歴史資料館:防空壕を再現…前橋で空襲の恐怖語り継ぐ
毎日新聞 2014年07月16日 21時57分(最終更新 07月16日 22時28分)
前橋市住吉町2の「あたご歴史資料館」前に、戦時中に使われていた防空壕(ごう)が地域住民の手で再現された。前橋市中心部で大きな被害を出した前橋空襲から8月5日で69年。戦争を経験した住民たちは「命の尊さを考え、語り継ぐきっかけにしてほしい」と話し、見学を呼びかけている。【塩田彩】
あたご歴史資料館は住吉町2丁目の住民が運営する地域資料館。付近は前橋空襲で最も激しく燃えた地域のひとつで、資料館には当時の焼夷(しょうい)弾も展示されている。防空壕の再現は、市が19日から市内中心部で企画する「まえばし・戦争を考える展」の一環。当時を知る住民が総出でアイデアを出し合い、7月1日から2週間かけて完成させた。
再現した防空壕は家庭用で、高さ約1.6メートル、幅約1.8メートル、奥行き約2.5メートル。木製の基礎に外側をモルタルで塗り固め、木製の扉を付けた。深さ40センチほどの半地下に5〜7人程度が入れる。実際に入ってみると、風が通らないため予想以上に蒸し暑く、扉を閉めると真っ暗。当時はろうそくを使用していたというが、周りの状況が分からず、空襲警報や爆音が聞こえる中、暗闇でじっと身を潜めなければならない恐怖は想像を絶した。
前橋空襲では市街地が焼け野原になり、一晩で1万1518戸が被災、死者は535人に上ったといわれている。資料館学芸員の原田恒弘さん(76)によると、当時の防空壕は、木造の基礎を土壁で覆っただけのものが多く、街中が火の海となる中、内部に煙が入り酸欠状態になったり、木造部分が燃え、崩れた壕の下敷きになったりして、死亡した人が多くいたという。資料館近くにある広瀬川の比刀根橋付近には当時、公設の大型防空壕が造られ「頑丈な良い防空壕だ」と地域住民に歓迎された。しかし、前橋空襲では激しい炎に巻かれ、中に避難した多くの人が死亡した。原田さんはその壕で生き残った一人。「平和や戦争という言葉だけでなく、体験することで伝わるものがある」と話した。
「まえばし・戦争を考える展」は19日から8月19日(一部16、17日)まで。市役所や前橋文学館、市立図書館などでさまざまな企画展が開かれる。市文化国際課は「来年は戦後70年。前橋市中心部の広瀬川沿い一帯を『戦争・平和ゾーン』に位置づけ、8月以降も平和や戦争について学べる場としたい。今回の企画はその第一歩」と説明している。