『奇跡体験!アンビリバボー』をつい今しがた見ていたのですが、今日のような内容の場合、結構問題提起をして終わるんですよね、この番組。ほら、「あなたなら、どうする?」みたいな感じの。
と、僕も何気にじっくりと見ていたわけではなくて、パソコンに向かっていながらのチラ見程度だったのですが、結局真実らしいことは分かったものの真実そのものがはっきりと分かったとは言い切れないような事件の話だったと思うんですよね。で、事件発生から5年半が経った時に第一審で死刑判決が出て、即時控訴をされた第二審でも死刑判決、第三審の前に被告は亡くなったということらしいんです。
で、その事件の取材をしていたという記者が番組の終盤に出てきてこう言っていました。
「私はね、何度もいろんな公判を見てきていますけどね、“俺がやったと言うのなら、やったという証拠を見せろ”というようなことを口にする人間をね、信頼できると思ったことはない。無罪だと思ったことはないんです」
まぁ、感覚的にそうよね♪
でも、番組最後の問題提起の部分では、裁判員制度のもとでは誰もが相手の主張の真偽を判断する立場になりうるのだけれど、こういった証言者や証拠の出てくるタイミングや被告人の言動によっては判断に迷うことがあるだろうし、どうする?的な話だったんですよね。
本当に、どうします?
っていうか、あるべき証拠や証言が揃っていて判断に迷わない場合は別として、そうじゃなかったらどうなんでしょうね?被告人が口にするかどうかは置いておいて、少なくとも「こいつは信頼できないから」という理由では、判断なんかできないししてはいけない気がします。きちっと犯行を示す証拠、もしくは無罪を示す証拠が公正かつ公平に集められて、それを題材に判断しないと。そのためには、思い込みって絶対的に危険だと思うんです、僕は。そして、主観に浸ることなく判断するべきだと。
それに、もし自分が逆の立場であったなら、思い込みで判断されたくないでしょ?公平さや公正さに欠ける裁判なんて、何の価値もないと思うんですよね。