平成26年7月19日長州「正論」懇話会講演会
平成26年7月19日、安部総理は、山口県で開催された長州「正論」懇話会講演会に出席しました。
総理は、講演会で次のように述べました。
「皆さんこんにちは、安倍晋三でございます。長州正論懇話会1周年ということで、私の地元で開催されるということで嬉しく思っております。下関市、長門市、山口県中、広島県、福岡の方もお越しいただいて、大変嬉しく思います。正論懇話会の名目で久々地元に戻って来ました。一生懸命頑張っている農家も視察させていただきました。長州というのは近代国家の日本を生み出す原動力になった場所です。志士たちが生まれた土地であります。皆様と同じように、長州人の血を引いている受け継ぐ一人であることを大変誇りに思うのであります。
まさに日本の屋台骨である長州において、正論懇話会が誕生したのは歴史の必然ではないかと思うのであり、改めて1周年お祝い申し上げたい。来年は長州を舞台にした大河ドラマが放送されると聞いています。松蔭先生の妹さんが主人公でして、来年はまさに長州が中心的なドラマにあるということです。妹の文さんが嫁いだのは弟子の一人の久坂玄瑞です。その久坂家への手紙の中で松蔭先生はこう記しております。天下公正をもって。国の将来のために尽くすことを自らの任務として自覚しているということです。この教えは150年経った今でも心に響いてくるものがあります。私の祖父の岸信介の座右の銘は、「自ら顧みてなおくんば千万人ともいえども我行かん」。これこそ長州人の心意気ではないかと思い、私もこれからの政治に取り組んでいきたいと思うのであります。
第二次安倍内閣が発足して1年半が経ちました。とにかく経済第一で取り組んできました。3本の矢の政策によって、最優先で強い経済を取り戻すと。強い経済を取り戻さなければ、大切な社会保障制度というサービスをやっていく財政基盤をしっかりしたものにできません。子供たちの教育のためにも財政基盤が必要です。国を守る際にも必要です。世界で日本が存在感を示していくにも、経済が悠々としていないと。おかげ様で今その実が結びつつあるわけです。政権発足後、18カ月連続で改善している有効求人倍率、21年10カ月ぶり最も高い水準になった。これは東京など一部の大都市の現象ではありません。地域ごとにみると、34の都道府県で求職者を上回る1倍以上になっている。今日は福岡、広島県からも来ていただいていますが、山口の有効求人倍率と全国平均で比較して下回ると安倍晋三何しているんだといわれます。山口県が1・20倍と大きく上回っております。ここは拍手が来るところですが。この春、多くの企業で給料が上がった。全国調査によると、全体で2%超えています。15年ぶりの水準、中小企業でも6割で給料アップしている調査もある。先日大阪で訪問した企業では、従業員11人の企業も士気を高めるために給料アップを決めたそうです。若い社員に聞くと休みは子供を連れて動物園に行こうと言っていましたね。つまり小さな会社でも給料が上がると子供を連れて出かけ、動物園の売上げも上がって、そこで何かを買ってもらえればだんだんお金は回っていくのであります。目の前に山口銀行の福田頭取がいますが、山口銀行においても17年ぶりにベースアップしたそうです。ある時福田頭取とゴルフをしながら、地元がベースアップしないととお願いしたんです。17年ぶりはあまりにも長い間ベースアップしていなかったので、決して山口銀行を責めているのではないですよ。17年ぶりだったのですごい、17年ぶりだったのでベアの給与改定システムがなかったと、それが今年度から給料アップしたので、お金をどんどん使っていただきたい。企業の収益を雇用の拡大や給与の上昇に変えていかないといけないが、好循環に日本は変わりつつある。まさに地方にも、少しずつではありますが、生まれようとしている。安倍さんそんな景気のいい話はここまで届いていないという人もいる。実際にはたくさんの人がそう思っていると思います。燃料費が上がっているし、景気回復機運は全国に届いていない。だからこそ今年生まれた経済の好循環を一時的なものにしてはいけない。全国の中小規模事業者も元気になって景気回復の実感を肌で感じることができるように、全国津々浦々に景気回復をお届けするのが大きな私の使命だと思っています。これこそがアベノミクスの使命だと決意を新たにしているところであります。今後とも地域に根を張って頑張っている中小企業を応援していきたい。昨年に従業員9人のメッキ工場を訪問した。お父さんの時代にできた会社ですが、お父さんの教えは従業員を大切にしろでしたと。この社長は若いが、厳しい中でも9人を大切にという教えに従って、リーマンショックでも首切りせず、自分の給料を減らして、節約して全員の職を守った。今、大体の職場は高校卒業して入ってきたり、みんな暴れた後とかに入ってくる従業員なんですね。