ヒーローバニー×天使おじ④
*ちょっとずつ不定期。ようやく兎虎が出会いました。
この後はほんと戸惑っているままの虎徹さんに知らず惹かれていくバニーが、
虎徹さんを思い出します。
「すげえな、何だこりゃ」
下を見下ろして、虎徹はジャスティスタワーの上から嘆息した。
どうやら今日は、シュテルンビルトのあちらこちらで植物が枯れているしい。
何かのNEXTなのか、警察やヒーローたちが朝から走り回っている。
虎徹に出る幕はなさそうだったが、やはりバーナビーを目で追ってしまう癖は直らない。
バーナビーは移動を繰り返しながら、ヒーロー達とはまた別個に動いているようだった。
目にも鮮やかな真紅とクリアレッドのパーツが陽の光を浴びて、ビルの間を跳躍していく。
きっとあのフェイスカバーの下は凛とした、爽やかで色気に満ちた男の顔をしているのだろう。
想像だけははかどる。
今日も相変わらずかっこいいよなあ、とぼんやり思い、虎徹は片翼を広げてその様子を見つめていた。
すると、人々の悲鳴が聞こえた。
はっと顔を向ければ、それは最近できたシュテルンビルトの新名所、全天ガラスドームの植物園『ガーデン・バイ・ザ・ベイ』の方角だった。
ウォーターフロントの再開発に伴い作られたこの植物園は、世界最大級の規模を誇り、また最新鋭の設備を有している。
25万種を超える植物が生育している内部は大きく2つに分かれ、主に地中海沿岸地域や亜乾燥・亜熱帯地域に生息する花や植物を展示する『フラワードーム』と、35mの山とそこから流れ落ちる滝を人工的に作り、山頂から植物の生態を再現している『クラウドフォレスト』の2施設が現在公開されている。
更にガラスドームの外には『ガーデンズ・バイ・ザ・ベイ』を象徴する高さ25mの人工ツリーが12本等間隔に並んでいて、太陽光エネルギーを利用するための施設となっている。
文字通り最新鋭のシュテルンビルトの観光名所だ。
ここにまで被害が及ぶとなれば、流石に悲鳴も上がるだろう。
バーナビーが急制動を掛けてそちらに向かうのに、虎徹もばさりと翼を広げた。
20年も片翼でいれば、飛ぶ方法もそれなりに身に付けるものだ。
今は飛ぶだけなら、何の労苦もない。
どうやら植物が枯れる大元は、とある子供の声らしかった。
子供は特殊な『声』を持っていて、声を出すとたちまちに植物を枯らしてしまうようだった。
母親も困り果てていて、NEXT用の訓練施設に子供を連れて行こうとしていたが、それが嫌で逃げ出し、シュテルンビルトが大混乱に陥ってしまったらしい。
子供を探してヒーロー達も右往左往しているが、止め方も分からないのでは見つけてもどうする事も出来ない。
ただ一人バーナビーだけは何か考えがあるらしく、何処かと連絡を取りながらずっとイヤー部分のセンサーをタップしている。
けれど、このまま手をこまねいている訳にもいかないだろう。
植物園は大損害だ。
植物を逆に成長させるのが得意な天使ならいるが、天界への携帯はずっと電波が入らないままだ。
虎徹は拒まれているのだろう。
「俺はほんっと、戦う事しか能がねえなあ」
嘆息して、それでも虎徹は何かできないかとのんびり空の上で考える。
とりあえず子供さえ見つけてしまえば、被害はそこまでで済むのではないか。
後は野となれ山となれだ。
虎徹はばさりと翼を動かして、手を額の上にかざし子供を探す事に専念した。
ほどなく子供は見つかった。
上から見れば一目瞭然だった。子供の向かう方向に植物が枯れて行くのだから、空に居る虎徹からすればすぐに分かる。
子供はまだ小さな女の子だった。
子供も流石に植物を避けて、今はビルの屋上に隠れている。
しくしくと体を縮込めて泣いている姿が痛々しくて、虎徹は胸を痛めた。
何度見ても子供の泣いている姿に慣れる事は出来ない。
人間を助けるには、人間に触れる必要がある。
つまり天使の力は引っ込めなくてはならないので、降りるギリギリで翼も仕舞う。
重力に従って体の重さを覚えるのももう慣れたものだ。
