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@stellaSSL はる@ゴネクあ25
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【さよならの後も消えぬ魔法を、きみに】2



夕暮れのロイヤル・オペラ・ハウスの前で、バーナビーは一人虎徹を待っていた。
シュテルンビルトのロイヤル・オペラ・ハウスといえば、非常に有名だ。
何せシュテルンビルトが階層都市になるに従って上へ上へと移築と改築を繰り返して出来た由緒ある建造物で、シュテルンビルトの重要文化財にも指定されている。
更に合計2200人の聴衆を収容できる4階建ての馬蹄形観客席を有し、地下は2階しかないものの最新のシアターと幕間に食事も取れる飲食スペースを備えている。
設備と立地条件、環境も相俟って世界5大オペラハウスにも数えられる、シュテルンビルトの誇る近代と中世の融合した美しい芸術劇場だ。
バーナビーは首に赤いストールを巻いて、グレーのスーツを見事に着こなしている。
小さな額は出して、上の段の髪を耳の上辺りで軽く纏めていたが顔を隠してはいないので明らかにバーナビーだと分かる。
本を読みながらの人待ち顔なので、一体誰を待っているのだろうと道行く人々が100%振り返り、あるいは立ち止まって眺めていく。
バーナビーはと言えばそういう視線には慣れっこなので、さして気にもしていない。
「ばぁ~に~!!」
そこへでかい声が響き渡り、バーナビーだけでなく一斉に居合わせた人々が振り返った。
「悪ィ、待たせた!!!」
入り口側に面した通りから声と共に姿を見せたのは、黒いロングコートを翻して長いコンパスで歩み寄ってくる虎徹だった。
「遅いですよ」
ぱたんと本を閉じ、バーナビーも顔を上げて虎徹を見た。
市民たちは相手が虎徹、つまりワイルドタイガーだったことにアイパッチなしでも気が付いたが、賢明にも皆揃って顔を背ける。
バーナビーをシュテルンビルトでたった一人、「バニー」と呼ぶ事、そしてバーナビーの綻ぶ表情を見れば一目瞭然だった。
虎徹はスーツもジャケットもベルトに至るまで黒一色で、ネクタイだけがトレードマークの緑だった。
しかし並んでいるととにかくも絵になる二人である。
そこだけ空気が違っているようで、市民たちが眼福だと遠巻きに見守る中、虎徹がざり、と己の髭を擦った。
「いんや~出がけにロイズさんに捕まっちまうなんて思わなくてよ!まだ間に合うよな?」
「間に合いますよ。というか貴方また書類の提出を遅らせてましたね?」
「だってお前手伝ってくんないんだもん」
「別の仕事が入っていたんですから仕方ないでしょう。むしろ、僕は貴方がちょっと弄ればもう出せるようにして置いてきた筈ですが?」
「あー、そいつをうっかり消しちゃってさあ。戻すのに1時間…」
「本当に、貴方と言う人は」
額を抑えたバーナビーを、虎徹は申し訳なさそうに伺い見た。
待ち合わせがあるからとこれでも大分頑張ったのだ。まあそれも虎徹にしてみれば、の話だが、ロイズもいいでしょうと受けてくれたのだから問題はない。
モノレールを降りて走る位切羽詰まっていなくて良かった。
「けどちゃんと出したし、明日は休みにしてきたぜ!」
「ならいいですが… …?」
ふとバーナビーは虎徹に顔を寄せ、じっと喉元を見る。
「何だよ?」
「いつもとネクタイの結び方が違いますね。…誰かに結んでもらいました?」
「ああ、今日オペラ観に行くっつったらロイズさんが結んでくれてさ」
「確かにこれはフォーマルな結び方だから、礼式的には合っていますけどね。…少し、妬けるな」
憂いを帯びた表情で虎徹のネクタイに手を掛けようとしたバニーに、虎徹もはっと我に返る。
「バニー!駄目、ここ往来!!アウト!」
「心配しなくても何もしませんよ」
意外にもすっと離れて行くバーナビーに、当の虎徹が肩透かしを食らったような気分になる。
「さあ、早く行きますよ虎徹さん」
「あ、おいバニー!」
自意識過剰過ぎたか。
虎徹は目元を染めて、恥じ入るように視線を下げてバーナビーの後に続いた。



