われわれ、SNAPSE Lab.へのインタビューをきっかけに、しばらく不定期の連載をさせていただくことになりました。
僕たちの活動は、いわゆるサイエンスコミュニケーションという枠組みの中で始まり、科学を伝えるための活動をしています。インタビューを読んでいただいた方には僕たちがどんなことをしたいのか、だいたい伝わったのではないかなぁと思います。
しかし、記事の中ではあまりサイエンスコミュニケーションの説明を深くはしませんでした。そこで今回は、多少、サイエンスコミュニケーションの歴史的な経緯にも触れながら、なぜこういう活動が必要なのか、今後どうしていくべきなのかについて、初心に立ち返る気持ちで考えてみたいと思います。文章の内容としては、以下のような流れです。
サイエンスコミュニケーションとはどのようなものか
1. 対話の場としてのサイエンスカフェ- 子育て研究を例に
2. 受け取ることのモデル: 理解するとはどういうことか
3. 歴史的背景から生まれた伝えるためのカタチ・サイエンスカフェ
現状の課題:他の分野との比較
4. 伝えるためのカタチは、もっと多様であるべきではないのか?
5. 枠を越えられない問題 –科学コミュニケーションだけではない問題
6. 二項対立型の対話からネットワーク型コミュニケーションへ
僕たちメンバーが出会う以前は、それぞれ別々の活動や仕事をしていました。結成前には、サイエンスコミュニケーションのイベントでもっともポピュラーな形式であるサイエンスカフェなどを、僕ら一部のメンバーも運営したり、そういった場所で話題提供者として喋ったりしていました。
最近では、サイエンスカフェに関わることがめっきりなくなっていたのですが、昨年末、久しぶりにサイエンスカフェに参加しました。まずは、サイエンスカフェがどういうものかを紹介して、そのことを通してサイエンスコミュニケーションという活動について知っていただければと思います。まずは参加したそのサイエンスカフェについてお話させて下さい。
1. 対話の場としてのサイエンスカフェ- 子育て研究を例に
2013年12月20日、小雨がぱらつく午後、「プレ子育ての科学」というイベントが慶應義塾大学三田キャンパス内のカフェにて開催されました。マウスを用いた母仔関係の神経メカニズムや人とロボットを対象に愛着形成メカニズムの研究に取り組むSYNAPSEメンバーのおかべしょうたが講師として招かれ、僕(菅野)も参加者の1人としてイベントに参加させていただきました。
このイベントは、サイエンスカフェ形式で行われています。サイエンスカフェはサイエンスコミュニケーション・イベントのもっとも典型的なスタイルとして全国的に開催されていて、主催団体もさまざま。研究機関が主催することもあるし、サイエンスカフェを主たる活動とする任意団体も多く存在します。独立行政法人 科学技術振興機構(JST)が運営するサイエンスポータルにも沢山告知されています。
今回参加した「プレ子育ての科学」の主催はpeek projectさんです。peek projectは一般社団法人 学術コミュニケーション支援機構の活動の一つ。根拠が不確かで<神話的>な子育ての言説に不安を感じる子育て世代を主な対象として、子育て研究に関わる研究者を囲んで参加者が語り合う場を作っています。目的の一つは、既存の子育て観とは異なる<考え方>を学び合うこと。また、科学の先端分野には未だはっきりとは解明されていない多くのグレーゾーンがあるということを共有し、そのような事柄にどのような姿勢で対応するべきかを語り合うための場でもあります。
さらに、このプロジェクトにはもう一つの意図があります。未婚者や子育てをまだしたことがない学生などの若者世代を参加者として迎えることで、子供を持つ前から子育てについて考える機会に出会うきっかけを広めていこうというものです。その理念に非常に共感しました。
実際にこれまで、peek project主催の高梨和紗さんは高校で子育てに関する授業なども企画していて、精力的に活動をしておられます。このような場を、子育て中、もしくは、子育て前に共有し、子育てに関する価値観・考え方との出会いを創出することは「女性にとって、将来のさまざまな可能性を探ることにも繋がる」と、peek projectの岡島礼奈さんは仰っていました(いみじくも、今回の講師であるおかべと筆者(菅野)も「前子育て世代」になります)。
どのような内容をおかべが話したのか、それはそれで重要なのですが、長くなるので、その内容はイベントレポートとして、SYNAPSEのサイトに掲載させて頂こうと思います[*1]。
今回のサイエンスカフェは運営者2人、われわれSYNAPSEメンバー2人、参加者のお母さんが3人で、計7名。イベントとしては小規模ですが、直接対話が出来るところがいい点です。
テーブル2つを囲むように座り、それぞれお子さんを抱きながら、和やかにお話をしました。ときおり、私達も抱かせてもらったりして、久しぶりに赤ちゃんと接することができました。おかべが話題提供をしている間にも、哺乳瓶のミルクを一気に飲み干したり、泣いたり、笑ったりする赤ちゃんを眺めながら会話をする、非常にリラックスしたお茶会のようなひとときです。
おかべから2枚ほど、図などが入ったレジュメを配り、お互い自己紹介をしてから、そのまま、子育て研究の話題へと自然に移ります。まずは子育て研究の歴史、動物の研究やホルモンの知見の紹介。最後に、母性というものが子との触れ合いの中で発達し、親と子が相互に影響し合うことで愛着が形成されていくと、話をいったん締めくくりました。
