目次に戻る
3.単純所持禁止の危険――鉛筆1本で犯罪者
繰り返すが、児童ポルノ禁止法は第1条に「これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利の擁護に資することを目的とする」とあるように「東南アジア児童売春ツアー」や「写真、アダルトビデオなどの児童ポルノ」などの具体的な性的搾取、性的虐待から児童を保護する為の法律であって、それ以上のものではない。前項で指摘したように、例えそれが道徳的、生理的、社会的に受け入れられ難い性癖であっても、社会に対し害を及ぼさない限りは(公共の福祉に反しない限り)取り締まることは許されない。
だが、現実には民主党の円より子議員のように「児童一般を守るとともに性欲の対象として捉えることのない健全な社会を維持することも、この法案では目的としております」などと公言する議員もいる。森首相も誰も敵わない暴言である。
これは実に恐ろしい発想だ。「児童一般を守る」ことはわかる。物理的に可能なのは先に述べた。だが、「児童一般を性欲の対象として捉えることのない健全な社会」とはどのように達成するというのか。この場合健全か不健全かは別次元の問題だ。そういう発想ができないように日本人男子全員の脳を手術するとでもいうのだろうか。それとも徹底した弾圧か。ホモセクシャルを弾圧したナチスとどこが違うというのか。「捉えることの無い」とは、つまりそれは思想統制以外のなにものでもない。それにしても、彼女らは「不健全なもの」をすべて排除すれば健全な理想社会が実現すると考えているのだから実におめでたい。
このように児ポ禁法の拡大を狙う議員は少なくない。だが、彼女らの本当の目的は既に児童ポルノ禁止法内には無い。本当に目指すのは児童ポルノ禁止法に便乗したアダルトコミック(有害情報)規制、そしてそのための「単純所持」の処罰である。それは先日の日本ユニセフシンポジウムの森山法相の発言からも明らかだ。
「単純所持」とは販売、頒布、譲渡、輸出等の目的を持たない個人の一般的な所持のことである。現行児ポ禁法では、「児童ポルノを頒布し、販売し、業として貸与し、又は公然と陳列した者は、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する」「前項に掲げる行為の目的で、児童ポルノを製造し、所持し、運搬し、本邦に輸入し、又は本邦から輸出した者も、同項と同様とする」(第7条)と販売目的の所持(および製造)を禁じているだけで単純所持は禁じてはいない。とはいえ、何度も述べたように、推進派が最も改定案に盛り込もうとしているのがこの「単純所持」なのである。
現在、別の法律によって単純所持が禁止されているものは「銃器」「刀剣」「大麻」「覚醒剤」など、その存在そのものが危険を及ぼしたり、害悪であったりするもので、ごく一部のものの規制に限られている。これらは、いかなる理由があっても所持することが許されず、所持者は処罰の対象となる。
つまり、児ポ禁法が改定された場合、児童ポルノは銃や麻薬と同様に所持するだけで逮捕されるのだ。
また、法律と言うものは不遡及(成立以前の事項に関しては取り締まらないこと)が原則であるが、単純所持というのは例外的に遡及効を持つ。つまり、たとえ成立以前に購入したものであっても単純所持からは免れない。法律の公布から施行までの間に全て処分しろ、ということになるのだろう。
なぜ単純所持を処罰対象に加えるかというと、推進派の主張では「セカンドレイプ」を防止するためである。つまり、児童を性的虐待、性的搾取して作成した児童ポルノが存在する限り、その児童の人権を侵害しつづける、ということである。確かにこれは一定の説得力は持つ。虐待、搾取によってポルノを作成された児童が保護されたからといって、自分を撮影したビデオがまだ誰かの手元に残っていて、性欲のはけ口にされていたらその子はいい気分はしないだろう。もちろんこれは実在の児童が被害にあっている場合の話である。
とはいえ、それでも単純所持禁止はリスクが大きすぎるという指摘もある。確かに上記のような例ならまだ理解できる。だが、現実には前項で述べたように児童ポルノの定義自体があいまいであり、いくらでも拡大解釈が可能なことを考えれば危険は大きい。なぜなら、単純所持違反が多く使用される例として「別件逮捕」がある。オウム信者がカッターナイフの所持などで次々逮捕された事例も記憶に新しい。別件逮捕の是非にまで踏みこむと話がそれすぎてしまうのであえて深くは触れないが、健全な捜査の形とは言えないだろう。
例えば、わいせつ事件が発生したときに、怪しい人物は全員「児童ポルノ単純所持」という別件で逮捕して(児童ポルノは拡大解釈がいくらでも可能だから誰でもつれて来れるだろう)、本件で捜査するということもありえる話だ。その厳しい取調べで、つい「わいせつ事件も自分がやりました」と言ってしまえば冤罪の完成である(もっとも、自白は唯一の証拠にはならないが)。
単純所持を禁止してまで規制するほど危険なものなのか、というのは少なくとも国民のコンセンサスが必要だろう。一部の議員の思想、信条によって決定されるべき事柄ではない。
ここまでは、実写までの規制での問題。ここからは、更に加えて絵が規制された場合の話である。これが相乗効果で更に危険なことになる。
絵が規制されて、さらに単純所持も処罰されるようになると、当然ながら絵の児童ポルノを所持することも違法行為となる。これまで長々と述べてきたように、児童ポルノの定義はあいまいで、それが絵の場合ならなおさらだ。基準も定義も無いままに、誰かの基準も無い判断によって「児童ポルノ」は決定され、それを所有している人間は問答無用で処罰される。規制推進派にとって都合の悪い人間は誰でも「児童ポルノ禁止法違反」で逮捕できるような仕組みになる、かもしれない。
そして、絵の単純所持も禁止されるということは、絵を「製造し、所持し、運搬し、輸入し、若しくは輸出したもの」が処罰の対象になるという事なのだ。「製造」とはつまり、販売目的でもなく公開目的でもなくても、チラシの裏にすらすらと児童のえっちな絵を描いただけで「児童ポルノ製造」及び「所持」として処罰の対象にできるのである。そう、あなたも鉛筆1本あれば犯罪者になれるのだ。何という暴挙。
しかも、児童ポルノ禁止法の罰則は「児童ポルノを頒布し、販売し、業として貸与し、若しくは公然と陳列し、又はこれらの目的で製造し、所持し、運搬し、輸入し、若しくは輸出したものは、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する」とある。3年以下の懲役とは「公務執行妨害」「ガス漏出等及び同致死傷」「あへん煙吸食及び場所提供」「死体損壊等」などに科せられるような重罰である。
絵を描くことすら犯罪になるのが、この児ポ禁法の恐ろしさである。もはや、表現の自由という言葉はどこにもない。
確かに大袈裟な例である。極論である。本当にこんなバカげたことで逮捕されるのだろうか、警察だってそんな暇じゃないでしょ、と思われるかもしれない。それはそうだろう。いちいち、誰がこっそり絵を描いたかなど見張っているはずはない。だが、忘れないで欲しいのは、それを処罰しようと思えばいつだって可能という事だ。別件逮捕の可能性、ポルノ規制派による見せしめ検挙、なんだってありえることなのだ。可能なのである。
単純所持、絵の規制とも児ポ禁法の趣旨を大きく外れ、我々の思想、信条、精神活動を弾圧する危険性を秘めたものである。児童ポルノを禁止するのは悪いことではなさそうだからと無関心になりがちな国民一般を含めたスケールの大きな議論が必要ではないだろうか。大多数の国民にとってはペドやロリの問題は関係無い。だが、そう思っていても次は我が身かもしれない。我々の権利の問題は、主体的に考えるべきである。