ヒロショの謎の無配
ナイトクラブの用心棒バニー×実家で農作業虎徹さん
音と光の洪水の中、バーナビーは一人、静かに壁に凭れていた。
髪はハーフアップにし、襟元まできっちりとシンクのタイを締め、黒いシャツにグレーのスーツをきっちりと着こなしている。手にはグラスを持っていたが、中身はノンアルコールのシャンパンだ。ゆったりとした風情ながら、目は常に周囲を注視している。
それをちらちらと女性客たちが決して少なくない視線を送っているが、バーナビーは意に介さない。
ここはシュテルンビルトではない。他人の目を常に気にして、表情を作る必要はないのだ。
ここは『Gallery』という名の有名なナイトクラブだ。
夜の街とも呼ばれるこの一大歓楽都市では、レストランやホテルのバーよりもナイトクラブに余程厳しいドレスコードがつけられている。
重厚な扉の入り口から入るとすぐ、メインフロアに続くトンネル状の通路がある。
そこにはいくつも美しいバスタブが並んでいて、バスタブには花びらが浮かび、同じような花びらの肌も露わな下着を身にまとった美しい女性達が入浴、あるいは泳いでいるという、なんとも派手でセクシャルな出迎えが待っている。
バスタブの横や、メインフロアの壁一面にはアンティークの金の額に納められた裸、あるいは下着姿の女性の写真や絵が飾られている。
その絵の前には覗き穴が開いた薄い壁があって、覗く者に合わせて絵や写真が動く仕掛けも施されている。フロアスタッフはレースのアイマスクをつけて、シックな黒一色に身を包む。
ここではジュビリーという有名なアダルトショーも行われていて、タイタニック号が沈む光景を再現したステージセットで50人ものトップレスショーガールたちが踊り、レビューの合間にはほとんど全裸のパフォーマーたちによる曲芸も披露される。更には世界のヘッドライナーDJたちがセレクトし、流すフロアミュージックも必聴だ。
いずれにしてもとびきりセクシーなアンダーグラウンドの空間が、ここには広がっている。
余程のことがない限り中での揉め事は起きないが、それでも何かしらいざこざが起きることはある。
そのためのバーナビーだ。
「きゃっ!」
小さな悲鳴に、バーナビーは顔をそちらに向ける。すると、目線の先にステージに這い登ろうとする男性客数人の姿があった。
ステージ上には唇形の大きなソファーに座り、その上で身をくねらせるショーガールがいる。
男たちの挙動は明らかに酔っていて、理性が働いていないのは明白だった。
「オーナー、あの客は」
『…一見の客だよ。常連のお客様についてきたから、大丈夫だとは思ったんだが…ちょっと見誤ったね』
「行きますか」
『ああ、頼む』
バーナビーは耳につけていた小型のインカムを胸ポケットに仕舞うと、たっとフロアを蹴った。一回転してふわりとステージの中央に降り立つと、後ろ手にショーガールを庇う。
「なんだお前は!?」
「なんだはこっちの台詞だ。今すぐステージを降りろ、ここはお前たちのような輩が汚していい場所じゃない」
「ざけんな!どけ!!」
「仕方ないな」
ちっとも仕方なさそうに、バーナビーは床に手をついて男の顎を爪先で撃ち抜いた。
「がっ…!!」
「てめえ!!」
「あと2人」
そのまま腕を回して、腰を捻り下からもう一人を蹴り飛ばす。
起き上がったところで目の前にいた怯んだ最後の一人に、ぴたりと鼻先で革靴を止めてみせる。
「どうぞお引取りを。入口のところで会計を済ませた後は、ここでの事は夢だと思って忘れることだ」
「っ…!」
「更に揉め事を起こせば、永久に出入り禁止だぞ」
「く、くっそお!!」
ほうほうの体で入口へと走っていく男たちを見送り、バーナビーはショーガールに手を差し伸べる。
ぽっと頬を染めたショーガールは、それでも気丈だった。
バーナビーの手を取った後、観客たちに敬礼し再び自分のステージへと戻っていく。
静まり返っていたクラブの中は、わあ、と観客たちによる歓声と拍手に満たされた。
『流石はバーナビー。今日も給金は弾むよ』
「僕は仕事をしただけです。そう思うなら、彼女の頑張りを是非労ってあげてください」
黄金の髪がまばゆいナイトクラブの中で、光を孕んでひときわ眩しく輝いた。
フロアに戻ってきて、バーナビーは今度はカウンターの横に立つ。人目を引いてしまったので、今度はにこやかに客たちに振舞う。
