川内原発:「合格」判断に「福島も安全と言われていた…」

毎日新聞 2014年07月16日 21時25分(最終更新 07月17日 01時23分)

父の遺影を持って実家の庭を見つめる秀一さん。芝生だった庭は除染で土がむき出しになった=福島県川俣町山木屋で2014年7月6日、中里顕撮影
父の遺影を持って実家の庭を見つめる秀一さん。芝生だった庭は除染で土がむき出しになった=福島県川俣町山木屋で2014年7月6日、中里顕撮影
福島県川俣町山木屋地区と福島第1原発
福島県川俣町山木屋地区と福島第1原発

 東京電力福島第1原発事故で、いまだに12万人以上が避難生活を続ける中、九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県)が再稼働に向けて動き出す。原子力規制委員会は16日、安全対策について「合格」との判断を示したが、避難中に父を失った福島県川俣町の大内秀一(ひでかつ)さん(65)は納得できない。「福島も安全と言われていたのを忘れたのか」。多くの県民が抱く共通の思いだ。

 川俣町山木屋地区。夜間の滞在がいまだにできない避難指示解除準備区域内の自宅で、秀一さんは今年5月に死亡した父佐市(さいち)さん(当時84歳)の遺影を手に、これまでの避難生活を振り返った。

 亡くなった父は1945年、原爆投下直後の広島市に、けが人を手当てする衛生兵として入った被爆者の一人。戦後は古里の川俣町に戻り農業を営んだ。2008年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、ほぼ寝たきりになり、会話ができなくなった。そして、福島第1原発事故で放射能汚染に再度さらされた。

 秀一さんは放射線量が比較的低い町内の借り上げ住宅に避難し、父は特別養護老人ホームに入所。「生きているうちにせめて墓参りをさせてあげたい」と、築43年の自宅に初めて父を連れて一時帰宅したのは原発事故から2年たった13年春だった。「父ちゃん、家に着いたぞ」。そう語りかけると、父は大きくうなずいたという。今年5月、体調が急変して福島市内の病院に入院。秀一さんが「家は守り続けるから」と約束すると、父は目を細めてうなずき、数日後に心不全で息を引き取った。

 自宅の周囲は田んぼや山林が広がる緑豊かな土地だった。現在は黒い化学繊維の袋が山積みされ、中には除染で生じた汚染土などが詰まっている。通夜までの3日間、秀一さんは父の遺体と自宅に戻り、一緒に時を過ごした。

 「父の最後をこんな風景で迎えさせたことが残念だ。原発の安全性をいくら強調しても、自然はその上をいくということを東日本大震災で学んだはずではなかったのか」

 原発再稼働に向けた手続きが進む中、秀一さんは、放射能に翻弄(ほんろう)され続けた父の思いを代弁した。【中里顕】

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