「あ~あ、腹減った」
虎徹はぐい、と上着の袖で汗と埃まみれの顔を拭う。
周囲は暗く、白地に肩から腕にかけてが灰色、脇腹と襟だけが黒いかっちりとした長い上着はその中でとても目立つ。
それは仕方ない事だ。
白が基調のこれは戦闘用ではなく、あくまで騎士団の将官としての正装だ。
返り血等が目立たない、黒一色の戦闘服など着てくる暇はなかった。おかげで上着やブーツは激しい戦いで薄汚れ、白がくすんでしまっている。
良く磨かれていた筈のガントレットも鈍く光り、休む暇なくずっと虎徹が連戦を続けてきた事実を物語っている。
その通り、王宮を出てここまで殆ど走りっぱなしで駆け抜けてきた。内側の包囲網はキースの協力でなんとか打ち破ってきたが、部下たちも皆散り散りになってしまった。
虎徹の所属するメサイア騎士団は今や追われる存在だ。
シュテルンビルトに攻め入ってきた帝国ウロボロスは5万のメサイア騎士団全てに懸賞金をかけ、大虐殺を起こしている。
中でも8人しかいない将官であり、王子専任の近衛騎士の虎徹と国を背負う王子たるバーナビーはとてつもない賞金がかけられている。高名であるが故に顔も売れているので、畢竟二人には敵が群がる事になった。
そうしてようやくここまで脱出してきたという訳だ。
風が強い日だ。
遠くには戦乱の土煙、スモークウォールが霞んでいる。
身につけた上着の裾を風に翻し、虎徹は手に持った二振りの黒い刀を地面に突き立てた。
長い刀は赤い紐飾りがついていて、鞘は精緻な金細工が施された特別な一振りである。
これは神刀『ザナドゥ』といい、虎徹の兄でメサイア騎士団の指揮官だった村正に託されたものだ。
空には赤い月が昇っている。明日はきっと冷え込むだろう。
これから夜になり、ますますこちらの戦況は不利になっていく。夜目は常人よりは利く方だが、パワードスーツとは比較にもならない。
あちらは生体反応を探るセンサーも、赤外線も全て備えている。
「…マヨぶっかけたギョニソ食いてえなあ」
思わずぼそりと呟くと、横にいたバーナビーがふっと微笑んだ。
手に持った黄金色の長弓を同じように地面に差し、身に着けていた黒い手袋を取る。
上着の上に更に重ねたマントの飾り紐が風に揺れて、涼しい音を立てた。
「虎徹さん、パワードスーツの油が」
手を伸ばして虎徹の頬を拭い、バーナビーは視線を遠くへ向けた。
『地上の星』などと称される3層構造の美しい王都シュテルンビルトは、王宮も含めもう6割方制圧されていた。一騎当千と言われていてもたった二人の力など限られている。
二人に出来る事は、王都から安全な場所まで逃げ延びる事だけだ。
3方を海に囲まれたシュテルンビルトは海路を絶たれれば、後は山と市街地に囲まれた限られた何本かの陸路しかない。
線路や主要な道路、橋は既にウロボロスによって封鎖されていると考えるべきで、後は山岳部の険しい道を徒歩で行くだけだ。
そこにも当然ウロボロスは手を回している。
ここから見える範囲だけでも、下に千単位でひしめいているのが分かる。
つまりはこの目の前にいるウロボロスの鋼機兵、パワードスーツの大群を駆逐しなくてはならない訳だ。
「食べられますよ。…いつか、また」
「お前がいりゃあな。―――マーベリックの裏切りを、俺は絶対に許さねえ」
「…あの人が、善なる執政者ならば僕はそれで構わないと思っています。けれど、彼は市街地を灰にし、150万もの民を殺した」
「そしてお前と俺達に、国を売った反逆の罪を着せてメサイア騎士団全員を殺すってか。反吐が出る」
「楓ちゃんは、無事でしょうか」
「母ちゃんがついてる、心配ねえよ。それより俺にお前を全力で守れって、お前が最優先だって言うと思うぜ」
虎徹には王都から遠く離れた故郷に母と娘がいる。
妻は楓を生むと同時に他界し、それから虎徹は10年、娘を母に預けて王都での仕事を最優先にしてきた。
それは王子を守り、国民の為に働く仕事だ。
娘楓もそれは分かってくれている。むしろバーナビー王子の大ファンで、大きくなってからは父の所へしょっちゅう遊びに来ていた位だ。
まあそれはあくまでも口実で、実際はバーナビーに逢いたいからに他ならない。
元気で虎徹の能力を引き継いだ娘は、同じように特殊な力のある母に守られている。
母がついていれば大丈夫だ。昔からそうだった。
バーナビーは表情を翳らせて、虎徹の頬を撫でた。
「僕は、貴方を守りたいんです。…僕は貴方に守られるかもしれませんが、では貴方は誰が守ってくれると言うんです」
「バッカ、俺はお前の近衛騎士だぜ?王子のお前に守られてどうすんだよ」
「それでも。―――僕は貴方を一生守ると、誓いました」
ひときわ風が強くなる。
周囲の木々もざわざわと音を立て、嵐の前触れのように鳥たちも激しく羽ばたいていった。
