五回目ゲスト 加地倫三さん(RINZO
KAJI)
|
|
|
1969年3月13日生 36歳 テレビ朝日ディレクター
過去に手がけた番組
『ナイナイナ』、『Q99』、『リングの魂』、『ミドル3』
スポーツ系では『ワールドプロレスリング』他、
陸上系のスポーツ中継などを担当した経験アリ。
近況
『ロンドンハーツ』(チーフD) 『アメトーク』(P・演出)
『やべっちFC』(チーフD)
雑誌「BLT」で 「ロンドンハーツ・スクープスコープ」を連載中!
最近では他に特別番組として、 8/20にO.Aされた友人・橋本真也の追悼番組
「リングの魂・橋本真也SP」を演出。
|
|
 |
|
|
高須 |
はい、久しぶりのディレクター対談。
5回めのゲストはテレ朝の加地くんです。
テレ朝バラエティの未来を担う、若手演出家、やんね?(笑) |
加地 |
そうですね。尊敬する先輩たちは、みんなまだまだ現役で
おもしろい番組つくってるし、そういう意味では若手でしょうね。 |
高須 |
加地くんもそんな先輩たちと肩を並べるような番組を
つくってるじゃない。ゴールデンで『ロンドンハーツ』をここまで
続けてこれてるわけだし。それは戦えてるってことでしょ? |
加地 |
いやー、そうはいってもまだまだですよ。
なんだかんだで演者さんや作家さんに助けてもらいながら
ここまで来たんですもん。チームだから、そこは。 |
高須 |
だけど、やっぱり番組において演出するディレクターが担う部分は大きいよ。
今日はロンドンブーツとともに成長してきた加地くんの話を、
あらためてお聞かせ願えれば、と。 |
加地 |
なんだかあらためてこういう場になると、照れますねー。
『アメトーク』で今田さんがゲストに来たとき、
「話すことないって〜」って宮迫くんが照れてた気持ちか、今なら分かるなぁ。 |
高須 |
小さい頃の話をまず聞きたいんだけど。
加地くんってテレビっ子だったの? |
加地 |
それはもう「超」がつくほどのテレビっ子でしたねぇ。 |
加地 |
幼稚園の頃、月曜から日曜までに見ているテレビの絵を、
「お絵かきちょう」にずら〜っと描いてたりしてましたからね。
んで、ごはん食べてるときはテレビを消すのが、
親のしつけの方針だったので、基本的にごはん食べるのがわずらわしいほど、
テレビ見たくて仕方ない子どもだったんですよ。 |
加地 |
好きだったんですよねー、ほんとに。
でも、あんまりバカみたいに急いで食べると、これはまた親に怒られるので、
食事にコツを見出したわけですよ。 |
加地 |
うち、3人兄弟で、おかず類は大皿にドカッと盛り付けるんですね。
で、ごはんと味噌汁は個別に盛られるでしょ。
だから、おかずは食べずにごはんと味噌汁をとりあえずたいらげれば、
メシをちゃんと食ったように見えるという…! |
高須 |
……子供の頃からそんな知恵、身につけるってどうなのよ(笑)。
|
加地 |
その頃ちゃんとご飯食べなかったから、
こんなに痩せ体型になっちゃったんでしょう。(183センチ・58キロ!) |
高須 |
俺もテレビっ子だったけど、うちは実家が果
物屋だったから、
親が遅くまで店のほうにいたんで見放題だったんだよね。
|
加地 |
えっ! 高須さんの家って、果
物屋なんですか? |
加地 |
あー、それでHPの名前が御影屋なのか、なるほど。全然知らなかった(笑)。
それにしても、僕の立場とはまったく逆でうらやましい環境だったんすね。
|
高須 |
うーん、まぁ、親にかまってもらえない寂しさをまぎらわすって意味では、
商売人の子どもはどうしてもテレビっ子になっちゃうんじゃないかなー。
最近ではネットとかパソコンになっちゃってるかもしれないけど、
