2014年07月17日(木) 22時04分43秒

(インタビュー)移民政策、ドイツの経験 リタ・ジュスムートさん

テーマ:国際問題

(インタビュー)移民政策、ドイツの経験 リタ・ジュスムートさん


朝日新聞 2014年7月17日


「移民や多文化主義への不安はだれにもあります。それを解きほぐすのが政治の役目」


 働き手として外国人の手を借りたい。でも定住されるのは困る――。


今の日本とそっくりな議論が、かつてドイツでも交わされていた。


定住を前提に外国人を受け入れるよう提言し、ドイツが「移民国家」へと看板をかけ替えるきっかけを作ったベテランの保守系政治家、リタ・ジュスムートさんに、移民と共存する心構えを聞いた。


 《ドイツは1950年代以降、戦後の復興を担う外国人労働者を南東欧やトルコなどから受け入れたが、本国に帰ることが想定されていた。


だが、ジュスムートさんを委員長とする独立委員会が2001年、定住を前提にした受け入れや社会に溶け込んでもらう施策を提言。


05年に提言を盛り込んだ移民法が施行され、ドイツは「移民国家」に転換した。》


 ドイツが受け入れてきたのはガストアルバイター(一時滞在の労働者)で、「3年間」などの期限が来たら帰ってもらうというものです。主要政党は右も左も「だから移民政策は取らない」が建前でした。


 だが現実はそうならなかった。


半数は本国に帰っても、半数はとどまった。ドイツの方が労働環境が安全で、収入も多かったからです。


石油ショックや経済低迷で、70年代には外国人労働者の受け入れが中止されました。


しかし、いったん帰国したらドイツに戻れないことから定住が加速し、むしろ本国から家族を呼び寄せる人が増えました。


 80年代後半、私は保守系コール政権の閣僚として女性や若者を担当しました。


そこでわかったのは貧困や差別などの問題を抱える女性や若者の多くが、ドイツに長く暮らす外国人だったことです。


ドイツ語が十分に話せない。教育水準も低い。


ほかの人と同じ権利や機会を持つ人間とはみなされていない。(移民はいないという)建前と(彼らを取り巻く)現実との深刻な矛盾に気づいたのです。


 90年代には、情報通信やバイオなどの分野で高い技術をもっている人材が足りないとの悲鳴が経済界から上がりました。


さらに冷戦後に頻発した(旧ユーゴスラビアなどでの)地域紛争で難民申請者が増え、彼らを受け入れる責務も生じました。


どんなに高い壁を築いても、戦乱から逃れてくる人々は必ず入ってきます。


こうしてドイツは「いかに国を開くか」という切実な問いを突きつけられました。


 《移民法案は01年に連邦議会で可決されたが、連邦参議院での採決をめぐって野党が反発。社会民主党のシュレーダー首相が率いる中道左派政権と保守系野党との協議による妥協・修正に時間がかかり、05年の施行まで4年近くかかった。》


 最大のハードルは私が所属していた(保守系野党の)キリスト教民主同盟(CDU)で、独立委員会の委員長を引き受けないよう私に求めてきた。


(移民受け入れに反対する支持者の反発で)党にダメージをもたらすと言うのです。


ドイツが移民国家になるのを好まない人々は提言のあらゆる部分を攻撃してきましたが、私は反論しました。


この問題は党派で争うべきテーマではない。国のあり方にかかわる問題である。だからすべての政党が協力して正面から向き合わなければならない、と。


 《移民法では、定住外国人にドイツ語講座やドイツの文化・法律・歴史などを教えるオリエンテーション講座の受講を課した。政府はスポーツや文化活動などを通してドイツ人と移民の交流機会を増やす政策にも力を入れている。外国出身者がドイツ社会に溶け込めるよう促す政策は「統合政策」と呼ばれる。》


 移民の受け入れは、単に労働力を受け入れることではありません。


彼らも家族を持てば、子供を学校に通わせる。病気になれば医療機関で治療を受けるし、年をとれば年金をもらう。


ただ、たとえ出身地が外国であっても、ドイツ社会の構成メンバーになるからにはドイツの原則や理念を受け入れてもらわねばなりません。


かといって、価値観を一方的に押しつければいいわけでもない。


彼らの固有の文化も尊重されてしかるべきでしょう。


少数者の権利や文化を認めるということも、ドイツの基本的な価値観だからです。


 《統合政策によりドイツ社会で活躍する移民が増えた半面、ドロップアウトが相次いだり、移民がかたまって住むため統合が進まなかったりという問題も指摘されている。》


 隣の家の子供を自宅に招いたと仮定します。同じテーブルを囲んで一緒にご飯を食べ、同じ部屋で寝ることで、きっとその子はわが家にいるかのように感じるでしょう。


よそよそしく距離を保って接すれば、自分は歓迎されないよそ者だと、いたたまれない気持ちになるはずです。


 大切なのは「寛容」より「リスペクト」(敬意)。


「ここにいても構わないが、最終的に『あなたたち』は『私たち』と違う」ではだめなのです。ドイツ人と移民とが互いに依存しあう関係であるという感受性を、幼稚園から大学教育まで浸透させねばなりません。単にドイツ語の読み書き能力だけでなく、彼らがドイツ社会に積極的に参加すればきちんと評価することも重要です。


 《ドイツでは05年に左右大連立でメルケル政権が誕生した。CDUは長らく「移民国家」に反対してきたが、同党党首のメルケル首相は、経済成長の切り札として経済界から要望が強かった移民政策を踏襲。政府と経済界や労組、移民団体の代表を集めて移民政策の向上を話し合う「統合サミット」も立ち上げた。》