夜間高校に行かせてみんな卒業させているんです。この気持ちに応えようとみんな頑張った。生産性を高めて、自分たちも営業して増やそうと、売上げは増やしている。そしたら給料は大幅にアップした。これこそ日本らしい経営だと思います。朝早く起きて額に汗して、働き、作物をつくって、秋には五穀豊穣を祈る瑞穂の国、これを私は目指していきたい。それが理想の経営だなと思います。こうした皆さんの努力でこのメッキ工場は人材の力で大手も真似できない薄い薄いメッキを作ることに成功したのです。納入先からそう簡単に切ることができない技術を身につけたのです。こうした中小企業こそが日本の底力です。それは地域経済の活力でもある。政府もものづくり補助金で、設備投資なども支援していく。商業やサービス業に使っていただけます。現在募集中です。ものづくり補助金に興味ある人は、詳しくは山口県の中小企業の中央会に連絡いただきたい。
4月から消費税上がり、懸念する声もありましたが、国内旅行者数は過去最高になりそうです。昨年まではふるさとへの帰省が多かったが、今年は家族や友人とのレジャーが、2兆8千億円が見込まれる。この観光客を山口県や福岡県に呼び寄せるようにアイデアを出し合って、多くの観光客を集めることができるんです。山口県議会議長の柳井さんの顔が見えます、頑張っていただたきたい。自動車販売が昨年並みに回復した。タクシー運転手に聞く街角景況感も4月は落ち込みましたが、5月6月は2か月連続改善した。消費税引き上げによる消費の落ち込みは一時的なものになっている。アベノミクスはそれでも大丈夫かという懐疑的な声もあります。これに応えていこうと。なぜしつこく声があるかというと、20年続いたデフレがもたらした。日本最大の危機は自信の喪失なんです。懐疑的な声はまさにその象徴。高校生の調査でも自分はだめだと思うことがある高校生は米国5割、中国は4割、韓国3割なのに、日本は8割超える。日本人は謙虚ですから、いたらないのかなと思う、そういうこともある。30年前に比べて日本人は自信を失っている若者が多い。日本の若者に誇りを持って責任感を持ってほしい。
先日中小企業にいくと、ロボットが人間に混じって作業していた。ロボットは良き同僚だと、どうしてかというと、黙々と仕事をしているからと。最新ロボットで生産性を上げることで、再び日本国内で採算が合うようになって、生産ラインを戻すことができた。この先、どんどん途上国に工場が出ていってしまうという、諦めに似た状況がありましたが、日本の技術で再びそれを取り戻すことができるのだろうと思います。単純作業はロボットがやって、付加価値をあげるのは人間がやって賃金があがる仕組みを作りたい。日本ならやればできる。なぜ強い経済にここまでこだわるか、それは成長させたいだけではありません、自信喪失という呪縛から解き放つ、日本は頑張れば頑張るだけ報われる。汗を流せば明日より良くなるという自信を取り戻す。日本を取り戻すことが一昨年の総選挙で皆さんに約束したことです。
志定まればという松蔭先生の言葉を父は好んで使っていた。この言葉を使っていた。私も消費税を引き上げた際、経済を成長させることを約束し記者会見で引用しました。イギリスの世界的経済誌エコノミストにもこの言葉が載った。表紙で武者姿で弓を引いている。エコノミストが特集してくれている。息をのむほどすばらしいと、外国の雑誌でけなされたら大々的に報道されるがいいことはされない。G7サミットでも日本経済に大きな期待が集まった。活躍する国になろうとしている。今こそ顔を上げ、胸をはって世界に飛び出していくときを迎えている。
先般欧州歴訪で、ロンドンで長州ファイブの記念碑を訪れたプラス、薩摩の皆さんも留学しているのでたくさん名があります。希望に燃えて果敢に異国の地に渡った長州の若者に思いをはせました。
こうした成長戦略には、しばしば企業よりと批判されます。「個人よりも安倍さん、企業じゃないか」と言われますが、ちょっと考えていただければ、個人も多くの方は企業で働いています。つまり、企業が元気でなければ、雇用を作れない、企業が元気でなければ給料を上げられないんです。ですから、世界と競争する中で、企業が生き残るのは、働く場、生活を支える働く場を確保していくことになるんです。だからこそ、強い企業を作っていかねばならない。
私たちは、まずデフレ脱却を第一に取り組んできました。デフレでなくなれば、現金を持ち続けた方が、価値が減っていきますから、企業は設備や人に投資をしなければならなくなります。かつては、第一次安倍政権では企業は収益を上げましたが、デフレ状況だったので残念ながら内部留保が増えて、投資もしないし、人へも投資をしなかった。デフレであれば、キャッシュを持っていれば価値が上がる。でもやっとデフレでない状況になりました。デフレを脱却したら、単にお金をただ持っている経営者は、典型的な無能な経営者になります。お金を投資して、新たな利益を生み出さなければ経営者の資格が問われます。人材投資をして、生産性を上げていかねばなりません。だからこそ、法人税の引き下げにこだわっている訳です。