俺らの世代はやっぱりテレビやんね。 |
加地 |
そうですね、二十代前半くらいまではテレビっ子世代ですよ。
とにかく毎日毎日、必ず楽しみな番組があって。 |
高須 |
そうそう。テレビと深夜ラジオはもう、王道でさ。
俺、高校の時は自分の部屋にテレビあってさ、ミニテレビ。
先輩からもらってテレビで、これがもう至福の時を生み出すアイテムでねぇ。
部屋でずーっと深夜のエッチなテレビとか、おもろいバラエティ
一所懸命見てたわ。 |
加地 |
あーっ、俺もその口かも。さすがに部屋にテレビはなかったですけど、
親父がね、すごいもの買ってもってたんですよ。
知ってます? ラジカセならぬ「ラテカセ」っていうのが、昔あったの。 |
加地 |
ラジカセにすごく小さいテレビ画面
がついてて。
親父のだったんですけど、しょっちゅう俺使ってたんですよね。
何に使ってたかったというと、漫才番組の録音に使ってたんですよ(笑)。
|
加地 |
で、それ録音するでしょう。ラインから直接入力してるから、
雑音がまったく入らないんですよ。 当時録音っていったら、
マイク使ってテレビから撮るのが一般的だったから、
その事がすごく嬉しかったというか、優越感がありましたね。
で、撮ったテープを繰り返し聴いて、漫才覚えて、真似して…。 |
高須 |
横浜でも漫才とかって、子供たちがやってたりしたの? |
加地 |
いましたよ、一応。きっと尼崎ほど本格的ではないですけど。
僕らは文化祭とかで漫才大会とかはなかったですし(笑)。
|
加地 |
やっぱりB&Bと、紳助竜助、ザ・ぼんち。あとはさんまさんかな。
|
高須 |
あー、わかるなぁ。
加地くんはとんねるずも大好きなんじゃなかったっけ? |
加地 |
あーっ、もう大好きでしたね。
『お笑いスター誕生』で、「タカアキ&ノリタケ」の名前ででてきた時から
ファンでしたもん。「なんだ、この見たことない感じは!」って衝撃的で。
それが四週目で落ちた時なんて、ものっすごいショックで
「来週から、もう見る必要がない…」って落ち込んだくらいでしたよ。
その半年後に「とんねるず」になって再挑戦して10週勝ち抜いた時には、
「来た、やっぱり来た!」って大感激でしたね。 |
高須 |
やっぱりお笑い好きの血って感じやなぁ(笑)。 |
加地 |
でも、高須さんたちと違うところは、
好きは好きでもちょっとミーハーってところかな。
僕、お笑いは好きでしたけど芸人になりたかったわけじゃなくて、
タレントとか俳優になりたかったから…。 |
加地 |
そう、高校の頃、オーディションとか受けたりしたんですよ。(笑) |
高須 |
おっ、オーディション!
裏方に興味があったんじゃなくて、演じるほうが先だったのか。
ち、ちなみになんのオーディション? |
加地 |
えっと、菊池桃子の映画で『テラ戦士ΨBOY』っていう(笑)。
|
加地 |
あれの相手役オーディションで、結構いいところまでいったんですよ。
たしか残り15人くらいのとこまで。 |
高須 |
うお、それ、かなりすごいやん。結構な応募総数だったんじゃないの?
|
加地 |
だと思うんですよね。当時の菊池桃子っていったら、
そりゃもうかわいくて人気すごかったですからね。
ただのファンで、仲良くなりたかったってのが理由でしたけど。
|
高須 |
かわいかったよなぁ〜確かに。
それにしたって……加地くん、意外な過去の持ち主やったんやな。
いやー、聞いてみないと分からんな。
そんなタレント志望が、なんでどうやってディレクターになったのさ? |
加地 |
いや、まぁ、最終的には諦めきれず、
ホントにテレビが好きだったっていうのがあるんですけどね…。
|
|
|
|
|
|
|