『愛の妙薬』は、イタリアのオペラ作曲家ドニゼッティが作曲し、1832年に初演された全2幕からなるオペラだ。
イタリア・オペラには喜劇が少なく、そういった意味ではロッシーニの『セビリアの理髪師』などと並ぶ喜劇の代表作である。
貧しい農夫のネモリーノのテノールと村で評判の美人で金持ちのアディーナのソプラノという主役2人に、ネモリーノの恋敵ベルコーレ軍曹のバリトン、ネモリーノにアディーナを落とす愛の妙薬を授けるインチキ博士がバスというこの4人で舞台の大部分を占める。
つまりこのオペラ自体が非常にシンプルな人物構成であり、この4人までは充分に見せ場、聴かせる箇所が与えられているため、当代のスター歌手の顔見世公演にも適している題材と言える。

バーナビーの借り切っているロージェに座り、虎徹は緋色のクッションの効いた2人掛けのソファーを器用に動かして手摺から舞台を見下ろす。
既に見える範囲のロージェにも下の観客席も客が座っていて、本日もめでたく満員御礼のようだ。
「ここに来んのも二回目だな。前から随分間が空いちまったけど」
「そうですね。前は【トゥーランドット】でしたね」
虎徹にペリエを手渡し、バーナビーも椅子へと座る。
だが、虎徹の横ではない。あれと思って虎徹が目を瞠ると、バーナビーはゆったりと足を組んで腕のPDAを見た。
「もうそろそろ始まりますね」
「何だよ、横に来ねえの?」
「僕はここで構いませんよ。貴方が窮屈でしょう」
いやそんな事はねえけど。
そうは思ったが、口には出せない。
2部にバーナビーが戻ってきて以来、当たり前のようにバーナビーが隣にいたから、こんな風に急にされると少なからず動揺してしまう。
開演のベルが鳴り、照明が落とされても、せっかくバーナビーの見たがっていたオペラについてきたというのに薄暗い気持ちは消えない。
それが伝わったのか、目線を上がる前幕に向けていたバーナビーがふと虎徹に視線を向けた。
「…そんな目で、いつまで見ているんです?」
虎徹はずっとバーナビーを見ていたらしい。
指摘されてはっと我に返る。
「わ、悪ィ」
慌てて目を反らし、舞台に目を向ける。
恥ずかしくて顔から火が出そうだ。頬の赤さがどうか伝わっていないようにと、そればかりを願う。
前奏曲が流れる中、それも全く頭に入って来ない。
「虎徹さん」
気が付けば、バーナビーの冷たい手が両頬に後ろから当てられていた。
びくんと震え、振り返ろうとしてちゅう、と項に吸い付かれる。
「あっ」
声が思わず漏れて、虎徹はますます赤くなった。
「【トゥーランドット】の時、ここで何をしたか覚えていますか?」
甘い声を吹き込まれ、一瞬で体が頭よりも先に思い出す。
ぞくんと震え、揺れた腰を横に回ったバーナビーが存外に強い力で引き寄せる。
「そんな物欲しそうな目をしないで。…あの時のように、食べてしまいたくなる」
虎徹はもう固まってしまって声が出なかった。
こいつ、こんなに男前だったっけ?
あの時は俺がリードして、乗っかったんじゃなかったっけ?
嵐のように吹き荒れる思考を、バーナビーが強引に引き戻す。
「ねえ、食べても?」
そう言って虎徹のやわらかな手首の内側を噛むものだから、虎徹ももう堪らなくなって顔をぐしゃぐしゃに歪めた。
「せっかく、お前の好きなの観に来たってのに…」
それだけ言えばバーナビーは艶めいた微笑みを浮かべ、目を開けたまま唇を近づけてくる。
「オペラはいつでも観られます。でも、今この瞬間の貴方は、今ここにしかいないから」
シュテルンビルトの王子様にそんな風に言われて、誰が抗えるだろう!
この王子様、と悔し紛れに呟けば、貴方だけのですよ、と見事に返された。


01:09 PM - 7 Feb 13 via Twishort

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