今回こうして多くの企業が賃上げに協力してくれたのも、復興特別法人税の1年前倒しして引き下げました。この政府の決意と要請に応えてくれたんだろうと思います。政府の決意がなければ、多くの企業がまだまだ一歩前に踏み出すことができなかったのではないかと思います。政治・経営者・労働者の代表が一同に会する会議を、そこで作った次第です。そうした会議において、経営者にはこの春、給料アップという形で行動に移していただきたいとお願いした訳ですが、移していただいた。このように思います。さらに、人材への投資の重要性が改めて認識され、非正規従業員を正社員化する企業も出始めています。今月の日銀短観では、大企業の今年度の設備投資計画は、前年度比で7.4%増加しています。成長戦略によって生まれた企業の利益が、しっかりと人や設備に振り向けられようとしていると言って良いと思います。全ては、働く意欲のある人に仕事を作り、頑張る人たちの手取を増やすために、まさに家計のための成長戦略を今後とも、スピード感を持って実行して参ります。
安倍内閣の成長戦略には、タブーも聖域もありません。あるのは、ただ一つ、どこまでもやり抜いていくという強い意志であります。40年以上続いた減反政策の廃止に加え、60年ぶりに農協の抜本改革をやります。強い農業を作り、農家の収入を増やす。そのために、地域の農協が良さを生かしていくための改革にもなっていく。そのための改革です。医療においても、患者が希望すれば最新の薬や治療を受けやすくなる制度に変えます。国家戦略特区も、規制改革のメニューを増やし、速やかに実行に移していきます。民間の自由なチャレンジや、イノベーションを阻んでいる岩盤のような規制や制度を改革していく決意です。その先に、誰にでもチャンスのある日本を作っていく。これが私の成長戦略を貫く基本哲学であります。
一番成功する可能性が高い人間は、一度失敗した人間です。笑いが起こりましたが、シリコンバレーでは、実際に失敗を経験した方が、投資家の評価が高い。失敗した人間は、何を改めればよいかが分かっているからです。まさに、一度総理として失敗し、二度目を務めている私が言うのだから間違いありません。
中小・小規模事業者の借り入れの、およそ9割に個人保証がついています。一度失敗すると、全てを失う。これが、再チャレンジを阻んでいました。今年2月、個人と会社の資産を区分して、しっかり管理している経営者であれば、個人保証が無くても融資が受けられるよう、新たなガイドラインを作りました。山銀さんも、是非お願いしたい。福岡シティ銀行さんも来ているかもしれませんが、大きく変わりました。
すでに政策金融公庫と商工中金は、このガイドラインの下、2月から4月の3カ月間で、9千件を超える融資が、個人保証無しで実行されている。この日本特有の個人保証の慣習を断ち切ることが、チャンスあふれる国への第一歩だと私は考えています。
今回の成長戦略では、官公需用の見直しも取り組まれました。これは政府調達において、官や公の需用の法律ですが、ベンチャー企業の最大の課題は販路が広がらないことです。政府調達で、創業10年以内のベンチャー企業の商品やサービスを、競争入札でなく、随意契約を活用し、優先的に調達する仕組みを作ります。誰でも、何度でもチャンスあるベンチャー精神あふれる国へと日本を変えていきます。
日本が、一番生かし切れていない潜在力は、女性の力だと思います。日本では長年、男ばかりが幅を利かせてきました。この会場においても残念ながら女性の姿は少ない。しかし、イギリス技術大学によりますと、1万7千社を対象にした調査では女性役員が一人以上いる企業では、女性役員のいない企業に比べて破綻する確立を10%減らすことができる。国から言われているから女性を増やす、ではなく、女性の役員が入っていると破綻する可能性が少なくなる。リーマンブラザーズが、「リーマンブラザーズ&シスターズ」だったら、破綻しなかったかもしれないということではないか。能力ある女性の皆さん、日本を引っ張ってもらいたいと思います。
女性が働きやすい環境を作ることは、安倍内閣の大きな課題です。この国から待機児童という言葉を無くします。保育所を抜本的に拡充し、小学校を学校保育の場として活用することで、いわゆる小一の壁を突き破っていきます。他方で、出産などを機に仕事を辞め家庭に専念してきた女性も多い。こうした主婦のご苦労は、経済指標だけでははかれないかけがえのないものです。子育ても一つのキャリア。こうした経験を社会で生かしてほしい。子育て経験の豊富な女性に、研修を受けた上で、「子育て支援員」といった新たな資格を取ってもらい、保育サービスで活躍してほしいと考えています。子育てが一段落したみなさんが、ビジネスを始めようという時や、主婦向けのインターンシップ制度、中小企業にお試しで働くことを応援する制度も用意しています。女性ならではの視点や、失敗した人の経験が生かされる日本の中に眠るありとあらゆる可能性を開花していきたいと私は考えています。
