群青

表現と社会について自分の語れることを頑張って語ろうと思ってつくったブログです。方向性みつけていきます。

早すぎたデュラララ

例えて言うなら、ルルル文庫みたいなやつが少女漫画的なものだとするなら、カゲプロみたいなのはアレです、少年ジャンプの黒子のバスケみたいなものなのです。

 

のっけからすごい適当な事言っててすみません。ルルル文庫は全然少女漫画っぽくないしカゲプロは黒バスっぽくはないです。でも、上記の文章で何が言いたいかというと、それは女の子のほうを向いているポーズをとっているかどうか、ということなのですね。黒子のバスケなんていうのは当然ターゲット読者として明確に女子がいるわけなのですけれども、あれは一応少年ジャンプの少年漫画という体がとられていて、もちろん少年にも読まれているはずの作品です。実際の読者の男女比は知りませんが。

 

で、カゲプロはそういう意味で、女の子の興味を引く少年漫画っぽいな、という感じをぼくは非常に強く感じているのです。

 

そういう作品の系譜としてカゲプロのほかに何があるかというと、それは成田良悟の「デュラララ!」です。この作品が生まれたのは2004年なのですが、この作品の登場ってなんだかすごく早かったなと感じるとともに、なぜこれ以降こうした作品がこんなにも書かれなかったのかということも感じます。

 

ぼくが思うに、この問題は少女向けラノベレーベルの貧しさにあって、たとえば小学館は、せっかく尖ったレーベルとして存在感を強くしている小学館ガガガ文庫を擁しておきながら、ルルル文庫のベタさがあるわけです。

 

つまり、ラノベ界はもっと「第二のデュラララ」を呼びこむ場所を用意するべきだったのではないかということ。少女向けというのはルルル文庫のようなベタさだけの事を言うのではなく、「デュラララ!」のような黒バス的作品を忘れてはいけないと思うわけです。

 

東浩紀さんが年代(ディケイド)の話をするとき、日本のサブカルチャーは昭和の単位で動いているということを度々発言しています。すなわち、日本における10年区切りは、「X0年からX9年」ではなく、むしろ「X5年-」の単位で動いていると。

 

すなわち「85年代(昭和60年代)」「95年代(昭和70年代)」「05年代(昭和80年代)」と来て、現在は05年代の最後の年だというわけです。そして、05年代というのは非常にコンテンツの貧しい年代であった。的なことを最近の東さんはわりと発言しています。

 

そこからのアーキテクチャでありプラットフォームでありコミュニケーションが云々、というのは最近よく話されているテーマですが、というかまさに昨日ぼくはタイムシフト

さやわか式☆現代文化論#9「コミュニケーションは想像力を超えるか――ゼロ年代の終わりと10年代の行方」さやわか×海猫沢めろん×東浩紀 

を見たばっかりなので、そもそもその放送みたあとにこのブログつくろうかなーと思い立ったわけですが、15年代にコンテンツが持っているひとつの可能性として、ぼくはこうしたデュラララやカゲプロ的な作品があるのではないかと思っているのです。

 

デュラララは05年代初頭(というかその前年ですけれども)に登場したにもかかわらず、そのフォロワーはずっと現れていなかったのではないか。ようやくカゲプロが登場したけれども、作品数としては実はまだ非常に少ない。女子にも受けているラノベ、というのは確かに多くあるけれども、ルルル文庫的なものを除いた上で、中二少女にターゲティングできている作品はまだまだ少ないのです。そこでボカロ小説が現れているわけですが、そこについてはまた後日。

 

と、ここまで語ってぼく実はデュラララ既刊13巻に追いついていないので、なるべく早く読んでこのあたりをもうちょっと掘り下げて書きたいです。ブログをだいぶ勢いで書いているところがあってほんとすみません。