大妻講堂の入り口に立つ大妻コタカ先生像=東京都千代田区の大妻女子大学千代田キャンパスで
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今年完成の本館をはじめ、再開発工事の進む東京都千代田区の大妻女子大学千代田キャンパス。一角の大妻講堂の入り口に創立者(学祖)大妻コタカ(一八八四〜一九七〇年)の銅像がある。
コタカは現在の広島県世羅町の生まれ。十七歳で上京して和洋裁縫などを学んだ。結婚して大妻姓(旧姓熊田)となり、裁縫・手芸を教える家塾を開き、のちの大妻技芸学校などを経て、大妻女子大学へと発展させた。
学校開設時から「恥を知れ」を校訓として良妻賢母教育を掲げた。現代では古風に受け取られかねないが、コタカは、女性が学び、社会に役立つ力を身につけることが女性の自立につながる、との考えだったという。
女性が高等教育を受けることが容易でなかった時代だけに、コタカは、働く女性のための夜学校の開設や、地方の人のための講習会の開催、講義録に基づく通信教育にもいち早く取り組んだ。それだけにすぐに役立つ実学を重視した。
コタカは学内に寄宿舎を設け、生徒や学生らと生活を共にして日常的な礼儀作法などを教えた。
教え子でもある大妻コタカ記念会会長の井上小百合さん(65)は「先生はよき妻、よき母と同時に、よき社会人であること、を強調された。校訓の『恥を知れ』は厳しく自らを律する戒めとなっている」と話す。
キャンパスに近い同大図書館棟にある大妻女子大学博物館では、一途に女子教育にまい進したコタカの生涯を写真やゆかりの品で紹介している。
出身地の世羅町には、コタカが学校長となって郷里に設立された甲山(こうざん)高等技芸学校(のち大妻女子専門学校、一九八一年閉校)の卒業生らが中心となって組織した大妻コタカ先生顕彰会がある。会長は奥田正和町長が務める。コタカは同町の名誉町民である。
ダムの開発に伴って沈むことになった生家はダム湖畔に移築され、一部は食事処となっている。敷地内にコタカの胸像が立つ。
顕彰会副会長で大妻女子短大卒業生の伊藤妙子さん(75)は、学長だったコタカの自宅で起居を共にした。「厳しいが、細かなところによく気がつかれ、生きていく素地を築いてくださった」と言う。
今年一月には同町の中学生が修学旅行の折、大妻女子大学を訪ねた。奥田町長も昨年大学を訪れた。「私利私欲ではなく、生徒を第一に考えるコタカ先生の精神を、今後も町として継承していきたい」と話す。
<お国言葉>
いけん(駄目)いなげな(妙な)いらう(触る)おらぶ(叫ぶ)〜けん・〜け(〜だから)さげる(持ち上げる)〜じゃけ(〜だから)〜じゃろ(〜でしょ)すいばり(とげ・針)たいぎ〜(疲れた)たう(届く)たちまち(とりあえず)なおす(片付ける)はしる(激しく痛む)はぶてる(ふてくさる)ぶち(本当に)みてる(なくなる)めげる(壊れる)〜よる(〜している)
<大妻女子大学千代田キャンパス> 東京都千代田区三番町12。大妻学院本部。家政学部と文学部(2〜4年次)、短期大学部。広報戦略室=電03(5275)6159。同大学博物館は図書館棟地下1階。木・金・土曜のみ開館。入場無料。博物館=電03(5275)5739。
<世羅町> 2004年に広島県世羅郡の甲山、世羅町、世羅西町が合併して新しい世羅町に。人口約1万8000人。町内にある県立世羅高校は、男女とも駅伝の強豪校として知られる。町役場=電0847(22)1111。
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