大学生のころ、受講していた小熊英二先生の社会学系の授業で題目のような言葉を聞いた覚えがある。
確かに、その通りだと最近思う。社会人になると、出会いの機会も少なくなり、恋愛にも少し奥手というか、慎重になってしまう。積極的に会社の外や別のつながりを持とうと動かない限り、人間関係は広がらないし、選択肢も狭まってしまう。私のような人間のことだが、思っていたより、そういう人は多いらしい。
もちろん、現在はSNSや婚活系のサービス、企画や業者、様々なものがサポートしてくれるものの、それに満足している人は少ないのではないだろうか。
そうなると、やはり人は周りの人間から相手を探そうとする。その時に、どれだけ自分の周辺に、もしくは、自分の周辺の周辺に、より良い相手がいるか、という問題に直面する。これを考えた時、やはり小熊先生の言っていたことは正しくて、現状の日本では、まだまだ学歴重視の社会で、やはりより大学には、よいところを出ている育ちの良い人が多く、その人達が比較的に、世間一般で言われる良い会社に就職することも、他の大学に比べて多くなる。そうすると、やはり周りの環境も良く、比較的良い”婚活環境”になっているということだ。
話は変わり
「男女関係において、すれ違いがよく起こる時、所属する文化圏や、その人自身の文化資本の違いが根本的な原因である事が多い。」
この言葉も、題目同様、授業中に小熊先生がおっしゃった言葉なのだが、私が彼女との付き合いを振り返ると、うなずかざるを得なかった。
私は、1ヶ月ほど前に2年程度お付き合いをして、同棲をしていた女性に二股を半年間かけられふられたのだが、付き合い始めた当初、私は彼女の仕草や日常的に発する言葉に驚きを隠せず、思わず「その言葉遣いなおした方がいいよ・・」、「床に座り込んじゃ駄目だよ。。」「食べ物が入っているかごなのに、きたないところに置かないで・・」、なんというか、自分が当たり前のように小さい頃から教わって、できていることが、できていないことに、正直苛ついていた。もちろん、自分の価値観や感覚を押し付けるな、ということは十分承知しているのだが、周り(大学の友達)に相談してみても、やはり私と同じような意見の人が多かった。そういう些細なことから始まり、やはり私は、私と元彼女氏の間にある溝的なものを埋めることを諦めてしまった。
結局人は自分の信じた正義を振りかざして生きているのだが、どうしてもウマが合わない相手もいることを知った。それを知った上で相手を尊重して、生活していかなければならない。いわゆる世渡り上手な人というのは、そこらへんの融通性がとても良いのだろう。私は、やはり、下手というか、一種の潔癖症なのか、いわゆる温室育ちで、世間を知らない、むしろ私が「脳内お花畑野郎」だったのかもしれない、自分が知らない世界を受け入れるのが下手くそで、自が知らない価値観や、自分の所属する文化圏”外”の人の価値観や考え方をなかなか受け入れることができなかった。こういった「価値観の違い」(と言ってしまえばそこで思考停止してしまうが)、それが続いた結果、その女性とは別れることになってしまった。
もう少し、私は世間を知らないといけないし、それこそ、人間臭い、泥臭く生臭い現実を、ちゃんと見なければいけない。
人は誰もが理想と現実のギャップに苦しみ、そのギャップを埋めるために、より仕事に専念したり、その事柄に熱中するが、恋愛も同じだ。その女性との関係を通して、私は現実をしっかり受け止めなければいけなくなった。むしろ、以前からその”リアル”は自分の中で知っていたのかもしれない、現実とはこういうものだと。ただ、それを知っているだけで、その意味を理解することができていなかった、むしろその意味を理解することを恐れていた。だからそこで思考停止していた。
その方とお別れをして2ヶ月が経とうとしている。その方は当時の二股相手と高円寺でラブラブな同棲生活をおくっているようだ。私はやっと立ち直れてきた。いつかその二人を見返すぐらい、いい男になりたいと思う。心身ともに。そして経済的にも。
そして、二股相手との行為でのアフターピルの処方箋を、当時同棲していた私のマンションに放置して、荷物も放置して家を出て行き、後片付けをすべて私にさせた、その女性には、その相手と末永く幸せでいて欲しいと思う。
そして最近、NIKE FUEL BAND SEを購入した。ついでに一眼レフも購入した。そして最近、iosでもingressが出た。某増田記事にあやかって、私も趣味での出会いを模索しようと思う。
タイトルと〆が矛盾しているんだが。