防災基礎講座
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18. 巨大噴火による火砕流は自然災害中で最大の被害を引き起こす可能性がある
1991年雲仙岳火砕流,1991年ピナツボ火山噴火,1902年プレー火山噴火など

火砕流は最も危険な噴火現象
  九州・島原半島の雲仙岳は,死者1.5万人という日本で最大の火山災害を起こした1792年の噴火活動の後,およそ200年間ほぼ休眠状態にあったのですが,1990年11月に噴火を再開しました.91年の5月下旬からは山頂部東端に成長した溶岩ドームの崩落による火砕流が発生し始めました.6月3日には山頂から4.3kmにまで到達した火砕流が生じ43人が亡くなりました.溶岩ドームは成長を続けたので火砕流は引き続き発生して,その回数は94年の噴火終息までにおよそ1万回に達しました(写真18.1 雲仙岳の火砕流).火砕流による住家焼失・全半壊は合計で269棟でした.このような溶岩ドーム崩落による火砕流の規模は小さいのですが,火口から立ち昇った噴煙柱が崩れ落ちて生ずる火砕流は規模が大きくなり,巨大規模の噴火では到達距離が100kmを超えます.火砕流は高温かつ高速で長距離流動するので大きな被害を引き起こします.20世紀における死者1,000人以上の火山災害11件中の8件は火砕流によるものでした.死者の総数では火砕流が全体の60%でした.カリブ海の小島マルチニーク島にあるプレー火山の1902年火砕流は2.9万人の死者をだし,火砕流災害の代表例となっています.1991年のフィリピン・ルソン島のピナツボ火山噴火は1900年以降における最大級の規模で,大火砕流を発生させたのですが,事前の避難により人的被害はわずかでした.

  高温の火山ガスや空気と火山灰・溶岩片などの火砕物とが一体となって高速度で運動するのが火砕流です.固体の火砕物が濃集した本体部の温度は600~700℃にもなり,噴煙(灰かぐら)を高く噴き上げながら時速100kmもの高速で,周囲に高温熱風(火砕サージ)を伴い突進してくるので,非常に大きな脅威になります.火砕流には大きく分けて,噴煙柱崩壊型と溶岩崩落型とがあります(図18.1 火砕流のタイプ).火口から上方に 噴出した直後の火砕物とガスとの混合物は,周辺の空気よりも大きな密度をもっています.噴出の速度が十分な大きさでないと,この混合物は一旦噴き上がったものの浮力が得られず失速したような状態になり落下してきます.こうして生じた噴煙柱崩壊型の火砕流は,高い尾根も乗り越える厚い高速・高温の流れとなって火山周辺に広がります.噴出した大量の火砕物は広大な火砕流台地をつくり,それが抜け出た跡は陥没してカルデラになります.南九州のシラス台地は姶良カルデラ(鹿児島湾)の周囲50kmの範囲に広がっています.溶岩崩落型の火砕流は,急斜面上部に成長した溶岩のドームが崩壊し,溶岩塊が斜面上を転落していく間にさらに細かく粉砕されて内部から高温ガスが噴出し,溶岩片や火山灰と一体になって流動するものです.これは規模が小さく(体積が一般に100万立方m以下),その運動は地形に支配されやすく主として谷間を流下します.このタイプの火砕流は,頻繁に生じているインドネシア・メラピ火山の名をとってメラピ型とも呼ばれます.雲仙岳における火砕流はこのタイプです(写真18.2 溶岩ドーム崩落による火砕流).