中でも、最も大きな可能性を秘めているのが、個性あふれる地方です。これからの成長の主役は地方。まさに皆さんです。あの明治維新を成し遂げたのも、薩長という地方です。地方のパワー。あの危機的な状況の中で、日本をがらりと変えて、明治維新を成し遂げた。これは地方の力と言って良いでしょう。
先日、第一次安倍内閣で総務大臣をやった増田さん達が衝撃的なレポートをまとめました。2040年には、全国896の自治体で、若年女性が現在の半分以下に減少してしまう。そうなると、将来的に人口が維持できず、町そのものが成り立たなくなる。という問題です。山口県内でも、長門市など7つの市と町がこれに該当します。ふるさとがなくなってしまうという厳しい現実が突きつけられている。地方や離島にお住まいの皆さんが、森を守り、水を守り、美しい国土を守っています。このことは、間違いありません。
私が初めて選挙に出たのは、平成5年の総選挙でした。街宣車に乗って、農村地帯を走っていると、農作業中のおじいちゃんが私のところに駆け寄ってきました。そして農作業でごつごつした手で、私の手を握って「晋三さん、応援しとるけん。ふるさとを守っておくれよ」と言った言葉を決して忘れてはなるまいと思っています。
私は必ず、このふるさとを守り抜きます。単に守るだけでなく、むしろ攻めていく必要があります。豊かな山村をもう一度、創造していく。作り上げていく。創成していく決意です。そのために、全ての閣僚が加わった、「まち・ひと・しごと創生本部」を創設します。私が先頭に立って、地方の創成を進めていきます。
全ては、若者が将来に夢や希望を持つことが出来る魅力あふれる地方を作ることにつきます。中東京や小大阪はもういりません。金太郎飴のような町を作っても、本物の東京や大阪に当たり前ですが、太刀打ちできない。本物の下関はここにしかないんです。下関は下関でやっていく、という考えのもと、奇をてらわずに、それぞれの地方が持つ可能性を再発見し、開花させる。それが地方創成の唯一の道です。国は、金太郎飴を作るような、画一的な施策は捨てて、地方の努力を応援していく地方政策について、大胆な発想の転換が必要であると考えています。
このヒントは、下関の歴史の中にあると思います。17世紀後半以降、東北や北陸の物産の多くは波が穏やかで安全な西回り航路で運ばれるようになり、日本海側から下関を回り瀬戸内海を通って大阪や江戸へいたる物流網ができあがっていました。しかし、長い日数がかかるため、病人が出たり、到着時の相場が読めないなど、商人にとっては苦労が多かった。そこに目をつけたのが、長州が誇る村田清風です。西回り航路の中継地である下関で倉庫業を始めました。北陸からやって来た船の荷物を長州藩が預かり委託販売を引き受ける。さらに金融業も行っています。これが大成功をおさめ、この収入を大幅に上回る規模の累積債務が一気になくなりました。幕末の長州藩の力の源泉になりました。地の利を生かしたアイデアにあると言って良いと思います。下関が持つブランドを最大限生かすという村田清風の発想がもたらしました。
江戸時代は、全国各地の諸藩が物産品の開発に力を入れ、諸国物産の旗が咲き競う中で、独自の技術を発展させてきました。それぞれの地方が自ら創意工夫し、地方ならでは特色を再発見する。そしてそこから若者にとって魅力ある雇用や産業を産み出す。いわゆる地方ルネサンスというべきものが必要だと考えています。
先月、島根と鳥取を訪問しました。甘いスイカ、おいしいお肉、世界に通用する地ビールなど、地方には特色ある農産物をはじめ、誇るべき名物がたくさんあります。ここ下関と言えば、明治21年に日本で初めて食べることが解禁されたふくがあります。「ふくが不幸を呼ぶ下関」と言われていますが、下関のふくは日本を代表する名物です。
鳥取に話を戻しますと、私の最初の政権で作ったふるさと納税をうまく使って、地元の地ビールを、ふるさと納税をしてくれた人にプレゼントしています。それは結局、県外に住む多くの人にビールの存在を知らしめました。その結果、ビールは売り上げを大幅に増やしています。ふるさと納税制度、大いに活用しがいのある制度です。
今日は、山口・広島・福岡からお越しですから、それぞれがアイデアを競い合って、ふるさと納税額を増やしていただきたい。そして、ふるさと納税は大いに活用しがいのある制度です。ふるさと納税の納税限度額の拡充も検討したいと思っております。今日からこの制度を活かしてほしい。
