はてな村の古老達が集まった「はてな村反省会」がSeeleのごとく話題になっているので、「い、いちおう、私も古参の雰囲気を知っているんだからね!」っていう古参アピールをしてみる。
私は、はてなは2003年頃から使い始めて、はてなブックマークは2005年から使い始めました。その当時、「嗚呼女子大生活」(id:kmizusawa)というブログがありました。今でいう、はてな女子。
その方が2005年9月に嗚呼女子大生活 女は男を批判してはいけないし、批判できない。という記事を書いて話題になりました。30ブクマくらいだったけど、当時は30ブクマってけっこう話題になっていた方だった。村長さん(id:kanose)もエントリに対する記事を書いていたので、私はそれに対してトラックバックを送って噛みついたのでした。
私は「男性もジェンダーの再生産に加担する」という記事を書きました。もうそのMovable Typeのブログは現存しないのですが、Internet Archivesから当時のエントリを引っ張って来られた。以下、当時の記事の内容です。
男性もジェンダーの再生産に加担する
嗚呼女子大生活 女は男を批判してはいけないし、批判できない。
はてなブックマークで見掛けて記事を読みました。ブックマークのコメントでは批判的な意見が多いようだけれど、確かに一般的な傾向として、ネット上の議論は男性の投稿やコメントが中心であり、その議論に女性が(少なくとも表立って)加わっている事例は少ないように思います。ARTFACTさんのところでは、芸能人関係の話題を出して、「議論」の問題を「攻撃性」や「争い」に置き換えて言及しているけれど、「議論」という理性の問題と「攻撃性」という感性の問題は、(相互無関係ではないけれど)本来は分けて考えるべきかと思います。
自分がこれを読んで感じたのは、ジェンダー秩序がインターネットを通じて再生産されていく過程と、男性側からの「批判」について。自分もそうなんだけれど、実社会でもインターネットでも相手が女性だとわかっていると、議論や批判を控えがちになる。というか慎重になる。というのも相手が女性だと、自分が議論を展開すると相手が「ビックリ」してしまうケースが結構あったし、そうやって女性を議論で追い込んでいくことが「場違い」であることを感じさせるような無言の雰囲気があること。だから相手が男性ならもっと議論を深めるところを、女性だからという理由で自分が引っ込めることが多々あります。
これは実社会で他の男性を見ていてもそう感じたし、インターネットでもそういうやりとりを見掛けます。公式な会議や、2ちゃんねるの男女論関係のスレッドのように、明示的に議論することが承認されている場所は別として、そういうコンセンサスのない場所では男性は同性ほどは女性に議論をふっかけない。
結果として、そういう行為が流通することが、ジェンダー秩序の再生産に男性側も加担することにつながっているんだろうなと思います。欧米の社会学者による教室観察の成果からも、教師は男子生徒に対しては厳しく叱るけれど、女子生徒が同じ過ちを冒しても批判を控えがちであるという傾向が出たという話を読んだことがあります。男性は議論主体・教育主体として初期段階から訓練されるのに対して、女性はそういう場所にあることが「場違い」な雰囲気を持つよう育成される傾向があるわけですね。
最近はだいぶ状況もかわってきて、こういう事例が当てはまらないケースも多くなってきたけれど、一般的な傾向として、男性は同性に対してほど女性を批判したりしない。これが女性が「議論に参加できる主体」となるような教育機会を阻んでいる要因として認識され問題となっていくには、自覚が必要であるように思います。
村長さんの反応
村長さんはその私の記事に対して、以下のような言及記事を書かれました。
問題にすべきは、議論において、そういった性差を第一に考えることだ。そういう意味では、次世代情報都市みらいBlogの齊藤貴義さんが指摘するように、男性側が「この人は女性だから批判するのはやめよう」と考えるのも問題なのだろう。
ただ、上の『「人の間違いを指摘する必要はない」について』で書いたように「世の中には議論をしたくないけどとにかく意見を言いたい」という人がいて、それを見極める際の材料の一つとしてその人の性別を見ている時はある。もちろん、過去ログや過去のコメント欄を見れば、性別は考慮せずに、判断できるんだけど、コストが高い。楽をするために性差で判断している時がない訳ではない。
「議論をする時に男性も女性もない」と第一に考えているけど、議論(批判)を開始する時には様々なコストがある。軽く批判できればコストは低いが、しっかりと批判を書かないといけないのならコストは高い。議論するなら有意義なものにしたいと皆願っているし、特にコストをかけたのなら、特にその願いは強くなる。批判を書くといったコストを有効に利用したいと考えた時に、議論を始めるか否かを判断する際、相手を見極める材料の一つとして性別を見るという行為を自分は否定しない。 (http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050927/netbattle2)
もう9年も前なのか…
あれから9年も経ちます。その間に自分はmixiやTwitterやfacebookなどに浮気したり仕事が忙しくなったりして、はてな界隈はROMっていたのでした。やっと余力を取り戻して、はてな界隈に書き込みが出来るようになったのは、つい最近。
でも当時から自分の思考過程って何も変わってないな…w 成長させないと。そんな訳で自分も2005年頃の雰囲気を知っているよという古参アピールとジェンダー秩序についてでした。