虎徹はアスファルトに降りて、ゆっくりと怯えさせないように子供に近づく。
「こんにちは」
「!こないで!」
子供が声を出すと同時に、周囲にあったプランターがあっという間に枯れて行く。
なるほど、やはりこのNEXTは厄介であるらしい。
虎徹は勿論、人体にも何ら影響はないが、女の子なら花も木々も好きな年頃だろう。それに触れる事もできないのでは辛いに違いない。
「俺には何の影響もないから、大丈夫だ。さあ、こっちへおいで」
「だめ!だって、どこに行ってもまたお花を枯らしちゃう!」
「大丈夫、俺が一緒にどうしたらいいか考える。さあ、ずっとそんなとこに居ちゃだめだ」
「っ、おじちゃん…」
顔を上げた女の子は、泣き腫らした目を上げてふら、と立ち上がる。
さあ、と腕を広げようとして、突風が吹いた。
ハンチングがびゅお、と音を立てて風に飛ばされる。
「おじちゃん!帽子が!」
「とと」
長い付き合いの大事なハンチングだ。
慌てて虎徹はジャンプし、なんとかハンチングをキャッチした。
だが、キャッチした場所は屋上の端ギリギリだった。フェンスの上に上体がはみ出して、大きくバランスを崩す。
「おわ!?」
がくんと虎徹の体が大きく傾いだ。
しまったと思った時にはもう遅かった。
後ろから落ちて行くような形になって、咄嗟に腕では体全部を支えきれなかった。
きゃああ、と子供の金切声にも似た悲鳴が響く。
「あっちゃ、やっべえ」
とは言いつつ、翼を出せばいいので虎徹もそんなには心配していない。
ただ、子供の目の前で落ちたのはいけなかった。不要に心配させてしまう。
落ちながらとりあえず翼を出しかけた瞬間、不意に体がいきなり軽くなった。
「だっ!?」
誰かに受け止められたような感覚があって、ばたばたと反射で体を動かそうとする。
「危ないですよ、動かないで」
瞬間、虎徹はこれ以上ない位に体を強張らせた。
それは、誰あろう虎徹の思い人の声だった。
嘘だろと叫びたくなるのを、なんとか口元を覆って耐える。
「あの子を助けようとしてくれたんですね。でも、無理はいけませんよ」
近くで聞く優しい甘い声に、ますます体が固くなった。
信じられない。
まさか、バーナビーにこんな形で出会えるなんて。
どうやらお姫様抱っこでバーナビーは虎徹の窮地を救ってくれたらしい。
スーツ越しとはいえ、腕に強く抱かれている。
すっかり背の傷口は治癒していたが、決して痛みではなく、片翼の傷がやわらかく疼いた。
どんな顔や反応をしていいか分からず、虎徹はぎゅっと下を向いて手の中のハンチングを握り締める。
バーナビーはパシュ、パシュ、と背のバーニアを使いながらビルの背面を蹴り、優雅に屋上に着地した。
虎徹を下ろすと、女の子が駆け寄ってくる。
「おじちゃん!…バーナビー…!?」
フェイスカバーを上げ、バーナビーは女の子に膝をついて微笑む。
当然バーナビーはシュテルンビルトの誰もが知るヒーローだ。女の子も例外ではない。
「そうだよ。君が無事でよかった」
「バーナビー、わたし、私…」
「大丈夫。さあ、一緒にお母さんの所へ帰ろう。すごく心配して待っているよ」
「…!でも、」
「能力の事なら大丈夫。歌ったり色々してみることで、少し音を変えれば枯れなくなるって、専門の先生が言っていたんだ。そうすれば逆に、植物の成長を早めたりすることだって出来るそうだよ」
解決策として、バーナビーは歌を持ち出した。
普通に話している今の音が駄目なら、ひとつでもふたつでも音を上げ下げしてみれば全く違うのではないか。
それが斎藤さんや専門家の見解だった。
いくらでもNEXTに対する専門医も、研究機関もある。HEROTVのおかげもあって、NEXTに対する風当たりは以前ほど強い訳ではない。
まずは保護をして、それから皆で方策を考えればいい。
そこまで絶対に、手は離したりしない。
それがバーナビーの結論で、故にずっとヒーロー達とは別に子供を探していたのだった。