根室で捕れたサンマはベトナムに輸出しています、日本では塩焼きですが、ベトナムでトマト煮なんです。地域にはそれぞれ食べ方があります。漁協や商工会議所が一丸となった地方の努力が、世界の舞台で新たなチャンスを生み出しました。輸出量は毎年増えています。根室の皆さんが、国内だけでは駄目だと思って、海外に出て行って成果を上げています。地方もまた、世界に目を向ける時代がやってきたと思います。
観光は成長戦略の大きな柱です。昨年初めて、外国人観光客1千万人目標を達成しました。次は、2千万人を目指したい。2020年にはオリンピックがありますから、全国の地域で、世界から観光客を呼ぶ競争をしたい。観光立国は、必ず地方にメリットをもたらすと思います。日本の下関でなく、世界の下関へ、地方も大きな世界に果敢にこぎ出していかねばなりません。2020年東京オリンピックあります。それぞれの地方が世界とつながる大きなきっかけにしたいと思います。
もう一つ、人口減少の問題からも逃げられません。人口減少の克服も大きなテーマです。政府は先般、骨太の方針で、50年後に1億人を維持するという野心的な目標を掲げました。家族の選択は家族ごとの選択で、政府がとやかくいうものではありません。しかし絶望する必要はありません。夫婦に対する調査では、現実には子供は平均1.7人しかいませんが、理想は2.4人。2人以上です。先ほど、新しい下関駅を見に行ったときに子供をたくさん抱えたお母さんが、「私子供5人います」と言っていました。幸せそうです。大変ですが、幸せそうでした。2.4人という理想の子供の数への障害を取り除けば、実際の子供が理想に近づく。そうすれば人口問題は解決します。国の仕事はそういう障害を取り除き、夫婦が理想の数を持てるようにすることです。
私たちは消費税率の引き上げで、待機児童ゼロなど子供・子育て支援を充実し全世代型の社会保障に拡大しました。今後、さらに子育てへの投資を、特に第3子以降に特化して重点的に支援することを考える時代がやってきました。これまでの少子化対策と次元の異なる大胆な施策を検討していきます。人口減少の対策は、主役は子供たちです。全ての子供の笑顔があふれるそんな日本でなければなりません。子供の目線から家庭や地域のあり方を考え直す姿勢が必要です。
かつてはどんな地域にも町内会があり、地域全体で子供を育む雰囲気がありました。最近は核家族化が進んで希薄になりがちです。どうやれば育めるか、それが一時政権の時にスタートした放課後子どもプランです。放課後の子供の居場所を学校を中心にして作っていこうというプランです。先般、神奈川県で放課後キッズクラブに行ってきました。小学校の校舎を使い、平日も休日も地域の人が企画したさまざまなプログラムもあります。私も童心に返って、紙飛行機を飛ばすというプログラムに参加しました。私が1位になりました。自慢しても仕方ありませんが、みんな楽しみながらやっています。ふれあいのある地域にしていきたいと思います。
現代版の地域子育てのモデルだと思います。こうした場所を作りながら、地域の皆さんの協力が必要ですが、ふれあいのある地域にしたいとおもいます。家庭もかつては、3世代同居が当たり前でした。じいちゃんから、昔話を聞いたり、怒られたり、たまに小遣いをもらったり。父母に加え、祖父母からも2倍の愛情も注がれながら子供が育つ。NHKで「花子とアン」を毎朝やっていますが、アンの実家には父母と祖父もいます。父母から学ぶこともあれば、じいやんから学ぶこともある。それぞれが違う役割を担いながら、花は生まれ育っていく。核家族化が進む中で、大家族を取り戻すのは並大抵ではない。スープの冷めない距離に祖父母がいて、みんなの笑顔があって、子供たちが育まれていく。現在の子供たちにもその素晴らしさを実感してもらいたい。大家族で支え合う価値を社会全体で改めて確認すべきだと思います。さらに、社会保障を初め、あらゆる社会システムの中、その負担を軽減する、大家族を評価するような制度改革を議論すべきだと思います。最近は2世帯住宅でも入り口が別になる独立型になっています。こういったものを政策的に応援することも一つのアイデアではないでしょうか。3世代の近居や同居を促しながら、現代版の家族の絆の再生を進めていきたい。
