中国人の購買力を説明するには、昔から「中国は夫婦共稼ぎで」とか「物価が相対的に安いから」「社会主義国なので定年退職した両親に国家の年金があるから」など、さまざまな解説があって、それはみな当たってはいる。しかし、それだけでは昨今の驚くほどの豊かさは説明できない。
日本では中国といえば安価な労働力というイメージが強いせいか、中国の賃金上昇については関心も高く、しばしば報道もされる。確かに中国の平均賃金は過去10数年で10倍ぐらいにはなっている。すごい伸び率ではあるが、単純化して言えば、もともと月給3000円だったものが3万円になりましたという水準の話で、これだけでは「富裕化」と呼べるほどのものではない。賃金は中国スタンダードで10倍になったわけだが、車や家電の値段は国際的な相場があって、中国だから先進国の10分の1の値段で買えるわけではないからである。
ただ普通の中国人民が持っていたもので、国際水準で価値が増大したものがある。それが不動産である。
中国人が豊かになったメカニズムについて話す前に、土地や不動産にまつわる中国の仕組みを解説しておこう。
中国での土地の所有権は、都市部の土地と農地とで概念が分かれている。中国は社会主義国だから、基本的に土地の所有権は個人や法人にはない。では誰が持っているかというと、都市部とその周辺の土地は国家が所有しており、これを社会主義用語では「全人民所有」と呼ぶ。一方、農地はその地域で農業に従事する人たちの集団(農業集団)が所有している。これはかつて中国には人民公社という農民の生活共同体的な仕組みがあって、すべての農民はそこに所属し、個人資産を一切持たない形で共同生活をしていた。この仕組みは70年代末にはほぼなくなったのだが、土地だけはその時の概念を引きずって農民の集団がそのまま所有している建前になっている。だから農民は農地を自分で処分したり、他の用途に使ったりすることはできない。
農地についても問題は山ほどあるが、とりあえず今回は話を都市部の土地に限定する。
都市部の土地は国家の所有なので、一般の住宅や工場、商店などはそれを使わせてもらうことになる。説明が複雑になるので話を個人の住宅に限定すると、80年代初頭までの社会主義計画経済の時代、人々は自分の所属する勤務先から住宅を提供され、そこに住んでいた。この勤務先のことを社会主義用語で「単位」と呼ぶ。農民が人民公社で集団生活をしていたのと同様、都市部でも国営企業とか役所、学校などといった「単位」に人々が所属し、生活共同体になっていたのである。
だから住むところは福利厚生の一環として原則無料で「単位」が用意した。人々は単位にあてがわれた住宅で暮らし、毎月タダ同然の管理費のようなものを支払うだけ。どんな家に住めるかはその人の地位や国家への貢献度などで決まる原則だが、実態は住宅を配分する権限を持つ幹部との個人的関係によって決まっていた部分も多かったようだ。
住宅の場所は職住接近どころか、通常はその単位の敷地内にあるのが普通だった。役所とか有力な国営企業ほど街の中心部にあることが多かったので、中国では市街地の交通便利な場所にも大勢の人が住んでいた。この点が後々大きなポイントになってくる。
そうやって人々は「単位」によるあてがいぶちの住宅で暮らしてきたのだが、80年代、中国の改革開放が本格化すると、住宅制度の改革が大きなテーマになってきた。いつまでも国が住宅を供給する計画経済的な仕組みを維持することは合理的でない。社会主義の建前は捨てないものの、世の中の仕組みを市場化していかなければならない。
そのプロセスで明確化されたのが、土地や建物の所有権と使用権を分けるという考え方だ。つまり不動産の所有権は国家にあるが、その使用権については個人や法人に帰属することを公認し、その売買や貸借も認めるというやり方である。土地は信用経済の基盤になるものだから、ここを改革しないと本格的な市場経済には進めないのである。
これは中国オリジナルの発想かというと、どうもそうではないらしい。たとえば英国では「土地の最終的な所有権は王室(The Crown)にある」と規定されており、売買されているのは一種の土地使用権なのだそうだ。資本主義発祥の地で機能している手法なのだから、これで事実上、問題がないのだろう。
そうした流れの中で、前述の「単位」がその構成員に提供していた住宅の使用権を、そこに住んでいる人に譲り渡すという政策が90年代から各地で始まった。当時は住宅とは公有のもので、使用権の売買という概念は一般的ではなかった。だいたい使用権の譲渡といっても、もともと「全人民所有」なのだから要は自分のものみたいな感覚である。譲渡といっても登記所みたいなところに行って所定の手数料を支払い、自分名義に書き換えるだけ、単に手続き上の問題と思っている人が少なくなかった。
90年代後半になると、有償での譲渡、いわゆる払い下げが増えてきたが、それでも値段はまだ安く、1㎡あたり数百元、日本円で数千円程度のケースが多かった。こうしたプロセスを経て、中国の大都市では、それまで「単位」の住宅を借りて住んでいた数百万、数千万の住民たちが、無償もしくは非常に安く、かつ合法的に不動産の使用権を入手し、事実上、不動産のオーナーになるという状況が実現したのである。ただ大半の人は、その意味するところの重大さには気がついていなかった。
だから当時、払い下げの代金が負担できないなどの理由で自宅の買い取りを見送った人も少なくなかった。安いといっても仮に1㎡あたり5000円で40㎡の自宅の払い下げを受けるには20万円のお金が必要である。当時の市民の平均月収は数千円だったから、3~4年分の年収相当額を工面する必要があった。当然、誰にでもできる話ではない。97年7月1日をもって「単位」による住宅の配分制度は終了したが、それ以前に住宅の配分を受け、多少無理をしてでも払い下げを受けた人と、見送った人との間で、その後一生かけてでも取り返しがつかないほどの資産格差がつくことになったのである。
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【講師:田中 信彦 氏】中国・上海在住。1983年早稲田大学政治経済学部卒。毎日新聞記者を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクル ...
田中 信彦たなか のぶひこ
中国・上海在住。1983年早稲田大学政治経済学部卒。毎日新聞記者を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動 に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、 ...
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