[PR]

 安倍晋三首相は集団的自衛権行使を容認する憲法解釈の変更について、慎重な公明党の理解を得て、閣議決定をしたい意向だ。自民・公明両党の協議が来週から始まるのを前に、両党幹部にインタビューした。

 ■時代に合わせ解釈変更 石破茂・自民幹事長

 憲法には9条に限らず、条文のどこにも「集団的自衛権を禁じる」とは書かれていない。憲法をどう読んでも「これしかない」という解釈なら変えられない。しかしそうではない。時代に合わないのなら、解釈を変えるのは当然のことだ。

 憲法前文には、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない、平和を維持し国際社会で名誉ある地位を占めたい、とある。集団的自衛権の行使は、前文が示す憲法の精神に合致している。

 もちろん解釈を変えることは重い決断だ。首相が突然、「集団的自衛権行使を容認します」と言うだけでは何も変わらず、行使の態様ごとに法律の裏付けが必要となる。

 集団的自衛権を行使するようになれば、自衛隊が他国民のために血を流すことになるかもしれない。そのことは日本の世論に、簡単に受け入れられるものではないことは分かっている。安全保障上の必要性を説いても、決して賛同しない人がいることも分かっている。

 それでも、私には集団的自衛権の行使が必要と考える原体験がある。北朝鮮を訪問した時の衝撃だ。独裁体制を守るためには国民や他の国がどうなってもいいと考える指導者がいると知った。その脅威には対応しなければならない。

 1991年の湾岸戦争の時の体験も大きい。日本は多額の金を出したが、国際的な理解は得られなかった。米国の指導者は、他国を守るために自国の兵士が命を落とすことを覚悟している。日本の指導者は自国を守るためには命を懸けるが、他の国のための覚悟はできていない。そんな日本の姿勢が今後も世界で通用するのか、考えるべきだ。

 来週から協議に臨む公明党に対しては、抽象論ではなく、具体的事例をあげて「これは見直しが必要だ」という合意を得たい。

 遅くても秋の臨時国会までに閣議決定をしたいというスケジュールだが、公明党が認めなければ閣議決定はできない。幹事長は、選挙も含め党全体の責任者でもある。公明党の理解を得るよう全力を挙げたい。

 (聞き手・三輪さち子)

 ■国民の信任得るのが筋 北側一雄・公明副代表

 安倍晋三首相は「必要最小限度」の集団的自衛権は行使できると言う。しかし「必要最小限度」という言葉では、憲法解釈を変える基準にならない。従来の解釈で否定してきた集団的自衛権による武力行使を認める要件になるわけで、極めて重大な基準だ。「ここまでは良い」という明確な線を引けなければ、解釈を変えることなどできない。

 首相が示す、邦人を輸送する米艦を自衛艦が守る事例は、朝鮮半島の有事を想定したのだろうが、自衛艦がこの米艦を防護することが果たして集団的自衛権の行使にあたるか疑問だ。

 安全保障の問題は、国の安全を守るために必要な対処策を現実的に突き詰め、最終的には国民に理解してもらう必要がある。集団的自衛権の行使は、日本が武力攻撃を受けていないのに、他国に武力行使しても適法と認めること。本来は憲法改正を国民投票で問い、国民の信任を得て見直すのが筋だ。

 首相が主張する、閣議決定で解釈変更できるとの考え方も、理解できない。例えば、国際情勢の変化などで自衛隊が新たな役割を担う必要がある事例が生じ、安全保障の法制全体を見直すなかで、自衛隊法などの改正を閣議決定で決めるのなら理解できる。抽象的に憲法を解釈変更するという閣議決定は想定しにくい。

 政府はこれまで憲法の理念に沿う解釈をつくってきた。これに対し首相には、集団的自衛権の行使を容認しなければ安全保障は十分に機能しないとの考えが、頭からあるようだ。与党協議を通じ、そこをしっかりと検証しないといけない。

 議論の過程で仮に集団的自衛権の行使を認める基準となる一線が見えたとしても、ことは簡単ではない。法解釈には一定の幅の中で解釈を一部見直すことは論理的にはありうるが、限界もある。

 まして首相が解釈を変えようとする9条の平和主義は憲法の根幹をなす基本原理だ。その規範性があいまいになる解釈変更をしようとしても、国民の理解は得られないだろう。

 (聞き手・岡村夏樹)