1991年の雲仙岳火砕流
  雲仙岳では,1990年7月から火山性微動が観測され,11月17日に水蒸気爆発が起こりました.91年5月23日には最初の小火砕流が発生しました.山頂溶岩ドームの成長とともに火砕流の流下距離は長くなり,26日には2.5kmに達しました.火砕流に対する最初の避難勧告はこの26日に出されました.6月3日,到達距離4.3kmの火砕流が生じて,東面の水無川の最上流集落(北上木場)付近などにいた43名が主として火砕サージに巻き込まれて犠牲になりました.火砕サージとは,火砕流本体部の周りを包み本体に先行する高速の熱風部分で,少量の火山灰を含みます.到達距離は6月8日には5.5km(全期間中のほぼ最大)に達しました.このように発生開始当初に火砕流の規模は日を追って大きくなっており,それを見越した警戒が必要でした.流下方向は最初は東面の水無川方向でしたが,谷上部の埋積が進んだことにより,8月半ばには北面のおしが谷にも向かうようになりました.

 溶岩ドームは成長を続け,92年5月には本峰の標高(1,360m)を超え,94年4月には1,494mの最高標高に達しました.94年7月には最後の第13ドームが出現し,95年2月に成長をほぼ停止しました.溶岩の総噴出量は2億立方mで,その約半分が崩落して火砕流に転化しました.火砕流の総発生回数は,火山性地震に比べ継続時間の非常に長い震動や低周波の空気振動の観測から,9,425回とされています.うち被害を伴ったものは6回です.この噴火が爆発的ではなくて溶岩ドーム成長という噴火様式をとったのは,火道内においてマグマからのガス成分の脱出・分離が効率的に行われたことによるものでした.火山泥流は91年5月半ばから発生し,総発生回数は124回でした.その流動・堆積域は火砕流堆積域の先に接続するように分布します.泥流による被害は住家全半壊526棟,浸水536棟などでした(図19.2 雲仙岳1990~93年噴火による火砕流と土石流).

世界の火砕流災害
  20世紀最多の死者を出した火山噴火災害は,1902年5月8日にカリブ海のプレー火山(1,397m)における火砕流によって生じました.この火砕流は,火道内のガス圧が高まり成長中の溶岩ドームの根元から横方向に爆発的な噴火が生じたことによるもので,プレー型と名づけられました.体積は500万立方m足らずの比較的小規模でしたが,山頂から6km離れたサンピエール市(人口2.8万人)が,運悪く火砕流側面の火砕サージ域に掛かったので,全滅しました.生存者はわずか2人でした.港に停泊していた18隻の船は,海面上を走ってきた火砕サージに襲われて沈没しあるいは破壊されました.これに先立って多量の降灰,泥流,火砕流が引き続き発生していたのですが,パニックを恐れて市外・島外への脱出を制限するような措置が取られたことなどのため,このような大災害に至ったようです(図18.3 プレー火山の1902年火砕流).

  モンプレーの大災害の前日に,南に200km離れたセントヴィンセント島のスフリエール火山(1,234m)が,噴煙柱崩壊型の火砕流を起こし,島の北半分を埋めました.この火砕流はスフリエール型と呼ばれました.島内での最大到達距離は10kmでした.風下側(西側)では避難が行われていたこともあって,死者は1,327人でした.メラピ型とも呼ばれる溶岩ドーム崩落型火砕流は,インドネシアのメラピ火山(2,911m)において頻繁に発生しています.この山頂火口は大きく南西方向に開口しているので,火口内に成長してきた溶岩ドームは常に南西方向に崩落して火砕流を発生させています.最近では1~5年おきに噴火を繰り返しています.1994年には火砕サージにより60人が亡くなりました.

  フィリピン・ピナツボ火山の1991年噴火は,20世紀で最大級の規模でした.この火山に噴火の記録は無かったのですが,4月初めから活動活発化の兆候が認められるようになりました.東麓には東アジアで最大の米軍基地があったので,80年セントヘレンズ火山と85年ネバドデルルイス火山の噴火の経験を踏まえて,米国地質調査所がフィリピン火山研究所に協力して,観測,ハザードマップ作成,警報・避難の呼びかけなどを行いました.6月15日には最大の噴火が起こり,噴煙柱崩壊型の大火砕流は100平方kmを埋め,山頂から20kmのところにまで到達しました.しかし事前避難により火砕流による死者はわずかでした.同時に起こったプリニー式噴火の噴煙は40kmの高さに達し,大量の火山灰を降らせました.折悪しく台風の雨が降ったので降下・堆積した火山灰は重さを増し,4.2万戸の家が押し潰されました.公式発表の死者359の大部分は家の倒壊によるものでした.被災域は広大で罹災者は120万人に達しました(図18.4 ピナツボ火山噴火による火砕流の堆積範囲).

