編集委員・伊藤智章
2014年7月20日16時32分
母(91)の左手首には深い傷がある。戦争中、フィリピンで自決を図った痕だ。岐阜市の英語塾教師、脇由巳子(ゆみこ)さん(61)は戦後、その母と米軍兵士の間に生まれた。かつて何があったのか。引き裂かれた家族の物語に耳を傾けたい。日本が再び、「戦争のできる国」へと変わりつつある戦後69年の夏だからこそ。(編集委員・伊藤智章)
「ゲリラに囲まれ、外に出るに出られない。夢中で手元のナイフで切ったんや」。母、浜野ゆき子さんは3年前、軽い脳梗塞(こうそく)を患った。でも、大戦末期、フィリピン・マニラの宿舎で手首を切った瞬間の記憶は鮮明だ。
血が思うように噴き出さず、一命を取り留めたが、どう宿舎を脱出したのかまでは覚えていない。
マニラに着いたのは開戦翌年の1942年。福井県敦賀市の12人きょうだいの長姉で、仕事がなく、外地の募集に応じた。
米軍を追い出し、フィリピン全土を占領した日本の兵隊は勢いに乗っていた。路上で刀を振り回し、抗日ゲリラの首をはねた。「みんな頭がおかしくなっちゃった。私も何とも思わなんだ」。まだ二十歳前だったが、死は身近で怖くなかった。
植民地時代の壮麗な建物が並ぶ街のキャバレーに勤めた。客は日本の軍人、軍属、商社マンら。戦勝を祝うパレードがあり、軍人が従業員にお年玉を配った。手伝いの現地女性2人を雇い、英語も習った。
おすすめコンテンツ
※Twitterのサービスが混み合っている時など、ツイートが表示されない場合もあります。
朝日新聞社会部
PR比べてお得!