言葉というのは絶大な力を持っていると私は常日頃思っておりまして、「言霊」という言葉があるように、言葉というものは時には良い連鎖反応を生み出す時もあれば悪しき道に誘うものでもあると考えています。
個人的には言霊というものの存在を数年前までは軽んじていたのですが、ある出来事をきっかけに自分が発する言葉に対して慎重にならなければいけないと思うようになりました。
アパレル関係で仕事をしていた時にあまりにも給料が安すぎて、もっと稼げる仕事へ変えなければと考えていた時がありました。
当時実家を出ていた私にとっては働けば働いた分のお金がもらえる以前の飲食業界の方が魅力的に感じたのです。
アパレル関係の仕事をするまではずっと飲食一筋でしたので、「やっぱり元居た場所(飲食業界)へ帰ろう」と決心した私は如何にして現在のアパレルの仕事を辞めようかと考えました。
アパレルの仕事は半年間程の期間でしたが、店長や社員さんが「ルナさんが入ってきてくれてほんと良かったわー!毎日助かってる。」と褒めて下さるレベルの仕事は出来たのでなかなか「給料が安いから辞めたい。」と言いだせずにいました。
そんな時「嘘も方便」という言葉が私の頭を過ぎりました。
今となってはそんな事を考え付く自分は浅はかだったなとか、ストレートに「給料が少なすぎて生活していくのが辛いです。」と言えばよかったなと自分で非常に反省はしましたが、私が考えついた嘘というのは「実家の母が体調を崩し倒れたので、実家に帰って手伝いをしなければならない。」というものでした。
本当にこんな嘘なんて思いつかなければ良かったと今でも自分が情けなくなりますが、その旨を店長と社員さんに伝えて2ヶ月後に退社する事が決まりました。
それから1ヵ月程経ったある日の事。珍しく私の携帯に父からの着信とメールがありました。
メールを開くと「お母さんが出先で倒れて入院しています。」と書かれており、それを見た瞬間に私の目から涙が溢れ、自責の念に駆られました。「ああ、私があんな嘘を付いたからだ」と。
母は祖母と叔母と3人で買い物をしている際に激しいめまいを起こし倒れ込んでしまったそうで、そのまま救急車で近くの病院に運ばれました。
幸いにも大事には至らず、数ヵ月ほどで体調も回復し、今現在母は以前にも増して元気に毎日を過ごしています。
結果として母は健在ですが、もし仮に最悪の事態になっていたら…と考えると本当に自分のしたことは馬鹿だったなと深く反省しました。
「言葉は時として凶器になりえる」ということを身をもって体験した出来事だったなと思います。
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話は変わりまして、このブログを始めた時の目的というか目標はというと、「このブログを始めて1年以内にニートからの脱出を図ること」でした。
今では無事にその目標を達成することができて、今日でこのブログを始めて1年が経ちます。中学生の時から今まで色んなブログサービス/Webサービスを利用してきたけれど、飽き性な自分は1年も続けたことはありませんでした。放置するのは得意ですが。
最近仕事の事、職場で起こったことを色々と書きたいと思っても諸事情によりなかなかブログ上で表現することが出来ず、自分の中で葛藤していることが多々あります。
ニートだった頃は自分の好きなように思ったことや感じた事を気軽にアウトプットしても何も問題無かったのに、今は自分にも属する場所があり言葉を慎重に選んでいかなければいけないという現状。正直に言うとつまらないです。
ニートを脱出し再び社会に出たことにより、「縛られている感」が増長している気もします。
その反面、「これが会社という組織に属した者の宿命なのかもしれない…」と半分納得というか諦めている気持もあるのもまた事実。
けれどもそんな状況でも書きたいと思う事は山ほどあるわけで、フェイクを混ぜながらでも少しずつアウトプット出来たらなと思います。それが私の2年目の目標になるのかな。
これからもよろしくどうぞ。