日本ブラジル共存の街 豊田・保見団地に住んでみる@
「一日派遣村」姿見せぬ住民 この不況に…深まるナゾ
編集委員 藤巻秀樹(54)
ここは本当に日本なのか−。最初に訪れた時、軽い衝撃を覚えた。アジア系の風貌だが日本人とは微妙に雰囲気が違う女性、彫りの深い浅黒い肌の青年、金髪のフランス人形のような女の子。聞こえてくるのは全く知らない言葉だ。広場では子どもたちがフットサルに興じていた。
愛知県豊田市の保見団地。都市再生機構(UR)や県営の集合住宅が並び、人口約9千人の半分近くを日系ブラジル人が占める。取材したのは1年前。以来、この場所が心に引っかかった。1カ月住み込んで記事を書く連載企画が始まった時、真っ先に浮かんだのがこの団地である。
「人気のある団地なので難しいですよ」。入居できるか、昨秋からURに何度か問い合わせた。だが、いつもすげない返事。ブラジル人住民の多くは自動車関連の下請け企業に勤務する派遣労働者だ。好況時は派遣会社が社宅として大量に部屋を押さえ、空室はほとんどなかったのだ。
だが年明けに状況は一変、空室が大量に出た。電話で予約、数週間後に名古屋の営業所に契約に行った。手続きが終わったところで担当者が言った。「外国人が多い所というのは知っていますよね」。失業したブラジル人が退去を始めたこの時期に、入居してくる日本人は珍しいらしい。
入居したのは2月下旬。団地の管理事務所でカギをもらう。団地生活の注意事項を記した書類は日本語とポルトガル語の両方で書かれていた。契約した部屋は13階建ての9階。エレベーターでがっしりした体の目つきの鋭い男と2人きりになった。背筋に緊張が走る。ボアタルジ(こんにちは)。恐る恐るあいさつすると、笑顔が返ってきた。
団地のブラジル人失業者は優に5割を超える。「治安が悪くなるという人もいたが、そんな気配は感じられない。部屋に入り郵便受けを見た。ポルトガル語のチラシが入っていた。宅配ピザの広告だ。
荷物を整理し夕方、表に出る。駐車場付近でテントが張られ、炊き出しが行われていた。特定非営利法人(NPO法人)「保見が丘ラテンアメリカセンター」主催の「一日派遣村」だ。食うや食わずの人がたくさんいるのだと身が引き締まる。
「愛知県を支えたのが皆さんです」。NPOの代表、県会議員らが次々にスピーチに立ち、ブラジル人への支援を呼びかける。配られたのは鶏肉と野菜が入ったブラジルのスープだ。炊き出しに並ぶ人たちの話を聞いているうちに、あることに気が付いた。
集まったブラジル人は団地外から来た人とNPO関係者がほとんどなのだ。団地の一般住民は少ない。スープを配るボランティアの女子学生がつぶやいた。「もっと集まると思っていたのに…」。なぜ団地のブラジル人は来ないのか。彼らはどんな暮らしをしているのか。夜の闇が深まるとともにナゾも深まった。
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経済危機で失業者があふれる保見団地。ブラジル人児童の教育支援をするNPOでボランティアをしながら暮らした体験をリポートする。