会場のカフェは、一見非常に高級感が漂う空間ではあるものの、とても落ち着いた雰囲気で子供連れにも優しく、店員さんの対応も親切で、写真を撮ってもらったりもしました。まわりのお客さんも、学問の話をしたりビジネスの話をしたり、サロンのような空間の中に、ゆったりとした時間が流れているように感じます。お母さん達のバックグラウンドは金融やコンサル、元大学院生など。お仕事の話や、旦那さんの話、子育て生活についてなど、いつのまにか科学の話題を離れて世間話をしていました。こちらが話に行ったはずなのですが、未婚の私たちにとっては興味深い話ばかりで、ついついいろいろ聞いてしまいました。
最近では、さまざまなところで子育てに関するセミナーも開かれているそうで、そういったところでいろいろな知識を得たり、いろいろな人と知り合ったりするそうです。反面、そういうところに行き過ぎると、家事やプライベートワークをする時間がなくなったりするのが悩みとのこと。また、セミナーによっては、参加者を「無知なもの」として扱っているような印象を受けるものもあり、ときおり違和感を感じることもあるとのことでした。
日中、お母さんどうしで子育てを分担することで、プライベートワークや家事をする時間をつくり、情報交換や勉強会もするようなシェアスペースなどの必要性も話題に上がりました。漠然とお母さんと一緒くたに表現してしまいますが、職能やバックグラウンドはさまざまなので、お母さんという共通点を介して集まった人々は、多様性に富んだ非常に新しいチームになる可能性もあるのではないか、などと思いながら話を聞いていました。
さて、このような雰囲気で行われたサイエンスカフェですが、本題である科学の内容を伝える際に恐いのは、その解釈が受け手の側に多分に依存し、誤解を与える点です。しかも、科学とはある種の権威性を帯びているが故に、その誤解はやっかいなものになります。例えば、かつて「ある発達障害の原因は親が冷徹なことである」という学説が提唱されたため、障害を持つ子供の親にとっては非常につらいものがあったといいます(現在ではこの学説は否定されています)。
親との関係性が子の行動傾向に影響するという知見が動物とヒトを対象とした研究で存在し、それは確かかもしれませんが、子を持つ親にとっては、自分の子育てが「正しい」のかどうか、不安を与えかねないという側面もあります。実際、サイエンスカフェ当日もこの内容の話を聞いて「ちょっと不安」とおっしゃる方もいました。
哺乳類では約90パーセントの雄が子育てに関与しません。そのため、このような、ある種の事実を根拠に、女性に社会的役割として子育てを「強要」するような思想を持つ人もいるかもしれません。しかし、「AはBである」という科学的な観察結果は、「AはBであるべきだ」という価値判断を含んだ結論には直結しません。科学的事実をふまえることは重要な判断材料ではありますが、そもそも、科学では価値を付与することはできず、「べき」論は科学の範疇ではないのです。これは、社会や個人の意思・決断でしかなされません。
科学的事実を、そのまま「そうあるべき」と直結させてしまうことを自然主義の誤謬と言います。また、科学が深く関わるが、科学や科学者だけでは決断出来ない社会的な問題をトランスサイエンスの問題といい、そのようなことに対処するために必要な「科学と社会の対話」を円滑にすることが、サイエンスコミュニケーションの使命の一つでもあります。
サイエンスカフェの良いところは、直接対話であるが故に、プレスリリースやメディア報道と違って、その場で思ったことを語り合い、疑問や誤解に答え、非研究者である参加者からフィードバックをもらえることです。実際、このサイエンスカフェでも参加者のお母さんからは「子育て研究に男性(父親)を被験者とした研究が少ないのではないか?」と質問されました。そして、そういう研究が少ないことが、子育てにおける父親の役割が社会に浸透しない間接的な原因にもなるのではないか、と。
この指摘は鋭いところを突いています。養育研究における雄と雌の研究どちらが多いか、その統計を僕は持ち合わせていないのですが、確かに、動物も含めた養育研究では、雄のデータは少ないように感じます。また、一般的な生物医学研究ではかなりの部分が雄や男性を対象として行われており[*2]、このバイアスは是正しなければいけない問題です。ですが、そういう要望がフィードバックされる体験は初めてだったので、日頃から雄と雌の両方の研究をしている僕ら(菅野とおかべ)にとっては、その姿勢に「一般市民」が共感してくれることに、ちょっと喜びを感じたりもしました。
このように、サイエンスカフェ、もしくは、直接的な対話は、非研究者が研究者に要望を伝える機会でもあり、科学に関する市民の社会参加のあり方として、重用視されています。また、科学を伝える際には、伝える側も社会の文脈をしらなければならないと指摘されています。つまり、サイエンスコミュニケーションでは、科学者と一般市民の間での双方向性が重視されているのです(故に啓蒙ではなくコミュニケーションという言葉が使われています)。そして、そのような双方向的な対話を可能にする一つのカタチとして、サイエンスカフェが提案されたという、ある種歴史的な経緯があります。今回のサイエンスカフェは、双方向性という点において、理想的なものが実現されていたと感じています。
では、なぜこの様な双方向性を重視したサイエンスコミュニケーションが生まれたのか、次はその歴史的経緯を少しお話させて下さい。
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