実戦剣法と試衛館 | ||
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刀の豆知識 | |
■「日本刀」という呼称は外国からみた場合のもので、日本では「刀」「打ち刀」「剣」といいます。 | |
■刀の構造 刀は、刀身と拵え(こしらえ・外装のこと)で構成されます。 拵えは、柄(つか)と鞘(さや)、鍔(つば)からなります。 刀身は木製の柄に差し込んで目釘で固定されます。刀身の茎(なかご)は柄の中に入る部分で、作者銘や年紀が彫られています。刀身の背の部分は棟(むね)または峰といい、峰打ちとは、この部分で打つことです。 |
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■刀の分類 刀 ・・・刃渡りが2尺(60.6p)以上のもの。 |
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実戦剣法 | |
■真剣で戦うというのは、どのようなものなのでしょうか? |
天然理心流と試衛館 | |
■天然理心流は、鹿島神道流を修めた近藤内蔵助長裕(ながみち)が文政の頃に創始したといわれます。その後、門下の近藤三助方昌(さんすけ・のりゆき)が八王子に道場を開き門弟を教えました。 方昌のあとを養子の近藤周助邦武(くにたけ)が継ぎ道場を江戸に移しました。周助は嘉永2年(1849)宮川勝五郎を養子としました。この勝五郎が近藤勇です。 ■試衛館道場があった場所は「小石川小日向柳町の坂上」(「新選組顛末記」「新選組始末記」)とされてきましたが、近年では「牛込柳町甲良屋敷」(現新宿区市谷甲良町)あるいは「市ヶ谷加賀屋敷柳町」となっています。 |
天然理心流の段位は 切紙−目録−中極位目録−免許−指南免許の5段階になっているそうです。 |
■天然理心流は八王子、府中、日野、上石原など、武州多摩郡の天領(幕府直轄地)農村地帯で盛んでした。多摩の農民たちは伝統的に、ただの百姓とは違うのだという気位と、徳川家への忠誠心が強かったのでしょう。 富裕な農家には小さな剣術道場を持つものがあり、近藤、土方、井上、沖田らは、江戸から泊まりがけで出張し、各道場を出稽古に回りました。 天然理心流の剣は、型は二の次で、実戦向きなのだそうです。このため竹刀剣術に弱く、酒代目当ての道場破りが来ると、近くの斎藤弥九郎の練兵館に助っ人を頼んだといわれます。 |
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新選組の実戦剣法 | |
■集団戦法が基本で、一人の敵に三人以上でかかります。これは卑怯だと思うかもしれませんが、試合や果たし合いではありませんので、とにかく敵を倒すのが目的。三人以上の連携攻撃で相手を追いつめ、あるいは退路を断ち、取り囲んで討取ります。 ■新選組の得意とする戦法は「奇襲」と「待ち伏せ」です。 ■「死番」という取り決めがありました。隊士たちが狭い屋内に突入するさいに、戸口や階段の上に敵が待ち伏せているかもしれません。その時は最初に入った隊士が斬られてしまいます。そこで最初に入る者をあらかじめ決めておきました。順番で、その日の「死番」にあたった隊士は覚悟をきめて出動したそうです。暗い屋内突入で気後れしないために考えられた方法なのですね。 ■鎖帷子くさりかたびら、鉢金はちがねの着用。鉢金(金属板の入った鉢巻き)は額を防御し、目に血が入るのを防ぐのに効果があるそうです。鎖帷子は鎖を着て腕と上半身を防御するものです。薩摩示現流の真っ向から振り下ろされる、威力ある斬撃をまともに刀で受けると、刀ごと頭まで切り割られたそうですが、鎖帷子を着て動いている場合には刃の力をそらすため、切り破ることができず効果的だったようです。 |