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2.異なる価値観は認めない――価値観から断て

 判断基準の欠如は絵に限った話ではなく、現行法でも大きな問題となっている。それは、「わいせつ」を判断する主観の位置が非常に曖昧というものである。つまり、そもそもこの法律を運用するに当たっての基準がはっきりしていないのである。

 例えば、以下のような例がある。
 現行法第2条3項に児童ポルノの定義として「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの」とある。
 なぜこのような回りくどい条文なのかというと、ぺドフィリア(幼児を性的欲求の対象とする性的倒錯。小児性愛。いわゆるロリコン)にとって、必ずしも幼児の裸のみが欲情の対象であるわけではないからだ。例えば水着、オムツ姿、あるいはどのような姿であっても存在そのものが性的欲望の対象になるかもしれない。そのような経緯から、単に裸や性交の描写に限らずに「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの」というややこしい規定となったのであが、肝心の「性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識する」判断基準はどこにも書かれていない。被告の感性なのか、裁判官の判断なのか、市民の一般常識なのか、何ら規定が無いのだ。

 この問題に対し、当時のプロジェクトリーダーである森山真弓衆議院議員(現法相)は自著の中でこう書いている。

Q 40第2条第3項第2号・第3号には「性欲を興奮させ又は刺激する」とありますが、だれの性欲を興奮させ又は刺激するのでしょうか。また、この要件に該当するか否かは、だれが判断するのでしょうか。
 大多数の者に対して、児童の(特に低年齢児童の)裸体は性欲を興奮させ又は刺激するとは考えられないという考えもありますが、どうでしょうか。一部の少数者の性欲を興奮させ又は刺激するものも児童ポルノとして処罰の対象になりますか

A 「性欲を興奮させ又は刺激する」とは、一般人の性欲を興奮させ又は刺激することをいうものと解しています。これに該当するか否かの判断は、犯罪構成要件に該当するか否かの判断ですので、最終的な判断は刑事事件において裁判所がするものとなります。児童の裸体が一般人の性欲を興奮させ又は刺激するかどうかについ ては、性的に未熟な女児の陰部等を描写した写真が刑法のわいせつ図画に当たるとした判例があり、必ずしも年少児童の裸体が一般人の性欲を興奮させ又は刺激することがないとはいえないと考えております。
 なお、一部の少数者の性欲を興奮させ又は刺激するものは、一般人の性欲を興奮させ又は刺激するものでない限り、児童ポルノには当たりません。


 また、145回国会衆議院法務委員会議事録(1999年5月12日)からの抜粋である。

枝野衆議院委員
 ありがとうございます。そういったことで運用していただければ、変な拡大とか間違った運用ということはないかなというふうに理解をしたいと思います。
 それから、先ほどもここで出てきていますが、「性欲を興奮させ又は刺激する」というのが要件になっているわけですけれども、この「性欲を興奮させ又は刺激する」ということについての判断者はだれであるのか、あるいは、だれの性欲を興奮させ刺激するということであるのか、これについてお答えをいただければと思います。

大森参議院議員
 「性欲を興奮させ又は刺激する」、この構成要件につきまして、だれの性欲をという御質問でございますけれども、通常、構成要件に規定してありますことは、一般通常人というものを基準としております。最終的にそれをだれが判断するのかということになりますと、犯罪構成要件に該当するか否かの最終的な判断は、刑事事件におきましては裁判所がすることになります。


 これに対して、「子ども買春・子どもポルノ・性目的の子どもの人身売買を根絶するために行動する組織と個人の世界的なネットワーク」を自称する市民団体「エクパット・ジャパン・関西」すらも問題点をこのように指摘している。

 現在の法案では、「児童ポルノ」の規定のなかに「性的好奇心をそそるもの」という文言が入っている。わたしたちはこのように主観的であいまいな規定が処罰を規定した法律に含まれてよいのかと考える。
 そもそも、いったい、誰の「性的好奇心をそそる」ものであれば規制の対象になるのか。この点があいまいである。問題となっているのは、幼児を被写体としたものまでを含む「ポルノ」である。そのような「ポルノ」に「性的好奇心」をそそられる人は限られている。むしろ、諸外国で「児童ポルノ」として規制の対象になっているもののなかには、多くの人にとってまったく「性的好奇心をそそらない」ものも含まれている。その点にこそ、この問題の問題たるゆえんの一部がある。「性的好奇心をそそる」といった主観的であいまいな規定で処罰が進められてよいのか。
 裁判において裁判官は、いったい誰の「性的好奇心」をそそったかどで人を処罰するのか。被告やその弁護人から、「この画像でいったい性的好奇心をそそると言えるのでしょうか」と質問されたら、裁判官はどう返事するのだろうか。裁判官自身の「性的好奇心」か。そうでないとすれば誰のものか。
 ばかばかしいと思われるかもしれないが、法律は「性的好奇心をそそる」ものが規制の対象になると規定しているのであるから、誰の「性的好奇心をそそる」のかという点はきわめて重要である。これは、成人を主な対象とする「わいせつ」の規定以上にあいまいだとさえ思われる。この一事を取ってみても、「児童ポルノ」の場合、成人と同じような発想で規制ができないことは明らかである。これでは法律の要件を満たしていないとわたしたちは考える。


