海がきこえる
クソみたいな気分の時は決まってここでクソみたいな文章を打つのが私のお約束である。つまり私は今クソみたいな気分だということです。人と会うのはとても恵まれた行為で、だから今日は久しぶりに人と会話というものができたので私は嬉しく思ったのだがその感情を顔やしぐさや声で表現することはできていなかったので自分でもこれは非常に残念に思っている。下北沢で一人になった後、私はまだ酔いがさめていなかったのでフラフラしていた。無性に金が使いたくなった。古着屋に吸い込まれるようにして入っては何着かの服と、バッグを一つ。それからセールで眼鏡が安くなっていたので、めずらしく似合う眼鏡を見つけてしまったからにはこれは買わねばと思い手にとってすぐさまとレジへと運んだ。今日だけで総額一万は使ったと思う。そこまでいかなくても私にとってはバカなことをしたと思う。ろくにでかけもしないのに可愛いワンピースとスカートを買ってバカみたいに試着してバカみたいに嬉しそうに鏡の前に立った。家に着くとバカみたいに部屋に洋服をかざってみせた。私は決まって言うセリフがある。
「女の子になりたかった」
駅のホームに立つとそわそわとする。線路を見るとそわそわする。踏切を渡っている途中そわそわする。跳ねられたら鈍い音を立てて跳ね飛ぶのだろうか。私はなんだかそれが楽しそうに思えた。多分今日の私は少し様子がおかしいんだなと内の理性がそう判断したのですました顔で駐輪場まで行った。
家に着くと作業をする前に気が滅入るこの部屋を少し整理すべきだと判断した私は軽く掃除をした。床に散らばった洗濯物干し用のハンガーをしまって、床に散乱したカバンたちは壁のフックにかけた。ノートはまとめ、コードもまとめて、椅子の上に置いてた服もたたんでしまい。それだけでも随分と片付いた。こういう時、物持ちでなくて本当によかったと感じる。
下書きは途中休みを挟みながらも全て終わった。後はペン入れをして、べた塗りをして、トーンを貼って、スキャンして、編集してしまえば完璧だ。思ったより早くに終わりそうなので安心した。今夜はぐっすり眠れるといい。
作業が終えて私は憂鬱に落ちてしまった。一人がこんなに嫌いだったのかと思ってしまうほどだ。誰かに見られていないと今すぐにでも自傷行為なりなんなりしてしまいそうで、したいやりたいしたいやりたいとTwitterに書くわけにもいかない。だからと言ってじゃあここに書くのは許されるのか?溜め込んで発狂するくらいなら多少は許されたい。しかしODをしたら働けない頭になってしまう。「それならば切ったほうがよい」、などと考えるのが止まらない。「切るのがだめなら殴ればよい。」
よくない。私は泣くことを選んだ。
去年は楽しかった。キャンプに行ったり家の人たちとご飯を食べたり。私がクソみたいな女なため、すぐに前の男とは別れてしまった。楽しかった。そう思うのは今が楽しくないからなのだ。誰かといるとき以外は楽しくない。退屈と苦痛と虚無感。いつも虚ろな目をしている。笑う回数が減った。私しかいないこの部屋で一人で笑うわけにもいかないので、仕方ない、半開きの口からヨダレをたらさないようにすること。
私がもっと面白い人間だったならばきっと友達もたくさんいたろうに、年々ただ精神がイカれてどこかいつもなにかに追われているような気がして焦って余裕がなくなり、余裕がなくなると人は周りが見えなくなる、だから本当に周りに何もいなくなってしまう。人間らしさを取り戻した時にはすでに目の前はただ地面が広がっているだけだろう。その時人が求めるものは水である。海である。私は悲しい時、海の音を思い出す。誰かの的になってみたかった。海がきこえる
クソみたいな気分の時は決まってここでクソみたいな文章を打つのが私のお約束である。つまり私は今クソみたいな気分だということです。人と会うのはとても恵まれた行為で、だから今日は久しぶりに人と会話というものができたので私は嬉しく思ったのだがその感情を顔やしぐさや声で表現することはできていなかったので自分でもこれは非常に残念に思っている。下北沢で一人になった後、私はまだ酔いがさめていなかったのでフラフラしていた。無性に金が使いたくなった。古着屋に吸い込まれるようにして入っては何着かの服と、バッグを一つ。それからセールで眼鏡が安くなっていたので、めずらしく似合う眼鏡を見つけてしまったからにはこれは買わねばと思い手にとってすぐさまとレジへと運んだ。今日だけで総額一万は使ったと思う。そこまでいかなくても私にとってはバカなことをしたと思う。ろくにでかけもしないのに可愛いワンピースとスカートを買ってバカみたいに試着してバカみたいに嬉しそうに鏡の前に立った。家に着くとバカみたいに部屋に洋服をかざってみせた。私は決まって言うセリフがある。
「女の子になりたかった」
駅のホームに立つとそわそわとする。線路を見るとそわそわする。踏切を渡っている途中そわそわする。跳ねられたら鈍い音を立てて跳ね飛ぶのだろうか。私はなんだかそれが楽しそうに思えた。多分今日の私は少し様子がおかしいんだなと内の理性がそう判断したのですました顔で駐輪場まで行った。
家に着くと作業をする前に気が滅入るこの部屋を少し整理すべきだと判断した私は軽く掃除をした。床に散らばった洗濯物干し用のハンガーをしまって、床に散乱したカバンたちは壁のフックにかけた。ノートはまとめ、コードもまとめて、椅子の上に置いてた服もたたんでしまい。それだけでも随分と片付いた。こういう時、物持ちでなくて本当によかったと感じる。
下書きは途中休みを挟みながらも全て終わった。後はペン入れをして、べた塗りをして、トーンを貼って、スキャンして、編集してしまえば完璧だ。思ったより早くに終わりそうなので安心した。今夜はぐっすり眠れるといい。
作業が終えて私は憂鬱に落ちてしまった。一人がこんなに嫌いだったのかと思ってしまうほどだ。誰かに見られていないと今すぐにでも自傷行為なりなんなりしてしまいそうで、したいやりたいしたいやりたいとTwitterに書くわけにもいかない。だからと言ってじゃあここに書くのは許されるのか?溜め込んで発狂するくらいなら多少は許されたい。しかしODをしたら働けない頭になってしまう。「それならば切ったほうがよい」、などと考えるのが止まらない。「切るのがだめなら殴ればよい。」
よくない。私は泣くことを選んだ。
去年は楽しかった。キャンプに行ったり家の人たちとご飯を食べたり。私がクソみたいな女なため、すぐに前の男とは別れてしまった。楽しかった。そう思うのは今が楽しくないからなのだ。誰かといるとき以外は楽しくない。退屈と苦痛と虚無感。いつも虚ろな目をしている。笑う回数が減った。私しかいないこの部屋で一人で笑うわけにもいかないので、仕方ない、半開きの口からヨダレをたらさないようにすること。
私がもっと面白い人間だったならばきっと友達もたくさんいたろうに、年々ただ精神がイカれてどこかいつもなにかに追われているような気がして焦って余裕がなくなり、余裕がなくなると人は周りが見えなくなる、だから本当に周りに何もいなくなってしまう。人間らしさを取り戻した時にはすでに目の前はただ地面が広がっているだけだろう。その時人が求めるものは水である。海である。私は悲しい時、海の音を思い出す。誰かの的になってみたかった。