虎徹は暫く俯いていたが、不意に顔をくしゃくしゃにした。
「…俺も、お前を一生傍で守るって決めてんだよ。だから、絶対離れねえぞ」
「…離れないで。俺が、守るから」
落ちた声は虎徹の鼓膜と睫毛とを震わせた。
愛する王子は艶やかな顔をして、恋心を隠しもせず虎徹を熱っぽい目で見つめてくる。
「僕も、一生貴方だけです。何も国を血で繋ぐ必要はない。その資質を備えた者が次代を継ぎ、国を富ませていけばいいと思っています」
「ホントに…お前さんは一途ってーか、健気だよ」
嬉しいのにはぐらかせば、バーナビーは静かに首を振った。
「貴方がそうさせるんです。…小さい頃から、貴方だけをずっと追ってきました」
「…そりゃ、俺もだよ…俺のバニー…」
触れたままの手にすり、と頬を寄せる。
自然な流れで虎徹を抱き寄せ、触れるだけのキスを落とす。
「ん…」
緩く腰を抱き、温もりを確かめ合う。
今はこれでいい。…ここから逃げ延びて、命を繋がなくては何にもならない。
束の間の急速に浸る暇はなかった。
いたぞ、と鋭い声が背後から聞こえた。追っ手がもう追いついて来たらしい。
前にはパワードスーツの大群に、後ろには二人を追う兵士たち。未だ苦境は続いている。
虎徹は身を離し、眼光を鋭くさせて刀を抜いた。
「おいでなすったぜ。さあ、行くぜバニー!」
「ええ。…必ず、貴方と無事に、ここから脱出します」
手袋を嵌め直し、バーナビーも長弓を手に取る。
長弓の中央の赤い宝石が輝き、周囲に僅かに残る光が吸い込まれていく。
「いいか、出来るだけその天弓は使うなよ!お前なら蹴りで充分だろ!」
「貴方こそザナドゥは控えて下さい。貴方ならあっという間に、人の為に魂の力を使い切ってしまう」
「使い切らねえよ!お前と、これからも生きるんだ!」
「……はい」
吼えた虎徹にバーナビーも顔を歪め、薄く笑う。
刀を鞘に仕舞ったまま、敵の只中に飛び込んでいく虎徹を追って、バーナビーも闇の中に身を躍らせた。
なんとないあらすじ
魔導の力によって繁栄した、海に3方を囲まれるシュテルンビルト王国。
シュテルンビルトの民は生まれながらに魔導の力を持ち、王都シュテルンビルトを中心に栄えていた。
だが突如新興国家である隣国、帝国ウロボロスの鋼機兵による襲撃を受け、陸側の山岳部以外の市街地は殆ど灰に。
更にその侵攻で150万もの人命が失われてしまう。
王都シュテルンビルトは既に陥落し、反逆罪で追われることになったメサイア騎士団と、自分たちの生き残りを賭けて虎徹とバーナビーは王都脱出を図る。
地平線まで続くパワードスーツの大群と戦い続ける二人は、無事にシュテルンビルトから逃げ延びる事が出来るのだろうか。
鏑木・T・虎徹
5万を有するメサイア騎士団の副指揮官で、8人いる将官の一人。かつ、バーナビー王子専任の近衛騎士。
他国から恐れられる二つ名は『ワイルドタイガー』。名前のTは国王から名誉として送られたタイガーの『T』。
兄はメサイアの指揮官で、第一陣で民を守って戦死する。
その際に二振りで一対の神刀ザナドゥを譲り受け、王子と民の為に振るう。
魔導、剣術ともに卓越した才能を持つが、無自覚。士官学校を経ずに騎士団に入った天才肌。
王子とは恋人同士の間柄。
バーナビー・ブルックスJr.
メサイア騎士団の一人で、将官でありシュテルンビルトの王子。
国一と言われる強力な魔導力を持ち、弓を使いこなす正真正銘の天才。
クールだが優しく、品行方正で頭脳明晰を地で行き国民全てに慕われている。
幼い頃に両親を亡くし、後見人たる宰相マーベリックの下で国を背負う。
唯一自分を王子として扱わず一人の人間として見てくれる虎徹に深い愛情を抱いている。
鏑木村正
メサイア騎士団の先代の指揮官で、虎徹の兄。
自身に残された力が残り少ないことを悟り、民を守るために鋼機兵を道連れに『アストライアの秘法』を使用。
地震の使っていたザナドゥを虎徹へ、指揮官をキースへ託す。
メサイア騎士団
総数は5万。
シュテルンビルトを守る騎士で構成され、所属する騎士は全員、魔導の中でも『NEXT』という突出した特殊能力を持っている。
指揮官たる8名の将官を筆頭に各方面に師団が分かれていて、現在の指揮官はスカイハイことキース・グッドマン。
ちなみに虎徹は副指揮官だが近衛騎士という役目柄指令系統からは外れていて、実質的にはアントニオがスカイハイの副官を務めている。
黄金の武器
メサイアの騎士のうち、将官だけが持つ事を許された神宝。
黄金の武器は『アウレアアルマ』と呼ばれ、凄まじい攻撃力を持つ代わりに、使用するごとに魂の力を消費する。
魂の力を全て使い切ると、『アストライアの秘法』と呼ばれる最終奥義を自動発動し、そのまま体ごと永遠に消滅する。