現在位置:

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 印刷

集団的自衛権行使容認

2014年07月02日 07時30分

 安倍晋三首相が憲法の解釈変更によって集団的自衛権の行使を認める閣議決定に踏み込んだ。自国への攻撃がなくても関係国への攻撃に反撃でき、「自衛」の名の下に自衛隊が海外で武力行使する道を開いた。専守防衛を貫いてきた戦後日本の平和主義が揺らぐ。安倍首相が説く「抑止力」の強化による安心感以上に解釈変更による不安が強い。

 政府は「限定容認」を主張する。しかし閣議決定の柱である新たな「武力行使の3要件」は拡大の余地が残る。「わが国と密接な関係にある他国への攻撃で、わが国の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある」場合、必要最小限度の実力行使は憲法で許容されるとした。

 国民の権利が「根底から覆される明白な危険」とは、直接攻撃された場合と考えるのが普通だろう。だが、閣議決定では「安全保障環境が根本的に変容し、他国に対する武力攻撃でもわが国の存立を脅かし得る」と指摘する。

 挑発行為を続ける北朝鮮や中国を見れば、東アジアの情勢変化は分かる。しかしそれがなぜ自国を守ることでなく、他国を守る集団的自衛権につながるのか、必要性が判然としない。

 自民党と公明党の与党協議では当初、具体的な事例に沿って検討していた。その事例の可否はうやむやになり、途中から「武力行使3要件」の文言調整に焦点が移った。抽象的な中身では歯止めの担保にはならない。米国の戦争に巻き込まれることを危惧する。

 「容認ありき」で進んだ与党協議は、約1カ月半で11回、合計で13時間程度しかない。これに先立ち、政権にお墨付きを与えた有識者懇談会も、委員の一人が「時間不足で実質的な議論ができなかった」と言い出す始末である。安保政策の大転換にもかかわらず、それに見合った十分な論議があったとは到底言えない。

 特に行使すればどうなるかの論議が決定的に不足していたと感じる。60年間、戦死者は一人もなく、一人も殺すことはなかった自衛隊に危険な任務を強いることになり、他国を守ることで日本が報復攻撃を受けるかもしれない。

 また「平和国家」のイメージが崩れると、紛争現場で人道活動に尽力している日本人を危険にさらす可能性もある。従来の憲法解釈でなしえたものも大きい。行使容認で得るものと、失うものを比較した説明があるべきだった。

 憲法9条を読み直すと、集団的自衛権が認められると読むのはやはり難しい。本来なら憲法改正すべきだが、安倍首相は改憲手続きの高いハードルを前に断念した。憲法は国の基本で、多くの国民が納得いく形でなければ、変えてはならない仕組みになっている。

 改憲なら必然的に国民的な論議がいるのだが、今回はその努力を避けて解釈を変えた。解釈改憲のあしき前例をつくってしまったと言わざるを得ない。

 閣議決定は政府の基本方針で、今後は実際に行使できるように関連法の整備を進める。今回も自民一強の政治状況を思い知らされたが、国会論議はこれからが本番でより歯止めが利くものにしてほしい。「積極的平和主義」を掲げる安倍首相は、解釈変更にかけた情熱を隣国との関係改善にこそ向けるべきだ。(宮崎勝)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 印刷
佐賀新聞 購読の申し込み
電子版申し込み
宅配申し込み

記事アクセスランキング