さて私はこれまでに22回、月1回以上のペースで海外に出かけました。既に42カ国を訪問しました。これは、結構くたびれることもあるんですが、大切な仕事だと思っています。後、半月後にはこれが47になります。まさに地球儀を俯瞰する外交を展開してきました。今年4月にはオバマ大統領が来日しました。民主党政権で崩れかけた日米関係は復活するどころか、かつてないほど強固になったと確信しています。5月にはNATOで日本の安全保障政策について、スピーチしました。日本とEUは経済のみならず、安全保障などあらゆる面で、価値観と利益を共有するかつてないパートナーとなっています。プーチン大統領とは 1年半で5回、首脳会談を行いました。ロシアには、責任ある国家として、国際社会の問題に、建設的に関与してもらわねばなりません。そのためには、私はプーチン大統領との対話を続けていきます。1日も早い平和条約の締結に向けて粘り強く、交渉していきます。お隣りの中国は経済的にも、切っても切れない関係にあります。一年半経っても首脳会談が実現しない。大変残念であります。課題があるからこそ、対談しなければならないと思っています。隣国があれば、世界中どこでも、課題や問題を抱えてきます。課題があるからこそ、その課題について話し合っていく、コントロールする。様々な可能性について新たに可能性を開いていく。そのような対話をすべきだと思います。戦略的互恵関係をさらに発展する用意があります。11月に北京で開かれるAPECの際には是非、首脳会談を行いたいと考えている。そして先週は、ニュージーランド、パプアニューギニア、オーストラリアにでかけました。オーストラリアでは日本の首相として初めて議会演説を行いました。アボット首相とは3日連続で夕食をともにし、移動中の飛行機では7時間、両国関係についてずっと話を続ける。7時間話すのは大変だけれども、笑いが尽きなかった。それほど、日豪の間には、協力すべき事がいっぱいある。まさに、胸襟を開いて話しをすることができました。アボット首相と私の深い信頼感のもとで経済・安全保障面で協力を深めることで合意し、日豪の特別な関係の素晴らしいスタートを切ることができたと考えています。ちょうど、日本と豪州が戦争が終わり、新たな関係をスタートさせたのは1957年でありました。この時豪州に行き、両国の協力協定を調印したのが祖父の岸信介です。アボット首相はそのとき調印している写真と実物を模写したコピーを私に見せました。57年前はサインはちゃんと、毛筆のサインなんですね。おそらく筆と墨を持って行ったのだろうと思います。そうすると筆力が分かってしまうので。私は祖父の字と比べられると少し、恥ずかしいので私は万年筆で署名した。自由と民主主義、法の支配という価値観を共有する国と交流することは、日本の世界の安定に大きく寄与する。私はそう考えています。一昨日、マレーシア航空機の墜落事故がありました。犠牲者のご冥福を祈るとともにご家族の皆様にお悔やみを申し上げたい。国際社会とともにできる限りの、原因究明に当たってできるかぎりの協力を行っていく考えであります。いかなる紛争も力ではなく、国際法に基づき、外向的に解決すべきである。法の支配の重要性を繰り返してきた私の主張は一年半を経た今、国際社会から大きな支持を得ています。日本は積極的平和主義の旗のもと、国際社会と協調しながら、世界の平和と安定に貢献していく。そうした考えは、200回を超えた首脳会談のたびにほぼ毎回、私から直接説明し、強い支持を得ています。いかなる事態があっても国民の命と平和な暮らしは断固として守り抜いていく。総理大臣である私にはその大きな責任があります。
今月1日に、新しい安全保障法制度のための基本方針を閣議決定をしました。例えば、海外で突然、紛争が発生し、そこから逃れようとする日本人を運んでいる米国の船を、今のままでは日本の自衛隊の船は守ることができない。これはやはり皆さんおかしいと思いませんか。そして私たち日本自身が攻撃を受けていなければ今の状況で守ることができない。あるいはまた、ある国が日本にミサイルを発射しようとする状況があって、日本海の米国のイージス艦が、日本を攻撃するためにミサイルが発射され、どこに飛ぶか察知して、米国のイージス艦はレーダーを全て上空に集中すると、周りが分からない。イージス艦がどんなに能力が高くても、機能を上空に集中すると、日本に飛んでくるミサイルは察知でき、日本に「ここに打て」との連絡はできるが、自分に対する周りからの攻撃は弱くなるんですね。米国第七艦隊も5、6隻しかイージス艦を持っていない。それを、日本のイージス艦が日本を守っているのですから、対艦ミサイルを打ち落とせる能力があって、そばにいたとしても、日本に対する攻撃がなければ米国の船を助けることはできないんです。この話を米国の高官にしました。そうすると「安倍さんそれでは同盟国とはいえませんね」と言われたんです。これでは、日本人の命を守り抜くことに大いに問題あると言わざるを得ないと思っています。人々の幸せを願って作られた憲法がこうしたことを禁止している。国民の命を守る責任を放棄せよと言っていると思わざるを得ない。仮にそうした行動をとる場合であっても、単に手段が無い場合に限られ、かつ、必要最小限でなければならない。現在の憲法の基本的な考え方は、今回の閣議決定でもなんら変わることはありません。