「…枯らすんじゃ、なくて…?」
「そう。最初はね、みんな同じなんだよ。僕も最初の頃はなかなか能力を制御できなくて、周りにたくさん迷惑を掛けてしまったから」
「本当…?バーナビーも?」
「本当だよ。NEXTは皆そうして、力の制御を覚えていくんだ。だから、僕達と一緒に頑張ろう」
「…うん!」
女の子が頷いてくれた所まで見届けて、虎徹はそっと一歩下がった。
そのままばさりと翼を広げ、空へ浮かび上がる。
後はバーナビーに任せてしまって大丈夫だ。
ほっとして、虎徹はその場を離れようとした。
けれど、バーナビーの視線が動く。
「…!!!」
エメラルドグリーンの目は、明らかに虎徹を捉えていた。
かたや女の子は何が起きたか分からないらしく、しきりに首を動かしている。
それも当然だった。
天使の虎徹の姿は、人間の目には決して見ることが出来ない。
驚いているバーナビーの前で、虎徹もまたバーナビー以上に驚いていた。
「…片翼の、天使…!?」
そこまで見えているのか。
けれど、理由が分からない。
「うっそだろお…」
虎徹は行動を測りかねて、ひとまず逃げようとした。
だが、背を向けた途端バーナビーが声を上げる。
「―――待って!待って下さい!」
「待てったって…」
「お願いです、行かないで。…貴方を此処で行かせたら、もう二度と会えない気がする。…どうしてか、そんな気がするんです」
困り果て、虎徹はそれでも無下なく飛び去ることも出来なかった。
確かに、バーナビーに会えて喜んでいる自分もいるのだ。
これ以上関わるのはためにならないと分かっているのに、触れて、言葉を交わしてしまった喜びは何物にも代えがたい。
何と言う吸引力だろう。
天使の虎徹を引き寄せてしまうほど、バーナビーはきらきらと光り輝いている。
虎徹が動けずにいると、バーナビーが待ちかねて手を伸ばしてきた。
「お願いします。…僕の手を取って。ここに来て」
その誘いを断れる人間、否、天使もいるだろうか。
少なくとも虎徹には無理だった。
眉を情けなく下げて、何度も何度も迷いながら虎徹は翼を出したまま、バーナビーの横に降りる。
「…どこにも行かねえから、大丈夫だ。だから、手ェ引っ込めてくれ」
逃げても追いかけます、と言わんばかりの強い視線だった。
その手を取ってしまえば、もう絶対に離れられなくなると分かっていた。
だから、差し出された手だけは絶対に、触れなかった。
あんなに小さかったのに、今やもう身長も虎徹を越えてしまっている。
ただ、母親譲りの見事な造作だけはますます年齢を重ねるごとに磨きがかかっていて、美形揃いの天使たちを見慣れている虎徹でさえもぐらぐらと来てしまう。
「…分かりました」
頷いて、バーナビーは子供を腕に抱き上げる。
「行きましょう。下でみんなが待っています」
俺、見えねえだろうけどな。とは、口に出さなかった。
ただ、未だに目の前にバーナビーがいる事が信じられず、虎徹は瞳を何度も瞬かせて、切なげにその背を見つめた。
やはり虎徹の姿は、他の人間には見えないようだった。
だから余計にバーナビーは虎徹をずっと視界の端に入れていて、虎徹がいなくならないようにそれとなく注意を配っていた。
ようやくインタビューや諸始末を終えて、会社に戻ってスーツを脱いだ頃には数時間が経っていた。
その間、虎徹は所在無げにふわりふわりと待合スペースに浮かんだままでいた。
アポロンメディアにはなんとなく、懐かしい匂いがした。けれどその正体までは突き詰める間もなく、バーナビーが戻ってくる。
「お待たせしました」
「…おう」
「ここでは何ですから、僕の家へ。この近くなんです」
20年傍にいたから、バーナビーの家も勿論知っている。
けれどそれを素直に言う訳にもいかず、虎徹は曖昧に頷いた。
本当にアポロンメディアからバーナビーの家まではすぐだ。
車で10分とかからない。
そうしてバーナビーと共に、初めてバーナビーの部屋に入る。
この屋上や外から眺めた事はあったけれど、こうして室内に入るのは実際初めてだった。
