処に行った?

『この戦いで同盟軍はローエングラム公を戦場で殺そうとした。理由は公を殺せば帝国は指導者を失う、ローエングラム体制は崩壊すると見たからです。一時的に同盟が帝国に占領されても再興は可能だと見た。ゲリラ戦はローエングラム公を戦場に引き摺り出す挑発だった』
また呻き声が起きた。こちらの作戦は完全に読まれていた……。

『だからそれを利用させてもらいました。私がローエングラム公の身代わりとなる事で貴方達の作戦目的そのものを叩き潰したんです。貴方達がこの戦場に現れた時点で自由惑星同盟の敗北が決まりました。同盟軍が勝利する可能性は一パーセントも無い』
一パーセントも無い、その言葉が胸に刺さった。無益に人を死なせてしまった。

『後は貴方達を逃がすことなく降伏させる事だけです。それも目途が立ちました。これ以上無益な死傷者を出す必要は無いでしょう、降伏を勧告します』
『……』
司令長官は俯いている。

『先程到着した二個艦隊の司令官はビッテンフェルト提督とファーレンハイト提督です。どちらも破壊力が強く短期決戦が得意な猛将ですよ。第一艦隊、第十三艦隊の後方を叩かせれば瞬時に勝敗は付く……』
誰かが溜息を吐く音が聞こえた。瞬時に勝敗は付く、いやもう付いている。一時間では艦隊は逃げ出せない。目の前の艦隊が逃がしてはくれない……。そしてこれから先、帝国軍の艦隊は増える一方だ。

『……一つ教えて欲しい。ローエングラム公は今何処に?』
ビュコック司令長官が沈痛な表情で問い掛けた。そう、私も知りたい。ローエングラム公は今何処に……、私ならローエングラム公をあそこに送る……。黒姫の頭領は如何した……。

『……ローエングラム公はハイネセンに向かっています、同盟政府を降伏させるために……』
彼方此方で呻き声が起きた。やはりそうか、我々を誘き寄せる一方でローエングラム公をハイネセンに送った……。負けた、全てにおいて負けた……。私の立てた作戦は無意味に人を死なせるだけに終わった……。

『なるほど……。ではこれは本当だと言う訳か……』
呟く様な声だ、皆が司令長官に視線を向けた。
『降伏する。たった今、同盟政府から降伏せよとの命令が届いた』
『司令長官!』
『政府からの命令だ、それにこれ以上の戦闘は意味が無い……』
彼方此方から啜り泣く声が聞こえた……。



帝国暦 490年  5月  9日   ガンダルヴァ星系   ウルヴァシー   コンラート・フォン・モーデル



戦闘は終結した。帝国軍はウルヴァシーの基地に戻ってきた。ローエングラム公の艦隊とキルヒアイス提督の艦隊、ルッツ、ワーレン提督、それからシュタインメッツ、ビッテンフェルト、ファーレンハイト提督の艦隊。他の艦隊はまだ戻ってきていないけど戦闘が終結したことは報せたからもう直ぐウルヴァシーの基地に戻って来るはずだ。

降伏した反乱軍の艦隊は推進剤やミサイル等を全部廃棄させられた。その上で帝国軍の艦艇に曳航されてここまで来た。将兵は皆地上基地に収容されている。戦闘で疲れているから一旦休息を入れてから輸送船でハイネセンに行く事になっている。当然だけど帝国軍の艦隊が護衛兼監視で付いて行く。

戦争は終わったけど結構忙しい。補給はしなくちゃいけないし損傷した艦の修理の手配、負傷者の手当て等後始末が大変だ。それと戦死者の確認、反乱軍の捕虜の確認、戦闘の報告書も書かなければならない。皆手分けして作業をしている。

ウルヴァシーの戦いで反乱軍を降伏させたのはローエングラム公っていう事になった。うーん、頭領も降伏勧告してたしシュタインメッツ提督、ビッテンフェルト提督、ファーレンハイト提督も戦場に居たんだけど反乱軍は政府からの命令で降伏したって事になったみたいだ。

戦闘が終了した後、頭領はローエングラム公に通信を入れて反乱軍が降伏した事を報告した。ローエングラム公は上機嫌だったけどブリュンヒルトが撃沈したと聞いた時には顔が引き攣ってた。

“最後の戦い、ブリュンヒルトは総旗艦に相応しい武勲を挙げたと思います。あの艦が撃破された事で同盟軍は攻撃目標を失いました。あれで同盟軍の士気は目に見えて落ちました”

ローエングラム公は頭領の報告に“そうか”って言ってたけど声が震えてた。よっぽどショックだったんだ。もっとも頭領は全然気にしていなかった。“大丈夫ですか”って訊いても“何がです?”って訊き返してきた。でもニコニコしてたからワザとだと思う。頭領ってちょっと意地悪な所が有るよ。

頭領は今、ビッテンフェルト提督と一緒に反乱軍のヤン提督と話をしている。本当はヤン提督と二人だけで会いたかったらしいけど、それだと変に誤解する人がいるからね、本当はメルカッツ参謀長が立ち会うはずなんだけど参謀長は仕事が忙しいからビッテンフェルト提督に頼んだみたいだ。

頭領の方からヤン提督に話をしたいと申し込んだみたいだけどどんな話をしているのか、凄い気になる。後で訊いてみよう、教えてもらえれば嬉しいけど……。ヤン提督を見たけど高名な軍人には見えなかった。穏やかな感じでちょっと頭領に似ていた、話が弾めばいいな……。



帝国暦 490年   5月  9日   ガンダルヴァ星系   ウルヴァシー   フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト



「如何ですか、その紅茶は。帝国産の物ですが……」
「美味しいと思います」
「そうですか、それは良かった」
黒姫の頭領とヤン・ウェンリーが話している。ヤン・ウェンリーはどうやら紅茶が好きらしい。黒姫の頭領はその事を知っていて紅茶を用意したようだ。

ヤン・ウェンリーがティーカップを顔に近づけた。眼を閉じている。香りを嗅いでいるのか。それを見て頭領が微かに苦笑を浮かべた。
「申し訳ない事をしました。香りを十分に楽しめませんね」
「いえ、そんな事は」
「遠慮なさらなくても結構ですよ」

なるほど、頭領がココアを、俺がコーヒーを飲んでいる。そのためどうしても紅茶の香りが消されてしまうのだろう。頭領がクスクスと笑っている。ヤン・ウェンリーは困惑の表情だ。妙なものだ、この二人はほんの少し前までは殺し合いをしていたはずだがそうは思えないほど穏やかな空気が流れている。

外見のせいかもしれない、黒姫の頭領は華奢で穏やかな青年にしか見えないしヤン・ウェンリーは軍人と言うより芽の出ない若手の学者の様な容貌と雰囲気を醸し出している。二人とも高名な海賊と軍人には見えない……。俺を含めて三人、正三角形が出来るような位置に座っているが俺だけが場違いのように思える。

「頭領、私に話が有るとのことですが……」
「話では無くお願いが有るのです」
「……お願いですか」
「ええ」

二人がじっと見詰め合っている。俺もコーヒーカップをテーブルに置いた。気付かれないようにそっと息を吐く。ここから先は間違いは許されない。頭領とヤン・ウェンリーの会談、帝国軍の中には二人の接触、接近を危険視する人間も居るはずだ。

当初頭領は二人だけの会談を望んだが皆が反対した。いや、会談その物も出来る事ならすべきではないと忠告した。しかし頭領はそれでも会談を望んだ。已むを得ず立会人を入れる事での会談になった。メルカッツ閣下、ミュラーでは頭領に近過ぎる。

ルッツ提督、ワーレンも共に戦っただけに情が移るだろう。公平な立場となると俺かファーレンハイト提督しかいない。そしてじゃんけんで負けた俺が立ち会う事になった。この二人の会談に興味が無いとは言わない。しかし立会人とはついているのかいないのか、何とも判断しかねるところだ。ロイエンタールが居れば奴に押し付けるのだが……。まあ黙って話を聞くしかない。

「ハイネセンに戻れば解放されると思いますが、その後はどうされますか?」
「……さあ、今は何とも……」
「未だ決めてはいない……」
「ええ」
敗戦の直後だ。反乱軍、いや自由惑星同盟は消滅する。先の事は分からんだろう。頭領がゆっくりと頷いた。

「自由惑星同盟は無くなりますが民主共和政は存続出来る事になりました」
ヤン・ウェンリーが目を見張っている。驚いているのだろう、俺も吃驚だ。民主共和政は存続?
「それは、自治領という事でしょうか?」
「少し違うようです。或る星系においてどのような統治形態を採ろうと自由という事のようです。ヤン提督の気に入れば良いのですが……」
「……」

「民主共和政の存続も決まった事ですしヤン提督は帝国軍に加わるというのは如何です? ローエングラム公も喜ぶと思いますし貴方の為にもその方が良いと思うのです」
「……」
声が出そうになって慌てて堪えた。また吃驚だ、本気か? 二人を見たが二人とも落ち着いた表情をしている。驚いているのは俺だけか、頭領はともかくヤン・ウェンリーも外見からは想像できぬ図太さを持っている。

「気が進みませんか?」
「ええ、私は宮仕えは向いていないようです。出来れば御放念いただければ幸いです」
頭領が一口ココアを飲んだ。ヤン・ウェンリーも紅茶を飲んだ。

「年金生活ですか、まあ帝国は統一後は旧同盟市民に対してもその辺りは保障しますから生活には不自由する事は無いと思いますが……」
「それは大変助かります、有難いですね」
頭領がヤン・ウェンリーに視線を向けた。軽く笑みを浮かべている。

「一つ約束をして欲しいのです」
「約束と言うと?」
「この宇宙から戦争が無くなろうとしています」
「……そうですね」
「混乱を引き起こす様な事は止めていただきたいのです」

静かな声だったが俺の耳には雷の様に響いた。ヤン・ウェンリーは混乱を引き起こそうとしているのか? 彼を見たが無表情に頭領を見ている。
「頭領の忠告を無視した事をお怒りですか」
「忠告?」

思わず口を出していた。頭領とヤン・ウェンリーが俺を見た。そして直ぐに視線を外した。頭領もヤン・ウェンリーもそのままあらぬ方を見ている。話の邪魔をした、バツが悪かった、だが口に出してしまった以上戻れない。この二人には俺達の知らない何かが有る。反乱軍の軍人と海賊の実力者。一体この二人に何が有った? 知らぬままにしておいて良いのか? 危険だ、確認すべきだ。

「忠告とは何のことです、頭領、ヤン提督」
「……」
二人とも答えようとしない。いや、俺の言葉が聞こえていたのだろうか? まるで表情に変化が無い。
「お答えいただきたい!」

ヤン・ウェンリーが俺を見た。そして頭領に視線を向けた。だが頭領は視線を合わせようとしない。ヤン・ウェンリーが一つ息を吐いて俺を見た。
「帝国軍が侵攻する前の事です。フェザーンの独立商人を通して頭領からの忠告を受け取りました」
「……」

またヤン・ウェンリーが頭領に視線を向けた。
「そろそろ戦争を終わらせる時が来た、民主共和制に囚われて詰まらない事はしないでくれ。それから戦争をしないで済む時代がようやく来る、邪魔をするのは許さない……」
「そ、それは……」
「にも拘わらず私はゲリラ作戦を提案し帝国軍との決戦を目論んだ……、ローエングラム公を戦場で斃す為に」

頭領を見た。視線を感じたのか、ゆっくりと頭領が俺を見た。感情の見えない顔、だが視線は強い。まるで押さえ込むような視線だ。そしてその視線から目を逸らそうとしても逸らすことが出来ない。喉が干上がる、気圧される様な圧迫感、喉元を締め上げられるような感じがした。頭領がヤン・ウェンリーに視線を向けた。ようやく息を吐く事が出来た。コーヒーを一口飲む、温くなったコーヒーが喉の渇きを止めてくれた。

信じられなかった、この二人はずっと前から戦っていたのだ。たった二人で戦っていた。頭領がこの遠征に参加した理由も分かった。負けそうになったら出るというのは嘘だ。頭領は帝国軍がヤン・ウェンリーの前に敗れると見たのだ。だからヤン・ウェンリーを封じるために参加した。実際、頭領の参加無しでは帝国軍が反乱軍に勝つのは難しかっただろう。

化け物、ミュラーから頭領がヤン・ウェンリーを化け物と評していると聞いた。否定はしない、確かに化け物だろう。ならば頭領はどうなのだろう、どう評すればいいのだろう……。人外の二人が話をしている、そこに立ち会っている。何故立ち会ったのか、今更ながら後悔した。

「怒ってはいませんよ。ヤン提督の立場では戦わざるを得なかった。お給料を払ってくれる人にはその期待に応えないといけない、そうでしょう、ヤン提督。まあ給料分以上に働いている様な気もしますが……」
「……」
幾分皮肉が交じっているだろう、ヤン・ウェンリーは無言だ。

「今後は帝国政府が貴方に年金を払います、であれば帝国政府が困る様な事はしませんよね」
「……」
「……」
ヤン・ウェンリーは答えない、頭領も答えを求めようとしない。お互いをじっと見ている。ヤン・ウェンリーは反帝国活動を考えているのか……。

