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国際
【から(韓)くに便り】「韓国の一つの終わり」実感
2014.7.20 13:00
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こうして翌1964年、初めての製品が出荷され、これが“ラーメン王国・韓国”のスタートとなった。
全仲潤氏の死去に際しては韓国のマスコミも「庶民の飢えを解決した“ラーミョンのゴッドファーザー”」(東亜日報)などと大きく報道していたが、肝心の明星食品との“美談”に触れたものはなかった。
生前、彼に長時間インタビューしたことのある林廣茂・前同志社大教授によると、彼は青年時代だった日本の戦時中、ソウル(当時は京城)で逓信省の仕事をしていて、同僚の日本人たちが「この戦争は日本の負けだ。そのうち朝鮮は解放されるからもう少し辛抱しろ」といっていたと、心優しい日本人の思い出を語ってくれたという。
また日韓併合など過去の歴史については「不幸の始まりだったが、ロシアや中国の支配下に入らなかったことは不幸中の幸いだった」というのが持論だったという。
戦後の日韓交流史にはビジネスをはじめ多くの分野でこうした美談があるのだが、韓国ではなぜか表向き語られず、記録されない。マスコミが伝える“美談”というと、歴史問題や領土問題などで韓国の立場を支持し、日本を批判する日本人との協力話ばかりだ。
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