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Chikirinの日記

2014-07-20 社会から拒否されてホントーによかった

あたしはいろんな偶然に恵まれて生きてきたけど、その中で最も大きな幸運は、大学を卒業した時点で「社会から拒否され、排除されたこと」だと思う。

22歳で就職活動をした時、女性には(自分でアパートを借りて食べていくのは不可能なほど給与が低い)アシスタントという職業しか選択肢がなく、

キャリアを積むための仕事のチャンスや訓練の機会、そして転勤や社費留学の機会も、一切与えられないのだと知って最初は


「まじかよ!?」


って思ったけど、


今やあたしの人生において、あれほど大きな幸運は他になかったと断言できる。


★★★


今、世の中が大きく変わりつつあるのに、多くの人が動けないままになっている。時代にあわせて変わっていくには、

1)今、持っているモノを自ら手放す

2)新しいモノを手に入れる

のふたつのステップが必要になる。


多くの人は、「自分には新しいモノを手に入れる能力がないから、動くのに躊躇する」って言うけど、それは嘘だよね。そういう人は、「今、持っているものを手放すのが、ものすごく恐い」んです。だから動けない。

新しいモノを手に入れるなんて、今持っているモノを手放すのに比べたら、そんなに難しくない。むしろ簡単といえる。つまり持ってるものを手放すのは、それほどに難しい。

ところが、あたしは生まれつきの性別という自力では変えられない条件によって、社会から「あんたなんか要らない」と拒否されたことで、「手放すのが恐くなるほどのもの」を手に入れられなかった。

そして「みんなが持ってるものを持って無くても、たいした問題じゃないじゃん」と(すごく若い時に)気がつくことができた。


これが、どんだけラッキーだったことか。


私自身はもともと、大胆でも勇気のある人でも進歩的な人でもありません。だから、なにか大事なモノが手に入ってしまったら、それを守るために多大なエネルギーを使ってたんじゃないかな。

「これは、そこまでして守るべき価値のあるものなのだあ!」と自分を自分で必至で説得しながら。

「これを持ってない人は、すごい不幸なはずだあ!」とか、「自分だってコレを手放したら、いきなり苦労するはずだあ!」とか思いながら。


ところが幸か不幸か(いや、明らかにラッキーなことに)、あたしにはそれが手に入らなかった。

同じ女性でも、10年遅く生まれていたら結構なモノが手に入ってたかもしれない。実際、それくらいの年代の女性の中には、男性と同じように「持ってるモノから離れる」ことが出来なくて苦労してる人がたくさんいる。


それに比べて、完全に拒否される時代に社会に出た私はホントーにラッキーだった。


おかげで何よりも難しい「今、持っているモノを捨てる」という苦労を経験せずに済んだ。そして、「新しいモノを獲得する」ことだけに注力すればよかった。こっちは「持ってるものを自ら捨てる」に比べたら、たいして難しくもない。

その結果、「なんとかなるもんだ」とわかってしまった。「アレがないと生きていけない!」と思えたものが、無くてもなんとかなるものだとね。


★★★


自分の手にあるものが(たいして望ましくもないものなのに)なぜか手放せなくて葛藤し、逡巡し、我慢している人たちをみると、自分の幸運に心から感謝したくなる。

人はよく条件のよい人を羨むけど、条件がよいからこそ苦労する人も、世の中にはたくさんいる。


古い社会の皆さん。あたしを拒否してくれてホントーにありがとう!


そんじゃーね



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