「軍が解体されれば私は無力な一市民でしかありません。頭領が何故私を危険視するのか、良く分かりませんね」
ゆっくりとした口調だ、視線は頭領から外さない。
「私はビュコック司令長官を恐ろしいとは思いません。だが貴方は恐ろしいと思います。例え指揮する兵を持たなくてもです。貴方には何をしでかすか分からない怖さが有る。だから大人しくしてくれと頼んでいます」
頭領も同じようにゆっくりとした口調で答えた。頭領も視線を外そうとしない。

部屋の空気が重い。怒号も罵倒も問い詰める声も無い、だがこの二人は間違いなく戦っている。頭領はヤン・ウェンリーに帝国への恭順を求めヤン・ウェンリーは言質を取らせない。頭領がヤン・ウェンリーに帝国への仕官を勧めたのも反帝国活動を防ぐためだろう。ようやく俺にも分かった。この二人にとって戦争はまだ終わっていないのだ。

頭領がフッと笑った。部屋の空気がジワリと緩む。
「まあ、私が何を言っても最後に決めるのは貴方です。貴方が賢明な判断をする事に期待しましょう。もっとも何が賢明な判断なのかは個人の価値観によって違うのかもしれませんが……」
「……」

ヤン・ウェンリーは表情を見せない、相変わらず無表情のままだ。
「一つ教えて貰えますか、ヤン提督」
「……」
「貴方は人の命以上に大切なものが有ると思いますか、それとも命以上に大切なもの等存在しないと思いますか……。自由惑星同盟は人命より民主共和政の護持と打倒帝国を重んじたようですが、貴方はどうです?」

ヤン・ウェンリーの表情が変わった。強い眼で頭領を睨んでいる。どうやら痛い所を突かれたらしい。頭領は微かに笑みを浮かべている。
「次に戦争が起きれば貴方の養子、ユリアン・ミンツも戦場に出る事になるでしょうね。彼を失った時、貴方はどう思うのかな。已むを得ない犠牲と割り切れるのか……」
「……」

ますますヤン・ウェンリーの表情が硬くなった。僅かだが身体が震えている。そして頭領は更に余裕の笑みを見せた。
「怒る事は無いでしょう、私は未来を予測しただけです。実際にどうなるかはヤン提督、貴方が選択する事だ。ただその時に自分の選択が何をもたらすのか、そこから眼を背けないで欲しいですね。……ビッテンフェルト提督、そろそろ失礼しましょうか」



部屋を出て廊下を歩く、前を歩く頭領に問いかけた。
「頭領、ヤン・ウェンリーは反帝国活動をするとお考えか?」
「民主共和政の存続は許されました。それがどのようなものかを確認してからでしょう。多分受け入れられると思いますが……」
振り向く事無く歩き続ける。

「では、何故あんな事を?」
「念の為の警告、そんなところです。本当はローエングラム公に仕えてくれるのが一番良い。妙な連中に利用される事も無く誰にとっても一番安全なのです、そうでしょう?」
なるほど、地球教、いやそれだけでは無いな、自由惑星同盟の復活を望むものか……。頭領が足を止め振り向いた。俺も足を止めた。頭領が俺をじっと見ている。

「降伏などさせず戦場で殺してしまった方が良かったかもしれない。ビッテンフェルト提督に彼の後背を撃たせる。その方が後々悩む必要がなかった。このままでいくとヤン・ウェンリーは不安定要因になりかねない」
「それは……」

俺が絶句すると頭領は苦笑を浮かべた。
「困った事に私は彼が嫌いじゃないんです。出来れば殺したくないと思った、だから降伏を勧告した……。でも好き嫌いで見過ごす事が出来る問題でもない、厄介な人ですよ」
改めて思った、頭領にとって戦いはまだ終わっていない。ヤン・ウェンリーにとっても同様だろう。暗闘、そう思った。

頭領が身を翻して歩き始めた。足が動かなかった、黙って立ち去る姿を見ている事しか俺には出来なかった……。

 

 

第五十話 地ならし

帝国暦 490年  6月 25日   ハイネセン   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



惑星ウルヴァシーの防衛戦から一カ月半、俺は今ハイネセンに居る。一昨日ハイネセンに着いた。俺だけじゃない、ウルヴァシーにはルッツを残し殆どの提督がハイネセンに来ている。ルッツもハイネセンに来たがったんだがお留守番だ。あとでお土産でも買って渡してあげないと。彼には随分と世話になったからな。

あの戦い、正式名称はガンダルヴァ星域の会戦になるらしい。ラインハルトはそう命名するようだ。もっとも参加者達は勝手に名付けている。大決戦とかインチキ戦争とかだ。大決戦と名付けたのは帝国側、インチキ戦争は同盟側の兵士が名付けた。まあ気持ちは分かるけどね、嘘吐きと言われている様な感じで必ずしも面白くは無い。

後始末は結構大変だった。鹵獲艦を帝国領に送ったり捕虜を運ぶ輸送船を手配したり容易じゃ無かった。鹵獲艦は五万隻近く有るんだ、こいつの扱いは気を付けなければならない。原作みたいに奪われたなんて事になったらとんでもない事になる。ワーレン、アイゼナッハの二人がフェザーン経由でオーディンに運んでいる。土産はこいつ等の分も要るな。ワーレンは子供がいるし、アイゼナッハは奥さんが居る。その分も必要だろう。それとカールとフィーアの分、黒姫一家の分も要る。あとでメモにまとめておかないと……。

鹵獲艦は多分武装を解除して商船にして払い下げるか、あるいはスクラップにして再利用するのだと思う。同盟の建艦技術を調査するために使うのも有るかもしれない。払い下げならウチも手に入れよう、商船はいくらあっても良いからな。実は一隻だけ艦を頂いている。ブリュンヒルトをロストしてしまったからね。何時までもシュヴァーベンに居候はちょっと辛い。元々の乗組員達が窮屈そうだ。と言う事でユリシーズを頂いた。ハイネセンまではユリシーズで来たんだ。

皆はヒューべリオンが良いとかリオ・グランデに乗りたいとか言ってたけどそんなことをしたら同盟の軍人達が傷付くだろう。ヒューべリオンもリオ・グランデも武勲艦だ。それを艦が無いから使わせろなんて俺にはとても言えん。その点ユリシーズはトイレを壊された戦艦だからな、使ったってそんなに怒る事は無い筈だ。

文句を言い出したのは帝国側だった。どういうわけかユリシーズがトイレを壊された戦艦だって知ったらしい。乗りたくないとか言い出すからユリシーズはトイレを壊されても生き残った目出度い武勲艦だと言って説得した。実際、アムリッツアで生き残ったのは大変な名誉の筈だ。俺は嘘を吐いてはいないし皆も納得した。もっともこの説得に半日費やしたが……。

一昨日、改めてラインハルトにガンダルヴァ星域の会戦の経過を報告した。メルカッツが作成した戦闘詳報を提出し口頭で報告した。ブリュンヒルト喪失の件も説明した。ラインハルトはちょっと哀しそうな表情をしたが已むを得ない事だと言ってくれた。

意外とサバサバしてると思ったが本人はこれを機にブリュンヒルトをもう一度造る気のようだ。ラインハルトなりに改造したい部分も有るのだろう。まあ総旗艦だし戦争も無い、一隻ぐらい費用度外しで作ったって文句は出ないだろう。皇帝の座乗艦でもあるのだ。

ブリュンヒルトが出来上がるまで一時的に帝国軍総旗艦はマーナガルムになる。ラインハルトは結構マーナガルムが気に入ったらしい。ということで俺はしばらくユリシーズを使用する事になった。いずれ俺の艦隊はメルカッツの艦隊になる。ブリュンヒルトが出来上がったらマーナガルムはメルカッツの旗艦になるだろう。

ブリュンヒルトの件を除けばラインハルトは頗る上機嫌だ。何と言ってもガンダルヴァ星域の会戦を終わらせたのは自分だと言う自負が有る。誰にも負けなかったと満足なんだろう。子供っぽい自負心だが上機嫌なんだ、大目に見ても良い。

レベロとの話し合いも悪くなかったようだ。レベロはエル・ファシル公爵領の提案を受け入れる事で合意した。彼は初代エル・ファシル公爵になるが直ぐに選挙を行ってエル・ファシル公爵を選び直すそうだ。戦争に負けたからな、国を滅ぼしておいて公爵とはどういうことだという批判も出るだろう。已むを得ない事ではある。その辺りも含めてラインハルトと調整済みの様だ。

問題はエル・ファシルと同盟市民にどう説明するかだが、それについてはレベロが今エル・ファシルの自治政府と極秘に話し合っているらしい。同盟は降伏したが今後の事は帝国と同盟政府で交渉中という事で伏せている。内容が発表されれば一番問題なのは人間の移動だろうな。エル・ファシルは人口三百万程度の有人惑星だ、同盟市民が移りたいと言っても限界が有る。その辺りをどうするか……、まあ知恵を絞ってくれ。

レベロが俺と会いたがっているらしい、後で奴の所に行かないと……。恨み言の一つも言われるんだろうな、愚痴も……。しかしその程度は聞いてやらないとな、結構俺の所為で苦労してるんだから。少しは労わってやるか……。でもなあ、俺を労わってくれる人間は何処に居るんだ?

さてと、そろそろラインハルトの執務室に着くな。ラインハルトの執務室はホテル・ユーフォニアにある。原作だとロイエンタールが新領土総督府を開設したホテルだ。ちなみに俺の居住部屋もこのホテルだ、俺だけじゃなく他の高級士官もここに居る。一カ所にまとめた方が警護し易いからな。その分警備は厳しい。

執務室にはラインハルトの他にヒルダとシュトライトは居たがリュッケは居なかった。
「良く来たな、私に話が有るとのことだが」
「はい、少々ご相談を」
「卿が何を言い出すか不安でもあるが楽しみでもあるな」
御機嫌だな、ラインハルト。ヒルダとシュトライトもリラックスしている。話しやすい状況だ。

「ヴァンフリート星系の事です」
「ヴァンフリートか……」
ラインハルトが困惑した様な声を出した。ヒルダとシュトライトもちょっと困っているな。やはりヴァンフリートは問題だ、放置はできない。

「ヴァンフリート星系は同盟から黒姫一家に譲度されました。つまり法的には帝国領の一部とは言えない状況です」
「そうだな」
眉を顰めている。まあ俺がラインハルトの立場でも眉を顰めるだろう。宇宙でこんなあやふやな土地は他には無い。

「自由惑星同盟が滅びた事で同盟との間で結んだヴァンフリート割譲条約は効力を失いました。条約で禁止した第三者への譲渡は可能でしょう。帝国政府へ進呈しますので改めて我々の所有を認めて欲しいのですが」
「なるほど、一度帝国領として編入しろというのだな」
「はい、まあ色々と投資もしていますので差し上げる事は出来ませんが……」
ラインハルトが苦笑を浮かべた。

「そうだな、それではこちらも気が引けるというものだ。フロイライン、貴女はどう思う」
「頭領の提案を受けるべきかと思います」
この二人、相変わらず男女の柔らかさというか温かさみたいなものは感じない。やっぱり結婚は無理かな、これは。

「ではオーディンに戻り次第手続きをするか」
「いえ、出来る事なら新帝陛下の戴冠式での御祝いの品として黒姫一家から献上したいのですが」
ラインハルトが一瞬目を見張って笑い出した。ヒルダ、シュトライトも笑っている。

「その上で私から卿に下賜するか。……卿は演出が上手だな。新王朝の門出に相応しい祝いの品だ。その案、使わせてもらおう」
「有難うございます」
戴冠式に領地を献上する、そしてそれを改めて下賜する。新帝即位に花を添えるだろう。形式だけだとか煩く言う奴も居ないはずだ。新皇帝と黒姫一家の絆の強さを表す事にもなる。

「それともう一つお願いが有るのですが……」
「何だ?」
「イゼルローン回廊の事ですが銀河統一後は全面開放を御考えいただきたいのです」
嫌がるかな?

