まちづくり/巨大防潮堤の足元(4)完 安心追求住民の手で
<「関心薄れる」>
「防潮堤に遮られてしまえば海への関心、愛着が薄れる。津波から逃げることを忘れてしまいかねない」
宮城県七ケ浜町の代ケ崎浜。県が計画する海抜3.3メートルの防潮堤計画に、代表区長の伊藤喜幸さん(73)は強い懸念を示す。
約860人が住む地区内では、東日本大震災の津波で帰宅途中などの7人が亡くなった。一方、地元にある高台の多聞山に逃げた住民は全員が無事だった。
震災の経験を踏まえ、地区住民は避難に使う生活道路の拡幅を町などに求めた。車で避難する際は、知り合いでなくても同乗するよう地域内で話し合った。
伊藤さんは言う。「地域にはそれぞれ命の守り方がある。全ての浜に防潮堤を押しつける必要はない」
<方針変わらず>
威容を誇った防潮堤は津波で打ち破られ、各地で無残な姿をさらした。震災があらためて示したのは、住民一人一人の避難行動の重要性だった。
だがハード頼みの限界が露呈しても、国は防潮堤を津波対策の基本線からは外さなかった。
震災3カ月後の2011年6月、数十年〜百数十年に1度の頻度で発生する津波をめぐり、国は防潮堤での防御方針を決定。翌月には自然条件が同じ地域内の港湾について、同じ高さにすることを都道府県に通知した。
「震災直後の混乱期に決めた方針が今も通用しているのはおかしい」。気仙沼市の住民組織「防潮堤を勉強する会」の菅原昭彦さん(52)は、率直な疑問を口にする。
会が理想とするのは、住民も納得した形での防災、減災対策だ。防潮堤一辺倒にも見える国の政策転換を求め、昨年12月に始めた署名活動を今後も続けるという。
<悲劇を後世に>
防災上の安心はときに慢心につながる恐れをはらむ。防潮堤の増強に乗り出す地域も、避難の徹底に神経をとがらせる。
釜石市唐丹町の本郷地区。岩手県は海抜11.8メートルだった防潮堤を14.5メートルに改良する。「津波からの避難に向け、時間稼ぎに必要だ」。町内会長の小池直太郎さん(67)は冷静に語る。
本郷地区は明治三陸大津波(1896年)、昭和三陸津波(1933年)の被害を受け、高台に集団移転した。人口増に伴って再び低地に家屋が建てられるようになり、今回の震災で48戸が流出する結果を招いた。
「防潮堤が完成しても、想定外の津波が襲来した事実は風化させない」と小池さん。後世にいかに悲劇を伝えるか。ハードの規模、有無にかかわらず、地域が背負う課題は重い。(震災取材班)
明治と昭和の三陸津波、東日本大震災による大津波を伝える石碑群。防災、減災では、世代を越えて教訓を共有する試みが重要になる=釜石市唐丹町本郷地区
2014年07月19日土曜日