解釈で憲法を改正してよいのか。あるいは、時の内閣が勝手に憲法解釈を行って良いのか。そうした懸念がありますがこれは誤りです。これまでの憲法解釈のほとんどが国会で、総理大臣が答弁だけで行っている。40年間以上日本の安全保障と憲法との関係の下、基本的な考え方を示してきた昭和47年の見解というものは与党の協議も、閣議決定も行わずに、時の法制局が作ったものを参考資料として国会に提出したものにすぎない。その意味では、今回、初めてといっていいほど与党で議論をし尽くして、後に内閣が閣議決定した。それだけ重い判断だったとこのように思うわけであります。重要な問題であるからこそ、今後ですね、国会において議論をしていかねばならないと思います。まさに今回の決定は決して安易な決定ではない。今までの安全保障に関する、解釈について、国会で政府が決めてきた決定の中で最も重い決定だったと私は自信をもって皆さんにお話できるのであります。
そして、海外派兵は一般には許されないという従来からの基本方針は変わっていない。なので、イラク戦争や湾岸戦争での戦闘に参加することはありません。日本が戦争をする国になったという根拠のない批判がありますが断じてあり得ない。安全への万全の備えを行うことが私は抑止力になるとも思います。戦争に巻き込まれる、こう批判されています。でもこの批判はいつか聞いたことがあります。1960年の安保改定の際に毎日毎日、マスコミやデモ隊は岸の決定により日本は戦争に巻き込まれるといって、批判してきました。果たしてどうなったのでしょうか。あのとき反対していた新聞もすべて、この安保の改訂について批判を加えていないどころか、先般のオバマ大統領の尖閣は、日本の政権下にある地域だと、安保五条の対象になるとこう宣言をした際、この外交努力に対し、すべての新聞が評価している。安保条約が改訂されていなければ、この第五条もなかったのですから、つまり時代はかつての私たちの判断が正しかったと証明している。今度も私は間違いなく、こうなっていく、歴史の批判に耐えうる判断をしたと確信をしています。ですから最近は、批判が批判として最近は成り立たない批判もあります。よくされる批判は安倍晋三は徴兵制度をやる。私が一回でも言ったことありますか。言っていないことを批判するのは可笑しいですよ。そもそも徴兵制度は憲法違反になります。昨年の予算委員会で答弁している通りあり得ない。根拠なき、批判をあおるような言動が多いことは憂うべき事。議論すべき事はただ一つです。国民の命と平和な暮らしを守るために、現憲法下で何をすべきか、ということであります。この課題から目をそらしてはなりません。危険が近づくとその頭を下に突っ込め、見えなくなれば危険が去ると思うダチョウと同じことになってしまいます。政治家こそは国民の命と平和な暮らし、領土領空を守る大きな責任があります。この課題に向かう責任があると思う次第であります。
これからも国民の皆様に、丁寧に実態に即した現実的な説明を行っていきたいと考えています。既に法案の作成作業を開始しました。膨大な作業となるけど、それなりに時間がかかりますが、今後準備ができ次第、国会に法案を提出しご審議を頂きたいと考えています。
先週、パプアニューギニアを訪問しました。先の大戦の激戦地・ウエワクを訪問しました。空港では建国の父である、「ソマレさん」が出迎えました。建国の父である初代総理大臣です。この人はお札にもなった。総理の職を退いて、今は州知事を務めている。ソマレさんが私にこういった。自分が初めて学校に出会ったのは柴田学校だった。ソマレさんは70年前の柴田中尉とのふれあいを熱く語ってくれました。ソマレ首相は大の親日家。日本が大好きなんです。私が行った日、州において休日に指定しました。町中の人が歓迎してくれました。なぜ彼はそんなに日本のことが好きなのか。柴田学校だからだ。ソマレ首相の村に、進駐した中隊の隊長が柴田さんでした。それまで学校は全くなかった。文字も知らず、本も読めず、勉強の概念も知らなかった。柴田中尉がそのことを知って、柴田学校を作って、子供たちをみんな集めて読み書きを教えた。読み書きができれば人生がどうなるか、本が読めればあなたにとってどのような意味があるか、勉強するとはなにか。丁寧にソマレ首相に教えたんです。日本が去った後、残念ながら学校はなくなってしまったというが、自分が今あるのは柴田さんのおかげだと話してくれたわけです。建国の父がこの日本観、日本人観をもっているので、パプアニューギニアまるごと日本ファンになっていると思っても良いと思います。あそこでLNGがでました。先月、日本に第一便が届いた。LNGを供給する先は日本だとの思いで供給してくれています。本当に沿道に驚くほど、人が溢れていた。手書きで「ウェルカム」といっています。行った一行全員が感動して涙が出てくる。