「その事、私も考えていた」
あれ? 考えていた?
「卿の考えを分からぬではない、新領土と帝国領を経済で結びつけようと言うのだろう」
「……」

「回廊を開けば危険は有るだろう、民主共和政という思想が帝国領に入って来ることになる。だが帝国も改革を進めている、成果は十分に上がっている、負けるとは思わない」
「公平な税制度と公平な裁判、ですか」
ラインハルトがゆっくりと頷いた。自信が有るな、統治者として自分のやっている事に手応えが有るのだろう。悪くない、実際帝国の住民はラインハルトの改革によって救われているのだ。怯えて閉じるよりはずっといい。

「回廊を閉じるより開いた方が帝国が得る利は大きいと私も思う。特にエル・ファシルはイゼルローン回廊から近い、エル・ファシルを帝国本土と結びつけることが出来れば……」
「安全保障の面でも効果は大きいと思います」

ラインハルトが大きく頷いた。ヒルダやシュトライトも不安そうな表情を見せていない。この問題は結構話し込んでるな。妙な感じだ、原作だと経済に関してはラインハルトもヒルダも疎い感じなんだがな。この世界だとそういう風には見えない、俺の所為か? だとすると良い方向に向かっていると言える。

「今すぐというわけにはいかぬ。ケスラーの考えも聞いてみたい。だが基本的には開放の方向で進めたいと思っている」
「有難うございます」
ケスラーは駄目だとは言わないだろう。それにラインハルト本人が開放の意思を持っている、多分大丈夫だ。

今日はスムーズに進むな。ついでだ、例の件も話しておくか。ラインハルトに人払いを頼んだ。ちょっと妙な顔をしたが受け入れてくれた。ヒルダとシュトライトに一礼した。二人が部屋を出て行く。
「で、話とは」
「グリューネワルト伯爵夫人の事です」
「姉上か……。どういう事だ?」
困惑だな、俺とアンネローゼは接点が無い。不審に思っているようだ。

「このままお一人にしておかれるのですか?」
「……」
「お若いのですし、お一人ではお寂しいのではないかと思うのですが」
「……それは……、姉上を結婚させろという事か?」

益々困惑だな。多分ラインハルトはアンネローゼを姉とは思っても女とは思った事が無いんだろうな。十歳で離れ離れになったから大事なお姉ちゃんのままなんだ。時間が止まっている。

「しかし、姉上からは好きな人が居るとは聞いた事が無いが……」
お前は子供か? 全くこれだから……。
「伯爵夫人は後宮におられました。夫人のお立場では言い難いのではないでしょうか?」
ラインハルトが唸った。しかしなあ、どうもピンと来ない、そんな感じだ。

「それに閣下が皇帝として即位されれば伯爵夫人は唯一の皇族という事になります。良からぬ事を考える人間が出るかもしれません」
「良からぬ……。姉上を利用する、いや姉上と結婚して皇族に連なる事で利益を得ようという事か!」
顔を顰めている。不愉快そうな口調だ、大分怒っている。

「或いは閣下を暗殺しようとするかもしれません」
「……」
おいおい、俺を睨むなよ。有り得ない話じゃないだろう。
「伯爵夫人のお傍には夫人を護るしっかりとした人が居るべきだと思うのです……」
ラインハルトが二度三度と小刻みに頷いている。俺に視線を向けてきた。

「卿の言う事は分かる。しかし姉上に無理強いはしたくない、相手の男にもだ」
「分かっております。これまで伯爵夫人は随分と御苦労をなされました。御幸せになっていただかなければ……。私が結婚を勧めるのもそれを思っての事です」
「そうだな、姉上には幸せになって貰わなければ……」

しんみりした口調だ。お前の良い所だよ、ラインハルト。ただの権力亡者ならアンネローゼを殺すか、道具として利用することを考えるだろう。だがお前はアンネローゼだけじゃない、相手の男の事も考えている。オーベルシュタインなら弱点だと言うだろう、だが俺はそうは思わない。

人を思い遣る心が有って初めて善政が生まれると思う。統治者には必要な心だ。トリューニヒトなんかには欠片も無いだろう、オーベルシュタインと組んだら似合いのコンビだっただろうな。トリューニヒトならオーベルシュタインに汚れ仕事をさせておいて平然と知らぬ振りをしたはずだ。

「キルヒアイス提督が伯爵夫人を想っているという事は有りませんか?」
「キルヒアイス? ……キルヒアイスが姉上を?」
ラインハルトが首を傾げている。俺も鈍いがこいつの鈍さは俺の遥か上を行く。素直に感心するよ。

「伯爵夫人にとって身近な男性というとキルヒアイス提督です。キルヒアイス提督も恋人はいらっしゃらないようですし……」
「……キルヒアイスが姉上を?」
駄目だわ、同じ言葉を繰り返している。こいつの頭の中ではアンネローゼは十五歳でキルヒアイスは十歳のままなのかもしれん。

「もちろん私の勘違いという事も有ります。しかし、もしそうでないなら閣下は反対なのでしょうか?」
「いや、そうではない。ただ姉上からもキルヒアイスからもそんな感じは受けなかったから……」
お前なあ、皇帝の寵姫が好きだなんて言えるか? フリードリヒ四世の死後はお前に遠慮してたんだろうが。おまけにアンネローゼは年上だしキルヒアイスは平民だぞ。簡単にラブラブなんてなるわけ無いだろう。

「お二人と親しい方は居ませんか? 出来れば共通の友人が。それとなく確認してもらった方が良いと思うのですが」
「二人の友人か……。そんな人物が……、いやヴェストパーレ男爵夫人がいたな、夫人に頼めば良いかもしれない……」
ホッとしたような声だ。ようやくここまで来た。覚えの悪い犬に芸を仕込んでいる様な気分だ。

「それは良い方が居られたようで」
「ああ、オーディンに戻ったら頼んでみよう。それにしても姉上とキルヒアイスか……」
まあこれで何とかなるだろう。あとは上手くやってくれ。実際、アンネローゼを一人にしておくのは危険だ。ラインハルトとヒルダが結婚するかどうか、不確定だからな。最悪の場合はアンネローゼが女帝でキルヒアイスが女帝夫君という事になるだろう……。



 

 

第五十一話 エル・ファシル



帝国暦 490年  6月 25日   ハイネセン   アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト



「申し訳ないですね、ファーレンハイト提督。忙しいでしょうに私の付添いとは……」
「お気になさらずに、戦争が無い以上我ら軍人は暇ですからな。それに一人で動かれるのは危険です」
俺の言葉に黒姫の頭領は微かに笑みを浮かべた。

「頭領はレベロ議長と親しいのですかな」
「さあ、親しいわけではありませんがあの人が議長になったのは私にも一因が有ります。ヴァンフリート割譲条約が評価されて最高評議会議長になったのですから」
「なるほど……」

なるほど、あれか。確か六千億帝国マルクと吹っ掛けてヴァンフリートの割譲と二億帝国マルクの支払いで済ませたんだったな。まあ反乱軍、いや同盟市民か、彼らにしてみれば使い物にならん星域を有効利用して解決したのだ。評価されて議長になったのもおかしな話ではない。もっとも頭の固い主戦派からはかなり叩かれたとも聞いている。

「愚痴でも言いたいんでしょう。余計な事をしてくれたと」
「しかし、筋が違うと思いますが」
「そうですがレベロ議長は国を失うのです。愚痴ぐらいは聞いてあげないと……。それに議長は今問題を抱えているはずです、上手く励ませれば良いのですが……」
「大変ですな」
「ええ、物事は後始末が大変です。少し手伝ってあげないと」

俺が笑うと副官のザンデルスも笑った。護衛の兵達も笑っている。頭領は困ったような表情をした。非情なだけではない、結構面倒見が良いらしい。いや、そうでなければ上に立つのは難しいか……。メルカッツ閣下も頭領には随分と世話になっている。本来なら捕えた時点でローエングラム公に突き出すことも出来たはずだ。

ローエングラム公から呼び出された。そして頭領がレベロ議長と会見するから同席するようにと言われた。最初に思ったのは頭領の監視という事だった。だがローエングラム公も黒姫の頭領も上機嫌だった。監視ではない、証人だろう。反乱軍の議長と会う以上、疑いを持つ人間は必ずいる。それを打ち消すのが俺の役割だ。

どんな話が出るのか、楽しみでもあるが恐ろしくもある。頭領とヤン・ウェンリーの会談に立ち会ったビッテンフェルトは二人とも化け物だと怖気を振るっていた。果たして頭領とレベロ議長の話はどうなるのか、ただの愚痴で終わるとは思えん。

護衛を含め地上車三台で最高評議会ビルに向かった。衛兵に険しい顔をされたが中に入る事を咎められることは無かった。議長から中に入れるようにと予め指示が有ったらしい。頭領と俺、他に護衛が八人、最高評議会ビルの廊下を歩く。レベロ議長は執務室で待っていた。俺と頭領が中に入り護衛の八人は廊下で待つ。

執務室の中では男が一人ソファーに座りこちらを見ていた。彼がレベロ議長だろう。
「遠慮は要らない、座ってくれたまえ」
頭領が俺をチラっと見てからソファーに向かった、後を追う。二人でレベロ議長の正面に座った。幾分憔悴しているように見える、髪にも白いものが有った。テーブルには既に水の入ったデキャンタとグラスが二つ置いてあった。

「そちらは誰かな」
「アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト提督です。帝国軍の正規艦隊司令官です」
頭領の紹介に俺が少し頭を下げると向こうも微かに頷いた。

「監視役かね、信頼されているようだ」
ちょっと皮肉が入っているな。
「間違いが無い様にと心配しているんです。大事にされているんです、有難い事ですよ」
フンとレベロ議長が鼻を鳴らした。皮肉を言ったのに軽くいなされて面白くないらしい。

“もう一つ要るな”、そう呟くとレベロ議長は立ち上がって奥に有ったアンティーク調ガラス扉キャビネットからグラスを出した。
「その中身は水だ、私が用意した。他の人間に任せると毒でも入れかねんからな」
「有難うございます、感謝しますよ、レベロ議長」
議長が席に戻りグラスに水を注いだ。頭領が一口水を飲んだ。なかなか度胸が有る。それとも議長を信用しているのだろうか。俺も一口水を飲んだ。

「こうして直接会うのは初めてだな」
「そうですね、やはりこの方が親近感が湧きます。議長、いささかお疲れのようですね」
「君のおかげでね、全く余計な事をしてくれた。君さえいなければ同盟が生き残る事は可能だっただろうに」
忌々しそうな口調だ。表情も渋い。

「その可能性は有ったと思います、否定はしません。ヤン提督は名将です、彼ならローエングラム公に勝てたかもしれない。しかしそうなるとこれからも戦争は続いたでしょう、同盟の国力では帝国を征服する事は出来ない。用兵の問題じゃありませんからヤン提督でも無理です」
「……」
レベロ議長が唇を噛み締めた。

「その方が良かったですか? 同盟は軍の再建、そして戦争が続く事で経済も社会も滅茶苦茶になっていたはずです。帝国も同盟も誰も幸せにはなれない……。喜ぶのは地球教だけですよ」
「……地球教か」
レベロ議長が呟いた。地球教か、帝国軍の次の敵は地球教だな。帝国では弾圧したがこちらではそうではない……。

「ようやく宇宙に平和が来るんです。民主共和政もエル・ファシルで存続する。それで良しとすべきでしょう」
民主共和政が存続する。ビッテンフェルトから聞いた時には驚いたがやはり本当なのか。レベロ議長が溜息を吐いた。

「戦争が無くなるか……。望んだ形では無かったが戦争が無くなるのは良い事だ、それは認める。民主共和政も認められるのだ、有難いと思う」
強く自分に言い聞かせるような口調だった。
「しかしね、エル・ファシル公爵、あれは何だね? いくら民主共和政を残すためとはいえ、よりによってこの私が公爵? 嫌がらせかね?」

エル・ファシル公爵? 何だそれは? レベロ議長が公爵? それが民主共和政を残す事に繋がる? 頭領が俺を見てクスッと笑った。
「エル・ファシルでは民主共和政の政体をとることが許されるのです。選挙で選ばれる公爵、珍しいでしょう、ファーレンハイト提督。まだ外部に話すのは控えて下さいよ、同盟市民を混乱させたくないですから」
「はあ」

思わず間抜けな声が出た。選挙で選ばれる公爵? 何だそれは? 珍しいと言うより前代未聞だな。帝国でそんな公爵が居たなど聞いたことが無い。俺が呆然とするのが可笑しかったのだろう、頭領がまたクスッと笑った。

「レベロ議長、そのように嫌がらせなどと取ることは無いでしょう。悪い話ではないと思いますよ。これまでは反乱軍の首魁でしかなかったのにエル・ファシル公爵として、帝国第一位の貴族として認められるんです。エル・ファシル星系を領し無任所とはいえ国務尚書として帝国の統治にも関わることになった。大出世ですよ、帝国屈指の実力者と言って良い。もっと素直に喜んでは如何です?」
レベロ議長が溜息を吐いた。俺もだ、帝国第一位の貴族?国務尚書? 何だそれは……。

「おまけに同盟政府の持っていた借金は全部帝国に肩代わりさせることが出来ました。財源をどうするか等と悩む必要も無い、してやったりじゃないですか。今度ローエングラム公に会ったら肩でも叩いてあげるんですね。後は任せた、君、宜しく頼むよとでも言って」
レベロ議長がまた溜息を吐いた。気持ちは分かる、滅茶苦茶だ。

「ローエングラム公が君を宇宙一の根性悪にしてロクデナシと言っていたが全く同感だ。君こそ宇宙一の根性悪にしてロクデナシだよ」
「そのように褒めないでください、照れるじゃないですか」
頭領がにこやかに答えた。思わず俺もレベロ議長も頭領をまじまじと見た。確かに宇宙一の根性悪にしてロクデナシだと言われても仕方ない。レベロ議長が呆れたような表情をした。

「褒めていると思うのかね」
「物事は良い方に取らないと。それになんでも一番というのは立派な物ですよ、例え根性悪でもロクデナシでも。公爵ならなおさらです、そうでしょう?」
レベロ議長がまた溜息を吐いた。
「恨み言の一つも言ってやろうと思っていたのだが馬鹿らしくなったな」
頭領が肩を竦めた。

