バカにはバカの生き方がある
これは私が経験した実話です。 今年70才になる男性の話です。
ご多分に漏れず昔はその人の家庭も貧乏で、兄弟も7人おり暮らしはひどかったのです。 昔(昭和20年代~30年代)はどこの家庭も同じような状況でした。 当時は就職先もほとんどなく、その人は6年間を作男として近所の農家に住み込みで働きました。 当時の作男の状況は休みと言えば、お盆と正月しかなく、朝は日の昇る前から、夜は馬や牛の世話をして休むまで(私の記憶も確かではないのですが、おそらくは夜8時ころまで)働き通しでした。 それで給料はもちろんなく、ほんの少しのおこづかいをもらっただけでした。 要するに、「食べさせてもらえるだけありがたい」状況だったのです。
しばらく作男をしてから就職しました。 そして結婚するときには、実家からは「箸一本もらわなかった」と強調していました。 実家が貧乏でなにももらえなかったというのが正直なところです。 その人は学問もなく、自分の名前さえ書けなかったそうです。 そのままサラリーマンをして定年退職し、いまは自分の家と土地約200坪を所有(田舎のことですから東京の感覚で考えてもらっては困りますが)し、実家には田んぼを買ってやり、子供にはそれ相当のお金もやりました。
「こんな俺でも、これだけのことができたのだ。 バカにはバカの生き方があるんだ。」と満足げに語っていました。 そこには過去を恨んだり、後悔する様子はありませんでした。 「自分のできる範囲で精一杯生きてきた」という自負心がにじみ出ていたように感じました。 一介のサラリーマンで終わり、社会的地位や名誉には関係のない生き方でしたが、そこには後悔はないのです。
人生哲学もシンプルで、「人に嘘をつかない」、「物とお金を大切にする」、これだけでした。
ひるがえって私の生き方を考えてみると、その人よりずっと楽な生き方をしてきても不平を言ったり、わがままを言ったりと自分の生き方を肯定するにはあまりにおそまつなものでした。 私も会社の中では出世はできませんでしたが、社会的にどんなに高い地位に昇っても、どんなにお金があっても「自分の生き方は、これでよかった」と自信を持って言えるでしょうか。
自分にしかできない生き方を全力でやってきたという自負心が、その人の生き方を支えているのです。 だから他人の生き方を自分の生き方としてしまえば、どんなに地位や名誉を手に入れても、どんなに経済的に恵まれても自分の生き方を心から納得することができないのです。
自分の生き方は、これでよかったのだろか | |
家族にはなにをしてやれたのだろうか | |
他に生き方はなかったのだろうか |
と、後悔することになるのではないでしょうか。
自分にしかできない自分の生き方を見つけて、それを生きることが大切だと思います。 今の社会はだれかに与えてもらった生き方を自分の生き方と思い込んでしまっているから、生きることがなんとなくしっくりこないのではないでしょうか。 決して他人の生き方や、だれかに与えてもらった生き方を自分の生き方にしてはならないのです。
他人の生き方を参考にして自分なりの生き方をつくることは必要ですが、他人の生き方を鵜呑みにして、それを自分の生き方にしてはならないのです。 自分には自分のサイズにあった服装が似合うのです。 他人の着ているものを着るから、どことなくおかしくなるのだと思います。