 メルケル首相は大きな一歩を踏み出しました。こう宣言したのです。「(ドイツは移民国家ではないという)先入観を変えよう」。移民法の施行当初は、ドイツに来る移民は高度技術を持つ人材にほぼ限定されていましたが、介護分野など受け入れ対象は広がりました。ドイツが必要としているのは少数の「高度な人材」だけでなく、基礎教育や職業訓練を受けている人たちなのです。


 その後、ドイツ国籍を取得できるまでの期間は短縮され、二重国籍も認められつつあります。出身国で得た職業資格をドイツで認める動きも進んでいます。


 《欧州各国では近年、反移民を掲げる政党が勢力を伸ばしている。5月の欧州議会選挙では英仏で反移民政党がトップの得票を得た。ドイツでも連邦銀行理事が10年、「イスラム教徒の移民がドイツの知的水準を低下させた」と発言。物議を醸した。》


 憂慮すべき事態です。答えはひとつ。彼らがいることでプラスと思えることに目を向けましょう。ドイツの病院では今、大勢のアラブ人やロシア人、アジア出身者が働いています。患者への心配りが実によくできる人々です。ポーランド人は福祉現場で献身的に働いています。


 重要なのは、政治のリーダーシップです。リーダーがわずかでも不安や恐怖をあおれば、社会はさらに過敏に反応します。政治家だけでなく、経済界、労組、教会など大組織を率いる人は、移民問題に向き合い、責任のある発言をすべきです。


 《少子高齢化で働き手が減っている日本でも、外国人の受け入れに向けた議論が始まった。》


 日本は南米から日系移民を受け入れましたね。彼らとつきあって「やっぱり彼らは日本人と違う」とがっかりしていませんか。ほぼ日本人だけでやってきた歴史が長いので理解はできます。でも今の出生率を考えれば待ったなしです。外国人に日本語を学んでもらい、生活習慣を受け入れてもらうのも大事ですが、彼らの価値観を尊重する姿勢を見せなければ、もう望んで日本に来てくれなくなるでしょう。


 ドイツにとって移民国家への転換は、外国人を「リスクやコストと考える文化」から「ドイツに貢献する歓迎すべき人々と考える文化」への転換でした。時間がかかり、まだ課題もありますが、水面下で物事を進めるのではなく、開かれた場所で議論すべきです。私たちはそうして多くを学び、成功に近づいたのです。


     *


 Rita Sussmuth 元ドイツ連邦議会議長 1937年生まれ。保守系政党のキリスト教民主同盟(CDU)の政治家。88~98年、連邦議会議長を務めた。


 ■取材を終えて 「われわれ」が問われる「心の開国」


 ドイツは米国に次ぐ世界第2位の移民受け入れ国――。経済協力開発機構(OECD)が5月に発表した調査結果だ。


12年にドイツに移住した外国人は前年より38%増の40万人に達した。


好調な経済にひかれて欧州連合(EU)域外からも人材がドイツをめざしてやってくる。


彼らがもたらす知識と発想が、ドイツ経済のさらなる牽引(けんいん)力になっている。優勝したサッカーのワールドカップ(W杯)で主軸を担ったのも移民やその子供たちだ。


 民族国家としての意識が強く、「移民国家ではない」(コール元首相)という原則を掲げてきたドイツが、「国のかたち」を大きく変容させる大転換に踏み切ったのはなぜか。


 少子化対策、競争力維持という要因はたしかに大きい。だがジュスムートさんがむしろ強調したのは、安価な労働力として外国人を受け入れながら、法的な権利を認めず、ドイツ社会の外側へと追いやってきたことの矛盾だ。


 ドイツには00年、人口の1割近い730万人の外国人が住んでいた。彼らが集中して暮らす地域が貧困や非行の温床になり、ネオナチの外国人襲撃が社会問題になった。ジュスムートさんの委員会が翌年、ドイツ語教育など外国人の社会統合を提言したのは、「彼ら」から「われわれ」に組み入れた方が社会の安定につながると考えたからだ。「移民国家」は理想主義ではなくリアリズムに基づいた選択だった。


 私が見学したドイツ語教室ではイラク、ブラジル、タイなどから来た若い母親10人が学んでいた。託児所があり休憩時間には子供をあやす。外国人女性は家に閉じこもりがち。男性と学ぶことに抵抗感を示す女性もいる。そんな指摘から女性専用の教室が増えている。ドイツ社会が移民国家に納得するまで時間がかかった。


そして今もなお改善への試行錯誤が続く。


 日本も人口減対策から外国人技能実習制度を拡大する方針だ。だが政府は「移民は考えていない」という。


 私たちが受け入れるのは単なる「労働力」ではない。家庭を持ちたい、安全な環境で暮らしたい。そう願う生身の人間だ。アジアの国々が軒並み少子化へとかじを切り、人材争奪戦が激しくなる時代、自分たちの「居場所」がない国にわざわざ行こうと考える人はどれだけいるだろう。


 移民の存在を前向きに考えて。ジュスムートさんはそう説いた。私たちの「心の開国」もまた、問われている。


 ◆キーワード


 <ドイツの移民法>


 社会民主党のシュレーダー政権は00年、ジュスムートさんを委員長とする独立委員会を設置。同委は01年、移民の受け入れ拡大と統合政策を提言。これを受けた移民法が04年に成立、翌05年に施行された。移住手続きが簡素化されたほか、ドイツ語教室(現在は最長900時間)の受講が定住希望者に義務づけられた。女性に対する迫害を理由とする難民の受け入れも認めた。高度技術者や自営業に門戸を広げた半面、保守系政党からの要求で、単純労働者は制限され、テロ対策強化も盛り込まれた。

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