07月20日の「今日のダーリン」

・大きな病気や事故にあったりすると、
 それまでやってきたような動きができなくなります。
 忙しく働いて、あれもこれもやってきた人でも、
 そのぜんぶを続けてやるのは無理だとわかります。
 
 どれが、じぶんのやるべきことなのか。
 どういうことが、じぶんのやりたいことなのか。
 ほんとうにやめてはいけないことは、なんなのか。
 やり続けたいのは、どのことなのか。
 それ以外のことが無駄だとか、虚しいというのではなく、
 じぶんの中心を探すようことなのだと思います。
 じぶんと一体化した「なにか」が、なんなのか?
 ハンデを背負ってないときには、
 それなりに、いろいろやれてしまうんですよね。
 あるスピードで、ある量の仕事を、どんどんやれる。
 それが、たぶん元気なときのイメージでしょう。
 
 でも、それができなくなることだって、起こるわけです。
 不運で、そういうことになるばかりではないんです。
 たとえば、家に赤ちゃんがやってくるなんて場合だって、
 おかあさんになった女性も、おとうさんになった男性も、
 いままでと同じようには、
 あれもこれも引き受けることはできなくなるでしょう。
 
 ‥‥なんてことを考えていたら、気づいてしまうんだな。
 あれもこれもやっているつもりのときでも、
 ほんとうは、できてないんだということにね。
 だって、だれだってわかりますよね、
 じぶんにできることには、限りがあるに決まってる。

 (どれが、じぶんのやるべきことなのか。
 どういうことが、じぶんのやりたいことなのか。
 ほんとうにやめてはいけないことは、なんなのか)

 若くて元気いっぱいのときから、
 それを考えてなかったのか?
 なにが大事なこと、なにが失いたくないこと、
 なにがじぶんの中心なのか。
 考えなくてもやっていけるんだけど、
 それをよくよく考えてる人は、とても強いはずです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
年をとったことで考えるようになったという人間もいます。