そして、ニューギニアは12万人以上が日本軍が命を落とした土地であります。ニューギニア戦没者碑の前では1万人を超える人が集まってくれた。この碑の管理もニューギニアの人が自分たちでやってくれている。草を刈ってきれいにしてくれる。温かい思いに私たちは、応えていかねばならない。そして、私は彼の地で戦没者に哀悼の意と尊崇の念を捧げ、御霊安らかなれと、手を合わせた所でした。蒸し暑いジャングルで家族の幸せを願い、祖国を思いながらお亡くなりになられた、12万人を超える尊い犠牲の上に今日の日本がある。そう胸に刻んだところであります。二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。その決意を新たにしました。平和国家としての歩みはこれからも変わることはない。その歩みをさらに力強いものにする、その決断が、今回の閣議決定です。日本の平和が脅かされると批判する人がいる。では、何もしなければ日本の平和が保たれるのか。その保障はどこにもありません。平和国家ということを口で唱えるだけでは、平和が実現するわけではありません。私たちの平和は他の人から与えられるものではありません。私たち自身で築き上げていくほかありません。
「書は古なり。幸せは今なり」今と古と同じからず。幸せと書はなんぞよく一時あえせん」、松陰先生は弟子たちにこう説いた。行動を起こすのは現実に対応するものである以上、昔のことを書いてある書物に書いてある通りにやってはダメだという戒めです。世界が大きく変化する時代に、昨日までの常識が明日も正しいという保証はどこにもありません。現実から目を背けることなく、日本の平和を守り抜くためにその努力をこれからも怠ってはなりません。
日本は13歳の少女が国外に連れ去られることが阻止できなかった。これが現実であります。横田めぐみさんを北朝鮮の拉致から日本は守ることができなかった。私は初当選する前、30年もの間、拉致問題に取り組んできた。すべての拉致被害者のお父さん、お母さん、肉親の方が自らの手で、横田滋さんが早紀江さんがめぐみさんを抱きしめる日が来るまで私の使命は終わらない。決意しています。拉致被害者に関する包括的な、全面的な調査を約束した北朝鮮が今月、特別調査委員会を立ち上げました。長い間かたく閉ざされていた交渉の窓をようやく開くことができたと考えています。この特別調査委員会には国防委員会など国家的な決断ができる組織が全面に出るかつて無い組織。そのため、日本の一部の制裁措置の解除を決定した。しかしそれはスタートでしかありません。スタートでしかないということは、30年間この問題と向かい合ってきた私が良く承知しています。私は一議員として、小泉内閣の官房長官として総理大臣として北朝鮮と長年向き合ってきた。北朝鮮がどういう対応をするか、誰よりも知っている自負があります。ここから一層身を引き締めて、当たっていかねばなりません。今後とも行動対行動の原則を貫きながら、全ての拉致被害者の帰国という具体的な成果につながっていくように全力を尽くしていく。先週、オーストラリア議会で演説する機会を得ました。冒頭、70年前の戦争で命を失ったオーストラリアの若者に哀悼の意を捧げた。その痛切な反省のもとに、日本は平和で民主的な国を作り上げてきた。そのことを申し上げた。いまや基本的な価値を共有する歴史の試練に耐え、経済安全保障をあらゆる分野で進化させていくべき。こうオーストラリアの議員の皆さん、国民の皆さんに訴えてきました。最大の敵が最高の友人になる。オーストラリアの皆さんから心温まる賞賛の声を頂きました。この演説の後アボット首相が大勢のメディアの前に毅然としてこう語った。この言葉を最後に紹介して、私の講演を締めくくりたいと思います。
「日本はフェアに扱われるべきだ。70年前の行動ではなく、今日の行動で評価されるべきだ。日本は戦後ずっと世界に第一級の市民として貢献し、法の支配の下で行動してきた。私たちは過去ではなく、今の日本を評価すべきだ」
私は本当にアボットの言葉を聞き、胸が熱くなる思いだった。まさに正論だった。正論に国の壁はありません。今後いっそう、こうした評価と期待に応えていきたいと思います。そして世界を、今日より明日、そして今年より来年、より良くなっていく場所になる、日本はその責任を果たしていくべきだと考えています。一昨年、私たちが政権を取る前、日本の人口は減少していく、借金もたくさんある、世界の中で日本の存在は小さくなった。もう日本は夕暮れを迎えている。こんなことが言われていました。しかし、まさに今、日本は黄昏を迎えているのではないということを私たちは実感していると思います。私たちが迎えようとしているのは新しい朝日ではないでしょうか。そして日本が世界の真ん中に輝く国になるべく全力を尽くしていく決意であります。どうぞ、ご静聴ありがとうございます。」