「それで私を呼んだ理由は? もちろん恨み言を言いたかっただけというのでも構いませんが」
レベロ議長が不機嫌そうに顔を顰めた。
「違う、いやそうであれば良かったのだけどね。確認したい事が有ったのだ。今後も君達とエル・ファシル星系の関係は続く、そう見て良いのかな?」

なるほど、そういう事か。黒姫一家はヴァンフリートから産出した鉱物資源をエル・ファシルで売りさばいているとメルカッツ閣下から聞いている。そして民生品を購入して帝国で売っていると。それによる利益はかなりな物らしいがその関係が続くかどうかはエル・ファシルの繁栄に大きく影響する。レベロ議長が心配するのも無理はない。

「問題はないと思います。ヴァンフリートは一度帝国政府に渡しますが、改めて我々の所有が認められることになります。エル・ファシルにはこれからも我々の輸送船が立ち寄る事になるでしょう」
「そうか、それは良かった」

うむ、ヴァンフリートを一度帝国に渡すか。形式面でヴァンフリートは帝国領の一部であると表明するわけだな。胸を撫で下ろす奴も要るだろう。……それにしても妙だな、口調の割にレベロ議長はあまり嬉しそうではない。エル・ファシルの繁栄は何よりも気掛かりな事の筈だが……。レベロ議長が一口水を飲んだ。

「エル・ファシルとの話し合いは上手く行っているのですか?」
頭領が問い掛けると議長は顔を顰めた。
「難問ばかりだよ、エル・ファシル公爵領が発足すれば多くの同盟市民がエル・ファシルに移住を求め押し寄せるだろうが……、向こうは受け入れに難色を示している」
議長が溜息を吐いた。

「受け入れはどの程度可能なのです?」
「精々二百万程度だろうとエル・ファシルでは見ている」
「……」
「電気、水道などのライフラインの問題も有るが医療、教育などの施設も人も足りない。二百万以上は難しいだろうな……」

レベロ議長の声には力が無い。同盟には百億人以上の人間が居る、しかし受け入れられるのは二百万……。いっそ受け入れをゼロにした方が混乱はないだろう。
「戦争ばかりしているからです。国民の生活を犠牲にしたツケですよ」
「君の言う通りだ」
「……」
頭領もレベロ議長も苦い表情をしている。

「エル・ファシルでは受け入れは拒否すべきだと言う意見が出ている。混乱するだけで何の益も無いというんだ。彼らが心配しているのは自分達の繁栄だけだ」
吐き捨てる様な口調だ。なるほど、レベロ議長が不機嫌だった理由はそれか。議長はエル・ファシルの身勝手に怒っていたわけだ。

「彼らを責めることは出来ないでしょう。政府は戦争に夢中になって地方の事など何も考えてこなかったはずです。エル・ファシルは戦場になった事も有る。安全な所でぬくぬくしていたハイネセンの後始末を何故自分達に押し付けるのか……、当然の感情でしょう。繁栄が保障されているのであればエル・ファシル公爵領にも抵抗は少ないのではありませんか?」

レベロ議長の顔が歪んだ。
「その通りだ。同じような事を言われたよ。君は彼らと話したのか?」
「いいえ、そうでは有りません。ですが想像はつきます、難しい事じゃない。帝国の辺境が中央に対して似た様な感情を持っていますからね」
「……」

だから一部の人間が恐れるのだ。いずれ辺境が中央と対立するのではないかと。辺境が弱い存在なら良い、押し潰す事が出来る。だが黒姫の頭領が辺境に居る。頭領を無視する事は誰にも出来ない。これまでの頭領の帝国に対する貢献を考えれば辺境に対して強く出る事は出来ない。そして徐々に辺境は力を着けつつある……。

「帝国も同盟も国家として国民の安全と繁栄を守る事を怠った。それでも帝国はローエングラム公が改革を始めた。だから反発は同盟の諸都市に比べれば少ない」
「そうだな、それに対して同盟は何も出来なかった……」
力の無い声だ。頭領がグッと手を握りしめるのが見えた。頭領の顔を見たが表情は変わっていない。しかし、怒っている……。

「統治体制なんて馬鹿げたものに拘るからです。民主共和政、専制君主政、どちらにも欠点が有る、完璧な物じゃないんです。それが分かっていれば共存が可能だったはずです、それなのに……。ヴァンフリート割譲条約を見れば分かるでしょう、主義主張なんてものは決定的な対立要因にはならない事が」
「……その通りだ、君の言う通りだよ。エル・ファシルは今の繁栄が続く事だけを望んでいる……」
レベロ議長は俯き頭領は溜息を吐いた。

二人とも押し黙っている。暫くしてから頭領が口を開いた。
「何回かに亘って段階的に移住者を受け入れる、同盟市民にはそう言うしかないでしょう」
「何回かに亘って?」
「最初に二百万、二年後に更に二百万。受け入れの準備にそれくらいかかる、その後も何年か置きに移住者を受け入れると発表する。エル・ファシルだって人口が増えればそれだけ豊かになる。それで両方を説得するんです」

レベロ議長が訝しげな表情を見せた。
「納得すると思うかね、君は」
「納得させるんです。……実際問題、二百万人以上受け入れる事は出来ない、そうでしょう?」
「……」
「移住を望んでいるのは帝国の統治に不安が有るからです。二年後には帝国の統治も軌道に乗っている。そうなれば移住を望む人間も減るはずですよ」

レベロ議長が“そうであって欲しいものだな”と呟いた。苦労している、いっそエル・ファシル公爵領など無い方が議長にとっては楽だっただろう。だが民主共和政を守るために今苦労をしている。そして頭領はそれを助けようとしている。苦労している議長を放っておけないのだろう。贖罪も有るのかもしれない。いや、何よりも帝国が繁栄するには旧同盟領の安定が必要だ。頭領にとっても他人事では無い。

大変だな、そう思った。まだまだ戦いは続く、そう思った。人と人が殺し合う戦争は終わった。しかしこれからはいかにして人を豊かにするかの戦争が待っている。経済の戦争であり統治の戦争だ、失敗すれば旧同盟領は混乱し不安定な状態になるだろう。帝国にとってお荷物にしかならない。帝国がこの面で頭領に求めるものは大きい。そして頭領もそれは分かっているはずだ。

ローエングラム公は分かっているかな。これまでの戦争は勝てば良かった、しかしこの新しい戦争では様々なものを求められるはずだ。公正さ、豊かさ、そして未来への希望……。容易では無いな、容易ではない。だが今更後戻りはできない、ローエングラム公も頭領もこの道を歩み続けるしかないだろう……。


 

 

第五十二話 ハイネセン混乱




帝国暦 490年  6月 25日   ハイネセン   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「ところでエル・ファシルはどのような政体を採るのです?」
「その事も問題の一つだよ……」
「戸惑っていますか」
俺が問い掛けるとレベロは顔を顰めた。

「ああ、連中は今の政体をあまり変えたくないと思っている。エル・ファシル公爵をどう取り込むか、迷っているのだ。知事の兼職とするかそれとも独立した役職とするか、その場合知事と公爵の関係、議会と公爵の関係をどうするか……、公爵を議会が選ぶ、或いは知事が任命するなどという意見も有る」
やっぱりなあ、そうなるか。帝国の事を考えれば採るべき政体は見えてくるんだが、難しいか……。

「半大統領制しかないと思いますよ」
「私もそれは言ったんだが……」
「国民投票で公爵を選ぶ。そして公爵は議会第一党から知事を選ぶ。公爵は外政を担当し内政は知事が責任を持つ」
俺の言葉にレベロが溜息を吐いた。

「知事は反対しているよ。権力の分散もそうだが何よりも頭を押さえられるのが嫌らしい」
「だったら公爵になったら良いでしょう」
「ローエングラム公に頭を下げるのはもっと嫌らしい」
話にならんな、お山の大将でいたいって事だろうが。そんな事は許されないって事が分からんらしい。

「エル・ファシル公爵領は他の貴族領の模範になるべき存在なんです。それを理解してもらわないと」
「どういう事かな、それは」
俺の言葉にレベロとファーレンハイトが訝しげな表情を見せた。ファーレンハイトはしょうがないけどな、レベロまで首を傾げるってのはいただけない。同盟のトップなんだからもう少し考えてくれないと。

「専制君主制というのは君主の暴走、無関心をどれだけ抑えられるかで政治が安定します。帝国で言えばエル・ファシル公爵はその役割を果たす装置の一つです」
「まあそうなるな」
だからエル・ファシル公爵は帝国第一位の貴族であり民主共和政も許されている。特別な存在なのだ。

「帝国の統治で今後問題になるのは貴族領でしょう」
「貴族領?」
「ええ、貴族領です。リップシュタット戦役でかなりの貴族が没落しました。しかし生き残った貴族も少なくありません。彼らの領内統治に関しては基本的に何の抑止力も無い。今後暴政が行われる可能性が高いのは帝国の直轄領より貴族の私有地でしょう」
レベロが“なるほど”と言いながら頷いた。ファーレンハイトも頷いている。

「ローエングラム公の改革が進めば領民達も政治に対して関心を持つはずです。当然ですが自分達の意見を統治に取り入れて欲しいと言いだすでしょう。その時見本になるのがエル・ファシル公爵領なんです」
「君は貴族領に議会制民主主義を取り入れようというのか?」
おいおい、何喜んでるんだよ。眼が輝いてるぞ。ファーレンハイトが顔を顰めているだろう。

「そうじゃありません。議会制民主主義を取り入れろなどと言っても皆拒否しますよ。何らかの形で領民の意見を統治に取り入れても問題が無い、貴族達にそう思わせる事が必要だと言っているんです。そのためにもエル・ファシル公爵領では善政を行う必要が有ります」
「……そういう事か」
不満か? レベロ。

「貴族達がエル・ファシル公爵領の真似をするのか、それとも別なシステムを作るのかは分かりません。ただ領民の意見を取り入れても良い、そう思わせなければ貴族領の統治は貴族の恣意に翻弄されるだけです」
レベロが唸っている。

貴族が内政担当者を任命し内政を委ねる、或いは諮問機関のような物を作り統治にその意見を取り入れる。方法は色々あるだろう、大事なのはあくまで自分達が最終的な権力を持っていると貴族達に思わせる事だ。そうでなければ彼らは消極的、いや拒絶するだろう。そう思わせるためには半大統領制が良いのだ。公爵が内政担当者を任命する、その形が良い。

いずれ貴族も気付くだろう。領民の意見を取り入れた方が失政が有った場合、貴族が負う傷は小さいという事に……。領民達から一方的に責められる事、不満に思われる事は少ないはずだ。権力を領民に委譲する以上責任も領民に負わせることが出来る。そこに気付けば積極的に領民の意見を統治に取り入れるはずだ。


「上手く行きますかな、頭領」
「さあどうでしょう、上手く行って欲しいとは思いますが」
まあ上手く行くだろう。レベロはエル・ファシル説得の目処が出来た所為だろう、俺達を機嫌良く送り出してくれた。というわけで俺とファーレンハイトは最高評議会ビルの廊下を歩いている。

「頭領も苦労が絶えませんな」
「戦争よりはましですよ、ガンダルヴァで戦って分かりました。あんなのはもう二度と御免です」
「それはそれは」
ファーレンハイトが苦笑している、護衛の人間もだ。

この廊下、あまり気分は良くない。結構人が通るのだが誰も俺達とは視線を合わせようとしない。今も一人顔を背けて通り過ぎて行った。気持ちは分かるがね、そう露骨に避ける事も無いだろう。頭に来るな、嫌がらせに能天気な会話でもしてやるか。

「ファーレンハイト提督は結婚はしないのですか?」
「また突然に……、気が付けば三十を過ぎていましたな。心の何処かで戦場で死ぬかもしれない、そんな気持ちが有ったのかもしれません」
最初は苦笑、次はしんみりとした口調だった。そうだろうな、周囲には夫を亡くして悲しんでいる未亡人とかいるだろうしそういうのを見れば結婚には二の足を踏むだろう。

「今後は結婚する人が増えるかもしれませんね」
「そうですな、平和になれば戦死を心配する必要も無い。小官も少し考えてみますかな」
「そうですね」
うん、和やかな空気だ。ほのぼのする。また一人来たな、若い男だ。お、礼儀正しいな、随分と前から脇に避けてる。他の奴は避けないんだけどな。

「誰が一番最後になるでしょう」
「さあ、ロイエンタール提督ですかな」
「ローエングラム公かもしれませんよ」
「なるほど、そうかもしれませんな。しかし、それは困る」
また笑い声が起きた。そうだよな、困るよな。皇帝が独身では。

脇に避けた男を通り過ぎようとした時だった、馬鹿が……。
「頭領!」
ファーレンハイトが叫んだ。若い男が腕から血を流して蹲っている。足元にはブラスターが落ちていた。撃ったのは俺だ。足元のブラスターを蹴って男から遠ざけると護衛の一人が急いで拾い上げた。若い男が顔を上げて恨めしそうに俺を見た。相変わらず顔色が良くないな、こいつ。

