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社説
7月2日付  自衛権閣議決定(上)  将来に禍根を残す暴挙だ  
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 戦争の恐ろしさを知っていた本県選出の三木武夫元首相や後藤田正晴元副総理が生きていたら、認めなかったのではないか。

 安倍政権は、集団的自衛権は行使できないとしてきた政府見解を見直す憲法解釈変更を閣議決定した。

 「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍晋三首相にとっては、宿願を果たしたということだろう。

 しかし、戦争放棄と交戦権否認を定めた憲法9条の理念を逸脱するものであり、到底認めるわけにはいかない。

 集団的自衛権行使を容認することは、他国で戦争ができる国になるということだ。60年前の自衛隊発足以来、「専守防衛」を基本方針としてきた日本の安全保障政策の歴史的な転換点となる。

 憲法は統治、支配者を縛る規範である。その解釈を恣意(しい)的に変え、骨抜きにすることは「憲法によって政治権力を制約する」という立憲主義を否定するものだ。

 将来に禍根を残す暴挙であり、閣議決定を取り消すよう求める。

 閣議決定は「自衛の措置としての武力行使の3要件」が柱となっている。

 日本だけでなく「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」に、他に適当な手段がないとき、必要最小限度の実力行使が憲法で許容されるという内容だ。

 当初、政府が自民、公明両党の与党協議に提示した案は、覆される「恐れ」がある場合としていた。これに対して公明党が、時の政権の判断によって行使できるケースが広がると反発したため「明白な危険」に修正した。

 だが、これも曖昧であり、都合よく判断できる余地が大きい。

 政府、自民党は、中東地域のシーレーン(海上交通路)での機雷掃海も集団的自衛権行使に含まれるとみている。日本にとって石油が重要なのは言うまでもないが、果たして国民の生命や自由が根底から覆される明白な危険とまでいえるのか。これでは範囲が際限なく拡大しかねない。

 慎重姿勢だった公明党は、相当な歯止めをかけたとして行使容認にかじを切った。ところが実際は歯止めがかかったとは言い難い。

 安倍首相は、きのうの記者会見で安全保障環境の変化を強調し「国民の生命と平和な暮らしを守る」と繰り返し語ったが、なぜ集団的自衛権を行使しなければいけないのか、説明は納得できるものではなかった。

 政府が与党に示した八つの具体的事例も説得力に欠けている。武力攻撃を受けている米艦の防護などだが、いずれも個別的自衛権や警察権で対処できるとの指摘がある。

 しかも、与党協議では可否の結論を先送りしたままだ。具体例の議論を棚上げにして、どうして集団的自衛権の行使が必要といえるのか。

 政府は閣議決定とは別に、国連の集団安全保障に基づく武力行使も「3要件を満たすなら憲法上許容される」とした想定問答集をまとめている。集団的自衛権と合わせて、国のかたちを大きく変えるものだ。

 国民を置き去りにした暴走は許されない。

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