空飛ぶ畳

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子供の「いじめ」問題について考えてみた。

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どうもカッパ三太郎です。

 

親の子供の悩みのひとつでもある「いじめ」問題についてちょっと考えて見ました。子供の「いじめ」については基本的には「いじめられる側」を気にする親が多いと思います。まさか自分の子供が「いじめる側」になるとはあまり思っていないのでは?うちの子に限って・・

 

今日の記事は、どうすれば自分の子供がいじめに会わないか?という話ではなく、自分の子供がいじめる側になるかも?って話でもないです。

 

ただ子供のいじめ問題はいつどんなときにやってくるかわかりません。もちろんいじめに会っても、やり返してこい!とは言わなくても、相手に負けずに強い子供に育ってほしいと思うかもしれません。

いじめられないように、何か格闘技などを習わせるのもいいかもしれません。(ん?これって集団的自衛権に似てるな)

 

「いじめ」は無くならない

なんだかんだいって、いじめって無くなることはないと思います。この世に戦争がなくならないのと同じです。

むしろ昨今はいじめの範囲(年代)が膨らんでいるようにも感じます。下は小学校低学年ぐらいから、上は大学生や社会人に至るまで。

昔からもあったのかもしれませんが、いじめのその質や範囲はきっとひどくなっていると思うのです。

それは心がともなっていない早熟性(変な知識のみ成熟して)と、いつまでも大人に成りきれない大人たちが増えているからです。

つまり人生における子供(大人に成りきれていない)の期間が長くなっているということです。

少し話しがそれましたが、大人は「いじめ」は無くならないという前提で子供を教育するべきということです。

 

「いじめ」を庇う側に教育する

私が思ったのは、自分の子供がいじめられるのも嫌です。いじめる側も当然嫌です。当たり前ですよね。

だったら学校などでいじめ問題があった場合に、子供にはどういう態度をとってほしいか。ということです。

そう考えると、やはりいじめられている子を助けるような、強くてやさしい子に育ってほしいです。もちろん親の希望なのでそうするかは子供が判断すればいいことです。

 

いじめられている子供を庇う。これはとても勇気がいることだし、逆に自分がいじめの標的になるリスクもあります。ですので別に正義の味方のように助ける必要もありません。ただそっと手を差し伸べられるようになってほしいと思うのです。

例えば・・

  • 一緒になっていじめに同調しない
  • 「かわいそう」「何とかしたい」と思うだけでもいい
  • いじめられた子にやさしく声をかける
  • そっと先生に報告できる

こんなことでも十分だと思うのです。その場で助けるなり先生を呼んでくるなり出来ればよりいいかもしれませんが、昔と違っていじめも陰湿になってきたのでやはりリスクはあります。

 

このような教育は親の稟とした態度で、子供に教えていくしかありません。子供の性格によっては難しい場合もあるでしょう。ですので親の無理強いはもちろんダメです。あくまで親の考え程度の教えでいいのかもしれません。

 

 

最後に

いじめ問題で大切なのは、いじめを無くそうとすることではなく、いじめる側を罰するだけでもなく、

「いじめに会った時にどう対処するのか?」

ということだと思うのです。

いじめを無くそうなんてアホな空論と理想ですよ。だから世の中変な方向にすぐに向いてしまい論点がずれてしまうのです。

そうではなくて、いじめに会った時に子供はどう対応できるのか?それを教えていかなければなりません。

 

きちんと親に報告できる親子関係が築けているか

親は子供の様子を敏感に察知できるか

子供に相談された時に子供にとって適切な助言が出来るか

 

こういったことが親子間で出来ないと、いじめにより最悪な展開になってしまうかもしれません。最悪な展開になってしまった子供は、やはり相談できる相手がいない、親ですら入っていないのかもしれません。子供が孤独になってしまったらもう逃げ場所がないのです。

 

今日の記事で書いた内容は、「いじめられた子供を庇う」ような子に育ってほしいということです。

そして最後に「いじめに会った時の対処」について書きました。

 

でもやっぱり難しい問題かもしれませんね。

当事者になってみたら・・・