「ファーレンハイト提督、誰か人をやってレベロ議長を呼んでください」
護衛の一人が慌てて議長の執務室に戻った。二人の護衛が男を取り押え残りは皆ブラスターを構え周囲を警戒している。良いね、良く訓練されているらしい。周囲には遠巻きに人が集まり始めた。こちらを見ながら何かを話し合っている。
「頭領、これは? 一体何が有ったのです?」

ファーレンハイトに説明しようとした時、騒ぎが起こった。遠巻きに見ていた見物人を押しのけ制服を着た男達、軍人ではない、警察関係だろう、五人程が俺達に向かって近づいてきた。
「どうした、何が有った」
先頭の男が声をかけてきた。五十は超えているように見える初老の男だ。

「卿は誰だ?」
ファーレンハイトが尋ねると男は胸を張って
「この最高評議会ビルの警備責任者だ」
と答えた。そしてもう一度“何が有った”と問いかけてきた。視線は若い男を捉えている。

「その男が私を殺そうとしたのです。そのブラスターでね」
俺が目線で若い男と護衛が持っているブラスターを示した。警備責任者が唸り声を上げる。
「その男はこっちで預かる、ブラスターもだ。あんたにも話を聞かせてもらう」
偉そうだな、この野郎。

「その必要は有りません。この男は帝国で預かります」
「何だと」
俺が拒否すると警備責任者が顔を真っ赤にした。
「口封じをされては困るのでね」
俺の言葉にファーレンハイトが鋭い目で男を睨んだ。おやおや、警備責任者は今度は青くなって“どういうことだ”なんて言っている、忙しい奴だな。

バタバタと音がしてレベロがやってきた。
「どうした、何が有った」
「ああ、この男が私を殺そうとしたんです。議長は御存じでしょう、この男を」
「どういう意味だ、……見た事が有るな、いや私は君を殺そう等と考えてはいない。……しかし、見た事が有る……」
レベロが困惑している。薄情だな、こいつを忘れるなんて。

「アンドリュー・フォークですよ、議長。思い出されましたか?」
「アンドリュー・フォーク! あの男か!」
レベロが声を上げた。厳しい目でフォークを見ている。ファーレンハイトが妙な顔で“何者です”と訊いて来た。

「アンドリュー・フォーク准将。かつて同盟軍が帝国領に侵攻した時、作戦参謀としてあの馬鹿げた侵攻案を立案した人物ですよ。そして内乱が起きた時にはクーデター派の一員としてクブルスリー本部長を暗殺しようとした。間違ってもこんな所に居る人間じゃないんです」

皆が沈黙した。居ないはずの人間が居る、その意味を考えているのだろう。
「議長、フォーク准将と警備責任者はこちらで預からせていただきますよ。色々とこの二人には訊かなければならない事が有りますから」
レベロは無言だ。こちらの護衛兵が警備責任者を取り押えようとすると抵抗した。彼の部下もそれに同調する。面倒な奴らだ。

「いい加減にしてもらえませんか」
俺が注意すると抵抗は止めたが不満そうな表情を見せた。
「どれほど不満が有ろうと我々は勝利者で貴方達は敗北者なのだという事を忘れないでもらいましょう。我々を怒らせれば当然だが報復は苛烈な物になる。宜しいかな?」

ようやく大人しくなったか。フォークと警備責任者の二人を連れて今度こそビルを出た。レベロには身辺に気を付けろと注意しておいた。地球教か、或いは主戦派か、レベロを殺して帝国に罪を擦り付け混乱させる、そう考える可能性が無いとは言えない。

地上車に乗り込むとファーレンハイトが“良く分かりましたな”と話しかけてきた。フォークは失敗したんだ。他の人間が俺達から顔を背けて通り過ぎる時にあの男は脇に控えて道を譲る姿勢を示した。その方が俺を狙いやすいと思ったのかもしれんが、あれは軍人の作法だ。長年染み着いた作法が自然と出た、そんなところだろう。妙だと思って顔を見ればフォークだと分かった。あれが無ければ俺を殺せたかもしれない。

まあフォークは道具だろうな、何も分かっていないだろうから情報源としての価値はあまり無い筈だ。誰かがフォークを手引きしてビルの中に入れた。レベロは以前から俺と会いたがっていたからいずれは俺がビルに行くとそいつは予想していたのだろう。

俺が最高評議会ビルに行くと連絡したのは今日だ。手回しよく準備したところを見るとかなりの地位にある人間が絡んでいる可能性が有る。問題は警備責任者だな。彼が来るのは早すぎたしフォークを見ても何の反応も示さなかった。何らかの形で知っていただろう。何処かで関与しているはずだ。これを機にハイネセンでも大掃除が出来ればいいんだが……。



帝国暦 490年  7月 10日   ハイネセン   コンラート・フォン・モーデル



ハイネセンのTV番組って反乱軍の言葉さえ分かれば結構楽しい。アニメもそうだけど歌謡番組とかも十分楽しめる。連続ドラマはちょっとストーリーが分からないけど単発の二時間もの、映画とかサスペンスドラマなら大丈夫だ。僕だけじゃない、司令部の人間は皆見ている。帝国のTVって娯楽が少ないんだよ。面白い番組が無いんだ。

このあいだはハイネセンに潜入した帝国のスパイを追い詰める反乱軍の軍人を主人公にしたスパイドラマが有ったけどドキドキしながら見てしまった。帝国の軍人が格好いいんだ、美男子で頭が良くて抜け目なくて、でも反乱軍の女性と相思相愛になって苦しんでしまう。そんな彼を反乱軍の軍人が執拗に追いかけるんだ。

こっちも格好いいんだ。顔は平凡なんだけど執念っていうか少しずつ少しずつ帝国のスパイを追い詰めて行く。何ていうか演技に迫力が有るんだ。最後は帝国のスパイは入手した情報を帝国へ送ることに成功する、任務達成だ。でも本人は捕まってしまう。取り調べで女性の事を訊かれるんだけど利用しただけだって答えて終わる。その時がすごく良い、無表情なのに手だけはギュッと握られているんだ。見終わった時は皆で良かったなあって言った。本当に良かった。

ここ四、五日ハイネセンのマスコミは大騒ぎだ。地球教が弾圧されその関係者が捕えられている事を大きく報道している。それだけじゃない、反乱軍の政府関係者、軍関係者、警察関係者の中にも取り調べを受けたり自殺した人間がいると報道している。

切っ掛けは頭領の暗殺未遂事件だった。地球教の人間が反乱軍の人間と組んで頭領を暗殺しようとした。暗殺の対象は頭領だけじゃなかったらしい。ローエングラム公、キルヒアイス提督、それに驚いたことにレベロ議長も暗殺の対象者だった。皆驚いている。連中はとにかく帝国軍と反乱軍を混乱させたかったらしい。宇宙の統一なんて受け入れられなかったみたいだ。

帝国だったらこんな情報はなかなか報道されないけど反乱軍って違うんだよ。朝のニュースに昼のニュース、それと夜のニュース、色んな時間帯で報道してくれる。だからTVの前に居るだけで色んなことを知ることが出来るんだ。皆、これは便利だって言ってる。

ファーレンハイト提督に聞いたのだけど頭領が暗殺されそうになった時、提督が傍に居たらしい。でも何が起きたのか一瞬分からなかったそうだ。頭領と歩いていたら男が蹲っていて足元にブラスターが落ちていた。それを見て暗殺未遂事件だって分かったって。

頭領になんで事前にファーレンハイト提督に言わなかったのかって訊いてみた。護衛も居たんだしその方が安全だと思ったんだ。でも頭領はその方が危険だって言った。通路だから隠れる場所が無かったし気付かれたら不必要に怪我人が出るって。知らぬ振りで近づいて撃った方が危険が少ないって。

溜息が出ちゃったよ、冷静なんだもん。頭領って射撃も得意なんだ。その事を訊いたら軍人時代はあまり上手じゃなかったけど海賊になってからは随分と練習したって言ってた、今は結構上手だって。僕も射撃は上手じゃない、少し練習しようかな。頭領が教えてくれたら嬉しいな。

帝国軍は撤収するまでもう少し時間がかかるみたいだ。今回の暗殺未遂事件から分かった陰謀を完全に潰すらしい。それでも今月一杯ぐらいでハイネセンを発てるみたいだ。そろそろ帝国が恋しいよ、皆元気でやっているかな……。



 

 

第五十三話 エル・ファシル公爵



宇宙暦 799年 8月 3日   ハイネセン   ユリアン・ミンツ



帝国軍が一昨日、声明を出した。自由惑星同盟が完全に滅亡した事、今後は銀河唯一の統治国家は銀河帝国である事、そしてこれまで反乱軍の名称で呼ばれていた自由惑星同盟の存在は正式にこれを認める事……。つまり過去の同盟は認めるけれど今後はその存在を認めないって事だ。ローエングラム公って結構皮肉がきついよ。

それと帝国は同盟市民が保有していた財産は保障するという事も発表した。国債や年金も保障される、ヤン提督も有難い事だと言ってる。でも一番驚いたのはエル・ファシル公爵の事だった。エル・ファシル星域を公爵領としてそこでは民主共和政を認めるだなんて。

それにエル・ファシル公爵は世襲じゃなくて公爵領の人間が選ぶ事を認められてるし帝国第一位の貴族、無任所の国務尚書として帝国の統治に参加する事になっている。ローエングラム公って民主共和政に好意的なのかな。ちょっと不思議な感じがした。

ヤン提督にその事を言ったら苦笑していた。
“上手いやり方だね、否定するのではなく取り込んでしまう。これでは誰もローエングラム公が民主共和政の弾圧者とは非難できなくなる。実際には同盟を滅ぼしたのはローエングラム公なのにね”

“エル・ファシル公爵は帝国の統治にも関与する。帝国が悪政を行えばその責任の一端はエル・ファシル公爵にも有るという事になる。旧同盟領の人間が帝国の悪政を機にエル・ファシル公爵の元に集合する事はないだろうね”
そういう事なんだ、って思った。

エル・ファシルで民主共和政が存続するという事でエル・ファシルへの移住を希望する人が現れている。でもエル・ファシルは移住を認められるのは二百万人までだって声明を出した。それ以上は社会資本が整備されていないから受け入れられないらしい。次に受け入れが出来るのは社会資本が整備された時、二年か三年後になるだろうって発表している。

この事については同盟市民は皆エル・ファシルを酷く非難している。でも現実に受け入れられないからどうしようもない。マスコミもこの件については諦めモードだ。それよりマスコミが非難しているのは受け入れの二百万人についてだ。

受け入れの二百万はエル・ファシル政府が移住希望者の中から選抜するらしい。マスコミは移住希望者を差別していると非難しているけどエル・ファシル政府はエル・ファシルを効率良く発展させられる人材を受け入れないと二年後、三年後の受け入れがスムーズにいかないと反論している。

でもこれって結構厳しい。移住希望を出して受け入れられなかったらお前はエル・ファシルの発展には必要ない人間だって言われてるようなものだ。絶対不満が出るよ。ヤン提督はその事もエル・ファシルで民主共和政を許しても帝国の不安定要因にならない理由の一つだって言っている。そして帝国は非常に強かだとも。

この移住問題、実は僕達にも関係している。レベロ議長からヤン提督にエル・ファシルへの移住希望を出すようにって要請が有ったんだ。エル・ファシル政府にはレベロ議長から受け入れるように頼んでおくからって。議長はヤン提督の戦略家としての識見がエル・ファシルの安全保障には必要だと考えているらしい。

もっとも議長がエル・ファシル政府に頼まなくてもヤン提督なら受け入れてもらえると僕は思う。何と言っても提督はエル・ファシルの英雄なんだから。エル・ファシル政府が断る事は無いはずだ。ただヤン提督はあまりその気じゃないみたいだ。どうするんだろう? エル・ファシルのキャゼルヌさんからもこっちに来いって誘われたんだけど提督ははっきりとは返事しなかった。ハイネセンに残るのかな。


黒姫の頭領がミュラー提督と共に訪ねてきたのは午後三時を回ったころだった。最初訪ねてきたのが頭領だと知ったヤン提督はちょっと顔を強張らせていた。苦手意識が有るみたいだけど拒絶する事は無かった。今はリビングで四人で紅茶を飲んでいる。僕は遠慮しようと思ったんだけど黒姫の頭領が一緒にって誘ってくれた。ちょっと嬉しかった。ヤン提督も頭領もミュラー提督も穏やかな雰囲気を醸し出している。この三人がガンダルヴァで戦争したなんて信じられない。

「ローエングラム公がヤン提督に仕官を求めたそうですが断られたとか」
黒姫の頭領が問い掛けるとヤン提督は少し困ったような表情をした。
「ええ、どうも私は宮仕えが苦手で」
頭領はヤン提督の返答に二度、三度と頷いた。

「残念ですね、ローエングラム公は本気で貴方を旗下にと思ったのですが……。まあ確かに帝国は同盟に比べれば多少権威に煩い所もあるかもしれません。ヤン提督は窮屈に感じるかもしれませんね」
「窮屈に感じているのは卿も同様だろう」
「否定はしないよ」
頭領とミュラー提督が笑い声を上げた。なんか良い感じだ。