バーテンダーから差し出された赤いノンアルコールのシャーリーテンプルに口をつける。
その瞬間、フロアに差し込んだライムグリーンの光に、ふっと脳裏にただ一人を思い描く。それはどこにいようと忘れない、思い人の色だった。
能力を使うとクリアパーツがライムグリーンに輝くヒーロースーツ。その眩しい残像も未だ忘れることなく、鮮やかに思い出せる。
ふと、ポケットに入れた携帯を手にとった。
携帯を開いて、ぱこんと画面を開いたままフロアへと目を向ける。
今、彼のいるオリエンタルタウンは何時だろう。ちゃんとあたたかくして寝ているだろうか。
つい遠く離れたこの地で感傷に浸りそうになる。離れてもう3ヶ月にもなるのに、折に触れて思い出しては懐かしい、あたたかい思い出に胸の奥が未だ鈍くやわらかく疼く。
それでも彼との事は、バーナビーの心の支えだ。
離れていてなお、支えてくれる大切な大切な存在。
『バニー』
笑顔と声を思い出しただけで、口元が緩む。
…声が、聞きたいな。
バーナビーは空になったグラスを返し、ほんの少しだけフロアを離れた。
「ふいー…」
ほっかむりを外して額の汗を拭い、虎徹は腰を落として何本目かのカブを引っこ抜いた。
横にはすでに収穫されたカブがざるに入れて置いてあって、抜いたはしから大小にかかわらずそこに積み重ねていく。土がついたままのカブは瑞々しく、つやつやと真っ白な肌が日光に照り映えていた。
「あともうちょいで午前の作業、終わり!」
腰に手を当てて、水を飲んで満足げに畑を見る。
実家に戻ってきて、虎徹もいつまでもごろごろしているわけではない。村正の酒屋の手伝いをしたり、安寿の畑を手伝ったり、時に困り事の人助けもしている。
時折HEROTVも見るが、そこに自分とバーナビーの姿はない。活躍していた頃を懐かしく、時には羨ましく思ったりもする。それでも、楓を選んだ今の生活を離れてまで、ヒーローに戻ろうとはまだ思えない。…能力がもう2分を切るまで減退した自分に、あの街でヒーローとして何ができるだろう。それを割り切れない限り、虎徹はこのままでいいのか自問自答する日々だ。
軍手を外し、ざるいっぱいになったカブを縁側を過ぎて、水道へと持っていく。
丁寧に泥を落として水切りしてから、縁側にそれを並べる。
「今日の夜はカブづくしだな〜…なんにすっかな」
なんて満足げに成果を眺めているところで、スウェットの尻に入れていた携帯が鳴った。
見れば、うさぎのアイコンが表示されている。ものすごく久々にかかってきたその相手に、虎徹は躊躇わず土まみれの軍手で画面をスライドさせた。
「もしもし!?」
【…虎徹さん?】
「おう!」
3ヶ月ぶりに聞く元相棒の声に、虎徹はあっという間に昔に引き戻される。
「ひさしぶりだな、どした?」
【いえ、少し…貴方の声が聞きたくなって。すみません、今そちらは何時でしたか。時差を忘れていました】
バーナビーの後ろが少し騒がしい。音の感じからして、外ではなく、どこか人の集まる室内のようだった。
「こっちは昼前の11時だよ。お前、今どこにいんの?」
【国外です。音がうるさいでしょう?ナイトクラブで、ちょっとした用心棒かな、そういう仕事をしています。今は夜の10時だから、大体半日差ですね】
「へー…結構、意外。お前そういうのもやんのな?」
【何でも興味を持ったことはやるようにしています。なにせ、絶賛自分探しの真っ最中ですから】
「ふーん」
見つかったか?なんてそんな事は聞かない。聞いたところでバーナビーは答えないだろうし、虎徹も答えを聞こうとは思わない。
【貴方、今何を?】
「俺?俺は実家で、鏑木だけにカブ作ってんの。なんつってな!だはは!」
虎徹も心配させたくないから、努めて明るく振舞う。
【なんですそれ。ここで散々前も聞かされたおじさんギャグですか?相変わらずだな】
「だろ?だからお前も、元気でやれよ。そんで近くに来たときにでも顔見せてけよ。楓も喜ぶ」
【はい。そのときは、必ず】
「じゃあな」
素っ気ないフリをして電話を切って、虎徹ははっとごしごしと汚れた携帯をスウェットで擦る。
思ったよりもずっと、バーナビーの声を聞けて嬉しいらしい。午後も頑張れそうだと、うんと背伸びをして虎徹は作業に戻った。