「後藤さんが出家するらしい」
今年3月、週刊誌記者たちの間で情報が飛び交った。後藤忠政組長といえば山口組の幹部であり、「武闘派」「経済ヤクザ」として知られながら、昨秋に山口組を除籍処分となったことが話題になった大物ヤクザである。
浮き沈みの激しいアウトロー社会では、仏教や神道を信奉する人間は意外に多いが、これは「政治家なども同様。しかし、出家というのは聞いたことがありません」(実話誌記者)という。
そして、4月8日。神奈川県伊勢原市の浄発願寺で、後藤元組長の得度式が執り行われ、元組長は剃髪し、法衣を授かった。式は、親類のほか親交のある作家や弁護士など40人ほどが列席、厳かに行われたという。この寺は、93年に朝日新聞本社で自決した民族派右翼の故野村秋介氏の菩提寺でもある。
「後藤さんは故野村氏の実子を含めて関係が深いといわれるので、そのご縁でしょうね」とは先の記者。ただし、元組長は「寺に迷惑がかかる」として、住み込まない在宅出家だという。
さて、同記者によると、元組長の出家の真意をめぐる"憶測"には、大きく分けて3つあるという。まずは、ヤクザ社会に嫌気が差したこと。
「これには異論を唱える人もいるんですが、後藤さんは山口組の幹部の中でも何かと話題の多い人。まったくのデタラメから信憑性の高いものまで、多種多様な怪文書や怪情報が飛び交っていましたからね。人気もあるけど、妬まれることも多かったんです」
たとえば、92年の伊丹十三(故人)監督襲撃問題。後藤組の幹部らが、映画『ミンボーの女』の内容に抗議して、伊丹監督を襲って重傷を負わせたという事件だが、これには「よくぞやってくれた」と拍手喝采が送られた一方で、「余計なことを」という声もあった。
当時の新聞には「『あそこの組(後藤組)はスタンドプレーがよう目につく。菱の代紋をはき違えとるのとちゃうか。(われわれが)暴力団対策法でまいっとるゆうのに』。大阪の繁華街・ミナミにあるマンションの一室。山口組直系の組幹部の一人は吐き捨てるように言った」(92年12月3日付産経新聞)などと報じられている。暴対法は92年3月に施行されており、ヤクザ社会に微妙な緊張感があったのは確かだろう。
これ以外にも除籍処分の発端とされる細川たかしらを招いたゴルフコンペ問題のほか、警視庁北沢署巡査長の私物パソコンから流出したことで発覚した愛人問題(07年)、米UCLAでの腎臓移植問題(08年発覚)、日本航空(JAL)株式の100万株取得(99年)など、元組長に関する報道は多い。…