先日ヤン提督にローエングラム公から帝国軍に出仕しないかって打診が有ったんだけどヤン提督は軍の仕事には就きたくないって断った。本心だと思うけど専制君主に仕えたくないっていう思いもあるんじゃないかと僕は思っている。でも頭領の言う通り、煩わしいっていうのも有るかもしれない。

「エル・ファシルに移住されるのですか?」
「……迷っています、御迷惑ではありませんか?」
「ハイネセンに残られるよりは良いと思いますよ」
「……」
そうか、ヤン提督が迷っていたのって帝国がどう思うかを考えての事だったんだ。

「エル・ファシルは今非常に好景気です。あそこの住人は現在の好景気が続く事を願っている。ヤン提督を担いで馬鹿げた事を考える人間は居ないでしょう。居たとしても少数です、他の多数に押し潰されてしまう。それに貴方もエル・ファシルの民主共和政を潰そうとはしないはずだ。そうでは有りませんか?」
「……」
頭領って穏やかな表情で怖い事を言うな。ヤン提督が苦手なのってそういう所かもしれない。

「それに比べるとハイネセンは危険です。此処には不満を持つ人間が多い、そして貴方は悲運の名将、悲劇の英雄です。担がれやすいでしょうね」
「悲運の名将、悲劇の英雄? 敗軍の将ですよ、私は」
ヤン提督が苦笑を洩らした。いや、表情が渋いから自嘲かな。それを見て頭領がクスッと笑った。

「ハイネセンでは結構な評判ですよ。貴方は海賊に騙された悲劇の英雄だと。あのロクデナシさえいなければ同盟を守る事が出来たのだと」
他人事みたいな頭領の言葉にミュラー提督が呆れた様な表情を浮かべた。ヤン提督は益々渋い表情をしている。ニコニコしているのは頭領だけだ。

でも頭領の言った事は事実だ。マスコミはヤン提督を悲運の名将、悲劇の英雄と呼んでいる。もっともヤン提督はそれを喜んではいない。そしてマスコミは頭領の事をロクデナシ、ペテン師と呼んで非難している。僕もちょっと狡いと思うけどその事を口に出したことは無い。ヤン提督が不愉快になるのが分かっているから。

それに作戦としては完璧だってヤン提督が言っていた。僕もそう思う。同盟軍が戦場に現れた時点で敗北が決まったなんてちょっと信じられない。それにブリュンヒルトをわざと撃破させたことも。同盟軍は頭領にあしらわれた、全く勝負にならなかった。その事が皆に不満を抱かせているんだと思う。

不思議なのは黒姫の頭領はマスコミの言う様なロクデナシには見えない事だ。ごく普通の若い男性に見えるしどちらかと言えば好青年に見える。穏やかでローエングラム公の持つ覇気の様なものは全然見えない。本当にこの人が戦場で帝国軍を指揮したのかって思ってしまう。

「私は貴方に負けたんです、戦略レベルでも戦術レベルでも。私を悲運の名将とか英雄と呼んでいるのはそれが分からない素人だけですよ」
ちょっと拗ねた様な怒ってる事が分かる口調だった。頭領が苦笑を浮かべた。もしかすると子供っぽいとでも思ったかな。

「そう怒る事は無いでしょう。人間は素直に敗北を認められない生き物なんです。運が悪かったからだと主張するのはおかしくありません。提督の様に負けを認める人間の方が希少ですよ。それに運が無かったのも事実です。あの場にローエングラム公が居ればヤン提督が勝てた可能性は十分にあった」
「……」

ヤン提督が黙っているとまた頭領が“本当にそう思っていますよ”と言った。でも良いのかな、そんなこと言っちゃって。それじゃあヤン提督の方がローエングラム公よりも上だって言ってるように聞こえるけど……。でもミュラー提督も否定しない。良いのかな? 僕は嬉しいけど……。

「それだけにここに残るのは危険です。担ぐ方も担がれる方も不幸になる。エル・ファシルに移住した方が良いでしょうね」
「……」
うーん、そうだよな、僕も危険だと思う。ヤン提督も分かっているはずだけど……。はっきりしないのはハイネセンに居る人を見捨てるのが嫌なのかな。一緒に戦った人も居るだろうし……。

「それに、エル・ファシルでは貴方にやってもらいたい事が有ります」
え、やってもらいたい事? ヤン提督だけじゃない、ミュラー提督も訝しげな表情をしている。

「現時点ではレベロ議長が暫定的にエル・ファシル公爵になっています。しかしレベロ議長がエル・ファシルへ移住した後、エル・ファシルの現政府と調整が済んだら議長はエル・ファシル公爵を辞任する事になっています」
その事はレベロ議長自身が公式に声明を出している。大方の人間は当然だと思っているようだ。

「新たにエル・ファシル公爵を選ぶ選挙が行われますがレベロ議長もそれに立候補します」
え、そうなの? 選挙に出るの? ちょっと驚いてヤン提督を見た。ヤン提督も驚いている。

「しかし、勝つのは難しいでしょう。何と言っても同盟は滅んだのです。それなのにレベロ議長がそのままエル・ファシル公爵になるのは……」
そうだよ、皆も暫定だから今は認めているけど正式にとなったら反対する人が多いに決まっている。

「そうかもしれません。そこでヤン提督にレベロ議長を応援して欲しいのですよ。貴方はエル・ファシルの住民にとっては恩人です。その影響力でレベロ議長を公爵にして欲しいのです」
「それは……」
ヤン提督が口籠った。多分不本意なんだろう、ちょっと顔を顰め気味だ。
「もちろんレベロ議長以上に適任者が居れば別です。そちらを応援してもらって結構ですよ」
「……」

「ヤン提督、エル・ファシル公爵を考えたのは私です。民主共和政については多少疑問もあるが統治される側の意見を政治に取り入れるという考えは必要だと思う、だから民主共和政を残す方法を考えました。帝国の統治に利益をもたらす装置としてです。それが民主共和政を存続させる保証になると思いました」

うわ、凄い事を聞いちゃった、皆驚いてる。エル・ファシル公爵って黒姫の頭領が考えたんだ。この人、どういう人なんだろう、戦争も出来るけど政治にも凄い見識を持ってる。ヤン提督以外にもこんな人が居るんだ。いやそういう人がローエングラム公に協力している。帝国って軍事力だけで同盟を圧倒した訳じゃないんだ……。

「ローエングラム公は有能で節義のある人物を好みます。逆に嫌うのは無能で貪欲な人物です。だからエル・ファシル公爵には有能で節義のある人物に就任してもらわなければなりません。訳の分からない人物になって貰っては困るのです」
つまりレベロ議長は有能で節義のある人物だって頭領は見てるんだ。まあそうかな、トリューニヒト前議長なんかよりはずっとましだと思う。ヤン提督もレベロ議長が映ってもTVのチャンネルを変えようとしないし。

「そうなればエル・ファシル公爵が侮られるだけではありません。民主共和政そのものがローエングラム公に、いや帝国の文武の重臣達に侮られるのです。民主共和政等何の価値も無い代物だと。平民の意見等政治に取り入れる必要など無いと。それがどれだけ危険な事か……。ヤン提督、貴方になら分かるはずだ」
「それは分かりますが……」

「幸いですがローエングラム公はレベロ議長に好意を持ったようです。それにレベロ議長はエル・ファシル公爵の役割を十二分に理解している。現時点でレベロ議長以上にエル・ファシル公爵に相応しい人が居るとは思えません」
「……」
ヤン提督は無言だ。嫌なんだろうなあ、選挙を手伝うとかって。

「民主共和政が無くなった時、ヤン提督は耐えられますか? 無くなってから悔やんでも遅いですよ」
「……」
「民主共和政は今弱い立場にあるんです。あれが嫌だこれが嫌だ等と言っている場合ではないでしょう。最高のカードを切る必要が有る、そうでは有りませんか?」
「……」


「黒姫の頭領は私に首輪を付けようとしているんだ」
「どういう意味です、首輪って」
「私が反帝国活動をしないように枷を嵌めようというわけさ」
ヤン提督が不愉快そうに言ったのは頭領とミュラー提督が帰ってから三十分程経ってからだった。二人にはエル・ファシルに行くかどうかは答えていない。

「ガンダルヴァ星域の会戦が終わった時から私が反帝国活動をするんじゃないかと危惧していたからね。私をエル・ファシルという檻に入れたいんだろう」
「じゃあ、行かないんですか?」
僕が訊き返すと提督は一瞬黙り込んで僕を睨んだ。
「……いや、行くよ。選挙応援は不本意だが民主共和政が無くなるのはもっと不本意だ。彼の思い通りに動くのは癪だけどね……」



帝国暦 490年  8月 3日   ハイネセン   ナイトハルト・ミュラー



ホテル・ユーフォニアに戻る地上車の中エーリッヒは酷く上機嫌だった。
「エーリッヒ、卿はヤン・ウェンリーがエル・ファシルに行くと思うのか? 彼は返事をしなかったが」
「多分行くだろうね、嫌なら嫌だと返事をしているさ。黙っていたのは不本意だったからだろう」

「もし、駄目だったら」
「大丈夫、他にも彼に影響力のある人にエル・ファシルに行くようにと勧めてもらうからね。民主共和政を残す為には君の力が必要だと言えば彼は断れないと思うよ」
自信が有るようだ、微塵も不安を感じさせない。

「レベロ議長がエル・ファシル公爵か……」
「レベロ議長はエル・ファシル公爵にはならない」
「!」
驚いてエーリッヒの顔を見た。エーリッヒは悪戯をした子供のように笑みを浮かべている。

「どういう事だ?」
「レベロ議長では選挙に勝てないよ。彼もそれは分かっている、立候補はしない、彼は別な人間を応援する事になる」
どういう事だ? じゃあヤン提督を説得したのは……。

「エル・ファシル公爵はどうなる? それなりの人物が必要なはずだが……」
俺が問い掛けるとエーリッヒはおかしそうに笑い声を上げた。
「居るじゃないか、適任者が。ローエングラム公が一目置いてエル・ファシル公爵の意味を理解している人間。エル・ファシル住民からの人気も高い、帝国でだって知名度は高い筈だよ」

「それって、まさか……」
エーリッヒがまた笑い声を上げた。
「そう、ヤン・ウェンリー提督だ。彼くらいエル・ファシル公爵に相応しい人間は居ないだろう。レベロ議長も彼が適任だろうと言っているよ、まさに最高のカードだ」
「……」
「まあいきなりエル・ファシル公爵になれと言ったらあの人は逃げ出すからね。とりあえずは選挙応援で誤魔化さないと……」
溜息が出た。

「皆が卿をロクデナシ、根性悪、ペテン師、そう呼ぶ理由が分かったよ」
「私個人の利益のためじゃないよ、皆のためを思ってだ」
「それは分かるさ、宇宙の平和を守るロクデナシ、ペテン師か、冗談みたいな話だな」
エーリッヒが三度笑った。
「正義の味方なんて御伽噺の中だけだ。現実世界では見た事が無いね」
確かにそうかもしれない、でもな、エーリッヒ……、また溜息が出た。



 

 

最終話 新たな伝説

帝国暦 490年  8月 10日   ハイネセン  ホテル・ユーフォニア  ナイトハルト・ミュラー



「貧乏籤を引いたね、ナイトハルト」
ホテル・ユーフォニアのラウンジでエーリッヒが気遣うように話しかけてきた。
「仕方ないさ、誰かがやらないとな」
「まあそうだけど、誰もがやりたがる仕事じゃない」
「そうだな」

貧乏籤、エーリッヒの言う通りだろうな、ハイネセンに残れとは……。一個艦隊でバーラト星系の治安を維持する。決して楽な仕事では無いだろう。労多くして功少なし、まさに貧乏籤だ、気が重い。エーリッヒだけじゃない、皆に気の毒そうな顔をされた。

「ローエングラム公がフェザーンに遷都すればハイネセンと帝都の間はかなり近くなる。それにガンダルヴァ星系にはルッツ提督も居る。あまり孤独感は感じずに済むだろう。何か有れば私も力になるよ。エル・ファシル公爵領にも協力させる」

「ヤン提督に? 協力してくれるかな。ペテンにかけた、いやこれからかける卿に」
エーリッヒが肩を竦めた。
「あそこはウチと関係が深いんだ、それに旧同盟領の混乱など望んでいない。巻き込まれたくないだろうからね、多少の無理なら聞いて貰えるよ。それにヤン提督も帝国との協調関係が重要だという事は十分に分かっているはずだ。協力してくれるさ」
「そうだな」

そう、一人じゃないんだ。それほど落ち込む事は無いさ。それに何と言っても宇宙一の根性悪、ロクデナシ、ペテン師のエーリッヒが付いている。宇宙最強の護符だろうな。正規艦隊二個艦隊分くらいの力は有るだろう。いや三個艦隊分か……。

エーリッヒがクスッと笑った。
「意外に異動は早いかもしれないよ」
「そうかな」
「心配する人が居るだろうからね」
「心配?」
俺が問い掛けるとエーリッヒが頷いた。