巨大規模火砕流
  史上最大の噴火は1815年のインドネシア・タンボラ火山の火砕流噴火で,噴出物の総量は100~150立方kmという巨大なものでした.なお,噴出物量1立方km以上が「大規模」に分類されています.桜島火山の体積は40立方kmです.この火山は半島の先端にあるので火砕流は周囲の海に流入し,急速水冷による溶岩片の粉砕によって多量の細粒火山灰が生産され,これを含む直径40kmの巨大リング状噴煙が立ち昇りました.周辺500km以内は闇夜の状態が3日続きました.多量の降灰により農作物は壊滅したために,8万人の餓死者が出ました.火砕流の直接の死者は1.2万人でした.この噴火により山頂高度は4,300mから2,850mに低下し,直径6km,深さ1,100mのカルデラが出現しました(図19.5 タンボラ火山のカルデラ).タンボラ火山では1815年以前の噴火は知られていませんでした.この噴火は長期間の休眠の後大噴火を起こした典型例とされています.

  約7,000年前,九州の薩摩半島南方50kmの鬼界カルデラが噴出物総量150立方kmの巨大火砕流噴火を行い,その到達距離は100kmに達しました.急速水冷による大量の火山灰(アカホヤ)は広範囲に降下し,九州南部では50cm以上に堆積しました.これによって縄文文化に断絶が生じたとされています.2.2万年前の姶良カルデラの火砕流は,南九州の広大なシラス台地として残っています.7万年前の阿蘇カルデラの火砕流は山口県にまで到達し,火山灰は本州全域を厚く覆いました(図18.6 日本における巨大火砕流噴火および阿蘇カルデラ).このような巨大火砕流は日本において1~2万年に1度ぐらいの頻度で起こっており,九州全域が壊滅するといったような破滅的な災害をもたらす可能性があります.大規模火砕流の発生を十分な時間的余裕をもって予知することは現在のところ不可能です.

火山噴火への対応
  火山噴火は,数がごく限られた活動的火山においてのみ発生し,大量の熱エネルギーによる山体内部からの激しい変動です.このような性質の危険を相手にする場合,敬遠方策が基本の対応とならざるを得ません.火山体域におけるハードな方法での抵抗は基本的には無意味です.噴火予知により一時的に危険を回避するという方法には,噴火活動の推移の予測がとりわけ難しくて,避難対応が非常に長期化する可能性が常にある,という問題がつきまとっています.噴火の危険への接近の程度を示す簡単な指標に,頂上火口との比高とそこからの水平距離との比,すなわち仰角を示す値があります.日本の火山における集落でこの仰角が最も大きいのは,桜島西岸の温泉・農業集落と雲仙岳東面の農業集落(北上木場地区)です.距離が最も近いのは,2000年噴火で被災した有珠山北面の洞爺湖温泉街です.火山島や温泉集落については接近せざるを得ない理由はありますが,雲仙岳のような場合には果たしてどうでしょうか(図18.7 危険火山に近接する集落の接近度).

主要参考文献
荒牧重雄ほか(1995):空からみる世界の火山.丸善.
土質工学会(1993):雲仙岳の火山災害.
金子史朗(1974):世界の大災害.三省堂.
金子史朗(2000):火山災害.古今書院.
兼岡一郎・井田嘉明(1997):火山とマグマ.東京大学出版会.
気象庁(2002):平成3年(1991年)雲仙岳噴火調査報告.気象庁技術報告第123号.
Schminche,H. (2004): Volcanism. Springer. 

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