すとんと胸に落ちないのはなぜだろう。集団的自衛権をめぐる国会論戦である。これまで「黒」だったものを「白」と言い張るのはやはり無理がある。独り善がりの議論はもう終わりにしてほしい。
安倍内閣が「集団的自衛権の行使」を認める閣議決定をした後、初めての国会論戦が、衆参両院の予算委員会で行われた。
二日間にわたる議論で浮き彫りになったのは、これまで政府自身が認めてこなかった集団的自衛権の行使を、憲法解釈を変えて認めることで生じる矛盾だ。
その象徴が、たびたび例に挙がる中東・ホルムズ海峡での戦闘継続中の機雷の除去である。
安倍晋三首相は閣議決定の前も後も「自衛隊が武力行使を目的としてかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはない」と断言してきたが、機雷除去への参加はあり得るという。
戦闘継続中の機雷除去は国際法上「武力の行使」に該当しても、「受動的、限定的」であり、戦闘行為とは違うという理屈だ。
ところが、機雷を敷設した敵国にとって、その除去は戦闘行為そのものである。反撃され、応戦すれば本格的な戦闘に発展する。そうした活動への参加がなぜ、海外での武力の行使を禁じた憲法の規範を害さないと言えるのか。
日本経済は原油輸入の八割以上を中東に依存し、そのシーレーン(海上交通路)確保が重要であることは認める。
しかし、首相答弁のように「日本の経済に相当な打撃がある」たびに集団的自衛権の行使を認めたら、食料や原材料輸入の停滞などにも適用され、海外での武力の行使は際限なく広がる。歯止めが利いているとはとてもいえない。
首相は答弁で「専守防衛を維持し、海外派兵は許されないという原則は全く変わらない」とも語っているが、日本が直接、攻撃されていないにもかかわらず、集団的自衛権の行使を認め、海外での武力の行使に踏み切ることは、やはり専守防衛とは相いれない。
機雷除去など、政府が閣議決定前に示した集団的自衛権行使の八事例も、与党内ですらその可否をめぐる議論が尽くされていないのに、いつの間にか、すべてできることになっている。
海外での武力の行使を認めず、専守防衛に徹する憲法の平和主義は、先の大戦の「痛切な反省」の上に立つ。憲法擁護義務を負う首相が率先して、それを蔑(ないがし)ろにする愚が許されてはならない。
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