「辺境、エル・ファシル、ハイネセン、ガンダルヴァ……。分かるだろう?」
「それは……」
絶句した。そんな俺を見てエーリッヒが頷く。もう笑っていない。
「自由惑星同盟という外の敵が消えた以上、次に起きるのは内部での争いだろう。卿をハイネセンに置いておくのは危険だと思う人間が出るかもしれない。何かと理由を付けてフェザーンに呼び戻す事をローエングラム公に進言するだろうね……」

溜息が出た、何時の間にか帝国内部の権力争いに巻き込まれている。
「溜息を吐くな、卿が誠実で信頼できる人物だというのは皆が分かっている。狙いは卿じゃない、私だろう。卿はハイネセンの治安維持に力を尽くせばいいさ」
「そうだな」
本当にそうかな。

「ただ自分がどういう状況に有るかは理解しておいた方が良い、そう思ったから言ったんだ」
「分かっているよ、卿が親切心から教えてくれたという事は」
本心からそう思った。多分、俺を巻き込んだ事を後悔しているのだろう。教えてくれたのも心配すればこそだ。

「帰りにはウルヴァシーに立ち寄る事になる。その時ルッツ提督にも話しておくよ。彼にとっても他人事じゃ無い筈だ。それにハイネセンの御土産も渡さなくてはいけないからね」
「そうか、宜しく頼む」
動くのは誰かな、まるで心当たりが無い。これでは無防備で敵中に居る様なものだ。ルッツ提督も同様だろう。

「ウチはオーディンにもフェザーンにも事務所を構えている。何か有れば直ぐ知らせるよ」
「……」
「安心しろ、ローエングラム公の周囲にはアントンもギュンターも居る。卿を陥れる様な事はしないさ」
「ああ、分かっている」
俺の事を陥れようとはしないかもしれない。しかしエーリッヒの事はどうだろう……。

「卿も気を付けろよ」
「もちろんだ、気を付けるよ」
「エーリッヒ、アントンとギュンターの事だが……」
エーリッヒが手を上げて俺の言葉を封じた。笑みを浮かべている。

「心配無い、考え過ぎだ」
「そうかな」
「そうだとも。今度はフェザーンで皆で会えるさ」
「そうだな」
そうだな、そうであって欲しいよ……。何時からこんなややこしい事になったのか……。



帝国暦 490年  9月 15日   フェザーン星域  マーナガルム  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



この艦に乗るのは久しぶりだなと通路を歩きながらそう思った。艦を取り替えたのは四月の半ばだから丁度半年か。半年ぶりにマーナガルムに乗ったわけだ。艦橋ではラインハルトが俺を待っていた。ローエングラム公ラインハルトか、もう直ぐ皇帝ラインハルトだな。原作よりちょっと遅いが安定感はこっちのが上だろう。

「閣下、そろそろフェザーンです。私はここでお別れさせていただきます」
「うむ、卿のおかげで宇宙の統一もスムーズに進んだ。礼を言う」
「有難うございます、恐縮です」
「卿には何も報いていないな」
「イゼルローン回廊の全面開放をしていただきました。それだけで十分です」
「そうか……」

ちょっと困ったような表情だな。まあ俺は軍人じゃないから昇進とかは意味が無い。そういう面ではラインハルトにとっては扱いが難しい存在ではあるな。気にしなくて良いんだ、半分くらいは趣味で助けたようなもんだからな。しんどい事もかなりあったが終わってみれば結構楽しかった。

「次に会えるのはオーディンだな、戴冠式か」
「はい、戴冠式を楽しみにしております」
「私もだ、皆が驚くであろうな」
「はい」
まあ俺くらいだろうな、祝いの品に星系を選ぶのは。形だけとはいえ、新王朝の門出に相応しい贈り物だろう。

ラインハルトが上機嫌に笑みを浮かべている。皇帝ラインハルトの誕生か……、それを目の前で見られる、最高だろうな。もしかすると俺がラインハルトを助けたのはそれを見たかったからかもしれない。ラインハルトにとっても戴冠式は最良の一日だろう、キルヒアイスも傍に居るのだから……。

「エル・ファシルだがヤン・ウェンリーが公爵に立候補したそうだ。彼の当選は間違いないだろうと言われているがそうなれば私は彼を臣下に持てるという事になるな」
「そういう事になりますね、閣下は以前からヤン提督を旗下に招きたいと望んでおいででした。いささか形は変わりますが望みが叶う事になります」

今頃ヤンはブウブウ文句を言っているだろう。そしてユリアンが宥めているに違いない。ヤンの周囲には人が集まっているはずだ。レベロ、ホアン、シトレ、キャゼルヌ……。ヤンには頼まれれば嫌とは言えないところが有るからな。狙い通りだ。

ラインハルトが含み笑いをしている。
「仕組んだな、黒姫」
「ハテサテ、何のことやら……」
拙いな、何処かの悪徳商人みたいなノリになっている。

「卿がレベロ議長やヤン・ウェンリーと会っているのは知っていた。卿の事だ、何か考えが有るのだろうと思っていたが……」
ラインハルトの含み笑いが益々大きくなった。いかん、今度はラインハルトが悪代官になっている。ここは真面目に答えるか。

「形は整えても中身が襤褸では意味が有りません。そう思いましたので多少の段取りを付けさせていただきました」
「中身が襤褸か……、確かにそうだな。せっかくのエル・ファシル公爵、形だけでは意味が無い」
「御理解頂けまして幸いです」

ラインハルトもエル・ファシル公爵には十分に期待している。ヤンならその期待に応えられるはずだ。出来れば長期政権になって欲しいものだ。
「戴冠式にはエル・ファシル公爵にも参列して貰おうと思うが」
「当然の事だと思います、帝国第一位の貴族なのですから」
新公爵の最初の仕事は戴冠式への参列か、形式は大事だからな、嫌とは言わせない。

「公爵の隣には卿が並ぶ事になるな」
げっ、それは勘弁して欲しい。ヤンに睨まれそうだ。ラインハルトはニヤニヤしている。この野郎、嫌がらせだな。
「卿の功績は皆の知るところ、当然であろう」
「……承知しました」
しょうがないな、ヤンの愚痴でも聞いてやるか。まあそれも悪くない。

「卿にはこれからも協力してもらう事になるだろう。新帝国の統治が上手く軌道に乗るかどうかは卿とヤン・ウェンリーの力に負うところが少なくないと私は見ている」
「分かっております、協力を惜しむ様な事は致しません」
「うむ」
これからだってことだ。俺もヤンもラインハルトもこれからが本当の戦いだ。長く終わりの無い繁栄を築く道、それを歩いて行く事になるだろう……。


マーナガルムからユリシーズに戻りフェザーンには連絡艇で軌道エレベーターまで送って貰った。護衛には十人程の兵士が付いてきてくれたが彼らの指揮を執ったのは何とゾンバルト准将だった。軌道エレベーターの下では黒姫一家の人間が出迎えに来ていたがゾンバルトはそこまで送ってくれた。

別れ際に俺と共にガンダルヴァで戦った事は一生忘れないと言っていた。まあ最後の戦いだし、あれだけ厳しい戦いは奴も初めてだろうからな。修羅場を共に切り抜けた、そんな思いは有る。俺も忘れることは無いだろう。妙な気分だ、ゾンバルトにそんな気持ちを持つとは……。奴にとってこの遠征がプラスになってくれたのなら良いんだが……。

生きているのだからプラスになったと思うべきなのだろうな……。最後にゾンバルトはオーディンに戻ったら兵站統括への異動願いを出すと言っていた。うん、これも悪くない。でも汚職にだけは手を出すんじゃないぞ、ラインハルトはそういうのを嫌うからな……。



帝国暦 490年  9月 15日   フェザーン  カルステン・キア



ようやく親っさんが帰って来たぜ。フェザーンの軌道エレベーターの前には大勢の黒姫一家の人間が出迎えに来ている。オーディンからも辺境からもだ。総勢で五十名以上は居るだろう。俺達はオーディンで別れてから半年以上会っていないが爺さんなんかは親っさんが辺境を発ってからだから一年以上を会っていない事になる。

それにしても親っさんもとんでもない事をするよ。金髪の代わりにガンダルヴァで反乱軍と戦うなんて……、危ない事はしないと言っていたのに一体何を考えてるのか……。それでも勝っちまうんだからな、文句も言えねえ。……ヤン・ウェンリーよりも強いとなると親っさんってもしかすると宇宙最強かな。恰好いいな、宇宙最強の海賊か。

それにしても金髪がとうとう宇宙統一、銀河帝国の皇帝かよ、あのケチがねえ……。大丈夫なのかな、俺達は皆心配してるんだが……。まあ偉くなれば少しは人間にゆとりが出るかな、そうであって欲しいもんだが。皇帝になっても顔面真っ赤にしてプルプル震えたりするんじゃないぞ、みっともないから。

軌道エレベーターから親っさんが降りてきた。帝国軍の兵士と挨拶をしている、多分護衛だろう。俺達が親っさんに近付くと護衛の連中は去って行った。
「御苦労様です!」
「お帰りなさいませ!」
俺達が口々に挨拶すると親っさんが柔らかく微笑んだ。

「有難う、随分と長い間留守にしました、迷惑をかけましたね」
いつもの親っさんだよ、全然変わってねえ。嬉しくて涙が出そうになった、俺だけじゃねえ、ウルマンもルーデルも目を赤くしている。

「アンシュッツ副頭領、何か問題は有りますか」
「いいえ、親っさんの手を煩わせるほどのものは有りません」
常に俺達には厳しい副頭領もニコニコして答えている。親っさんが“結構”と言って頷いた。

「テオドラ、ボルテック弁務官との調整はどうなっています?」
「それについては幾つか御相談しなければならない事が……」
「分かりました、事務所で聞きましょう」
親っさんが歩きだした。俺達は親っさんを囲み、周りを警戒しながら歩く。

「アンシュッツ副頭領」
「はい」
「エル・ファシルに事務所を出しましょう。あそこはこれからどんどん大きくなります。人を選んでください」
「分かりました。ハイネセンは如何しますか?」
「少し様子を見ましょう。未だハイネセンは安定していませんから」

おいおい、もう仕事かよ。少し休んだ方が良いんじゃないの? そう思ったけど親っさんは他にも爺さんを呼んで話をしたり、スウィトナー事務所長を呼んで指示を出している。 

「親っさん、少し休んだ方が……」
最後まで言えなかった、親っさんが笑い出したんだ。
「そんな暇はありませんよ、キア。戦争が無くなり国境が無くなった。この宇宙の隅々まで自由に船を動かせる時代になったんです。船を動かし物を動かす、それによって宇宙の経済を活性化させる。それが出来るだけの力を私達黒姫一家は持っているんです。そうでしょう、テオドラ」
「はい! その通りですわ、黒姫一家になら出来ます」
スゲエ、なんか熱気で圧倒されそうだ。

「ローエングラム公は理解していますよ、公はイゼルローン回廊の全面開放を決断しました」
おいおい、本当か、彼方此方で唸り声が聞えた。
「公は船を動かしやすくしたんです。これからは旧同盟領から沢山の交易船が辺境を目指してやって来るでしょう」
「……」

「負けられませんよ、私達の手でこの宇宙に黄金時代を作りだすんです。辺境だけじゃない、この宇宙全てを豊かにする……」
親っさんが俺達を見た。吸い込まれそうな眼だ、黒く輝いている。付いて行きますよ、親っさん。俺達は何処までも頭領である親っさんに付いていく、そしてこの宇宙に黄金時代を作りだす。新しい黒姫の伝説だぜ。

親っさんがクスッと笑った。
「さあ、行きましょうか」
「はい!」



 

 

外伝その1  薔薇園にて




統一暦 01年  1月 15日   オーディン  新無憂宮  カルステン・キア



「親っさん、凄いですね、この薔薇園。俺、こんな凄いの見たことが有りませんよ」
俺が言うとウルマンとルーデルが頷いた。ヴァイトリングとヴェーネルトはまだ目の前に広がる薔薇園の花に見惚れている。大丈夫かな、こいつら。まあ金髪に特別許可を貰って見せて貰っているだけの事は有るな、間違いなく眼福だよ、これは。

「この薔薇園の薔薇は先々帝フリードリヒ四世陛下が丹精して育てたものです。先々帝陛下の唯一の趣味でしたからね」
「へえ、酒飲むのと女遊びしか興味が無いのかと思ってましたけど」
親っさんが笑い出した。

「キア、今だから許されますがゴールデンバウム王朝が続いていたら不敬罪で捕まっていますよ、その発言は」
「いや、俺だって馬鹿じゃありません。旧王朝が続いていたらそんな事は言いませんよ」
言うはずが無い、社会秩序維持局に捕まるのは御免だ。

「いや、分からんね。そうだろう、ルーデル」
「同感だ、キアは口が軽い。皇帝陛下を金髪と呼ぶくらいだからな」
ルーデルとウルマンが笑っている、酷い奴だ。ヴァイトリングとヴェーネルトは必死に笑うのを堪えていた。酷い奴、予備軍だな。お前らだって陰じゃ金髪って呼んでるじゃないか。

今日は金髪、いや新帝ラインハルト・フォン・ローエングラム陛下の戴冠式が黒真珠の間で行われた。俺達は控室で式典を見ていたけど親っさんがスクリーンに映った時にはウォーって叫んだぜ。戴冠式の最前列でエル・ファシル公爵ヤン・ウェンリーと親っさんが並んでいたんだ。凄いや、並み居る貴族、文武の重臣を押さえて海賊黒姫の頭領が最前列に並んだんだからな!

