第一次大戦100年:祖父の遺骨、昨年確認 浮かぶ面影
毎日新聞 2014年07月17日 21時52分(最終更新 07月18日 04時05分)
第一次世界大戦の激戦地フランス北部ベルダン。1916年に仏独両軍の兵士30万人以上が命を落とした戦場跡で昨年、26人の遺骨が97年ぶりに見つかった。遺骨から身元が判明した一人、ジャン・ペイルロングさんの息子は終生、娘とともに父の消息を探し求めていた。父親と同様、戦争に翻弄(ほんろう)された人生だった。【フランス北部ベルダンで宮川裕章】
仏南西部で農業を営んでいたジャンさんは14年8月、33歳で招集され前線に送られた。休暇許可が出ると妻が待つ家に帰り、2人の息子が生まれた。死亡は2年後。家族に届いた国家表彰には「第49歩兵連隊 ジャン・ペイルロング 1916年5月、フランスのために死去」と書かれていた。戦後、ジャンさんの妻は再婚。遺品も写真も残っていない。
次男のレオンさんは娘のジョゼット・モレルさん(68)を連れて各地の戦場跡周辺の墓地を訪ね歩き、顔も知らない父の名を無数の墓標から探し続けた。レオンさんは父親の亡きがらに会うことなく、96年に他界した。この間、第二次世界大戦で出征。独軍の強制収容所で辛酸をなめた。
ジャンさんの遺骨が見つかったのは昨年5月31日。雨で地面が緩み、露出した遺骨の腕などに付いた軍の識別票から身元が判明した。ジョゼットさんらが駆けつけると、50柱ほどの遺骨が台に並べられていた。祖父の頭蓋骨(ずがいこつ)には弾痕があった。大戦当時、激戦地ベルダンは「1平方センチごとに砲弾が降り注いだ」と言われた場所だ。
戦場跡近くの墓地には今、約1万6000人の兵士が眠る。昨年12月、ここにジャンさんの遺骨も埋葬され、白い十字架が立った。ジョゼットさんは父レオンさんの墓前に報告した。「お父さん。あなたのお父さんがようやく見つかりました」
「私の中で第一次大戦に一つの区切りがついた。だが、すべてが終わったわけではない」とジョゼットさんは言う。二つの大戦を経て、欧州では欧州連合(EU)が生まれ、仏独両国は友好関係を築き上げた。それでもジョゼットさんは、世界に平和が訪れる確信が持てない。「イラクではイスラム過激派が勢力を拡大し、宗教を巡る対立は絶えない。経済競争、資源を巡る争いもなくならない」
大戦の傷痕は100年後の仏社会にも残る。130万人を超える仏兵が死亡したが、約2割の遺体は今も見つかっていない。ジャンさんとともに出征した2人の弟も行方不明のままだ。