 つまり、「一部の少数者の性欲を興奮させ又は刺激するもの」を取り締まるのに「一般人の性欲を興奮させ又は刺激する」基準を用いるのである。これは自己矛盾である。条文には「性欲を興奮させ又は刺激する」ものを児童ポルノをみなす、とあるのだが、その「性欲を興奮させ又は刺激する」基準が一般人にあるのならば、一般人は児童ポルノには欲情しないのであるから、それは児童ポルノでは無くなってしまう。そして、児童ポルノに欲情するのは「一部の少数者」である。
 さらに、児童ポルノといってもその基準は広く18歳未満をさしている。17歳と言えばほとんど大人に近いから、たいていの人は興奮し、刺激されるだろう。では16歳は。15歳は。14歳は。13歳は。そうして少しづつハードルを下げていくと、いつか興奮する人としない人の割合が逆転する。その中間、ボーダーライン上では「性欲を興奮させ又は刺激する基準は個人の主観的な性癖の差異によって決定される。つまり、「性欲を興奮させ又は刺激する」基準などというものは不定かつ変動的なものにすぎず、一般人の基準などというもはそもそもありえないのである。

 さらに、これを拡大解釈すると次のような事態が発生してくる。法律の文言には「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの」とある。「性交」「性交類似行為」「」が禁じられているだけではない。これは非常に曖昧な規定である。「衣服の全部又は一部を着けない児童」ということはほぼ無限な解釈が可能だ。水着姿でも、体操着姿でも、「性欲を興奮させ又は刺激する」と判断されれば違法になる。法の運営側が恣意的な拡大適用が行われればいくらでも摘発できる。

 「エクパット・ジャパン・関西」が指摘するように、「性的好奇心をそそる」というのは非常に主観的かつあいまいな規定なのである。
 児ポ禁法は医療や学術研究に用いる資料は規制範囲外だが、もしも、それに性的好奇心をそそられる人間がいたらどうするのであろうか。幼児用ミルクや、オムツのCMに欲情する人間がいたらどうするのであろうか。育児用雑誌に欲情する人間がいたらどうするのであろうか。「性欲を興奮させ又は刺激する」ものを規制するのなら、メディアに児童を一切登場させないことにするか。ペドファイルの脳の性欲を司る部分を切除するか?
 ここまでいくと、最後は「児童を見てよからぬことを考えるな」ということになってしまう。確かにペドフィリアは必ずしも健全、一般的な性欲ではないかもしれないが、そこまでいくと思想統制である。内面に深く関わる規制になってしまう。これが絵に拡大すればなおさらである。

 そもそも、児童ポルノ禁止法とは「ペドフィリア」を規制する法律ではない。ペドフィリアの欲望に、現実の幼児が犠牲になることを防止する法律である。それが正常か異常かは別として、ペドファイルの存在そのものを規制するべきではないのは言うまでも無い。

 (注)上記の文に関してアメリカの法律では「内面的に児童に性欲を抱くことも禁止する」と記されている八的暁様からご指摘を頂きました。日本の推進派がここまでの規制を望んでいるのかは定かではありませんが、アメリカの場合宗教的な背景もありますが、これは既にナチスドイツの政策に等しい暴挙です。もちろん、日本の法律はあくまで児童の保護のためのものです。八的暁様ありがとうございました。八的暁様のサイトはこちらです。

 詳しい数字は調べていないが(私の主観に過ぎないことを記しておく)おそらく日本人の中で、ロリコンの気がある人のほうがホモの気がある人より多いと思われる。ホモセクシャルをはじめ、同性愛者の人権は現在世界各国で主張されている通りで、結婚すらも認められる国が出てきている。そういった、性的嗜好のマイノリティは世界的に保護されようとしている。先ほどの例だが、ホモセクシャルの人に「男を見てよからぬことを考えるな」と言っても、それは彼らにとっては正常な反応にすぎない。ならば、同権的によの大多数のヘテロセクシャルの男も「女を見てよからぬことを考えるな」ということになる。我が身として考えてみて欲しい。こんな取締りは許されるだろうか。
 もっとも、数の大小に関わらず、特に他人に害を及ぼす特殊な思想(ネオナチやテロ集団など)でない限り(法律的に言うなら公共の福祉に反しない限り)は、個人の思想、信条、嗜好などは個人の尊厳として認められるべきであるって、それを取り締まるかのような法律は憲法違反もはなはだしい。精神の自由、内心の自由、思想および良心の自由は、数ある自由の中でも特に保護されるべきものであって、人間の尊厳を支える非常に重要な自由権、公共の福祉を理由としても制限することのできない絶対的権利として、憲法でも厚く保障されている
 特に、物理的に存在しない、いわば精神的産物の絵を規制するということになると、その違憲性はますます強くなる。
 児ポ禁法が児童ポルノによって、虐待、搾取される幼児を保護するという本来の趣旨を越えて適用されようとしているのなら、われわれは警戒を深めなければならないだろう。


続く