そして戴冠式の終了間際、親っさんが前に出て片膝を着くと金髪に祝辞を述べた後、ヴァンフリート星系を祝いの品として献上したいと言ったんだ。あの時は式の参加者がどよめいたぜ。俺達は知っていたけど皆は知らなかったんだな。金髪は満足そうだった、周囲を見渡してから“黒姫一家からの祝いの品、有難く頂こう。ヴァンフリート星系は今帝国領になった”と宣言した。

一瞬の沈黙の後、黒真珠の間で“ジーク・カイザー・ラインハルト、ジーク・ライヒ”って声が上がったよ、凄い騒ぎだったぜ。スクリーンからも黒真珠の間の熱気が伝わって来る感じだった。少ししてから金髪が手を振って騒ぎを鎮めた。

そして“黒姫の頭領、卿がこれまで予に示してくれた厚意に対する感謝は言葉では表せぬ。予からの感謝を受け取って欲しい、ヴァンフリート星域を黒姫一家に改めて与える”って言ったんだ。また黒真珠の間がどよめいたぜ。俺達も控室で大騒ぎだった、分かっていたけどな。

親っさんが“新帝陛下に我らの忠誠を。黒姫一家はこれからも陛下に忠誠を尽くす事を誓います”って言うと黒真珠の間はシンと静まった。金髪は満足そうだったな、“うむ、頭領の言葉、嬉しく思う”なんて言ってたから。まあ戴冠式の最大の見せ場だろう。

俺が戴冠式を思い出していると
「不幸な方でしたね、フリードリヒ四世陛下は」
と親っさんが呟いた。ちょっと驚いた、そんなこと考えた事は無かったからな。親っさんは薔薇の花を見ている。
「不幸、なのですか、皇帝が?」
ルーデルが問い掛けると親っさんが頷いた。

「不幸だと思いますよ、酒に溺れる事も出来ず女に溺れる事も出来なかった。行きつくところはこの薔薇園だったのですから、どんな想いで薔薇を育てていたのか……」
親っさんの表情は寂しげだった。同情しているのかな、フリードリヒ四世に。俺なんてフリードリヒ四世には反発しか感じないけど……。ウルマン達に視線を向けたけど皆困ったような表情をしている。多分皆俺と同じ想いだろう。

「親っさん、戴冠式でグリューネワルト伯爵夫人を見ましたけど凄く綺麗な人ですね。俺、あんな綺麗な人見たことないですよ」
「ホント、あんな綺麗な人見た事有りませんや。キルヒアイス提督は婚約したんでしょう、羨ましいですよ」
「親っさんが伯爵夫人を説得したからな」
俺が話を変えるとウルマン、ルーデルがそれに続いた。ホント、羨ましいぜ。

伯爵夫人は最初は赤毛と結婚するのは嫌がったらしい。正確に言うと赤毛の事は嫌いじゃなかったらしいが結婚する気は無かったそうだ。皇帝の寵姫だったからな、遠慮が有ったんだろう。そいつを金髪に頼まれて親っさんが説得したってわけだ。金髪も伯爵夫人の事が気になっていたようだな、親っさんが説得したと報告した時は随分と喜んでいた。

「親っさん、この薔薇園ですけどどうなるんでしょう、フェザーンに遷都したら」
ヴァイトリングが尋ねると親っさんはちょっと首を傾げた。
「多分このままでしょうね、持って行くわけにもいかないでしょうから。誰かが管理する事になると思いますが……」
そうか……、このままか……。遷都したら人も少なくなる、誰も鑑賞しないなんて勿体ないな。せっかく綺麗に咲いているのに……。

「辺境にも欲しいですね、こういう美しい場所が。薔薇園とは限りませんが人の心を癒す、或いは感動させる場所が欲しいと思います」
親っさんが薔薇の花を見詰めながら呟いた。親っさん、俺と似たような事を考えていたんだ。ちょっと嬉しくなった。

「作りましょうか」
親っさんの言葉に“えっ”と思った。俺だけじゃない、皆親っさんを見ている。
「辺境も少しずつですが豊かになりました。仕事以外にも人々が目を向ける場所が有って良い。植物園、動物園、遊園地、体育館、競技場、映画館、美術館、博物館……。皆の生活を豊かにするだけではなく周辺宙域からの観光客を集められれば……」

本気かな、親っさん。
「経済での交流だけじゃなく人の交流も図れるかもしれない。平和が来たと実感できるかも……」
「ですが、人が来るでしょうか?」
ヴァイトリングが恐る恐る問い掛けた。そうだよな、そんな簡単に人が来るのかな?

「そうですね、……新婚旅行の場所として宣伝しましょうか」
「新婚旅行?」
皆で声に出してしまったよ。でも親っさんは全然気にする様子も無い。楽しそうに笑みを浮かべている。

「立派なリゾートホテルを建てれば結構来るでしょう、女性は宿泊場所には煩いですからね。そしてホテルを起点に色んな場所を観光してもらう。イゼルローン回廊まで船を出して観光させても良い。我々の艦の残骸の整理作業を見て貰いそれからイゼルローン要塞を外から見て貰う。肉眼で要塞を見られるんです、結構人気が出ると思いますよ。イゼルローン要塞をバックに記念写真を取るのも良いでしょう。それに我々の仕事を知ってもらう事にもなる。うん、観光ビジネスか、平和になったのだから悪くないですね」

はあ、なるほどなあ。案外って言ったら失礼だけど上手く行くかもしれないな。俺もアンナに黒姫一家の仕事の現場を見て貰えたら嬉しい。イゼルローン要塞か、あれを奪回したのも黒姫一家だ、俺は参加していないが作戦の説明ぐらいは出来るな。うん、良いかもしれない。皆も楽しそうな顔をしている、上手く行くと思ってるんだろう。

そのまま皆で薔薇を見ながらホテルはどんなホテルが良いかとか遊園地だったら乗り物は何が欲しいかとかで盛り上がっているとヴェーネルトが訝しげな声を上げた。
「親っさん、こっちに人が来ます。四人、いや五人かな、敵意は無いようですが」
俺達も入口の方を見た。確かに人が来る。ゆっくりと無造作に歩いてくるからヴェーネルトの言う通り敵意は無さそうだ。新無憂宮の中だし問題は無いと思うが油断は出来ない、じっと眼を凝らして近付いてくる連中を見た。

「心配は要りません、あれはエル・ファシル公爵とその取り巻きでしょう」
答えを出したのは親っさんだった。なるほど、確かに先頭に居る若い黒髪の男はエル・ファシル公爵、ヤン・ウェンリーだ。軍人としては有名な男だけど意外に優男だな。ちょっと親っさんに似ているところが有る。近づいてきたエル・ファシル公爵に親っさんが声をかけた。

「美しい薔薇園ですね、公爵閣下」
「……」
おいおい、なんで親っさんを睨んでるんだよ、公爵閣下。親っさんは知らぬ振りで薔薇の花を見ている。

「君は私を騙したな」
公爵が低い声で話しかけた。拙い、こいつは怒っているぜ。それにしても騙した? 親っさん、何したんだろう。皆も困惑した様な表情をしている。親っさんが薔薇の花から公爵へと視線を移した。拙いよ、親っさん、ニコニコしている。

「騙したと言いますと?」
「私にエル・ファシルに行ってレベロ議長の選挙の応援をしろと嘘を吐いた。本当は最初から私をエル・ファシル公爵にするつもりだったんだろう」
あらら、そういう事? そうだったの?

「嘘じゃ有りません、本当に最初はレベロ議長を公爵にするつもりだったんです。そうでしょう、レベロ補佐官」
「まあ、そうだな」
親っさんが声をかけるとエル・ファシル公爵の取り巻きの一人が曖昧に頷いた。なるほど、公爵に気を取られて気付かなかったけれど良く見ればレベロ議長だぜ。

「しかし上手く行かないと分かったので公爵閣下にお願いしようという事になったのです。ただ公爵になってくれと言っても嫌がるのは分かっていましたからね、説明を分担したのですよ」
「……分担?」
公爵は喰い付きそうな目で見ている。

「私が前半を説明してレベロ補佐官が後半を説明するという事です。嘘は吐いていませんよ」
公爵がレベロ補佐官に視線を向けると補佐官が肩を竦めた。公爵が腹立たしそうにまた親っさんを睨んだ。
「結局は私を嵌めたんだろう、君は」
まあ、そうだろうな。ルーデルやウルマンも困った顔をしている。

「人聞きの悪い事を……」
親っさんが苦笑を浮かべた。
「事実だろう」
エル・ファシル公爵が言い募ると親っさんの苦笑が更に大きくなった。

「どうやら公爵閣下は私の所為で公爵になってしまったと非難しておいでですがエル・ファシル公爵に立候補したのは閣下御自身ですし閣下を公爵に選んだのはエル・ファシルの住人です。私を非難するのは聊か八つ当たりと言うものでその御身分に相応しい行為とは思えません」
公爵閣下がぐっと言葉に詰まった。公爵の取り巻きが必死で笑いを堪えている。忌々しそうに公爵が連中を睨んだ。親っさんってほんと良い性格してるよ。

「私は親切な人間なんです。レベロ補佐官からはこれで安心して公爵を辞められると喜ばれましたしエル・ファシル住民からも良い公爵を選ぶ事が出来たと喜ばれました。陛下も閣下を臣下に持つ事が出来て大喜びですよ。閣下をエル・ファシルへ行くようにと勧めた事は本当に良い仕事でした」
親っさん、そんな火に油注がなくても……。親っさんは嬉しそうに笑みを浮かべている。もう完全に遊び始めたな。公爵の取り巻きも呆れ顔だ。

「私を犠牲にしてかね」
「犠牲? 冗談はやめてください、一番恩恵を受けているのは公爵閣下ですよ」
「何を、馬鹿な!」
エル・ファシル公爵が吐き捨てた。駄目だよ、そんな事しちゃ。親っさんが喜んじゃうじゃないか。

「実入りの良いお仕事に就く事が出来たではありませんか。年金だって増えますから豊かな老後が保証されますよ。それに仕事なんてみんな下に押し付けているんでしょう? 閣下御自身は好きな時に紅茶を飲んで昼寝を楽しんで本を読む、まさに優雅な貴族生活ですよ」
堪えられないように笑い出したのはエル・ファシル公爵の取り巻き達だった。レベロ補佐官は腹を押さえている。公爵が顔を顰めた。驚いたな、どうやら図星かよ……。

「私が思うに閣下は生まれる場所を間違えたんです。同盟などに生れず帝国貴族の家に生まれるべきでした」
「何を馬鹿な」
公爵が抗議したけれど親っさんはまるで気に留めなかった。

「閣下は本質的に怠け者ですから家臣に殆どお任せでしょう、でも人を見る目が有るから領内統治はまずまずだったでしょうね。金のかかる趣味も無いから浪費も無いですし女癖も悪くないから後継者問題で悩む事も無い。家臣からも領民からも敬愛されたと思いますよ。それを同盟なんかに生まれるから軍人になって戦争する事になったんです」
「……」
“なるほど、確かにそうだ” 取り巻きの一人が呟くと公爵が睨んだ。でも恐れ入る様子も無い、血色の好い三十代後半の男はしきりに頷いている。

「ようやく本来の有るべき姿に戻ったんです。今はまだ慣れないので反発していますがそのうち感謝して頂けると私は思っていますよ」
「誰が君に感謝などするものか、私は君が大嫌いなんだ」
嫌いだと貶された親っさんが嬉しそうに笑い声を上げた。

「有難うございます。何とお優しいお言葉か……」
「……」
皆目が点だった。エル・ファシル公爵でさえあっけにとられる中、親っさんが言葉を続けた。

「私と閣下が仲良くすると帝国には心配する人が居るのですよ、二人で悪い事をするのではないかと。でも閣下は私を嫌いだと言ってくれましたからね、これで私達も安全です。皆、公爵閣下に御礼を言いましょう」
え? 御礼? 皆顔を見合わせたけど親っさんが“有難うございます”って言うから俺達も“有難うございます”って続けたよ。公爵の取り巻きも“有難うございます”って言った。嫌がらせかな、公爵は顔が引き攣っていた。

「よっく分かった。君がどうしようもない根性悪でロクデナシだという事が。危険視されるのも当然だろう」
だから親っさんに喧嘩売っちゃ駄目だって。ほら嬉しそうにしてるだろう。
「少し違いますね、宇宙一の根性悪でロクデナシですよ。それに危険視される要因の半分は公爵閣下、閣下の所為なんです。私は被害者ですよ」
親っさんが澄まして言うと彼方此方から笑い声が起きた。

「私は君が大っ嫌いだ! 顔も見たくない!」
笑い声が益々大きくなった。俺達も公爵閣下の取り巻きも皆が笑っている。あーあ、薔薇の花が綺麗だ、宇宙は平和だなあ……。