両親の遺産故か、バーナビーはこの歳にしては信じられない位に高級なマンションに一人で暮らしている。
広いメインルームに入り、バーナビーはジャケットを脱いでどうぞ、と虎徹を中央へと促した。
これは来るな、と虎徹も内心身構える。
先に口火を切ったのはやはりバーナビーだった。
「…貴方は、天使…ですよね?」
「ああ」
「初めて見ました。天使はこんな風に、普通にいるものですか」
「…いるはいるけど、こんな感じで人間の目に見えるようにはなってねえよ。…正直、俺にもお前が何で俺の事が見えるのかさっぱりだ」
「その翼は、どうして片翼なんですか」
「…」
バーナビーの質問にどこまで教えていいものか、虎徹は僅かに逡巡した。
けれど、まあまた記憶を消せばいい話だ。
もし神が虎徹をどうこうするつもりなら、とっくに見限られて天使の力さえも奪われているだろう。
これもまた神の考えなのかもしれなかったが、生憎虎徹にはそこまで分かる筈もない。
分かる事といえば、バーナビーが頑固で諦めない性質なのはよく知っている。
虎徹から気が済むまで聞き出さなければ、しつこく粘り続けるだろうことは分かっていた。
虎徹は諸手を挙げ、降参とばかり宙でくるりと逆さになった。
「わーった。…俺が知ってることは話す。逃げもしねえから、それでいいだろ?」
「ええ」
虎徹は翼を広げ、バーナビーのいつも座るシェーズロングの上にあぐらをかいた。
「…ホントに全部、俺が見えてんだよな?」
「はい」
「どこまで見えてんの?なんか、光ってんのまで見えてる?」
「青と、金色に光っている所までは」
「…お前、どういう目してんだろうな?あー、俺はあんま話すのが上手くねえから、お前の方から聞いてくれ」
「…まず、貴方の名前は?」
「ワイルドタイガーだ」
「タイガー…」
何かがバーナビーの頭の何処かに引っ掛かった。
だが、どんなに記憶を探ってみても、その中にはない。
自慢ではないが、記憶力はいい方だ。明らかにオリエンタル系の容姿なのにタイガーなどという変わった名前だから反応したのかもしれないと、バーナビーはそれを深く突き詰めはせずに先を続ける。
「自己紹介が遅れましたね。僕の名前はバーナビー。バーナビー・ブルックスJr.です」
「それは知ってる」
「知ってる?」
「俺は大分長く人間界にいるから、シュテルンビルトにいるヒーロー達の名前くらいは知ってんだよ」
「そうですか…いつから?」
「20年も前かな。ああ、でも暇を持て余してる訳じゃねえぞ。時々人助けしたりして、それなりに楽しく暮らしてる」
「片翼であることにも、訳があるんですか」
言及されて、虎徹は恥ずかしそうに笑った。
「片翼なのは、言ってみりゃ俺の勲章だな」
「勲章?」
「…守りたかった奴を、守るために使ったんだ。お前からすりゃあ、みっともねえ片翼かもしれねえけど」
「みっともないだなんて、思いません」
強い口調に虎徹は顔を上げた。
「…そうまでして、貴方が守った人は?」
ぐっと虎徹は奥歯を噛んだ。
それが目の前にいるだなんて、そんな事は言えない。
記憶は確かにこの手で消したのだ。
だから虎徹の事など覚えている筈もない。
「…生きてるよ。…そいつを見守るために、おれはずっとここにいるんだから」
「…そうですか」
バーナビーは存外に柔軟な思考の持ち主らしい。
いかに目の前に虎徹がいるとはいえ、普通ならホイホイ飲み込めるような物事ではない筈だった。
現実派だと思っていたが、オカルトな事も無下に否定するような性格ではないらしい。
こういう所も好ましいのだとぼんやり思考を引っ張られそうになり、慌てて虎徹はぐっと拳を握った。
「…タイガー、さんとお呼びしても?」
「ああ」
「貴方は人間界で長く暮らしていると言いましたが、普段は何処に住んでいるんです?」
「住んでるって訳じゃねえよ。人間とは違うんだから、住処を決める必要はねえだろ」
「それはそうですが、ここから帰って行くあてはあるんですか」
「行くあてっつーか、俺は天使だから、別にどこだろうと生きていけんだって。だから」
「まさか、外で?」
人間ではないのだからはっきり言って眠る必要もなければ、食べる必要もない。
まあ虎徹は好んでジャンクフードを食べるが、本来ならその必要もないのだ。
すっかり人間のように暮らしていても、まだ虎徹は天使の本質を離れてはいない。
「だーかーら、俺は天使だって…」
しつこいと言おうとして、バーナビーから返ってきた返事は完全に虎徹の度肝を抜いていた。
「ここにいたら、どうですか」
「はあ!?」
「幸いにも僕は一人暮らしですし、他に気兼ねする家族もいません」
絶句して虎徹はバーナビーを睨みつけた。
「だっ、馬鹿じゃねえの?いっくら天使ったって、出会ってすぐの不審な奴に家にいろなんて言うか普通!?」
「…どうしてですかね」
バーナビーは嘆息し、目線を下げた。
「貴方は、どうしてか懐かしい気がするんです。…何処にも行かせてはならないと、不思議な位、胸が痛いんです」
「っ」
「おそらくは気のせいでしょう。…忘れて下さい」
虎徹は何も言えず、唇を噛んだ。
―――それは気のせいではない。
20年前に、2人は出会っているのだ。小さい頃から勘のいい子だったから、潜在意識のどこかで虎徹を認識してはいるのだろう。
けれど、思い出せば必ず悲しい記憶も蘇る。
もう二度とバーナビーには辛い思いをさせたくはないし、天に目を付けられる事も避けたい。
だから、虎徹が我慢すればいいのだ。それだけの話だ。
けれど、余りにもバーナビーは眩しい。
虎徹が迷い、躊躇って伸ばせない手をあっさりと掴んでしまう。
「行くところがないのなら、ここにいたらいい」
「っ…けど、」
「ねえ、いいでしょう」
気が付けば、手を掴まれていた。
好きな相手に、そんな風に言われて断れるほど虎徹は強くない。
いかに天使とはいえ、片翼になって天にも帰れなくなったことでベンとも気まずくなって、殆ど一人で生きてきた。
意識もしていなかった20年の孤独は、こうしてバーナビーに触れた事でずしりと重くなった。
だって手を伸ばせばすぐそこにいるのだ。
ずっとずっと見守ってきた、二度とは触れられないと思っていた愛しい相手がさあ、と虎徹を呼ぶ。
ああ、と、手の中に落ちてしまうのは簡単だった。
バーナビーの申し出に虎徹は抗えず、結局頷いてしまっていた。
それから、バーナビーはまるで人間にするように虎徹を扱った。
風呂の用意や食べ物、酒まで一式用意してくれて、虎徹も流石にその誘惑には逆らえず、翼を仕舞って厚意に甘えてしまうことにした。
バスルームも酒も、虎徹には過ぎる代物だった。
ベッドは勿論一つしかなかったが、バーナビーは男同士なのだし、寝て構わないですよとサイドを開けてくれる。
広いベッドだからそれも当然かもしれないが、虎徹は大いに戸惑った。
…バーナビーもやはり、何処かで虎徹を覚えているに違いない。
虎徹が見ていた限り、バーナビーは他人に踏み込みたがらない性格だった。
外面は完璧でも、プライベートは本当に粛々としたものだった。
だから、こんなに気を許しているというだけでそれは容易く伺い知れる。
その夜、眠るバーナビーの傍らで、虎徹は採光窓の向こうに広がる夜景を見つめていた。
考える事は一番苦手だったが、虎徹なりに推論は導けていた。
多分、天使の姿の虎徹をバーナビーが見ることが出来るのは、分け与えた虎徹の翼のせいだろう。
おそらくはそれで、バーナビー自身も天使との親和性が高くなって、エーテルを通常の人間より遥かに鋭敏に捉えられるようになっているのだと考えられた。
…けれど、だからといって、虎徹はこれ以上何ができるというのだろう。
このまま傍にいて、緩慢にバーナビーの記憶が戻るのを待つのか。
思い出して欲しくはない。けれど、自分だけが知っているのも辛すぎる。
どうすれば一番いいのか、虎徹にはまるで分からなかった。
勿論神は、何も答えてはくれなかった。